転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



じーちゃん、逝きました


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舅の病室でテレビが点いていたので、仕方なく観ていた。
何か、どこかの海辺の街の観光案内みたいな内容で、
田中康夫っぽい人が出ていた。
長野なワケねーだろ?
と思いながら眺めていたら、京都らしかった。

よく見たら、その人は田中康夫ではなかった。
そうか、だから長野じゃなくていいんだ、
とボケた頭で思いながら、目を凝らしてみたら、
どうも、レポーターは長州小力のようだった。
私はこういう趣味だから(どういう趣味だ)、
西口プロレスを愛している。
こんなところで長州小力に会えるとは。
あ、でも、髪が短い。切ったのかな。

更によくよく見てみれば、違った。
その人は長州小力ではなかった。舞の海だった。

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依然として舅の具合は非常に悪い。
この連休は、昼の付き添いは私、夜が主人、
というふうにシフトを組んだのだが、
どうも、夜のほうが舅の具合は悪そうだ。
癌細胞の活動は夜間のほうが活発になる、
という説は正しいようだ。
昨夜、舅はほとんど一睡もできない苦悶状態で、
付き添った主人が、そばのソファで寝こけていたら、
舅はベッドから足を出し、主人を蹴って起こしたそうだ(^^ゞ。

私は幸い、蹴られるような展開にはならなかったが(^◇^;)、
昼にも舅は、眉間にタテジワを寄せて怖い顔をし、
『広大は、一体、何をしとるのか!』
と怒った。体が、ちっとも良くならないことで、
医療に対する苛々を募らせているのかと私は早合点し、
『ほかの治療をしたらどうかと先生にお尋ねしてみましょうか』
と話を合わせたら、舅は私を見て、顔の前で手を振り、
『そうじゃのうて、広大は、まだ準備が出来んのか』
と言った。

呼吸が荒くて、舅は細かい話をすることが出来なかったが、
どうやら、舅の頭の中では、今この病院にいるのは臨時で、
広大のベッドが空いたら転院する、という前提になっているようだ。
舅は、目が覚めるたびに、自覚症状がかなりきついので、
広大に行ってなんとかして貰わなければ、と思うのだろう。

舅はまた、
『ばあちゃんは。電話した?ばあちゃんは、来る言うた?』
と私に訊ねた。
『おかあさんは、車椅子だから、すぐには来られませんが、
K苑に連絡を取ってみますよ。明日なら来られるかもしれません』
と私が言うと、舅は我に返ったのか、
『いやいや。そんなことは、せんでもええ。来んで、ええ』
と前言撤回した。

主人と話し合い、明日、私が五日市のK苑から、
姑を介護タクシーでこの病院まで連れて来ることにした。
五日市往復は、どうかすると半日仕事になってしまうので、
連休中で主人が居るときでないと私が動けないし、
舅の意識がはっきりしているときに、
姑に会わせるのが良いのではないかという気がしたからだ。
姑に事態が把握できるとは思えないけれども・・・・。

幸い、K苑からは明日の外出許可を貰うことができ、
介護タクシーも明日は『全然あいてます』という返事で、
こちらの希望通りの時間帯で頼むことが出来た。
なんとか、これでご対面が上手く行きますように!

余談だが、舅はこのところ、ひどく暑がる。
個室だから室温は好きなようにしても良いのだが、
温度計を見たら、常時、23度くらいになっている。
付き添いの私は冷房の直風を浴びて寒くて仕方がない。
そうでなくても寒がりだから、物凄く着込んでいるのだが、
それでも顔に冷風が絶え間なくあたって、神経痛になりそうだ。
舅も私と同じくらい寒がりだった筈なのに、
この変わり様は、どうしたことか。

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舅は、小康状態を維持していた。
痰がたまって呼吸が苦しいのは改善していないが、
それでも昨日ほどの苦悶状態ではなく、
きょうは、うとうとと眠れる時間もあり、
やや、落ち着いた一日だったようだ
(前半は主人がついていたので私には詳細はわからないが)。

肺転移がふたつあるため、舅は肺炎の状態が改善せず、
熱が上がれば解熱剤、痰がたまれば吸引、
呼吸苦が募ればモルヒネ(酸素吸入は常時している)、
という方法で、このところずっと対処して来ている。
「胸が苦しい、ケツが痛い」というのが舅の苦情で、
それにときどき、「腹がちくちく痛む」のが加わる。
痛み止めには貼るタイプの麻薬を使っているが、
レスキュー的には座薬も併用されている。

昼過ぎ、舅がやはり呼吸が苦しいと訴えるので、
私は看護師さんに、何かもっと楽になる薬でもないだろうか、
と訊ねてみた。
が、看護師さんの返答は、
『昨日のように苦しければ点滴など増やしてみるが、
きょうはそこまでは必要ないだろうと先生が仰っています』
というものだった。

そうなのか。
使える薬があっても、よくよくでないと許可が出ないのか・・・。
緩和ケアとして、この考え方は私個人にはやや不満だ。
『なるべく薬は控え、我慢できる範囲の苦痛には頑張って耐える』、
というのは、治癒後の健康を考慮している患者には必要な態度だろうが、
ターミナル・ケアに至った舅の場合、どれほどの意味があるのだろう。

しかし、舅本人は、最初から病名告知を受けて理解しており、
最近になってやや混乱はあるものの、
依然として、元気になろうという目標を持っている。
きょうも、舅は主人や私にむかって、
『わしは、どうも入院したほうがいい』(←自宅にいると錯覚している?)
『病院を変えたほうがいいような気がする』
『わしはいつ手術するのか』
などと、治療のあり方についていろいろ訊ねて来た。
舅の意向に添うならば、病気の治療に必要でない薬剤などを、
苦痛を取るためだけに使うことは、やはり、控えるべきなのだろうか。

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私は以前から密かに、
レイザーラモン住谷には才能がある、と感じていた。
彼のワザとらしい下品さに幻惑されそうだけれども、
実は驚くほど頭の良い人だ、と私は思っていた
(それプラス、個人的にはあの声が凄くイイと思うのだ(^^ゞ)。
彼をこれほど高く評価しているのは私だけだろう、
などと、私はあまりにも自分に都合の良い勘違いさえ、
ここ、しばらくの間、していたくらいだった。

そう。
完全に私1人の勘違いだった。
世間はとっくに、彼を認めていたのだ。
それがわかったのは、きょうの運動会の応援合戦で、だった。

「あ~か~ぐ~み~、フォ~~~~!!」
「ゆ~う~しょ~~、フォ~~~~!!」

黒いゴミ袋みたいなのをかぶった小学生らが、
運動会の午後一番の種目『応援合戦』の正式な演しものとして、
「フォ~~~~!!」
と雄叫びをあげていたのだ(O_O)。
レイザーラモン住谷、いやHG(ハードゲイ)は、
今や、小学生の応援団のネタになるほどの存在だったのだ!!

感心した私は、その場で友人Oにメールを打った。
『セイ!セイ!セイ!
小学生が、フォ~~!!なんてやっちゃっていいんですかぁ
 @運動会応援合戦』
(ちなみに友人Oというのは、先だって友人Uの披露宴に行くとき、
人生最大の勘違いにより大遅刻をコいた人物である。)

Oは実は、ああ見えて某市立高等学校の国語教諭だ。
彼女からはまさにタイムリーなレスが来た。
『体育祭で担任に仮装させる競技でね、
ハードゲイ(よく知らないけど)やらされてる先生がいたよん』
おおおお!!彼は公立学校御用達だったのか既に!

更に、やっと知ったのだが、レイザーラモンHGは
かの小川直也の団体でプロレスに出ることが既に決まっていた。
デビュー戦はインリン様がお相手だそうで(^_^;)。
レイザーラモンHGは、良い体をしているがそれも道理で、
実は学生プロレス出身で、もともと大いに鍛えてあったようだ。
以前から、プロレス技を次々に繰り出すコントもやっていたし、
あのショーマンシップから想像するに
かなり面白いレスラーなのではないかと、楽しみだ。

オーちゃん(小川)より、うまかったりしないだろうか(^◇^;)。
オーちゃんより、強い、とは言わないけど(逃)。

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きょうも舅のところで一日、過ごした。

舅は、昨日とはうってかわって、しんどそうになっていた。
朝、私が行ったときから、呼吸がせわしなく、
ほとんどものも言えないような状態で、
私は、どうにかしてほしくてナースコールしまくった(^_^;。
しかし、痰を吸引して貰っても、ネプライザーをして貰っても、
点滴を増やして貰っても、注射をして貰っても、
どうしても、舅の苦悶状態は改善しなかった。

舅「%&#$%・・・」
私「はい?」
舅「・・・・へー・・・」
私「へ!?」
舅「へ」
私「屁?」
舅「・・・・た・・・・」
私「屁が出た?」
舅「(クビをヨコに振る)」
私「屁がしたい?」
舅「(苦笑しつつクビをヨコに振る)」
舅「へー・・・」
私「へ」
舅「た」
私「た。・・・へた?」
舅「(うなずく)」
私「へた。誰が?私?ごめんなさいね」
舅「(またしてもクビをヨコに振って)・・・か・・・」
私「か」
舅「ん・・・」
私「ん」
舅「ご・・・」
私「わかった。かんごふさん
舅「(うなずく)」
私「看護婦さんが、へた?
舅「(うなずく)さいて・・・」
私「最低?」
舅「(深くうなずく)」

『看護婦が、下手。最低』。
ヲイ。苦しい息の下から、どうしても言いたいことが、それか
さんざん世話になっておいて、なんつー、恩知らずな(^_^;。
元気になったらバラすぞ?思いっきり痛い注射打たれるかもよ?

午後になって、看護師さんに座薬を入れて貰ったあたりで、
それでも、舅はやや、落ち着いて来た。
もうひとつ、うがいをすれば、口の中が潤って、
舌が動きやすくなり、発音もしやすくなることを、
主治医の先生から教えて頂き、二度ほど試して、
夕方頃には、会話もややスムーズになった。良かった(^_^;。

舅と一日喋っていて(喋ろうと努力していて)
今の舅は、タ行の発音が全部サ行音になってしまう、
ということを、私は途中で発見した。
考えてみれば、日本語のタチツテトは、舌先の適切な面積が、
正しく上の歯の裏の付け根部分に密着していないと出せないから、
舌の動きが悪く口の中が乾いている舅には調音が困難な訳だ
(↑昔取ったキツネヅカ的音声学の知識を披瀝してみました(殴))。
だから、舅が「あ・そ・ぜ」と言ったらそれは「あとで」だ。

これを習得してから私は、「山!」「川!」的な意志の疎通が、
ほぼ、実現するようになった。自画自賛!!(蹴)

明日から三連休で、少し時間のゆとりもあるので、
今夜は主人が病院に泊まってくれることになった。
明日は娘の運動会なので、お弁当をつくって送り出した後、
私が主人と交替するという予定にしている。
舅はカンが良すぎるので、我々が泊まり込むのを見て、
自分の病状について気を回すかもしれないが、
とりあえず、『三連休だから』で通そうと思っている(^_^;)。

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なんだか今日は舅がブっ飛んでいた。
「夫婦似」という用語があったと思うが、まさにそれで、
きょうの舅のボケ方は姑のそれとそっくりだった(O_O)。
私にとっては、かつての姑との会話のあれこれを
そのまま追体験させて貰ったような一日だった。

舅「マサ**(=転夫)は」
私「今は、まだお仕事ですよ。終わったら来られますよ~」
舅「ほうか。ほうじゃのう。まだ昼じゃもんの」

と、ここまでは割と普通だったのだが、その十数分後。

舅「ヨメさんは?」
私「どこのお嫁さんですか?」
舅「マサ**の。マサ**のヨメさんは?」
私「わたし(^◇^;)」
舅「ほうか、あんたがマサ**のヨメさんなんか」
私「ほうよ。私が、お嫁に、来たの」
舅「ほうかあ。えかった」

姑もしばしば、私が誰であるかがわからなくなったものだったが、
舅にまで言われるとは思わなんだ(^_^;。
それまで私を誰だと思って会話してたのかが、かなり謎だった。

そして、更にスケール大きく飛翔する舅の話。

舅「きょうはね」
私「はい」
舅「天皇陛下がね」
私「はい(^_^;。(こりゃまた唐突だね)」
舅「天皇陛下が、来てじゃからね。部屋は、あるかね」
私「はい(^^ゞ、ありますよ」
舅「狭いけえね、ばーちゃんを車椅子に乗せたって」
私「わかりました」
 (↑脳裏を過(よ)ぎる、エリザべート皇后の病院訪問BGM)

ややあって、舅は今度はベッドから身を乗り出して、
自分の左右を見た。

私「どうされました?何か探しとってですか?」
舅「いや。ばーちゃんは?ばーちゃんは、どこに寝とる?」
私「おかあさんは、五日市のK苑にいらっしゃいますよ」
舅「ほう?」
私「おとうさんが、入院してのときに、おかあさんを頼むのに、
 いつものT園が満員で、ケアマネさんに相談したら、
 K苑があいてたから、そちらにしたんですよ」
舅「ほうじゃったんか」
私「最初に行ったときは、おとうさんが、ご自分で車を運転して、
 おかあさんを連れて行かれたんですよ。
 私もご一緒しましたけども、とても綺麗なところでしたよ。
 こないだも行ってみましたけど、お元気でしたよ」
舅「ほうじゃったか~」
私「忘れておられました?」
舅「うん。すっかり忘れとった。あぶな~~

今上陛下の行幸の話のほうがよっぽどアブナかったぞ(^_^;。

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舅があまりにも痰が絡んで苦しそうなので、
今朝、主治医が舅本人の承諾を得て、小規模な手術を行い、
気管に細い管を入れるための穴を開け、
今後は常時そこから痰を吸引できるよう、処置して下さった。

結果的に、それは良かったのだが、
朝、『これからこういう処置をしますので』
と主治医から電話があったとき、
私は咄嗟に、一般的な気管切開のイメージが頭に浮かび、
これでもう、声が出なくなるのか!と思い、
何か、取り返しのつかないようなことになった気がした。

これで、じーちゃんと話ができなくなるのか?
待ってくれ、いや、待って貰ってもどうにもならないんだけど。
私はアワくって朝イチで病院へと走った。

が、病院に着いたら、既に処置は終わっていて、
舅は主治医と会話していた(爆)。

医「ええ顔色になったわ。良かったですねえ」
舅「はい」
医「昨日は、切開しよう言うたら、イヤじゃと言われましたねえ。
 声が出んようになると、思うとった?」
舅「はい」
私「(わ、私、今まで、そう思ってた・・・(^◇^;))」
医「大丈夫ですよ、こうやって、話、ちゃんと出来るでしょう」
舅「じゃが、声に、力が、ない」
医「うん?」
舅「声に、力が、ない」
私「『声に力が無い』と言うてます(^_^;」
医「ああ!はいはい(^^)、痰が取れて、元気が出たら、
 声も出るようになりますよ!」
舅「はい」

きょうは、そういう次第で、
そのまま、朝からずっとさきほどまで、私は病院に詰めていた。
舅は、姑のことを少し心配していたが、
施設で元気にしていること、施設には安心して居られること、
舅が退院できれば姑もすぐ家に帰っても良いということ、
等々を話すと、一応、納得してくれた。

半時間に一度くらいの割合で、
気管に繋がる穴から、痰の吸引をする必要があり、
咽喉や胸がゼロゼロ言うようになると、ナースコールをし、
看護師さんにカテーテルを入れて引いて貰うのだが、
確かに、この処置の後は、舅の呼吸はとても楽になるようだった。

また、これらの合間に、ネプライザーの吸入もあって、
なかなかに忙しい一日だった。
が、舅はやはり舅らしく、
私の、吸入器の片づけかたが悪いとクレームをつけ、
ベッドから手を伸ばして、自分でやり直したりしていた(^_^;。
更に、夕方からは少し、テレビの大相撲中継を観たりもして、
それなりにマイペースな、じーちゃんだった。

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最近、とにかくモーツァルトが心地よくて、
フー・ツォンの弾くピアノ協奏曲のCDを何枚も立て続けに聴いた。

子供の頃や、今より若い頃の私は、
モーツァルトの良さが、実は、あまり、わからなかった。
綺麗な音楽だとは勿論思っていたけれども、
魅力は、その「綺麗」さだけで、
全体としてのモーツァルトはあまりにも無難で、
定型そのものの音型ばかりで、破綻も意外性もなく、
聴いていてドキドキしないという点で、つまらなかった。

ところが、私も歳を取ったということなのか、
いや、聴き手として一段階進歩したと思いたいのだが、
とにかくこのところ、モーツァルトが面白くて仕方がない。
特に、フー・ツォンの演奏が私は好きだから、
それとの相乗効果もあると思うのだが、
聴くたびに、新しい魅力が出て来るようで、唸ってしまう。
定型が定型としてぴたりと決まっていることの素晴らしさ、
それだからこそ醸し出される、奥の深い音の綾、
無駄なものが一切ない究極の洗練、
・・・そういったものが、少し、見えてきた気がするのだ
(すみません、なんか偉そうです(^_^;)。

ところで、この流れで、モーツァルトのピアノ・ソナタも聴こうと、
某ピアニストの弾く第11番『トルコ行進曲付き』を聴いてみたら、
私は、不意に、どうにもたまらない気持ちになった。
綺麗に流れる音楽なのは良いが、私の聴きたいものは、これではない!
と思ったのだ。
もっと聴きたい箇所があった。
こんなにあっさりとではなく、もっとこだわりたい箇所があった。
そう思って、私は、しばらく聴いていなかったポゴレリチの同曲のCDを、
とても久しぶりに出してみた。

聴いて、私は、
そうだ、そうだ、これだ~~!!
という、ぞくぞく来るような満足感を味わった。
私はやはり、ポゴレリチが好きなのだった。
ポゴレリチは、私の聴きたいところ、こだわりたいところ、
さらには私が気づかなかった聞き所まで、
絶妙な演出で聴かせ、引っ張り、ときに、わざとはぐらかし、
と思うと、グウの音も出ないところまで駄目押ししてくれる。
これだ、この呼吸でなくては~~(T.T)。

聴きながら思ったのだが、ポゴレリチは、
モーツァルトを弾くときでさえも、
和音の構成には超人的な神経を研ぎ澄ませているように思われる。
音の響きを、彼は全身で聴き尽くし、弾き尽くそうとする。
その物凄い集中力と執着のために、彼の音楽は、
ときにあまりにも遅いテンポに傾倒してしまうのではないだろうか。
全身でひとつひとつの音を聴き、受け止め、
音のすべてを味わい尽くすまで、
彼は次の音に行こうとしないのではないかと思う。

それを味わうためには、聴き手もまた、彼と同じように、
彼の執着する音に固執して聴き、
彼の聴かせる音に耳を澄ませなければならない。
彼が音を味わっている最中に、次を求める聴衆だと、
彼の音楽を共有することができず、ただ苛立ちだけが残ることになる。
こういう部分で呼吸が合わない聴き手からは、
彼の音楽は異端と言われ、拒否されることになるのだろう。

モーツァルトを聴きながらこのようなことを考える日が来ようとは、
十年前には思ってみたことすらなかった。
ここに来てモーツァルトを再発見でき、
ポゴレリチの演奏に再度、心を添わせることが出来たのは、
私にとって、とても嬉しく、有り難いことだったと思っている。

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昨日は主人が見舞ったのだが、今朝、私が行ってみたら、
舅は、かなり咽喉がゼロゼロと鳴っていて、
具合が良くなさそうに見えた。
このところの病状は決して楽観できるものでなく、
主人も、そろそろ親戚には一応、現状を知らせておくべきか、
という話を、朝、家を出る前に、していたところだった。

具合の悪いときに、ぞろぞろと見舞いに来られるようなことは、
舅が望んでいないのではないかと思うけれども、
病状が本当に深刻になって初めて知らせるという訳にも行かないし、
親族や友人のほうで、
『会って話ができるときに会いたい』
と考える場合もあるだろう。
これまでは余計な心配をかけてはいけないと思って、
ほとんど詳しいことを知らせていなかったのだが、
今、元気になって自宅に帰ることがかなり難しそうな状況なので、
ある程度の範囲で知らせておくべきだろうと私も思うようになった。

それはともかく、午前中は舅がうとうとしている様子だったので、
私はほとんど、そばに座っていただけだったのだが、
『痰が出やすくなるように吸入をしましょう』、
ということで看護師さんが吸入器を準備されていると、
舅は、不意にはっきりと目を覚ました。

舅「それのまえに、す×*て#%$」
看「はい(^_^;?」
舅「じゃけね、す×*て#%$」
私「『吸うてみて』と言ってますので、
 吸引して、口から痰を取ってみて欲しい、
 ということかと、思うのですが・・・」
舅「そうそう」
看「はいはい、わかりました(^^)」

痰のせいか、舅の言葉はときどきとても聞き取りにくかったが、
私には偶然、わかったので、通訳(^_^;した。
吸入の前に吸引をやってみてくれ、
と自分で指示できるあたりは、さすがに、じーちゃんだった。
果たして、やって貰うと結構たくさんの痰が引けてきた。

そのあと、段取り通り、吸入をすることになったのだが、
舅は今度は、何を思ったか、ネプライザーの口の部分を、
ぱくっとくわえて、両手を離した。

(な、なるほど、こうすれば持たなくていいから、楽か・・・)

と私が感心して眺めてみたら、舅はしばらくして、
片手を添えて、ちょっと口から離し、ふぅっと息を吐いた。
タバコを喫う手つきそっくりだった(爆)。

そうこうしているうちに、昼食時間になり、
さっきとは違う看護師さんが、昼食のお盆を運んで来てくれた。

看「おひるですよー」
舅「あい」
看「きょうはねえ、お赤飯。敬老の日ですからね」
舅「祝うて貰うてもな。なんも、めでたいことなんか、ないが

しんどくても、やっぱりとても、じーちゃんらしいのだった(^_^;。

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