転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「天中殺の二年間は勉強するのに最適の時期!」
という友人の某占い師氏の言葉に従い、
昨年4月から無謀にもスペイン語を聴き始めたわけだが、
来月の3月号でめでたく一年間の講座が終わることになる。

スペイン語が話せるようになったか、と言われると
残念ながら答は「否」だ。
ラジオを放送時に聴くだけしかやっていないし、
それ以外の時間に読んだり書いたりする機会は皆無に近く、
動詞の活用なども復習すれば良いのはわかっていながら、
結局、その場限りになってしまって、定着していない。

しかし何も知らなかった頃に比べたら、
スペイン語の基礎語彙はいくらかわかるようになったし、
文法の概要も、実用に足るレベルではないにせよ理解できた。
遅々たる歩みでも、前進しなかったわけではないので、
来年もこのまま、続けてみたいと思っている。

3月号はいよいよ最終段階とあって、「接続法」が課題だ。
「接続法」というのは、婉曲な命令や依頼を表現したり、
事実と異なる「たら・れば」式の架空の話をするとき使う表現で、
フランス語にもロシア語にも「接続法」はあったと思うが、
英語だけはこれを「仮定法」と呼んでいる(なぜ??)。

確か、フランス語の接続法や条件法をやったときの経験からすると、
『もし~なら』の部分で、直説法とは違う動詞の活用がある筈で
それがまた覚えられないに決まっているので、
アタシは「接続法」の勉強はどうも気が進まない(殴)。
しかし、やらないわけにはいかないので、理解できなくても(泣)、
とにかくあと1ヵ月、毎朝の放送だけは聴き続けようと思っている。

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今年も、梅の花が咲いた。
舅が大好きだった梅だ。
主が居なくても、ひっそりと、忘れずに咲いてくれる。
この梅の木は、元気だった頃の舅のことを
たくさん知っている。

昨日習った漢詩の中に
「回首問孤松(こうべをめぐらして 問う 孤松(こしょう)」
というのがあったが、今朝の私はまさに、
「回首問孤梅」の心境だ。



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團十郎と歌右衛門 悲劇の「神」と孤高の「女帝」』
(中川右介・幻冬舎新書)を、今、読んでいる。
十一代目團十郎と六代目歌右衛門が、それぞれ、
同じ頂点を目指して競った、熱い昭和の歌舞伎世界を描く物語で、
事実に即して書かれながら、役者たちの内面には作者の想像が入り、
劇評とは違い、一時代の抗争を描く小説的な面白さのある本になっている。

私は歌右衛門は晩年の出演作をいくつか観たが、
私が歌舞伎を自分からよく観るようになった80年代には、
既に大成駒(おおなりこま)となられて久しく、
別格の存在で、それこそ御名前を口にするのも憚られる、
という尋常でない雰囲気が、観劇仲間の間にあった。
知らない者がうっかり発言することだけでもタブー、というような。

一方、先代の團十郎の舞台は、世代的に、全く観られなかった。
今「海老様」と言ったら当代の海老蔵に決まっているが、
我々おばさんが「海老様」と言うときには、
現・團十郎の昔の呼び名をうっかり言ってしまっている場合が多い。
が、私たちより上の御婆様がたが「海老様」と祈り手になるときには
もうひとつ前の、十一代目の團十郎のことを言っている。
私の観察では、この世代の「海老様」信仰が破格に強い。

私の祖母は明治生まれだったが、やはり海老様贔屓で、
十二代目團十郎の襲名披露のとき私の持ち帰った番附を見ながら、
「立派や。せやけど型がもうひとつや。
お父さんのようになるには、もうちょっと、かかる」
と、ひとりでしきりと頷いていたものだった。
また祖母は、先代団十郎の最後の頃の舞台を観たそうで、
「花道に出てきた團十郎の足が、かさかさに乾いていて普通ではなく、
ああこれはただごとでなく体こわしとる、あかん、と思うた」
とあとになって言っていた。
祖母にとって先代の團十郎は、終生、見果てぬ夢のままだったのだ。

(余談だが私にとってのそのような役者は、尾上辰之助だ。
辰之助が生きていたら、私の歌舞伎ライフは更に更に熱かっただろう)

私は、だから、二人の名優の生きた時代を、生で知っている、
とは到底言えない観劇歴なのだが、
この本は、歌右衛門と團十郎に関して、
私が今まで漠然と感じたり体験したりしてきた事柄の多くを、
説明し裏付けしてくれる内容になっていて、大変興味深い。

それにしても、本のオビに、
『いまの海老蔵のお祖父さんのライバル物語』
と書いてあるのには笑ってしまった。
そうなのか。時の人は、当代の市川海老蔵なのだな。
二十年くらい前、歌舞伎座の一幕見席で偶然ご一緒した、
当時既に八十代でいらしたおばあちゃまが、
贔屓の役者の話題になったとき、
「わたし、今、新之助に夢中なの」
と少女のように頬を染めて仰ったことが今も記憶に残っている。
彼は当時から人の心を狂わせる役者であったようだ。
私の知る限り、おばあちゃま世代の歌舞伎ファンは、
彼をこそ「海老様の再来」と言っている。


追記:実はこの本を書店で見つけたのは主人で、
「買わん?あんたに、良さそうと思って」
と見せてくれたのだが、著者が中川右介氏だと知り驚いた。
中川氏には、私が以前、山田亜葵の筆名で
ポゴレリチについて書かせて頂いたとき
(『クラシック・ジャーナル』2005/06/20発売号 (14号))
大変お世話になったからだ。
氏の感性と独自の切り口により、
歌舞伎というジャンルの本を手がけて下さったことを
とてもとても、嬉しく思い、この出会いに改めて感謝している。

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・先週末、突然春から初夏まで行ったかと思うほど温かかったが、
きょうは一転して、朝から小雪のちらつく寒さだ。
そういえば昨年も、2月最後の土日は雪が降り、
とても寒かった(主人が自転車で出かけ遭難しかかった)ので、
この時期の天気は、こういうものなのかもしれない。
そういえば、私の実家のある山村では、
年によっては、3月20日過ぎても雪の降ることがある。
「暑さ寒さも彼岸まで」は本当だと思った。

・立春過ぎた途端、主人に、花粉症の兆候があらわれた。
我が家では彼がもっともハッキリした花粉症患者で、
この人の「目が痒い」程度が花粉飛散状況のバロメーターだ。
私はやや遅れて、先週の後半に初めて鼻炎になった。
そして驚くべきことに、今年、私は初めて、目が痒いと感じた。
筋腫と内膜症を手術で治療し元気になったために、
新しいアレルギーを背負い込んだ、という気がした。
そもそも私が花粉症だと自分でも実感したのは、
それまでの通年性血管運動性鼻炎を炭酸ガスレーザーで処置し、
鼻粘膜が健全な状態に近くなった年からだった。
ひとつ解決すると、思いがけないところに新しい問題が起こる。
まあ花粉症で済めば、出血大サービスよりはずっと良いかと思うが、
今度は眼科と仲良くせねばならないかと考えると、やはり気が滅入る。

・娘の通うA中は、例年この時期、授業参観が設定されている。
こんなに御近所なのだし、行って見て来ればいいだけなのだが、
空模様を見ると億劫になり、私は昼過ぎの今、まだこうして家にいる。
地元の人ほど東京タワーに上ったことがないと言うのと同じで、
「すぐそこだからいつでも行ける」となると、かえって行かないものだ。
私はこのまま、授業参観をしないで娘が高校部を終えるのでは、
と最近は真面目に心配するようになった。
いや心配するくらいなら、行けばいいんですけど。
ちなみに娘は良いヒトで、
「参観?来ても来なくても、どっちでもいいよ~」
といたく寛大だ。私は親に、
「来んでええ。絶対に来ないで!!!!」
と目をサンカクにして言うような娘だったのに。

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我が青春の書『新々英文解釈研究』が、ついに届いた。
懐かし過ぎて感極まった。
山貞先生、おおおおお久しぶりです(涙)。

開いてみたら、目に飛び込んでくるあの英文も、この英文も、
どれも、確かに見覚えのあるものばかりだった。
年月を経て読むと、和訳の巧みさ、解説の見事さも
また改めて胸に迫った。

私は、しばし独りで懐古趣味に浸ったあと、
この感激を誰かに喋りたくなり、主人をつかまえ、
「昨日、凄いモノを手に入れたんだ、これ復刻版で・・・」
と現物を見せた。
主人が受け取り、目を通し始めたので、
いざ語らんとした、その刹那。
あ、これならワシ、持っとるで

うそーーーー!

主人が自分の本棚の奥のほうから出して来たのが、
昭和45年1月発行の『新々英文解釈研究』新訂新版。
当時で、定価480円。

私「やってたの?これ」
夫「そだよ」
私「いつ」
夫「高校のとき」
私「でも昭和45年版って」
夫「古本屋で買うたんよ」
私「凄い本だと思わんかったかね」
夫「思ったよ。今時は、こんな本、なかなか無いやろ」

なんと、彼は、山貞の同志であったか!!
しかも、こんな大人になっても、未だに手元に持っていたなんて、
ヨメ入りのとき土蔵に置いてきたというオバさんとは大違いじゃないか。
主人への愛(爆)が確実に深まった瞬間だった(殴)。

しかし、そーだったのか。この本、うちにあったのか(爆)。
このたび3000円も出して買った復刻版は、
それなら、もう保存用・観賞用として大切に取っておき、
これから私の読書用には、この主人愛用の古本を使おう。

ちなみに、主人保存の「山貞」は、
全112講のうち、前半40のところで書き込みが途絶えていた。

挫折したらしかった

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昨夜は、遅くなってからヒドいめにあった。
娘が、完成した生チョコを、なぜか、
「カレーの箱に入れて渡して、ビックリさせる」
と言い出し、その箱詰めを手伝わされたからだ。

 ビックリも何も、友チョコの日に渡されたら、箱がカレーだろうがシチューだろうが、中身がチョコなのは自明じゃ

まず、手頃な新品カレー箱をさがして、
側面を一枚丹念にはがして、中身を取り出して空にし、
箱の内側の寸法に合うように、厚紙で、
チョコレートを入れるのにピッタリの仕切を作った。
その仕切に乗せて固定したチョコを、
さきほどのカレー空箱の横から丁寧に入れ、
木工用ノリで側面を元通りに貼りつけた。
これで、真新しいカレーの箱を開けると、
中身は、生チョコ、というわけだ。

・・・・・・と文字で書けばこれだけのことだが、
既成の箱を使い、中身は素人作成のパッケージ、
となると、エラいことだった。
娘の不器用さ・粗雑さがまた、人間離れしているので、
変なところにハサミを入れたりしようものなら
今までの苦労が水の泡になるので、私はハラハラし、
そっちを切れだの、ちょっと貸してご覧だのと、
結局、口も手も出し、深夜までかかった。

出来映えに娘は大満足で、
「ありがとう♪おかーちゃんが、おかーちゃんで良かったよ」
とワケのわからぬことを言った。
バンドエイドは、やっぱりバンドエイドが、ええね
と言った友人母のことを、私は疲れた頭で思い出していた。

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温度は私が測ったが、あとは娘がほぼ独りで
今年のチョコレートを作りおおせた。
ハート型のを二種類と、トリュフと、
色とりどりのカップに入れて固めたもの、
それにパウダーと金粉で飾った生チョコ。

約25人に渡すそうだ。どんだけ気が多いんだ。
にも関わらず娘は夕方になって、
「足らんかったら、どうしよ」
と言った(--#)。

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絶版になったのはあまりにも惜しい、
と長年思い続けていた、山貞(山崎 貞)先生の
『新々英文解釈研究』が復刻されていたと、きょう、知った。

新々英文解釈研究 <復刻版>山崎 貞 (著), 佐山 栄太郎 (著)

この本は、私にとって、英文解釈参考書の決定版だった。
これほど魅力ある文章ばかりが盛り込まれた解釈本には、
私はそれまで出会ったことがなかった。

私は高校三年になる直前の春休みに書店でこの本を見て、
一目惚れで即買いし、以後、半年かけて全部の英文を和訳した。
教科書の和訳すら面倒でサボってばかりいた私が、だ。
自分で訳してから、模範和訳と照らし合わせ、解説を読むと、
これがまた、圧倒されるばかりの見事な日本文が並んでいて、
なるほど、そう訳すか~!!と目からウロコだったものだ。
この本は私に、英語の読み方・味わい方と同時に、
日本語の使い方・書き方をも指導してくれた名著だった。

これまで、amazonやヤフオクで、時折この本を見かけたが、
新品となると数万円から十万円ほどの値段で取引されるのが常で、
一介の主婦には高価すぎ、私はどうしても手が出せなかった。
いつか実家の土蔵を掘り返して探すしかないか、と思っていた。
捨てていないことには絶対の自信があったが、
結婚後は英語のエの字もない生活をしていたので、
もう長い間、実際にこの本を取り出したことがなかったのだ。

このほど、(一部の人間の!)悲願が叶い、復刻再発売され
私も今になって、再度、新品を手にすることが可能になった。
私が持っていたのは確か9訂版の第何刷目か、
既に昭和50年代の後半で、相当あとのほうだったと思うのだが、
今回のは昭和40年(1965)発行の新訂新版の復刻版だそうだ。
勿論、敬意を表し、早速一冊注文した。

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女子校に行っているヤツらにバレンタインなど関係ない、
見渡す限り、オトコと名の付く人は教職員しかおるまいよ、
と思っていた私は、甘かった。
――ということを、去年、知った

今年も、やって参りました、バレンタイン・デー。
キリスト教の学校に行っていながら、娘はきっと、
聖ウァレンティヌス(バレンタイン)が誰であるか知るまい。
理由も何もなく、娘らは、ひたすら友チョコで盛り上がっているのだ。
どんだけ脳天気ですか。
「弘法大師の命日に外国人同士でヨウカン交換してるようなもの」
と、かつて巧いことを言っていたのは、確かタモリだったか。

ということで、昨年決意した通り、私は傾向と対策を考え、
今年はとにかく先手必勝とばかり、早めに材料を入手しておいた。
そして娘本人に時間のある、この週末をチョコ作りの日と決め、
ほかの予定を入れないよう、娘に申し渡した。
きゃつがベンキョで忙しいなどと言い出したら、またぞろ私ひとりが、
チョコを溶かして温度を測って冷まして型に流し込んで、
・・・というワケのわからぬ仕事を延々とさせられることになるからだ。

今年は幸か不幸か、14日当日は第二土曜だ。
娘らの学校は普通は土曜も授業があるのだが、
第二土曜だけは休日になる。
お弁当仲間とは話し合って月曜日に交換することになったのだが、
昼食のとき一緒ではない人や、違うクラスの友人などから、
娘はきょう、既に、いくらか貰って来た。
娘は一体、合計で何人分を用意するつもりなのか知らないが、
くれぐれも自分でやりおおせて貰いたいものだ。


ところで、私は去年のバレンタインのときから思っているのだが、
こうした友チョコ配りから、はずれている人、
というのは、居ないものだろうか。
自分の考えや趣味の問題で、『あんなアホなこと、やらん』
と思っているぶんには全く問題ない(むしろ見事だ!)と思うが、
『本当は友チョコ配りがしたいのだが、輪に入りにくい』
と複雑な気分を味わっている子は、いないだろうか?
娘は自分のことで夢中になっていて気づかないのではないかと思うが、
私は、「友チョコ」の習慣を見ていると、
これのせいで「仲間はずれだ」とか「友達ができない」などと
悩む子がいないかどうかと、どうも気になってしまう。

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今年も、立春を過ぎた翌日に、おひな様を飾った。
実家から娘の初節句に貰った親王飾りで、
これでさえも官舎では狭くて飾れなかったものだが、
マンションに来た御陰で、毎年、日の目を見ることになり
お人形のためにも嬉しく思っている。

実は、私は自分用の雛人形というものを持っていない。
そのかわり、実家には、80年前に私の母が生まれたときに
北陸のおばあちゃん(私の曾祖母だろう)が買ってくれた、
というイワクツキの、骨董品の七段飾りがある筈なのだが、
これももう、長い間、見ていない。

私「世間で、よく、人形の髪が伸びるとか言うよな・・・」
母「あんまり長いこと出してないんで、おヒナさん怒って、
 ヒゲでも生やしてはるんやないかと心配になるねん」
私「たまには出してあげたら」
母「そんな体力、もうないわ」

という会話を、数年前に交わしたことがあったのだが、
あれからもやはり一度も取り出していないので、
80年前に制作された雛人形は、実家の土蔵の奥深く、眠り続けているのだ。
最後に出したのはいつだっただろう。
私が小学生だった頃には、今の実家で雛壇を見た記憶があるので、
三十数年間、触れていない、ということだろうか?

という話をしたら、友人某いわく、
「白骨化してたりして」

ひええええええええ

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