転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



4月下旬に友人某氏主宰の音楽会があり、
いつものピアノ仲間の方々も参加なさるということで
私も誘って頂いたのだが、依然としてピアノをヤル気になれず、
どうしたものかと考え続けて、結局、
ベートーヴェンのソナタ『テレーゼ』第一楽章をやることにした。
それも、これまでずっとして来たような、
「こうすべき」と言われる弾き方を習得しようという姿勢は捨てて、
今の自分の何も変えず、ひたすら我が儘に、
自分の弾きたい通りに弾くことにした。
指がまわらない箇所があっても、妥協せず弾きたいテンポで弾き、
「おかしい」「独りよがり」と言われる演奏になろうとも、
私が良いと思う『テレーゼ』を忠実に再現しようと決めたのだ。
私は、伝統的な解釈だの歴史的な位置づけだの、楽曲分析だの、
全部「知りませんでした」で通るド素人のオバちゃんだし、
そもそも上達したいかどうかすら、自分で決められる趣味の弾き手だ。
ひとりで勝手に破綻していたとしても、笑って見逃して貰えるだろう(^_^;。
これでようやく、積極的にピアノに向かう気分になった。

……という話をもっと書こうと思っていたのだが、時間切れ。

Trackback ( 0 )




松緑、菊之助が語る「三月花形歌舞伎」(歌舞伎美人)

私にとってかつてのゴールデンコンビであった、
辰之助(先代)×菊五郎、のそれぞれの息子たちが、
今やこれほど立派に成長し見事に主役を張るようになろうとは、
もうもう、オバちゃん感涙・感涙でございます(T_T)。

あらし(松緑)くんは痩せて体が絞れて、男ぶりが上がったじゃないか!!
私は目下、この松緑の声と台詞が好きで好きで、とても気に入っている。
お父っつぁんの辰之助(←ファンには三世松緑なんかじゃない。
いつだって彼は辰之助だっ!)は、私には別格・空前絶後の存在で、
昔は、あらしくんが辰之助の遺児だということで無条件に応援し、
左近の頃から折に触れて舞台を観、辰之助襲名披露にも感激したものだが、
今となってはもう、彼が誰の息子だからとか似ているかいないかとか、
完全にどうでも良くなった。
当代松緑の舞台は今の私にとって大変心地よく、
劇場で彼の声が響き渡ると、私はいつも胸のすくような手応えを感じる。
今の松緑が好きで、彼が演るからこそ私は彼の舞台が観たいと思っている。

一方、カズ(菊之助)くんの顔立ちや雰囲気は、こうして見ると、
本当に音羽屋の旦那さんと純子夫人のそれぞれに似ているな、
と改めて思ってしまった(^_^;。
良いトコ取りになって、良かったね(爆)。
前も書いたが、丑之助だった頃のカズくんはよろよろと危なっかしい感じで、
私は(←身内でもないのに)ハラハラしながら舞台を観ることが多かった。
菊之助を襲名する頃でもまだ、生真面目過ぎて観る側としては窮屈で、
ハズしてもいいから、…いや、ハズしたら良くないのはわかるのだが(^_^;、
それでも少しくらいは、イチかバチかみたいな体当たりがあっても良いのでは、
と、もどかしく思ったりしたものだった。
しかし近年は、そうした折り目正しさが極めて良い方向に発揮され、
菊之助の存在に、匂いたつような華やかさが感じられるようになったと思う。
忍耐強くかつ慎重に積み上げて来たものが、彼の大きな財産になり、
今確実にその蓄積が開花している、という気がするのだ。

私としては、松緑・亀寿・権十郎というトリオがたまらない(笑)のと
團蔵の蝙蝠安が観たいのとで、3月南座は昼の部狙いかな、という気分だ。
しかし、御贔屓勧進帳と娘道成寺という組み合わせも捨て難いわね。
これはできれば昼夜通しをやってしまいたい。
舞台の神様、道楽の神様、どうか私にチャンスを下さい(殴)。

Trackback ( 0 )




明朝是歳除
会社に出なくて良い日だったので、朝から漢詩の会に行った。
今の時期、旧暦では12月ということで、師走の詩を三題読んだ。
唐の岑参(しんじん)が、勤務で今の新疆ウイグル自治区まで赴き、
『ったく、長安から何万里離れとんのか、
李(=友人)のヤツ手紙の一本も寄越さんたぁどういうことや、
見りゃ、目の前、延々と砂漠しかねーよっ(--#)、
しかも、チクショー、明日は大晦日かよっ』
と憤懣やるかたない『玉関寄長安李主簿』がなかなか面白かった。
いや勿論、幕僚として西の地で過酷な生活を強いられた岑参のことを思えば、
これは笑い話などではなく、あまりにも切実な、
まさに悲憤慷慨の詩なのだけれども(^_^;、
しかし怒り方がやはり若いというか、力強さを感じて私は気に入った。
この岑参という人は、戦地であった西方勤務が大変に長く、
その時期の作品も多いので、『辺塞詩人』と呼ばれているそうだ。

墓参偶成
ということで、あとは家に帰って掃除して晩ご飯を仕込んで、
ちょっと休もう、…と思っていたのだが、
バスを待つ間、携帯でニュースの見出しをチェックしていたら、
そのヨコに出ていた天気予報に明日は雨だと書いてあり、焦った(O_O)。
私はこのところずっと、舅姑の墓へ参っていないのを気に病んでおり、
今週のスケジュールで唯一自由になる明日朝をアテにしていたのだが、
それが雨で駄目になりそうなら、残るは今日、今から行くしかなかった。
なので、そのまま一旦帰宅して荷物を置いてから、
改めて佐伯区方面に向かって出発した。
行ってみたら、墓地に人影は全く無く、車の一台すら停まっていなかった。
普段、午後になってから墓地には行かないようにしているのだが
(算命学をやっている友人が、以前、
『お墓行くなら朝。太陽が真上を過ぎたあとの時間は、魑魅魍魎が出て来る』
と言ったので、なんだかキショク悪くて、日頃はそれを守っているのだ)、
でももう、きょうの場合は背に腹は替えられないし、仕方が無かった。
舅姑の墓へ行って掃除をして、花を取り替えて新しい菊を生けて、
お灯明をつけお線香を上げて拝んでいたら、
私の左側の、お寺の本堂の屋根あたりで、パンパン!と不思議な音がした。
うそ、これって、いわゆるラップ音…(^_^;?
と思ったが、聞かなかったことにした(逃)。

Trackback ( 0 )




・明日は出社しなくてはならないので、昨日きょうは、
先週よりはうまく時間配分して動いたつもりだったが、
やはりこんな時間になってしまった(汗)。
いずれはもっと出社日や勤務時間数を増やす方向で…、
とマネジャーは言ってくれていて、有り難いとは思っているのだが、
そんなことをしたら私は更に首がまわらなくなりそうだ。
いやわかってます、こうやって無駄にパソコンで遊ぶ時間を
これからは減らすようにして行けば良いのよね(^_^;。

・2月10日の夕方に帰ろうかと思っている、
と、きょう娘がメールして来た。
結構、こちらから東京に行ったりして会っているので、
あんまり久しぶりという気がしないが、帰省は9月以来か。
今年こそは、娘の部屋にひな人形を飾っておかなくては。
去年は入試の騒動で、それどころではなかったので、
お雛様とは2年ぶりのご対面だ(^_^;。

・私は2日前からなんとなくお腹の具合がもうひとつだ。
激しい症状はないので、ウィルス感染ではないと思うのだが、
お腹がごろごろ動いて下腹が重怠い、という感じがきょうもあった。
別に食欲に異常は無いから、痩せるという恩恵はなく、
だた微妙に気分不良なだけだ。ひたすら損した気がする(--#)。
そろそろなおって欲しいものだ。

Trackback ( 0 )




年末のポゴレリチ来日公演のせいで、私の頭は徹底的に破壊されたが、
今回はラジオ講座だけは意地でも聴き通す!と決意していたので、
とにかく毎日ラジオをつけてテキストを開いて頑張った。
奇しくも、去年5月にポゴレリチ来日公演で挫折したときと、
全く同じ番組が再放送でこの時期に巡って来ていたので、
またぞろ同じ理由で同じ番組相手にグダグダになるのだけは避けたい、
と私なりに痛切に思ったのだ。
お蔭で、こうして2月号購入時点までなんとか繋がった(^_^;。
百合が姉さくらの家に滞在してどれだけ滔々と喋ったかもわかったし、
バルの店主イグナシオが変わりなく生存していたことも突き止められた。
今、ワタシは自分で自分を褒めたい気分です!(殴)

フランス語初級編は、今や文法項目も含めて私にちょうど良い学習内容で、
テキストを見ずに本文を聴き取るのは、しっかり困難になった(^_^;。
まずは聴き取りを頑張り、オーバーラッピングして音読すること、
これが出来る回はシャドウイングして読めるようにすること、
を自分の課題にしたいと思っている。
加えて今期は、応用編のほうもなかなか私好みだ。
平易なダイアローグを通して、フランス語で日本文化を紹介する、
という趣の番組で、フランス語の通訳案内士試験を目指すなら
最適ではないかと思える内容だ。
私の仏語力ではとてもそのような資格は現実的ではないが、
トレーニングとしてとても学ぶところが多く、かつ取り組みやすい。
番組の舞台が大阪で、講師の福島祥行先生が関西弁なのも楽しい(笑)。

スペイン語は入門編を聴くのが精一杯だが、
今年度は前期後期ともに、とにかく途切れずにここまで聴いてきたので、
ようやくスペイン語がどうなっているか、わかって来た気がしている。
これだけ時間をかけてきて今更言うのもアレなんですが(殴)。
どんな講座でも、とにかく第一回から最終回まで通して聴くのが、
とても大切で、力になることだというのが体験的にわかった。
来年度もスペイン語は続けたいと思っている。
たとえ遅々たる歩みであったとしても。

**************

パートである私には、月曜日は会社が無いので、
それを良いことに先週は日曜と月曜の大半を家事にかまけて過ごしたら、
月曜の夜から火曜日にかけてが、出勤を前に修羅場になった
(ゆえに20日(月)の日記は空欄だ。パソコンを開ける暇もなかった)。
あれで懲りたので、きょうは私はこれから仕事の準備にかかろうと思う。

無茶したらなんとかなる、というのは本来あり得べき姿ではないと
このトシになってつくづく思うようになった。
むしろ、予想外のアクシデントがあっても対応可能なように
余力を持って準備を進めることが、何事であれ基本なのだ。
そのためには、どれもこれも目一杯まで頑張ってなんとかする、
というのではなく、やったほうが良いことのいくつかを敢えて断念し、
本当にやらなくてはならないことに、余裕を与えるようにすべきなのだ。
……性格的なことを考えても、少なくとも私の場合は、そうだ(^_^;。

無茶に無茶を重ねてすべてなんとかやりおおせた、などというのは、
もともとの計画が遠大過ぎたか、
最初に自分の能力を過大評価していたかの、いずれかなのだと思う。

Trackback ( 0 )




先日亡くなったクラウディオ・アバドについて、
ポゴレリチが言及している記事が出ていた。
Ivo Pogorelić: Svaki nastup s Abbadom bio je muzički praznikVečernji list
以下、ポゴレリチの話に関する箇所の和訳。

『「ソリストの目から見ると、クラウディオ・アバドは、
日常の演奏では滅多に巡り会えないような、
まさに演奏者みなの夢を実現したような指揮者だったと思う。
オペラを振って来た人だったから、
管弦楽主体でオペラを経験していない指揮者よりずっと、
アバドは、ソリストと共演することに対して豊かな素地を持っていた。」
――と、この偉大なピアニストはルガーノからの電話で思い出を語り始めた。』

『「リハーサルには彼はいつも、およそ考え得る限り最高に真摯なやり方で
下準備をしてからやって来たものだった。
それはまるで、私の隣に立っているのが指揮者というより、
共演のためにしっかりと研究をしてきた学生、というくらいの印象だった。
しかし、一旦演奏が始まると、彼は出てくる音に深く没入し、
音楽への熱い思いを迸らせた。
彼はソリストがこれからどうするかを正確に察し、気を配りながら耳を傾け、
そうすることで、ソリストが更に飛翔できるような舞台を創り出してくれた。
オーケストラにとってどれほど困難に思われるようなことでも、
彼なら即座に実現させてくれる、という感じさえした。
彼の柔軟性と、リハーサル、ひいては本番での彼の指揮の仕方は、
真に優れたものだった。
彼のような指揮者は本当に滅多に居なかったと思う。
彼は自分自身のエゴからは完全に自由で、
音楽をかたちにすることに自分のすべてを捧げ、
いかなるオーケストラからも全力でその最高の音を引きだした。
このような人とステージに上がることは、いついかなるときも、
私にとって音楽の祭典というべき体験だった。」とポゴレリチは語った。』

原文はクロアチア語で、某友人に英語に直して貰ったものを
更に私が日本語に訳したのが上記の文章なので、細部に関しては、
もしかしたらポゴレリチの意図したものと異なっているかもしれない(汗)。
しかしポゴレリチが、アバドを絶賛していることは読み取れると思う。

ポゴレリチは誰とでもうまく合わせられるようなソリストではなく、
またポゴレリチの(恐らくは)気難しくマニアックな要求を
高度に満たしてくれる指揮者も、これまで決して多くはなかったと思うのだが、
アバドだけは、ポゴレリチをこれほど満足させたばかりか、
二枚のディスクを録音することさえ実現させた。
アバドは、指揮者としても芸術家としても実に懐が深く、
豊かな知性と柔軟な感覚を併せ持った人であった、
ということだと思う。

Trackback ( 0 )




マルの中に『扶』の字、の印が付いている、
『給与所得者の扶養控除等(異動)申告書』
を職場のマネジャーから渡され、記入して出すようにと言われた。
給与所得があるなどという生活をするのは20年ぶりなので
(極零細学習塾の経営者だったときには、
スタッフさんたちに対して私が支払者だったことはあったが…)
どこに何を記入するのだったか全然思い出せず、困った(爆)。

特に、D欄の『他の所得者が控除を受ける扶養親族等』が
つまり誰のことなのか、私の頭では全く理解不能だった。
ネットで検索したところ、私の場合、どうやらここは、
「自分の子で、自分の配偶者の扶養に入っている者(16歳以上)」
すなわち娘の名を書くと良いらしかったが、しかし実質的には、
ここに記入を忘れたからと言って、主人や私が何かを損する、
というものではないようだった。
もともと私が控除を受ける受けないの話ではないからだ。
要は、誰が誰を扶養しているかを確認するだけの、欄……??
所得税法かなんかをちゃんと読めば、
この欄の意義が書いてあるのかしらね(^_^;。
↑追求する気力なし。もう夜遅いし(殴)。

Trackback ( 0 )




昨夜から右腹部、高さ的には胃の下部あたりが
鈍くだが間歇的に痛んで、朝になってもなおっていなかったので、
きょうは以前から時々お世話になっている消化器内科に連絡し、
午後のエコー検査の予約を取った。
痛みは数分ごとに、持続時間10秒くらい、というのを繰り返しており、
さしたる苦痛はなく、過去の私なら全く気にしなかったと思うが、
なにしろ昨年、どうも脇腹の鈍痛が続いて鬱陶しいので検査したら
1センチ半を超える腎結石で水腎症を起こしていたことが発覚

という一件があったので、さすがに懲りて、慎重になったのだ。

しかし、どうやら、今回の私は慎重になり過ぎたようで、
予約時間の頃には、腹痛はおさまってしまっていた。
そうなってみると、どこが痛かったかもだんだん定かでなくなり、
ちょっとしたことですぐ騒いだのがいたく恥ずかしい気がして、
行くのをよそうかとも一旦は思ったが、
やはり、せっかくエコーの時間を確保して貰ってあるのだから、
この際、悪いところがあるかないか診て貰うのは良いことだろう、
と自分を奮い立たせて、出かけた。

すると、有り難いことに今回は右腹部には何も起こっていなかった。
右なので、胆石が原因の胆嚢炎とかだったらイヤだなと思っていたが、
胆石は変わらずに数ミリのが3つ鎮座しており、炎症のあとも無く、
部位的にも、今回の痛みは胆石症のものではないとのことだった。
余談だが私の胆嚢は、普通の人より体の中心線寄りにあるとも言われた。
そのほか、肝臓、膵臓、脾臓、腹部大動脈など、
エコーで観察可能な範囲ではどこも問題なかった。
右腎臓は、腎結石の名残で、腎盂が若干開いたままになっていたが、
血液検査で腎機能の問題を指摘されていないなら、
これも心配ない、ということだった。良かった(涙)。

ただひとつだけ、左の腎臓に、もしや、石…(^_^;?と思われる、
小さく光った点が映っていた。
3ミリに満たなかったが、怪しい、とのことだった。
「定期検査が3月なんですが、すぐ泌尿科、行ったほうがいいですか」
と私がビビったら、先生は、
「そこまでは必要ないです。だって、この小ささじゃ、
わかっても結局、出るの待つだけだから」
と仰った。
言われてみればその通りだった(汗)。
特段の治療が要らない、という意味では有り難い診断だったが、
すぐにはどうしようもない、という意味では残念なご託宣でもあった。

ほぼ1年前の腹部造影CT検査のとき、左右の腎臓に、
砂粒のような石のモトと思われるものがひとつずつ映っていたものだが、
左にあったヤツが1年かけて育ってこうなったのだろうか。
それとも今回のは、あれらとは関係無く新たにできつつあるものなのだろうか。
現状は、すんなり流れて排石…、もアリなサイズだが、
右側と違って左腎臓は全く腫れ慣れていない(爆)ので、
うっかり途中で引っかかったりしたら、2ミリ台でも悶絶モノだと思われた。
かと言って、出なければ出ないで、
このまま左腎に居座って成長されるのもイヤだし(T_T)。
即座に治療対象にならないと言われても、
既に結石経験者の私は、あれこれ考えてクラくなった。

ちなみに、受診のきっかけとなった右腹部の痛みは、
結局、何なのかわからなかった。
腸の動きによるものだったかもしれないし、
十二指腸潰瘍などができている可能性も、
もしかしたらあるのかもしれない、とのことだった。
しかしいずれも、痛みがなくなったのならとりあえずは問題無く、
経過観察で良いと先生は仰った。
もちろんきょうのところは、投薬も何も無かった。

では、また水分摂取してせいぜい運動するように致します(T_T)。
食生活も、夏の退院直後よりはやはり緩んでしまっていたので、
再びストイックに脂質糖質など制限し、減量に励もうと思います(>o<)。

Trackback ( 0 )




さきほど、ふと思いついてリシッツァの公式サイトに行ってみたら、
来日予定が掲載されていたっっっ!!!
Valentina Lisitsa(公式サイト)

Tuesday 24 June 2014
Concert Hall Kitara, Sapporo, Japan

Wednesday 25 June 2014
Performing Arts Center, Hakodate, Japan

Friday 27 June 2014
Acros Fukuoka Symphony Hall, Fukuoka, Japan

Saturday 28 June 2014
Mihara Performing Arts Center Popolo, Mihara, Japan

Sunday 29 June 2014
Symphony Hall, Okayama, Japan

Thursday 3 July 2014
Civic Cultural Hall, Musashino, Japan

Saturday 5 July 2014
Symphony Hall, Osaka, Japan

Sunday 6 July 2014
Aichi Prefectural Arts Center, Nagoya, Japan


昨年末にポゴレリチが帰って以来、久しく忘れていた、
体中の血が躍動するような興奮を、今、私は感じている(^_^;。
今度こそ、追っかけたいっっ、リシッツァ!!
前に来たときはヒラリー・ハーンの伴奏でツアーをし、
リシッツァ本人のリサイタルは、
ついでのように一回だけ、トッパンホールで開催されたのだが、
今年のは堂々の日本ツアーだ。
福岡、三原、岡山、大阪、名古屋と
やけに、私の行けそうなところが並んでいるではないか!!

ホール名から各会場のサイトに行って公演スケジュールを調べたら、
ベルリン交響楽団との協奏曲の予定がいくつか見つかった。
わかった範囲では、アクロス福岡ではリシッツァは『皇帝』を弾くようだ。
これが聴かずにおられようかっっ!!
協奏曲ばかりでも良いが、更にどこかでリサイタルもないだろうか。
一度にそこまで望んではいけないか(^_^;。

Trackback ( 0 )




指揮者のクラウディオ・アバド氏死去 80歳(朝日新聞)
『世界最高峰の指揮者、クラウディオ・アバドさんが20日朝、伊北部ボローニャの自宅で死去した。80歳だった。胃がんを患い、闘病を続けていた。カラヤンの後継者としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率い、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場といった世界に冠たる名門歌劇場の音楽監督を歴任。名実ともにクラシック音楽界の巨匠といえる存在だった。』

1980年代に青年期であった私達の世代は、
アバドがその活動範囲を最も精力的に広げて行った日々を
聴き手として同時進行で共有したと言えると思う。
ひとつの重要な時代が幕を閉じたという感慨は大きく、
深い喪失感に捕らわれた人達も多いはずだ。

ポゴレリチとの関わりは、アバドの活動においては
必ずしも筆頭として語られるようなものではなかったと思うが、
83年ショパン『ピアノ協奏曲第2番』(シカゴ交響楽団)と、
85年チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』(ロンドン交響楽団)
というふたつの録音はアバドなくしては成立し得なかったもので、
ポゴレリチ・ファンにとって、この二枚のディスクにおける成果は、
今も忘れることのできないものとなっている。
とりわけ後者は、カラヤンに退けられたあとのポゴレリチに
アバドが理解を示してくれることがなかったならば、
決して日の目を見ることのできなかった演奏であったと思う。

アバドとの共演が常に素晴らしい体験であったという主旨の、
ポゴレリチによる哀悼の言葉がfacebookには出ていたので、
のちほど正式な記事等に掲載されるようであれば、
こちらでも紹介をしたい
と思っている。

R.I.P、マエストロ・アバド。
心からの敬意と感謝を捧げたい。

Trackback ( 0 )



« 前ページ