転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



こばやしキョンシーよりも、私の場合、こっちの映画を観るべきだろう、
と今朝、主人の観ていたワイドショーを覗き見して、思った。
それは。

力道山 RIKIDOZAN

私が格闘技好きであることは、既にカミングアウトしているので
今更隠そうとは思わない訳だが、本当に、私はこういうものを見ると、
血が騒ぐような面白さを感じる(^_^;)。

子供の頃、祖父から聞いた力道山の歴戦のエピソードに、
私は胸を躍らせ、ああ、実際に見たかったなあと憧れたものだった。
で、小さい頃は、その薫陶を受け後を継いだのがアントニオ猪木だと、
非常に単純に信じて彼のことも崇拝していたのだが、
大人になるにつれて、当然のことながら、そのへんは、変わった。
いや、猪木は猪木で類い希なるプロレスラーだと思っているが、
力道山絡みで信仰することは、しなくなったのだ(^_^;)。

それはともかく。
主演のソル・ギョングは、この役を完璧にやり遂げるために、
64キロだった体を、たった5ヶ月で95キロにしたのだそうだ。
確かに、体がデカくないことには、見た目の説得力がないだろうが、
それにしても、凄まじい話だ。5ヶ月で30キロの増量とは!
オリゲルドを演るのに5キロ減量した姫川亜弓とは桁が違う。

私「凄いなー。30キロ増やしたなんて。俳優さんて偉い!」
夫「んなこたない。そんなん、すぐよ
私「でっ、でも、出腹じゃ駄目だから肥えりゃいいってもんでは」
夫「出腹でええんだっちゃ。力道山は関取だったんだから」
私「・・・・・・・・・・」
夫「95キロなんて、簡単よ(--#)」

・・・・・・・・・・・・・・(^◇^;)。
そーーーーいえば、そーーーーだったな。
ここにもひとり居たな。
67キロから101キロまで、あっという間に行った男が。

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この週末は、主人が一泊二日で名古屋へ遊びに行った。
これのために、金曜の晩は決死の覚悟で仕事をしていた。
週末分をやり遂げてからでないと出かけられない、という訳だ。

で、昨日の朝7時、彼はすがすがしい顔で出発した。
先週は私が東京で遊んだから、今週は交替ということで、
私も大変、機嫌良く送り出した。
娘は、こういうフザケた両親のことを、特になんとも思っておらず、
また、彼女は割と地味な性格なので、自分も行きたい、とは、
全然考えてもいないようだった。

(余談だが、先週の私の「東京お泊まり」は、実は、
娘が生まれてから初めて、娘をおいて私だけが外泊した、
という機会だった。娘は夜、しくしく泣いていたそうだ(^_^;)。)

さて。
主人が行ってすぐ、PCを開いたら、
大阪・某ヒル○ン・ホテルの某中華レストランから、主人宛に、
『ご予約ありがとうございました』
とメールが来ていた。例によって男性一名様ご予約となっていて、
裏ミシュラン・ライター気取りで、ディナーのご予定らしい。
しかも名古屋の帰りに、大阪で降りてまで食事だけするという。

私はそれを主人の携帯に転送した。
『食べ過ぎないよーにっっ』と書き添えたら、
『へへ』とレスが来た(--#)。

数時間後、主人から私の携帯にメールが来た。
予約したホテルってどこだったっけ
どーゆートリ頭なんだキミは!さっき転送したろうが!と呆れて、
『ヒ○トンです』
とレスしたら、間髪入れず、
じゃなくて、俺が宿泊するほう

んなこと私はもともと、きちんと確認していなかった。
私はだいたい、主人の私生活(???)には関与しないのだ。
ただ、彼が何やら、トイレにウォシュレットが搭載された、
というホテルの案内を読んで、ここがいい、これしかない、
と嬉しそうにネット予約していた記憶は、微かにあった。
ので、彼のメールボックスを開いてみた。

あったあった、『ご宿泊ご予約確認メール』。
私はまた携帯で、
『すみません。判明しました。○○ホテルです』
と打った。
主人からのレスは、
『ありがとう。ごはんのほうなら、忘れません

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20年ぶりクイーン復活!さいたまアリーナ2万5千人(夕刊フジ)
『ロッテが31年ぶりの日本一に輝いたのと、ほぼ同時刻、さいたまアリーナでは「伝説のチャンピオン」の大合唱が行われていた。19年ぶりの復活、20年ぶりの来日公演と、26日は日本中がさまざまな奇跡を目撃した一日でもある。』
『記念すべき日本ツアーの幕開けは「リーチング・アウト」。約2万5000人のファンを総立ちにさせる復活劇がスタート。客層の幅も広く、親子2世代、いや3世代で大歓声をおくる姿も見られる。』

この秋は、イーヴォ・ポゴレリチが来たことのほうが
私には断然、「奇跡」に近い出来事だったので、
御陰で私は、ほかの「さまざまな奇跡」を見逃してしまった(^_^;)。
行けば行ったで自分としては相当盛りあがっただろう、
とこの記事を見て思った。
ふれで先生の姿がスクリーンに映ったら、泣くな~(^◇^;)。
しかしどうしてジョン・ディーコンは来なかったの???


『少林キョンシー』日本公開(サーチナ・中国情報局)
『「少林寺アクション」と「キョンシー・ホラー」! 香港シネマの2大ヒットジャンルを大胆にも組み合わせてしまった映画、その名も『少林キョンシー』が11月12日から東京のシネセゾン渋谷(電話:03-3770-1721)で公開される。前売りの特別鑑賞券(1500円)がすでに発売中だ。』

オモシロそうだな、と記事を読んで思ったのだが、
ここにも「道楽の一極集中」が(--#)。
「全国順次公開予定」って、一体いつまで待てばいいのか。

そういえば直接関係ないのだが、ちょっと前、部屋を片づけていて、
主人と娘がいつものようにDVDを散らかしていたのが気になり、
「ちょっと!この、こばやしサッカーってのは、
どこに入れとくの!?ケースから出しっぱなしになってるっしょ!」
と私が文句をつけたら、ふたりが大爆笑したことがあった。
そう、ご推察の通り、『少林サッカー』だったんである。

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私が「道訊かれ顔」なのではないか、ということは再三書いた。
私が自意識過剰である、という点を割り引いても、
やはり、私が道を訊ねられる回数は、「とても少ない」
とはどうしても言えないものが、あると思う。

つい先日も、合同庁舎の前で、
「市民病院は、どこですか」
と訊ねられた
(↑これは凄い。本当に目の前なのだ(^_^;)。
わからないときというのは、そういうものなのだな)。

その翌日には、近所の郵便局を出たところで、
「家庭裁判所、行きたいんですけど、この方向で合ってますか」
と、車に乗った女性から訊ねられた。
家裁には行ったことがないが、
方向は合っていると思われたので、そうだと答えた。
その車線から正面玄関に入れなかったら、すんまそん(^_^;)。

また、白島線の電車通りを歩いていて、
「恐れ入りますが、○○ギャラリーってご存じですか」
と、何か展覧会の案内状のようなものを持ったご婦人から
丁寧に訊ねられたこともあった。
申し訳ないことに○○ギャラリーを私は全然知らなかった。
なので、その案内葉書にある地図を一緒に覗き込んで、
電車通りがここだから、図だと多分、目的地は一本むこうで、
…等々と、案内しているんだか混乱させているんだか、
よくわからない立ち話を、しばらくさせて頂いた(^_^;)。

それから、これは東京に行く前日のことだが、
東急ハンズの前でバスを待っていたら、
「ジャ○コの入っている、ダイヤモンドなんとかとかいう、
ショッピングセンターみたいなところに行くバスは、どれですか」
と、これまた見知らぬ女性から訊かれた。
私も一応これで地元民として暮らしているので
この程度の表現でも彼女がどこに行きたいのかわかったが、
私が知っているのは、駅前の新幹線口から無料シャトルバスがある、
ということだけだった。八丁堀からどう行くのか、わからなかった。
ので、これには全くお役に立てず、謝って、終わった。

更に、私が呼び止められるときというのは、
必ずしも道を訊かれるだけではない、ということにこの前気づいた。
先日、某ソレイユの某洋服屋で、私は、
「すみませ~ん、これ、外して下さい~」
と、困惑顔の女性からいきなり、声をかけられた。
見たら、その女性が試着したカーディガンの商札が、
彼女の後ろの襟首から背中側に入り込んで取れなくなっており、
商品のカーディガンを脱ぐことが出来なくなっていたのだった。
不器用な私でも出来ることだったので、
すぐに外して差し上げました(^_^;)。

また、先週は、市内の某百貨店の化粧室で、
「あのぅ、時間を教えて頂けますか」
と、例によって全然知らない女性から話しかけられた。
携帯を確かめて、「6時48分です」と答えたら、
「ありがとうございました」
と、言うまでもなく話はそれだけだった。

私は、そのうち、「道訊かれ」どころか、知らない人から、
『アンタちょっと、こっち持って』
などと、気軽に用事を言いつけられるようになるのではあるまいか。
パシリ顔とか、何かそのようなものがあるのではないか、
と不安になる、今日このごろです。

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佐伯区の「健康長寿課介護保険係」から厚い封書が来た。
開けてみると、『介護保険料の払い戻しについて』とあった。
細かい説明が縷々書かれてあったが、煎じ詰めれば、
舅が亡くなったことで、介護保険料の還付金がある、
というのだった。

還付を受けるには、今回同封されていた「申立書」に、
相続人代表が署名捺印し、振り込み口座を指定して、
「振替依頼書」を作成せねばならない。

手間は手間だが、役所は常日頃、取り立てにばかり熱心だから、
なんかお金をくれる、というのはとても珍しい、有り難い話だ
(よく考えたら「貰える」のではなく、「返して貰える」、
というだけのことで、もともと舅の出したお金なんだが(^_^;))。

申立書。
私は、○○(平成17年9月25日死亡)の相続人代表として、
次の金額の請求及び受領を行うことを申し立てます。
なお、他の相続人に対しましては、私が責任をもって
異議のないよう処置いたします。


介護保険料還付金 157円


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些細な話なのだが、忘れないうちに書いておきたいことがある。

今回、東京へ新幹線で往復したのだが、行きも帰りも、
私の乗った「のぞみ」には修学旅行生の団体がいた。
往復とも、幸いなことに私は同じ車両にはならなかったのだが、
デッキを隔てて前方の車両が、彼ら専用という配置だった。

高校生の常として、ウルサかったし、行儀も悪かったと思うが、
そんなことより、彼らの中で私の目を引いたのは、
洗面所付近にたむろしていた男女学生たちだった。

行きの、名古屋駅についたときにはもう彼らはいたので、
どこから乗ってきたのか定かではないが関西以西だろうと思う。
まず、その団体のなかで、制服を着た男子学生三人ほどが、
東京まで、ず~~~っっっっっと、洗面所の鏡を独占していた。
鏡の前に立ち、ちょっと斜めから見たり、正面を写したりしながら、
彼らは、常に、指先で髪をいじり、つんつんした毛先の具合を検証し、
また少し手直しし………、これを三人でかわりばんこに、
二時間以上、続けていたのだ
(疲れるらしく、たまに下にしゃがんでいたようだが)。

私はドアに近い通路側の席だったので、
彼らの姿がいやでも目に入ってしまった訳なのだが、
その綿密で執拗な手直しによって、彼らの髪のどこがどう変わったのか、
悪いけど、おばちゃんには全然、わからなかったぞ?
(スキンヘッドのヒトのファンだから、ニブくなったのかしらね???)

更に、彼らと同じ学校だと思われる女子生徒ら数人が、
入れ替わり立ち替わり、トイレの前に並ぶのだが、
これらがまた、ひとりひとり恐るべき長トイレなのだった。
一旦入ったら平気で15分か20分くらい出てこなかった。
そのトイレのドアの外では、別の女子学生が、これまた髪をいじり、
さきほどの男子学生らと喋りながら待っていて、
前の女子が出て来ると、交替して次の子が中に入るという順序だった。
御陰で車両内側のドア上方にある「トイレ使用中」のランプは、
ずっと点灯したままだった。

私と行動をともにしていた友人O(現役の高校国語教諭だ(^_^;))が
途中、手洗いに立ったとき、勿論、彼らはまだいたのだが、
Oの目撃情報によると、その恐るべき長トイレの女子らは、
ひとりが出て来たら、待っていた子が、
どうだった?
などと、入れ替わりながら訊ねていたそうだ。

一体全体、中で何を追求していたのだろうか???

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ポゴレリチの91年5月のサントリーホールの公演の晩、
私は東京全日空ホテルに宿泊していて、
スカルラッティとバラキレフにノックアウトされた頭のまま、
自分の部屋から、友人Sに電話をかけ、
大浦みずき退団公演のチケットの算段をしていた。
当時花組トップだった大浦みずきが、
このとき、退団を発表したばかりだった。

嗚呼。
ポゴたん来日公演と宝塚トップ退団発表が、
またしても、こうやって、セットでやって来てしまった。

ポゴレリチには、できるだけ早くまた来日して欲しいのだが、
とりあえず、(ないと思うけど)来年の夏は、ヤメテね(逃)。

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宝塚歌劇団公式サイトに、以下の告知が出ていた。
ポゴレリチのリサイタルで完全燃焼した翌々日に、
こういう展開になるとは、私の人生って、数奇ね(殴)。

***********************

2005/10/25 宙組主演男役 和央ようか 退団のお知らせ

宙組主演男役・和央ようかが、2006年7月2日(日)の東京宝塚劇場公演『NEVER SAY  GOODBYE』―ある愛の軌跡-の千秋楽をもって退団することになりましたのでお知らせいたします。

●退団までのスケジュール(予定)
1)2005年12月16日~29日『W-WING-』作・演出/齋藤吉正
 (梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ)
2)2006年1月4日~11日  ※演目は1)に同じ(日本青年館)
3)2006年3月24日~5月8日『NEVER SAY GOODBYE』作・演出/小池修一郎(宝塚大劇場)
4)2006年5月26日~7月2日 ※演目は3)に同じ(東京宝塚劇場)

***********************

私は男役・和央ようかの大ファンだったし、今もそうだ。
宝塚の男役には、その地位でなければ出せない魅力がある、
と私は常々思っている。
退団は、極端に言えばひとりの男役の「死」だ。
退団によって、その男役は呼吸することをやめ、
現在進行形の存在でなくなり、我々の前から消えてしまう。

単に、「男装」をやめるからつまらなくなるのではなく、
宝塚歌劇団のヒエラルキーの頂点に立つ人間だからこその輝きが、
宝塚のトップ男役(今でもこの言い方が私は好きだ)にはある、
と思っている。

和央ようかほど、男役とは何かを、私に考えさせた人は居なかった。
彼女が最後に何を見せてくれるか、最後にどんな男役になるかが、
本当に楽しみだ。
過去のトップさんの退団公演を考えても、本当に最後の日まで、
何が起こるか、目が離せないと思う。

そして、無事に卒業の日を迎えられたあかつきには、
これまでのたくさんの舞台に感謝しつつ、
「たかちゃん」のこれからの人生に幸多かれと心から祈り、
拍手をもって見送りたいと思っている。

ともあれ、この件については、また、いずれ。
いくら頭の中が「道楽の多層構造」状態のワタクシでも、
ポゴレリチのあのリサイタルの直後に、いきなり、
和央ようかと別れる日について考えを巡らせるのは、
なんぼなんでも無謀というものだ(^_^;)。

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さきほど、広島に帰ってきた。
恐ろしく密度の高い一泊二日だった。
やはり、私はポゴレリチでなければ駄目だ、
この人しか居ない、と思い知らされた一夜だった。

演奏についてはサイトその他でまた書きたいと思うので、
そのほかの思い出話を、忘れないうちに記しておきたい。

まず、昨夜の演奏会では、満席のサントリーホールとは思えない、
物凄い緊張感みなぎる客席を体験させて貰った(^_^;)。
ポゴレリチが拍手に迎えられて登場し、椅子に座り、
夜想曲の最初の音を弾いたとき、
客席は、誰1人息もしていないような究極の緊張状態だった。
あれだけの人数が入っているのに、人がひとりもいないかのような、
耳鳴りのしそうな静寂!だった。

そして、夜想曲の最後の音が響いたとき、
その音の余韻が消えるまで、我々もまた、身動き一つできなかった。
ポゴレリチの集中を乱したらすべてがオワリになってしまう、
という危機感を、聴衆が共有していた瞬間だった。
じっと自分の音に聴き入って凍り付いたようになっていたポゴレリチが、
静かにその緊張をゆるめたとき、客席後部から遠慮がちに拍手が起こり、
ポゴレリチがそのほうに向き直ると、拍手は瞬時に会場中に広がった。

この神経質なまでの緊張は演奏会が進んでも少しも変わることがなく、
ショパンのソナタ3番になっても、否、演奏会の後半に入ってもなお、
ひとつの楽章が終わるたびに、物凄い緊迫感が客席を支配する様子は、
ちょっと通常では経験できないものだった。
次の楽章までの間、ポゴレリチがじっとしていると、
『で、どうなるの?弾くの?これで大丈夫なの?』
というように、観客が息をつめてポゴレリチを注視し、
ポゴレリチがおもむろに弾き始めると、初めて、
『よよよ、良かった~…………』
とばかりに、皆が安堵の溜息をつき、客席の緊張が一斉に緩み、
……その繰り返しで、なんとも言えず、可笑しかった。

そこは、安心するとこと、違うやろ(爆)

が、その張りつめた演奏会の雰囲気とは裏腹に、
昨日のポゴレリチは、実は元気でご機嫌だった(本人比)。
終演後、楽屋口に行ったら、長蛇の列だったにもかかわらず、
彼は気さくにサインに応じてくれた。
ニット帽をかぶり、くわえタバコでサインするポゴレリチは、
もしこれが「イーヴォ・ポゴレリチ」でなかったなら、
多分、私はお友達になりたいとは思わないだろうというタイプの、
立派な不良中年に見えた(^_^;)。

彼はよく響く低い声で、さかんに英語で喋っていて、
友人0がサインを貰ってthank youと言ったら、
you're welcomeと即座に返してくれたそうだ。
また、ドイツ公演のパンフレットにサインを頼んだ友人がいたが、
彼女に対しては、Oh, Germany!などとコメントもしたということだ。
そして、何が例外か知らないがException……と言いながら、
肩掛けみたいなものを羽織って、最後の一枚にサインをした。

(註:私の大学の後輩にあたる女性に、あとから教えて貰ったのだが
このExceptionは、ポゴレリチが既にサインを終えるつもりになっていて、
『もう終わりにしようぜ。これは例外的にサインしてやらぁ』
みたいなニュアンスで言ったものらしい。
ちなみに、彼女は帰国子女で、職業上も英語のプロフェッショナルだ。
後輩だなどと呼べない。大先輩だ。ありがとうございました<(_ _)>)

そうして、並んでいた大勢のファン全員にサインをし終えて、
花束、色紙(←我々オフ会メンバーが書いた)、ファンレター、
などなどを受け取り、奥様と一緒に、ポゴレリチは、
駐車場で待機していた乗用車に乗り、意気揚々と去って行った。

「東京って多分、ツアーの最終日だよね。
 疲れているだろうに、ファンサービスまで、よくやってくれたね~」
と私が言ったら、友人Oは答えた。
「『きょうで仕事終わり!明日っから休み!』となれば、
 私なら、なんでも機嫌良くやるね」

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聴きました。
待った甲斐がありました。
やはり彼は凄い人です。
物凄い演奏家です。
彼と同じ時代に生きていて良かった。



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