転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、下腹痛と微熱で、夕方早くから沈没してしまった。
午前中から、例によって腸の具合が良くない感じだったのだが、
昼過ぎからは体も気怠くなり、体温も37度ちょっとあって、
何かわからないが病気な気分だった(^_^;。

このところ、ふとんに入るときは鬱陶しいのがイヤで薄着していたのだが、
夜中には、どうもお腹や足首あたりが冷たいと感じる日が続いていたので、
寝冷えしていたのかもしれない。
また一昨日に、主人の好みで、生のニンニクをすり下ろして醤油タレをつくり、
揚げたチヌとハマチにそれをたっぷりかける、という料理をしたのだが、
日頃から過敏な私の腸にとっては、もしかすると強過ぎたかもしれない。
きょうは明らかにマシになったが、まだ多少、お腹が変な感じは残っている。

折しも、娘の中間考査が続々と返却されている。
「地学、まだ返ってきてないんだけど、学年で30番くらいかもしれん」
と娘は言っている。
娘の学校は一学年200名ほどだが、地学選択者は全部で30数名しか居ない。
こういうことも、当然、私の腹痛のモトだと思う。

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イーヴォの弟ロヴロ・ポゴレリチ(ポゴレリッチ)の来日公演が
日時・価格等、正式に発表された。既に発売されているようだ。

ロヴロ・ポゴレリッチ(プロ・アルテ・ムジケ)
公演日 : 2011/12/15 (Thu) 19:00
会場 : 東京文化会館小ホール
Tokyo Bunka Kaikan Recital Hall
\15,000~3,500 (税込)

プログラム:
 リスト: オーベルマンの谷
     バラード第2番 ロ短調
     水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ
 ムソルグスキー: 組曲「展覧会の絵」

************

イーヴォ・ポゴレリチという前提がなければ、
私がロヴロに関心を持つ機会は、もしかしたら無かったかもしれない。
そう思うと、ロヴロ・ポゴレリチを聴くにしてもその出発点が、
私の場合は、なんとなくヨコシマな(^_^;感じがしないでもないのだが
日程的に可能なら、やはり生で演奏を聴いてみたいと思っている。
師走で、平日の夜で、東京、という演奏会予定は、私にはかなり厳しいが。

CDで聴く限り、ロヴロは年々、面白い自己主張をするようになっていて、
若いときの生真面目な演奏とは違う『展覧会の絵』が
リサイタルではきっと聴けるだろうと思う。
またこの曲に関しては、90年代からイーヴォのレパートリーでもあるので、
聞き比べてみるというのも、興味深いことかもしれない。

ロヴロ・ポゴレリチは、兄のイーヴォより13歳ほど年下で、
経歴においてもほとんど接点がない。
80年代にイーヴォがロンドンに家を持って以来、
旧ユーゴ国内にいた両親・弟との付き合いは途絶えた、
という記事も読んだことがある。

2003年夏に一度だけ、私は、イーヴォがロヴロに言及した記事を
見かけたことがあった。
それはイーヴォが公演でイスラエルを訪れた際の新聞記事で、
インタビューの中で弟について訊かれたイーヴォは、
『私は彼の演奏については語ることができません。
彼は、私とは違う道を行くピアニストです。
私は彼の演奏会に行ったことがありません』
と短く述べていた。その記事ではまた、その取材の数年前に
(ということは、2000年前後のことだろうと思われるが)、
ロヴロが、テル・アビブのルービンシュタイン・コンクールに挑戦し、
敗れたとも書かれてあった。

近年のイーヴォは、同業者についてほとんどコメントすることが無いので、
ロヴロに関してだけ殊更に冷淡な態度を見せたということではないと思うが、
兄弟ふたりが、依然として交流を持っていないらしいことも確かだと思われる。
99年以来ロヴロは毎年夏にクロアチアのパグで、自分の音楽祭を主催しており、
今年も8月1日から14日に行われる予定になっているが
Pag Art Festival(ロヴロ・ポゴレリチ公式サイト・英文))、
残念ながら、イーヴォが共演したということは、これまでのところ全くない。

なお、今回のロヴロの招聘元になっているプロ・アルテ・ムジケは、
同じクロアチアのケマル・ゲキチの日本のマネージメントでもある。
ゲキチとロヴロ・ポゴレリチは、何か交流があるのだろうか。

ケマル・ゲキチ公式サイト:日本での公式サイト。素晴らしいファンクラブがあります。
 以前から、拙サイトからもリンクさせて頂いています。大変お世話になっています。

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・台風2号の影響で、昨日からよく雨が降った。きょうは風の音もしていた。
私は自分が出かけなくて良いなら、雨音を聞きながら家に居るのは好きなのだが、
実家の村の通称「大川」が、雨の日にはかなり増水するので、
その川の真横の家に住んでいる両親のことは、多少心配だ。
尤もこのヒトたちは、以前から、避難勧告が出るような荒天のときでも、
「まあ、ええわい」と動かないので、何かあっても自業自得みたいなところはある。
もう80歳過ぎだし、納得の行くようにするのが良いと思い、
私はやかましく意見を言うことは、控えるようにしている。
とりあえず、「川の様子を見に」「田んぼが心配で」等々の理由で
豪雨の中を出かけて、流れていったりしないように、ということは言ってある(^_^;。

・広島カープにかかっていた魔法は、交流戦ですっかり解け、
このところ、カープ本来の貧打が完全復活を遂げてしまった。
4月以来続けてきた貯金も、きょうで使い果たした。
カープを以前から知っている者なら、現状には今更驚かないだろうが、
それでも、この二ヶ月ばかり、かつてなく楽しい思いをさせて貰ったので、
やはりちょっとばかり、寂しい気はするのだった。
まあ、まだシーズンは長いので、広島市民としては気長に見守るのみ(^^)。

斬新なアレンジ…浴衣の着こなしに注目(読売新聞)
広島では毎年とうかさん(公式サイト)という浴衣祭りがあって、
今年は、次の週末6月3日(金)4日(土)5日(日)がこれに当たっているので、
女の子たちはきっとそれぞれ装いを凝らして浴衣を楽しむのだろう。
うちの『女の子』は全くそういう趣味が無いので、我が家は関係がないが。
しかし近年、若い女性たちのお洒落から『清楚』という要素が
完全に抜け落ちてしまったことを、私は少なからず残念に思っている。
『色気』とか『艶っぽさ』、あるいは『シック』『ゴージャス』『キュート』、
こうしたものは、年齢がいくつだろうと、出せる人には出せる女らしさだが、
『清楚』だけは、本当の意味で年齢の低い世代でないと発揮できない良さだと思う。

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『セルビア・クロアチア語辞典』(鈴木達也・編著 武田書店 2010年)
というのが出ていたことに遅まきながら気づいて、先月、買った。@8400円。
amazon、楽天ブックス、Yahoo!ブックス等でも購入可能だ。

これまで、こういう本格的なクロアチア語辞典は日本にはなく、
『クロアチア語 常用6000語』(三谷惠子・編 大学書林 平成10年)とか
『セルビア・クロアチア語 基礎1500語』(田中一生・山崎洋・編 大学書林 昭和54年)
くらいが、普通に入手可能な辞書系の書籍だった。
正直なところ私は、これらの収録語数に満足していたわけではなかったが、
日本から見れば、それだけ遠い、マイナーな言語なのだろうとはわかっていたので、
小さい辞書しかないことは仕方が無いと思っていた。
それより私にしてみれば、イーヴォ・ポゴレリチ関連記事のうち、
リアルタイムで、かつ面白そうなものに限ってクロアチア語で書かれているので、
クロアチア語の字引は、まず、あるというだけでも助かっていたのは確かだった。

海外のものでは、英国のケンブリッジ大学出版局が出している、
『Standard English-SerboCroatian, SerboCroatian-English Dictionary』
(Morton Benson, Cambridge University Press 1998)
が割と大きなものだったので、背に腹は代えられず2004年にこれを買った。
前述の小規模な日本版辞書には掲載されていない語も、これなら引けたので
有り難かったが、英語の説明を見て日本語で考えることを繰り返していると、
やはり、できるならもっとまとまった日本語の辞書が欲しい、と私は幾度も思った。
なんのかのと言っても、外国語学習の際に母語の果たす役割は大きいのだ(^_^;。

そもそも、かつてポゴレリチが我々の前に登場した1980年には、
彼のプロフィールは「ユーゴのピアニスト」ではあったが、事実上ロシア語のヒトだった。
モスクワ音楽院を卒業した彼は、夫人ともロシア語で会話しており、
ワルシャワでの記者会見もロシア語なら、81年の初来日時にもロシア語の通訳がついていた。
しかし82年にロンドンに移住してからは、少なくとも対外的には、
彼の使用言語は英語だけになり、来日時のインタビューも英語になった。
以後、彼がイギリスに住んでいた20年余りの間、ポゴレリチに関することは、
主として英語で決着がつくというイメージが私にはあり、
英語のメディアさえ追っていればなんとかなる、と思い込んでいた。

ところが、私が、海外サイトでポゴレリチの情報を得るようになった2000年から、
実は興味深い情報の多くはクロアチアにあることが、わかってきた。
故郷のユーゴの紛争の時期に、ポゴレリチはクロアチア国籍を選択しており、
更に96年に夫人が亡くなってから、彼はクロアチアで過ごすことが増えていたのだ。
私にとって、このときからクロアチア語が、避けて通れないものになった。

当初はこれでも、もう少し「機械翻訳」を信用していたので、よく頼ったが、
幾度やっても、『私の手は爪です獲物の鳥』レベルの翻訳がせいぜいだったので、
結局、どうしても気になる記事は自力で辞書を引いて読むようになった。
読むと言ったって、こちとらは、クロアチア語の知識など皆無で、
吹けば飛ぶようなロシア語の記憶の断片が、か~す~か~に残っているだけだ。
それでも、クロアチア語-英語の辞書ひとつだって、無いよりはずっと良かった。
これを手で引いて、自分で読み直せば、たとえ英語を介してでも、
機械翻訳よりずっといろいろなことが理解できた。

だから私は、待ち望んでいたのだ、日本版のクロアチア語辞典が発売されるのを。
そして今や、ついに、こんな文字通り「有り難い」辞典が世に出てくれた。
待った甲斐があったというものだ(感涙)。
お陰で今後は、とにかく単語の意味を掴むことだけは、これまでの何倍も容易になった。
しかも、この辞典にはクロアチア語文法の概略が巻末に掲載されていて、
数詞や発音の規則、名詞の性や格変化、動詞の時制や態などについて解説されている。
こうなったら、あとは、こちらのクロアチア語の知識を、もっと向上させて行くのみだ。
これこそ、道案内も買い物も自己紹介もできなくていい、読めりゃいいのだ、
しかも、政治も経済もどっちでもいいのだ、ポゴ氏関係の記事が理解できれば。

ちなみに、クロアチア語の学習教材になるものとしては、
以前から、数は多くないにしても一般向けの書籍が何種類かは市販されている。
『クロアチア語のしくみ(CDつき)』(三谷惠子・著 白水社)
『旅の指さし会話帳73 クロアチア語』(長束恭行・著 情報センター出版局)
『CDエクスプレス セルビア語クロアチア語』(中島由美・著 白水社)
『クロアチア語ハンドブック』(三谷惠子・著 大学書林)
などが、書店や通販でも手に入る、手軽な読み物・教本ではないかと思う。

……そーだよ、あとはクロアチア語のおベンキョを頑張ればいいのだよ(^_^;。
教材はこれでもう、十分過ぎるほど揃ったのだから。

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暑くなる前に、去年から懸案だった物置の整理をすることになり、
いつもお世話になっているインテリア・デザイナーのO氏にお願いして、
簡単で実用的な棚を設置して貰うことに、先日、決まった。
それで、採寸等に先立ち、物置の中にあるものを、
急遽、どうにかせねばならなくなった。

『中にあるもの』とは、我が家の場合、つまり書籍類だ。
未だに家具らしい家具は少なく、洋服ダンスもベッドも持っていない暮らしだが、
本、それもジャンル的に特殊で偏ったものばかりが、うちには異常に多いのだ。
官舎の頃など、台所の食器棚も下部が本棚になっていたりしたものだ。
考えてみたら、我が家はかなり非常識な暮らし方をしていると思う(汗)。

……などという反省はあとにするとして、そういうわけで数日前から、
家族3人でそれぞれ、自分の持っているものから手放して良いものを選別して出し、
今回は、文庫・新書・大型本・コミック等々、合計250冊を
BO*K-OFFに電話して引き取りに来て貰った。
引き取り価格は全部で9000円と少々になった。有り難いことだ。
更に嬉しいことにこのたびは、値段のつかなかったものは皆無だった。
きれいに全部、持って帰って貰えて良かった。
尤も、これだけ出したからと言って家全体から見れば焼け石に水で、
別に特にスッキリしたとかいうことは、全然ないのだが。

引き取りに来て下さった方のお話では、このお店では、
値段をつけるときの基準は「本の状態」が基本であって、
発行年度が古いこと自体は、問題ではないそうだ。
書き込みがなく、カビその他ページの変色など無いのであれば、
昭和40年代の本でも大丈夫だとのことだった。
ただ百科事典など、年数の経過により情報としての価値がなくなるものは、
見た目がどうか以前に、発行後○年後までのものと年限を区切っており、
それより古いと、引き取りの対象にはならないということだった。

このブログを辿ってみると、去年は7月15日に、やはり同じように、
本240冊とCD10枚を手放したと書いてあるので、
年に一度はこういうことをしないと、うちの本類は収拾がつかなくなるようだ。

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きょうから四国・中国・近畿地方が梅雨入りしたとみられる、
という発表が気象庁からあった。
四国・中国・近畿地方が梅雨入り(朝日新聞)

中国地方に関しては平年より12日早い梅雨入りだそうだ。
まだ娘たちが中間考査をやっていることを思えば、確かに早い気がする。
中間考査の最中から夏休みになるまで、これからずっと梅雨、
ということに、もしなるとしたら、結構長いのではないか(^_^;。
どうかすると、二ヶ月近くが「梅雨」だったりする?

予報では、きょうは午後から雨になると言っていた筈だが、
実際には午前中から既に降り始めて、午後4時の今はもう土砂降りだ。
それでも昼までの間に、舅姑の墓参りにどうにか行って、
花を取り替え、軽く掃除をしてきた。
先日来、どうも舅の声で、「掃除せぇよ」と、
あの世から指令が来ている気がしていたので、果たせて安心した(苦笑)。

また、先日は石屋さんにお願いをして、墓の蝋燭立てを新しいものにし、
これまで台だけだったのを、周囲に覆いのついたタイプに買い換えたので、
きょうのような悪天候の日にはとりわけ、
取り替えた甲斐があったと思うことができた。
ろうそくは毎回、お参りが終わると消すことにはしているのだが、
それでも、火をつけてもつけても、すぐ消えてしまうと、
お線香がたてられず、雨の降る日や風の強い日には困っていたのだ。
その点が、今回から改善された。
家と同じでお墓も、買ったとき一度に何もかも揃えることは出来なかったが、
こうして年々、少しずつ細部を改善して行ければ、それでいいのだと思った。

帰りに広島バスセンターに寄って、紀伊國屋書店で『演劇界』6月号を買った。
特集が『團菊祭』で、音羽屋の旦那(菊五郎)と成田屋(團十郎)の対談が
カラー写真入りで掲載されていたからだ。
それから、娘に触発された部分もあり、江守徹・朗読『山月記』のCDを買った。
『漢詩紀行』でも江守氏の朗読は圧巻だといつも感じていたし、
この機会に、久しぶりに小説の朗読を聞いてみるのも悪くないと思ったのだ。
前回朗読CDにハマったのは、娘が生まれる前だからおよそ17年前だった。
今夜から、お布団に入ったとき寝るまでの間に聞こう。
でも李徴の七言律詩に到達する前に寝入りそうな気ガス(逃)。


追記:こんな大雨なのに、試合やってるマツダスタジアムって(>_<)。

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5月になって、KISS関連は何かデカい発表があるらしいという噂があり、
しかし騒いでいたのは欧米のファンだったので、
来日公演絡みじゃないな、またどっかのクラブで少人数限定ライブか
などと、全然期待してないで待っていたら、案の定というか。

THE KISS KRUISE INFO PAGE(KISS Online)

なんだか知らないが、この秋、10月にマイアミからバハマだかどこだかへ、
KISSと一緒に5日間クルージング、という企画がある、と発表になった。
カーニバル・デスティニー号には、豪華プールつき、スパ・ジム完備、
劇場あり、レストラン・カフェ・バー各種、客室にも24時間ルームサービス可、
そして勿論、KISSメンバーがホストとして、ライブやイベントなど
あらゆるかたちで乗客をもてなしてくれる、……のだそうだ。

いや~、ホントに夢のような企画が実現するんだなぁ、
とは思うのだが、あまりにも私に関係なさ過ぎて困る。
ああもう、10億円、ころころっと入ったらな(--#)。

……、って、ちょっと待ってよ、10月にアメリカでコレって、
じゃあ『秋に来日公演』というのは、やっぱナシってこと???(涙)

そして、今朝は更に脱力するニュースが日本でも活字になった。
お久しぶりなヴィニー・ヴィンセントの話題なのだが、
これがまた、KISSの『地獄なんとか』なイメージを勝手に体現しちゃったような、
スプラッタ系の勢いなのだった。

元KISSのギタリスト、妻への暴行で逮捕……自宅には犬の死体も(シネマトゥデイ)
『元KISSのギタリストとして知られるヴィニー・ヴィンセントが、5月22日に妻への暴行容疑で逮捕されたとゴシップサイトTMZほか複数のメディアが報じている。家へ踏み込んだ際に警察は箱に入れられた4匹の犬の死体を発見したと発表されている。』『現在58歳のヴィニーは、1982年から1984年までヘビーメタルバンドKISSの2代目ギタリストとして活躍。脱退後も何枚かアルバムを出していたが、その後は破産するなど荒れた生活が目立つようになり、近年は目立った活動を行っていなかった。それだけに、逮捕されたというニュースはインターネットを中心に大きな話題を呼んでいる。』『テネシー州の保安官事務所が発表したところによると、今月22日、ヴィニーは妻へ暴行したという容疑で逮捕された。妻は顔を血だらけにした状態で保安官事務所に駆け込み、激昂したヴィニーに暴行を加えられたと証言している。』『保安官がヴィニーの自宅に踏み込むと、そこには箱に詰められた4匹の犬の死体があるほか、床には皿の破片が散らばっているという状態だったらしく、ヴィニーは即座に逮捕。ただし、妻によると、犬の死体にかんしては犬同士が争った結果らしく、州当局はそのことも含めて、本件を現在調査している。保釈金は1万ドル(約80万円・1ドル80円計算)と発表されている。(編集部・福田麗)』

この件は、月曜あたりから米Yahoo!のKISS関連掲示板で取り沙汰されていて、
私も概略は読んでいたのだが、ついに日本でも報道されてしまった。
ヴィニーは、初代のエースが脱退したあとKISSに加入したギタリストで、
私の記憶ではLick It Upのあたりで辞めた人だったと思うのだが、
その後ソロになったものの、その頃には詳しいことまでは、
日本には伝わってきていなかった。

2年ほど前にこの日記で話題にしたことがあったが、
その当時もやはりウィキでは「消息不明」とあり、どうしているのかなあとは思っていた。
ただ、2010年には「ヴィニー・ヴィンセント・モデル」ギターを発売したりして、
久しぶりにその名前を聞いたので、私が知らないだけで業界では活躍しているのだな、
と勝手に安心(?)したりもしていたのだ。

……てか、そもそもKISSって、『ヘビーメタルバンド』って定義で、良いわけ?

しかし、58歳って(汗)。
いい歳じゃないか、ヴィニーも、もう。
記事内容にあることが、どこまで本当か知らないが、そろそろ、
切った張ったなんてやってる年齢では、ないのではないか。
だいたいがロックなヤツなんだろうから、よけいなお世話とは思うが。

ところで記事右側にはヴィニーの写真があり、
今でもこんなにカッコいいのかと胸がときめきかけたのだが、
『逮捕されたヴィニー・ヴィンセント(写真は1990年のもの)』とあった。
うぅむ。どうなんかな………。
そういや去年だったか、「誰?」状態の、現在のボーイ・ジョージを見たよな……。

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長門裕之さん通夜に俳優仲間ら400人(SANSPO)

長門裕之さんが亡くなられ、お通夜や告別式の記事があちこちに出たが、
そのユニークな遺影を見ていて、私はいろいろなことを思った。
長門さんの写真は晩年のもので、このうえなく明るく、
故人の声が聞こえてきそうな、鮮やかな印象があり、
ご本人らしさがよく出ていると、列席者にも好評である由、報道されていた。
倒れられる直前までご活躍だった方の場合は、皆の思い出として最後に残る写真が、
最晩年の最も良い表情を捕らえたものであるのが、ひとつの理想なのだろうと思った。

うちの姑が亡くなったときには、それまでの療養生活が長かったので、
晩年の写真と言えるものは少なかったし、仮に数多くあったとしても、
遺族としては、それを是非使って貰いたいとは、必ずしも思えない状態だった。
結果として姑は、もっと若い頃の写真を使うことになったのだが、
遺影は決して証明写真ではないので、故人や遺族の強い希望があるなら、
「最も故人の良さが出ている写真」
であれば極端な話、壮年期のものでも良いではないか、と私は思っている。
大事なのは、生前その人が誰であったか・誰であったと皆に思って貰いたいか、
ということではないだろうか。

姑は最後の7年間ほどは、介護度が4~5の状態で療養していたし、
同時に認知症もあって、意思の疎通も難しくなっていたため、
「哀れなけぇ、人には会わせとぅない」
という舅の意向もあり、全く外部との接触を持たずに過ごした。
以前のお友達からお電話などを頂くこともあったが、
お目にかかれる状態ではないのでとお話して、
我々家族からお礼を申し上げ、非礼を口頭でお詫びするのみにとどめていた。

年々変化したというよりは、姑は急激に弱った最初の一年で目立って痩せ、
顔つきも変わってしまい、以前の元気だった頃とは別人のようになった。
同時期に認知症も加速度的に進んだので、容貌の変化については
姑本人が気に病むような時間すらなかったと思われるのだが、
この時期、一部の親戚など、ときどき顔を見る機会のあった、限られた人たちは、
会うごとに激変する姑の様子に戸惑っていた。

そのようなわけで、姑がその後の長い療養生活のあと亡くなったときには、
遺影をどうするか、多少、問題になった。
担当して下さった葬儀社の方は、当然のことながら、
「82歳のおばあちゃんのお葬式」
という前提でお世話をして下さっていたし、棺の中の姑しかご存じないので、
「あまりにも昔の写真だと若すぎて、弔う本人とかけ離れており、適切でない」
という意味のことを(言葉使いにはもっとずっと配慮して下さっていたが)仰った。
確かに一般論としては、かなり高齢の親の葬儀なのに遺影が中年みたいでは、
やはり、ちぐはぐな印象になるのだろう、ということは想像できた。

しかし私たちは敢えて、姑の元気だった頃の写真を選んだ。
年齢的には60代後半で、よく太って、生き生きとした笑顔の姑が写っていた。
それは棺の中に眠っている、小さい小さいおばあちゃんとは、確かに別人だったが、
姑を知っていて下さった方が、姑の名前を聞いてきっと一番に思い出して下さる筈の、
後半生で姑が最も元気だった頃の印象を宿した写真だった。

家族の自己満足かもしれないが、姑に関しては、きっとあれで良かったはずだ、
と私は今でも思っている。
亡くなったときの姑本人とは違う人の写真みたいではあったが、
集まって下さった方の大半は、最晩年の姑をご存じなかったし、
姑本人も、病んだ姿を皆に記憶して貰いたいとは願わなかったと思う。
舅は既にその場に居なかったが、いたとしても勿論それを希望しなかっただろう。
舅は、できるだけ姑を他人の目にさらさないようにして介護していたのだから。

果たして、遺影を見て、列席者の多くは少しも驚かなかった。
大半の人にとって、それが普通の姑の姿だったからだ。
むしろ、最後に姑がひどく痩せてしまったのを、その場で初めて知って、
何年も会う機会のなかった、以前のお友達やそのご家族が、涙をこぼしておられた。
逆に、ケアマネージャーさんと、ヘルパーさんたちと、介護職員さんたちは、
「お元気だったときは、こんな方だったんですね……」
と異口同音に言って、遺影に見入って下さった。
最後の日々をお世話して下さった方々にしてみれば、写真の中の、
輝くような活力あふれる笑顔の女性こそ、見たことのない人だったに違いなかった。

私たち家族にとっては、元気なときの姑も、療養中だった姑も、
どちらもうちの「ばーちゃん」だった。
私たちの感覚の中でその両者は、完全に同じ人だと思うには違和感があったが、
かと言って、病気したばーちゃんはばーちゃんでない、とも思わなかった。
あれから二年が経とうとする今、私の中で、最晩年の姑は、
少しずつその輪郭や印象が、柔らかく見えなくなって、次第次第に、
元気だったときの姑の姿の中へと溶け込んで、ひとつになって行くような気がしている。

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小学校英語指導者資格セミナー
昨日は、小学校英語指導者資格セミナーの二回目を受けに行った。
会議室に40名ほど受講生が集まって、歌やゲーム、絵本など、
導入期の子供対象の授業に適する、教材例や指導方法についての講義を受け、
受講生同士のグループでお互いに短い模擬授業もやってみた。
日本の語学教師は女性が大半という印象があり、昨日も女子大生や主婦が多かったが、
男性受講者も数名あり、大変意欲的に参加していらしたのが印象的だった。
前回のセミナーのときも思ったが、こういう授業を受ける子供たちが、
「外国語学習って、やってみたら面白そうだった。また習いたい」
とわくわくしてくれれば、目的はほぼ100パーセント達成されると私は思っている。
習った単語や挨拶など、一ヶ月後にほとんど全部忘れてしまっても良いのだ。
ただ、日本語以外の言葉を使うという新鮮な気分さえ、覚えていてくれるならば。
本格的な外国語学習は、中学生以降で十分間に合うと思う。
少なくとも私程度になることなら、それで完全に可能だ(^_^;。
セミナーは全3回なので、いよいよ来月分を残すのみとなった。

中間考査
娘は明日から、高2になって最初の中間考査が始まる。
数学理科ができないという消去法により文系を選択したことと、
数学が、苦手な生徒向けの基礎クラスになったため進度もさほど早くなく、
娘にとっては、幾分なりとも、ラクになった面はあると思われる。
現代文の教材が今回は中島敦『山月記』で、娘はこの作品に大変感銘を受けた様子で、
「ええよ、ヤバいよあれ、凄いよ、あんなん読んだことなかったよ!」
と、えらく熱っぽく語るので、やっと私の漢語趣味がわかるようになったかと、
とりあえず『李陵・山月記』(新潮文庫)を貸してやった。
しかし今考えたら失敗だった。
娘はきっと、試験勉強そっちのけであれを読むことになるのだろう。シマッタ。

風邪
その娘、先々週から鼻風邪をひいていて、結構これがしつこくて、なおらない。
今月の第二週の途中から、軽く鼻炎気味になっていたのだが、
14日(土)の体育祭で疲れたのか、翌15日には娘は酷い鼻炎と咳でよれよれだった。
それでも体育祭代休の月曜日まで家でよく休んだので、一旦は軽快して来たのだが、
先週火曜日からまた、風邪のぶり返し、或いは別の新しい風邪、が始まってしまった。
とにかく鼻炎がひどくて、乾いた咳も出るし、
近所の内科で抗菌剤その他貰ったのだが、あまり、はかばかしくない。
顧みると、娘は中2以来ほぼ毎年、この体育祭明けの5月半ばは風邪をひいている。
季節的には爽やかで過ごしやすい時期だと思うのだが、
娘にとっては、「新年度+連休旅行」の疲れが、ちょうど出る頃なのだろうか。
んだが、風邪だったから試験勉強できんかった、はナシだぞ。


オマケ:かわいい。さぁ、手をあらいぐま
アライグマ、川底から「助けて」 救助され神妙な顔?(朝日新聞)
『兵庫県西宮市の住宅街で22日、川からはい上がれず、助けを求めるようなまなざしを向けているアライグマを通行人が見つけた。』『市消防局から消防車2台8人が出動。体長約60センチの成獣で、大勢の人が見守るなか、網の中に追い込まれ、30分ほどで捕獲が完了した。』『アライグマは見た目と違って気性が荒い動物。しかし騒動を反省したのか、保護された先の甲子園署では暴れることもなく、しょんぼりした様子という。』

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1日12時間ブラジャー着用すると乳がんの確率25倍ってホント?(Excite ニュース)
『皆さんは、1日何時間ぐらいブラジャーをつけていますか。一般的には、朝つけて夜まで少なくとも10時間以上はつけていますよね。でも、ブラジャーをつけていると、乳がんの確率がアップするというデータがあるのをご存じでしょうか。』『これは、5月11日放送「ホンマでっか!?TV」番組内で紹介されたもの。ブラジャーをつけていると体が締め付けられるので、リンパの流れが悪くなって、免疫力が低下してしまう。そのため、乳がんの要因の一つになるそうなのです。1日12時間ブラをつけていると乳がんの確率は25倍、24時間だと125倍にアップするとか。』

世の中、実にいろいろなことを思いつく人がいるものだ。
この程度の記事では、元データの数字が全然書かれていないので、
どういう研究から出てきた仮説なのかも、ほとんどわからないが、
例えば乳がん検診で異常の見つからなかった女性たちを対象に、
ブラを「24時間装着」「12時間装着」「それ未満装着」のグループに分け、
それぞれから、どの程度の乳がん患者が出るか出ないかを、
一定期間、追跡した結果、……だとか、そんな感じの話なのだろうか。

1日12時間ブラをつけていると乳がんの確率は25倍、
というのが本当なら、喫煙でさえ比較にならない、途方も無い数字だ。
私が以前見た資料では確か、喫煙による乳がんリスクは4倍弱、受動喫煙で2.5倍くらいで、
その厳密な信憑性はともかくとしても、二桁に到達するような話ではなかった。

どんだけ危険なんだよ>ブラジャー。

下着メーカーにしてみれば「風評被害」か、
しかし実際に患者が出ているなら既に「実害」か(笑)。
私たちは、下着業界の利権のために、真実を知らされていないだけか(笑)。

『このデータは、アメリカの研究者が発表したものですが、先生方によると、まだ研究段階なので確実なデータではないということ。乳がんの原因は、遺伝をはじめさまざまなものがあるので、ブラだけで発症することはないそうです。ただ、締め付けがきついと、体にあまりよくないことは確かだそうですので、寝る間だけはブラはつけないなどした方が、体には優しいかもしれません。』

初めからこの仮説を支持する観点で探すならば、ブラ有害説を裏付けるデータは
それなりに見つけることが出来るのだろうとは思うが、
同時に、無害説の論拠となるデータも、多分いくつか挙げることができるのだろうし、
私自身は、下着がそんなに危険だとは今のところ実感できない(^_^;。
ただ、ブラジャーとかガードルとか、あるいはサポートストッキングにしても、
体型補正の機能のある下着類には、着ている側として、なにがしか苦痛があるのは事実だ。
大半の人は、家に帰ってリラックスしたときに、これらをすぐ脱ぐのではないか。
少なくとも私は、そうだ。脱げば一度に体中が解放されて極楽になる。
だから、窮屈なのを我慢して続けるのが体に良いわけはない、という次元の話は同意できる。

ちなみに私は結婚退職して家庭に入ってからは、
外出しない日は、体を締め付けるような下着類は一切つけていない。
健康を心がけたのではなく単に面倒だったのと、
育児が始まって以降はとにかく疲れて、美容のための努力などすべて放棄したからだ。
そして育児がラクになってきてからも、その習慣だけはきっちり残った(殴)。
生来が、怠惰を絵に描いたような人間である私は、
「お洒落しなくていい」という安楽さを知ったが最後、やめられなくなったのだ。

美容に関する努力をしなくなって以来、私の言動は本人比でとても寛容になった。
体を締め付け、髪がどうの化粧がどうのと細かくキリキリしているときのほうが、
そうでないときより、生活全般においてキレやすいのは、あり得ることではないか。
私にとっては、美しくなるため(←本人比で)の、制約一切から自由になる、
ということこそ、真の意味で女性の解放だったのだ、としみじみ思ったものだ(謎)。
ああ、かつて「療養中の自宅でもメイクをし靴を履いている」とお書きになっていた、
故・千葉敦子氏(当時NY在住)などと較べたら、私の堕落ぶりはどう言ったらいいのか。

ついでに『1日3杯以上コーヒーを飲むと、乳がんのリスクが下がるというデータもある』
を採るなら、私は今はだいたい毎食後にコーヒーを飲むから、これも当てはまっている。
更に喫煙は一度もしたことがないし、飲酒の習慣も全然ないし、
ホルモン補充療法なども受けていない。
これで行けば私の乳がんリスクは限りなく低いか、……と思いきや、
考慮すべき点はこれらだけでは済まないので、話は終わらない。
近親者(叔母)が乳がんだったので血統的な問題は多少考えないといけないし、
娘ひとりしか生んでいないから授乳経験も少ない部類になるし、運動もしていないし、
ということで、それなりにリスクファクターは持っている。
キツい下着類を遠ざけて女捨てていれば安全、とは一概に言えないのだ。当然だけど。

なお、ツイッターを見ていたら、
『女性が皆、貧乳になればブラが不要になり、着用リスクの心配もなくなる』
という愉快な意見があったが、真面目に言うなら、これは正確ではないと思う。
確かにサイズの個人差が大きいために、「寄せて」「あげる」等の問題が大事になるので、
皆が揃って小さければ、その点は悩まなくて良くなるかもしれない。
しかしそんなのは、まだ個人の趣味の範疇で決定できる問題だ。
今だって、サイズがいくつでもラインがどうでも、本人さえ気にならないのであれば、
補整下着などあってもなくても完全にどっちでもいいのだ(私だよ)。

問題は、社会的に、ニップル部をどーするかなんだ、サイズ云々じゃなくて(爆)。
これのせいで、選択の余地がなくなるのだ。
私はもう、自他ともに認める正真正銘のおばさんなので、はっきり言うが、
女性の場合、「乳首が透けて見えるような服の着方は、自他ともに絶対にNG」、
これが、ノーブラ選択をほぼ不可能にしている、現状では最大の理由だと思う。
各種ニップルトップ、ブラトップなど、いろいろと考案されているが、
ブラジャーに取って代わるほどの市民権は、まだ得ていないようだ。
肩紐のないデザインはズレることを絶えず心配していなければならないし、
ぴったりと肌に吸着するタイプだと感触に関して好みが分かれるだろう。

がんのリスクと社会的なリスク、どちらを取るかという話に、
本当になったら、かなり困るかも。

……と、それより、こんな記事を書いてしまったせいで、
明日から変な検索語で来る人が激増するんじゃないか。

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