転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



おそらくパッキンが弱ったのだろうが、キッチンの水栓から水漏れするようになり、
先日、メーカーに問い合わせたら15年目の無償交換があるとのことで、
昨日、その交換作業に来て戴くことができた。
一般に、10年を過ぎたあたりから不具合の出ることが増えて来るそうで、
15年目まで何のトラブルもなく保っていたのは、運が良かったようだ。

新しい蛇口はフォルムがややタイトな感じになり、レバーも小さめで、
混合水栓としてお湯のほうに切り替えるときには
軽くカチっと手応えがあるように改善されていた。
私が劣化を心配していたシャワーホース部分も新しくなり、
内蔵の浄化フィルターも交換して貰ったし、
我が家のキッチンの蛇口は、これでめでたく、文字通り根元から蘇った!

作業途中に水栓を一時的に止める工程があり、あとで業者さんが、
「給湯器も、結構、最新式のがついていたような……(^_^;?」
と指摘されたが、そうだった、あれを取り替えたのは2018年2月だった。
去年はトイレを直し、今年は洗濯機を買い換え、
……あと、大物でやっていないのは、レンジ台関連と食洗機、冷蔵庫、か……。
それともさらに、とんだ伏兵がいるのだろうか。
いやな予感しかない(大汗)。

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涼しくなり、エアコンが全く要らなくなったので、
花を買う道楽を復活させた。
この秋最初のお花は、楚々としたリンドウ。
……色合いとしては、夏前に最後に買ったデンファレと似ているな(^_^;。

リンドウというと、我々世代で漫画『伊賀野カバ丸』の読者であった者は、
まんぷく堂のスーばあちゃんの恋文の文面、
『かぐわしきりんどうの 花にも似たあなたさまの おやさしき文をば拝見たてまつり』
を思い出す訳だが(私だけかい)、
こうして実際のリンドウを目の当たりにしてみると、花そのものの香りはほとんどない。
してみると、スーばあちゃんの言う『かぐわしき』は、文字通りに嗅覚に心地よいのではなく、
もっと抽象的な「美しく気高い様子」のことを言ったのかもしれない。
……だとしたら、なかなか雅びである。一筋縄では行かぬ婆さんだったのだな。

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3日連続で神社の用事と掃除があり、
そうなると実家にも必ず寄ることになるので、
順調に実家の掃除も進んだ。――2台のお掃除ロボットの御蔭で。
先日はRoombaに座敷を一掃させたら、基地まで帰れず座卓の下でコト切れていたが、
昨日はRoombaに廊下を、もう1台のロボットクリーナー氏に父の寝室をやらせたら、
それぞれ巧くやってくれて、かなり綺麗になっていた。
それで今日は、Roombaに台所を、ロボットクリーナー氏にトイレを任せた。

実家の掃除はロボットらをスイッチオンしておいて、私本人は神社に行った。
地元の小学校が明日と明後日、神社の見学に来るのだそうで、
だからといって総代長から何かを言いつけられた訳ではなかったのだが(汗)、
やはり、荒れた感じのお宮さんというのはよろしくないだろう、
と見栄っ張りな私はひとりで思い、きょうは朝から2時間ほど、
境内を掃いて、草を抜き、ショボくなった紙垂(しで)を取り替えたりして、
一応、見栄え良くなるように頑張った。

どう考えても、神社のほうにもネズミが出ていると思われ、
社殿を掃除するたびにネズミの××みたいなものが落ちているので不快なのだが、
千歳飴や撤饌(お下がり)、お清め塩などは冷蔵庫や什器に仕舞い込んで、
誰にも触らせないようにしてあるので、衛生面では一応大丈夫のようだった。
そうだ、社殿にひとつ、ロボット掃除機を装備すれば良いのでは、
と私は掃き掃除をしながら思いついた。
こうやって人が活動しているときには、ネズミもゴキも見たことがないので、
施錠して帰るときに、ロボット掃除機をスイッチオンして出れば、
無人になってからウイーンウイーンと動き回って掃除してくれて、
ネズ子らも用心して、出てきにくくなるのでは。
或いは、お祭のある日の朝ロボットが働くようにタイマーをセットしても良い。
何より、留守間に畳が綺麗になるし。←そもそも、そっちだろう本来の用途は。
試しにロボット掃除機を検索してみたら、2万円を切るものがいろいろあった。
いんでないの?

神社の掃除を完了して帰宅したら、Roombaはおしとやかに基地に戻り、
ロボットクリーナー氏もトイレ掃除を終わって、佇んでいた。
Roombaのダスト容器を引き出してみたら、埃がよく取れていたが、
なんと、Roomba本人から生えて?いるクリーニングブラシの一部が
経年劣化で取れてしまったらしく、それも自分で吸い込んでいた。
「あ、あらあら、粗相を致しまして(^_^;」
と自分の出したものを自分で清掃したのかと、痛々しくなった(^_^;。

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実家をなんとかしたいと思いつつ、用事で行った日に隙間時間を活用し、
消極的に掃除をする日々だ。
古いRoombaを充電しては、先日は座敷、きょうは食堂、明日は寝室、
というように一部屋ずつ清掃している。
バッテリーが弱っているので、このRoombaは長く働けないし、
そもそも自分で基地まで帰れないことも多いので、
私が来ているときに管理しながら使うしかない。
きょうは物置でもうひとつ、Roombaとは違うロボット掃除機を発見したので、
とりあえずそいつを、父の寝室でコンセントに繋いで置いてきた。
うまく充電できて稼働するようなら、これからは2台体制でやれるかもしれない。

……ったく、なんでこんなに道具ばかり持っていて、
肝心のハウスキーピングという仕事が果たせていなかったのか。
実家には、私が見つけただけでも電気掃除機3台とロボット掃除機2台がいる。
昔からこの家は、床がざらざらしていたものだったが、
スイッチオンするだけで勝手に床を綺麗にしてくれるロボットがいるのに、
「オン」する手間さえ惜しんでいたということか(--#)。
……と思ったが、おそらくは、そう簡単なものではなく、
両親が住んでいた頃は家が散らかり過ぎて、床に物が多すぎ、
Roombaがいちいち立ち往生するので、活用できなかったのだろうなorz。
今はこれでも私が捨てまくって、床がほぼ全面ちゃんと露出したから、
Roombaが楽々と動けるようになったのだな。

各部屋の中にまだまだ残っている、古い衣類とか意味不明な紙くず、
際限なくためこまれた文房具、いつのものか不明なパンフレット等々は、
極力捨てる方向で、古いほうの台所に集めている。
いずれまた、『広島市固形状一般廃棄物収集運搬業の許可業者』さんに頼んで、
旧台所とその二階部分を一掃しなくてはならない。
実家に関する私の第一のゴールは、貴重品以外のものをすべて捨て、
父が最後に改築した部分(=父の寝室、新しい台所、トイレ、風呂、洗面所)
をよけいなものがない状態にして、私の居場所をつくること、
第二にして最終的なゴールは、全体が今の三分の一くらいの面積になるように
減築して4LDK程度の平屋としてリフォームすること、だ。

千里の道は一歩から。まずカイより始めよ。
ということで、私は明日もRoombaとともに働き、ゴミをまとめる。

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きょうもStayHomeで、たまっていた書類仕事をばしばし片付けた。
台風の被害関係報告書記入とか、研修会の出席者名簿作成&ファックス送信とか、
神社関連の承諾書文案タイピングとか、会計提出用の明細書作成とか、
一件一件はそう込み入った内容でもないものが多かったのだが、
いつも言うように、空き時間5分が細切れに12回あれば60分ぶん捗(はかど)る、
というものではないので、こうして最初から1時間+αがガッツリ確保された状態で
腰を据えて取りかかることにより、作業スピードが加速度的に上がり、
あっという間に全件一気に処理できた。
それから、電話の交渉ごとを3件、業務メールを2件。

夕方には、血圧の管理で毎月かかっている近所の内科に行った。
今朝の家庭血圧は128/88(脈拍69)、夕方の外来では140/107(脈拍93)。
白衣性高血圧を割り引いても、拡張期(下)の血圧が高く、
こういうところは、StayHomeで運動不足なのが祟っているのではと思った。
帰宅直後に自宅で測定したら、やはり141/99(脈拍88)だったので、
家の血圧計が壊れているのではないことも確認できた。
この同じ血圧計で117/78や121/80などの記録になることもよくあり、
そういうときは「低すぎる。壊れとるのでないか」と腹立たしく思っていたが、
一応機械は正確そうなので、これからは低い値が出たときには、
「血圧が安定している」と素直に信じることにしよう。

追記:9月25日朝の血圧は、123/76(脈拍65)。信じることにします(笑))

内科では帰りに、来月のインフルエンザ予防接種も予約してきた。
今年は10月1日から先に、定期接種対象者(65歳以上)の人が接種を開始するよう
厚労省が呼びかけていて、それ以外の人は10月26日以降推奨となっている。
それで、主人と私の二人分を、10月の最終週の後半に予約してきた。
インフルエンザの予防接種は毎年受けているし、
10月のうちに接種を済ませるのは、若干、早めかなという気がするのだが、
もしかして今年は接種希望者がいつもの年より多いかもしれないとも考え、
漏れがないよう、きちんと予約を入れておくことにしたのだ。

さて、今夜は雨。明日もStayHomeだ。
きょう頑張ったので、明日は休暇にしたいと思っている。
そのかわりに、というのでもないが、今度の土曜・日曜・月曜は、
また山奥の神社で留守番と七五三の受付仕事をする予定だ。
混み合うような神社ではないし、年季の入った換気の良い(笑)社務所なので
3密の心配は全くないのだが、山なのでそろそろ寒いかもしれない。
冷え対策をして行こう(^_^;。

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岩田健太郎神戸大教授 「7日後程度に発症」、4連休中の感染者(神戸新聞 9月22日)
『岩田健太郎神戸大学医学研究科感染症内科教授が22日、ツイッターに新規投稿。4連休で各地に人出が戻ったことに、新型コロナウイルス感染者が「7日後程度に発症」と警鐘を鳴らした。』『岩田教授はNHKニュース「4連休で人出増加 『油断せず濃厚接触避けて』専門家」を引用し、「いまさら遅い。連休前に言うべきこと。この間の感染者は7日後程度に発症し、全国各地で患者の増加を確認する頃追い打ちをかけるように東京GOTO突入」と憂えた。』

イワケン先生のことが大好きかどうかはともかく(汗)、私も同様に感じている。
そうでなくても9月に入って、東京の実効再生産数は下げ止まりor微増傾向だったのだ。
4連休の人出が多かったことにより、おそらく感染者数は明らかに上昇に転じるだろう。
しかも、ニュースによると、来月あたり国境を開いて世界各地からの入国を許可しよう
という動きが出てきているようなので、東京GOTO解禁のあと海外からも更に流入、
となる覚悟をせねばならないのでは。

目下、世界的にも、米国や南米の状況は改善せず、インドは感染爆発中で、
ヨーロッパで感染再拡大 各国が対応に追われる」(NHK 9月22日)
という状況になっているのに、どうしてこのタイミングで、
日本各地で皆が「さあもう大丈夫!」的な行動を取り始めたのか、
私自身はコロナ脳の代表選手みたいな人間なので
どうも感覚的に理解できていないのだが、政府も世の中も、
「もう感染者は増えても良いから、これ以上は待てない!経済を活性化させる!」
という方向で動いているように思われる。
専門家の警告だって、『いまさら遅い』のではなくて、
そもそも、急いで間に合わせる必要までは無かったのではないか。

私は断じて、何か呪いをかけるような気持ちでいるのではない。
皆で閉じこもりさえすれば感染が止まることは、4月の外出自粛で体験済みなのだから、
今度は出歩いてみて、どのくらい大丈夫かを試しながら進むほかない、
という考え方も「あり」だと、……感覚では同意しないが理屈ではわかっている。
これだけ観光地が混み合って、皆が活発にレジャーを楽しんで、
なおかつ感染者の増加率が許容範囲なら、それに越したことはないのだ。
これまで学んだ予防法と対策を駆使すれば、かなりの程度まで社会生活は元に戻せる、
というのが今回の4連休の実績で示されるならば、日本には先行きが開けることになる。

私はそうなることを、むしろ、願っている。
私はそもそも、何によらず、自分が特に頑張ったり犠牲を払ったりしなくても、
私と全く無関係に周囲が勝手にうまく回って、楽しく過ごしてくれている、
という状況が好きなのだ(殴)。
私が大袈裟に引き籠もっている間に、世の中がお構いなしに動き出して
皆で元気になってくれるものなら、私はそれに異を唱えない。
皆が動いて観光地が混み合い、GOTOもやって、海外から人が入ってきて、
それでも感染状況が許容できる数字で収まるものなら、きっとそれで良いのだ。
逆に、そう巧く行かなかったときどうなるのかは、私には予想がつかないが、
政府は強い規制もしないかわりに、給付金や減税なども考えたくない様子なので、
これまで通り消極的に対策しつつ、基本は皆の自覚頼みということなのだろうか。

とりあえず私自身は、まだ自分にGoサインを出す気持ちには、なっていない。
自分の運と体力に相変わらず全然自信を持っていないし、
医療を圧迫する(かもしれない)人数は一人でも少ない方が良いと思っているので、
そのほうに賭けることにして、引き続きStayHomeを原則に、このまま粘っているつもりだ。
楽しく外出している人たちを見ても、基本的に悪く言うつもりはないし、羨むこともしない。
私はまだ、旅行も外食も一切しないし、演奏会や歌舞伎などにも決して出かけないが、
それは人に強要されたからではなくて、私自身の積極的な選択なのだ。
そもそも私にとっては、今の引き籠もりの日々は、別段苦痛でも何でもないので、
こういう生活なら、いくらでも続けられる。
今年はコロナ禍の御蔭で目が覚めたというか、今更いろいろわかったというか(^_^;。

……という訳で、ひき続き、人付き合いを断った隠遁生活を致しておりますが、
上記のような判断および事情によるものですので、
どうか悪しからずご了承くださいませ<(_ _)>。

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母が、某ホームで出される食事が口に合わないと、たびたび嘆くので、
きょうは、前もってホームの昼食をキャンセルしておいて、
私が午前中にデパートに行き、
お赤飯・栗おこわ・サラダ巻き・ローストビーフのサラダ・煮物・上生菓子、
を二人分のお昼御飯として購入し、ホームに届けた。
土蔵整理で発掘した、大昔のアルバム2冊もつけておいた。

ホームは例によって面会禁止が続いているので、
スタッフさんと母本人に事前に電話で私の到着時刻を連絡したうえで、
下の受付のところで、荷物を二人に渡して戴くようにお願いをして、託した。
夜に電話で、母が、
「きょうは、とてもとても幸せやった。た~んと、食べました。
今おじいちゃんと二人、ベッドに並んで腰掛けて、テレビ観とぉねん(^^)」
と、とても嬉しそうな声で言っていた。そりゃ良かったな(^_^;。

そして、母は弾んだ声で、
「あんた今度来るとき、家に寄って、私の折りたたみ傘と、
レインコートと、長靴を持って来てぇな」
と言った。なんでまた、そんなものを(^_^;?と尋ねたら、
「今、天気予報で雨になるて言うとったんやけど、訊いたら
おじいちゃんはちゃんと、折りたたみの雨傘、持って来とぉねん。
私は、長い傘はこっちへ持って来たけど、折りたたみはないから、
こっちの部屋の入り口のところへ置いといたら、便利やと思うて(^^)」
とのことだった。
母は車椅子で、介護タクシーで出かけるのだから自分で傘はささないし、
雨の日の外出の用意など、そんなに真面目にしなくても大丈夫なのだが、
まあいい、それで楽しい気分になるならお安いご用だ。

私の忙しさの程度にもよるが、月に何度か、これからも御飯をお届け致しましょう。
とりあえず、次回はその、雨具も一緒にな(^_^;。

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一時期騒いでおいて、経過や決着を書いていなかったことが
いくつかあるような気がするので、その後の記録を書いておこう。

ネズミ騒動
実家にネズミが出た件は、ダスキ○さんのご指導でネズミ捕りを各所に仕掛け
8月いっぱい観察を続けたのだが、あれからは1匹もかからなかったので、
とりあえずこれ以上は居ないと判断して、8月末ネズミ捕りシートを撤去した。
以後、私は幾度も実家に出入りしているが、ネズミが出た形跡はなく、
やはりあれで一応の決着を見たと思って良さそうだった。
尤も、土蔵の窓など隙間が開いているところはいくらでもあるので、
いつまた次のヤツが侵入して来ないとも限らないと考え、用心して、
最近はゴミを厳密に処理し、実家でその日に出せない食品関係のゴミは
不本意だが中区のマンションまで持ち帰るように徹底している。

紙クロス
憂さ晴らしと給付金の有効活用ということで、我が居室の壁紙を、
輸入の紙クロスで張り替えることを決めた
のだが、
奮発して天井まで同じので張って下さいとリクエストしたら、
今、国内に残っているものだけでは本数が足りないとわかり、
不足分は、10月に輸入で入って来るのを待たねばならないことになった。
和室の正面のは国産のビニールクロスで張り替える予定なのだが、
業者さんは同じなので、作業日を合わせるということで、
和室サイドボード設置も何もかもひっくるめて、一ヶ月待ちと決まった。
でもまあ、楽しみは後に取っておくということで異存はない。
舅宅から引き揚げた仏壇の、マンション和室への搬入も、まだだし。
新築でなく張り替えのときに、薄い紙クロスがどの程度うまく行くものか、
今までやってみたことがないので、ひとつの賭けではあるのだが、
許容できる出来映えであれば、いつか娘の部屋を直すときにも
輸入クロスの綺麗なのを使ってみたいと、夢は広がっている(笑)。

歯科治療
歯科治療は、左下7番の周囲の腫れは今のところおさまっていて、
9月11日に全体の点検とクリーニングをして貰ったが、
左下7番の歯周ポケットは4ミリとのことで、一応、合格だった。
6月に最初に診て戴いたときは10ミリ近くまであったのだ(汗)。
ようやく治療が完了したので、引き続き丁寧に磨くようにとのことだった。
そのほかの箇所はどこも3ミリ以下で、歯石取りなどのクリーニング中も
全く出血などがなかったので、ブラッシングは足りている、という診断だった。
左下7番のかたちが変わったことで、マウスピースを下だけ作り直すことになり、
11日に型を取ったが、完成は10月10日頃になるとのことで、
来月半ばにそれをはめた状態でチェックをして、問題なければ終了となる見込みだ。

*********************

今年は台風が続けてふたつ来たせいか、秋になるのが早く、
9月10日頃から、めっきり朝夕が涼しくなった。
陽が陰ると、空気がひんやりしてとても心地よい。
私は数日前から、寝るときには長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを重ね、
下は長ズボン+足首にはレッグウォーマー、というスタイルになった。
こういう、エアコンの要らない季節がいちばん体がラクだ。
温暖化のことばかり言われる機会が多いが、
9月半ばでこんなに快適になったのは、ちょっと久しぶりではないだろうか。

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昭和40年代の前半、幼かった私は毎晩、
『暮しの手帖』に連載されていた『お母さんが読んで聞かせるお話』
を聞きながら、眠りについていた。
タイトルの通り、読んでくれていたのは母だったが、
当時、フルタイムで働いていて多忙だった母は、
実際には毎晩私に読み聞かせをする時間も体力もなかったので、
週末などに、このお話の朗読をテープに吹き込んでおいてくれて、
私は寝るときに、母が居なくても、それを再生して聞いていたのだった。

 実は、父が読んでくれたものも何本かはあったのだが、
 ハッキリ言おう、父の朗読は、母ほどには巧くなかった(逃)。
 小さい私なりに父に悪いなとは思ったが、母の録音のほうが聞きやすかった。
 父とは、ビーチボールを使った『アタックNo.1ごっこ』が定番だった。
 父が本郷コーチや猪野熊監督になってビーチボールを投げ、
 私が鮎原こずえになってレシーブしまくるのである。
 これにも私は大変夢中になったものだ。母とは出来ない遊びだった。
 人間、誰しも得手不得手は、あって当たり前なのだ(汗)。

閑話休題。
何しろ昔のことなので、最初はオープンリールを使っていて、
空のリールにテープを自分で巻き付けて再生を開始する作業など、
両親と一緒になって私も子供なりに覚えたものだった。
録音するときには、母はよく、最初に私にタイトル部分を言わせた。
自分の声が記録されて、残る、というのは新鮮な体験だった。
多忙な生活の中で、私が何を喜ぶかをよく見抜き、
それに応える工夫を怠らなかった我が母は、
(今はアレだが・爆)実に聡明な人であったと有り難く思い、感服している。

その中で、面白かったのは『きつねの建築師』を録音したときで、
終わって、再生しようとしたらテープが機械に絡まって困ったことになってしまい、
両親が苦心惨憺してテープをほぐして、どうしても取れなかった箇所は切断して、
セロテープで貼り直して修理した、という出来事があった。
そうしたら、テープの傷んだ部分は若干、音が飛んでしまい、
タイトルが「きつねのンちくし」になって、
私はそれを巻き戻しては、わざと何度も聴いて笑い転げたものだった。
劣化したテープにも、それはそれで私は愛着があった。
やがて何年か経った頃、世の中にカセットテープというものが登場した。
これで格段に扱いやすくなり、自在に再生できるようになり嬉しく思ったものだった。
カセットになってからも、母の朗読のコレクションは増え続けた。

『お母さんが読んで聞かせるお話』が私に与えたものは、
今から思えば、計り知れないほど大きかった。
幼稚園に入るか入らないかの頃から、小学校を卒業するくらいまでの年月、
私はほぼ毎晩、母の録音した『お母さんが読んで聞かせるお話』を聴き続けたのだ。
母が目の前で生で読んでくれることよりも、
私は既にかたちの決定している「録音」を聞くことをより好んでいた。
当時の私は、ライブよりレコーディングが好きだったとも言えるし、
当時から私は、反復という行為が性に合っていたのだ、とも言える。
母は多くの物語を録音してくれたが、私には特にお気に入りのものがいくつかあり、
筋も展開も決着もよく知っている話を、飽きもせず幾度でも聞いたものだった。
そこで覚えた言い回しは数え切れないほどあり、
私の日本語表現の基礎になった部分が、かなり大きかったと今でも思っている。

さて、きょう、この話を持ち出したのには理由があるのだ。
実は先日、某SNSで友人が、藤城清治氏の影絵のことを話題にされたので、
「『お母さんが読んで聞かせるお話』の藤城清治の影絵がとても好きだった」
と私が何の気なしに書いたところ、別の友人某氏が、
「その物語を祖母が書いていました」
と仰ったのだ。
なんと、幼い私がこよなく愛した物語の数々、あの文章のひとつひとつを
現在の私の友人の、お祖母さまにあたる方が、お書きになっていたのだった。
半世紀を経て、ここでこのように繋がろうとは!

そのお祖母さまとは、富本一枝氏のことである。
『お母さんが読んで聞かせるお話』は、初代の書き手がこの富本一枝氏で、
のちに香山多佳子氏に引き継がれるのだが、
うちの母は『暮らしの手帖』のバックナンバーを創刊号からずっと
たくさん保管して持っていたので、富本版『お母さんが―――』のほうを
録音に使用していたのだった。
私は今回の巡り会いにあまりにも心打たれたので、ネットで古書を探し、
『お母さんが読んで聞かせるお話A』『お母さんが読んで聞かせるお話B』
の二冊を、先日、買い求めた。
『暮らしの手帖』での連載そのものは昭和二十年代から始まったものだし、
書籍となったのも初版が昭和47年という本なので、影絵はまだモノクロだ。

問題の(笑)『きつねの建築師』も収録されていた。
そのほか、今も私の記憶に残る物語がいくつもあった。
まさに、「雀百まで踊り忘れず」、私は今、やろうと思えば、
当時の母の、神戸弁風味の朗読を再現することが可能である(笑)。
それと同時に、私がその後に職業上の必要から習得した、
共通語アクセントによる音読も、必要とあらば、できる。
娘が小さかった頃、私は彼女に絵本の読み聞かせをしたが、
そのときはこの二分冊を使うことを思いつかなかった。
というか、昔の『暮しの手帖』が手元に残っていれば良かったな
と漠然と思い出したことはあったが、
どうやって手に入れたら良いかわからず、現実的なこととして考えなかった。
娘が小さかった頃はまだ、インターネットが日常的ではなく、
これらをamazonや楽天で探すという方法が、なかったのだ。

下の写真は、今回手に入れた『お母さんが読んで聞かせるお話A』『同B』と、
オープンリールの音に聞き入る、2歳半の私(!)の姿である。
 

こうした出会いが「紙の本」の時代のものであったことを、私はとても嬉しく思っている。
母の本棚の『暮しの手帖』を、幼い日に私は自分でも引っ張りだして、開いていた。
『お母さんが読んで聞かせるお話』だけでなく、
『暮しの手帖』お得意の、様々な実験のページも私なりに眺めていたものだった。
電気掃除機の性能比較とか、石油ストーブの安全性テストとか、
理解できようができまいが、写真を見るだけでも面白かった。
もし時代が違って、これらが母のタブレットの中に仕舞われたデータだったら、
母の留守間に幼稚園児の私が自由に開いてみることは、多分なかっただろう。
そして、56歳になった今また、私は当時と変わらぬ『お母さんが―――』のページを、
目の前に広げ、懐かしい絵や音や声や匂いの記憶を蘇らせている。
神戸に住んでいた頃の家の、襖の柄とか、西日の射す床の色合いなども。
あの家も風景も、とうにこの世に存在しなくなった。
阪神大震災で壊滅的な被害に遭ったからだ。
しかし、絵や文章は、こんなかたちで人の心に残り、
それにまつわる周辺の風景までも、いつまでも消えることがないのだなと、
大変感慨深く思っている。

富本氏は、画家としても婦人運動家としても名を残された方だが、
私にとっては純粋に『お母さんが読んで聞かせるお話』の書き手であり、
物語の世界に遊ぶ楽しさと、日本語表現の面白さ・多彩さを
卓越した技術をもって丁寧に教えて下さった、人生最初の師であった。
そして、私はなんと、この方の御孫さんと、
そうとは全く知らずに偶然からネットで出会い、
ただ気が合って、もう何年も前からお友達になっていたのであった。
50年以上経ってしまったが、富本一枝氏に、心からの御礼を申し上げたい。
本当に、ありがとうございました。
幼少時には貴女様と、長じては貴女様の御孫さんと、
得難い、楽しい時間を共有させて戴いて、今日の私があります。
ご縁の不思議さ、素晴らしさに、強く心打たれる思いです。
貴女様は私の人生に、なんと多くのものをもたらして下さったことでしょうか!

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イナズマロックフェス2020、今年はオンライン開催ということで、
本日、私は9年ぶり!に参戦している♪自宅から!
イナズマロックフェス2020

近年は私は土曜日に会社があったし、神社の祭りの季節とも重なっていて、
9月のこの時期に滋賀県まで出向くことができなくなっていたのだが、
今回はオンライン開催、終了後24時間「見逃し配信」も利用可とあって、
現地に出かけていた頃より、さらに細かく隅々まで堪能できるようになった。
トップバッターは、ももクロ@横浜1000CLUB。
西川氏のいる滋賀県庁特設スタジオと各地会場がオンラインで繋がり、
こちらは快適な自宅でリラックスして楽しめて、なかなかイイ。

コロナのために各種ライブやイベントが軒並み影響を受け、
通常開催が難しくなったことは確かに災難ではあったのだが、その一方で、
こんな思いがけない可能性が開けて、私は夢じゃなかろうかと感激している。
今日は、このまま夜まで、イナズマを流しながら過ごそう(^^)。

(二番手は、BOYS AND MEN@名古屋BM Theater。
ももクロちゃんもそうだったが、どちらも西川貴教氏の結婚お祝いネタありwww)


追記:清春は「じたばたしないで配信に特化した活動をしている」
という意味合いの、独自の見解を述べていた。
「ライブはいずれ全面解禁になったとき全開にして思いっきりやる」
「今は月1でオンライン配信+音声ダウンロード可にして、
 2時間のMVを撮る気持ちで構成演出考えた音楽をやっている」。
清春が語る「配信ライブ」のあるべき姿(2020/06/19マイナビニュース)
コロナ禍のせいで以前のように出来ない、という地点で停滞したり、
元に戻るまでの繋ぎのような中途半端な活動に終始したりするのではなく、
こうして、今までならあり得なかったスタイルを編み出した人は強いと思った。
現状を逆手に取って利用し新境地を開いたのが、清春の凄いところだ。

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