神社の提灯を新調する・しない、に関する総代会幹部の話し合いがあって
午後から社務所に行ったら、途中で母から電話が入った。
きょうはいつものように、デパ地下で調達した昼食を
神社への道すがら、両親の居る某ホームの受付に預けたので、
それを食べたという電話かと思って、出たら、……まるで違った。
母「ちょっと!私、帰られへんようんなって、困っとぉねん」
私「……今、どこにおんねん?」
母「どこて、ここに居るんやけど、どないしたら家に帰れるん?」
私「今は、コロナも流行っとって危ないし、そこに居るんがええんよ」
母「せやけど、ここにおっても、晩ご飯が出るかどうかわからんし、
家に帰って、ご飯せな。
言うても、ここに来る前はどないな家におったか、思い出せへんのやけど」
私「(想定は村の自宅かな?神戸かな?)昼御飯はどうしてん?もう食べたんかい?」
母「昼て、なに?」
私「私がきょう、さっき、昼前、差し入れしたやろ?」
母「知らん。お父さんは知っとぉかね」
私「………(そーなっちゃった訳ね(^_^;)」
母「とにかくね。いつまでもここにおられへんし、
晩ご飯が出るやどやらわからんし、はよ、家に帰らなと思うて。
家に帰って、せなならんこともあるし」
私「何が気になっとる?何をせなならんかな」
母「娘と話をせなならんし」
私「……今、誰と話、しとぉねん(^_^;?私は誰や?」
母「あんたやったな(笑)」
母の話はおおまかに言っていつも「御飯」がトピックなのだが、
過去には「飯が不味い」話が主流だったのに、
今や「晩ご飯が出て来ないかもしれない」話に移り変わったようだった。
「まだ御飯食べとらん」はボケ老人の典型やな(^_^;。
私「そこは、食事付きで契約しとんのやから、心配せんでも、
晩ご飯はちゃんと出るよ」
母「あんたそんな安請け合いするけど、仮に今晩は出てもやね、
明日の朝、ちゃんと出るかどやら、わからへんやん」
私はほぼすべてを諦め、「そうなんですね」「大丈夫ですよ」系のあいづちを
それから延々と打ち続けたのだが、母は私の返答はどうでもよくて、
とにかく、「早く家に帰らなければ」「御飯が出ない」という話を
58分間に渡って反復した。
結局、私が、
「必ず晩ご飯は出る。明日の朝御飯も昼御飯も、そこで出る。
もし出なかったら、もう一度、私に電話をくれれば良い。
私から、そこの担当の人に言う」
ということで、このときは、まとめた。
そして母は、私に、(自分からかけてきたのに)携帯の電話番号を教えろと言い、
私が言った私の携帯番号を、
「せやから、あんたの番号は……」
と通話中に幾度も繰り返し自分で言い、私にも言わせた。
それから、夕方、私がマンションに帰り着いた途端に、
今度は家の固定電話が鳴った。出ると、またしても母で、
あれだけ携帯の番号を確認したのは何だったんだよと思ったが、
母「今、部屋に帰ってきたら、『お荷物お預かり票、21年12月19日』
いうのが出てきて、あんたの名前が書いてあって、『昼食』てあるねんけど、
私、これの御礼言うたかいね?」
と、これまたなんとも珍妙な用件であった。
去年のその日は、確かに私はホームに昼食を差し入れしているのだが、
そのときの記録票がなぜか捨てられずに残り、今頃、母の目に留まったようだった。
そんな、一ヶ月も前のものが発掘されるのに、
きょうの『お荷物お預かり票』=『昼食』の痕跡は全く残ってないのか。
ホントに無かったことになってんな?
母は、昼過ぎの電話のことももう覚えていないのか、
無事に晩ご飯が出たという報告もなく、
ただ、その『お荷物お預かり票』について、
私に確かめ、礼を言ったかどうかと繰り返し尋ねた。
同じ質問に十回以上は同じように答え、母は、
自分は本当に駄目になった、もう何もわからんようになった、
と嘆いて、通話を終わった。
母、92歳、いよいよ壊れてきましたな(^_^;。
それだけのトシなんだから、ブっ壊れても全然いいよと思うのだが、
その結果、お花畑にならずに不穏になるのは、どうにも、気の毒だな。
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