転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



12月に尾上菊之助の主演で歌舞伎版『風の谷のナウシカ』が
新橋演舞場で上演されることになっている。
企画から5年をかけての実現で、音羽屋ファンとしても
私は大変に期待をしていた。のだが……!

一般発売前の今にして既に、チケットが、ない

私は以前から松竹歌舞伎会に入っており、
去年一年間の購入実績により今は「特別会員」というランクに居るので、
松竹の公演に関しては一般に先駆けて切符を購入できるのだが、
昨日から先行販売の開始された『ナウシカ』を買おうと
今朝ほど、チケットweb松竹のサイトに行ってみたらば、
もはや桟敷席18000円か一等席17000円しか無く、大半×がついていた。
公演全体として、最初から貸切になっている日時も複数回あるし、
「特別会員」より格上の「ゴールド会員」のほうが予約開始が早かったので、
ここまでの段階で、既に、おおかた押さえられてしまったようだった。
しかも、高い席なのに前方や通路沿いなどのいわゆる「良席」は、
ほぼ残っていなかった。

ぴあやイープラスなど、松竹以外のプレイガイド扱い分が
一般発売で出てくるだろうという期待は、まだできるし、
公演日までの間、チケ松のサイトをまめにチェックしていれば、
おそらく『戻り』チケットが幾度かは出てきて、
タイミング次第では安価で条件の悪くない席が買える可能性も、
まだまだあるのだが、今の私はそれらに賭けて待っている訳には行かない。
チケット取りにそうそう時間をかけられないし、
東京遠征は泊つきだから、年末の日程をあれこれと調整をした上で、
新幹線とホテルを確保しなくてはならず、
突然に戻りチケットが手に入っても、出られるとは限らない。

発売日だった昨日は、仕事で全く体が空いていなかったのだが、
結果論だけを言えば、帰宅後、夜中にでもチケ松を確認するべきだった。
よもや、こんなに売れているとはね(汗)。
先行の段階で桟敷か一等席とは、とさすがに萎えた。
公演によっては、チケットがない!となったとき、
「何!?まだ打てる手がある筈!」と燃える場合もあるのだが、
今回に関しては、どうも、そういう気分になれなかった。
むしろ「お前は観なくてよろしい」という天の声ではないかと感じた。
古典でなく、新作歌舞伎だから私はそう思うのだろうか。
それとも、もともとジブリが私の興味の範疇にないからか。
菊之助(ナウシカ)×七之助(クシャナ)の一騎打ちは
素晴らしいに決まっている!と観なくてもわかっているが……。

何であれ、かくも世間の注目度が高いのならば、
いつの日にかきっと、テレビ放映かDVD発売か、何かがあるだろう。
今回の評価如何によっては、歌舞伎座等での再演も、
もしかしたら期待できるかもしれない。
『ナウシカ』の大入りを心からお祝い申し上げますとともに、
12月の私は、予定変更して南座の顔見世に行こうかと思います(^_^;。


追記:いや、まだ早い、歌舞伎座12月が何になるかまだ発表されていない。
ことと次第によっては、私は歌舞伎座のほうこそ、
観倒さなくてはならないことになるかもしれない。
とりあえず来月の発表を待ってからだな、12月の予定を決めるのは(^_^;。

追記2:10月2日、歌舞伎座12月の予定演目が発表された。
松緑は『阿古屋』の「岩永左衛門」と『神霊矢口渡』の「渡し守頓兵衛」、
しかも前者は役代わりのうちAプロに出るので、上演日が限定される。
一度の東京遠征で歌舞伎座・昼夜と演舞場・昼夜を実現させることは
どうやっても無理だ。仮にナウシカの切符が手に入ったとしても。
チケットの問題を抜きにしても、この選択なら私は歌舞伎座を取る。
とりあえず歌舞伎座昼夜を昼Aプロの日に押さえたあと、
もしも縁があるものであれば、ナウシカをどこかで……(大汗)。
首都圏在住でない者の道楽は、こうやって取捨選択することの連続だ。
十二月大歌舞伎(歌舞伎美人)



新作歌舞伎 風の谷のナウシカ公式ウェブサイト(松竹)
令和元年12月6日(金)初日→25日(水)千穐楽 新橋演舞場
10月19日(土)10:00より 電話予約Web販売開始

歌舞伎『ナウシカ』終了時間は未定 七之助「腹くくって観よう」(岩手日報)
『歌舞伎俳優の尾上菊之助、中村七之助が9月30日、都内で新橋演舞場12月公演の新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』の制作発表会見に参加した。』『映画監督の宮崎駿氏の代表作『風の谷のナウシカ』(1984年公開)を歌舞伎化。宮崎駿作品が歌舞伎舞台化されるのは初であり、スタジオジブリの関連作品歌舞伎舞台化も初となる。映画版では描かれなかった漫画原作全7巻を、昼の部・夜の部通しで完全上演する。』

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さきほど母から電話があり、
「便秘が日々、ひどくなり、困っている」由、相談があった。
今は、自宅にいた頃と違って、自分で調理をしないので、
繊維の多い献立を工夫する自由がなく、
ホームの献立は老人向けで柔らかいものばかり出るし、
そのせいで、便秘がいつまでも改善しない、とのことだ。
ここに来て以来ずっと下痢をしている」件は、
もう無かったことになっていた。

親の話が聞けるのも、親が生きていればこそ、
と私は常々、己に言い聞かせているのだが、
内容がその都度、詳細極まる腹具合のレポート、
ってのはねぇ………(^_^;。

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7月17日にウォシュレットが壊れて水勢調節が出来なくなり、
メーカーのサイトで調べたら、既に約10年前に製造終了した型番で、
一体型で、ウォシュレットのみの交換ができない機種だったため、
改善したければ、便器本体を買い換えるほかないことが判明した。
どのみち、もとのトイレの部品取り扱いが2020年で終了する、
という話は、マンションの住人同士の会話でも去年から出ており、
何らかのかたちで、そう遠くない時期に、
トイレ・リフォームをすることになるとは思っていたのだが、
まさか、このタイミングで壊れるとまでは、予想していなかった(^_^;。
それで、だったらいっそ増税前に全面的にやるか!と思い立って、
以後、諸々の手数がかかり、それはそれは様々に紆余曲折あったのだが、
昨日、ついに、ついに!工事完了した!
我が家のトイレが、完全に、生まれ変わった(T_T)!!

これまでのトイレは、13年前にマンション購入を決めたとき、
契約時期が遅くて、既に内部の変更はできない段階になっていたので、
本体機種も内装等も、標準規格をそのまま受け入れたものだった。
当時は私自身も今ほど細かい希望を持っていなかったし、
官舎を出られる!というだけで感動していたので、
新築分譲マンションのトイレには単純に満足していた。
(↓の写真が、入居時のレイアウト)
 

しかし、あれから年月を重ね、私も多少なりとも目が肥え、
自分なりの理想も出来たし、知識も増えた。
上背のない私には、天井付近の収納は使いこなせないとわかったし、
手洗いカウンターの掃除のしにくさに不満を覚えるようにもなっていた。
それらを、リフォームの機会が得られた今回、ぜひ改善したいと思った。
更に、トイレは非常に狭い、限られたスペースなので、
インテリアで遊ぶには予算的に最適な場所でもあった。
壁紙ひとつにしても、6畳を仕上げるのは桁の大きな話になるが、
トイレの面積であれば、ちょっと良いクロスでも手を出せる。
輸入壁紙になると、トイレでは水ハネが不安ではあったが、
私は掃除がことのほか好きでもあるので、
気をつけて使う+手入れを怠らない、という方針でやってみようと、
ここはデザイン重視で思い切ることにした。

まずは、主人と二人で7月21日に某電機店に出向いて、
店頭に置いてあるタンクレストイレについて、
メーカーごとの特徴や値段など説明を聞き、およその型番を決めた。
それから、タイミング良くお盆前に娘が帰省していたので、
かねてから彼女の色彩センスを頼みにしている私は、
8月8日にインテリアショップに彼女を伴って出かけ、クロスを選んで貰った

昨年来お世話になっているショップのマダムと話し合い、
娘が選択したのは、ウィリアム・モリスの「クリサンテマム」と、
その中の一色を取った無地との張り分けになる組み合わせで、
「トイレは寒々とした印象になりがちなので、敢えて温かみのある色に」
というのがその理由だった。
私が選んでいたら、全面、白地に青の小花模様等になるところだったので、
やはり自分と異なる感覚を取り入れるのは大切だと思ったことだった。

8月11日に、某電機店リフォーム部門の営業の方に自宅に来て頂き、
現場を見て頂くとともに、壁紙については希望の品番があることを伝え、
その方の紹介で、今度は8月18日にTOTOのショールームに出かけて、
先日、店頭で選んだトイレ+ウォシュレットの機能を確認するとともに、
「空間全体をなるべく広く使えるようにしたい」
「脚立に乗らなくても収納が活用できるようにしたい」
を条件に、手洗器・紙巻器・収納棚・タオル掛け等を選び、
リフォームとしての全体のレイアウトを考えて貰った。

ここでの見積もりを持って、某電機店の担当の方と再び話し合い、
家電類については店頭価格に合わせて見積もりし直して貰い、
同時に、クロス張りやトイレ本体・棚・紙巻器・手洗器などの
内装や据え付け工事・電気水道工事関連の手配をして貰った。
話の発端は7月下旬だったので、時期的に「増税前に施工完了」するのは
たいして難しくないだろうと思っていたのだが、
私も業者さんもともに、いつでも体が空いている訳ではなく、
日程調整が大変で、最後は結局、9月第4週にまで縺れ込んでしまった。

先にインテリアショップで決めたクロスの品番と壁面デザインについては、
予め、某電機店を通じて施工業者さんに伝えてあったのだが、
腰上は輸入壁紙52センチ幅のを接ぎ合わせ、
腰下は国産ビニールクロスでオリーブ色の無地を張り、
上下の境には見切りのジョイナーを付けて欲しい、
と込み入った内容だったため、内装工事の方には
大変に手数のかかる作業をして頂くことになってしまった。
昨日は朝7時40分に開始、内装だけで午後4時近くまでかかり、
そのあと設備工事の方にバトンタッチされたのだが、
完成したのは夜8時頃になってからだった。まさに一日仕事!
本当に本当に、ありがとうございました~~!!!

嗚呼。何はともあれ。
今、我が家のトイレは美しく光り輝いている。
他のいかなる部屋と見比べても、
トイレだけが極端にクラシックで、英国風味になった(爆)。

         


追記:朝早くから夜までトイレが使用できないのは、
住人である私にとって、ややツラいものは、あった(^_^;。
午前中に一度、1階の管理人室のトイレを使わせて頂き、
夕方には近所のコンビニに行ってトイレを借りた。
最寄りコンビニまで徒歩25分、の実家の村だったら
このような工事は出来ないところだった(汗)。
尤も、田舎家は広いのだけが取り柄なので、トイレだって、
外の納屋の横のも合わせれば家族の人数分あったりするんだが(爆)。

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懸案となっていた主人の部屋の壁紙の張り替えを
20日にほぼ一日かけてやって貰った。
なかなか私が家に居られる日がなく、
なおかつエアコンの取り外し・取り付けとの兼ね合いがあり、
日程を決めるのに難渋したが、どうにか実現できた。
そもそも、夏に思いがけずエアコンのお掃除ロボットが壊れて、
購入して13年経っていたことから、有料修理より買い換えを勧められ、
機種が変われば室内機サイズも異なるので、壁紙に黒い跡が残る、
となって、それならと、クロスの張り替えに手をつけることになった。
それも、増税前に施工完了(大汗)、という縛りつきで。

クロスそのものもすんなり決まった訳ではなく、
最初に選んでいたのが薄手の輸入壁紙だったので、
リフォームで張るときには下地補修が大変な手間だと判明し、
業者さんの意見も聞いた上で、決めていた品番のをやめ、
リフォーム向けのものに変更するといういきさつがあった。
結局、モリスのウィローボウとテイストの似たリーフ柄にして、
天井際に茶系のボーダーも初めて試してみることにしたのだが、
張ってみたらなかなか良かったので、結果オーライだった。

昨日は、クロス張り替え作業を、ときどき観察していたのだが、
それまで壁に掛けたり取り付けたりしていた、時計や額、カレンダー、
カーテンレールに照明シェード、スイッチプレートのカバー、
などなどを可能な限り外し、本棚や家電等は養生して作業するものだとか、
作り付け家具の場合は際まで張るなどの工夫があるものだということを、
初めて知った。
その手際は感動的ですらあった。
仕上がってみると、まるで別の家になったような新鮮さがあり、
帰宅した主人も「変わったね!ええね~(^^)」とご満悦であった
(計画段階は完全に無関心なようでいて、出来上がりには実に肯定的、
というのが主人の大変良いところである!)。

壁紙張り替えは、その面積に比して安価だということもわかった。
ボーダーテープの仕上がりも良く、これなら別の部屋で、
今度はモールディングも試したい、と俄然、興味が湧いた。
主(あるじ)不在の、娘の部屋をいずれリフォームしたいものだ。
ただ、家具の多い部屋は中身の移動が大変だ、というのが難点で、
娘の場合は主人ほど身軽でないので、
いざ本当に手を下すとなったら、事前の整理が要りそうだ(汗)。
あとは、やはり塗料の匂いがしばらくは残るので、
張り替えが完了したばかりの部屋で寝起きするのは、
季節にもよるが、多少なりとも苦痛がありそうだ。
エアコンがまだ付いていないこともあり、
主人はしばらくは私の居室に布団を敷いて寝ることになった。

    

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昼の部のほうは19日しか観ていないので、
幸四郎が代役を務めた『沼津』は観られなかった。
しかし、昼に幡随長兵衛と呉服屋十兵衛、
夜に武部源蔵と弁慶または富樫の日替わり、
というのはいくら幸四郎が若くてもシにます(^_^;。
3日間とはいえ、よくぞ務めおおせたものだと感服した。
しかも『沼津』は、幸四郎は以前に出たことがあるとは言え、
十兵衛を務めたことはなく、今回が全くの初役だった。
さすがに、歌舞伎の家に生まれ、祖父や父親達の舞台に直に触れ、
たゆまぬ修練を重ねて生い育った御曹司だからこそ、
と幸四郎の力量に畏れ入った。

さてその幡随院長兵衛だが、幸四郎が実に端正に務めていて、
全体として美しい舞台だったと感じた。
女房お駒の雀右衛門との釣り合いもなかなか良くて、
やはりここでも、襲名で役者は一回り大きくなるのだなと
幸四郎の主役ぶりに感じ入った。
水野十郎左衛門を松緑が演じていたが、こちらもぴったりだった。
前に菊五郎が演ったときには、水野があまりに立派に見えて、
これほどの人物が長兵衛(そのときは海老蔵)程度の若い者を
太刀を振り回して自分で手に掛ける必要までは無かったのでは、
手下や近藤登之助に殺らせておけば十分だったのでは、
と感じてしまったものだったのだが、
今回の松緑は、年齢的なバランスも良かったのか、
お坊ちゃん育ちながら、いかにも愚連隊を束ねているガラ悪、
みたいなニュアンスがとても巧く出ていて、抵抗なく観られた。

そういえば、今回の『幡随長兵衛』では、
劇中劇に乱入する客の役者が、客席通路から登場し花道に上がったのだが、
こういう演出は私は初めてで、大変に臨場感があった。
歌舞伎座でやるときはこういうのも以前からあったのだろうか。
私はどうも、この芝居は地方公演の印象のほうが強く、
「こんなんだったっけ……?」と意外に思いつつも、とても新鮮に感じた。

『お祭り』は梅玉の華やかな二枚目ぶりが目の保養。
前後の『幡随長兵衛』と『沼津』がどちらも重い結末になる芝居だが、
『お祭り』だけは手放しで明るく、小気味よい太鼓も楽しく、
魁春・梅枝と「両手に花」状態の芸者さんも色っぽくて、
観ているこちらの心も晴れやかになった。
バレエのパ・ド・トロワでも思うことだが、
ベテランと若手の女形が組んで並ぶと、
かたや長い芸歴から来る余裕と円熟の域にある色気が半端なく、
かたや技術の正確さや瑞々しい一挙手一投足が鮮やかに映り、
いずれ劣らぬ魅力があって、実に見応えがあった。

19日昼の『沼津』は、吉右衛門の復帰公演となった舞台だったので、
登場時から万雷の拍手、「播磨屋!」「お帰りなさい!」の声がかかり、
私まで、うっかり涙ぐみそうになった(^_^;。
だってひととおりは案じておりましたのですよ、
大播磨だってそろそろ後期高齢者。
高熱の苦痛より休演の無念さのほうが、おつらかったとはお察ししますが、
どうか今後も無茶はなさらず、お体を大切になさって下さいまし。
……と、当初は回復具合を見守るような心境で見始めたが、
この日の大播磨は絶好調で、呉服屋十兵衛は生き生きと若々しく、
3日間の静養でかえって御元気回復されたのでは、
と思ってしまうほどの出来映えだった。
劇中、歌昇長男の綜真くん初お披露目もあり、
花道で元気にお名前が言えて、きちんとご挨拶もできた。
次世代を担うであろう子供達が、こうして次々に育っていて、
歌舞伎の未来は明るいと、とても嬉しく思ったお披露目だった。

『沼津』は深刻な結末ながら、合間合間には愉快な展開もあり、
妊婦の旅人の演技とか、雲助平作(歌六)のよろよろした所作に、
私の近くにいた外国人のお客さんが声を出して笑っていた。
最初、いくら字幕ガイドがあるとはいえ、
こういう芝居を、外国人の初めて(だろう)の方々が
最後まで飽きずに観て下さるだろうかと、
要らない心配をしていたのだが、全くの杞憂だった。

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(写真は、歌舞伎座地下の木挽町広場タリーズの、隈取アート。)

18日の夜の部と、19日昼の部・夜の部、を観てきた。
16日から3日間、吉右衛門が休演したため、
18日の夜の『寺子屋』は、松緑が代役で松王丸を務めていた。

松王丸は本当に芝居が巧くなくては務まらない役だと思う。
私程度にしか素養のない者は、松王のように動きの少ない役柄は、
重々しく演じられればそれだけ冗長に感じられ、
ついには眠気を誘われるのが常だ(殴)。
表面上、激しい葛藤をそのまま芝居として見せてくれるのは
武部源蔵のほうなので、若い頃の私にはどうしても、
こちらのほうが主役にさえ、見えていたものだった。

しかし今回、松緑の演じ方を観て私は、
この芝居で最も激しい役は松王丸なのだと、
遅まきながら、心から納得することができた。
静かな台詞と僅かな表情の変化しか表には現れないが、
松王丸の内心は荒れ狂い、身を引き裂かれるほどの、
激しい感情のせめぎ合いのまっただ中にいる。
私は初めて、我知らず、松王丸の「心」に自分の気持ちを添わせて観ていた。
とりわけ、我が子の最期の様子を源蔵から聞かされて泣き笑いになり、
その見事な死に様にひきかえ、菅丞相に恩返しもできずに自害した弟・桜丸が
あまりに不憫だとむせび泣く場面に至り、
私は松王の嘆きに強く打たれ、本当に初めて『寺子屋』で落涙した。
我が子の最期は褒めねばならぬ、決しては嘆いてはならぬ、
それゆえにこそ、桜丸の憐れさを言葉にしつつ我が子を思い、涙を流すのだ。

急な代役、しかも音羽屋の型でなく、吉右衛門の演じ方を踏襲した松緑、
かつ、音羽屋の銀鼠でなく播磨屋の黒の衣装で務めた松緑、
と、実に貴重な舞台での名演に遭遇することができ、私は大変幸運であった。
ひとつ気がついたのは、松緑は首実検の場で
「でかした、源蔵、よく討った」の『でかした』を言わなかったことだ。
どういうふうに言うかと注目していたのに、無かったので「!???」と
思ったのだが、Twitterで調べたら、松緑は以前から言っていなかったそうだ。
ここには松緑の独自の考え方があるらしいとわかった。

一方、翌日はめでたく吉右衛門の復帰がかなったので、
本来の配役による『寺子屋』も、私は満喫することができた。
やはり吉右衛門の務める松王丸は、時代物の英雄としての大きさがあり
圧倒的な存在感であった。
武部源蔵が幸四郎だったので、松王丸の重量級の存在感とも
絶妙に似合い、互いにこういう位取りになるほうが本筋だ、
とも、はっきりと感じられた。
動きの無い役での大きさ、主役然とした在り方は、さすが大播磨。
菅秀才を丑之助が務めていたので、爺孫共演となったことも微笑ましかった。
その丑之助だが、一応、子役の台詞回しには従っているものの、
声を張り上げた典型的な子役の発声とはやや異なる自己主張があり、
早くも台詞を自分なりに言いたい気持ちが強いらしいと思われ、
なかなかに頼もしく感じた。
また、菅秀才の母・園生の前の役で福助が登場し、
右半身はやや不自由ながら、優雅な立ち居振る舞いで、
ここまで見事に回復できたかと感銘を受けた。
左半身の演技は確かに本来の福助のものだった。
この日は、千代役の菊之助が、松王丸の見栄の直前に、
涙を拭くようにと、あまりにも自然にそっと懐紙を手渡していて、
吉右衛門との呼吸にも感じ入った。

  

夜の部は他に『勧進帳』が、奇数日・偶数日で役代わりになっていて、
奇数日が仁左衛門の弁慶と幸四郎の富樫、
偶数日が幸四郎の弁慶と錦之助の富樫、という組み合わせだった。
仁左衛門の弁慶は、もう、どの瞬間を切り取っても「美しい!」の極みで、
観ているこちらは、「!」「!!」の連続だった。
これほど磨き抜かれた弁慶はほかにあり得ないと痛感した。
仁左衛門の年齢を考えると、ほぼ最後の機会に近いと思われる今回の上演に
私は間に合うことができたと、心から嬉しく思った。
幸四郎も、襲名で大きくなったことがひときわ強く感じられた。
以前は、喉を絞るような発声がいささか気になったこともあったが、
今回は役柄に応じた声の使い分けが巧みになり、
巧くなったなぁと感心した(←何様!!)。
襲名が役者を育てるというのは、やはり本当だった。
延年の舞のあとに滝流しが入り、引っ込みは飛び六方、
という恐ろしく体力勝負な構成の今回の弁慶を、
最後まで勢いを持って演じられるのは、幸四郎の若さならではだった。
一方、錦之助の富樫もこれまた美しかった。
まさに錦絵のような古式ゆかしい華やかさの漂う富樫。
孝太郎の義経がまた、登場時に花道七三で見せた気品と、
その後の台詞の丁寧さが絶品だった。

『松浦の太鼓』は緊迫した瞬間を扱っていながら、楽しいお芝居。
今年の秀山祭は三世歌六の百回忌追善でもあり、
当代歌六が松浦侯を務めた。
最初、必要以上に名君に見えて、どういう演じ方で行くのかと
こちらが迷った(汗)が、徐々に愉快なお殿様になって、
最後に「合点の行かぬそのお姿」になるところでは
気持ちよく笑わせて貰った。
大高源吾(又五郎)らの赤穂浪士吉良邸討ち入りから、
いずれ切腹、となることが明らかな時期が描かれているのに、
この芝居では登場人物が皆明るく、満足感、ひいては幸福感さえ
舞台の端々に感じられる。
それらの間に、粋な俳諧のやりとりが垣間見え、
不思議なバランスの上に成り立っている世界を、味わわせて貰った。

百回忌ともなると、この公演を観に来た観客の誰一人、
生前の三世歌六の舞台を知らないということになるが、
歌六の名前は今日もこうして立派に受け継がれ、
歌六がかつて演じた芝居も、歌六が残した芸も継承され、
死後100年を経た今も、現代の観客の前でかたちを変えて再現されているのだと
大変に感慨深く思った。
伝統芸能、とりわけ世襲の芸の面白さを、また、感じた。



昼の部『幡随長兵衛』『お祭り』『沼津』については、のちほど。

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18日と19日で、歌舞伎座「秀山祭」を観てきた。
この二日間については前売りで先月のうちにチケットを買っていたのだが、
今回、なんと吉右衛門が高熱で16日から3日間、突如休演したため、
18日夜は松緑が代役で務める松王丸を、私は観ることができた。
そして翌日19日は、復帰のかなった吉右衛門による本役版を。
期間中、たった2回しか観られない『寺子屋』が、
代役公演・本役公演の両バージョンに当たった。
己の幸運に、感謝……!!
(公演については、また、いずれ)

*************

写真は、18日昼の出発時に広島駅で買った、カープ4連覇祈念弁当。
まだパッケージを変えていなかったかと(爆)感心しつつ食べた。
昨日の敗北により、これで正式にカープV逸が決まった訳だが、
今度こそ、この包装の絵柄は変わるのか、
それとも、シーズンが終わるまではこのまま行くのか。
なんであれ、4連覇を目指したシーズンもあった、
……という記念に貼っておく(笑)。
もちろんそれ自体は素晴らしいことだ。
あの、万年5位だったカープが、「4連覇」などと!!

なお、まだ日本一は目指せる、という意見もあるが、
私自身は、そういう気分では、今カープを見ていない。
先日、バティスタがドーピングで半年間の出場停止処分になった訳だが、
6月の検査で既に、ドーピング疑惑は内部的に認識されていたのに、
その後に確定するまで3ヶ月も、彼をそのまま使い続けた球団に、
私は大変、強い不信感を抱いているのだ。
選手に対してでは無い、球団に対して、だ。
本人は意図的な摂取ではないと主張しており、心情的にそれを信じるとしても、
わずかでも疑惑があったら、その時点ですぐ、出場見合わせなり何なり、
球団としての対処をきちんと示して貰いたかった。
そういう真摯さが無かったことを知った今となっては、
地元ファンとして、今季の勝ち数は数字そのままには喜べない。
プロ野球は職業的なものだから、オリンピック選手と同基準だとは思わないが、
興行であるぶん、観客に有料で夢を売っている面は、より大切だ。
明らかなケチのついた夢では、私は満足できない。
今季のCS進出は、敢えて、無いほうが良いと思っている。

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・主人はあれから徐々に回復している。
熱と頭痛の再発はなく、胃も平常に近い状態に戻りつつあり、
特に困っているというほどの症状は現在は無いとのことだ。
ただ、以前ほどの食欲は出ないし、夜は幾度も目が覚めるし、
朝から仕事をして夕方になるとガス欠な気分になるし、とのことで、
夏の疲れが出たか、トシのせいで体質が変わって来つつあるか、
だと思う、と自分で言っている。
昨日時点で、発熱した日から一週間が過ぎたところなので、
ウィルス感染だったとしても妥当な経過ではないかという印象だ。
また、先日は久しぶりに脚の甲側がツって、
今もツりそうな不穏な感じがあるのだそうで、湿布を貼ったうえ、
芍薬甘草湯をドラッグストアで買ってきて、飲んでいる。

追記:18日の夕方、主人は左目の「ものもらい」を自覚した。
発熱以来、マイナートラブルが次々と。
やはり抵抗力が落ちているのだろうか(汗)。
19日の昼に眼科に行って、点眼薬と塗り薬を貰ってきた。
主人は割と目の感染症に罹りやすい。前も切開まで行ったことがあった。
体質的なものか、手で目をよく触る等の行動が原因か?

追記2:22日朝、主人は右腰の重苦しい痛みを突然に感じ、
これは覚えのある尿管結石!とピンと来て、即座に市民病院に行った。
検尿したら血尿が出ていて、CTには膀胱手前に1ミリの石が写っており、
すぐに診断がついた。頓服でロキソニンを貰って帰ってきた。
救急外来で「今朝は結石3人目」と言われたそうだ。
CTを撮る頃に疝痛発作はピークだったが、一応正気でモノが言えて、
早めに受診したのは正解であた。
その後に痛みはおさまった。
発熱するようなら腎盂腎炎なのですぐ来るように、とも言われたそうだ。


・父は先日、恒例の、旧制中学の同期会があって某ホテルに行った。
毎年案内が来て、9月上旬に同じ場所で行われているのだ。
父は、「おぅ。行こうかいの」と言うだけで自分では何もしないので、
私が、幹事さん宛てに出席の返事をし会費の送金をし、
ホームに前もって外出届を出し、当日の昼食キャンセルの依頼をし、
更に、私が付き添えない日だったので介護タクシーさんをお願いしたが、
その後、どこからも誰からも、何も、困ったと言って来なかったので、
無事に2時間の食事会つき同窓会を、父は、やりおおせたようだった。
母にあとで訊いてみたが、
「お父さんは、昼にインシュリン打つようになってから、
なんや元気んなりはって」
と、とんちんかんな返答しか無かったorz
父がインシュリンを開始したのは、5月下旬くらいだったのでは。
先日はすぐにも入院しそうな衰弱ぶりだと母は言っていた筈だが?
ともあれ、90歳の同期会ともなると、会えるときに会っておかないとな、
と私は思ったが、本人はどう感じたかまだ聞いていないので不明だ。
皆、元気でまた来年もこの世で(爆)会えますように。

追記:後日、同窓会当日の記念写真が実家に届いていた。
父はマトモな服装で、真面目な顔をして(笑)集合写真に収まっていた。
先日ホームに寄ったとき聞いたら、父は同窓会が楽しかったと言っていた。
父は口数が少ないのであまり詳しいことは話してくれなかったが(^_^;。


・母が昨日電話してきて、
「新聞を取りたい」
と言った。
「ロビーに降りたらいろんな新聞はあるねんけど、
部屋で一日じゅう、ゆっくり見たいねん。今では時間あるし」。
それですぐ、フロアのスタッフさんにお尋ねしたところ、
各新聞の地域のセンターと家族が個別に契約をすれば、
毎朝部屋に新聞が届くようにできる、とのことで、
母の希望する読売新聞の配達センターの電話番号を教えて頂いた。
今朝から早速届いていたそうで、さきほど母はまた電話してきて、
「これほどすみずみまで新聞を丹念に読んだのは初めてやった。
家におった頃は忙しかったし。やはり読売は楽しい。ありがとう」
とのことだった。
新聞を時間かまわず堪能できるなど、隠居した甲斐があった、そうだ。
ちなみになぜ読売新聞かということについては、母は、
「昔から慣れとぅし。娯楽性いう意味では読売が一番や」
と言っていた。
「あたしら、野球はどうでもええし」。
確かに、広島のカープファンなら中国新聞一択だが、
母はその点には全くこだわりは無いのだった(^_^;。

・増税前にトイレリフォームと主人の部屋のクロス張り替えを、
と焦りに焦って手配し、各業者さんと打ち合わせを繰り返し、
どうにか作業日程を9月末までに入れて貰った。
更に、なぜか浴室乾燥機まで異音がし始めたので、
これも替え時かと、ノーリツの担当者にも電話をして急遽、来て頂き、
後日、部品交換して様子を見る、という方針が決まった。
一週間ほどそれで使ってみて、問題が解決したようなら支払い、
となるそうだ。
……ええもう、どうせ壊れるなら今にして(^_^;。
10月に入った途端に買い換えになるくらいなら。

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先日、神社の総代連合会の研修旅行があり、
先週、80名弱の団体バス旅行二泊三日で、関西のほうに行った。
伊勢神宮の外宮と内宮、熊野那智大社、に参拝した。
着いた日は外宮に参拝、おかげ横町を冷やかしたところで夜になり、
夕食も普通程度の宴会だったが、
翌日は朝5時半にホテルロビー集合で内宮早朝参拝、朝食後に内宮正式参拝、
午後には炎天のもと石段470段を登りきっての、熊野那智大社参拝、
と、やたらと体力勝負な旅をさせられたうえ、
宿では飲めや歌えの大宴会、〆はラーメン、更に街でカラオケ、
と深夜までエラいめにあったorz
翌朝7時、何事もなかったように爽やかな顔で食堂に集合し、
朝食でご飯をおかわりするおじ(い)さん達を見て、
私は到底、彼らには勝てぬと思ったorz

しかし団体バス旅行でもなければ、
なかなか那智の滝のほうまで行くことは
私にはできなかっただろうと思うので、貴重な数日間だったと感謝している。
帰りのバスの中で、綾小路きみまろの公演DVDが上映され、
「中高年のバス旅行!3日行って、4日寝込む」
という件があり、私は首がもげるほど頷いた。

     

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台風が関東直撃という予報で、広島は雨は降っていないが、
昨日から猛暑が戻ってきてしまい、とにかく暑い。
しかし、おかまいなしに秋祭りシーズンが始まってしまい、
もはや父が全く役に立たないので(母の言うような入院はしていない・爆)、
私が全面的に神社の手伝いをせねばならず、
この週末は両日とも実家の村に通った。
こういうことになると十分予想できていたので、
今年は、9~2月はついに土曜のパートを入れないことにした。

一方、主人は前々から決まっていた二泊三日の東京出張で、
7日土曜日の早朝の新幹線で広島を発った。
……のだが、実は主人は金曜の夜から頭痛がして、目の奥が痛み、
それ自体はこれまで幾度も経験している種類の痛みではあったが、
ロキソニンを飲んでももうひとつ良くならず、
土曜日は、なんとなく鬱陶しい気分のまま出発することになった。
それでも昼は空腹で、中華料理をひとりで楽しんだそうなのだが、
そのあとから急に熱が出てきて、ホテルにチェックインしてから
体温計を借りてはかってみたら38度2分あり、
執拗な頭痛は明らかな体調不良であったことがわかった(汗)。

さすがに東京なので、週末も診てくれるクリニック等がいくつか、
検索でヒットしたのだが、主人はもう動きたくないとのことで、
とりあえず昨夕はロキソニンをもう一度服用して、寝た、そうだ。
そうしたら数時間で熱が下がってきて、起きられるようになり、
気分の良くなった主人は夜明けに風呂にも入り、
きょうのところは、ロキソニンを飲みながら過ごしたとのことだ。

今も、薬が切れてくると目の奥の痛みが感じられるそうで、
何らかのウィルス感染だろうとは思われるものの、
咽喉の痛みや鼻炎などがなく、何なのかもうひとつよくわからない。
38度を超える高熱のうえ、頭痛が耐えがたく、
土曜夕方の一時期は吐き気があったということなので、
医療ヲタの私は、夏場ではあるし無菌性髄膜炎でないのか、
と疑ったが、同日夜中から平熱~微熱程度になり、飲食も普通にでき、
後ろ首が痛いとか眩しくて耐えられない等の症状も全くないので、
積極的に髄膜炎を疑う所見でもないようだ。
強いて言えば、通常ほどの食欲はなく胃が弱っていると感じるそうだが、
エンテロウィルスによる、胃腸症状と発熱の夏風邪、
等、考えられないことはない、だろう、か……??

主人は明日、広島に戻ってくるのだが、
私のほうが、今度は入れ違いに明日から二泊三日の出張だ。
11日水曜日の夜に再会(!)したとき、
さて主人はどういう具合になっているか。
明日からは平日になるので、今度こそちゃんと診て貰ったほうが
薬も貰えるし、必要なら検査等もして貰えて安心なのではと思うが。

ちなみに、首都圏に台風接近の今夜、主人は神田のホテルで独り、
娘も板橋のアパートで独り、私もまた広島のマンションで独り。
三者三様の夜を過ごしつつ、我々をつなぐものはLINEのみ。
とりあえず広島は、夜になってもすこぶる暑い。
久しぶりに、冷房して寝るしかない暑さだ。

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