転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ジーン・シモンズによる、ポール・スタンレー評。

『ロックンローラーとしてのあいつは不可侵だ』
『あいつがハードにやっててくれる分には、俺には効き目ありだ』
『ポールがロマンチックになり始めると、俺は退く』
『あいつがやんわりと「おまえが恋しい、おまえを愛している」と
やりだすと、俺は「この骨抜き野郎が、消えていなくなれ!」と思う』
(『KISS ―Behind the Mask』2005年)

つまり、あれだ、
『サツガイ、サツガイせよ!』
『貴様貴様貴様 復讐ーーー!!』
とやっている限り「ネ申」だが、
『チーズタルトを焼いてたさぁ~~ん♪』
『甘い甘い 甘い甘い 恋人~♪』
になると、途端に殴りたくなる、という………


ってことは、ジーンとしては、こういうの↓は満足だけど
Modern Day Delilah(YouTube)2009年

こっち↓なんかだと、もしかしてサム気がするのかしらん。
Shandi(YouTube)2003年
ポールのソロなら定番に近い曲なのに、
KISSでこれが普段演奏されないのは、そういう理由?
別に、悪くないじゃんね……(^_^;)?

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28日11時公演しか観ていないので、把握できていないところも
多々あると思うのだが、忘れないうちに印象を記しておきたいと思う。

全体としては、とても洗練された、良い舞台だった。
コスプレを求めるタイプの観客から見ると、
スーツが主体の現代物は物足りない面もあるかもしれないが、
主演も脇もいずれ劣らぬ名演揃いで、見どころが多く、
観た!という手応えが随所にある、実に完成度の高い公演だった。

主役のリックは、ゆうひ(大空祐飛)くんにピッタリで、
大人の男性を演じられる彼女の強みが、存分に発揮されていた。
加えて、ゆうひくんの男役には「型」がちゃんとあって、
立ち方や衣装の見せ方、煙草の扱いに至るまで、
下級生の「お手本」となる、素晴らしい主演ぶりだったと思う。
宙組にはこれまで、「型」を持ち込むタイプのスターが少なかったので、
ゆうひくんは今後、組カラーに影響を与える人かもしれないと思った。

私にとって良かったのは、以前も書いたように、
酒場「カフェ・アメリカン」で、客のドイツ人とフランス人とが
それぞれの国の歌を競い合って歌う場面で、
リックはそのどちらにも属さず、愛するアメリカに帰ることも出来ない、
という孤独感が非常に強く出ていた箇所が、とても印象に残った。

総じて、ゆうひくんのリックは、持っている孤独感が際だっていた。
イルザの愛を見失ったことで彼の心は閉ざされた、というのがよくわかった。
そのことが、パリの回想シーンで、リックが恋に落ちる場面を観て、
いっそう鮮やかに感じられた。
イルザと初めて出会う場面でのリックは、明らかに現在の彼ではなく、
台詞を言う前から、「損なわれる前の彼」であることが
明瞭に表現されていたと思うのだ。

彼女に「捨てられ」、異境の地に流れ着き、
自らの経営する店に、運命の女性イルザが再度現れ、
まわり道の後に、ついに彼女の愛を確かめることが叶い、
自分の選ぶべき道を見定める……、という後半のリックも良かった。
最終的に、またしても独りにもどるリックだが、
退廃的だったリックが、今や自らの再生を手にしたということが、
ゆうひくんの静かな演技から存分に伝わっていたと思う。

ただ、もしかしたら、宝塚的には、
トップのやる役の系統はむしろラズロのほうであって、
リックは、キャラ的には、本来なら二番手の役ではないか
とも、私には思われる。
宝塚では多くの場合、トップの役は理想に燃えるまっすぐな二枚目であり、
二番手に、ねじれた男の魅力が加味されることが多いと思うのだ。
二番手にそういうオイシイところを存分に演らせた上で、
トップは何もしていないようでいて、実は最終的にはやはり主演者、
さすが、組の頂点に立つ男役の存在感は違う!
……という具合に行くと、観る側の陶酔感も大きいように私は思う。

その点リックは、過去を封印した男性のやりきれなさ・見事さが、
多くの場面を費やして丁寧に書き込まれているばかりでなく、
恋に落ちる青年の純粋さを発揮する場面や、
なくした恋の痛みのために、弱さをさらけ出す場面まであって、
主役にそのような「良いとこ取り」をされると、
「筋の通った熱い二枚目」程度の設定しか与えられていない二番手が、
位負けしたとしても無理はない、という印象が、私には、あった。

今回は原作があってそれを踏襲した設定だし、
ゆうひくんにリック役が素晴らしく似合っているので、
変えるべきだったとは毛頭、思わないけれども、
その陰にあって、二番手のらんとむ(蘭寿とむ)くんが、
本来非常に不利なところで、善戦している、
ということを私自身は強く感じた。
ラズロ役をもっと掘り下げて印象的に演じろ、という批判が、
あるかどうか知らないが、もしあるとしたら、
それはいささか酷だろうと思う。


……ということで、ほかの方々についても感想はあるのだけれど、
長くなるのと、気力が続かないのとで、また機会があれば改めて<(_ _)>。
今、宝塚について書こうとすると、結構、消耗するというか、
気持ち的には、やはり重いものが、あるので……。

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昨日、私が聖地巡礼に出ていた間、主人も大阪で遊んでいた。
と言っても、それぞれ勝手に行って勝手に帰ったので、
現地で出会うことは全くなかった。

主人は、まず、行列のできるうどん屋に行ったらしい。
これのために朝から出発したのだそうだ。
それが終わると、今度はネットで調べて興味を持った蕎麦屋に行った。
店内は昼時で、混雑していたので、知らない人と相席になった。
相席の人は、つきだしのお豆腐が出てきても手を付けず、
主人はどんどん食べながら「?」と思って見るともなしに見ていたら、
蕎麦が出てきた時点で、おもむろに立ち上がり、
携帯を構えて、写真を撮影したそうだ。
どうやら、食べ物ブログをやっているヒトだったようだ。

「すみませんでした」
とその人は、着席しながら周囲に頭をさげて下さったそうで、
とても良いヒトらしかったが、
それにしても、主人に言わせると、
『結局たいした蕎麦ではない』(殴)
という評価だったそうで、
その人は恐らく御自身のブログに感想を書かれたのだろうが、
果たして褒めただろうか、と主人は可笑しく思ったとのことだ。

そのあと、主人はさらに、フランス料理屋に行った。
高級感のある店とは大違いの、下町の一角にある店で、
これもネットで調べて知ったのだそうだ。
カウンターの、厨房の見える位置に、男ひとりで陣取り、
アラカルトで「普通のポーションで」とあれこれ頼み、
最後はフォアグラにして甘口のワインを指定するという、
とても変な客だった主人を、店の人も怪しんだと見え、
「どちらからおいでになったんです?」
と訊いてきたそうだ。
さすがに、広島から、とは言えなかった、とのことだ。

神戸に住んでいた頃も、主人はひとりでしょっちゅう、
フランス料理を食べに現れて、常連だった某店のマダムから、
恨ミシュラン・ライターか何かだと思われていた
という過去があった。

「でもワシ、ブログやってないし」
と主人はきょうその話をしながら、苦笑していた。
『影響力を持ったファンが一番ありがたい』
と清志郎が言っていたものだが、
主人のような客は、怪しさ全開で店内に緊張が走るだけで、
結局、全然店のためになっていないのだった。

ということで、昨日、朝から食い過ぎた主人は、
私よりはるかに早く、帰宅していた。

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11時公演を観てきた。

なーちゃん(大浦みずき)が亡くなった今、
宝塚歌劇を観る勇気は、最初、なかなか湧いて来なかった。
でも、なーちゃん同期のソル(磯野千尋)さんがご出演だったし、
ケイ(萬あきら)さんの最後の公演でもあったから、
観なかったらやはり後悔するだろうとも思って、出かけた。

新大劇場には、なーちゃんの思い出はほぼ無いので、
その点だけは、私にとって良いことだった。
もし今、日比谷の東宝が昔と同じだったら、
私には、足を向けることも出来ない場所になっていただろうけれど、
あそこも、もう全く昔の面影などないものに建て替えられたので、
そのことも、私の今後のためには、幸いだったと思っている。

ちゃんとした感想を書く気力は、今は、ないのだが、
きょうの公演で、一番印象に残ったのは、
ゆうひ(大空祐飛)くん扮するリックの所有する店で、
客達が、ドイツ国歌とフランス国歌を競うようにして歌う場面だった。
愛国心に燃え、誇りを誇示する人々の背後で、
リックだけが、どちらの国の人間でもない、アメリカ人で、
しかも、彼はそこに帰ることが出来ない、
というのが物凄く胸に染みた。
ゆうひくんは名演だった。
ほぼ、立っているだけの場面だったにも関わらず。


書く気になったら、また明日にでも。

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昨日は、KISSのロサンゼルスのライブを観て
Bigger!Better!More!
Awesome!Amazing!
と、テンションが上がりまくっていたところへ、
夜中になって某氏より
『ポゴレリチ、5月5日(祝)サントリーホール』
との知らせが……!!

文字通り、Uh, All Night!
今朝は、完璧、寝不足だ。


サントリーホールの公演スケジュール

追記:↑は飽くまでホールのほうの情報のみです。
KAJIMOTOのサイトには、まだ全く何の記載もありませんので、
現時点では「未確認情報」という程度に、ご理解下さい
<(_ _)>。

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ほとんどどうでも良い話なのだが、
私は、英検二次試験前後で2キロ痩せた。
「痩せた」という字を使うのが全く申し訳ないほど、
外見的変化はゼロなのだが、数字的には2キロ減ったのだ。

とにかく二次試験直前一週間くらいの頃は、
アドレナリン放出されまくり、という感じで、
心臓の期外収縮がどうのこうの、の話など吹っ飛んだ。
食事なんか、しようがしまいがどうでも良かった。

何を見ても英語で言うとどうなるかを一日中考え、独り言を連発し、
ヒマされあればキッチンタイマー片手にスピーチの練習をやって
英会話学校の無料体験を掛け持ちして喋り倒し、
また、そういうときに限って疲れを知らないので、
墓掃除にまで行って、家ではやたらとピアノを弾き、
とにかく一日中ぎんぎんに活気づいていた。

私の英語は、全くもって、自分の中に根ざしたものではなく、
学習によってあとからくっつけたものに過ぎないので、
英語を使うには、自分を無理矢理に駆り立てないと駄目なのだ。
それは本来的にはとても疲れることで、消耗することでもあった。
だのに、この異常な興奮状態の中では、
私はひたすら一方向に走り続けるのみで、
自分の状態を客観的に把握することが、全然できていなかった。

これを1年間続ければ、私はスレンダーになれるのではないだろうか。
と、数日前の夜、入浴前に体重計に乗って、思った。
2週間で2キロ痩せられるなら、1ヵ月で4キロか。
いや、まあ、そこまで計算通りに行くものではないにしても、
1ヵ月1キロずつでも落とせば、来年には……。

で、合格発表から二日経過した今夜、
やや正気にかえってみたら、
なんと体重も、1.3キロ、戻ってしまっていた。

やっぱり駄目なのだ。
毎月面接試験を受けるくらいでないと……(涙)。

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二次については、何を準備したら良いかわからず、
とりあえず『2009年度版英検1級全問題集』(旺文社)を買い、
過去の面接で、スピーチにどういうテーマが出題されたかを調べた。
王道としては、どのようなテーマでも最低限何か言えるように、
転用可能な原稿をなるべくたくさん自分で書いてみて、
かつ、暗記しておくのが有効なのだろうと思うが
(ということが二次対策用のサイト等に出ていた)、
私には、そのようなことは時間的にも能力的にも、
どうも出来そうになかった。

それで、もう理科系ネタも時事ネタも避けて、
「見合い結婚は、現代でも意味があるか」
「占いは今の市民生活で役立っているか」
「音楽が社会生活において果たす役割について」
の類の、荒唐無稽だが日常の語彙でなんとかなりそうなものを
無理矢理にでもやるしかないだろうと思った。
過去問を眺めてみると、毎回、5問のうち1問だけは、
そのテの、何か言えそうなものが出ていたからだ。

キッチンタイマーで計り、1分考えて2分間喋る、
というのを幾度かやってみたが、
「例」をあげたいのにうまく英語にならず黙ってしまったり、
説明に時間がかかり2分のリミットが話の途中で来てしまったりと、
どうにも、スラスラと行かないので、
『最初に「結論」を言い、あとは「理由」を時間いっぱい喋る』
と割り切った。「例」は話しながら適当に入れることにした。
よく対策本にあるような、
『(結論を含む)序論→(例証2つを含む)本論→(まとめの)結論』
などという美しい構成のスピーチをする能力は、私には無かった。

それから、全く英語を喋る機会がないまま十何年も経っていたので、
英会話スクールを三校ほどまわって、無料体験レッスンを受けた。
直接の試験対策ではないにせよ、大いに度胸試しになったし、
実際、今回の試験に落ちたら英会話学校に行こうと思い決めていたので、
「落ちたときには、あそこに行って、やり直せばいいんだ」
というアテが出来たのは、心理的にプラスになった。

本番では『若者は権威に対する尊敬の念をなくしていると思うか』
というテーマを選んだ。
ほかに出題されていた、環境問題も健康の話題も私には語彙がなく、
案の定、これしか話のできそうなものがなかったからだ(苦笑)。
それでも合格ラインを超えることは出来たところを見ると、
英検は英語のテストなので、「話術」までは問うていない、
ということではないかというのが、今の感想だ。
さほど構成の整ったスピーチが出来なくても、
要は、テーマから外れないことを2分間、英語で言えるかどうかと、
結論が、明示的に、わかりやすく言えているか、
が大事なのではないだろうか。

なお、言うまでもないことだが、
私がここで問題にしているのは、資格試験に過ぎない英検限定の、
「合格点を超える」ための、最低ラインの話だ。
本当の意味で英語が出来る・斬れ味の良い英語を使える、
というのが、こういうレベルの話でないのは、無論だ。

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『英検』『合否』『勉強方法』などの検索ワードで
こちらの日記に来て下さる方が、10月以来、かなりあり、
一次二次それぞれの合格発表当日翌日は特に多かったので、
今回の英検向けに、自分のやったことを、
あまり記憶が風化しないうちに、記録しておきたいと思う。
と言っても、胸を張ってお教えできるほどの内容でないことは、
先におことわりし、お詫びを申し上げておきます(汗)。

4月に「今年は英語をなんとかしよう」と決めて、最初に買ったのが、
英検1級DAILY30日間集中ゼミ』(旺文社)だった。
大学のときの先輩が「問題集を100回やるしかない」と仰っていたので、
この一冊を、まあ100回は大袈裟としても5回くらいやれば、
少しは英検に対するカンが養えるかな、と考えた。
傾向と対策、ではないが、目指す試験に特化した問題集をやるのが、
資格試験の場合、やはり合格の近道だと思うのだ。

この本を一度通してやってみたところで、
あまりにも語彙問題が出来ないのと、
リスニングの聞き落としが多いのを知り、我ながら頭に来て、
DAILY30日間に固執するのは、やめ、
英検1級リスニング問題150』(旺文社)
英検1級語彙・イディオム問題500』(旺文社)
の二冊を勉強することにした。

リスニング本のほうは、分厚く見えた割には、
中身のほとんどがスクリプトと和訳・解説なので、
実際に聞いて解答する部分は、さほど多くなかった。
やろうと思えば数日でできる本だと思う。
英文を聴くときは必ず、心の中でシャドウイングするようにして
一言一句聞き漏らさないように丹念に聴く練習をしたのが、
私にとっては一番効果があった。

一方、『語彙・イディオム』のほうは、やってもやっても、
×印のつく問題が増えるばかりで、いっこうに語彙が増えず、
チラシの裏で練習して単語カードも作ってみたが、
カードが増えるばかりで、やはり進歩は無かった。
それで6月半ばに、『英検PASS単熟語1級』(旺文社)に切り替えた。
これは単語を使った例文・短文が別冊でついているので、
文脈の中で覚えられるのが、私には合っていたと思う。
この本を4ヶ月ほどかけて毎日例文1ページ単位で暗記し、
10月になってから、前出の『語彙・イディオム問題500』を再開した。

勉強時間は主に朝で、娘のお弁当を作ったあと、彼女を起こすまでの、
朝6時過ぎから一時間程度が、最も集中できる時間帯だった。
あとはNHKの『ラジオ英会話』を、時間の許す限り再放送も含めて聴いた。

私の英語学習歴全般は、何も特筆すべきことのない、地味なものだ。
英語を始めたのは、普通の公立中学に入った12歳のときで、
塾も英会話教室もない田舎だったから、
学校の勉強とNHKのラジオ講座が私のすべてだった。
その後、地元の県立高校に行って、大学入試のために勉強し、
私立の女子大の英文学科に進んだ。

大学での専攻は英語学・言語学で、専門は形態論だったが、
実用英語に関して、大学で最も多く学んだのは、
「英文を書く」技術だったと今にして思っている。
エッセイやペーパー、卒論などで、英文を大量に書かされたことは、
後の道楽人生にも大いに役立っており、感謝している(殴)。

海外滞在の最長は89年夏にNYに40日いたことで、
留学その他、現地に住んだと言える経験は、残念ながら、ない。
職歴は、英語教師、予備校採点業務、塾経営や宴会司会(爆)など。
主人は自称ふらんす人(爆爆)だが広島弁しか喋らないし、
日常出会う友人知人の範囲では、英語圏出身の人も見当たらない。
つまり、私の英語のよりどころは、基本的に、
日本の学校英語であり受験英語だった、ということになると思う。

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11月15日(日)に受けた、英検1級二次試験の結果が、
午後3時にWEB発表になり、思いっきり腰がひけた状態で開いたら、
な、なんと合格していた(O_O)(O_O)(O_O)。
めでた~~(大泣)。

結果詳細は次の通り(「/」以下は配点)。
セクション1(スピーチ)………24点 / 30
セクション2(応答)………21点 / 30
セクション3(語彙・文法)………16点 / 20
セクション4(発音)………16点 / 20
 合計 77点 / 100(合格点60点以上)

一次発表のあと、もう日にちがなかったので、
対策も何もあったもんではなく、とにかく止まらずに喋る、
ということだけを考えて臨んだ面接試験だったが、
ひたすら運が良かったという印象だ。

内容的には、自分が思ったのと違うところで評価を受け、
結構うまく行ったと思った箇所が、そうでもない点数だった。
スピーチの中身は苦し紛れのヒドいものだったのに8割の得点で、
質疑応答は結構テンポよくいけたように思ったが7割の得点だった。
なるほど、あれはあれで良かったということなのか、
で、あっちは、ああいうふうにやっては、いけなかったのか、
等々、点数と照らし合わせて、思い返してみると、
採点基準というのが、結局、わかるような、わからないような。

ともあれ、本当にツイていた(殴)。
ありがとうございました。


二度と出来んわ(逃)。


追記:合格通知ハガキが来たので記念に写真を添付しておく。

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きょうはフレディ・マーキュリーの亡くなった日だ。
1991年11月24日、フレディはエイズのために45歳で逝った。
今の、私の年齢だった。

思えば、何年も熱中し続けたアーティストが、
自身の引退やバンドの解散でなく、死というかたちで
私の目の前から突如として消えてしまったのは、
あれが初めての経験だったかもしれない。
翌日から当分仕事を休もうかと思ったほど(殴)の喪失感だった。
13歳の頃から約15年間、敬愛してきたフレディだった。
85年の代々木競技場のQUEENのライブが、最後になった。
ニュースや新聞で、フレディの死が世界中に報道される中、
私は、事態の取り返しのつかなさを、どうして良いかわからなかった。

そして、翌92年11月30日には、今度はダンサーのジョルジュ・ドンが、
やはりエイズで、しかも同じ45歳で、亡くなった。
かつて十代だった私にモダンバレエの世界を教えてくれた人、
ベジャール芸術の体現者であったドンが、死んでしまった。
91年の来日公演を見たのが私にとっては最後だったが、
その舞台のラストで、ピエタの像さながらに息絶えたドンの姿が、
幾度も幾度も、目の前に蘇った。

追い続けた二大天才が逝ってしまい、二度とその舞台は取り戻せず、
91年と92年は、私にとって「喪失」の年以外の何ものでもなくなった。
おまけに、91年初頭からRCサクセションが無期限活動停止に入り、
さらに同年、大浦みずきが11月の東京公演で宝塚歌劇団を退団し、
両者が一度に先の見えない存在になってしまったことも、
私には、ことごとく不本意でならなかった。

その忌野清志郎と大浦みずきが、ともに2009年に逝ってしまうとは
当時は、これっぽっちも、想像すらしていなかったことで、
考えてみれば今年は、まるであれから「一巡した」かのようだった。
誰も彼も、数え切れないほどのものを遺して、
そのときどきの私を形作り、支えてくれて、
最後に、ときが来て、私の前から永遠に消えてしまうのだ。

どれほど愛した芸術家であろうと舞台人であろうと、
その運命から逃れる人などいないというのは、
初めからわかっていることだ。
けれど、それが、なぜ今だったのか、なぜ今年だったのか、というのは、
どんなに考えても、全く理解できないし、受け入れられるものでもない。
特に、アーティストが若くして亡くなった場合、なおさらだ。

彼らのことを思うとき、私は英語のmissという言葉の意味が、
とても実感を持って迫って来るような気がしている。
miss、とは辞書的には、
居なくなった人を恋しく思う、その人に会いたいと思う、
という意味の動詞なのだが、それは単に、
もう会えないから寂しく思う、というだけではないのだ。
その人を失ってしまったことが、決して自分の本意ではなかった、
全く納得していないのに、理不尽にその人を奪われてしまった、
そういうとき、missという言葉が本当の力を発揮するのではないか、
という気が、今、私は、している。

Miss you forever ...


Freddie Mercury - In my Defence(YouTube)

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