転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今年は娘の帰省がないのと、主人も節食せねばならないことで、
私は例年の、シャケの香味漬けやカレーの調理をしなくて良いことになった。
昼はお好み焼き、夜は鯛のカルパッチョとサラダと年越し蕎麦。
明日からも主人と私だけなので、適宜、買い足しつつ、あるもので食事をする。
私にとって「料理をしなくていい」というのは何よりも甘美な解放だ。

さて、これにて私は夜からのご奉仕に備えて、昼寝を、
……と思っているのだが、今年は神社関係の電話の問合せがただごとでない。
私は神社の電話番なので、私の携帯に神社から転送されるように設定してあるのだが、
一昨日くらいから問合せが増え始め、昨日今日はもう、
「初詣はあるのか」
「年内に行っても開いているか」
「年明けは何日まで正月行事があるか」
「もう破魔矢は売っているか」
「今、神社に来ているのだが御神札を貰えないか」
等々と、ひっきりなしに電話がかかってくるようになった。
この午前中など、電話応対を終わって電話を切ると、
「141」の表示のSMSから5件とか7件などと着歴が送られてくる有様で、
これでは午後の昼寝もままならないかもしれない、といやな感じがする(^_^;。
今、ちょっと電話攻勢がやんでいるのは、昼食時間だからか。

COVID-19に振り回された1年は、やはり最後まで振り回されて終わるようだ。
外出を控え、飲み会や食事会がなく、人に会わずに過ごした今年は、
私にとっては近年にない良い過ごし方ができた(殴)1年であったが、
感染するのではないか・自分が原因となって人に感染させるのではないか、
という強い不安が常につきまとい、外出のたびに心の騒ぐ毎日でもあった。
英国や南アフリカ等の変異株が日本に入ってきて、不穏である一方、
欧米ではワクチン接種も開始され、一筋の光明ともなっている。
来年がどうなるのか、まだまだ予断を許さないが、
庶民の我々にできるのは、引き続き、感染防止に務めることだけだ。
マスク着用、手指消毒、3密回避を怠らず、生き長らえるほかない。
頑張りましょう(^_^;。

ともあれ、今年も、ありがとうございました。

Trackback ( 0 )




昨年の12月30日も、何の予定もない一日を満喫したものだったが、
きょうも、もはやすべての年末仕事や正月準備は終えた。
外は雨模様で気温が下がっている。
PhotonⅡでほかほかと暖房した部屋で、何もせず過ごす年末は最高だ。

今年は、舅宅から仏壇をこちらの自宅マンションに移動させ、
長い間、仏像の隣に御神札を立てていた神棚も、独立させた。
昨日、それぞれに鏡餅を供えて、やっとここまで出来たと嬉しく思った。
……なんかもう、まさに「神仏習合」を地で行く生活(汗)。

 

明日の夜から実家の村の神社で、11連勤+αのご奉仕が始まる。
いつもは大晦日の深夜というか元旦の朝2時半まで神社で初詣対応をしたら、
神社のふもとの実家に一旦帰って仮眠して、
翌朝また歳旦祭のために出て来る、というふうにしていたのだが、
ここ3年ほどやってみて、実家があまりにも寒いということを思い知ったので、
今回は、何時になろうとタクシーで中区のマンションまで戻り、
たとえ数時間でも自宅でしっかり寝て、
翌朝またタクシーで出勤する、という予定でやってみようと思っている。

実家は本当に、冗談では済まないほど冷え込むので、
毎回、到着してすぐ暖房を入れておいて、社殿のほうに上がるのだが、
夜の冷えはきつく、エアコンの暖房くらいではまったく追いつかなくて、
これまで大晦日のご奉仕のあと、私はほとんど眠れなかった。
「寒い」「寒い」「寒い」と、ウトウトしながら3時が4時になり5時になり、
もはや寝入っては遅刻する、…とそのまま6時まで目を開けていたりした。
思えば、私は18歳まで実家に住んでいたが、あの頃は、
家族全員、冬はずっと電気敷布を使っていたのだった。
持ち込んだアクリル毛布と羽毛布団でなんとかしようという感覚が、
間違っていたのだった。

更に今年はどの天気予報を見ても、
記録的な年末寒波がやってくる・史上稀に見る大雪に注意、
などと言っているので、これは、もはや限界だろうと私は思うようになった。
自分も若くないし、何時間も寒さに耐え続けるだけで全身消耗する。
それなら仮に2時間か3時間の睡眠時間になろうとも、
自宅の、まともに温かい部屋でまっとうに寝よう、と考えたのだ。
バイトの巫女さんたちがもし、うちの実家に泊まるというのなら、
何も置いてない家だし、鍵だけ渡しておけば良いだろう。
エアコンはもちろん使い放題だ。寝具も三組くらいはある。
大晦日なら防犯の心配はまず無いし、あれでも神社で寝るよりは数段マシだ。

……私の居ないときに若い子らだけであの家に泊まったら、
「……誰?」「……よそもん?」とオバケが出て来るかな。
知らんけど(爆)。

Trackback ( 0 )




総代長さんの特別の計らいにより、私はきょう、
神社に行かなくて良くなった(滂沱)。
「ひとりだけ遠くから来よるんじゃけ、そう毎日無理をしんさんな」
と仰って戴けたのだ。ああああ、ありがとうございます!!
次は31日の夜9時に集合することになっている。
それまで、私は、約2日間の休暇を得た!!

昨夕は今年の「お正月の花」が届いたので、出窓に飾った。
掃除もしてあるし、年賀状も終わっているし、おせちは元から不要、
もし、ここからStayHomeの年末年始を過ごすことができるのなら、
この世の極楽と言えるのだが、現実は、残念ながら全く違う。
私には今だけが束の間の休日だ。
今日の残りと、明日一日、そして31日の夜8時まで過ごしたら、
そこから不眠不休のご奉仕の日々が待っている。

味わい尽くすぞ、この、一瞬にも等しい甘美な時間を!

Trackback ( 0 )




朝8時前に出て舅姑の墓に行って掃除して花を取りかえ、
タクシーで実家の墓に回って、榊を取りかえ、
そのまま神社に向かい、正月準備の作業に参加した。
今回は三密を避けることと、動線が混乱しないことを目標に、
石段を上がるところから表示を出して、
境内にコーンを置いて一方通行にレイアウトし、
賽銭箱の前は立ち位置にテープを貼り、
1メートル以上空けて並んで待って戴けるように目印にし、
そのあとは、御神酒(使い捨てコップ)→御守や御札・破魔矢など、
という流れと、何もしないで帰る参拝客用に分けて、
別々に出口案内を取り付けた。
朝9時から作業開始してここまでで午後2時になってしまい、
社務所のレイアウトはまた明日、ということで解散になった。

個人的な本音を言うと、今回は初詣なんか全面的にやめて貰いたい。
COVID-19の感染拡大状況はもう、制御不能に近いところまで来ていると
私は感じているからだ。
しかし、緊急事態宣言も出ていないし、世の中の空気が、
「大騒ぎになっているけど、ま、そのうちになんとかなるだろう」
という無責任&お気楽の極みにあるように、これまた私には感じられる。
それゆえ初詣も、気を付ければ大丈夫的な感じで敢行されるのだろう。
最悪の年末年始だなとうんざりした気分だ。
救いは、記録的な大寒波が来るらしいという天気予報だけだ。
死ぬほど寒かったら、皆、外に出ないのではないか。
人は来ないほど良い。神社に詰めていなくてはならない私にはつらいが。

……ということで、昨日は予定時間より大幅に遅くなったので
作戦変更し実家の正月支度は中止して、そのまま私は帰宅し、
先に自宅マンションのほうの正月準備にかかることにした。
お仏壇と神棚に鏡餅を供え、玄関に注連飾りをつけ、
とりあえず「二十九(=二重苦)」にならないうちに作業完了できた。
しかし実家を放り出して来たので、実家のほうはそれこそ、
母の怒る「一夜飾り(=大晦日に準備)」にならざるを得ないだろう。
もう、玄関に幕を張るのは今年もまた延期だな(汗)。

Trackback ( 0 )




きょうは全く外に出ない日にしていたのだが、
たまりにたまった書類仕事を家で一日じゅうやっていて、
気がついたら夜9時だった。
年賀状は数日前に投函したので、そのほうの憂いはなかったが、
秋頃から忙しくてじっくり読めずに積んでおいた各種書類が、
もはや限界というほど蓄積されており、それらに優先順位をつけて
年内にどうしても処理しなければならないものから、片付けていった。

明日は舅姑の墓と実家の墓に参って、神社へ行って総代会で正月準備、
そのあと実家のほうにも玄関に幕を張って注連飾りをつける予定だ。
そう、我が家には昔から、家の玄関の外側に張る「幕」があるのだ。
家紋及び「本家○○氏」の文字が染め抜かれた紺色の幕で、
その両側には提灯を下げるようになっている。
両親が高齢になってから、それらを吊る作業ができなくなっていたので、
もし私がこれを明日実現させれば、何年ぶりの正月支度になるだろうか。
元日には勿論、古い家は皆、国旗を出すようになっている。
うちの村は、時の流れが昭和40年くらいで止まっているのだ。

マンションのほうの正月準備としては、玄関に注連飾りをつけるのと、
今年はお仏壇とモダン神棚ができたので、それぞれに鏡餅を供える予定だが、
明日は帰宅が夕方になるだろうから、そうした作業はできそうにない。
翌日29日になってから手をつけるほかないので、
母の嫌う「二重苦(にじゅうく)=二十九」に正月飾りをすることになるが、
こんなのは不可抗力だ。この生活で、ほかにいつやれるというのだ(--#)。
そして、すべてが終わったあとは、30日まるまる一日と31日の夜7時くらいまでを、
私の「完全自由時間」として意地でも確保したいと思っている。

今年はそれでも、会社のほうからほぼ手を引いたかたちになっているので、
神社仕事に集中できるし、無事に正月行事を終えれば自分本位に休める、
とアテにすることもできるようになった。
コロナの騒動がきっかけだったが、会社を事実上辞めたのは大英断であった。
あとは、どういうかたちで神社から退くか、が私の次の課題になった。
今の役目を、早く親戚か地元の誰かに引き継がなくては。
今年と来年は算命学のほうでも私は天中殺なので、
退職や隠居を考えるにはちょうど良い年回りなのだ。
会社のほうは目処がついたので、次は神社のほうを早く終わらせたいものだ。
私は「生涯現役」など全く望んでいない。
むしろ、隠居生活のない晩年になったら残念過ぎる、と思っている。

Trackback ( 0 )




年末は神社と関わっているとむちゃくちゃ多忙だが、
このまま正月に突入して半月くらい経つまでは、
もっと非人道的な忙しさにになることがわかっているので、
きょうは、年内最後の敬老と思い、某老人ホームの両親に、
デパ地下でいろいろと見つくろって昼食の差し入れをした。
赤飯・牛おこわ、サラダ巻き、ローストビーフのサラダ、
エビの湯葉巻き揚げ、里芋の煮物、それにデザートの上生菓子。
毎度似たようなラインナップだが、二人の好むものは固定していて、
ほかの、好きで無いものを差し入れても意味がなく、
マストアイテム+その時々の巡り合わせ、
みたいな組み合わせで買って持って行くことになるのだ(汗)。

下の受付でことづけるのみで、面会はできないので、
これだけのために、中区の自宅から某ホームを往復したが、
ほかの日を犠牲にすると、私の休日が年内ゼロになりかねないし、
やれることは一秒でも早く片付けたいの一念で、行ってきた。
電話で話した限りでは、母は機嫌良くしているようだ。
父のほうは音沙汰がないが、母が文句を言っていないので、
何事も起こっていないのだろう。多分。

しかし何かが起こったところで、両名とも90歳過ぎなので私は納得している。
ふたりが、寒くなく、食事もあり、安全なところで暮らしている、
というだけで、家族としての私は満足だ。
同居しても、私ひとりではとてもあのようには二人の生活を維持できない。
老人施設で新型コロナのクラスターが起きる例も相次いでいるが、
私はそのほうは心配し過ぎないことにしている。
面会は禁止で、私自身が感染しても持ち込む可能性は事実上ゼロだし、
施設側の警戒の厳重さも、重々感じている。
もとより100%の感染防止は無いだろうから、
あとは、なるようになるだけだ、と思っている。

Trackback ( 0 )




この年末は、転夫ころもんの病院通いが続いて、なかなか忙しかった。
結果的に、いろいろと気になっていたことを詳しく診て戴き、
良い機会になったとは思っているのだが、
本人が医者嫌いだったので、これくらいオドされなければ、
なかなか健診に行くこともなかったのだよなと、思ったことだった。


尿管結石から慢性肝炎を指摘され

そもそもの始まりは、11月10日であった。
この日の午後、突然に尿管結石の疝痛発作に襲われた主人は、
仕事を切り上げて急遽帰宅し、私自身が結石のフォローでお世話になっている
某総合病院泌尿器科にかかることになった。
そこから、彼が今まで見て見ぬフリをしてきた数々の生活習慣病が
白日のもとにさらされることになったのであった(汗)。

最初は、泌尿器科で石のありかをつきとめるために撮った腹部CTで、
彼は、11月27日、肝臓の腫れを指摘されることになった。
脂肪肝からの肝機能の悪化は、30年近く前からたびたび健診で言われていたことで
ここ数年、「痩せてから健診に行く」と言って一年延ばしにしていたのだが、
どうやらその間に、肝臓は悪化の一途を辿っていたのであった。
泌尿器科から同じ病院の内科に回され、翌28日に血液検査とエコー検査を受けたら、
案の定、肝機能は悪くなっていて、エコー画像からも肝硬変の兆しが疑われ、
消化器専門の先生に診て戴くことになった。


高血糖→眼科、代償性肝硬変疑い→胃内視鏡

更に、同じ日の検査で高血糖も指摘され、12月1日に同じ病院の糖尿病外来にも行った。
受診前に血圧を測ったら、これがまた150/100くらいあって注意され、
そこの主治医からの指示で、12月5日に家の近所の開業医眼科を受診した。
糖尿病性網膜症の気配があるといけないから、眼は定期的に受診しておかないと、
という話で行ったのだが、診察の結果、そのほうは全く異常がなかった。
しかし、高血圧や動脈硬化による変化が網膜から観察できるとして、
生活習慣病である、と眼科で叱られたとのことだった(汗)。

それから、慢性肝炎から肝硬変になりかかっている、となっては、
胃や食道に静脈瘤が出来はじめていないかどうかチェックしないといけない、
と言われ、肝臓のほうの受持医の指示で、12月7日に胃の内視鏡検査を受けた。
嘔吐反射が怖くて以前は経鼻内視鏡でやって貰ったが、
「この際よく見えたほうがいいでしょ。口からのでやりましょ」
と、今回の主治医は経口内視鏡を指定した。
ころもんはガクブルで検査室に向かったが、内視鏡そのものはスムーズに終わり、
胃も食道も、血管にも粘膜にも特に異常所見はなかった。
胃炎のなおりかけの箇所がいくつか観察された程度で、
十二指腸も綺麗とのことだった。


胃カメラで偶然見つかる下咽頭乳頭腫

しかし内視鏡を抜くときになって、下咽頭乳頭状腫瘍の疑い、を指摘された。
それで今度は耳鼻咽喉科に行くことになりorz、紹介状を貰って、
12月8日に別の総合病院の耳鼻咽喉科に初診で行った。
今までお世話になっていた総合病院では、
耳鼻科が最近になって新患受付をやめてしまったので、
これは外に行くしかなかったのだった。
またぞろ新患受付からスタートすることになったが、
紹介状があったので割合スムーズに診て戴くことができた。
耳鼻咽喉科では、最初、鼻から細い内視鏡を入れて見たがよく見えず、
太めのカメラに変えて詳細に観察され、
「ここのことを言ってるのだなというのは、わかりました(笑)」
と先生が仰った。
ちなみに紹介状に添付されていたCD-Rには、
要らないKUB(下腹部)のCT画像はあっても、
肝心の胃カメラ時の下咽頭部分の写真は入っていなかったそうだ(爆)。

耳鼻咽喉科の先生は、「積極的に悪性を疑うものではないですね」
と仰りながら、それでも念のため、生検はしましょうということで、
改めて12月16日に出直して、検査をすることになった。
当日は、午後の検査で、指示どおり昼食を早めに終わらせて病院に向かった。
本人によると、咽喉に麻酔をスプレーされるのが、えづいてシにそうだった、
とのことだったが、検査そのものはさほどの苦痛なく終わったということだった。
咽喉の麻酔が完全に切れるまで2時間余り様子を見て、
水を飲むことが普段どおりできるのを確かめた上で、飲食再開するように、
という指示があり、その通りに特に問題なくクリアできた。

その病理検査の結果を今朝、聞きに行ったのだが、
結論としては、良性の下咽頭乳頭腫とのことだった。
二カ所から組織を取ったが、一方は乳頭腫、もう一方は正常な扁平上皮で、
いずれも異形成や悪性所見は無し、と書かれた検査結果を貰った。
それで一応、経過観察で良いということにはなったのだが、
乳頭腫は場合によっては大きくなって来ることがあるので、
当面、三ヶ月に一度くらい診ましょう、とのことだった。
状態に変化がなければ、このままでも、特に問題はなく、
治療するのであれば、乳頭腫は外科的に切除することで完治するのだが、
それには数日程度の入院&手術になるので、ころもんは気が進まない様子だ。


今後は定期検診を欠かさず

ということで、耳鼻咽喉科だけは引き続き同じ病院にかかるが、
糖尿と肝臓については、最初にお世話になった総合病院から、
自宅近くの、それぞれの専門のクリニック宛てに紹介状を書いて戴くことになり、
今後は、定期的に通って、血液検査等を続けて行くことになった。
糖尿病クリニックは月に一度、肝臓専門の内科医院には3か月に一度、
下咽頭は、先日の検査をした某総合病院耳鼻咽喉科に3か月に一度。
そのくらい診て貰っていれば、本人の意識が緩む暇がないだろうし、
検査値的にも、悪い兆候があればいち早く察知されるだろう。
やはり還暦近くなると体のケアをすべきということだな、
とつくづく思った、この一ヶ月であった。

今は、夫婦で朝晩、血圧を測ってノートに記録し折れ線グラフを書く日々だ(^_^;。
じーさん&ばーさん(笑)。

Trackback ( 0 )




松緑の『紀尾井町家話』も順調に回数を重ね、今夜が第二十二夜。
年内最後で、ゲストは幸四郎&猿之助。松緑とともに暁星高校3人衆(笑)。

この『紀尾井町家話』は、そもそもは、各劇場が新型コロナの
感染防止策として閉まっている間の特別配信として始まった企画だったのだが、
視聴者に好評で、歌舞伎座等が再開されてからも、ほぼ定期的に続いてきた。
来年も、このまま継続されるようなので、私としてもこの配信を、
毎月継続的に行われるイベントと見なすことになった。
私のような地方在住のファンにとっては、
東京で開催される『紀尾井町夜話』では実際に行ける機会がひどく限られるが、
ライブ配信なら確実に観られるので、本当に素晴らしい状況になった。

これがまた、毎回、あまりにも面白いので、
最近の私は、作業デスク前の椅子に座って観る&聴くより、
もっと安楽な椅子でくつろぎながら、楽しみたいものだと思うようになった。
ライブ配信というのが私の大きな楽しみになったのはコロナの御蔭だが、
今後の老年期の生活には、これをこそ、趣味の中心として考えるべきではないか、
と思い至り、それなら視聴環境をより快適なものにしなければ、
と考えるようになったのだ。
うむ。来年の私のインテリアのプロジェクトのひとつは、コレだな。
一人がけソファ&サイドテーブルにして、タブレットホルダーを取り付けて、……。

Trackback ( 0 )




午前中に髪を切りに出かけた以外は、きょうは家に居た。
ヘアカットも多少迷ったのだが、小さいお店でいつも貸切に近い状態だし、
今、切っておかないと来月は忙しくてえらいことになってしまう、
とわかっていたので、これだけ決行した。
ほかに、本当は会社のミーティングと、血圧の定期検診があったのだが、
外に出ないようにするため、会社は休むことにし、
血圧のほうも問い合わせてみたら、体調に変化がないなら電話受診でOK、
処方箋を希望の薬局に送っておくと言われたので、そのようにして貰い、
美容院の帰りに、薬を受け取るため最寄り薬局に一瞬だけ寄った。
とにかく目下、家から出来るだけ出ないように気を付けている。
一般的な意味で、COVID-19にヤられたらオシマイだ、という恐怖もあるし、
年末年始の神社関連行事に穴を空けられない、というプレッシャーもあり……。

私は自分で「コロナ脳」を自称して憚らないほど、
今、感染しないための努力を日々重ねている、という自覚がある。
世の中には命知らずなヒトが結構いて、感染などさほど気にしていないうえ、
罹ってもなんとかなるだろう、と大きな声で言う人さえいる。
私の嫌いな(逃)「私は~、丈夫なのだけが取り柄で~♪」と言うタイプは
多分、コロナに関してもやはり「自分は大丈夫♪」と思っていることだろう。
日本でCOVID-19の致死率は統計上ここまで1.4%で、
50代に関しては、罹患した人々のうち亡くなったのは0.3%ということだ。
つまり99.7%は、とにもかくにも、死んでは、いない。
これを見て、「じゃあ自分は大丈夫」と思うか、否か。

私は、自分に関しては、大丈夫だなどとは到底、思えない。
それどころか、罹ったら死ぬほうのグループだな、と思っている。
それは私が高血圧だから、という、ある程度科学的な根拠もあるが、
それ以上に、私の血液型がRhマイナスB型だから、
という事情によるところが大きい。
Rhマイナスの人がコロナで死にやすいのではなくて、
こんな、あり得ないような血液型に生まれついた自分は、
世の中の大半の人が大丈夫なときでも、ひとりだけひどいめに遭うのだろう、
という前提が、私の中に刷り込まれているのだ。
RhマイナスB型の人は、日本では1000人にひとり。0.1%だ。
私は既に、そんなもんを引き当てちゃった実績のある人間なのだ。
コロナの50代致死率0.3%なんて、もう全然、高確率に見えますな。

大昔、ドラマ『赤い疑惑』のヒロインの血液型がRhマイナスAB型で、
彼女に輸血する血液の確保に関して、毎週、深刻な問題が持ち上がり、
宇津井健が額に汗して東奔西走したことにより、
この血液型が大変珍しいものであることが、お茶の間(死語)に浸透したのだが、
そのとき自分の血液型を知らなかった小学生の私は、
「へ~、大変だね。可哀想な人もいるんだなあ」
と完全に面白がってドラマを眺めていた。
私のRhマイナスB型は、RhマイナスAB型に次いで二番目に少ない、
ということを、私はこれより十数年後に知ることになる。

そういえば、今、コロナ禍で献血に出かける人も激減し、
輸血用の血液が足りなくなる恐れが出てきている、と先日Twitterで読んだ。
普通の血液型でも足りないのなら、RhマイナスB型なんて、もう、
本当に在庫がなくなって来ていることだろう。
コロナは蔓延しとるわ、市内の救急病院は万全でないわ、
Rh陰性の血液確保も困難だわ、
……これはやはり、あなどって出歩いている場合ではないのである。

Trackback ( 0 )




年賀状の印刷が全部終わった。
できるだけ何か一言は自筆で書き入れようと思っているので、
まだ葉書の束を投函せずに手元に置いているのだが、
とりあえず「年賀状」という体裁はできた。
とにかく何でも早め早めに!早すぎてマズいことなんかひとつもない。
年末はすぐに時間がなくなるうえ、ここを逃したら最後、
正月休暇など1日たりとも無いのだから。

本当なら今週は5連休を実現させる予定だったのだが、
世間で「分散初詣」「幸先詣」と呼びかけている効果があったようで、
うちの村のような僻地でも、神社が妙に忙しくなってしまい、
私に関しては、きょう午前中と、23日午前中、25日の午前午後と、
一般の幸先詣と企業の年内詣の対応のため、
神社に詰めていなければならなくなった。
寂しい山奥の、風の抜けまくる社殿なので、3密の心配はない仕事だが、
お籠もり生活よりは、リスクのある毎日になってしまった。
12月最後の週である来週は、28日に舅姑の墓掃除と実家の正月準備をしたら、
あとは31日夜まで、今度こそ籠もりたいものだ。
神様、お願いします。私にせめて2日半の前倒し正月休暇をください。

今年の初詣行事はどんなふうになるのだろうか。
「分散初詣」が本当に実行されるならば、
例年のように初詣客がドっと同じ時間帯に押し寄せることは、ない筈なのだが、
例えば大晦日~元旦は、やはりいつものように
午前3時頃まで、拝殿に居なくてはならないのだろうか。
午前1時くらいでやめたら、駄目だろうか(^_^;。
ここで1時間でもよけいに寝られると、翌朝の歳旦祭のつらさが違うんですが(^_^;。

昨日、総代会で、「社務所に壁掛け時計の目立つやつがひとつ欲しい」、
という話が出て、中のひとりが家にあるのを持って来ることになったのだが、
「時計を見てねぇ、『ああ、あと何時間で帰れる』とかね、思う必要があるわけよ」
と副総代長が言うので、私も心から同意した。
毎年、正月期間中、朝7時過ぎに神社に出勤して、
「さあ、10時間後にはここを出られる。働く10時間は長いね、寝りゃ、すぐなんだが」
と思う訳よ。
正月仕事に、やり甲斐がない訳ではないのだが、限りなくシンドいのも事実なのだ。
せめて1日は、「今日だけは行かなくていい」という日が、あれば良いのに……。
でも、そんなこと私は言えない。皆さん私より10年以上、年上なのだから。

さあ、今年(来年)も、仕方が無いから、やるよっ。

Trackback ( 0 )



« 前ページ