転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



雪組がツアーで広島に来たので、観に行った。
私の見た、本日昼の部が、広島での四公演のうちの初日だった。
演目は、『ベルサイユのばら外伝ジェローデル編』と
ショー・ファンタジー『ミロワール』。

今、いろいろなことを書いたらネタバレになってしまうだろうか。
ともあれ、私はきょう、途中から、
『ジェローデルって名字だよな?名前はなんていうんだろう?』
と気になって困った。

『ソフィアさん』
『ジェローデルさん』

という、フランス人とスウェーデン人による『さん付け』会話が、
とても新鮮(爆)に響いた観劇だった(逃)。

しかし、水くん(水夏希)は、予想通り、いや予想以上に格好よかった。
これには満足だ。

昼の部のあとの挨拶で、私の聞き間違いでなければ、水くんは、
「広島には十年ぶり以上で」
と、言っていたと思うのだが、だとすると、それは変なのではないか。
だって、水くんは宙組の『カステル・ミラージュ』のときに
広島郵便貯金ホールで公演している筈だからだ。
あれはどう考えても、98年よりもっと後だったぞ???

Trackback ( 0 )




前にも書いたのだが、このマンションの住人の一部は、
ゴミ出しに関してとても神経が太い
・・・というか、ハッキリ言えば、出し方が無茶苦茶な人が
少なくとも、ひとりは、いるのだ。

可燃ゴミの日にゴミ置き場に行くと、必ず、
紙くずを透明ビニール袋に詰めたものが、出されている。
紙を捨てようとしているところを見ると、
可燃ゴミの意味は理解している様子なのだが、
それでどうして、入れ物がビニール袋なのだろうか?

また、リサイクル・プラの収集日には、これまたかなりの確率で、
大きな紙袋に詰めたゴミが、出されている。
さすがに中身を開けて調べることは私にも憚られるのだが、
もしかして、その紙袋の中身は、
包装用のトレイとか、ペットボトルなのではあるまいか?

可燃ゴミの日にビニール袋、プラスチックの日に紙袋。
どうして、やることがそのように正反対なのだろう。
昔、うちの舅が可燃ゴミの日にワザとやっていたように(汗)、
外側が紙袋で、内側には実はビニールが混ざっている、
みたいなことであれば、まだ、その心理は私には理解できるのだが、
隠す気力さえ全くないようなルール違反を見ると、困惑させられる。

実は、ゴミ出しのマナーに関しては、管理組合のほうから、
これまで幾度も幾度も幾度も、注意を喚起する文書が配られ、
ゴミの出し方についても、管理組合独自の説明書がつくられ
数ヶ月前に、全戸に配付された。
しかし、おかしな出し方は、未だに、改まっていない。

収集日の違うゴミ、指定通りの出し方が出来ていないゴミは、
回収されず、いつまでもゴミ置き場に残され、
そういう自分本位な出し方のできる人は、これまたほぼ確実に、
自分から気づいて引き取ったりするような神経も持っていないので、
うちのマンションのゴミ置き場は、常に、かなり、見苦しい有様だ。
収集業者さんのほうからも苦情が来ていると、住人の噂話で聞いた。

それで先日ついに、曜日に関係なく収集業者が来てくれるよう、
ゴミの有料収集を導入してはどうかという提案が、
管理組合のほうからなされた。
決まりを守れない人(たち)のせいで、私たち全員が、
これまで無かった、よぶんなお金を払わされることになりそうなのだ。
ゴミ処理のために金銭的負担を強いられるのは、
ルール違反をしてでも好きにゴミを出す人(たち)には当然の報いだが、
まがりなりにも曜日を守ってきた者にとっては、単なる災難だ。
DQNな人(たち)によって、ものごとの方向性が強引に決定され、
その他の者は譲歩するかたちで事態に対処せざるを得ない、
というのは、残念だが社会の縮図かもしれない。
・・・と力なく思った。

Trackback ( 0 )




5月の團菊祭は結局行けなかったわけだが、
音羽屋関連のサイトを見ていたら、
なんだかやたらと菊五郎の弁天が評判が良くて、
通しなんて滅多にあるものではなかったのに見逃したな~、
と残念でならない。
カメラは入っていたらしいので、NHKに期待をかけるとして、
あとはかわりに(は、ならないが)6月の博多座を観に行くので
髪結新三と達陀を生き甲斐にして、我慢しよう(^_^;。

音羽屋はそのほか、7月は大阪松竹座に出ることになっている。
関西・歌舞伎を愛する会 第十七回 七月大歌舞伎

宝塚宙組の『雨に唄えば』のチケットを既に買っているので、
松竹座に行けるとすると雨唄の昼を観たあとの夜の部、
という線が、一番、現実味があると思うのだが、
夜の部の菊五郎はと言うと『黒手組曲輪達引』権九郎・助六の二役。
話は『助六』のパロディのような展開らしいが、
私は恐らく、これを今まで一度も観たことがない。
本家の『助六』はわかるので、多分面白いのではないかと思うが、
一体、どんな音羽屋さんが観られるのかと楽しみだ。
………チケットが取れればの話だが(^_^;。

ちなみに昼の部の菊五郎は、『伽羅先代萩』に細川勝元で出るようだ。
こちらに関しても、私は「対決・刃傷」の場は多分、観たことがないので、
どんなものか、一度観てみたい気はする。
なんとかして昼の部を観に出かける機会は、ないものか。
勝元(菊五郎)×弾正(仁左衛門)だなんて震えが来そうではないか。

オマケに弾正妹の八汐も仁左衛門がやるなんて、面白過ぎだ。
92年の暮れ、当時まだ孝夫だった仁左衛門が大病する直前に、
確か南座で『先代萩』の八汐をしていて、実に見事なイジメ役ぶりで、
私(と友人たち)は客席でさんざん悶絶させて貰ったのだが、
後に仁左衛門が長期入院し、一時は危なかったと聞いて、
『みまかっていたら、最後の役が八汐になるとこだった
(二枚目で鳴らした孝夫の見納めが、よりにもよってワルの女役!!)』
ということで、我々はまたも悶絶したものだった。

思えば、あのとき仁左衛門は非常に体調が悪いなかで、
それを微塵も見せずに務めた八汐だったわけで、
今考えると圧巻だったと言わざるを得ない。
いやはや、こんな昔話が出来る日が来て、本当に良かった。

Trackback ( 0 )




夕方には雨が降りそうだということで、午前中から出かけ、
目に関する用事と、耳に関する懸案事項を片付けて来た。


1.「目」編

ここ数ヶ月、どうも目が疲れて困るので、
眼鏡の度数が合わなくなって来たのではあるまいかと
久々に眼鏡屋さんに行った。

検眼して貰うと、近視・乱視は変わっていなかったが、
昨年のデータと比較して、老眼の度が進んでいるとのことだった。
それで、とりあえず、ふたつある眼鏡のうち外出用のほうに、
遠近両用レンズを入れることにし、
今まで老眼に配慮して矯正が不十分だった近視の度数を
なるたけ遠くがよく見えるよう、上げて貰うことにした。

遠近両用眼鏡は、慣れれば大変便利だが使う側に柔軟性が必要で、
1ヵ月くらいは気長にやって下さいと眼鏡屋さんに言われた。
「遠」と「近」の度数の差が少ないほど慣れるのが容易で、
例えば70歳や80歳になるまで老眼鏡など要らないと抵抗したりすると、
仮に、最後に自分の老眼を認め受け入れる心境になったとしても、
そんな年齢では、遠近両用に慣れることはもう難しいのだそうだ。
だから、試してみるなら40~50代が良い、という話だった。

また、どうしても慣れられず不快感が強ければ、レンズ交換は可能で、
この眼鏡を「遠く専用」と割り切って近視・乱視のレンズのみにし、
手元は当面、眼鏡を外して見る、という選択もあると言われた。
とりあえず、今の度数にあった遠近両用のレンズを入れてみる、
ということになり、眼鏡の完成は一週間後と決まった。


2.「耳」編

このところ、私の右の耳の中で、ときどき、
めりっ、めりっ、と乾いた何かが当たる音がしていた。
首を動かしたときとか、あくびをしたときとか、
外耳道に動きのあったときに、その何かが鼓膜あたりに触れている、
という感じがした。
それできょうは、眼鏡屋さんのあと、いつもの耳鼻咽喉科に行った。

医「どーですか」
私「あのー、御陰様で、鼻炎は、結構、調子いいんですが」
医「はいはい」
私「きょうは、耳の中に、何か小さいものが、ひっかかってて。
 数日前からです。耳垢でもあるのかなという感じなんですけど」

先生は、私の右の耳の中を覗き込み、左も診てから、
まず、柔らかい綿棒のようなもので、外耳道の掃除をなさっていた。
それから、小さい吸引器みたいなもので、耳の中を綺麗にし、
もう一度、拡大鏡らしきもので子細に調べた後、
「鉗子、いちばん小さいの、下さい」
と看護師さんに向かって言われた。

医「ほっそーい毛が、鼓膜にペターっと張り付いとるのね」
私「はぁ・・・(汗)」

先生は、まるで精神統一!みたいな気合いで鉗子を構え、
診察室は静まりかえり、私の頭には、
細い細い鉗子が、狭い外耳道を通って鼓膜への旅をする、
『ミクロの決死圏』的な絵柄が浮かんでいた。

   めきょん ぱき

ナサケない感じの音が頭蓋内に響き渡って、
私「なんか、今、音がしました~」
医「したね、音がしたね?どう、取れとる?」
看「(ティッシュを広げて取れたものを確認し)取れました~♪」
医「うほーーー♪」
私「ああ!ありがとうございました~!」
看「持って帰る、この毛?」
私「ははは。いえいえ・・・」
医「いやー、これで安心だねー」
私「ありがとうございます~!」
看「良かったですねー」

拍手でも沸き起こりそうな感動が、診察室を満たしていた(爆)。
出てきたものは、ひょろんとした、2センチくらいの細い毛が一本だった。

私はこのとき、前にもこれとそっくり同じことがあったのを
まざまざと思い出していた。

私の右の耳は、よほど何か、毛を取り込むような構造をしとるらしい。

Trackback ( 0 )




4月から始めた『まいにちスペイン語』、もうすぐ三ヶ月目突入だ。
ちゃんと毎朝聴いていて、とりあえず、続いては、いる。

だが私は、既にかなりの部分で脱落しつつあることを自覚している。
理由は明白で、出てきた語彙、特に動詞の活用を、
ちゃんと暗記するまで繰り返し自習していないからだ。
私は未だに、テキストで動詞の活用形が出て来ると、
その場でそのかたちだけ、ラジオと一緒に読んでいるが、
実は規則動詞の活用さえ、順序立てて言えるようになっていない。

まったくもって、休まずレッスンに通っていたって、
それだけではピアノが弾けるようにならないのと同様、
『まいにちスペイン語』を欠かさず毎回聴いていても、
それだけでは、スペイン語の力はなかなかつかないのだ。
やはり、お稽古が終わったあと、自分でどれだけ復習したか、
新しく習ったことがきちんと身につくまで、
一人でどのくらい努力したかが、とても大切なわけだ。

しかし一方で私は、スペイン語を習得する必要など、
今のところ全くなくて、これは、ただの道楽に過ぎない。
だから、とりあえず、しんどいことはしない・出来る範囲でやる、
と、敢えて目標を低く持っている。
それが今の、自分なりの、継続の秘訣だ。
現状は、学習者としてはロクでもないことになっているが、
自分としては、楽しいのでとても満足している、というワケだ。

漫然とお稽古に通って、ブルグミュラーが終わり、ソナチネに入り、
ソナタを貰ってしまって、と教本だけが進んでいるが、実のところ、
本人の腕前はバイエルの終わり頃からあまり変わっていない、
……みたいな感じになるであろう。私のスペイン語は。

Trackback ( 0 )




何年ぶりかで、CNN English Expressを買った。
市川海老蔵と熊川哲也、それぞれのインタビューがあったからだ。
海老蔵は主として日本語でインタビューを受けたようだったが、
一部、果敢に(!)英語で応答している箇所もあり面白かった。
熊川哲也のほうはロイヤル・バレエ出身だから、
実に流暢なイギリス英語で話していて、
間には、Kバレエ名誉総裁アンソニー・ダウエルの談話もあり、
これまた興味深かった。

この雑誌は、アメリカCNNが制作しているニュース番組等から、
英語学習に適するコーナーや部分を抜き出して、CDに音声を収録し、
本誌にその英文スクリプトと和訳を掲載したものだ。
和訳がなかったら、私のような者には用無しな雑誌だ(爆)。
例えばTIMEやThe New York Timesを読み通すには英語力が足りない、
という段階でも、このEnglish Expressならば、
もう少しラクに、時事英語を勉強することができると思う。
毎月、ちゃんと勉強すれば、だが。

大昔の私は、英語に関してもっと野心があったので、
こういうものを買って熱心に勉強した時期があったのだが、
今はもう、我慢してまで読んだり聴いたりする元気は、なくなった。
よほど興味のあるニュース、ミーハー心を刺激する話題のときだけ
内容を知りたいがために英語に取り組もうとするのみだ。
それとても、結構、途中で道に迷ってしまったりなんかして。

CNNやCBSでいつもポゴレリチのインタビュー番組があったり、
TIMEやNewsWeekの特集が毎号、ポゴレリチ関係だったりすれば、
私の英語力は飛躍的に向上するだろうにな(逃)。

Trackback ( 0 )




昨日、結婚式に参列していて思ったのだが、
もしも将来、娘が結婚することがあったら
(今時だし、嫁に行くような人生を選ばないかもしれないが)、
教会式には私は耐えられないかもしれない。
主人に腕を取られて娘が入場して来るなんて。
そしてその娘を、主人の手で花婿に引き渡すなんて。
私はダーダーに泣きそうな気がする。

そもそも、親なんか居なくても全く大丈夫なように、
我が子がひとりで勝手に生きていけるところまで育てるのが、
育児の究極の目標だというのに、
そんなことになられちゃ困ると思うのも正直な親心で、
人間というのは余計なことを考えるから厄介だなと思った。
時が来たら我が子を巣から蹴り出すようなトリさんのほうが、
よほど親として正しいぢゃないか(苦笑)。

昨日、披露宴での私の席は、親族だから一番後ろで、
最後列でも中央だったので、高砂の様子が真正面に見えた。
新婦は、新郎と絶えず目を見交わし微笑みあって、
このうえなく幸せそうだったが、
その反面、友人のスピーチに涙、家族席を見て涙、
お色直しの退場で祖母と歩きながらまた涙だった。
最後の、「新婦から両親への手紙朗読」になると、
もう、読めないのではないかというほど彼女は泣いていた。
新婦の両親、親族の席のほうからも抑えた嗚咽が聞こえた。

そういえば、思い出したのだが、この手紙朗読が始まった途端、
私のところにコウコウとライトがあたり、
新婦もこちらを見つめて、せつせつと、手紙を読み始め、
私は、どーなっているのかと物凄く動揺したのだが、
それは実は、私の真後ろが、新婦両親の立ち位置だったからだった。
私は最後列どセンターにいたから、そんなめにあってしまったのだ。

私は、感動の場面の真っ最中に、後ろを振り返り振り返り、
思案した挙げ句、難儀しながら椅子を動かし、少しずつ横にずれた。
私が退いたことで、視界が開けたので、
カメラマンの男性がすかさず新婦両親の写真を正面から撮影していた。
太ったオバちゃんが、座ったまま椅子を浮かせて、
じりじりと横移動する、でんでん虫のような有様は、
間違いなくDVDに残っていると思う(恥)。

Trackback ( 0 )




午前中は娘の中学の授業参観とPTA役員会だった。
全クラスの新役員が顔合わせをした初めての会だった。
今後の連絡を取り合うためにと、携帯番号とメアドの交換をしたが、
「赤外線受信・送信」というものを、今更知ったワタシであった(爆)。

午後からは、主人側の親戚の結婚式があった。
親族紹介・挙式・披露宴、とすべてに出席せねばならず
娘と私は昼まで学校の用事があった上に、外はあいにくの雨で、
式場は市街地で近かったのだが三人でタクシーで行った。

私が結婚した頃、きょうの新婦であるお嬢ちゃんは、まだ小学生で、
元気だった頃の舅が、実の孫のように可愛がっていたものだったが、
月日の流れるのは本当に早いと、いつも思うことをまた思った。
美しい花嫁姿となった彼女と、仲むつまじい新郎さんを見ながら、
じーちゃんがいたらどんなに盛り上がっただろう、と、つい考えた。
列席したほかの親族と舅の話になり、相手も同じようなことを言っていた。

ときに私は、加齢とともに着るものが難しくなり、今回はほとほと困った。
親類のオバちゃんである私が、そんなに着飾って来るのも変だし、
かと言って街着にアクセサリーをつけただけ、というのも失礼だし、
しかも、年々肥満しているため長丁場に窮屈な服は耐え難いしで、
「普通程度にフォーマルでラクな服」
にしようとして、前夜まで悩んだ。

礼装や略礼装のアイテムが決まっている主人と、
制服さえ着ていればとりあえずフォーマルで通用する娘のことが
心底、羨ましかった。
次回、このような機会がいつあるかわからないが、
この際、ウエストゴム仕様のフォーマルロングスカートを買わねば、
と思ったことだった。

Trackback ( 0 )




主人がここ数日ほど、所用で北海道に行っていた。
これで彼は、本州・四国・九州・沖縄に続き北海道を制覇した。
ちなみに私は未だに、沖縄にも北海道にも行ったことがない。

主人にとっても初・北海道だったので、観光も頑張ったようなのだが、
とにかく牛乳アイスが美味くて美味くて感動したそうだ。
新千歳空港についてすぐ、いかにも北海道!な光景に見とれながら、
最初に食べたものがアイスだったらしい。

郊外に行くと、土地が広くて道路がまっすぐ、だったのだが、
本州のご近所ではあり得ない規模の「広く」「まっすぐ」で、
もっと離れると、人家がまばらになり、これまた、
本州では普通考えられない「まばら」さであったとのことだ。

札幌が巨大都市であることにも心底驚き、とても気に入った様子だった。
すすきのの豪華さを知ったら、広島の流川は箱庭のように見える、
とも言っていた。
確かに、札幌は転勤族仲間では福岡・名古屋と並ぶ人気で、
「また行ってもいい。何度でも行きたい」
と語った転妻さんを、私も複数知っている。
尤も、熱烈に札幌を希望して釧路勤務になり、
「霧のロンドン、ってこんなのかなー」
と三年間言い暮らしたヒトも知っている。
噂に違わず釧路は霧の街だということを私はその話で確認した。

ところで、主人本人は買っていないのだが、
某所で『じゃ○ボックル』が売られていたそうだ。
私はよく知らなかったが、これはかなり入手困難な、
幻のオミヤゲだということで、
「あっちの売店で買えましたよー」
というツアー客の話を聞いたガイドさんが、
「えっっ、あったんですかっっ!!!」
と血相を変え、持ち場を放り出して売店に突進していたそうだ。

「そしてね、海がとにかく広大で、怖いほど荒い」
とも主人は言った。
私たちは日常、瀬戸内の穏やかで大人しい波しか目にしていないが、
太平洋の彼方から押し寄せる波の大きさは、別世界であったそうだ。
「あの暴力的な大きさを見ると、胸騒ぐものがあるっていうか」

しかし北海道はとにかく広いので、行ってきたとは言っても、
今回、主人が見ることができたのは、北海道の南半分だけで、
札幌と小樽のほかは、空き時間に積丹まで足を伸ばしたのみだった。
それだけでも素晴らしく広々とした北海道を感じたそうで、
全域制覇への道のりは、まだまだ遠いのだった。

「北海道のうんと北側ってか、地図の右半分のむこうには、
何か、別の国があるっぽい雰囲気だった・・・」
と主人が心許なく言っていた。
宗谷とか網走とか、オホーツク海の光景などに、
私は(寒がりのくせに)もともと、とても興味があるのだが、
主人の話から、日本の最北端に漂う異国情緒が感じられ、
ますます行ってみたい気がした。

そして、その、更に北にあるロシアってどんな国だろう、
とも私は真面目に考えた。
歴史的にロシアが南下政策に命をかけていた理由も、
日本の北端を見れば、肌で理解できそうだった。

Trackback ( 0 )




娘の中学は、今週の水曜・木曜・金曜が中間考査で、
土曜が授業参観とPTA総会・学級懇談会、となっている。
考査あけの授業が参観日に当たっているわけだが、
参観授業でテスト返しなんだろうか?

娘「え~っ。それは、ないじゃろー」

うむ。確かに、なさそうな感じは、する。
黙々と試験を返し、正解確認と各問解説、配点・平均点公表、
などで一時間が終わるなんて、参観授業としてはつまらなさすぎる。

娘「第一、保護者のおる前でテスト返しなんて、
 いくらなんでも、かわいそう過ぎるよ~

は?
誰がどう可哀相なのか?

答案を見た途端に失望した表情をありありと浮かべ、
平均点を聞いたら更に打ち沈んだ顔になる我が子を
目の当たりにせねばならない私が可哀相過ぎる、
のだよな??

Trackback ( 0 )



« 前ページ