転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



イラクで、武装グループの人質になったという香田証生さんの安否について、
共同通信の配信内容が二転三転したようだが、
今夜の時点ではとにかく、問題の遺体は香田さん御本人ではない、
ということになったようだ。

バラドの遺体、香田さんとは別人とほぼ確認

それにしても、
・服装がアラブ風
・歯の治療跡がない
・髪の毛がない
・年齢は50歳くらいで太り気味
・死後1週間程度経過している
というのは、聞けば聞くほど、全然、香田さんじゃないじゃないか。
平時だったら「香田さんの立場は~~」というくらいの違い方だぞ(--#)。

だが、今のイラクとは、きっとそういうところなのだ。
誰のものかもわからない遺体が次々と見つかるような日常で、
安否確認のための情報ひとつ、まともに伝わらない場所なのだろう。

うちの娘が将来、もし、こういう行動をして事件に巻き込まれたとしたら、
「俺は政府に向かって『助けてくれ』なんて、よう言わんぞ」
と主人は言うのだが、私は、ちょっと違う、かもしれない。

「日本中に迷惑をかける馬鹿な子でも、私にはかけがえのない子供なのです。
すみませんごめんなさい。どんなお詫びでもします。私が死んでお詫びします。
ですからどうかどうか、娘を助けて下さい!」
と私はテレビカメラに向かって言いそうな、気が、する。

Trackback ( 0 )




昼に主人が帰ってきて言うことには
(この男は私が臥ていても昼食を家で取る)、
「知っとった?ル○デンってケーキ屋、今でもあるんと」。

『広島で 一番高い ケーキなのよ。
♪ル○デ~ン ルリ○~ン ルリルリ………ルリデ~○』

広島っ子なら、あのテレビCMについて、多分、誰でも記憶があるだろう。
私は神戸生まれだが、小学生の一時期からしばらく広島に住んだので、
あれを実際にテレビで観て知っている。
高価だということをミもフタもなく一番のウリにしていたので、
これ食べたい、とは到底、親には言い出せず、
ただCMを見て、とてつもないものを想像した日々だった。

結局、私は、実際に食する機会には恵まれず、その後再び他県のヒトになり、
一方、旧市内で育った主人のほうも、CMには心惹かれつつも、
「食いたい」とは言い出せないまま、やがて進学や就職で家を離れ、
以降、ル○デンとは縁のない生活を送って来たのだった。

だが、彼が先日、インターネットで検索したら、この店はちゃんと現存しているという!
主人はことのほか喜び、鼻息も荒く言った。

「一番高かろうがなんだろうが、所詮たかがケーキ。
 この際、決着つけたろーやないか!」

この遅れて来た「元・広島っ子」がルリ○ンに挑む日は、いつ!?
その首尾は如何に!?

ところで、コウモリのごとく、広島人でありながら関西人でもある私は、
もうひとつ、超ローカルなお菓子の思い出を持っている。
それは、関西人ならこれまた誰でも知っている、モスクワの味パルナス。

「♪ぐっと かみしめてごらん」
(私:「痛いな」「虫歯やろ」)
「♪ママの暖かい心が お口の中にしみ通るよ」
(私:「心だけかい」「お気持ちだけや」)

と、かつてくだらぬツッコミを入れつつ観ていた、あの懐かしいCM。
歌詞に出てくる「モスクワの味」を体験する機会はついに得られなかった。
だが思い出は強烈で、私は後にロシア語を勉強するようになったとき、
当時の刷り込みのせいで、モスクワ=パルナスという図式が頭にあり、
聖ワシーリ寺院の写真を見た途端「美味しそうやな」と反射的に思ったものだ。

残念ながら、パルナスは2002年7月に廃業してしまった。
こちらはもう、リベンジの機会はないのだ。
ああ、モスクワの味、ってどんなのだったんだろう。
その謎は永遠に解けない。復活きぼんぬ。

Trackback ( 0 )




非人道的・月経痛から、やや立ち直ったので、
きょうはいつもの婦人科を受診した。
受付開始直後に来たのは初めてだったが、
昨日受診できなかったのは結果的に正解だったと思った。
なぜなら、朝だというのに
待合室は既にかなりの混み具合だったからだ。
体調の悪いときに、こんなところで
1時間も待っていられるものではない。

こりゃ当分、順番は回ってこないなと見た私は、
ソファに陣取り、手近にあった雑誌を拾い上げて読み始めた。
しばらく読んでいたら、読者投稿欄に今の私に相応しい話題が載っていた。
ある朝、急激な腹痛で起きられなくなり、必死の思いで職場にメールした、
という人の失敗談だ。

この人は、『お腹が痛いので遅れます』と連絡するつもりだったのに、
あまりの痛さに無我夢中で、文面を読み直す余裕さえ無く
『おならが居たいので送れます』
と打ったのをそのまま送信してしまったというのだ。

こんなものを読まされては私は腹筋が震えるのを止めることが出来なかった。
添付ファイルまで送ってたりしたら最高だな。
って、どんなファイルや?
あかんぞ、変な想像したら。そうでなくても腹痛いのに。
く、くく。助けてくれ。

と、挙動不審になっている最中に、私の名前が呼ばれた。
私はひくひくと半分笑った顔のまま、診察室に入った。
私の顔を見て先生も曖昧な微笑を浮かべた。
勘違いしないで下さい、私は愛想笑いをしている訳ではないので。

一昨日からのひどい下腹痛のことを訴えると、先生は、
「癌検診その他、全部異常なしだから、今、特別な疾患は考えられない。
あなたのように筋腫があまり大きくないのに生理痛が強い人は、
腺筋症と言って、筋層内で内膜症と同様の変化が起きている場合がある。
が、それは顕微鏡レベルの話なので外側からどうこうできるものではない」
という主旨のことを説明して下さり、今後の治療としては、
先般の女性ホルモンをまた21日間服用、5日間休薬、というペースで続ける、
これで改善しなかったら、スプレキュアの点鼻で対処する、
ということを言われた。

うぅむ。
私は正直言って、あの眠すぎるホルモン剤は、もう、あまり気が進まない。
体質的に鼻炎があるので、点鼻薬という形式も遠慮したい。
私がこういう抵抗感を根底に持っている以上、
プラシーボ効果の逆で、この治療法は、駄目なのではないかと思う(鬱)。

Trackback ( 0 )




昨夜から腹痛で動けない。
薄情な娘は「陣痛だ」と言って笑うのだが、
当たらずといえども遠からず(!)、痛い箇所は多分婦人科系だ。
先日来、二週間ほど女性ホルモン剤を飲んでいたせいではと思われる
(ネットで調べたら、私の飲んでいた薬のところに、
まさにそういう副作用が書いてあったので)。
いつもの婦人科が火曜日休診なので、明日まで様子見。

良かった、23日にこんなことになっていなくて!
……としみじみ思ったワタシってどこまでも道楽者よ。

Trackback ( 0 )




宙組観劇以外に、昨日はいろいろあった。
まず、娘が、この機会に『倉敷チボリ』に連れて行け、と言ったので、
我々は朝早くから家を出て、10時の開門前に現地に着いた。
公演の開演は午後2時だというのに、なんという勤勉な。

ゲート前で並んでいたとき、すぐ後ろにいたひとりのおばーさんが
「あの~」
と話しかけて来た。また道でも訊かれるんかなと思いながら、
「はい?」
と振り返ったら、おばーさんは、1枚の葉書を差し出し、
「こういうもの、お持ちですか」
と控えめに言った。見たら、23日限定で有効の入園料割引葉書だった!

私「よよよよよろしいんですか!?」
女性「ええ。私は、こっちが(別の割引券?)ありますから」
私「ありがとうございます!助かります!!」

ということで、我々母娘は昨日、見ず知らずの方のご厚意で、
なんと半額で、チボリのパスポートを購入することが出来た。
『道訊かれ顔』(←ほんとにあるのか(^_^;)?)が幸いしたか!?

さて、それからチボリで3時間半たっぷりと遊んだので、
倉敷市民会館に向かう頃から娘は眠そうになり、
それでも1幕目はどうにか起きていたが、2幕目は完全に寝ていた。
娘いわく、
「タラの税金がどーのこーの、おばさまのお墓に誓って下さい、
のへんで、静かだから寝てしまって、
こんど目が覚めたら、突然バトラーが旅行に行くとこだった。
あれは誰の家?何があったの?」

んなもん、一言で話せんわ!
だいたい、第2場から第17場まで延々と寝倒し、
スカーレットとバトラーが結婚したことさえ全然知らないヤツに、
どうやって別れのいきさつを説明すればいいというのだ。

帰りの新幹線で、娘は更に言いだした(さぁ用意しよう心の耳栓)。
娘「ねえ。バトラーは仮面つけてなかったね。ヒゲあったけど」
私「なんで仮面が要るのかね」
娘「だってファントムは仮面つけてたじゃん」
私「あれは顔の傷を隠すためだってば」
娘「どして、顔の半分だけ仮面つけるのかな。全面隠せばいいのに」
私「顔ぜんぶ覆ったら、『仮面』じゃなくて『お面』だろうが」

などと話しながら、私には、なんとなく、
和央ようかには「タキシード仮面」が似合うかも、と思えたりした。

Trackback ( 0 )




昨日の和央バトラーは、実に、宝塚の男役らしい男役だった。
日頃、ナチュラル・自然体、等々が形容詞になっている彼女に、
ああいう芸があったなんて、私には大変な驚きだった。
前回のエリックは、彼女なら出来て当然という要素があったが、
レット・バトラーというのは正反対で、
ある意味、彼女が最も否定したかったタイプの役ではなかっただろうか。

少なくともトップ就任前後の時期の彼女だったら、恥ずかしさのほうが勝って、
バトラーをあのようにあざとく演じることは難しかったと思う。
数年前の彼女がああいうことをやろうとしたら、多分、
観ているほうが目のやり場に困るような、いたたまれなさが漂った筈だ。
だが昨日、あれを敢えて正面から演じて、
なおかつ破綻しなかった彼女の余裕に、
私は心底、感服したし、「ええ役者になったな~」としみじみ思ったのだ。

宝塚版『風と共に去りぬ』は、いわゆる宝塚歌舞伎で、
原作とも映画版とも全く違うテイストのものだ。
話はかろうじて『風共』で、登場人物も見知った名前ばかりだが、
アイルランド移民も南北戦争も、割とどっちでもいい設定だし、
タラの大地も綿花の収穫も、あってもなくても、誰も困らない。
んなことより大事なのは、バトラーが「素敵~!!!」かどうか、なのだ。

演技が秀逸とか解釈が奥深いとかは、ファンが気の済むまで語ればいいことで、
それよりもまず、幕開き、ひとり立っているバトラーを観た瞬間、
「わっ、男役(>_<)ヽ !!」というトキメキが客席にあるかないかで、
成否はもう決まっている、と私は個人的に思っている。
よく味わって初めてわかる高邁な話より、まず「男役」。
ちゃんと見てない「いちげんさん」にさえ、
「なるほど!ここじゃ格好いいってのは、こういうことか!」
とわからせる、明快なアピールが不可欠なのだ。

昨日の和央ようかには、それがあったから私は凄いと思った。
第一印象から目に飛び込んで来る、あのバトラーの佇まい。
きちんと宝塚的に、年齢の表現されたバトラーなんて今まで何人いたか。
立ち姿、脚の角度ひとつ見ても、細部まで完璧だった。
それにあの独特の台詞まわし。これぞヅカ、これぞ男役!

私は久々に観た、あれほど正しい男役を!
フレデリックやケビンを演じながら、
彼女が伝家の宝刀にこのような磨きをかけていたとは!!(感涙)

Trackback ( 0 )




宙組・全国ツアー倉敷公演『風と共に去りぬ』を観て来た。
態度でかいの承知で言おう、

和央ようか扮するバトラー、巧かった!

まざこんエリックも演れば、おっさんバトラーも出来る、
なんというええ役者になったのか!と、おばちゃん感無量だった。
2001年に済んでしまった『ベルばら』が今来ていれば、
さぞかし面白いフェルゼンを演れただろうなと、舞台を観ながら思った。

詳細は、また後ほど。

Trackback ( 0 )




小4の娘が今、理科の宿題で『月の観察』に取り組んでいる。
一時間ごとに外に出て、月の位置をメモして行き、
何時間でどれだけ動いたかを図にまとめるというもので、
最近の彼女にしては、随分と熱心にやっている。
ガガーリン事件プラネタリウム体験以来、
彼女なりに、宇宙の話に少し興味を持つようになった様子だ。

実は私自身、太陽系の惑星・衛星の話が大好きだ。
小さい頃、まず子供心に鮮烈だったのが、月から見た地球の写真だった。
1969年アポロ11号が月面から捕らえた地球の写真には、
月世界の地平線と、半月のように美しい地球の姿が映っていて、私は、
「月の空には地球が満ち欠けして浮かんで見えるんだ!」
と感動したものだった。そしてそれ以来、
「それなら、木星の衛星から見たら、空に大きな木星が見えるのかな?」
「火星の空には月がふたつ(衛星が二つだから)見えるのかな?」
などと想像するようになった。

1980年の夏、NHKが放映した『パノラマ太陽系』という番組は、
当時の私にとってあまりにも強烈で、未だに忘れられないもののひとつだ。
確か、一週間の連続放送で、月曜日が『月』、火曜日が『火星』、
というふうに、曜日にちなんで太陽系を解説していくというシリーズだった
(テーマソングが八神純子だった(^_^;))。
ボイジャーが撮影した、木星の衛星イオの火山を初めて見たのも、
あの番組の中でだったと思う。

その後、友達に教えて貰ったのが、岩崎一彰の天体画だった。
テチス衛星の赤道付近から見た土星とか、木星衛星イオの景観などは、
まさに私が漠然と想像したものを描いていて、「コレだ~!」と思ったものだ。

外惑星の世界をこの目で見ることは叶わぬ夢だし、
ワープ航法でも実用化されない限り、それらの有人探査もあり得ないだろう。
ならばせめて、私は岩崎画伯の絵を自宅居間に飾りたいと夢見ている。
ああ、九億円あれば。

Trackback ( 0 )




昨日の台風で、どうかなってやしないかと、
午後から佐伯区の様子を見に行った。
台風一過できょうは綺麗な晴天だったが、
舅はきっと、落ち葉だらけになった庭が我慢できずに苛々しているだろう、
掃除のひとつでも手伝うことがあれば、
と思って出かけたが、着いてみて、私は恐れ入った。
庭は既に、『チリ一つ無く』と形容できる見事さだった。

こんちはー、と家にあがってみたら、
舅は、サンドイッチにコーヒー、という昼食の最中だった。
今回の台風は、舅の言によれば「風向きが良かった」のだそうで、
屋根も無事だし、窓ガラスにも影響は無かったとのことだ。
舅は、今朝は日の出とともに起床し、庭掃除をしたと言っていた(^^ゞ。

私「おとーさんの体調は、その後、どうです?」
舅「それが、最近は結構ええのよ」
私「そりゃ良かったですね(^^)!」
舅「ほうよ。酒でも飲んじゃろと思ぅて、こないだ、焼酎、買うてさ」
私「おや~?いいんですか~?」
舅「ふふ(^^ゞ。そうでもせにゃ、ばーちゃんのいびきで、寝られんのじゃもん」
私「そしたら、調子良くなったんですね?」
舅「ほうよ。酒飲んだら、ええような気がする」

舅は最近よく、午後のひととき、姑が昼寝している間に、
車でちょっと遠くの、大きなスーパーまで行くのだそうだ。
ふたりだけだから、食材は少量で買える店のほうが都合が良いし、
出来合いの総菜にしても、大きな店のほうが種類が揃っているから、
気分転換も兼ねて、わざと遠出するのだ、と言っていた。

舅「一昨日なんか、牛肉のとろけるようなのを買うて来て、
 しゃぶしゃぶをしたで。ばーちゃんにも、ヘルパーさんが介助来たときに、
 わしが炊事場に立って煮てやった。食べさして貰うて、よう食うたで」

老老介護で、なんて気の毒なと世間は思うだろうか。
だけど舅は、私たちが一緒に居た頃より、
今のほうが、間違いなく生き生きしている。

子供や孫に囲まれて賑やかな家で、
というのは、もしかしたら主人と私の自己満足だったかもしれない。
住み慣れた家で、誰にも邪魔されず二人だけで、
というのが、少なくとも現時点の舅姑にとっては、
最も幸せで落ち着いた生活なのではと思える。

私は結局、何もすることがなく、ただ1時間ほどウダウダと喋り、
舅の出してくれた、クルミのケーキと、コーヒーをご馳走になって、
満腹して、帰った(爆)。

Trackback ( 0 )




今朝は早朝からシッカリと各種『警報』が並んでいたので、
文句なしに、学校は休校になった。
娘は7時のニュースでこれを確かめると、
改めて布団に入り、堂々と二度寝を決め込んだ。

925校休校、交通に乱れ 台風23号で広島県内

夕方のニュースで見たら、市内は結構大変なことになっていた。
先日、私が道を訊ねられた現場である平和公園の南側では、
某病院前の大きな木が倒れて、怪我人が出たという話だったし、
娘が毎朝通学で歩いている県庁前では、信号機が完全に折れていたし、
同じく娘の通学経路である某駅でも、線路に大きな枝が落ちてきて、
その路線は上下線とも運転見合わせになっていた。

我が家はお陰様で皆、無事だったが、
夕方、びゅうびゅうと風の吹き荒れている中、
家のベランダ側で、ばーん!!!と大きな音がし、
何事かと、窓のカーテンを開けて覗いてみて、私の顔から血の気がひいた。
だって、ベランダ端にある物置のドアが全開じゃないか!中のものが丸見え!!

強風の中、よせばいいのに溝掃除に出て、流れてったおばーさんの話とか、
台風が本格的になる前にと庭の木の枝を切り落とそうとしていて、
ハシゴから転落したおじーさんの話とかが世の中には多いので、
私も、こういうとき物置のドアなんか閉めに出て死んだりしたら、
あとあとどう言われるだろう、と、ちょっと迷ったが、
スーツケースと造花とカーテンレールと引き出物の壺とが
変な具合に並んでいる物置は、見るに忍びなくて、
私は意を決して外に出た。
風になぶられながら、歯を食いしばって(?)ドアを閉めた。ふぅ(^_^;)。

さて、それはともかく。
一体、きょうは、今年になって何度目の休校だ?
朝が登校見合わせになったり、昼から一斉下校になったり、を入れると、
もうこれで5回は、「警報」のせいで授業がなくなったり減ったりしている。
こんなことはかつて無かった。

昨日、娘の担任の先生は、
「このぶんでは、12月25日も学校に来るようになるかもしれませんね」
と仰ったそうで、度重なる台風上陸・休校措置のために、そろそろ、
授業日数の確保のほうが問題になって来たのではないかと思う。
ま、私としては、クリスマスも正月も学校に行って貰って全然構わないが、
お弁当が要るなんて言われたらイヤね。

Trackback ( 0 )



« 前ページ