転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



オスカー女優ハル・ベリー、批判を受けトランスジェンダー役を降板(ねとらぼ)
『ハルは生まれたときに割り当てられた身体的な性別と、自分で認識している性別が一致している「シスジェンダーの女性」として、「自分はこの役を引き受けるべきでなかった」と謝罪。この役は実生活でもトランスジェンダーの俳優が「自分のストーリーを世の中へ伝えるために生かすべき機会」だと述べ、寄せられた厳しい意見にも感謝。今後は勉強を心掛け、またマイノリティーの支援者として公私にわたって自分の発信力を生かしたいと表明しました。』

私は自分自身が演じる側にまわったことはなく、
もっぱら、舞台を観るためにお金を払う側だけをやってきたが、
こういう話には全く共感できない。
本人の属性など、本来的には役に関係がないと思っている。

仮に、同じような力量や魅力を持つ俳優が二人いたとして、
トランスジェンダー役をやるのに、実生活でもトランスジェンダーの役者のほうが、
より観客の心に迫る演技ができるのではないか、という判断で、
トランスジェンダー役者が最後に選ばれた、という話であれば私は頭から否定はしない。
或いは、トランスジェンダー役者が、『自分のストーリーを世の中へ伝える』ことが
自分だからこそできる、と主張するなら、それはその通りだろうとも思う。

しかし『性的少数者のキャラクターを、ストレートの男性や女性が演じること』そのものに
問題があるとは、私は思わない。
本人の身体的な性別や自覚的な性別の問題は一切伏せた状態で、
役者としての資質のみを決め手に、キャスティングをして貰いたいと私は思っている。
他のあらゆることを敢えて捨象して言うならば、トランスジェンダー役は、
下手なトランスジェンダー俳優が演じるよりも、
巧いシスジェンダー役者に演って貰いたい、
というのが私の感覚だ。
この記事のような話に従うなら、逆に性的マイノリティの俳優は、
ストレートの男性・女性の役を、引き受けるべきではないということになるのかね?

舞台上で表現されるものが、観る側の心に
なんらかの影響を及ぼすところが、芝居の力であり素晴らしさだ。
実物通りに、リアルであるのが「巧い」ということではない。
観る側に「そうか!そうなのか!」と深い納得を与えられるなら、
たとえ舞台上のものが現実と掛け離れた表現をしていてさえも、いっこうに問題ではない。
駆け抜ける演技をするのに、必ずしも実測として速いタイムで走る必要はないのだ。
まさに疾走しているという手応えや迫力を観客に感じさせるかどうか、のほうが大切だ。

舞台で実現されているものが、演者が本当はどういう人間かという前提に
最初から左右されるとしたら、随分とお粗末な話だと、一観客としての私は思う。
私は、そんなもので夢は見られない。
もっと、何もかもを、忘れさせてくれなくては!
そもそも、東洋人の女性ばかりで男の格好をしたり西洋のドレスを着たりして
日本語で「ジェロ―デルさん」「ソフィアさん」とやっている宝塚歌劇なんて
それじゃ一体どうしたら良いのか。


後日記:こちらの記事には、今回の件の背景についてもう少し詳しく出ていた。
ハル・ベリー、トランスジェンダー男性役を「女性」と表現して批判殺到。謝罪、役の降板も発表(HUFFPOST)
『動画が配信されると、ベリーが「トランスジェンダーの女性」「女性の物語」と発言していたことについて批判が殺到。』『性自認が「男性」の役であるにも関わらず、「She」や「Her」(彼女)という女性を表す代名詞を使っていることに、「トランスジェンダー男性は『男性』で、誤った認識をしている」と指摘する声が相次いだ。』『こうした批判の背景には、トランスジェンダーの俳優に、シスジェンダーの俳優と同等のキャスティングのチャンスが与えられていない、という問題がある。』

ハル・ベリー自身の役の捉え方に問題があったということと、
トランスジェンダーゆえに不公平な扱いを受けている俳優たちが居るということ、
こうした事情が、今回の降板騒動の背景にあったということだ。
役の解釈は役者本人の問題だし、
才能ある役者がトランスジェンダーだというだけで仕事ができないなら、
それは社会的に解決されなければならないことだと思う。
しかし観る側としての私の望みは、芝居を観て手応えを得たい、という点に尽きる。
役者の個人的プロフィールに私は一切、関心がない。
「役の設定と同じことを経験したことのある役者のほうが、
そうでない役者より本物なのだから、巧いに決まっており作品のためになる」
とは私は思わない。

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歌舞伎座タワーから降りて、新橋演舞場へ。
愛之助が座長を務める『コメディ・トゥナイト!』。

愛之助主演で設定も江戸版だが、飽くまでこれはミュージカルだ。
愛之助は元来が芸達者だし、今を盛りの活躍ぶりなので、
主演者としての彼に不安は(笑)無かったのだが、
私は作品的にこれがどういうものか知らず、
本当に楽しいかどうか?と多少あやぶんでいた。
だいたいがアメリカン・ジョークはよくわからないのが多いから、
ブロードウェイ・ミュージカルのコメディを私が楽しめるかどうかは、
甚だ心許なかった。
期待し過ぎては後の落胆が怖いじゃないかと、警戒していたのだ。
「笑う回数」で私にとって最高なのは、やはり吉本新喜劇ですよ(爆)。

歌舞伎で愛之助を知った者としては、彼の歌が巧いことに感心させられたが、
内容はある意味で思った通り(汗)、まず、一幕は極めて普通だった。
楽しい舞台なのは認めるが、腹を抱えて笑うというような内容ではなく、
一歩誤るとただのアチャラカになりそうな脚本だな、
愛之助のためにはそのようなものになって欲しくないよな、
なんとかしてよ宮本亜門、…と観ながら心の中で汗をぬぐう思いだったが、
二幕の、それも後半になって俄然テンポがよくなり、
笑いながらも「なるほど!」と膝を打つ展開で、納得の幕切れになった。
終わり良ければ全て良し、一幕があってこその二幕、
と最終的には思ったが、やや忍耐が要ったね(^_^;。

この日の夜の部は、高橋ジョージ、ダイアモンド☆ユカイ、ルー大柴、
によるアフタートークもあり、なんとそこで出演者自ら、
「一幕はタルい」(爆)という意味のことを発言していたので、ウケた。
やはりそうなのか、演っている本人たちも!!
オリジナルの脚本を変えられないので、これは如何ともし難いのだそうだ。
ただすべては二幕の大団円のために必要な説明なり布石なのであり、
トータルで楽しむためには結局、一幕の内容も必然、
と出演者たちも言い、私の感触は間違っていなかったことを知った(^_^;。
このアフタートークはダイアモンド☆ユカイと高橋ジョージがギターを弾き、
ルー大柴が歌って踊るという、本編とは別の趣のセッションもあり、
これまた大変楽しめた。

ロビーでは藤原紀香さんをお見かけした。
このうえなくお美しかった。
和服姿でお客様に笑顔で丁寧にご挨拶されていて、
すっかり梨園の奥様として振る舞われていた。
ロビーのその一角だけ、光り輝いているかのようだった。
あまりのお綺麗さに感銘を受け、その場でしばらく見とれていた。
初めて藤純子さんを間近で見たとき以来のショーゲキだったね(逃!)。

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『華岡青洲の妻』千秋楽。

市川春猿改め河合雪之丞の加恵が本当に良かった。
私はこの芝居四幕の間、河合雪之丞の造型した「加恵」という女性に
強く惹きつけられ、役者のことも作品の背景のことも忘れて見入った。

きょう何を観るかで、実は結構迷っていたのだが
これは観ておいて良かったと思っている。
新派を観たのは二十数年ぶりだったと思うが
やはり良い女形が出ると新派ならではの
舞台空間の広がりと華やぎが生まれるものだなと感じ入った。

ちなみに、機織りや糸繰り、つづらや蓑・傘など
当時の道具や風俗を舞台で丁寧に見せて貰えたことも、大変興味深かった。
於継が着物を着替えるところや、髪を手直しするところなども、
時間をかけた演出になっていて、リアリティがあった。
新派そのものはまさに虚構の上に成り立っている舞台芸術であるのに。

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歌舞伎座に行く前に、17日昼の部の『嵐が丘』@日生劇場 を観た。
堀北真希の演技を観ていてつくづく感じたのは、
キャシーは何らかのパーソナリティ障害だったのだな、
ということだった。
我が儘とか激しい気性という程度では説明のつかない、
根深い「認知の歪み」が彼女の中にはあり、
それが終生、彼女から心の安定を奪い続けたことを、
今回、私は堀北真希の演技の随所で感じた。

キャシーの目に映る「真実」は、ほかの大半の人にとって
手のつけられない、こだわりのようなものでしかなく、
それを共有してくれるのは、同じく居場所のないヒースクリフだけだった。
ヒースクリフとキャシーの恋愛は、だから劇的な愛憎というより、
一種の共依存だったのだと、観ていて合点がいった。
愛情がないわけではないのに、ふたりでいると些細なことが問題になり、
すぐに激しい言葉でやりあって傷つけ合ってしまうという構図に、
何か見覚えがある気がして仕方がなかったのだが、改めて考えてみると
あれは映画『シド・アンド・ナンシー』を観たときの気分にそっくりだった。
メンタル面での問題ゆえに、キャシーは、そしておそらくヒースクリフも、
いつも不安定で激しく衝突するような人間関係しか、築けなかったのだ。
『嵐』とは、キャシーとヒースクリフの心の病のことだった。
私は、齢五十にして初めて『嵐が丘』の世界観に納得できた
堀北真希×山本耕史は、かなり、偉大だったかもしれぬ(笑)。

もうひとつ、大きい役ではないがヘアトンの矢崎広も印象に残った。
キャシー的な歪んだ世界に身を置くべくして生まれたヘアトンが、
そこから脱却し、日だまりのような日常を手にする過程が
観ていてとても自然に伝わって来た。
病的なキャシー世代と好対照をなす存在として、
若いヘアトンと幼キャサリンのカップルが配置されており、
彼らの姿が、この閉塞感の極みのような物語の中で、
最後に大きな救いになっていることがわかった。


……歌舞伎公演情報を見るためにチケットWeb松竹のページに行って、
偶然知った舞台だったのだが、これは観た甲斐があったと思った。

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昨日は、Studio Lifeの公演を久しぶりに観た。
ディケンズの『大いなる遺産』。

贔屓の役者さんが観たいというのではなく、
今の私はStudio Lifeの芝居の面にとても関心があるのだ。
今回も期待に違わぬ見応えのある舞台で、
出かけた甲斐があったと、満足することができた。

昨日の13時公演は、アフタートークもあり、
『男たちの禊ぎ』というテーマで、
役者さんたちが過去の舞台の失敗談を披露し、懺悔した。
今となってみればどれも可笑しいばかりだったが、
僅かなミスや、台詞ひとことの間違いで、
芝居全体が台無しになってしまったという話を聞きながら
生舞台というのは本当に取り返しのつかないものだなと
今更ながら、思った。

************

さて、今年も残すところ五時間ちょっととなりました。

お世話になりました皆様、
楽しい時間をご一緒に過ごさせて下さいました方々に
改めまして心よりお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
そして、来年もまた、どうぞよろしくお願い致します。
いっそう楽しい舞台、すばらしい音楽に、出会えますように。

どうか、良いお年を。

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27日夕方に東京に来て、目下、休暇を満喫している。

着いてすぐ、東京駅からそのまま日比谷に直行し、
東京宝塚劇場、……ではなく(笑)、日生劇場に行って、
西川貴教の主演する『ヴェローナの二紳士』を観劇した。
巷の評判は知らないが、私にとっては、
正直に言うと、どうも釈然としない内容のミュージカルだった。
西川氏の歌唱の魅力は相変わらず強烈なものがあったが、
私はたぶん、宮本亜門を理解できないということなのだろう、
と見終わって思った。
発見は、きりやん(霧矢大夢)の舞台姿が破格だったことだった。
彼女が出ると舞台の輝きが違った。
きりやんは、もちろんもともと才能に恵まれてはいたのだが、
それに加えて、宝塚の舞台で鍛え抜かれたのだなと改めて思った。

その翌日、28日は、寝坊して起きたあと、
午後からオーチャードホールでキエフ・バレエを観た。
『レ・シルフィード』と『シェヘラザード』。
年の瀬の昼下がり、美しい音楽に包まれて優雅なバレエを観る、
という夢のようなひとときだった。
地方にいると、生のバレエを観る機会は本当に少ないので、
私はその雰囲気だけでも十分に満たされて幸せだった。

昨日29日は、主人と二人で横浜の娘のところに行き、
彼女の大掃除を手伝い、お玄関に注連飾りをつけ、
仏さま(小さい仏像を彼女は持っている)の前に鏡餅をお供えした。
娘は癇性に掃除をするような人間ではないのだが、
散らかしていながら一定の水準は保っている(笑)というタイプで、
水回りも含めて、悲惨なほど汚れている箇所はなかった。
なので、掃除もさほど大変なことではなかった。
何より、一間しかないアパートだし……。

娘は年末年始のみ、某郵便局でアルバイトをしている。
サークルの先輩から紹介された、年賀状仕分けの仕事だそうだ。
学園祭で似顔絵屋をやったときと比べたら(娘は漫研)、
郵便局の仕事は簡潔でわかりやすく、きちんと休憩もあり、
働いたぶんだけお給金ももらえて、実にホワイトだ、
と娘は言っていた(笑)。

娘の仕事は夕方から始まるので、きょうは主人が娘とランチをしている。
一方私は、ホテルの部屋を片付けたあと、午後から観劇予定がある。
忙しかったこの一年、観たい舞台をかなり見逃したが、
年末休暇の今、せめて観られるだけ観ようと思って頑張っているのだ。


ちなみにこの文章は、主人の持参したタブレットから打ち込んでみた。
時間があれば、また更新したいと思っている。

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昨夜は『BAD GIRLS meets BAD BOYS』広島公演を観に行った。
出演者のミズ(水 夏希)くんファンの方に誘って頂いて、
ダンスだけのステージというのは面白そうだなと、
それだけの前提しかないまま出かけたので、本当に新鮮だった。
予習は足りなかったが、これは私にとっては逆に良かったと思う。
宝塚OGの誰が出て、何をするかを知った上で見始めていたら、
私のほうに最初からよけいな設定が出来ていただろうから、
昨夜、舞台に出てきた人を、予備知識も先入観も無しに、
ただダンサーとして見ることが出来たのは面白い体験だった。

そのことで改めて知ったのは、ワタル(湖月わたる)ちゃんって、
輝くヒトだったんだなあということだった(笑)。
前半はBAD GIRLSたち中心のダンス・パフォーマンスが続くのだが、
5人いる女性ダンサーの中で、私が最初に
「あの人!」
と目を惹きつけられたのが、ワタルちゃんだった。
大きいから、というのも理由のひとつかもしれないが、
しかし私の目には彼女は、大柄でも愛らしく映った。
笑顔がキュートで、ちょっと振り返る程度の仕草にも魅力があった。
純然たるダンス技術の問題だけで言えば、
彼女は別に傑出したダンサーというわけではなかったと思うのだが、
ステージアピールの桁が違った。
歌劇団でスターとして育ち、大劇場で主役を張った人というのは、
こういうものなのだなと、ひしひし感じた、ワタルちゃんの舞台姿だった。

勿論、ミズくんは格好良かった!
彼女は、宝塚時代からダンサーだったし、男役で鍛えた色気も健在で、
それが女性として踊るのだから、これまた不思議な求心力があった。
キレが良くて、余韻の残るようなミズくんの踊りで、
ベニーグッドマンなどを聴かされると、
ちょっと、なーちゃん(大浦みずき)を思い出したりもした(涙)。

休憩後の後半はBAD BOYSの踊りが大半で、
随分とバレエ的なニュアンスがあるなと思っていたら、
それもその筈で、バレエ・ダンサー出身のラスタ・トーマス率いる、
BAD BOYS OF DANCEのメンバーが、この夜のキャストなのだった。
鉄壁の技術と、エンターテインメント性の高いダンス場面の連続で、
感嘆しつつも、場内は手拍子と笑い声が絶えなかった。

ただ、QUEENのヒット曲がいくつか音楽として登場していて、
中でも『ボヘミアン・ラプソディ』がフルで使用されていたのは、
私にはちょっと複雑なものがあった。
確かにあの曲にはユーモラスなニュアンスがふんだんにあるが、
それでも私にとって、あれはとてもじゃないが笑いながら聴ける曲ではなく、
背後のお客さん達がケタケタ笑い転げているのを聞いていると、
なんだか、私ひとり、取り残された(苦笑)。すみません。
単に私が、ふれで先生への想いを未だに引きずっているのが理由ですが。

狂言回し的なダンスを、非常に高い技術を披瀝しながら務めた、
日本人ダンサーTAKAHIRO氏も本当に素晴らしかった。
これはいかなる喜劇にも言えることなのだが、
観客を本当に楽しませよう、愉快にさせようとするときには、
舞台の上に表現者には、研ぎ澄まされたプロフェッショナルな技術が
まず土台として不可欠なのだ。
あれほどの舞台を実現しているTAKAHIRO氏(勿論ほかのメンバーも)の
日々の鍛錬やこのステージのための研鑽は、
おそらく私たちの想像を絶するものがあったと思う。
しかし舞台にいる瞬間には、彼らはそれを私たちに微塵も見せない。
ひたすらに楽しく、客席の笑顔とともにダンサーたちも輝くのみだった。

磨き抜かれた鍛え抜かれた、人の体の表現力に感じ入った二時間半だった。
客席数もダンス公演にはちょうど良かったし、
客席も舞台との距離を感じないくらいに、高揚した気分を味わったと思う。
こういう企画を、是非またやって欲しいと思った。
サブタイトルにDANCE LEGEND Vol.1とついていたところをみると、
シリーズ化して、このあとも続演される予定があるということだろうか。
そうだと良いのだが。次回企画が、とても楽しみだ。
誘って下さった某氏にも、心からの感謝を<(_ _)>。

BAD GIRLS meets BAD BOYS(梅田芸術劇場)

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寺島しのぶ妊娠、歌舞伎界初のハーフ役者誕生も(スポニチ)
『女優寺島しのぶ(39)が妊娠していることが19日、分かった。初期の3カ月とみられる。人間国宝の歌舞伎俳優尾上菊五郎(69)の長女で、07年2月にフランス人アートディレクターのローラン・グナシア氏(44)と梨園では異例の国際結婚をして話題となった。その際「男の子ができたら歌舞伎役者もいいな」と明かしており、歌舞伎400年の歴史で初めてハーフの役者が誕生する可能性が出てきた。』

しのぶちゃんがママになるそうだ。おめでとうございます(^^)。
きっと今が、彼女にとって最も良い時期だったのだろうと思う。
彼女の舞台をローランさんが見に来られているところなども
ファンには客席でよく目撃(^_^;されており、
仲睦まじいお二人に第一子誕生とあって、本当に喜ばしいことだ。

しのぶちゃんが独身のときに出したエッセイ『体内時計』には、
当時、共演した中嶋朋子さんや大竹しのぶさんらが、
「子供が生まれると全部変わるよ」
「子供を産むと、もっと役の幅が広がる」
と話してくれたことが書かれていて、また母上の富司純子さんが、
しのぶちゃんが誕生してから3歳になるまでは、
完全に家庭に入り、全く舞台の仕事をしなかったことも書かれている。
富司純子さんは、『三つ子の魂、百まで』との言葉を引いて、
「幼い時に子供をしっかり育てておけば、その時にできた性格はずっと変わらない。
生まれてからしばらくの間は、子供に愛情を注ぐことが絶対に必要だ」
と、常々仰っていたそうだ。

『体内時計』を書いたときのしのぶちゃんは、ちょうど30歳になる頃で、
まだローランさんとも出会っていなかったし、
自分が母親になるということも、想像の中の話でしかなかっただろう。
彼女は、子供を大切に育てることを優先した、母上の言葉に感銘を受けつつも、
自分はそのようにはできないかもしれない、と書いていた。
子供に最大の愛情を注いで育てたい気持ちは自分も強いが、同時に、
舞台への欲は際限なくあるし、仕事を捨てることはできないだろう、と。

これから、どのような選択をするかは、しのぶちゃんご夫婦の決めることだが、
私は勝手に楽観的に、きっと良い道がみつかるだろうと思っている。
「顔が大きい人と結婚したら、子供をちょうだい」
と言った(爆)富司純子さんの言葉も、『体内時計』には記録されていることだし、
きっと母上も大いに力を貸して下さるに違いない。
この『顔が大きい人』の件は、歌舞伎役者になるには小顔では駄目だ、
という話を受けての逸話なのだが、さてしのぶちゃんに男の子が生まれたら、
本当にその子は、将来、歌舞伎役者を目指すだろうか。
それを想像するのは、無責任なファンとしてはとても楽しいことだ。

しかし、それにしても、『歌舞伎400年の歴史で初めてのハーフの役者』
ということは、無いだろう。
15代目市村羽左衛門は、確か日米ハーフだったと思うのだが、
14代目の養子だから、その出自は「無かったこと」になっているのか?
私はいくつかの写真で知っているのと、映像では一度見たことがあるだけだが、
それはもう、15代目羽左衛門はため息ものの美形だったぞ?
すらりとした舞台姿、ほりが深くて化粧映えして、存在感が並大抵ではなくて。
あんな雰囲気の歌舞伎役者は、ほかでは見たことがなかった。
しのぶちゃんに、ハーフの息子さんが生まれて、歌舞伎役者になろうものなら、
菊五郎の隔世遺伝もアリだし、こりゃ、えらいことになるんじゃないかと、
私は今から、楽しみで楽しみで(殴&絞)。

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西川貴教主演ミュージカル『Rock of Ages』昼の部を
娘と一緒に観てきた。
大阪公演二日目、森ノ宮ピロティホール。

ごく単純な筋立てで、主役は人物よりもむしろ音楽、という舞台だが、
出演者のキャラがそれぞれ立っていて、本当に楽しかった。
やはり西川氏の声は絶品だ……(^^)。

きょう可笑しかったのは、一幕の終盤、
「前座のバンドが来られなくなったので、急遽、ほかをあたらなくては」
という設定のところで、「ローリング・ずどーん」だけでなく、
「TMへぼリューション」というアーティストが候補に挙がり、
川平さんとなだぎさんとが二人して、
「衣装が意味わからない」「靴の上げ底が高過ぎる」
等々とイジり過ぎたため、客席が沸いて沸いて、
大幅に上演予定時間を超過してしまったことだった。

舞台に関して、詳しい話は、また、いずれ(多分)。

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上質の教養・娯楽に重点 NHKBS、2チャンネルに統合・再編(朝日新聞)
『NHKの衛星放送(BS)のチャンネル数が4月に3から2へと減る。7月の地上デジタル放送完全移行を控えた再編で、各チャンネルのコンセプトも見直した。地上波からBSに移る番組や姿を消す番組もあり、放送のラインアップが大きく変わりそうだ。』『現在NHKのBSには、BS1、BS2、BSハイビジョンがある。これを統合・再編して、4月1日からはBS1とBSプレミアムの2チャンネル体制にする。』

記事によると、この再編成により大きな変化があるのはBSプレミアムだそうだ。
『「本物志向の教養・娯楽」チャンネル』を謳って、扱う主な分野は
「紀行」「自然」「美術」「歴史」「宇宙」「音楽」「シアター」の七つ、
視聴者のターゲットは40~50代だということだ。

……と、ここだけ読めば、まさに中年である私にとっては、
これからのNHKは、うんと魅力的なものになるのか、
と早合点しそうになったが、とんでもなかった。
最後の段落を読んで、私は心底、仰天してしまった。

『一方で、姿を消す番組もある。金曜夜の「芸術劇場」(教育テレビ)と金曜深夜の「ミッドナイトステージ館」(BS2)は3月で終了し、演劇を扱う番組がなくなる。BS2の「プレミアムシアター」はBSプレミアムに残るが、日本で上演される演劇は基本的に扱わないという。演劇番組の関係者の一人は「地方の演劇ファンから、惜しむ声が届いている。なくなるのは残念だ」と話している』

NHKと日本の演劇界の間に、何か悶着でもあったんですか(爆)。
なんという仕打ち。
『上質の教養・娯楽に重点』を置いたら、その結果、
「芸術劇場」と「ミッドナイトステージ館」が終了する、
ってどういうことだよ!?

喧しいコマーシャルが入らず、最初から最後まで通して鑑賞できることと、
大衆が見向きもしないマニアックな企画でも教育テレビならやってくれる、
ということの二点が、昔から私にとってのNHKの魅力で、
中でも「芸術劇場」は、地上波しかなかった頃から、
各種舞台、クラシック音楽、古典芸能を放映してくれた貴重な番組だった。
実のところ、私が今、手元に残してある録画の大半は、この番組からのものだ。
忘れがたい演奏会、一生の宝物にも等しいほどの舞台記録を、
私はこの番組によって手に入れることができた。
私にとっては、NHKの存在意義そのものと言っても過言ではない番組だったのだ。

まあ多分、私のような視聴者など黙殺しても問題ないほどの人数に過ぎず、
これまで通り放映していたって、ろくに観る人間がいない、
という判断があって、NHK側は番組を打ち切る決定をしたのだろう。
大人気の看板番組をわざわざ終了させるはずはないだろうから。

しかし、もしそうなら、なんのためにNHKは
受信料を徴収して複数チャンネルもある公共放送をやっているのか。
見る人がどのくらい多いか少ないかだけで、
どのような番組もすべて終了か存続かを決定するのだとしたら、
視聴率とスポンサーの意向とに振り回される民放と、
全く変わるところがないではないか。

ことわっておくが、私には意見を述べる資格がある。
調べて貰えばわかるが、私はこれまで、親の家から独立して以来、
ただの一度も、NHK受信料の支払いを怠ったことがない。
尾行させれば陰の如し、みたいな薄気味悪い集金人に閉口させられながらも、
私は常に変わることなく受信料を納め、長らく真摯にNHKを支えてきた人間だ。

『「地上波がメジャーで、BSがマイナーだというイメージをなくしたい」』
などと言っているようだが、本当にこのまま演劇関連の放映がなくなるのだったら、
私にとっては、もう地上波もBSも、実質的に超マイナーな存在になるだろう。
いよいよ見る番組のなくなったNHKなどより、CSの専門チャンネルと契約して、
観たいもの三昧で過ごすほうが、よほど確実だからだ。

思い返せば、NHKがイーヴォ・ポゴレリチを取材した番組が、1983年と2005年とにあった。
特に83年のは、ポゴレリチのリサイタルを最初から最後までライブ収録したという意味で、
世界じゅう探してもほかに何本もないだろうという種類の、あまりに貴重な映像だった。
ポゴレリチのような演奏家が、民放で取り上げられるわけがないし、
CSクラシカ・ジャパンも現在までのところ市販映像しか流していないから、
独自に取材してくれたという点で、私はNHKに感謝せねばならないと思っている。
調べてみたら、83年のも05年のも、両方ともやはり「芸術劇場」だった。
どう考えても、私にとってはNHK=芸術劇場、というくらいの重さがあったよなあ。

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