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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



A中高バザー(11月4日)に出すクッキー作りのため、
同じ地区のお母さん方で某公民館に集まって、
きょうは、朝から作業した。
A中高保護者は、毎年、バザーのときには、
各家庭から余剰品や手芸品を提供するのに加えて、
こうして地区ごとに集まって作業し、お菓子や手作り品を用意する、
ということに、前々から決まっているのだそうだ。

行ってみたら、中3の地区役員の方々はもっと早くから集合されて、
私たちが作業しやすいように、各作業台ごとに、
道具を揃え、材料を量って、配って下さっていた。
それを使い、レシピに従ってクッキーを焼くのが、
私たちの仕事だったわけだが、
・・・それだけでも、疲れたorz。申し訳ありません。

その場で、各作業台4~5名のグループに適当に分かれて、
だいたい二人一組でクッキー作りをしたのだが、
私たちのグループ4名だけでも、200枚くらい焼いたと思う。
作業台は5台あったので、参加者は30名弱だったということか。
一日中、オーブン七台が170度に設定されたままフル回転していた。

バターとバニラエッセンスの「にほひ」が充満する部屋で
昼食も実質的にクッキーの試食で終わってしまい、
午後になって帰宅する頃には、私たちは全員、
頭から体から、ケーキ屋さんの香りを発散するようになっていた。
当分、クッキーは食べなくて良いという気分だった。

聞くところによると、この地区はもうずっと以前から、
バザーにはクッキーを出すことに決まっているそうだ。
確かに、地区ごとに出すものが固定されていれば、
お互いにカブる心配もないし、効率の良い方法ではある。
作業する面々だって、引っ越さない限りずっと同じ地区だから、
一度でも作れば覚えて、次の年度から楽になるだろう。
しかし、これからは毎年この時期になると、
このクッキーの香りから逃れられないのね(^_^;。

「どうせなら、俺、マドレーヌの地区が良かったな~」

と、夜、主人が勝手なことを言っていた(--#)。

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「御福餅」も消費期限改ざんか=農水省が立ち入り調査-三重(時事通信)
三重の御福餅、JAS法違反=製造日改ざんなど偽装27年間(時事通信)

だからアタシが言いましたでしょ、
赤福と御福はパッケージも内容も味もよく似ているから、
多分、作り方もソックリなんだろうなあ』って。

私同様に赤福ファンである、関西在住の友人の話によると、
彼女は日曜日、ドライブの帰りに、
赤福が無いなら御福でも買うかとサービスエリアに寄られたそうだ。
そうしたら、いつも御福が売られているところに、
ピンクの包装紙には違いないが似て非なる、
『あっぱれ太閤福もち』が並べられていたそうだ。
いやはや、いくらでも類似品はあるものだ。
彼女いわく、「ニセの名物の更にニセでした」。


註:関西限定CMなので全国にはあまり知られていないと思うが、
赤福のCMソングに「♪伊勢の名物~ 赤福餅は えじゃないか」
というのがあって、このところ一部の人々の間では、これが
「♪ニセの名物~ 御福餅でも えじゃないか」となっていたのだ。

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<道楽で出かけることについて>

・昨日、ヴァイオリンを聴きに行って思ったのだが、
私が今、理想としている贅沢な余暇の過ごし方というのは、
まず、ゆっくりと支度して、ひとりで、音楽会に出かけて、
ほかのこと一切を考えずに二時間、音楽に浸りきり、
さらに、何時までに帰らなくてはならないという制約なしに、
終演後は、耳に残る音楽と、心ゆくまでたわむれていたい、
ということだった。
チケット代と僅かな交通費以外、かからない計画なのだが、
どうしてこれが決して実現できないのか、我ながら不思議だ。
多分、足かせは私の心の中にあるのだろうな(←自己完結)。
もし私に「老後」があったなら、この夢だけは叶えよう。

・上記のようなことを考えて、私は、ふと思った。
私は、主人が道楽のために出かけても、少しも腹など立たない。
絵画鑑賞でもグルメでも、東京まで泊まりに行って貰っていいし、
どこに宿泊するかとか、ひとりかとか(!)、
そんなことは、全然、詮索しようと思わない。何泊でもいい。
楽しい旅行をして機嫌良く元気で帰ってきてくれるなら全く構わない。
また、娘が出かけることも、私は大歓迎だ。
いずれは、友達同志でどこか旅行したり泊まりに行ったり、
本人が望むなら、ひとり旅をしたりしていいと思う。
なんだったら、主人と娘で父子旅行をして来てくれてもいい。
私は、家族が出かけて私ひとりが残ってもなんの不満もない。
だのに、なぜ、私が自分の都合で、ひとりで出かけると言ったら、
主人や娘から白い目で見られ、非難ゴウゴウになるのだろうか(爆)。
自分で稼いだ金で行け、などというレベルの問題とは違う。
もし私が仕事を本格的にやって、自分で稼いで好きに東京に行く、
などと言い出したら、主人や娘は、もっともっと怒るのだ。
なんでこんな理不尽な構造になっているのか。


<最近のマンションのコンセプトについて>

・最近のマンションや戸建てでよく見るのが、
「オープンエア・リビング」という形式だ。
私の感覚では、そんな広い、折りたたみ式の壁がついたバルコニーなど、
あっても仕方がないのではないか、と思うのだが、
そう考えるのは、バーベキューやビールに興味のない人間だからか。
だがこの点については主人も私に同意してくれた。
外のリビングなんて、周囲の音がやかましいからテレビが観づらいし、
砂埃や雨風で家具が傷むからファブリックや革のものは置けないし、
何より、冷暖房ができないではないか、ワシは全くくつろげない、
と彼は言った。
オープンエア・リビングは、本当に人気があるのだろうか。

・新しく販売される某マンションの間取りをネットで見ていたら、
オープンエア・リビングよりもっと理解できない箇所があった。
それは、メゾネットでもない普通のワンフロアなのに、
バスルームが二箇所、つくってあったことだ。
レッキとしたバスタブのある風呂が、
狭いマンション内の二箇所に設定されていたのだ。
トイレが二箇所、というなら理解できるのだが、
なぜに、風呂をあっちとこっちにつくらなくてはならないのか。
欧米か!
と主人が図面を見ながらツッコんでいた。

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聴きたいと思いながら、なかなか機会が得られなかった、
天満敦子のヴァイオリン・リサイタルに、ついに行った。
会場のフェニックスホールに入って、
舞台の上ががらんどうなのを見て、私は初めて、
無伴奏だったのか!と知った。
だが、その無伴奏の御陰で、天満氏のヴァイオリンが実に雄弁に、
まさに歌うように音を紡いで行く様を目の当たりにすることができた。

曲目は、まず前半は、よく知られた小品を中心としたもので、
バッハ:アダージョ、
シューベルト:アヴェ・マリア、
マスネ:タイスの瞑想曲、
アイルランド民謡:ロンドンデリーの歌、
イギリス民謡:グリーンスリーブス、
黒人霊歌:アメイジング・グレイス、
バッハ:無伴奏パルティータ第3番
となっており、最後に、天満氏ご自身による短いトークもあった。

迫力に満ちた、文字通り入魂の演奏のあと、
とても親しみやすいひとりの女性に戻った天満氏が、
先頃のモンゴル旅行で出会った風景、現地の人々、
モンゴルの音楽やオーケストラのことなど、
ユーモアを交えて語られたのが、またなかなか面白かった。

後半は、
和田薫:無伴奏ヴァイオリンのための譚歌<Ballade>
バッハ:無伴奏パルティータ第2番シャコンヌ付
ポルムベスク:望郷のバラード

アンコールは
ドヴォルザーク:ユモレスク
小林亜星:北の宿から

無伴奏の弦楽器というのは、ピアノなどよりずっと、
演奏者本人の素が出てしまうものだと思う。
伴奏のピアノが入れば、ピアノのつくりだす、固定された音程が
多少なりとも音楽のトーンや流れを決定する部分があるが、
無伴奏となると、そこにあるのはヴァイオリニストの感性ひとつだ。
私はヴァイオリンには触れたこともないので想像だが、
その日の楽器のコンディションは当然のこととして、
演奏者本人の体調も気分も、音楽への思いの深さも集中の度合いも、
どうしようもなく音になって露呈してしまうものではないだろうか。

今回の天満敦子のリサイタルには、祈りのような印象があった。
崇高なるものへの、深い畏敬の念を抱きつつ、
限りなく真摯な態度で自分の内面と向き合っている、というような。
そして同時に、彼女には聴衆を包み込む柔らかさがあった。
それが、公開の演奏会という場ならではの魅力で、
「良き聴衆に恵まれるということは、このうえない幸福です」
という御本人の言葉の通りであることがよく感じられた。

「きょうのような日が、また訪れますように」
との言葉のあとで、弾かれた最後の曲が、『北の宿から』だった。
短調のイントロが始まったとき、私は何の曲かわからず、
♪(あなた 変わりは ないですか)
♪(日ごと 寒さが つのります)
のメロディが出てきたところで、会場のあちこちから笑いが起きた。
だが、皆、すぐに目を見張るようにして聞き入った。
ヴァイオリンは本当に人の声に近い楽器だ、
ということがこの一曲だけで肌で感じられたからだ。
それは、なんという美しい歌唱だったことだろうか。

鮮やかで、温かく、楽しく、切なく、
天満敦子の様々な面を聴かせて貰ったリサイタルだった。

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私は今でも、とうに亡くなったギーゼキングとか、
現在はピアニストとしての時代を終えた感のあるヴァーシャーリなど、
レコードの時代に活躍したピアニストを非常に愛しているのだが、
この、サンソン・フランソワという人も、その中のひとりだ。
彼は1970年に没しているので、亡くなってから既に30年以上経っている。

存命中に既に人気ピアニストであったので、三度、来日しているそうだが、
私は残念ながら、彼の実演には全く接したことがない。
私が小学校に入ったかどうかあたりの年齢のうちに、
彼はこの世から居なくなってしまったのだから、
生の演奏が聴けなかったことは致し方なかったと思う。
だが我が家には彼のレコードが何枚もあった。私はそれで彼に出会った。

レコードに記録されているサンソン・フランソワは、
大変ユニークなピアニストだった。
ショパンやラヴェル、ドビュッシーを得意としたが、
その演奏は他の多くのピアニストとは全く異なり、
およそ規範的とは言い難い、彼独自の、自由奔放なものだった。

と書くと、私のポゴレリチ趣味をご存知の方なら、
「つまりアナタはそういう変わった演奏家に惹かれる癖があるのね」
とお思いになるかもしれない。
確かに、ふたりとも、その個性ゆえに、
何を弾いても演奏者個人が前に出てしまうタイプの演奏家ではある。
「ショパンを聴くというより、それを通してサンソン・フランソワを聴く」
「ベートーヴェンを聴くというより、それを通してポゴレリチを聴く」
という聴き方を私がしているという意味では、両者は同じだと思う。
だが私にとって、サンソン・フランソワの面白さは、
イーヴォ・ポゴレリチとはある意味、正反対の位置にあるものだ。

良い悪いの評価はともかく、ポゴレリチも物凄く変わっている演奏家だ。
彼の演奏を聴いて、ごくまっとうな普通の演奏だと言う人は居ない。
だが、ポゴレリチのは、どんなに突飛に聞こえる演奏であっても、
その裏には、彼なりに緻密に詳細に組み立てた根拠が必ずあって、
それは思いつきの、その場限りの演奏ではないのだ。
同一曲について幾通りもの解釈を彼自身が持っていたとしても、
そのすべてについて、出発点も展開も帰着も、
予め、彼の中では揺るぎないところまで突き詰められている。
少なくとも、私は聴いていてそれを感じる。
ポゴレリチの演奏はそういう意味で、一点も揺るがせにできない、
非常に執拗に組み立てられたものなのだ。

だが、サンソン・フランソワのは違う。
一発勝負で、どこに行くかわからないスリルが常にある。
それは聴く者に、次々と思いがけない扉が開かれる興奮を与えてくれる。
厳然たるクラシックを演奏しながら、それはまさに即興演奏であり、
あまりにも非凡な彼の感性の、一瞬ごとのきらめきがそれを支えている。
これほどに瞬間のひとつひとつを輝かせることのできた演奏家は
ほとんど空前絶後と言っても良いくらいだろう。
そこが彼の天才たる所以なのだ。
普通はこんなことをしたら、薄っぺらな矛盾だらけの演奏になり、
支離滅裂以外のなにものでもなくなってしまうだろう。

その感性に響いてこない曲は、彼は、だから手がけなかった。
私の知る限り、サンソン・フランソワの弾いたブラームス、
などというものは聴いたことがないし、
彼のベートーヴェンというのもあまり記憶にない。
聞くところによると、この人は楽譜の読み方もいい加減で、
演奏には読み誤りか彼独自の改編かわからない箇所がよくあったようだ。
そういうところも、楽譜!楽譜!と異常なほどこだわるポゴレリチとは
まったく相容れない部分だ。
表面に現れた演奏そのものは、「楽譜の指定に反する(ように聞こえる)」
という点で、フランソワもポゴレリチも似ていると言えるかもしれないが、
そこに至る経緯は、この両者においては、多分、真逆に近いのだ。

ということで、昨日私は、サンソン・フランソワの弾く、
ラヴェル『夜のガスパール他ピアノ曲全集第二集』を買ってきた。
レコード時代には知っていた演奏だが、CDは持っていなくて、
こうして改めて聴くのも久しぶりだった。
出だしの『オンディーヌ』で既に、彼のテンポは普通ではなかった。
そのまま行くのかと思ったら、途中でオンディーヌの表情は変わった。
最初に聴いていたものが何だったのか、私にはわからなくなった。
どこまでも正体不明のオンディーヌは、
何をしたいのか、何を言っているのか、
およそ常人にははかりかねる存在だった。
だが彼女はこの世のものでないのだから、
私の日常で納得できる理屈とは違う次元にいて当然だ。
美貌で、妖艶な、狂気のオンディーヌは絶品だった。
否応なしに、こんなものを見つめ続けなくてはならなかった、
サンソン・フランソワというピアニストは、
長生きできなくて当然だったのだと思った。

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ひろしまフードフェスティバル2007に行った。

どういう主旨の催しなのか、地元民のくせに私は理解していないのだが、
見た感じでは、広島県内および近県の名産・名店が集結し、
広島城界隈から中央公園、RCC放送局のあたりまで、
ずらりと露店形式で並んでいる、という印象のものだ。
これが、だいたい、毎年10月中旬~下旬のどこかの土日で行われている。

一昨年、昨年と続けてこのフェスティバルを見物しているので、
娘には、お目当てのソフトクリームが決まっていたのだが、
あいにく今年は見つからず、彼女は、ちょっと不本意そうだった。
探し方が悪かったのか、今年は出店していなかったのかは謎。
ともあれ娘は、仕方がないので別のアイスクリームを買った。

娘の執着していたソフトクリームは一体、
どの地域の店のものだったのだろうかと、
帰宅してから、記憶している限りの条件をもとに
ネットであれこれと検索してみたら、名称は判明したのだけれど、
残念ながら広島県内には取扱店がなく、
近いところで山口県下関市、島根県大田市などで
手に入るものであることがわかった。

ソフトクリームを食べるために旅行すべきかどうか、
主人と私は、パソコンの前で考え込んだ。

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主人は毎朝、いくつかのウェブサイトを巡って、
自分の星座や誕生日などによる「きょうの運勢」を見る。
複数見ると、当然のことながら、各サイトごとに、
言われていることが違うので、相容れない内容になることが多い。
今朝など、その典型だった。

星占いのAサイトでは『今年最大の厄日』、
十二星座占いのBサイトでは『ごく平穏な一日』、
誕生月による占いのCサイトでは『大吉』とあった。

『晴れ時々くもり、一時雨』と言われているようなもので、
そりゃ、どれかは当たるわな

さて、主人がいつも通り出勤したあと、
外が、なんだか夕方みたいに暗いな、
と思っていたら、しばらくして強烈な雨が降り始めた。
文字通り土砂降りだった。
と、間なしに凄い勢いで主人が帰ってきた。
背後では雷が鳴っていた。
まさに、帰ってきた土左衛門、じゃない、水もしたたる転夫だった。

「天気予報で、雨ふらんと言うたから、信じて、
傘を持って出とらんかった。もう、ボク、きょう休む(T.T)」

と主人は幼稚園児のようなことを言った。
だがもちろん、そんなわけには行かなかった。
すぐに職場には遅刻の連絡を入れて、主人は着替えにかかった。
背広上下は言うまでもなく下着まで、しぼれるくらいに濡れていて、
そのままでは仕事場の建物内に入ることさえ
迷惑になりそうな有様だったからだ。

夫「目も開けれんほどの降りよホンマに」
私「『今年最大の厄日』が当たってもーたね」
夫「こんなもん当たりとぅないわい」

主人はシャワーを浴びて、上から下まで全部着替えた。

夫「眠とぅなった」
私「風呂に入ったようなもんだからね(^_^;」
夫「行きとぅないよ~~」
私「行きなさい」
夫「はい」
私「今年最大の厄日がコレなら、良しとせねば」
夫「いや、これはまだほんの始まりかもしれん。
このあとが『今年最大の厄日』かもしれん(T.T)」

どこまでもウシロ向きなことを言って、主人は再出勤して行った。

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十日前にやった仕事の続きで、きょうはまた朝からA中高へ行った。
引き続き、各家庭から提出される、バザー用の手作り品・余剰品を
PTA役員で分担して受け取り・分類し・値付けをし・箱詰めした。

きょうも、ブランドタオルが相変わらず多かった。
またしても、ウェッジウッド、イヴ・サンローラン、フィラ、
コシノ・ヒロコ、マリ・クレール等々、それにヴァレンチノ一族。
一応、シミなどないか・ほつれはないかを我々が調べるのだが、
箱を開けてみたら、以前のバザー値札の貼られているものがあった。
少なくともこのタオルは、これでA中と生徒家庭を、
二年間に渡って巡っているのだ。これぞ単なるリサイクル。

また、箱の中にお手紙の入っているものもあった。
『○○様。いつもお世話になっております。
毎度ありがとうございます。
お留守のようなので、また改めて参上いたします。○○屋』

さらに凄いのは、ふたの裏から、
破れかけた熨斗紙がぶらさがっているブランドタオルがあったことだ。
熨斗には薄墨で「志」と書かれていて、戒名(法名?)札もついていた(爆)。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

タオルがひとあたり片付いたところで、私はきょうは、
雑貨・文具の値付けの係にまわされた。
真新しい一反の「さらし」が出てきたときには、皆、
「これって、戌の日に巻く・・・」
「岩田帯」
と異口同音に言った。
「産後は、オムツに縫って使うのよね」
「『お使いなさい』ってお姑様から貰ったのね」
「うへ~(^_^;」
「で、使わなかった、と」
と、見知らぬ出品者のストーリーまで
勝手に完成している我々であった。

ほか、軽く一万円はするであろう某ブランドの新品万年筆や、
ファーつきの可愛い未使用ハンドバッグなどが出品されている一方、
あんた粗大ゴミ資源ゴミに出すのが面倒でこっちに持ってきたやろ!
とツッコミたくなるようなものもあった。

例えば、どう好意的に見てもシワ加工つまり使い古しの革バッグとか、
一見未使用だが古くなりすぎて乾きかけているマジックペンとか、
あちこち塗料がハゲた、強面で巨大なサンタクロースの置物とか。
どれもこれも、すべて我々のほうでチェックして、
経年劣化などワケあり品にはシールを貼って値段を割り引き、
どうしても使用に耐えないものは処分にまわしたりもした。

前傾姿勢の連続で足腰が痛くなり、
次から次へと商品をさわって手が荒れ、
もうもうとホコリがたち、気づくと両手は真っ黒だった。
しまいに私は、ハナが出た。

く~~、疲れた~~~~(T.T)。

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3度目ない…朝青龍TV出演で横審引退勧告する?(ZAKZAK)

これもTBSなのか、と呆れたのだが、それはともかくとして。
これまで、朝青龍が精神だか神経だかを病んだと報道されても、
私はそういう方面に理解がないので、同情などなく、むしろ
「そんな弱々しい人は勝負師とは言えないだろう。引退したら?」
とさえ思っていたのだが、今回のことに関しては、
正直なところ、朝青龍が気の毒なのではないか、と思った。

日本のテレビ局が、相撲協会広報部の許可を得て取材に来て、
しかもその許可を出したのが、朝青龍の直接の師匠である、
高砂親方だったというのに、いざ出演してみたら、
「謹慎中にバラエティー番組出演とは!」
と相撲界は非難ゴウゴウ、引退勧告も辞さないと大騒ぎ。
朝青龍側からしたら、罠にハメられたような気がしないだろうか?
これまで、自分の判断で動いたことは自分勝手と叩かれ、
今回は親方および広報部が許可したことに従ったのに、
これまた軽率と誹られ。
そして即座に、さあ今度こそ引退、と囃し立てられるなんて。
私がもしモンゴルの人間だったら、
今回の件に関しては「日本にだまされた」と思うだろうよ。

一方、高砂親方のほうは、事実が報道の通りだとするなら、
もはやなんの申し開きも出来ない大失態だと思う。
既に相当な失点を重ねてきた高砂親方が、
未だに広報部長の職にとどまっている、
というのも私には驚きだったが、
朝青龍の騒動が発覚して以来の出来事に限定して考えても、
高砂親方の采配ミス、判断ミス、統率力のなさ、軽率さには、
全く、弁解の余地は、ないのではないか。

私はかつて、これでも、朝潮をちょっとは応援していたのだ。
口の重い力士が多い中、インタビューで軽妙に話す大関朝潮は、
当時は、機転の利きそうな感じに見えたし、
広報部長というのも彼に似合った地位だと思えたのに、
このところ、ガッカリさせられることの連続で、とても残念だ。

いずれにしても、大相撲の先行きは、とても暗い。
前も書いたが、朝青龍はたとえここで踏みとどまれたとしても、
もう、帰って来るところの屋台骨はグラグラだ。
大相撲、いろいろ楽しかったのにな~~(T.T)。

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中間考査が終わってホっとしたのも束の間、
ゾクゾクと答案が返却されて来ている。
点数もさることながら、娘の答案はいつも、その内容が大笑いだ。

英語。
問:「和文の意味にあう英文を作りなさい。『トイレは階段の下ですか』」
娘の答え:Is the stairs under the toilet?
 主語が複数なのにbe動詞は単数の活用形になっとるぞ?という問題以前に、
 キミが尋ねているのは、これじゃ「トイレの下に階段がありますか?」だ。
 

英会話。
問:(英語で)「担任の先生のファーストネームは何ですか?」
娘の答え:It is Michiko.
 もちろん×だ。担任の先生の下の御名前はジュンコさんだ。
 それらしい名前が何か書いてありゃいい、というものではない。
 アメリカ人講師といえど、さすがに騙せなかった(爆)。


地理。
問:「ベネルクス三国とはなんですか。国名を答えなさい。」
娘の答え:フランス・ドイツ・スイス
 その国名の、どこを取ったら「ベ・ネ・ルクス」になるのか?


地学。
問:「津波の被害を最小限に食い止めるために私たちにできることは何か」
娘の答え:家具の下に新聞紙などを挟み、前のほうを高くする
 それがなんのタシになるのか知らんが、
 んなことをモタモタやっているより、一刻も早く逃げんかい。

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