転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



風邪は、なおった。
典型的な風邪のコースを辿り、薬も何も必要としないまま、
8日目から症状がほぼ消え、9日目に何も気にならなくなった。
風邪というのが毎回この程度で済めば困らないのだが。
ライト感覚の感冒で助かった(^_^;。
結膜下出血は徐々に吸収されつつあり、現在は大きめの点状になっている。

************

きょうは、実家父に用事があって午前10時に携帯に電話をしたのだが、
鳴り続けているだけで応答がなく、メールも送ったが、
父はもともとメールは得意ではないので反応は期待できず、
母のほうの携帯にもかけてみたが、これも鳴っているだけで出ず。
昼過ぎに思い出して再度、かけてみたがやはり二人とも出て来ず、
夕方5時・6時半・7時半、と間を空けて、うちの家電からも呼んでみたが、
やはり呼び出し音が鳴っているばかり……。

過疎の寒村とはいえ、ヘルパーさんが毎日来て下さっているので、
変化があれば私に連絡が来ない筈はないし、
そもそも、いくら高齢とはいえ父母の二人で暮らしているのだから、
どちらもが一度にどうかなる、とは考えにくかった。
だから、一足飛びに「もしや死んだのか」(爆)とまでは思わなかったが、
両方の携帯が鳴っているのに揃って応答がないのはどういうわけか、
と私は多少、困惑した。
考えられるのは、二人とも携帯不携帯、という事態だったが、
しかしリビング兼ダイニングのテーブルの上に、
いつも二人とも携帯をそれぞれの充電器につないで置いていた筈で、
そうそう気がつかないとも思われなかった。

それで夕食後の夜8時半にもう一度、私の携帯から父の携帯に電話したら、
「はい」
と、ついに、あまりにも普通の調子で、父が出て来た。

 私「おったんかっっ(^_^;!!」
 父「ああ?」
 私「午前中から何遍かかけたのに、全然、出て来んからさ」
 父「おかしいね、電話ぁずっと目の前に置いとったんじゃがね」
 私「ほんで、変わりないんかね」
 父「ああ。何もないよ」

テレビの音が大きすぎて、携帯が鳴っているのがわからなかったのだろうか。
ともあれ無事だとわかったので、私は安堵して、用件を伝えた。
○日○時に誰某さんが尋ねて来るから、という程度の内容で、
さほどの緊急性は無く、父のほうも「あい、わかった」で終わった。

それから小一時間ほどして、今度は私の携帯でなく我が家の家電が鳴った。
出てみたら、さっき喋ったばかりの、父だった。

 父「電話した?」
 私「ああ、きょうは何遍かかけたからね。応答がなかったから、
  どしたんか思うて、携帯からも家の電話からもかけたんだよ」
 父「ありゃ~~」(←大袈裟に驚いている)
 私「着信履歴に今、気づいたんじゃろ?ええんよ、もうさっき話したから」
 父「話した?」
 私「いや、だから(^_^;、○日に○○さんが来られる話、
  さっき、したじゃろ」
 父「ああ」
 私「じゃけ、もうええんよ。その用件を言おう思うて何回かかけたんで。
  もう伝わったけ、ええんよ。かけなおして貰うて、ありがとうね」
 父「わかった。ありがとね」

……わかったんかね(^_^;、ほんまに???
父は、100パーセントおかしいわけではないが、もう、相当に心許ない。

更に不気味なのは、母からは今に至るも、何も言ってこないことだ。
父と同じくらいの回数、私は母の携帯にもかけたので、
母のほうが先に返して来ることも有り得ると思っていたのだが、
母は気がついていないのか、全くメールも何も寄越さないのだ。
母のほうは父よりずっとメールが得意な筈なのだが。

多分、さきほどの父と私との会話内容を、母も父から聞いて、
現時点では一応の納得をしているのではないかと思うが、このあと、
「どないしたん!?何かあったん!?」
と、母が改めて大慌てで電話して来るのではないか、と私は予想している。
それが起こるのはきっと、午後10時半くらいだ。
ベッドに入って、携帯を枕元にセットしようと開いてみたときに、
私からの本日の、おびただしい回数の着信履歴を発見して、
母は、それぞれが何時何分の着信であったかも確認せず、
私に電話をして来るのではないかと思う(^_^;。

……ったく、おちおち寝てらんねぇよ…(^_^;


*****************

追記:私の予測は少し外れた。
母は、今朝になってから、初めて着信に気づいて電話してきた。
「あんたから、電話あったのやね。何か用事やったん?」
昨夜の父と私の通話に関して、父と母の間では話題にならなかったのか、
なったけれども一晩寝たら忘れたのか。
そこで、今更だとは思ったが、その12時間前の着信について、
昨日のいきさつを私は説明したが、そこから母の堂々巡りの話が始まり、
いつも携帯は大きな安全ピンで留めて身につけている、
そうでないときはテーブルの上の充電器にさしている、
医者へ行くときはマナーモードにしているが、
そんなに長く携帯から離れていることはない、
食事などで着席したときには携帯をチェックするようにしている、
つまり「私は携帯を放置したことはない。応答しないなんておかしい」
……という主旨の話を、×5くらい聞かされた。
かかりつけ内科医への不満も含めて、通話時間67分orz。
朝の忙しいときに(T_T)。

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およそ1年半ぶりに風邪をひいた。
東京滞在中の20日月曜日、起きたら咽喉が痛い、
というか左の咽頭後壁あたりがつっぱるような感じがして、
「こりゃ久々に風邪が来たかな(^_^;」
と思っていたらその通りで、咽喉の違和感は翌日には全体に広がった。
別に熱などはなく、全くつらいことはなかったのでそのまま仕事に行き、
一昨日も昨日もいろいろと実家のことなどあり忙しかったので、
さほど気にせずにいたのだが、昨夜あたりから、
咽喉の痛みがなくなったかわりに鼻づまり気味になり、
乾いた咳がときどき出るようになった。

検索してみると、これは極めて典型的な「風邪」だとわかった。
風邪完治、平均は1週間~10日(産経新聞)
『風邪の専門医からみて「風邪らしい風邪」というのがあります。のどの痛みから始まり、鼻水に続き、のどの痛みがよくなって鼻水がひどくなり、せきが始まり、せきがひどくなると鼻水がよくなり、その後にせきが治まっていく-という経過をたどるものです。つまり、のど・鼻水・せきの3つの症状が、そろってこの順番で出現し、症状が出た順に治っていくということです。』
なるほど、どんぴしゃりではないか。教科書どおり。
私のは正真正銘、王道を行く風邪ということだ。
記事によれば、放っておけばいずれなおるので、
医者に行く必要もないし、風邪薬その他も単なる対症療法であって、
何か服用したから早くなおるというものではないそうだ。

『実はすっかり風邪が治るのに案外時間がかかることはあまり意識されていません。(略)いくつかの研究によって、平均的には1週間から10日かかるということが示されています。さらに、風邪の25%は2週間以上、10%は3週間以上症状が続くという研究結果もあります。』

統計に従うなら、私の風邪は少なくとも来週月曜以降にならないと
完全になおることは期待できないようだ。
場合によっては来月まで持ち越す可能性さえある、と(汗)。
「今年の風邪はしつこい」
とかいうフレーズは毎年聞くが、案外そういうことではなくて、
風邪は本来、なおるのにある程度の日数を要するものであり、
我々のほうが認識を改めるべきなのだろう。

さて、その風邪でクシャミを連発したせいか、私は一昨日の夜、
左目が結膜下出血を起こしていることに気がついた。
寝る前に歯磨きをしようと洗面台に向かったら、
左の白目の、目尻側・下四分の一程度が真っ赤だった。
実際に経験するのは初めてだったが、
私は知識として結膜下出血を知っていたし、
誰にでも日常的に起こり得るものだと了解していたので、
別段、驚きはしなかった。
ただ、
「わ。中村魁春の舞台化粧みたいな目になっとる!」
と思い、しげしげ見入ってしまった(逃!)。

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今月の国立劇場は『坂崎出羽守』『沓掛時次郎』という、
人の呼び名がそのままタイトルになった芝居の二本立て。
松緑の坂崎出羽守は、題材としては純情な男の恋心が発端なのだが、
行き着きところは濃くて重くて昏くて、見終わって心身ともにぐったり。
こういう独自の暗さを描出できるようになったのは、
松緑が青年でなくなった証しだろうと思った。
何か、80年代終盤のポゴレリチのような、突き詰めた重苦しさで、
私は結局、こういうものに惹きつけられて、寄っていってしまうのだな、
と納得したりも、した。
「見終わって疲労感、後味の悪さを残せれば」
と松緑自身が発言していることを、観劇後に以下の記事で知り、
つくづく、「畏れ入りました」と思った。

尾上松緑、もがき続ける…十二月大歌舞伎で対照的な2つの大役演じる(スポーツ報知)


順序として後半が『沓掛時次郎』なのは有り難いことだった。
そうでなければ、『坂崎出羽守』の世界のまま、
どんよりと昏いところに沈んだ状態で帰らなければならないところだった。

その梅玉の時次郎、私は不勉強なうえに世情にウトくて、
どういう芝居なのかほぼ知らないまま劇場に行ったのだが、観始めて、
「これって、『赤城の山も今宵限り~』の世界では(^_^;?」
と感じたのは合っており、新国劇の股旅物の代表作と知ったのは、
帰宅してチラシを読んでからだった。
梅玉はそれはもう、いい男で恩義に厚く、腕は冴え、
その懐の深さにも感じ入ったが、あまりにも品格があるので
「渡世人とは世を忍ぶ仮の姿……」
と、壮大な種明かしが用意されているのではないかとさえ、
観ながら期待してしまった(爆)。
私にとっての梅玉はそういうのが多くて、
前に「一力茶屋」の寺岡兵右衛門を演ったときも、
貫禄があり過ぎてただの奴さんには見えず、
どこかで「実ハ」が出るのではないかと心待ちにしてしまったものだった。

魁春の若妻ぶりが、瑞々しくてなかなか良かった。
最近、少なくとも私が観るときの魁春は、
ある程度、年齢の高い女性を演じていることが多かったのだが、
今回は幼子を抱えて夫を失い、支えてくれる時次郎と力を合わせて
生き抜いて行く日々の中、いつしか彼を真摯に慕うようになり、
……という過程が、芯の強さとともに健気さもあって好ましかった。

ときに、松緑の長男・左近は既に、子役ではなくなりつつある。
背も高くなり、芝居の設定よりもっと「お兄ちゃん」に見えた。
子供の成長は早いものだ。
いずれ辰之助襲名の話が出てくるだろうが、
どんな役者になって行くかとても楽しみだ。

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(写真は、定宿から徒歩で行けるので毎回お詣りしている築地本願寺)

この週末、8月27日以来、12週ぶりに「日曜が休日」となったので、
私は東京に行って来た。
ここを逃すと、今月の歌舞伎座と国立劇場が観られないからだ。
演奏会だとその日1回きりだから、逃した時点で即・終了だが、
歌舞伎は、有り難いことに20日間以上同じ演目で公演が続くので、
こうしてなんとか、観たい舞台を逃さずに観ることができている。

その舞台の話はのちほど書きたいが(書けるのか?)
今回は、観光シーズンのせいなのか、どこへ行っても何をしても
いちいちかなり混雑していて驚かされた。
新幹線は指定席完売で、3人掛けの真ん中のB席まで埋まっているし、
ホテルも満室で、週末などビジネスホテルでも1万円台だったりした。
あり得ないだろう、普段なら6000円台からあるようなクラスの部屋が!

しかし、それはそれとして、私は今回あらためて、
私の定宿は私にとって素晴らしいホテルである、ということも痛感した。
混雑時の価格が、それなりに高く設定されるのは仕方ないが、
会員になれば、閑散期は5000円台、通常でも6000~7000円台で泊まれるし、
ベッドと枕は硬めなので好みに合っており、
よく眠れるし、もちろんオバケも出ない(爆)。
歌舞伎座へは徒歩、国立劇場にも東京駅にもバスで直通。
これほど価格も環境も立地も申し分ないホテルを、
我ながらよくぞ見つけたものだと、自画自賛したい気分だった。
末永く、ここを定宿としたいと思った。

尤も、このホテルにはレストランはついていない。
食べる楽しみが要る人は、主人のように築地へでも行くのが良いだろう。
私自身は、主として観劇のために旅をしているのであって、
「食」はもともと評価の対象に入っていない。
悪しからずご了承下さい<(_ _)>。

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秋になった。……健康診断の季節だ(汗)。
職場指定の医療機関でも良いし、個人で受けても良い、
と会社から言われたので、私はいつものかかりつけ内科に行った。
ここでは常日頃、血圧を診て貰っていて、以前から年2回、
一般的な血液生化学検査をされることになっているので、
その結果を健康診断書類として職場に出すことにしたのだ。
それで昨日、朝イチで検査を受けて、
きょうの夕方、結果を貰いに行ってきた。

どれも半年前とほぼ変わらない結果だった。
GOT16、GPT13、γ-GTP11、と肥満の割に肝機能が良いのは、
多分、私がアルコールを受け付けない体質だからだろう。
血糖90、HbA1c5.4も前回とあまり変わらず。
腎機能については、4年前の結石が詰まったときの痕跡で、
右腎盂が若干開いたままになっている、
という指摘を、前々から泌尿器科で受けているため、
クレアチニンにはいつも若干注目しているのだが、
前回に続き、0.67という値は有り難いものだった。
今回はカリウムの値も4.1で特に低くはなかった。

前回・今回ともに白血球が4000台半ばで、やや少なかったが、
ほかの血球成分に全く問題がなかったためか、
主治医からは何も指摘はなかった。
基準値は3500からなので、「ひっかかった」という値では勿論ないが、
以前の白血球数は確か5000台はあったことを思うと、自分比では低下傾向だ。
とはいえ、白血球の1000単位の変動はさほど大きなものでないことも
私は一応、医療ヲタとして理解はしている。
これまで午後や夕方に検査に出かけることが大半だったのと違って、
最近2回に関しては、特に厳密に、朝、食事前に採血しているので、
生理的な変動の範囲として、朝のほうが低値というのは有り得ることだ。
今後、変化があるかどうか、一応、注目しておきたいと思っている。
その他、ヘモグロビンは13.5で貧血はないようだったし、
赤血球数、ヘマトクリットも基準値中央だった。

それと、今回は職場に提出する健康診断も兼ねていたので、
メタボ健診としての項目もチェックして貰った。
総コレステロールは207、HDL-C63、LDL-C122で一応合格だったが、
中性脂肪115は基準値内とはいえ、空腹時にしては高かった(汗)。
エストラーナテープを貼ったくらいでは、こうはならんよな?
やはり食生活がもうひとつだったか。
それより何より、診察時血圧が131/98だったので、
総合評価としては「メタボ予備軍該当」だった。
拡張期血圧だけが上がりやすいのは三十代半ばから始まった傾向で、
家では120台/80台が維持できているのだが、診察室ではやはり駄目だった。
まあ、私がメタボでなかったら、世の中の誰がメタボなのかとは思うが。

接客の多い職場であることを考慮し、胸部X線検査も受けたが、
心臓も肺も画像上とくに問題となるところはなかった。
心電図は例によって「完全右脚ブロック」のあることを示しており、
15歳のときから言われていることなので私は気にしていなかったが、
主治医は循環器専門医であるため、多少の関心を示され、
「時間があるなら、ついでに心エコーをやっときますか」
という話になり、前にやってから10年経っているし、
話の流れでそれも受けることになった。
すると、MRのところだけ、軽微なⅠ度の逆流が認められたが、
これは普通の人でもよくあるので心配要らないとのことで、
所見としてはそれ以外の項目には異常はなく、
基礎疾患は認められないという結論になって無事終了した。

一般的にこういうものは、細かく調べれば調べるほど、
規格外のところが見つかるものなので、私は最後には、
「よっしゃ、きょうはこれぐらいにしといたるわ!」
の心境になった(^_^;。

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Bravo!  


きょう明日と、ようやく、二日連続の休日だ(涙)!!
一体、いつ以来だ、二日続けて休んでイイなんて!?
ああああ和む。きょうは朝も昼も寝た。
遊びたいとか出かけたいなどとは、全く思わない。
ひたすら、何もしなくていい「無」を満喫したいばかりだ。
今夜時点で、まだ明日ももう一日、休日だ。
ああ、最高じゃないか(感涙)!!

************

最近、迷惑メールフォルダを見ていたら、
ロシア人からのメールが結構来ていることに気がついた。
(『迷惑』メールなのだから知り合いでもなんでもない。
本当にロシア人だと私が思っているわけでもない。念のため。)

記憶にある限り、最初に「ほほぅ」と思ったのは先月で、
スヴェトラーナからのメールだった。タイトル「Hi!」。
次に幾度か来たのはイリーナからのメールで、タイトル「Hey!」。
スヴェトラーナといえばザハーロワ、
イリーナと来ればコルパコーワ、
偉大なダンサーたちからメールを貰って光栄だ。
しかし、何が書いてあるか知らないが、
フレンドリー過ぎる彼らは、ロシア系アメリカ人かもしれぬ。

無視していたら、今度はオクサーナから「Hi」。
スヴェータやイリーンカと違い、クセーニアはちょっと元気がなかったが、
それはともかくとして、ここまで、はい→へい→はい。
演算として考えるなら、次は「へい」の番か?
それは誰から来るのだろう。
リュドミラ?ナターリア?それともオルガとか?

…と楽しみにしていたら、きょう、意表を突いたのが来た。

ガリーナから、「yo!」。

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主人が一昨日あたりから、咳の出る風邪をひいている。
昨日は微熱があり、風邪薬をのんで寝たらきょうはスッキリしたそうだが、
まだ咳は変わりなく続いている。
売薬の麦門冬湯をとりあえず服用しているが、
はかばかしくないようなら、内科にかかるべきだろう。

主人は、9月下旬にも咽喉の痛み→咳、という風邪をひいていたのだが、
それは一週間程度で全快したので、
今度のはまた、似たようなウィルスに感染したものらしい。
風邪は、しょっちゅうひく人と稀にしかひかない人があり、
そのこと自体は、基本的な体力や養生とは
あまり関係がないような印象が私にはあるのだが、
一方で、風邪というものは一度ひくと癖になる、
……ワケはないと思うのだが、どういうものだが、
久しぶりに風邪をひくと、そのあと間無しにまたひく、
という傾向があるようにも感じている。
例えば私は、一昨年だったか、3月と5月と6月に、続けざまに風邪をひいた。
免疫力の落ちたところに、最初の風邪をひいて咽喉などの粘膜が傷つき、
それでまた次々とウィルス感染をしてしまったということなのだろうか。

私自身は、その後、風邪に関しては2016年5月が今のところ最後で、
今年の4月に地味な扁桃炎にはなったけれども、有り難いことに特に悪化はせず、
今日まで目立った風邪をひいていないのだが、
だからこそ逆に不安、という状態だ(汗)。
そろそろ来るんじゃないか、という(大汗)。
目下、とりあえずあと2日、主人の風邪が私にウツりませんように、と願っている。
このあと11月8日にちょっと大きい仕事があるので、
それが終わるまで、私は声を損ないたくないのだ。

今年はここまでのところ、6月と7~8月と10~11月に、私の山場があった。
6月は父の入院騒動で病院と実家を連日往復してへとへとになり、
7~8月は会社関連で勤務時間が倍近くに増えてヨレヨレになり、
10月以降は、実家の村の祭り関連とポゴ氏来日とで、
私は心身を極限まで使い果たした。
漢詩もピアノもやめたどころか、ラジオ講座も全くやっていない。
もう何もかもが無理になったのだ。
趣味に時間を使えた日々は、終わったのだなと最近はヒシヒシと感じている。
自分が能動的に自分のためだけの何かをやることは、もはや無理だ。
限られた舞台や演奏会を、受け手として観に・聴きに行く楽しみだけが、
現在の私に、かろうじて残った。
しかしそれを実現するためには、各月に数日しかない休暇を、
東京旅行で消費してしまうことにもなり、時間的に厳しい。
首都圏に暮らしていないために、私は実に多くのものを逃し、失っていると思う。

今、私は切実に「休みたい!自由時間が欲しい!!」と願っている。
それも、できるなら2日連続で。
そして、電話で呼び出されるのではないか・新たな仕事が入るのではないか、
ということを考えずに、解放されて、爆睡してみたい。

しかしそれは、病気で2日間寝込みたい、という意味ではない。
断じて(汗)。

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この週末、今年もまた実家の村の神社の例祭が、行われた。
年末年始も思ったが、どうしてこう、神社のご奉仕というのは
夜更けまでやった翌日が早朝始まり、という仕組みなのだろうか(爆)。
大晦日のあと午前2時半に解散したのに、すぐに元旦で8時から歳旦祭とか、
前夜祭の神楽の撤収で午前様になったあと、翌日の例祭準備が8時集合とか、
……いずれも、働く側になって知ったが、実に眠いのだった(殴)!

という罰当たりな発言はおいといて。
今年は、好天に恵まれ、寒くなかったのが素晴らしかった。
空が高く晴れ晴れとしていると、祭りのひとつひとつが活気づき、
何をやっても盛り上がった。
祭典そのものも明るい澄んだ空気の中で行われたと感じたし、
余興の神楽や神輿、餅まきなども、いつにもまして生き生きと、
集まった皆のエネルギーがひとつになっている気がして、
なかなか良かった。

今回の準備では、宮司さんから許可を得て、初めてご本殿の階段を上がり、
ご神体の前に置かれているご神像とその御殿付近の掃除をした。
木造建築の室内とはいえ、経年劣化で板が縮んだり撓(たわ)んだりして、
壁や床などあちこちに隙間が出来ており、砂や枯れ葉なども入って来ていて、
少々掃除機で吸ってもハタキではたいても、完全に綺麗にはならなかった。
とりわけ、御殿にかけられている紺色の幕が悲惨な状態で、
私は思いあまってそれを外し、階段を降りて社殿の外まで持って出て、
景気よくホコリを叩いたのだが、なななんとカメムシが十数匹、落ちて来た(爆)。
幕のドレープの間でキモちよく暮らしておったのだな(--#)。

また、祭典前には幣殿(へいでん。祭祀の行われる間)に上がって、
お供えものの支度をする係をやらせて貰ったのだが、
出来上がりを見て頂いた神官さんに、しっかりと駄目出しをされた(^_^;。
お叱りということではなく、いろいろと教えて頂いたという意味だ。
私とてさすがに、昔から村のあちこちで祭りを見ているので、
三方の折敷(おしき)と台の組み合わせ方とか、
鯛のお頭の向きなどは知っていたが、全体の配置では微妙に迷った。
基本は、常にお米が真ん中、向かって右に酒、左に鯛、ということだった。
鯛は、麻紐で縛って「踊らせ」、南天などを飾ると良いとのこと、
また、下段は今回はお三方が三つしかなかったのが失敗で、
上段の三方が三つなら、下段は四つあるのが望ましいので、
乾物をもっと用意して、下段向かって左に供えると良いそうだ。
出し昆布、するめ、うずたかく盛り上げた削り節など。

もうひとつ、前夜祭の直前にこのお供えをして祭典を迎えたのだが、
翌日の例祭まで、ほかのことでとっちらかっていたせいもあり、
鯛がそのまま出しっ放しで放置されていたのは、いささか、まずかった。
宮司さんからは事前に、鯛は供えたままで良いと一応言われていたのだが、
大昔の霜月の感覚とは違い、昨今、今年などは特に、
気温が低いとは言えなかったし、そのような中で一晩おいた鯛は、
例祭当日になると、やはり良い状態とは言えなくなっていた。
総代長さんにもこの件を報告し、特にお咎めはなかったが(大汗)、
来年は気をつけなくてはと思ったことだった。
具体的には、保冷剤をつけて管理することや、
気温によっては、祭典前後すみやかに、鯛だけは冷蔵庫に移すこと等々。

メモメモ(._.)φ(._.)φ

きょう、全部の片付けが終わったあと幣殿を覗いたら、
誰かがなんとかしたらしく、鯛はもうどこにも居なかったが、
…………結局、どうなったんだろうかね(逃)。

(後日記:鯛の件、後日譚→2018年01月11日

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