転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



何をどこまで書いたっけか(汗)。
すったもんだあったが、準確定申告は修正申告まで含めて終わった。
某税理士事務所にたいそうお世話になった。

それから土地の登記も、某司法書士事務所に丸投げして、完了した。
登記ができた途端に、司法書士さんからの連絡より早く、
見知らぬ不動産屋さんから私宛てに、
「このたび相続された土地の運用について相談に乗ります」
という趣旨の封書が来た。なんと素早いのか。要らんけど。

あとは、前述の某税理士事務所にここまでの支払をすれば終わる、はず。
期間的には長かったが、相続と登記は税理士さん司法書士さんに任せ、
年金関係はJAに頼って、できる限りカネで解決した(←大袈裟)ので、
アシで解決した舅姑のときより、体力的にはラクだった。
また、私自身が相続人本人だったので、舅姑のときと異なり、
いちいち主人からの委任状が要るということがなく、
私の一存で動けて、私の身分証明書があればOKだったので、気楽でもあった。

それと今回は、法定相続情報一覧図の威力が半端なかった。
忙し過ぎてこの日記に詳細を記録していないようなのだが、
昨年11月末に、私は法務局に出向いて申請し、この書類の作成をして貰った。
被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本、除籍謄本、住民票除票
相続人全員の戸籍謄本、申出人の身分証明書、等々を法務局に提出すると、
数日で法定相続情報一覧図というものをつくってくれるのだ。
この一枚の紙キレが、相続手続関係全般に絶大な威力を発揮する。
被相続人と相続人各自の情報が、一目でわかるかたちにまとめられ、
法務局のお墨付きになっているので、
保険も銀行も税金も年金も土地登記も遺産分割協議も、
何もかもこれさえあれば万能なのだ。

主な法定相続情報一覧図の様式及び記載例(法務局)

調べてみるとこの制度は平成29(2017)年から始まったらしい。
ころもん氏が舅姑の相続をしたときは、まだこういうものが無かったので、
何か手続するたびに、いちいち謄本だの住民票だの揃えて提出していたのだが、
今は、法定相続情報一覧図を1枚出すだけで完璧な証明になり、
役所でも金融機関でもどこでも一発で通用するので、百人力だった。
しかも作成も発行も、コピー何枚頼んでも、すべて無料なので、
最初に10枚だったか大量に出して貰い、今でもまだ手許に残っている(^_^;。

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共済組合が父の源泉徴収票を送って来ず、
2月21日の「死後4ヶ月」という準確定申告に間に合わなかった。
仕方が無いので、そちらのほうはとりあえず期限までに提出だけ済ませ、
のちほど修正申告をするという段取りにしたのだが、
以後も全然何も言って来ないので、一体どうなっているのかと不審に思い、
本日、共済の広島支部に電話をしたら、
「届いている書類の中に無いですか?」
と大層な物言いだった。無いから電話しとるのだ(--#)。
無駄過ぎる質問だと思うが、そういうマニュアルになっとるのか(--#)。

それで、支部では書類の発送関係は管理していないからわからない、
そういうことは東京に訊けと言われて、
「この、前回の源泉徴収票の下に『支払者』として出ている東京の番号ですか」
と私が尋ねたら、その支部の担当者いわく、
「電話番号を言ってください」。
どうもこの人との会話は愉快でないと感じるのは私が悪いのだろうかね。
『東京のどこに訊いたらよいか、電話番号を教えてください』
と最初から私が訊けば良かったんだろうよね(--#)。

という次第で、改めて東京の公立学校共済組合本部に電話をした。
そうしたら、こちらの担当者との会話は何も不愉快なことは無く、
基礎年金番号や住所氏名生年月日等の確認のあと
今度こそきちんと照会が為されたのだが、その挙げ句、
「本日発送予定です」
と、出前か何かのような回答があった。

それが正しいなら、東京からは1日では来ないから週末をまたぐことになり、
昨今の郵便事情では、書類到着は順調に行って3月4日、いや5日か。
準確定申告には、もとから全然間に合わない話であったことが今更わかった。
手続を開始したのが11月1日だったが、源泉徴収票到着まで4ヶ月+4日?
死亡確認の直後にその場で電話していたとしても、
準確定申告に間に合わせることは不可能だったのだな(--#)。
また、このあと、母に、遺族年金があるかどうかの審査?が始まるそうで、
その結論が出るまでに、更にこれから2ヶ月くらいかかるとのことだった。

公立学校共済関係の手続は、ことほど左様に時間の要るものであることが
今回のことで、よくよくわかりました。
JAの年金担当の方の話では、一般論としてある程度時間はかかるが、
源泉徴収票は遅くとも1月中旬には来るだろう、と聞かされていたし、
事実、日本年金機構のほうは思ったより早く、年明けには送って来たので、
これなら共済組合のほうもそろそろ、……と、要らない期待をしてしまった。
2月の後半、もう来るか、今日こそ来るかと期待して、
連日、実家の郵便を確認しに通った私は、ただの物知らずであった(--#)。

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昨年10月21日に亡くなった父の、準確定申告の期限が、
死後4ヶ月以内となっているのだが、
未だに公立学校共済のほうの源泉徴収票が来ないので、
その分はとりあえず添付しないままで一昨日、申告を終えた。
これが後ほど到着したら、また修正申告をすることになっている。
日本年金機構の源泉徴収票は1月半ばには着いたのだが、
公立学校共済のほうは結局、間に合わなかった。
滑り込みでも届いてくれればと、先週は結構頑張って実家に通い、
日々、郵便物を改めたのだが、無駄足だった(--#)。

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その後、第二地方銀行Bと信用金庫C(イニシャルにする意味なし)は
どちらも郵送によるやりとりのみで、相続手続が完了した。
JAバンクは神社社務所のほうに担当者のかたが足繁く来てくださったので、
こちらは大変スムーズに終わった。
かんぽ生命は、最初、
「受取人御本人さま(=母)に窓口においで戴きませんと…」
とややこしいことを言っていたが、
94歳の母が車椅子で長時間外出するのは負担になるので、
私が以前、娘のかんぽ契約の件でお世話になった担当者の方に相談したら、
母の署名など事前に必要書類を揃えることにより、
我が家で手続して戴けることになった。

一昨日には、税理士さんからメールが来て、
そろそろ準確定申告の準備に入るので、
源泉徴収票や保険関係の書類など、揃えておいて欲しいと連絡があった。
揃っているかどうかはともかく(殴)、どれもこれも捨ててはいないので、
父死後関係の書類が入っている「だいじなもん箱」を掘り返せば出て来る筈だ。
当面、源泉徴収票が届いていないことだけが問題だが、
死後4ヶ月以内だから2月21日までまだあるし、多分なんとかなるだろう。
……あ~~、そろそろ私は自分の確定申告も用意しないといけないんだよな。
面倒だな~~~。

実家の光熱費関係は私の口座から落ちるように手続しなおし、
父の携帯電話と、母用に私名義で契約していたガラケーも解約したが、
実家の固定電話の承継の件だけ、まだ何も言ってこない。
12月4日に、0800-2000-116に連絡して手続の仕方を教えて貰い、
死亡診断書のコピーや私の身分証明書などの必要書類を、
口座振替申込用紙とともに鹿児島の加入センターに送る、
という段取りを教えて貰ったのだが、
未だに、記入用の口座振替申込用紙が送られてこないし、
鹿児島の加入センターがどこなのか、住所等も不明だ。
これって、もしかして自分で最寄りのNTTに用紙を貰いに行ったり、
送付先を調べたりして動かないと、始まらないのだったっけ?
この件は、再度電話して確認しないといけないかもしれない。

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目下、相続や準確定申告に関して、8つほど手続が同時進行中で、
私の頭の容量は限界を超えた(^_^;。
用件ごとにファイルに分け、オモテのいちばんよく見えるところに紙を貼り、
太い油性マジックで、「○○関係。○月○日updated」と大書してあるのだが、
その中に入っている書類の数や種類が、私の想定と食い違うことが頻発している。
どこに何の書類を提出していて、ゆえに手許には今、何が何通残っているとか、
どの手続がどこまで行っていて、いつまでに次の書類をどこに出す必要があるか、
等々が覚えられないどころか、手帳等をひもといても判然としない箇所が出てきた。

先日、手続を終えたばかりの某地方銀行の父の通帳2冊も紛失してしまい、
どこへやったのか、そもそもちゃんと持ち帰ったのかどうかも記憶がない。
もしかして、荷物整理をしたロビーの椅子の上とかに置いて来たのか?
ひとつ終わった段階で既に、「次は○時○分までに、どこそこに!あと○分!」
みたいな状態で動いていることが大半なので、気が急いてミスが増える(汗)。
まあ、死んだ人間の通帳なので、仮に金輪際出て来なかったとしても、
銀行に取引履歴の照会をすれば、取り返しのつくことではあるが。

 (後日記12月18日:通帳は紛失したのではなかった。銀行にあった。
 手続に出向いたときには返却されておらず、本日、各種手続完了書類とともに
 我が家に郵送されてきた。良かった(大汗)。)

ひとつには、同時進行の件数が、自分の許容範囲を超えているのが悪いのであり、
また、それらを自分のペースでやらせて貰えていないことも、大きな問題なのだ。
「きょうは、このくらいにしといたるワ」
というところまで、自分本位に作業して、片付けて、次に移ることが可能なら、
これほど混乱しない。
ひとつの作業を区切りまでやっていないのに、結構よく電話で中断され、
その電話の内容によってほかの件の確認が始まったりして、
そこまでやっていたものがどうなっていたのか、思考が途切れるし、
そのとき扱っていた書類束のうち、何枚かが行方不明になったりする。
更に、電話の中断で始まった二件目が終わらないのに、
総代長がやってきて別の用件を開始したりすることもあり、これまたキツい。

時期的に、神社のほうの年末年始の準備も加速度的に忙しくなっている。
うちの村の宮司の場合、本務社と兼務社があって二重構造になっているので、
それぞれ、何をいくつ・どこに発注して、いつそれらが届くのか
どれの支払がいつまでで、どれとどれが終わっているのか、等、
授与品に関する私の記憶と、社務所にある記録が食い違っており、
だんだん収拾がつかなくなってきた。
先日も領収証をひとつなくしてしまい、会計に提出できなくなった。
最悪は私がカブらなければならないだろう。

三が日の駐車場誘導のため、警備会社の手配もせねばならないし、
露天商の方には正月に関して、11月26日の総代会のとき電話はしたが、
まだ返事は来ていない、……という私の記憶は正しいんだろうかね(^_^;。
この日曜日は総代会で集まって正月準備をすることになっているので
そのほうの役割分担も原案をつくっておかなくてはならない。
運悪く、去年までこれ↑をやってくれていた総代さんが、
今年、よんどころない事情で辞めてしまい、
気がつくと私よりあとから入った総代さんのほうが多くなってしまって、
このテの「指示出し」みたいなことのできる人が、ほかに居ないのだ。
とにかくこの年末は分担して各自働いて貰うよ(--#)。
私の仕事は役割を分けてそれぞれ担当者に振るところまで(--#)。

気付いたことや、期日までに終える必要のある事柄は、
気を付けて社務所のホワイトボードに書き出すようにはしているのだが、
「え、○○どうなった!?」みたいな事件が先日来立て続けにあった。
12月30日くらいになって、何かとんでもないものが抜けていることが
発覚するのではないかと私は恐れている。
しかし、「とんでもないもの」が抜けていないかを確認するために、
丹念にここまでの仕事内容をチェックするような、時間的精神的な余裕もない。

とりあえず父の年金の手続は、(JA年金センターに丸投げしたので)終わった。
準確定申告については、お願いした税理士さんが、明日、家に来て下さるので
私がただただファイルに綴じた書類の、どれがいつ必要で、
どれは捨てても大丈夫かを、教えて頂けるだろう。
しかしまだ源泉徴収票が来ていないし、銀行関係も揃っていない書類がある。
「このあと○○が届いたら、いついつまでに――」みたいな指示をされても、
私はその期日や作業内容を、覚えていられるとは思えない。
もちろんファイルの表紙に大書し、TimeTreeにも入れておくのだが、
このあとはまた、ほかの複数の事柄の同時進行により、忙殺されるだろうから、
記録を適切なときに見て、ちゃんと記憶が繋がるかどうか自信がない(大汗)。

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某地方銀行、相続手続終了。
事前に銀行サイトを読んで、役所で取れる印鑑証明は揃えてあったし、
法務局で作成して貰った法定相続情報一覧図の御蔭で謄本類は要らず、
銀行独自の書類は自分の都合の良い日に予め貰っておいて家で記入し
すべてを整えてから窓口に行ったので、作戦として大正解であった。
きょう一度で綺麗に終わった。銀行滞在時間は受付から30分弱。
最初の予約のときは、二度来るようにと言われていたが、
何もかも出来上がった状態で行ったので、二度目は要らないことになった。
忙しいのに何度も何度も呼び出されてたまるか(--#)。

その帰り道にゆうちょ銀行に行って、残高証明も出して貰った。
これも昨日のうちに電話してあったので、用意できていた。
各々、最短時間で済ませて、本日午前中が終わった。
午後から神社方面へ出勤~~

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ゆうちょ銀行の相続手続が、きょう一発で終わった。
事前にサイトを見て、Web相続のページから必要な情報を入れ、
完成した文書をプリントアウトし、母の署名・捺印を貰い、
サイトで指定されていた印鑑証明書や法定相続情報一覧図、
私の身分証明書、等々を添えて最寄り郵便局の窓口に出したら、
15分程度待っている間に、すべて完了した。
行く前の予約も何も要らなかった。

このあと2週間ほど?で、手続き完了の通知が送付されてきて、
今回指定した口座に、父の口座にあった残金が振り込まれるそうだ。
以前、窓口であれこれ言われながらやった作業の多くが、
web上で情報を入力することにより終了していたので、
実際の手続は実に早かった。
転舅じーちゃん・転姑ばーちゃんのときの苦労を思えば、
今回は私自身が相続人(のひとり)であるという点を割り引いても、
破格の手際の良さだった。
こんなにスムーズにキモちよく終わるとは、望外の喜び(T_T)。


追記:「残高証明書」を貰って来るのを忘れた(^_^;。
これは私が書類を揃えて出向きさえすれば出して貰えるので、
このあとはいつでも大丈夫ではあるのだが、
シマッタ、うっかりしてここだけ二度手間になった。

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きょうは一日、何の予定も入っていなかったので、
ようやっと、総合福祉センターまで出かけ、
父の後期高齢者医療保険被保険者証・介護保険被保険者証、
介護保険負担限度額認定証、それに原爆被爆者健康手帳を、返した。
窓口では特に待たされることもなく、手続はスムーズだった。

返却のための書類と葬祭費請求の書類を書き、そのついでに、
準確定申告のときに必要になる社会保険料の支払総額について
後期高齢者医療保険・介護保険それぞれの納付額を表にしたものを
特にお願いして、出して戴いた。
後期分が11月に登録口座から引き落としされなかったので、
その分だけは反映されておらず、家族宛に請求が来ている筈だと言われ、
帰宅後に確認したら、既に私は払っており11月23日付けの領収証があった。
もう、いろいろなものが次々と来るので、右から左に処理していて、
何をいつどうしたか、個々の記憶がろくに無いのだった(^_^;。

ときに、原爆手帳については、最初の頁に「返還処理済」の印が押され、
「お形見に、また二世の証明に」
と、そのまま私のほうに返された。

 法第1条による区分 第1号
 被爆時の年齢 満14歳 
 被爆の場所 広島市段原町 爆心地から1.6キロメートル
 手帳交付年月日 昭和41年10月29日

検索してみると、制度としての手帳交付は昭和32年に始まったとあるので、
父がこの手帳を受けたのは、それから10年近く経ってからのことだ。
初めて原爆手帳を受け取った日、父は、どんな思いであっただろう。
……と改めて考えたが、あの頃、父の世代の広島市民で、
被爆者でない人のほうが珍しかっただろうから、
手帳を持つのは特別なことでないどころか、
貰えないとしたらそのほうがよほど問題だっただろう。
無事に交付が受けられて良かった、とむしろ安堵したかもしれない。
手帳交付のためには、罹災証明や、証人2名が必要、とある。
父の被爆は、どのようなかたちで認定されたのだろうか。
そのあたりについて、父から話を聞いたことは一度も無かった。
父は、語り部になることを拒否し、原爆資料館には生涯、足を踏み入れなかった。

父は、被爆直後こそ、頭部の火傷と放射線障害性心膜炎で寝込んだが、
回復してから後は、極めて健康に過ごすことができ、93歳の長寿を全うした。
多くの幸運と、篤い支援に恵まれた御蔭であったと思う。
有り難いことであった。
このあと、父の名は、原爆死没者名簿に記帳・登載されることになる。

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11月1日、父が死んで10日・葬儀から1週間あまり経った日に、
いつもお世話になっているJAの地元支店の人に実家に来て戴き、
年金関係停止その他の手続をしたのだが、本日、税理士さんから、
「準確定申告に源泉徴収票は間に合いそうですか」
という内容のメールが来て思い出し(爆)、改めてJAに確認してみた。
すると、年金の源泉徴収票の送付までには通常、時間がかかり、
準確定申告に間に合わない可能性が結構ある、とわかった。

そもそも、年金の源泉徴収票は、年金受給を停止する手続きをしても、
送付されるまでに2~3ヶ月ほどはかかるものだそうで、
しかも父は、学校の先生だったことがあるので、
日本年金機構のみならず、公立学校共済組合との二本立てとなっており、
それぞれで手続完了される必要があった。
JA年金センターから勿論その両方に連絡し書類も出して貰っていたが、
まだ1ヶ月では、さすがに完全に手続完了することは期待できなかった。
念のため公立学校共済組合本部にも、直接電話で尋ねてみたが、
「書類手続が終わるまで源泉徴収票は発行しません」
と、とりつく島もなかった。

JA年金センターと税理士さん各々に状況を話して尋ねてみたところ、
死後4ヶ月の期限に間に合わない場合、まずは昨年度の源泉徴収票をもとに
ひととおりの準確定申告を行い、そのあと正式な源泉徴収票が到着してから、
改めて修正申告をする、という順序でも出来るとのことではあった。
そのほかの、給与所得の源泉徴収票や、生命保険料控除証明書は家にあるし、
後期高齢者医療保険、介護保険関係の資料についても、
恐らく区役所に尋ねればなんとかなるだろう。…なって欲しい(^_^;。
公的な書類手続の話で、数字が曖昧になることはない、というのが救いだ。

いやはや、人がひとり死んだ後始末は、やはりラクではないなorz


追記:12月7日、JA年金センターのほうから、手続書類の提出は既に完了し、
あとは日本年金機構と公立学校共済組合の、各々の処理スピード次第、
という主旨の連絡があった。
それでも、遅くとも1月中旬には、いずれの源泉徴収票も送付されて来る見込みで、
2月21日が期限の準確定申告には間に合う筈、とのことであった。

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亡き父の銀行口座をいつまでも放置しておけないので、
相続手続を開始したい旨、各々金融機関に連絡した。
既に口座は凍結されて光熱費等の引き落としが止まっているのに、
このままでは私は怒濤の年末年始行事に突入して
ヘタをすると節分まで身動きできなくなってしまう。
私が提出できる書類等の部分だけでも、今のうちに早く済ませたかった。

この件の、そもそも始まりは本日ではなく、先週金曜日の午後だった。
たまたま、出先で、地元では最も大きな地方銀行Aの支店を見かけ、
手続のとき必要な書類だけでも先に貰えないかな、
と思って入って行った、
――のだが、今にして思うと、これはちょっと失敗だったのでした(^_^;。

これの前の日、私は事前に各々の銀行のサイトで、
相続手続がどうなっているか、どのような書類が必要か、調べてあった。
できるだけ用意しておきたかったし、予め記入できる書類は仕上げて、
手続の日に持参して、なるたけ一度で終わるようにしたかった。
謄本類や印鑑証明は既に取ってあったので、
「相続手続依頼書」及び「残高証明発行依頼書」という、
銀行独自の書面について、事前に受け取って帰り、家で記入して来れば、
実際の手続がスピーディーになるのではと考えたのだった。

そうしたら、そこからいきなり相続手続が始まってしまった。
私はそもそも、入口ドアを入って最初の受付の箇所で、
「口座名義人だった父が先日、亡くなりまして。口座は既に凍結されています。
きょう相続手続をするつもりはなく、ただ、事前に戴ける書類があるなら、
家で記入して、後日改めて手続に来たいと考えて来たのですが、
『相続手続依頼書』と『残高証明発行依頼書』というのは、貰えますか?」
と言ったのだが、言い方が間違っていたのだろうか(汗)。
故人の名前や生年月日、親族関係などを記入するよう紙を渡され、
「いや、この場で相続手続を開始するために来たのではないのですが」
と再度、言ったのだが、
「ええ、それ、書いて貰うだけですから、とりあえず、それだけですから!」
と言われて、書かされることになった。

記入が終わると、待つように言われ、これがまた結構な時間がかかり、
シマッタことをした、来なければ良かったな、
と思い始めた頃、呼ばれて、奥の衝立の陰の椅子に案内された。
そこでまた、別の係員の男性が登場し、相続手続についての説明を始めた。
そういうことはサイトで読んで来たのだが、と思ったが頑張って拝聴した。

この件に関係ないが、この方はノーマスクだった。
私のほうはマスク着用していたので、私から何かをこの方にうつす心配は、
とりあえずしなくて良かったが、毎日どんな人が来るか分からないのに、
こんな狭い空間で鼻突き合わせているのって、気にならないのだろうか。
インフルだって今まさに警報発令中なのだが……。
――などということは、しかし、私はおくびにも出さなかった。
「この状況だと、できればマスク着用なさったほうが…?」
などという意味のないお節介は私は言わない。
ただただ内心の自由はあるから、心で思っているだけだ(^_^;。

で、その日私は、法務局で「法定相続情報一覧図」の作成を申し込むつもりで、
父の除籍謄本類や住民票除票など一式をたまたま持って来ていたので、
それがあるならコピーを取らせてくださいとその係員さんに言われ、
拒否する理由もないので従ったら、またまた20分くらい待たされることになった。

「お待たせしました」
とようやく彼が戻ってきたので、私は再度、
「きょう手続をするつもりはなく、事前に戴ける書類があるなら、
家で記入してから改めて手続を開始したいと考えて来ただけと、
さきほども申しましたのですが。
『相続手続依頼書』と『残高証明発行依頼書』の紙を戴いて帰り、
自宅で必要な箇所を記入して、後日あらためて、
自宅最寄りの支店に出向く、というのは駄目なんでしょうか」
と尋ねた。

「そういうことだったんですか!」
と彼は初めて聞いたらしく、急いで奥へ引っ込み、
私の言う2種類の書類を携えて戻って来た。
そして、これらを記入し、印鑑証明や実印、通帳などを揃えて、
手続に行く支店には事前に必ず電話をして日時を予約し、
改めて行ってください、と言った。
どこの支店に行く予定かとも尋ねられたので、
自宅の最寄り支店を答えたら、彼は、
「では、きょう戴いたコピーは、そこへ送っておきます!」
とも言った。
それは有り難いことだった。
少なくとも、戸籍謄本類提出はこれで済んだことになるだろう。

――という出来事があったうえで、私は今日改めて、
自分が近日中に出向こうと思っているA銀行某支店に電話をかけた。
大きな銀行なので致し方ないが、
電話が繋がるまで結構待たされ、上記のいきさつを簡単に話したら、
「ウェブでも来店予約はできるんですよ?」
と言われ(必ず電話しろと言われたから、それに従って電話したんだがよ)、
書類が来ているかどうか調べて、折り返し電話すると言われてまた待つことになり、
10分くらいして、確かにコピーが届いていた由、連絡があった。
そして、相続手続のためにはこれから二度、店頭に出向く必要がある
ということがわかった。
二度もか!とガックリ来たが、その場でその二度をいつにするか予約を取った。
私が動ける日など限られているのだ。

ちなみに、第二地方銀行Bと信用金庫C(イニシャルにする意味なし)は、
電話してみたところ、希望すれば郵送だけですべての手続ができるとわかった。
望外の有り難さであった(涙)。
私の休日が消費されないし、母の自筆署名も私の都合だけで取りに行ける。
その他、父の口座はJAとゆうちょ銀行とがあるが、
JAは係の方が、実家でも私の自宅でも来てくださるので超簡単、
ゆうちょ銀行は事前の予約が要らないので、
私の時間ができたとき、突然行っても大丈夫なことがわかった。
更に、ゆうちょ銀行はサイトに、銀行独自の書類もアップされており、
貰いに行かなくてもダウンロードして準備して行くことができる。

相続人は母と私しか居ないし、全部母の口座に移して貰っても構わないので、
今わたしが知りたいのは、どうすれば最も簡単に終わらせられるかだけだ。
折しも、法務局が予定より遙かに早く「相続情報一覧図」を完成させてくれたので、
きょうの夕方、所用で出たついでに受け取ってきた。
法務局は、これの作成を受け付けたとき、その場で戸籍と照合したうえで、
「これでも違うところとか訂正箇所があったら、こっちでなおしときますね」
「2週間以内にお渡しできる予定ですが、早くできたら電話します」
ととても現実的なことを言った。
数ある役所に手続に行ったが、法務局では嫌な思いをさせられたことが無い。
話が一発で通じるし、言ったことが忘れられず、かつ仕事が早いので、
私は広島法務局だけは高く評価している(何サマ)。

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