転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



大人だけどピアノを習いたい!ピアノ教室を選ぶポイントは?(mamasta)
『大人がピアノを習うのは恥ずかしいですか?今年27歳なんですが、諦めた方がいいですよね?』

何がどう恥ずかしいのか私にはわからない(^_^;。
どんどん習ってみるのが良いじゃないか、と思う。
記事中の、「楽器は子どもの頃から始めた方が良い」というのは
例えば音大ピアノ科に進んで専門家になりたい、等の場合であって、
趣味で弾くのなら後期高齢者になってから開始したって良い。
それだって、場合によっては相当なレベルまで行ける可能性がある。
かつて三枝成彰氏が言われたのだったと思うが(違ったらすみません)、
「70歳で始めたとして、90歳まで弾くなら20年できる。
どんなことも本気で20年訓練したら、玄人になれる」と。

私の友人の知人は、公立学校の先生だったのだが、
数年前、60歳で退職したとき、退職金でグランドピアノを購入された。
ピアノなど一度も習ったことがなかったが、
小学生の頃からずっと憧れていらしたのだそうだ。
御主人も最初は大変驚かれたそうだが、
御本人の、長い長い長い間の念願であったと知って、
家が狭くなるのを受け入れてくださったとのことだった。

それから彼女は、近所のピアノ教室の先生に電話をかけ、
自分の希望を述べて、生徒になった。
『エリーゼのために』が弾きたかったので、
何年かかってもいいから全部弾くと決めて、レッスンを開始し、
更に、子供の頃、従姉が『バイエル』を習っていて羨ましかったので、
自分も『バイエル』をやってみたいと先生に頼み、それも叶えて貰った。
退職後がこんなに楽しいなんてと、大変満足していらっしゃるとのことだ。

『エリーゼのために』をきちんと弾けるようになるためには、
先にイ短調のスケールやアルペジオをやらなくては、とか
『赤バイエル』なんて今どき使いませんよ、とかいう話は、
大人の初心者の希望と相反するならば、よけいなことだ。
一家言ある人たちの理想や好みなどどうでも良いのであって、
習う本人にとって、やりたかったことが実現したかどうかが大事なのだ。
入試もコンクールも関係ないから、本人が「弾けた」と思うかたちがゴールだ。
もしも、習ううちにもっと綺麗に弾きたいと欲が出て来れば、
基礎練習を取り入れたり、教本を変えたり増やしたりと、
方針を転換することも自由自在なのだし。

私の高校時代の友人のひとりは、短大でピアノを専攻したあと、
結婚で一旦家庭に入り、今は教える側として仕事をしているのだが、
大人の初心者の生徒さんには感動することがよくある、と言っていた。
上記の「エリーゼのために」と同様に、大人の初心者の多くは、
憧れの一曲を持っていて、それを弾けるようになりたい、と望むそうだ。
クラシックの好きな人では特にそうで、しかも、
初心者用に移調したり和音を減らしたりしたような簡易版ではイヤで、
弾けないところは激遅になっても、完全に原曲のとおりに弾きたい、
と希望されることがほとんどだ、と。
曲によっては、当然のことながら入門者にとってかなり難しく、
途中の難所など何の曲かわからないような出来映えになることもあるが、
「それでもね、なんかね、凄くエエんよ。
演奏を聴きよるとね、伝わって来るものがあるんよ。凄いよ。
涙が出そうになるときがあるんよ」
と友人は言っていた。
実に、イイ話じゃないですか。

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91歳・92歳の両親宛に、ようやくワクチン接種券が来た。
明日、二人がお世話になっている某ホームに届ける予定だ。
ホームで、いずれ集団での3回目接種が実施されることになっている。
……のだが、ワクチン担当相が変わったせいか、
県か市のレベルで担当の課がボケているだけなのか、理由は不明だが、
ワクチン政策のあらゆることが遅いねホントに(--#)。
ふたりは7月に2回目接種を完了しているので、あれから既に6か月超。
日本の、12月の水際作戦はほぼ意味がなかったと言うべきだろう。
未だに接種券の発送でモタついているようでは。

ときに、新型コロナウイルス対策ダッシュボードは、
とうとう全国すべての県で真っ黒になった。
The Rolling Stonesの名曲にI wanna see it painted blackという一節があったが、
……うっかりこのタイミングで連想してしまって、トラウマになりそ~~(涙)。
(↓1月28日付 スクリーンショット)


基本的に、どこに行ってももう病床は無い、と覚悟すべきだろう。
コロナに限らず、何かで救急搬送される事態に陥ったら………(大汗)。
と、とりあえず、万事において慎重に行動する、以外に無いな。

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広島市のワクチン接種も、早く前倒しをして貰いたいと
私はこのところずっと思っている。
首都圏のいくつかの自治体や愛知の一部などが既に実践しているように、
もう、高齢者とか医療従事者とか条件をつけずに、
「2回目接種から6か月以上経過した、住民登録のある18歳以上の人」
全部を対象にして、一斉に進めたらどうなのだろうか。
3回目接種に関して広島市では現在、
医療従事者や介護職、高齢者、など特別に「6か月」で打てる人が定められ、
その他は一律に「2回目接種から8か月経過」するまで打てないようになっている。

それでも、まずは上記のような特別枠にある人たちが皆、
我も我もと希望して殺到しているのであれば、
私などは邪魔せず、黙って待てるだけ待つべきだと思ったのだが、
市内接種会場の空き状況では、モデルナの予約枠が大幅に余っている。
ファイザーが埋まって残り0になっているところを見ると、
接種券が来ないために打ちたくても予約できない人ばかりとは限らず、
現状、「ファイザーを選びたい」「ファイザーが空くまで待つ」
と考えている人が少なくない、ということだろう。
ならば、この際モデルナのほうは、打てる人からどんどん埋めて、
市民全体の接種率を上げていくほうが、効率が良いのではないか。

……ということで、今夜、市へ要望のメールを出した。
「夫も私も基礎疾患があり、モデルナを早く打ちたいのですが叶えられませんか。
余っていても、やはりこれから3か月、待たないと打てないのですか。
モデルナ枠だけでいいので、早く開放して貰えませんか」
と、…そのまま書いたワケではなく、表現には留意したが、
煎じ詰めればそういう……(^_^;。


追記:『オミクロンは9割が無症状か軽症』と報道されるので、
かなりの誤解が世の中に広まっているように思う。
落語家の桂文治が自らのオミクロン罹患体験について
『6日間寝たきりで、下痢と嘔吐で はばかりと寝床を何往復』
『両側の腰骨が床擦れに』
『体重も減り、食欲もなく、ちょっと歩くと息が切れる』
等とtweetし、お弟子さんが居なかったら脱水症状になっていたと、
その苦痛の激しさを書いていたのだが(今は削除されている?)、
医師が一貫して言っている『軽症』とはこういう状態も含んでいる。
酸素吸入が要らず、トイレにも自力で行けるのなら、『軽症』だ。
先日も、臨床医のtweetで、救急車で来た高熱の女性が、
「こんなに苦しいのに入院させて貰えないなんて!!」
と号泣した話が出ていたが、熱40度で何日目であろうと咳の発作があろうと、
肺炎がなければ医学的には『軽症』で、自宅で頑張って貰う以外にないのだ。
また、最初の診断時に『無症状』でも、大半はその後に熱が出て来る。
最初から最後まで無症状で経過する人は全体の数%しかない。
多くの人は、『無症状か軽症』と聞くと、全くなんともないか、
「咽喉が痛いなぁ、怠いなぁ」「微熱と咳が続くなぁ」程度で、
寝たり起きたりで、まあシンドかったけど気がついたらなおっていた、
みたいなのがオミクロンだとイメージしているのでは。
……違いますか(汗)?たぶん全然違いますよ、それは!!
医者の言う『軽症』は、我々の思う『軽症』とは掛け離れていると思うべきだ。
「ちょっと痛いですよ?」と検査されるとき、大概、激痛ではないか。
ワイドショーは、医師の言っている『軽症』の具体例をもっと挙げて、
私たちの思っている『軽症』が本当に合っているかどうかについて、
一般の理解を促すべきだと私は思っている。

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前回買った、自分比で豪華版のスイートピーとチューリップの花束は、
予想外に長もちして、つい数日前まで元気だった。
チューリップは10日ほど、スイートピーは半月ほどモった。
毎日話しかけたとか礼を言ったとかいうワケではなかったが、
なぜか、今回はチューリップにしては巧く行った。

しかしさすがに花びらに元気がなくなって終わったので、
きょうはまた、新しい花を買った。
毎年、この季節はスイートピーを満喫したいというのが私の希望だ。
ほんのりした香りも良いし、淡い彩りも浅い春の雰囲気があって、
(この正月奉仕明けの喜びを噛みしめる)私にとって、
眺めるのに心地よいのである(^^)。
この時期、これを見ると、「ああ、春が来るのね~」と、毎年なごむ。

安定の引き籠もり生活では、相変わらずストリーミングを友としている。
松緑の『紀尾井町家話』は既に60回を超えているが、私は皆勤だ。
歌舞伎オンデマンドは、よくよく観たい演目だけを厳選して買っている。
広島にはほぼ来て貰える機会はないと思われる、
CHABO(仲井戸麗市)、はせがー氏(長谷川浩二)のライブが
家に居ながらにして楽しめるのは、配信の御蔭と感謝に絶えない。
『日本の神々教養図鑑2:ありがたい神さま』(名古屋教室)
『朗読で誘う物語の世界−山月記を私はこう読む』(青山教室)
『スブリームの発音特訓 フランス語でシャンソンを歌おう!』(青山教室)
など、NHK文化センターの教養講座的なものもいくつかやっている。

5月の團菊祭はどうなるのか、……今年も團十郎襲名は出来まいが、
私個人としては、4月後半にワクチン3回目を終えた頃、
もし全国的な感染状況がマシになっていれば
一度、歌舞伎座に出向きたい、というのが今の希望だ。
その前に、3月5日に松緑が国立劇場で『供奴』を踊るのを観たいのだが、
その頃に世の中がどうなっているか、予断を許さない感じなので、
まだまだ計画を立てることはできていない。

娘の帰省がいつ実現するかも、こうなるとなかなか不透明だ(汗)。
LINEでやりとりはしているが、正月は結局、私が忙し過ぎたのと、
娘も友人たちとのオンライン飲み会があったりしたのとで、
都合が合わず、画面上でさえも長らく会っていない。
前回オンライン帰省したのは、いつだ?お盆?
娘が大学に行って家を離れてからは、私たちは割と、
それぞれで好きにやるという感じに、自然となっていたのではあるが、
コロナの騒動のために、考えてみるとこれで2年以上、対面していない。
さすがに最長記録だな(^_^;。

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ダ・ヴィンチが惹かれ、マキャベリが認めた「最も美しい英雄・チェーザレ」の真実(現代ビジネス)
『あのレオナルド・ダ・ヴィンチが惹かれ、マキァヴェッリが理想とした伝説の英雄、チェーザレ・ボルジア。そんなルネサンス史上最も美しい英雄、チェーザレ・ボルジアを描いた作品『チェーザレ 破壊の創造者』は累計100万部を超える大ヒットになっている。歴史の闇に埋もれた英雄の真実を調べるため、資料の収集、翻訳、分析をしながら作画し、16年連載を続けてきたこの作品がついに最終回を迎えるにあって、作者であり漫画家の惣領冬実さんにインタビュー。その長年にわたった創作の秘話などを語ってくれた。』

『チェーザレ 破壊の創造者』は私も全巻持っていて、
大変楽しみにして読んでいた漫画だった。
衣装の模様どころか燭台のディテールや馬の蹄鉄までも、
時代考証等の根拠なくば描かれないほどの劇画だったので、
「このペースだと、作者存命中にチェーザレが死なない(汗)」
と不安に思っていたのだが、このほど、話はその遙か手前、
チェーザレの父親が教皇になるところで終わることになった。
つまり物語は、チェーザレの少年時代後期から青年時代の入り口まで。

読者としては正直なところ、彼が随所で匂わせていた野望や、
妹ルクレツィアとの魂の結びつきとも言える関係等々、
伏線の回収が十分なされたとは言えない箇所が多々残ったと感じるが、
それらが、できるなら番外編的な短編でこれから描かれると嬉しい。
サンチャ・ダラゴーナも、最終巻の終盤に印象的に登場しただけで、
その後のことは何も触れられなかったのが残念だ。

『ロドリーゴが教皇になってから枢機卿としてローマに入るまでの約1年間、チェーザレはスポレートという場所で過ごしていて、伝記には「彼はスポレートで青春を謳歌したであろう」とだけ記されています。これは資料が残っていないということなのですが、激動の時代にのまれていくチェーザレが最後に自由を謳歌した時間だったはず。そんな彼の人間らしい姿を、いつか私なりの視点で描きたいですね。』

という作者・惣領冬実氏の言葉がインタビュー中にあるので、
また機会を得て、この物語のその後が発表されることを願っている。
ちなみに、父親が教皇に選出された場面から開始されるチェーザレ伝が、
塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』である。
チェーザレ・ボルジアの人生が本当の意味で花開いて行くのは、ここからだ。

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【国内感染】新型コロナ 初の6万人超 過去最多更新 (25日19時)(NHK)
18道府県にまん延防止適用決定 27日から2月20日まで(共同通信)

第6波はまだまだおさまる気配はなく、
昨年夏に続き、またもや救急搬送先が無い状態が各地で始まっている。
今こそ緊急事態宣言を出し、全国一斉休校を実施すべきなのでは、
と私は思うが、政府にはそういう気配は無さそうに見える。
強引で大規模な感染防止対策には、各方面からの強い反発もあるのだろう。
とりあえずは、自分が患者にならないように、出来ることを全部やるのが、
今の私個人に実行可能な、最大の社会貢献であると思っている。
……それはつまり「可能な限り家から出ない」に尽きる訳だが。

とりあえず、血圧の定期受診は今月は電話受診にし、
処方箋を薬局に送って貰い、薬局から自宅に薬を郵送して貰う手筈にした。
また、花粉症の季節が始まるので、本当ならそろそろ、
耳鼻咽喉科に行って薬を貰っておくべき時期が来ているのだが、
ちょっと今は、あまり積極的に受診する気持ちにはならない。
アレグラとナゾネックス点鼻スプレーはまだ手持ちがあるので、
もうしばらく、感染拡大状況と自分の症状の両方の様子を見ようかと思ってる。

しかし、数日後に、どうしても歯科に行かなくてはならないことになった。
先週、フロスを使っていたら、左下8番のインレーが外れたのだ。
鏡の中でパコっと取れる瞬間を目撃したので、即座にブツを捕獲し、
いつもの歯科クリニックに電話したところ、
「次に来られる日に、その、取れたものを持って来てください」
とのことで、巧く行けば再びはめて貰うことで決着がつきそうだった。
三日後の朝イチの予約が取れた。
コロナの感染拡大中に、歯科治療はできるだけ受けたくなかったが、
放置すれば虫歯になるから、これは致し方ない。

更に、きょう、両親の居る某ホームの系列病院から電話があり、
父が、近々、外の眼科に行くことになった、と言われた。
ゆえに、私もそれに付き添って一緒に出かけなくてはならない。
父は前々から高血糖で、糖尿病網膜症を診て戴いているのだが、
このままでは失明する恐れがあるのでレーザー光凝固術が必要、
と診断され、その説明を聞いて父本人も治療を希望したそうで、
それならば、家族としても全く異存はなかった。
外の眼科で、予約制で、なるべく待たずに検査や治療ができるよう、
はからって下さるとのことだった。
日取りについては後日また、連絡があることになっている。

遊びに行ったり食事に出たり等は、既にすべて停止しており、
日常の買い物もなるべく控えるようにしているのだが、それでも、
こうやって次々と、出かけなくてはならない用事が入って来るので、
このあとしばらくは、完全StayHomeを実施することができない。
勿論、病院受診は「不要不急の外出」ではないから、
優先されて然るべきではあるのだが……。
更に、神社のほうも、お朔日から節分までは3日連続出る予定になっている。
私ほどStayHomeの得意な人間は、世の中、そうそう居るまいと思うのだが、
どうも、うまくいかないものね……(^_^;。

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このところ毎年、実家父の確定申告を、某税理士事務所に依頼している。
本人が耄碌(もうろく)していて、確定申告書類作成がもう無理なので、
実家宛に送られてくる源泉徴収票や各種書類を、
私がまとめて、某税理士事務所に送付している。
主たる収入は年金なので、全体としては大した金額ではないが、
若干、修正申告が必要な箇所があるのだ。
父の仕事は、出来上がった申告書が税理士事務所から送られて来たら、
見て、ハンコを押すことのみ。

私は、いろいろ苦手なものが多いが、経理作業はその中でも特に不得手だ。
もともと、小学生の頃から「おこづかい帳」が巧くいった試しがなかった。
自分が塾経営をしていて個人事業主だった頃も、
年間のルーティーンの中で、いちばんイヤだったのが税務だった。
領収証のたぐいの整理と帳簿つけが鬱陶しいうえ、
お役所書類がまた、各々勝手な時期に送付されて来るので(爆)
最終的に確定申告の添付書類になるものと、
経過報告として読んだあとシュレッダーにかければ良いものとの分類が、
どうも毎年、巧く行かなかった。
そして、どのみち大した所得でなかったので、
無駄な税金は1円でも払わないよう努めるべきだとはわかっていながら、
こんな小さな金額の処理のために私の短い人生の持ち時間が費やされて、
……と、これまたストレスがたまった。

現在は両親宛てに送付されて来る書類の多くを、私が管理しているので、
父と母とそれぞれのファイルを作って、
役所や保険会社から何かが送られてくるたびに、
とりあえず紛失しないよう、そこにぽいぽい入れて取っておくのだが、
いざ確定申告、という段になると毎年、
その中のどれが要るのか要らないのか、理解しづらく、困り果てる。
更に、肝心なものが見当たらないことがあって、焦る。

きょうなど、公的年金等源泉徴収票という、
根源的に大切なものがそのファイルに入ってなく、
おかしい、いくら捨てるのが早い私でもそれは無い、絶対あるはず、
と慌てまくって、あちこち探し、
ねんきんネットの源泉徴収票再発行申請のページまで読んだのち、
いつも私が持ち歩いているカバンの中に、その源泉徴収票の葉書を見出した。
そ、そうか、この前、実家に行ったとき郵便受けに届いていて、
取り込んだまま、今の今まで持っていたのねワタシ……。
会社なら12月の給与明細と一緒に貰うから、もっと前に来たものとばかり。
毎年経験しているのだが、なにしろ1年に一度しかないので、忘れるのよ。
覚えておこう、日本年金機構から源泉徴収票が届くのは、1月になってからorz

さて、確定申告準備の次にやっつけねばならないのは、
「高額介護合算療養費等支給申請書兼自己負担額証明書交付申請書」。
なんでこれ、毎年口座を登録しないといけないのかな?
(↑何をやっているのか、毎年、私には理解できていない)

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きょうは母は電話して来なかった。
こちらの普通の感覚(汗)では、昨日、母がいろいろ言っていたのだから、
「その後、どうかいね」
と私から電話をかけて、様子を尋ねるのが良いと感じているのだが、
実のところ、両親とも、かかってきた電話にはほぼ応答せず、
一方的に自分からかけることしか出来なくなっているし、
前の話の続きのつもりで私が何か話をしても、ついて来られない、
ということが、体験的に私にはわかっている。

両親との会話は、二人がそれぞれの頭の中に今あることを唐突に話し、
私がそれに対し、必要な、或いは、あたりさわりのない返答をする、
という順序でのみ、成り立つのだ。
このように柔軟性や適応力を失うのが、老化というものなのだろうと思う。
仕方ないね、90過ぎまで生きて来たのだからね……。

ということで、こちらから電話して二人を刺激するのは止め、
次の電話がかからない限りは、私も静かにしていることにした。
昨日のように頑張って昼食を差し入れしても、全く記憶に無いらしいし、
「そのとき二人が楽しかったのなら、いいのだ」
と思いはするものの、全く空しくないと言ったら嘘になる。
私も別に、頑張る必要は無いのであって、
できるときに、できることだけやれば十分なのだよな、
と以前も思ったことを、今日もまた思った。
持続可能な対応をする、ということで(^_^;!

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神社の提灯を新調する・しない、に関する総代会幹部の話し合いがあって
午後から社務所に行ったら、途中で母から電話が入った。
きょうはいつものように、デパ地下で調達した昼食を
神社への道すがら、両親の居る某ホームの受付に預けたので、
それを食べたという電話かと思って、出たら、……まるで違った。

母「ちょっと!私、帰られへんようんなって、困っとぉねん」
私「……今、どこにおんねん?」
母「どこて、ここに居るんやけど、どないしたら家に帰れるん?」
私「今は、コロナも流行っとって危ないし、そこに居るんがええんよ」
母「せやけど、ここにおっても、晩ご飯が出るかどうかわからんし、
 家に帰って、ご飯せな。
 言うても、ここに来る前はどないな家におったか、思い出せへんのやけど」
私「(想定は村の自宅かな?神戸かな?)昼御飯はどうしてん?もう食べたんかい?」
母「昼て、なに?」
私「私がきょう、さっき、昼前、差し入れしたやろ?」
母「知らん。お父さんは知っとぉかね」
私「………(そーなっちゃった訳ね(^_^;)」
母「とにかくね。いつまでもここにおられへんし、
 晩ご飯が出るやどやらわからんし、はよ、家に帰らなと思うて。
 家に帰って、せなならんこともあるし」
私「何が気になっとる?何をせなならんかな」
母「娘と話をせなならんし」
私「……今、誰と話、しとぉねん(^_^;?私は誰や?」
母「あんたやったな(笑)」

母の話はおおまかに言っていつも「御飯」がトピックなのだが、
過去には「飯が不味い」話が主流だったのに、
今や「晩ご飯が出て来ないかもしれない」話に移り変わったようだった。
「まだ御飯食べとらん」はボケ老人の典型やな(^_^;。

私「そこは、食事付きで契約しとんのやから、心配せんでも、
 晩ご飯はちゃんと出るよ」
母「あんたそんな安請け合いするけど、仮に今晩は出てもやね、
 明日の朝、ちゃんと出るかどやら、わからへんやん」

私はほぼすべてを諦め、「そうなんですね」「大丈夫ですよ」系のあいづちを
それから延々と打ち続けたのだが、母は私の返答はどうでもよくて、
とにかく、「早く家に帰らなければ」「御飯が出ない」という話を
58分間に渡って反復した。

結局、私が、
「必ず晩ご飯は出る。明日の朝御飯も昼御飯も、そこで出る。
もし出なかったら、もう一度、私に電話をくれれば良い。
私から、そこの担当の人に言う」
ということで、このときは、まとめた。
そして母は、私に、(自分からかけてきたのに)携帯の電話番号を教えろと言い、
私が言った私の携帯番号を、
「せやから、あんたの番号は……」
と通話中に幾度も繰り返し自分で言い、私にも言わせた。

それから、夕方、私がマンションに帰り着いた途端に、
今度は家の固定電話が鳴った。出ると、またしても母で、
あれだけ携帯の番号を確認したのは何だったんだよと思ったが、

母「今、部屋に帰ってきたら、『お荷物お預かり票、21年12月19日』
 いうのが出てきて、あんたの名前が書いてあって、『昼食』てあるねんけど、
 私、これの御礼言うたかいね?」

と、これまたなんとも珍妙な用件であった。
去年のその日は、確かに私はホームに昼食を差し入れしているのだが、
そのときの記録票がなぜか捨てられずに残り、今頃、母の目に留まったようだった。
そんな、一ヶ月も前のものが発掘されるのに、
きょうの『お荷物お預かり票』=『昼食』の痕跡は全く残ってないのか。
ホントに無かったことになってんな?

母は、昼過ぎの電話のことももう覚えていないのか、
無事に晩ご飯が出たという報告もなく、
ただ、その『お荷物お預かり票』について、
私に確かめ、礼を言ったかどうかと繰り返し尋ねた。
同じ質問に十回以上は同じように答え、母は、
自分は本当に駄目になった、もう何もわからんようになった、
と嘆いて、通話を終わった。

母、92歳、いよいよ壊れてきましたな(^_^;。
それだけのトシなんだから、ブっ壊れても全然いいよと思うのだが、
その結果、お花畑にならずに不穏になるのは、どうにも、気の毒だな。

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・KF94マスクを買い足し、抗原検査キットもamazonで買った。
私は無症状者の「安心のため」の検査には全く意義を見出していないが、
今後、自分や家族が、感冒様の症状が出て来たり、
発熱したりするようなことがあったときに、
コロナか?違うか?と何日も布団の中で悶々とするよりは、
とりあえず家で調べられるほうが、精神安定のために良いだろうと考えたのだ。
感度の信頼性については疑問もないことはないが、「無いよりマシ」かと。
Queenのブライアン・メイ博士も、先日、微熱や咳が続いたとき、
毎日ご自分でテストされていたことだし(^_^;。
医療機関ではそろそろPCRの試薬が枯渇してきたと報道されていたので、
今の感染拡大状況なら、いずれ抗原検査キットも尽きて来るのでは。
こんなものでも、買えるのは今のうちかもしれない。
これが、使うことなく「無駄になった」と言えるようならラッキーだな。

・厚労省は、コロナワクチン3回目接種スケジュールを前倒しする方針、
と報道されているが、広島市のサイトを見る限り、大きな変化はない。
うちの90歳超の両親にさえも、まだ接種券は来ていないし、
主人と私は、それぞれ肝臓疾患と高血圧の基礎疾患があるが、
3回目接種については「一般18歳以上」の枠にしか入らないので、
前回接種から8か月経過するまで接種できないことになっている。
つまり4月後半まで打てない訳で、それだと第6波は終わっていそう(汗)。
私はそれでも、籠もっていろと言われればだいたい籠もっていられるが、
主人のほうは、勤務を減らしたとはいえ、完全に在宅にはできないので、
今の広島市の方針は、あまり嬉しくない。
そもそもなぜ接種券が要るのだろうか。
2回目までの接種済み証明書とID(免許証など)があれば十分なのでは?
ワクチンそのものの確保がまだ出来ていないのか、とも思うが、
この期に及んで絶対に打たないと決めている人たちが一定数は居るのだから、
彼らの1回目2回目用に確保されているワクチンを、使用期限の来そうなものから、
3回目接種希望者のために使用しても良いのではなかろうか。もうやってる?
3回目は半量で良いのだから、相当な人数に打てるはずだし、
打てるところから、今あるものを早く回して貰いたいものだ。

・それにつけても、どうしてコロナ関連の治療薬は
こんなに名前が発音しづらいのだろう。
モルヌピラビル、エンソビベプ、トシリズマブ、ソトロビマブ。
二度と言えるか!
パクスロビドだけようやく覚えた。語尾がCovidと同じだったので。

後日記:パクスロビドの製品名はパキロビッドになった。それ誰!?

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