転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



16日ぶりに、どこへも外出せずに家で過ごすことができた。
……と言っても、先週の日曜月曜は東京に行っていたのだから、
これは「私には16日間、休日が無かった!」という話ではない。
ただ、16日間出ずっぱりだった、というだけだ(^_^;。

ともあれ今日は、そういうわけで家で過ごせたので、
パソコンの前に数時間まとめて座っていないとできない仕事が
いくつか片付いて、大変スッキリした。
中でも大きかったのは、平成29年度の確定申告書類を完成させたことだ。
収支内訳書や医療費の明細の入力も含めて、2時間くらいでできたが、
こういうのは、仮に10分の空き時間が12回あっても出来ない仕事だ。
やはり「通して」2時間、という過ごし方ができるときでないと。

************

ところで先週、東京に出発する前日の17日夜、私は、
自分のセゾンカードが財布の中に見当たらないことに気づいた。
財布の中身を全部出して探したのだが無かったので、
最後に使ったのはいつだろうと記憶を辿ってみたところ、
15日に仕事でJR緑井駅から電車に乗ったとき、
ICOCAを使うのに財布を開けたら、クレジットカードもあった、
……ことまではとりあえず思い出せた。
それで、セゾンカードのウェブサイトを見たら、
紛失の際は24時間フリーダイヤルで連絡できる相談窓口がある、
と書かれていたので、そこに電話をかけてみた。
こういうところにお世話になったのは、初めてだった(^_^;。

そうしたら、大変親切な女性の担当者が対応して下さり、
本人確認と、紛失に気づいたときの状況、
最後にカードを使用した日時に関する記憶、等々のやりとりのあと、
なな、なんと、
「そのカードは落とし物として届けられています」
と、仰せになるではないか(O_O)!!
私のカードはどこかで親切な方に拾われ、
カード会社に既に連絡が行っていたのであった。
直前のカード使用履歴も確認されたが、間違いはなく、
見知らぬ人に拾得され悪用された形跡は、全くなかった。

落としたカードが拾われ、カード会社に届けられると、
本来なら、カード会社からすぐに私宛に連絡が入る筈だったのだが、
今回の場合、届け出住所の自宅電話番号のほうは応答がなく、
携帯にかけたら全然違うところにかかってしまった、とのことだった。
自宅は私はほぼ常に留守(爆)なので当然として、
携帯に関しては、15年くらい前にカードを作った当時の電話番号のままで、
その後、携帯を変えたにも関わらず、
カード会社に変更届をするのを忘れて、今日まで来ていたらしかった。

どこで拾われ、どこに保管されているかについては、
翌営業日に改めて連絡をすることになっている、と言われ、
私は今度こそ、現在使用している携帯の電話番号を申し出て、
東京滞在中の19日の朝、改めてカード会社から連絡を貰った。
それによると、カードは某バスの車内で拾われ、
そのバス会社で遺失物として保管されている、ということだった。
15日の仕事で、私は確かに、JRを降りたあと某バスに乗った。
そのときPASPY(広島の交通系ICカード)を出そうとして
財布を探って、クレジットカードを落としたようだった(汗)。

それから今度は、教えて貰ったそのバス会社に電話をし、
落とし物が保管されている営業所の所在地を聞き、受取に行くことになった。
有り難いことに、夜8時まで開けているからと言われたので、
私は20日に会社が終わったあと、その営業所まで出かけ、
めでたく、私のセゾンカードとの再会がかなった。
拾って下さった方、バス会社の方、カード会社の方、
皆さん、本当にありがとうございました(T_T)。

ちなみに、どうしてこのカードが無いことに気づいたかというと、
2月上旬にネット予約した国立劇場の3月のチケットを、
2月18日に日本舞踊協会公演に行った時ついでに発券しようと考えていて、
それをするのに予約時の決済に使ったカードが要るのを思い出し、
東京へ出発する前の晩に財布を見たら無かった、のが発端だった(^_^;。
国立劇場チケットセンターでは、クレジットカードを持参しなくても、
「QRコード」や「受付番号」の出ている決済画面をプリントアウトして
発券機の読み取り機にかざせば受け取れたので、問題はなかったのだが、
それにしても、カード紛失に気がついたのは、チケットの件のお蔭だった。
これが無かったら、どうなっていただろう(汗)。
某バス会社の場合、受取人が現れない忘れ物は数日間保管したのち、
次は広島東警察署に送る、とのことだったが、
私は警察までカードを引き取りに行くことになっていたのだろうか。

そういえば、あれは10年前、
落とした運転免許証がやはり親切な方によって拾われ、
私はケーサツからお手紙を貰ってそのことを知り、
広島中央警察署まで行った
ことがあった。
あのときもバス絡みだったな。
PASPYを出そうとすると、どうも私はそれより大物のほうを落として来るようだ。
つまり毎回PASPYが悪いんやんか(違!)。

Trackback ( 0 )




一昨日、某・介護付有料老人ホームから、
両親の入居に関して、来月には受け入れ可能との電話があり、
きょうは規約等の詳細説明と契約書作成をすると言われ、
私がひとりで施設まで出向いた。

(写真は、その某ホームのロビーに飾ってあったお雛様。
昔、娘と児童館で遊んでいた頃も感じたことだが、
こういう季節行事の雰囲気を忘れない場所というのは本当に良いものだ。
日頃、多忙な生活をしていると今が何月かも思い出さなくなるので……。)

書類作成時に、便宜上、契約日を決める必要があったので、
私の独断で3月20日にした。
施設のほうでは上旬でも大丈夫だと言われたのだが、
両親がただちに入りたいという気持ちにまではなっていない様子なので、
キリの良い数字で、かつ大安である日を、適当に選んで決めた(笑)。

ベッドやテレビ、冷蔵庫、洋服ダンスなどは、とりあえずレンタルにした。
家電に関する持ち込み制限は多少あるのだが、
その他の大抵の家具は、自前のものを搬入して良いとのことなので、
レンタル品中心でスタートした後、両親の希望を容れつつ、
必要な箇所は今後入れ替えて行けば良いだろう。
3月20日以降はいつでも居室に出入りできるようになるので、
完全な入居の前に、少なくとも一度は両親も一緒に見に来て、
寝具や生活用品など、何が必要か検討し準備をすると良いと思っている。
3月20日から、部屋代その他は日割りで発生するが、
入居日や荷物搬入日そのものは、20日当日でも良いし、
或いはうんと後日になっても、いつでも良いとのことだった。
およそ、4月頃から施設の部屋で寝泊まりできるようになると良いのでは、
と私は勝手に考えている。

私自身は結構、引越とか荷物の片付けが好きなほうなので(^_^;、
新しいところへ移るというだけで、かなり楽しみだったりするのだが、
両親は私とは違い、過去45年ほど同じ家に住んでおり、
何がどこにあるか目を閉じていてもわかるくらいの暮らしをして来たので、
生活の場が変わることなど、考えただけでも負担感が大きいだろうと思う。
特に、母などの言い様を聞いていると、老人ホームというのは、
「いざというときの行き場所。行くのはいよいよになってから。
今はまだ、準備だけして、しばらくはこのまま自宅で暮らす」
というニュアンスが言葉の端々にあるのを感じる。

しかし私はそれに全面的に従うわけにはいかない。
「わかっとるが面倒くさい」
「きょうは気が進まんけ、またにしようや」
の類いに真面目に付き合っていると、永遠に話が進まない、
ということもまた、経験上、よくわかっているからだ。
これからの作業については、両親に無理をさせないように気をつけつつ、
適宜促して、気持ち程度、早め早めに進めて行きたいと思っている。

Trackback ( 0 )




18・19日で東京に行き、国立劇場の日本舞踊協会公演と、
歌舞伎座の二月大歌舞伎を観てきた。

18日の歌舞伎座夜の部で、久しぶりに幕見席を買い、
『芝居前』と『七段目』の二幕を続けて観たのだが、
座席のすぐ後ろではなく、座席と座席の間にある通路の真後ろにあたる、
壁際の「お立ち台」に上がって観てみたら、これが大正解で、
遮るものが何ひとつない100パーセントの視界が得られ驚嘆した。
これぞ、パーフェクトなグランド・ビュー!!!だった。
そしてこれが、実は今回の歌舞伎座での最大の収穫になった。
大切なのは、
「座席エリアのブロック間通路 真後ろ突き当たり・壁際お立ち台」
という点だ。
「お立ち台」でも、自分の前方に座席列のある場所では、
その座席背後とお立ち台の間のスペースに立ち見客が立つ可能性が高いので、
必ずしもこの壮観を楽しむことはできない。

一幕見席について(松竹)

上のリンク先『幕見席へのご案内』に出ている右側の写真の、
グレーの部分が私の言う「お立ち台」なのだが、
実際にはここも、床と同じ朱色の絨毯が貼られている。
幕見席では、座席のすぐ後ろからすべてが立ち見エリアなのだが、
座席エリアのブロック間の通路を塞いで立つことと、
通路階段部分に座って観ることは禁止されているので、
私は混雑気味の立ち見席に入ったとき、直感的に
「前に誰も来ない。……なら、ここ一択だな」
と思ってお立ち台に上がり、
自分の前方が座席エリア内の通路にあたる場所に陣取った。
そうしたら、これが冒頭に書いた通り、
私にとっては、予想を遙かに上まわる大成功だったのだ。

私の前に人が立つことは禁止されている(^_^;のだから、
誰も、何も、私の視界を遮るものはなかった。
私は身長153センチで、上背がないので、普通の席にいると、
視界の下三分の一に前の席の人達の頭部のシルエットが入って、
どうしても舞台のどこかが欠けた状態で観ることが多かったのだが、
お立ち台に上がってみたら、そのようなストレスが一切無かった。
前の客が前のめりだとか、動きすぎる等の問題とも無縁(T_T)。

似たような視界は、座席列のすぐ後ろに立つことでも得られるが、
私にとっては、お立ち台の魅力のほうが勝った。
お立ち台なら、前にいる人達と完全に離れられるし、
後ろが壁で、寄りかかって立つこともできるからだ。
また、自分にとって重要でない(爆)場面のときは、
お立ち台であればこそ、そこに腰を下ろすことも可能で、
更に、座席のように区切られていないお蔭で、隣に立つ人が居ないときは、
左右の空間を広々と独占できるのも快適だった。

何より、お立ち台だと劇場全体の天井に近いところから見下ろすかたちになり、
舞台の床がほぼ全部見えて、奥行きの表現が大変よくわかった。
一階席などにいると、役者さんが前に出たり後ろに引いたりするのが、
一応それなりには感じられるが、上から観たらもう全然その比ではなく、
舞台を完全に立体的に把握でき、発見が多々あった。

昔の幕見では花道は見えなかったと思うのだが、
今は、勾配が急になったため、すっぽんまで余裕で見えた。
二階・三階でも「東」以外では、花道全体を観ることは到底かなわないし、
私にとっては今回の見え具合なら普段の三階席と変わらず、不満はなかった。
強いて言えば、『木挽町芝居前』のときの花道の松緑は、
「声はすれども姿が見えず」状態ではあったが(^_^;。
その、『木挽町芝居前』は幕見券を買った段階から立ち見だったのだが、
私は、この「通路真後ろ・お立ち台」からの眺めにあまりにも心打たれ、
通しで買った次の幕の『七段目』のときは、
座席への案内があったのを断ってここに居座った。

昔の歌舞伎座のとき、結構、幕見は利用したつもりだったのだが、
大抵、席を確保するようにしていたし、
また、いかに賢く席を勝ち取るかのほうに熱中していたりもして、
立ち見のお立ち台がこれほど素晴らしいものだとは考えたことがなかった。
次回から、じっくり細部まで観たい演目のときには、
むしろ「幕見・お立ち台」を積極的に使うことにしようと思った。
私は割と、立っていることや歩くことが平気なほうではあるが、
それでも、こういう楽しみ方をするには、
年齢的にいずれ限界が来るだろうから、今が最後のチャンスだと思う。
今後は、ちょっと積極的に「お立ち台観劇」を続けるつもりだ。

唯一と言って良い欠点は、「幕見」は前売りで買えないということだ(爆)。

Trackback ( 0 )




某・介護付有料老人ホームから生活相談員の方が二人来られて、
両親宅で朝から面談があった。
父母それぞれに対し、生活歴・病歴、食事や薬の禁忌事項の有無、
人付き合いや趣味について、施設生活で期待すること心配なこと、
等々の聴き取りがあった。
父は、10分前の話でもすぐ忘れて3回でも4回でも同じことを訊くので、
さすがに90歳近くなると頭が壊れるものだなと、私は常々思っているのだが、
一方で、「話し方」そのものは別におかしくはなく、
訊かれたことに、概ね過不足無く答えていた。
基準となる年月日については事実誤認が結構あり、
現役で働いていた頃のことと現在のこととが、
しばしば混ざり合ったものが返答になっていたりもしたが、
支離滅裂というほどでもなかった。

母のほうは、発話量が多く滑らかに話す割には大半が要らない情報で、
訊かれたことにきちんと答えられていなかった。
例えば、「奥さんから見られて御主人はどういう性格の方ですか」
という問いに対して、「真面目」「頑固」などと答えれば済むところを、
「若い頃から忙しい毎日を送っていて、仕事は何々と何々をしてきて、
私は神戸から嫁いできたものだから様子がわからず、それはそれは苦労をして、
それを今は、一人娘がほとんど肩代わりしてやってくれるようになり、
私は本当に娘には申し訳ないと日々、思っており、
娘が体を壊すのではないかと私は心配しているのだが、
ありがたいことに、これまでのところ、なんとか続いていて云々」
と、母の話は長く長く続き、二度と父の性格の話題に戻ることはなかった。

面談の主な目的は、内容もさることながら、
本人たちの話す様子や、耳の遠さの程度、
及び「過去・現在に関する本人達の認識」を確認することだったので、
私は、話がおかしくてもいちいち訂正はせず、両親から求められたときだけ、
「(母がヘルニアで寝込んだのは)2013年の1月」
「(母の目に関する眼科主治医の)診断は加齢黄斑変性」
「(父が)右足を骨折したのは、1996年夏に崖の草を刈っていて転落したから」
などと、最低限の訂正や補足をした。
相談員さんたちは帰り際、私からも聴き取りをしたいと言われたので、
夕方、改めて私の自宅に電話をして貰い、
私の覚えていることや知っていることについては、そこで話をした。

今後、施設のほうでは、父母それぞれの主治医が書いて下さった紹介状と、
きょうの聴き取りの内容とをまとめて、次回の検討会議に出し、
追加の確認が必要になった場合や、入居に関する進展があったときに、
また私あてに連絡をする、とのことだった。
私の見るところ、二人は家庭での生活が不可能ではないにしても、
そろそろ限界なので、最低限の協調性や柔軟性が残っている今のうちに、
身を寄せる施設を確保しておくべきだと思われる。
父は、自覚としては「何も不自由はない」つもりらしいが、
ろくに入浴できていないし入れ歯の管理も悪いし、
いろいろと粗相も増えてきたので、このままでは、
また、いつ「尿路感染症」で救急搬送されるかわからないし、
母は母で、朝起きたときから体が動きにくく、常に介助を欲しがり、
「一日いてくれる付き添いさんを雇いたい」
などと言うようになっているので、
こうなると、職員さんが24時間いて下さる施設生活のほうが、
両親どちらにとっても結局は安心だと思う。

とりあえず、こちらでできることは現段階としてはここまでだ。
あとは、施設からの次の連絡を待つのみ。

Trackback ( 0 )




1月の最後にインフルエンザのせいでやむなく取ることになった4連休と、
2月のアタマに偶然、仕事が少なかった隙を突いて実現させた4連休とで、
過去数年でほぼ初めて、短期間に2度もまとまった休日を確保することができ、
私の日常は今、久しぶりに立ち直りの気配を見せるようになった。
「立ち直り」、とは道楽に向かう回復、という意味だ(笑)。

まず、月2回の漢詩講座に復帰し、2月7日の会に久々の出席をした。
王昌齢など懐かしすぎて、それこそ乾いた砂地に水が吸い込まれるように、
漢詩の世界は心に深く染み入り、私は講義の最初から最後まで浸りきった。
それから、ピアノのレッスン再開を決めて先生にメールをし、
第一回目を来週の金曜日にした。
併せて、うちのピアノの調律を2年ぶりに馴染みの調律師さんにお願いした。
放置され続けたうえ、今年の極端な冷え込み+暖房による気温の変化で、
ピアノは狂いまくり、もう全然、平均律でないどころか、
オクターブが全く合ってない状態で、さすがにこれは調律をせねば、
弾き手の私が頭位目眩を起こしそうだった(汗)。
こちらは28日に来て頂けることになった。

そして、ついに、ラジオ『まいにちフランス語』も今月から再び聴き始めた。
2017年6月に多忙のあまり挫折してから、およそ8か月ぶりの再開だ。
入門編は、倉舘健一先生とクロエ・ヴィアートさんによる、
『〈つながる〉フランス語』。
入門編とはいえさすがに2月なので、出てくる文法事項も初級卒業レベルで、
種々の時制が網羅され、未だにすらすら使えないyやenなども復習して貰え、
なかなかやり甲斐があると思った。
応用編は、姫田麻利子先生とマリー=フランソワーズ・パンジエさんの
『日仏交流さんぽ~全国編』、こちらは和文仏訳、会話、仏語作文、
など、アウトプットを重視した講座で、放送を聴くだけでも面白いが、
予習して放送で添削するようにして聴くと、更に良いだろうと感じた。
私のフランス語を、自分比で、もうちょっと生き返らせたいものだ。

私が望んでいるのは、こういうふうに、自分で決めた道楽に、
自分の時間をある程度自分の判断で費やして、楽しみ、或いは学んで、
そこで得たものをまた、自分の時間の中で反芻する、
……というような暮らし方なのだと、つくづく思った。
月に4日の連休を一度与えられれば、その他は週1以下の休み方でも、
これがかなりの程度、実現できる、ということも、
先月と今月の経験から、わかった。
必ずしも、月に合計何時間の自由時間を得たかではなく、
自分の心身を立て直すに足る、まとまった休日がどこかで得られれば、
そこで、その後の多忙な毎日を乗り切る土台を作ることができるのだ。

とにかく、自分の休みをがっつり確保することが先決だ。
強引にでも、依頼や要求を時に拒否してでも、とにかく連休を作る、
という方針で、今年は行こう(汗)、と思った。

Trackback ( 0 )




福井市、積雪130センチ 「56豪雪」以来37年ぶり
『福井市では6日午後2時現在の積雪の深さが136センチに達した。福井地方気象台によると、福井市で積雪が130センチを超えたのは、1981年の「五六豪雪」以来37年ぶりで、平年の6.4倍だという。24時間で降った雪の量は、66センチに上っている。』

今年の冬は、酷く冷えるとは思っていたが、やはり尋常ではない。
広島市街地でも毎日のように雪が降るのだが、
日本海側はそのような次元ではなく、積雪のために、
自衛隊に災害派遣要請をするほどの被害状況になっている。

「五六豪雪、……昭和56年、カープが3連覇を逃した年か。
……はっっ、…ということは、今年も、………(汗)???」
と、転夫ころもんが、言った。

Trackback ( 0 )




私的4連休実現
今週は、奇跡的に会社の仕事が少なかったので、
かなりあれこれ調整した結果、なんと4連休を取ることに成功した。
会社の予定表で、自分の欄が月曜から4日連続、
全く何もない空白になっているのを確認したとき、
私は感動にうち震え、しばらく言葉が出なかったほどだった。
「次に来るの、忘れちゃいそうですネ(^^)」
とマネジャーが可愛い声で、言った。
ちょっと前にインフルのために4連休を堪能することになったばかりだが、
今度は、本当に純然たる休日が、4日間連続。
なんて巧くやったんだろう、自分(殴)。
火曜日のきょうは、その連休2日目で、
化粧をしなくていい・出勤時間から逆算して家事の手順を考えなくていい、
それだけで、もう完璧と言って良い解放感だった。
しかもそれが、明日も明後日も!!!ああああ(滂沱)!!


寒い
今年の冬は、本当に寒い。
広島市の南部は、全国的に見たら温暖このうえない地域の筈なのだが、
それでも、最高気温が2度とか、朝から小雪がちらつくとか、
例年ではあり得なかった冷える毎日が続いている。
我が家ではリビング・ダイニングに床暖房があって、
起床時や夕食のときにはこれを使っているのだが、
主人は先週からついに、そこにそのまま布団を敷いて寝るようになった。
寝るときには床暖は切るのだが、余熱で相当いつまでも温かいそうだ。
今までは夜になると、自分の書斎に戻って寝ていたのだが、
夕方から暖房した部屋と、そうでない部屋とでは室温が違い過ぎて、
温かい部屋でないと耐えられない、とのことだ。
私のほうは、もともと、暑いのも寒いのも我慢する気は毛頭なく、
毎年冬には、リビング隣接の和室をフォトンで暖房して寝ているので
就寝スタイルに変化はないのだが、
これまで自室がわりに使っていた納戸部屋が寒すぎて
最近はやはりリビングで過ごすことが増え、パソコンを使う時間が激減した。
リビングに持って行けるタブレットPCを買おうか、と一瞬、考えたが、
でもまあ別にネットしなくても死なんか、と思い、やめた。
とにかく、寒いの飽きた。早く春にならんかな。


あたし、おかあさんだから
『あたしおかあさんだから』歌詞への批判受け、絵本作家のぶみさんがコメント
「これはママおつかれさまの応援歌」
(ハフィントンポスト)
……という炎上事件があり、Twitter等で多くの人が発言していたが、
私も実は、この歌詞を全肯定することはできなかった。
歌そのものもYouTubeで探して聴いてみたが、
想像していたより更に「マジ」な曲だったので、これまた困った。
歌詞内容には一面の真理はあり、このテの愚痴は大人なら皆あるとは思う。
特に、結婚したり家族が増えたりすれば、別に「おかあさん」に限らず、
生活の仕方が変わっていくのは、大半の人にとって自然なことだし、
そこに、若い頃には無かった不自由さを感じたり、
でも今は家族ができたんだよなあ、と温かい気持ちになったりというのも、
多くの人が実感として知っていることだと思う。
しかし、『あたし おかあさんだから』『あたしより あなたの事ばかり』
と子供を前にして、疑いもせずこれこそ愛と真面目に言っている、
更には、恐らく夫に何か感じて貰うことも想定内で自己犠牲を歌っている、
という点で、私はこの歌に居心地の悪いものを感じた。
「独身の頃なら、ぱあっと夜、遊んだのにね~!!」
「ったく、毎日毎日、家事育児で、やってらんないわよね~~!!」
とハハ仲間同士で気炎を上げるのなら、笑い飛ばして終われるのだが、
この歌はどう見ても、そういうものとは場面も登場人物も違う。
これほど話題になったのだから、作品としては稀なほどの成功だろうが、
本当に「ママおつかれさまの応援歌」として書いたのであれば、
言葉を届かせるべき相手に対して、いささか鈍感だったなと思う。

Trackback ( 0 )




1月24日の夜に咽喉がおかしくなり、翌日発熱してインフルAと診断され、
4日間、家で寝たいだけ寝たあと、1月30日に職場復帰した。
当初は主任に申し出て、オフィスでもロビーでもマスクを着用したが、
確実に「解熱後2日経過」してからは、完全に普通の状態に戻した。
感染の危険が薄らいだからというのもあるが、
ピッタリのマスクをして、ひっきりなしの接客をしていると
やはり酷く顔が暑いし、何より酸欠になりそうでつらかったからだ。
以来、外見的には全く病人ではなくなったが、
現時点でまだ多少の鼻炎があるのと、
急に喋ったり一定以上の声量で話したりすると乾いた咳が出るので
なんとなく上気道炎っぽいところが残っていると感じている。

耳鼻咽喉科には2日金曜日に行き、鼻処置をして貰い、
アレルギーを抑える内服薬と点鼻スプレーを処方して貰ったが、
このうえ、また何か新しいウィルスを貰うとイヤなので、
今はできるだけ医療機関には寄りつかないようにしている。
とりあえずできることとして、家で売薬の麦門冬湯を飲み、
寝るときヴィックスヴェポラッブを胸に塗っている。
これでなおってくれると良いのだが(汗)。

その他、今回のインフルに附随するマイナートラブルとして、
まず、3日目だったか4日目だったかに、右下奥歯の歯痛があった。
飲食の刺激があると右下のどれかの歯が痛み、
フロスをしながら確認したら、右下8番(親知らず)のようだったが、
3日ほど続いて、今はこの痛みはなくなった。
ほぼ3か月に一度は歯医者に行って手入れしているので、
そんなに深い虫歯がいきなり発覚するとも思えず、
感じとしては知覚過敏のようだったが、よくわからなかった。
とりあえずおさまったので、この件については歯医者には行っていない。

それから、職場復帰した1月30日に徒歩で会社に行ったら、
歩いている途中から、右腰と両足の甲が痛くなって困った。
自発痛はなく、歩くのに体重がかかって角度がつくと痛む感じで、
特に左足がつらく、帰りはかなりはっきり足を引きずる感じになった。
復帰2日目には、なぜか会社で3.5センチのパンプスを履くと痛みがなくなり、
通勤用のフラットシューズに履き替えると途端に痛くなる、という状態になり、
つい数日前までそれが気になったが、昨日から何をしても痛みが出なくなった。
4日間も家で寝転んでいたので、足の筋肉が一時的に衰えていたのだろうか(汗)。

何にしても痩せろという話だよな……(汗)。

Trackback ( 0 )




先日の夜、実家母がいきなり電話をして来て、
「銀行の通帳が出て来てんけど、ちょっと、おかしいねん!」
と深刻な声で言った。

母「もみじ銀行の通帳が出て来てんけど、残高が合うとるのかどうか、
 5年くらい前のなんやけど、今から調べてくれる人、おるかね!?」
私「何がどうおかしいねん(^_^;」
母「平成23年に、カープに、預金10万円しとんねん。
 平成24年にも27年にも、10万ずつしとる。なんでやろ!?」
私「なんで、て、それ、もみじ銀行の『カープV預金』やろ(^_^;?」
母「なんでカープに30万も預けんの!?特別にファンいうわけでもないのに。
 預けたんも変やと思うし、この30万円が帰って来た記載もないねん」
私「それは、カープに送った金とは違う。もみじ銀行の、言うたら、定期預金や」

嗚呼、なぜお互い関西弁で、『カープV預金』について、
こんな、とんちんかんなやりとりを今更せねばならんか(^_^;。

そもそも、「カープに金を預ける」という発想自体が意味不明だが、
90歳近い母は、『カープV預金』の記載を過去の通帳の中に見つけて、
何か、広島東洋カープに寄付をさせられたかのように思ったようだった。
しかし、それは完全に母の誤解であって、『カープV預金』というのは、
地元のもみじ銀行が1995年から展開している定期預金の一種なのだ。
募集期間はだいたい、開幕直前から6月いっぱいくらいの時期で、
レギュラーシーズン終了時にカープがAクラスになっていれば、
その順位に応じて金利が上乗せされる。
預け入れ期間は1年で、金額は10万円以上1000万円未満、
つまり、母のは最低額だ(笑)。
シーズンが終わったとき、その10万円は銀行の人から頼まれて、
恐らくほかの定期預金にでも移行したかたちになり、
普通預金口座には戻らなかったと思われる。

うちの実家あたりは田舎のせいもあり、各金融機関の支店の外回りの人が、
毎月何日と決めて、バイクで村の家家をくまなく回っている。
もみじ銀行は○日、農協は○日、ひろぎんは○日、郵便局は○日、
と母のカレンダーには毎月、全部、書き込んである。
最寄り支店と言っても徒歩では到底行けないから、来てくれると助かるし、
過疎の村でもあるため、こういう御用聞きの若い人と喋るのを
楽しみに待っている高齢者が結構いて、彼らは歓迎されている。
金融機関にとっても、小金(こがね)を持っている老人たちから、
毎月いくらかでも、決めて積立をして貰うことは有り難いし、
新しい商品が出れば率先して案内し、顧客確保に繋げているのだ。
母もそういう例に漏れず、もみじ銀行の外交の人から説明されて、
お愛想として、カープV預金に最低額(笑)を預けたのだろう。
今となっては、全く思い出せなくなっている様子だが。

それにしても、なんでよりによって平成23年なんかに(^_^;。
あの、球史に残る「50イニング連続無得点」の年じゃないか。
何が「V」や、笑かすわ!
3年連続・安定の5位力(ごいりょく)やったやんか!
平成24年だって、マエケンのノーヒットノーランはあったが、
全体として故障者続出で9月に大敗した、しょーもないシーズンだった。
平成27年は前年末に黒田が帰ってきたので、もしかして優勝!?と
盛り上がったことは記憶に新しいが、結局は勝率5割が精一杯で
最後は負け越して4位と、これまたろくでもない終わり方だった。
なんでこんな、どうでもいい時期にだけカープV預金をしたものか。
それでいて、一昨年と去年はV預金を全くやっとらんかったとは(--#)。

……いや、そうか、そうだな(^_^;、5年くらい前は、
広島人でも誰もカープが優勝したりAクラスになったりするとは考えもせず、
V預金などと言われても、まじないか景気づけ程度にしか感じなかったから、
銀行の人は、そこをなんとかと懸命に宣伝に努め、集めて回ったに違いない。
「ファンでもないのに」母もまた、拝み倒されて契約したに決まっている。
それに引き替え、2016年や17年になると、今度は放っておいても人が殺到して、
カープ優勝時には銀行側の負担額が数億円に達する勢いになったから、
うちの母なんか、全然お呼びでもなかったということだな(笑)。

Trackback ( 0 )