昨日の和央バトラーは、実に、宝塚の男役らしい男役だった。
日頃、ナチュラル・自然体、等々が形容詞になっている彼女に、
ああいう芸があったなんて、私には大変な驚きだった。
前回のエリックは、彼女なら出来て当然という要素があったが、
レット・バトラーというのは正反対で、
ある意味、彼女が最も否定したかったタイプの役ではなかっただろうか。
少なくともトップ就任前後の時期の彼女だったら、恥ずかしさのほうが勝って、
バトラーをあのようにあざとく演じることは難しかったと思う。
数年前の彼女がああいうことをやろうとしたら、多分、
観ているほうが目のやり場に困るような、いたたまれなさが漂った筈だ。
だが昨日、あれを敢えて正面から演じて、
なおかつ破綻しなかった彼女の余裕に、
私は心底、感服したし、「ええ役者になったな~」としみじみ思ったのだ。
宝塚版『風と共に去りぬ』は、いわゆる宝塚歌舞伎で、
原作とも映画版とも全く違うテイストのものだ。
話はかろうじて『風共』で、登場人物も見知った名前ばかりだが、
アイルランド移民も南北戦争も、割とどっちでもいい設定だし、
タラの大地も綿花の収穫も、あってもなくても、誰も困らない。
んなことより大事なのは、バトラーが「素敵~!!!」かどうか、なのだ。
演技が秀逸とか解釈が奥深いとかは、ファンが気の済むまで語ればいいことで、
それよりもまず、幕開き、ひとり立っているバトラーを観た瞬間、
「わっ、男役(>_<)ヽ !!」というトキメキが客席にあるかないかで、
成否はもう決まっている、と私は個人的に思っている。
よく味わって初めてわかる高邁な話より、まず「男役」。
ちゃんと見てない「いちげんさん」にさえ、
「なるほど!ここじゃ格好いいってのは、こういうことか!」
とわからせる、明快なアピールが不可欠なのだ。
昨日の和央ようかには、それがあったから私は凄いと思った。
第一印象から目に飛び込んで来る、あのバトラーの佇まい。
きちんと宝塚的に、年齢の表現されたバトラーなんて今まで何人いたか。
立ち姿、脚の角度ひとつ見ても、細部まで完璧だった。
それにあの独特の台詞まわし。これぞヅカ、これぞ男役!
私は久々に観た、あれほど正しい男役を!
フレデリックやケビンを演じながら、
彼女が伝家の宝刀にこのような磨きをかけていたとは!!(感涙)
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