転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



帰りによくアクシデントに見舞われる我々だが
今回はなにごともなく、予定通り年内に(爆)
広島に戻ってくることが出来た。
寒い寒い宇治から舞い戻ったら広島も結構な寒さだった。

急いで部屋を暖房してお布団を敷いてお風呂を沸かした。
旅行から戻ると、ああ家は良いな♪としみじみ思う。


去年のこの日を、一緒に過ごしたばーちゃんが、今は居ない。
私は未だに、ばーちゃんの衣類を整理できないでいる。
特に、ばーちゃんが晩年はいていた靴を見るのが未だに切ない。
車椅子に座ったばーちゃんに、この靴を履いてもらうとき、
私が介助しやすいように、ばーちゃんはいつも、
片足をちょっと持ち上げてくれたものだった。
マジックテープを止めて、「できました♪」と見上げたら、
ばーちゃんはいつも、にっこり笑ってくれた。
この靴は、もう誰も履かないけど、処分できないなあと思う。
きっと来年も、このまま一緒に過ごしてしまうだろう。
でも一方で、ばーちゃんはじーちゃんと一緒にいるんだ、
と思えることが、今年は、とても幸せだ。
良かった良かった良かったね、と理屈でなく思える。

今年は、いろいろな、大切なものをなくしたが、
願ったもの・思いがけないものを手に入れた一年でもあり、
結局、ジタバタしてもなるようにしかならない、
ということを、折に触れて思い知った日々でもあった。

来年も、なるようになる一年なのだろうけれども、
せめて自分の知恵の及ぶ範囲では、最善を尽くしたと言えるよう、
感性を磨く努力を自分なりにしたいものだと思っている。


皆様、今年もありがとうございました。
どうぞ、良いお年を。

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宇治、寒すぎっ

にも関わらず大変な観光客の数で
鳳凰堂に入るのも一時間待ち。

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東京タワーがなんぼのもんや通天閣の勝ちや

という大阪人の友人の言葉を思いつつ、天王寺界隈を散策した。
以前来たのは神戸に住んでいた頃だから
十年くらい前だったのではないかと思うが
コンビニが増えていたし
年末のせいか人通りも多く賑わっていた。
通天閣に上がる入り口にはたくさんの人が並んでいた。
ビリケンさんがいたるところにいると娘は驚いていた。

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法隆寺から500メートルくらい離れた場所に
藤ノ木古墳があるので行ってみた。
中に入ることはできないが
出入り口の扉の前に立つとセンサーによって
中に電気がついて、石室の一部が見えるという説明が表示されていた。

写真で古墳に向かって歩いているのが娘。
内部の電灯は思ったより暗く
最初は点いてもわからず
まだ明るくなっていないのかと思って、
娘と私は近くにあったセコムのセキュリティー装置を
センサーと間違えて触った。
作動しないでくれて助かった。

しばらくしてやって来た外国人観光客が、
やはり中を覗きながらセコムのセキュリティー装置を触っていた。
皆に一度は電灯のセンサーと間違えられるセキュリティーシステムなのだった。

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娘はきょうのために山岸凉子《日出処の天子》を読み直し
復習に余念がなかった。

これから歴史を勉強する娘の、基盤となる知識は、
最初から耽美的なバイアスがかかっていそうで、心配だ。

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私が聖徳太子に興味を持ったのは小学校6年のときで、
学校の図書館で手に入る本を何冊か読んで、
作文用紙に調べたことをまとめたものだった。
聖徳太子が仏教を大変篤く信仰した人だというのを
そのときに学んだ。

いつか法隆寺に行ってみたいなあと思っていたのが、
中学3年の修学旅行で一旦、叶ったのだが、
当時は確か、バス旅行で、次々と観光地を巡ったので、
法隆寺も本当にざっと案内されて歩いただけだった。

齢45にして、これほどゆっくりと斑鳩で過ごせる日が来たとは
ありがたいことだと思った。
しかし私の頭の中の聖徳太子像は、
もはや、私が12歳のときのままではない。

まず、梅原猛氏の著作によってイメージが一新され、
次に、伊沢元彦氏の著作を読むことでまた新たな見解を知り、
最後に、山岸凉子氏の劇画から多大なる影響を受け、
今や私は、五重塔の上のほうに厩戸の幽霊が出そう、
みたいな気分で、この場所を見上げるような人間になってしまった。

玉虫厨子を見ても、中宮寺を訪れても、
ついつい、よけいなことを考えてしまう(汗)。

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お天気が良いので本日は斑鳩散策。

斑鳩に来ると、「いかるが○○」「太子○○」などの看板が多く、
住居表示は「法隆寺西○丁目」などで、なんだがシビれてしまった。
ここには、ちょっとした別世界があるなあと思った。

去年の飛鳥も面白かったが、歴史の残したものがそのままに、
今に受け継がれている町並みというのは、独特の雰囲気があると思う。
未だに人の手が入っていない、千数百年前の古墳や遺跡が、
きっとこの界隈や地中に、まだいくつもあって、
きょうも、ひっそりと眠っているのだろう。

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転夫ころもん企画による年末家族旅行で、きょうから大阪三泊四日。
夏の北海道は連日ホテル替えでヘトヘトになったので
今回は同じ場所三連泊にして貰った。

予定としては、大阪でバイキング他の食事を楽しむことと
斑鳩や宇治の観光などが決まっているが、
目眩患者の私だけは、体調不安の場合はホテルでごろごろもアリ、
ということで。

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今月は3日に私が目眩を起こし、五日間でなおったと思ったら
その一週間後にまた同じ目眩で寝込んでしまい、以来、
改善はあるものの、完全にはスッキリしないまま、
もう、こんな年末になってしまった。
ネットで調べたところ、この種の頭位めまいは、
一旦起こると、2~4週間は続くことがほとんどだということなので、
焦っても急にはどうこうできないようだ。

じーちゃんが、よく掃除掃除と怒っていた気持ちが、
私なりにだが、こうなると、かなり想像できた。
家が汚れているというだけでも、気持ちが悪いわけだが、
思うように体が動けば、やりたいように自分で掃除できるのに、
それが出来ずに、汚くなる一方の家をただ眺めているなんて、
全く、なんとイライラすることだろう。
目眩にはストレスが一番いけないんだよ(--#)。

それできょうは、娘に、家じゅうに掃除機とモップをかけて貰い、
浴室磨きも徹底的にやって貰った。
途中、あまり静かなので、換気が悪くて倒れたかと心配になったが、
覗いてみたら、娘は浴室中を洗剤で磨いたあと、
さらに歯ブラシと爪楊枝を使い、狭いところのゴミ取りをやっていた。
御陰で、バスタブも床も鏡も排水溝も、ぴかぴかになった。
ありがとう~~~(T.T)。

私も、リビングの床の拭き掃除と、棚拭き、レンジ磨き、
洗面台磨き、トイレ掃除などを、いつも以上に丁寧にやった。
最初、かがむとクラクラ来そうだったが、だんだん慣れたのか、
そのうちなんともなくなって、最後には、結構はかどった。
我々二人が掃除をしていたので、主人も途中から参加し、
自分の書斎の整理と、パソ夫・パソ太の手入れと、窓ふき、
等々をやってくれた。

期せずして、家族三人で集中的に掃除をすることができたので、
半日ほどだったが、結構、家の中が綺麗になった。
私の、ここ数日のイライラも、それを見て、おさまった。
これでなんとか、年神様が来て下さいますように(苦笑)。

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某巨大掲示板を見ていたら、12月20日の書き込みで、
『今日マミちゃん(真琴つばさ)がディナーショーで、
「今年一番心に残ったことを思って」と最後に熱唱したのが、
「デイ・ドリーム・ビリーバー」だった』
というのがあった。
観た人によると、マミちゃんは、なーちゃん(大浦みずき)を思って、
この曲を選んだというのが、話の流れから察せられたそうで、
歌詞を聞いていたら泣けたと、その掲示板の感想には書いてあった。

私がちょっとびっくりしたのは、そのときマミちゃんの歌った歌詞が、
「もう今は彼女はいない」「彼女はクイーン」
だったと書いてあったことだ。
書き込んだ人は指摘していなかったが、
なんとこれは、ディナーショー用の訳詞ではなくて、
清志郎の書いた『デイ・ドリーム・ビリーバー』ではないか!

調べてみると、マミちゃんが今年5月に出演した、
雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた
という舞台で、カーテンコールのときに、
清志郎の『デイ・ドリーム・ビリーバー』が使用されていた、
ということがわかった。
マミちゃんは舞台の思い出に絡めて、なーちゃんへの気持ちを、
自分のディナーショーの最後の一曲に込めたのだろう。

清志郎の歌で、マミちゃんがなーちゃんを送るなんて、
そしてそのとき、その清志郎も、もはや居ないなんて、
こんな巡り合わせを、どうして想像することができただろう。

忌野清志郎 - Daydream believer(YouTube)


ところで上記の映像では、清志郎が泣いているのではないか、
という指摘がコメント欄にいくつかある。
途中で、歌は乱れていないが、清志郎の左の頬を、涙か汗か、
わからないが何かのしずくがつたって落ちるのが、確かに見える。
清志郎はかつて取材等に答えたとき、この曲の歌詞をつける際に、
亡くなったお母さんのことを書いたとよく言っていたので、
彼のそのような思いについて想像し言及したコメントも出ている。

ただ、コメント欄の、ほかの人の意見にもあるように、私も、
清志郎が人前で泣く、というのはちょっと考えにくいと思う。
絶対にない、とまでは言わないが、
清志郎は、良くも悪くも、バンドマンとして徹底的な人だったから、
客の前に出たら、個人的な思いに流されるようなことは、
まず無かった、というのが私の印象だ。
たとえ心の中がどのようであったとしても、
清志郎が客より先に泣く、
というのは、どうも、私には、なさそうに思える。

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