転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうはまた、テレビの超ローカルニュースに主人が出た。
たいてい、刑事事件の報道絡みで出るのだが、
殺人がどーした、強盗がどーした、みたいな話の最中に
主人の名前がフルネームで画面に出るので、まるでヤツが犯人みたいだ。

彼はきょう、一種の夜勤で、職場に詰めている。さきほどメールで
『大事ないですか』
と言ってきたので、私は、
『扁桃炎になった。熱ある。咽喉が痛いよ』
と返信したら、彼は続けて、
『テレビはどうだった?前回はキョロキョロしたので、今回は気をつけた』
と打って来た。

わたしゃ急性扁桃炎だって言ってるだろうがっっっ。もっと驚けよ!

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いつぞや話題にした「裁判員制度」の話だが。

21日に裁判員法が成立したことを受けて、
このほど読売新聞が面接方式による全国世論調査を行ったところ、
同制度の導入そのものには半数が賛成と答えたが、その一方で、
全体の七割が、裁判員として「参加したくない」と考えていることがわかったそうだ。

http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__yomiuri_20040526it14.htm

世論調査で出てきた国民の要望としては、
「裁判のやり方を一般国民にもわかりやすいものにする」53%、
「裁判員の身元を公表しないようにする」47%、
「拘束時間が長くならないよう、審理のスピードを速める」41%、など。

おいおい。のっけから雲行きが不穏では?
本当にこんなのでいいのだろうか?これだったら、
どんな素人でもわかる、ごく簡単な裁判で、
身元が絶対に割れない(=責任逃れが完全に保証される)人々が、
早く帰りたいので手早く判決を出す、
というふうに、私には聞こえてしまう。
そんな刑事裁判は、私だったら最悪だと思うがな?

いや、勿論、頭ではわかっているのだ、
現行の裁判で納得の行かないことがあまりにも多いから、
司法改革の話になったのだ、ということ自体は。
それにしても、自分や身内が当事者だったら、
こんなやり方で結論を出されるのは困る。
『自分の名のもとに全責任を負ってくれる専門家の方々の手で、
もっと時間をかけて、きちっと審議して貰って下さい!』
と叫びたくなるのではないか。
例外は、自分にとって完全に都合の良い判決が出て溜飲が下がった場合だけだろう。
これなら、結審は早ければ早いほど良いし、
市民感情を理解できるのは裁判官じゃなく一般市民なのよね、等と言えると思うが。

自分が裁判員になるにあたって、一般的な人が不安に思っていることは、
「有罪・無罪などを的確に判断する自信がない」59%、
「人を裁くことに抵抗を感じる」54%、
「仕事や家事が忙しくて時間がない」30%、などなど、だそうだ。
私のように「守秘義務を果たす自信が皆無」という回答は無かったのかな(^_^;。

いずれにせよ、概念や理想としての裁判員制度には反対でなくとも、
ではアナタから始めます、と名指しされたら困る、という人が多数という訳だ。
「実施を急がずに、時期は慎重に検討すべきだ」という慎重派が69%、
私も、少なくとも現時点では、これに賛成だ。

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娘が小学校から貰ってきた連絡のプリントによると、
学校の近くの公園で、最近、痴漢が出たのだという。
「子供をひとりで歩かせないようにしましょう」とあり、
併せて「来週、緊急時を想定して一斉集団下校を実施します」と書いてあった。
怪我をさせられたとか誘拐されかけたとかいう被害は無いようで、
どうも、いわゆる露出狂のたぐいだったらしい。

困ったことだが、しかし考えてみると、
全国どこに転勤してもこのテの事件はよく耳にするし、
そもそも、露出狂という人種は、私が子供の頃から居る。
私には理解不能だが、露出って面白い人には面白い行為なのだろうな(^_^;。

以前、何かの本で読んだのだが、とある露出狂の人が言うところでは
(どういう本を日頃読んでいるのかと追求せんで下さい)、
彼は、人前で「ばっと見せる」ことをしてみたいと、
子供の頃からずっと夢に見ていたのだそうだ。
だが少年時代は、さすがに勇気がなくて、出来なかった。
大人になって、ようやく出来るようになったのだという。

幼い頃できなかったことが、成長とともにひとつずつ出来るようになる、
というのは通常「進歩」「発達」として評価すべきことだが、
この人にとって成長するというのは、ロクなことではなかった、と言うしかない。

彼はロリコンではなかったが、小学生専門だった。
それは、いろんな点で小学生のほうが、都合が良かったからだそうだ。
露出狂の人の喜びというのは、見せたら相手が
「きゃ~~っっ!!」
と絶叫して大騒ぎをしたり逃げ出したりしてくれることなのだが、
これが、女子小学生のほうが反応がいいのだという。
大人の女性、とくにおばさんだと、
「ふん」と呆れられたりして、不発に終わることが結構あるらしい。

また、小学生なら、彼が身を守るためにも、かなり安全だった、と。
子供は悲鳴をあげて走り出すのがせいぜいだからだ。
大人だと、すぐさま警察を呼ぼうとしたり、
場合によっては自分で取り押さえようとしたりする。
公衆猥褻は立派な犯罪なので、その都度捕まっていては厄介だ。
繰り返すと執行猶予がつかなくなり、実刑になるとのことだった。

さて娘は幸い、ヘンな人にはまだ会ったことがないと言う。
娘は短髪でガタイが良く、男の子みたいだから安全か、と思うが、
そーゆーのが趣味という人もいるから、やっぱり安心できないのだった。

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私は料理をすることが、ことのほか嫌いだ。
そもそも私は味覚に関して人間離れして鈍感なのだ。
空腹が満たされるなら何を食べても平気だから、
面倒な食事の支度など、私個人にとっては、単なる時間の無駄としか思われない。

それなのに、私はこれまで、何かというと、
人並み以上に「おさんどん」をさせられて来たような気がする。
官舎が勤務先と同じ敷地内にあることが多かったので、
サラリーマンであるにもかかわらず、主人が昼食のために帰宅する、
ということが結構、繰り返されたからだ。
特に職場が小さいときは、皆が一斉に昼休憩時に官舎に戻るので、
そんな中で自分だけ弁当や外食では外聞が悪い、
という事情があり、どうにも、ほかの選択肢が無かった。
またこれが、牛・豚は食べない、ブリは照り焼きに限る、
サバはフィレの塩焼きか、揚げてチリソースをかけたもの、
と主人はやたらと細かくて、私は正直、辟易した。

で、やっとのことで、広島転勤。
官舎はあるが、実質、住まないのだから、
ついに私は、主人のための昼食の支度から解放された。
と思ったら。今度は舅と姑が一緒だったのだ。
食道癌手術直後の男性と介護度5の女性は、普通、外食しない。
どっちかが通院やデイサービスで留守でも、もうひとりは必ず、居る。
そのうえ、今度は、一口大じゃないと駄目だったり、
柔らかくないとノド通らなかったり。

私はもう、一生分の食事の支度をしたような気がする。錯覚だけど。

そこへ持ってきて、娘がある日、言った。
「みーちゃん、将来、コックさんになる」
反射的に、私の脳裏には某エースコックのブーちゃんの絵面が浮かんだ。
「いろんな料理を考えて、世界中に広めようと思うんだ」

コラムニスト・勝谷誠彦は書いている。
『味覚というのは記憶の引出しがどれだけあるかということだ。
過去のそれらと、今食べた味とを照合して、自分の中でランクづけをするのである』。

http://www.tanteifile.com/rensai/katsuya/01.html

料理嫌いの私は、娘にだってろくなものを食べさせていない。
基本的に給食で引き出しを増やしている娘に、
世界の逸品料理がつくれる舌は、養成されているのだろうか?

だが「反面教師」という言葉もある。
おかーちゃんのようになるのは絶対にイヤだ、
と思うなら、もしかしたら彼女にも、一縷の望みがあるかもしれない、と思う。

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きょうは、おばーちゃんが二ヶ月ぶりにデイサービスに復帰した。
朝、支度をしているとき、
脳の具合が悪いので、行きたくない」
と仰せになったが(^_^;、9時にデイサービスの職員さんが迎えに来られたら、
おばーちゃんはニコニコと挨拶し、楽しく出かけて行った。良かった。

今のところ、このいわゆる通所介護は週に二回、火曜日と金曜日で、
内容としては、生活リハビリや入浴等のサービスを受けることになっている。
姑の場合、座位の姿勢を維持することが出来ないので、家庭での入浴が難しく、
その点、通所介護を受ければ、機械浴で安全に入れて頂けるので、とても助かる。

ところで昨日、ここで昼食の支度がどーのこーのと愚痴ったら、
おじーちゃんには聞こえていたのか、きょうはなんと、彼も昼に外出した。
なんでも言ってみるもんだ(?)。
「○○内科へ行って、そいから、ちょっとぶらぶらして来る。昼は要らん」。
私の頭の中で、「合格」の鐘が鳴り響きましたね。

彼のぶらぶらとはパチンコのことだが、
先日も○万円儲けたとか言っていたから、今は調子が良いのだろう(^_^;。
元気な頃の舅は、負けているときはヤケになって注ぎ込み、
勝てば勝ったでまた更に投資と称して何時間もねばり、
結局、どっちにせよ最後はスってしまった、みたいなことがよくあったが、
最近の持久力のなくなった彼の場合、勝ち始めるとすぐやめるので、
かえって成績が良くなったように思われる。
ばくち打ちとしては褒められた態度ではないが、堅実でよろしい。

で、家族みんなが居なくなった家にひとりで居るのは天国だった。
つくづく、将来はもう一度、ひとり暮らしがしたいと思った。
まじめな話、これまでの人生を振り返っても、最も快適だったのは
ひとり暮らしの十年間だったと思う。
しかし、快適とシアワセは完全なイコールではない面もあったから、
やっぱり私の現在は、これでいいのだろう。
などと思いつつ、午後は惰眠をむさぼった。
なんとも非生産的だが、極楽だった。

さて、午後3時にはおじーちゃんが「ぶらぶら」から戻り、
続いて、午後4時過ぎに、おばーちゃんが送迎バスで戻ってきた。
おかえりなさ~い♪と玄関に出迎えた私に、
彼女は”ただいま”もなんもなしで、開口一番、
おケツが痛い
と宣った。
朝は頭の話だったが、夕方には尻が問題になったようだった。


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姑が入院して以来、舅は元気がなく、口数が減り、
なんとなく「鬱」な感じがして心配だったのだが、
姑の退院が決まったあたりから、舅の方も急に活性化した。
……のは、良いのだが。
私はここ数日、若干だが彼に普通でないものを感じている。冗談ではない。
私はこれでも、丸一年以上、彼を毎日、朝から晩まで観察して来たのだ。
これは果たして、一時の興奮状態、と見るべきものなのだろうか?

とにかく、何かというと、異様にものごとに対して細かいのだ。
もともと、この人は神経質なほうで、
綺麗好きである点については、特に、いささか極端なものがあったが、
きょうなど、私が掃除したあと、更に掃除機をかけなおし、
小一時間かけて自室を気の済むまで掃除したようだったのに、
掃除機を片づけてからしばらくすると、急に不機嫌になり、
「腹立つのう。さっき掃除したばっかりじゃに」
と呟きなら、ガムテープで床のホコリを取っていた。
それから、粘着テープのついたローラーで、
かなり長い間、敷き布団をごろごろとこすっていた。

それ以外にも、例えば、雨続きのあとだからという理由で
湿気が入るから窓を一切開けるなと、私が開けた窓をすべて閉め、
その一方で「うっとうしい」と、あちこちのカーテンを全部開けてしまったり、
外に干した洗濯物は午後4時に取り込まなければいけないと言ったり
(3時では日が高いので勿体ない、5時では湿気が来るから遅い)、
雨戸を閉めるのは6時ではまだ明るいから早い、7時でないといけないと言ったり、
挙げ句の果てには、セットしてある炊飯器のタイマーが
もしかしたら利かないかもしれないと思う、などと突然、言いだして、
時計を見ながらスイッチが入る時間をいらいらと待ち、
結局、我慢しきれずにタイマーを切って自分でスイッチを入れてしまったりした。

言っていることは一応、首尾一貫しているのだけど、
それにしても、ちょっと行き過ぎだし、おかしいのではないか、
と私は正直なところ、不安だ。

体の具合が良くないために、何をしても気分が良くなくて、
こんなにあれこれと気にかかるようになってしまったのだろうか?


それとも、こーゆー、几帳面さに拍車がかかる惚け方ってのも、アリ?
まさかね~~~。
かんべんしてくりよ~~~。

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おばーちゃんが退院した!
長かった、ちょうど二ヶ月、入院していたのだ!!

きょう昼前、自家用車で舅と主人が迎えに行き、無事、姑は家に帰ってきた。
姑は、私が玄関まで出迎えると、相変わらずにこにこと笑いかけてきた。

私「お帰りなさ~い♪」
姑「男というものはね……」

ふふ。一体、どこから帰ってきたという設定なんだろうか(^_^;?

昼ご飯は、全粥と、おひたしや煮魚をミルサーで砕いてペースト状にしたものを用意し、
お茶には薬局で買った「トロミ・アップV」という片栗粉みたいなものを入れて、
ポタージュスープくらいのトロミをつけた。
一応、病院のまねをしてやってみたのだが、果たして気に入るだろうか?

姑は快調らしく、食欲があり、スプーンで口に運ぶと次々と食べてくれた。
調子に乗った私は尋ねた。

私「おかーさん、おいしーですか(^^)?」
姑「いいや」

はははは(^_^;。ははははは………。

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昨日観た舞台があまりに夢のようだったので、何か、反芻したいと思い、
きょうは、以前買ったまま長いこと放ってあったKOPIT版の英文脚本を
布団に寝ころんで読み始めたのだが、
読むだけで、ほどなく、だーだーに泣けて来たのには困った。

すみません、Mr.Kopit。
私はアナタの文章を、全然別のビジュアルを想定して読み、
そのファントムのために、ひとりで勝手に泣いてます。
でもって、多分、英語がちゃんと読めてないところは、
自分勝手に、好みの台詞を想定して読んでると思います。重ねてごめんなさい。

もとの脚本は宝塚ではないから、冒頭はクリスティーヌの登場からだし、
ラストはファントムが死んだ場面で閉じられている。
トップスター登場のプロローグも無いし、
昨日、私が片頬で笑ってしまったラストシーンも、もとの脚本には無い。
改めて読んでみて、少なくとも幕切れは、こういうふうに、
よけいなものが付かないほうが良かったんじゃないか、
と正直なところ、思った。

でも飽くまで宝塚だから、やはり形式を尊重しないといけないのかもしれない。
ラストらしいラストは必要だし、フィナーレのショーナンバーも大階段も、
お約束とは百も承知であっても、観客の心情として不可欠なのかもしれないとも思う。
なければないで、きっと、物足りないものなのだろう。
それに、トップスターが特殊メイクで通している本編は、
ビジュアル重視の宝塚としてはやはり欲求不満が残るかもしれないから、
ショーでそのぶん、見せる、という構成も理解できるような気がする。

ところで、この公演のDVDが出たら勿論買うつもりだが、
観るには決心が要る、ということになるだろう。
とにかく泣いても良いような条件が揃っていないと観られない。
座敷なんかで観ていて、タオルハンカチ絞っていたら、
通りかかった舅が腰を抜かすだろうから。

ヨメさん、黄金の「ネグリージェ」観て泣いとった、と。

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行って来た、宝塚大劇場。
今回ほど体力勝負の観劇をしたことはない。
しかし、それを越えて、舞台内容には満足できた。行って良かった。

そもそも、朝、私は今までとやり方を変えて、
JR新井口駅から列車に乗って広島駅まで行ってみよう、と思い立った。
これは結果的に、過去最短所要時間だったから、大正解だったと思う。
が、ラッシュのことを考えていなかったのは大誤算だった。
広島人でありながらお恥ずかしいことに、私は知らなかったのだが、
朝、広島西部から市街地へと列車で行くのは、もの凄いことだったのだ。
来た列車は、ドアが開いただけで人がこぼれ落ちて来るほど、
既に、ぎゅうぎゅう詰めだった。
しかし、乗らない訳には行かない。そういう人が、私のほかにも大勢いた。
だから、こぼれてきた人を押し込んで、更に、我々が乗った。

私は体を三方から押され、身動きもならず、
顔面はドアのガラスに接触寸前の状態で、
パタリロで有名な「つぶれ甘食」という語彙が脳裏をよぎった。
車内はむんむんしていて、窓ガラスは白く曇っていた。
それを通して、向かい側のホームに立つ人々の姿がぼんやりと見えた。
私は思わず、指でそこに「た」「す」「け」「て」と書きたくなった。
まじで、圧迫死するのではないかと思った。
乗車時間が十分ほどだったから、命があったのだと思う。

しかし頑張った甲斐はあった。かつてなく早い時間に広島駅に着いたのだ。
おお!これなら、11時開演に間に合うではないか!
このあとはスムーズに運んだ。8時28分発の「のぞみ」で新大阪まで行き、
そこから「特急北近畿」に乗り換えて、JR宝塚まで直通。
着いたら10時32分!完璧だった。

だが。観劇までには、また一波乱あったのだ。
私は決して、『試練を!』などとは望まなかった。なのにどうして。

実は、昨日予約した@ぴあデジポケのチケットを、
私は結局、引き替えに行けなかったので、発券して貰っていなかった。
宝塚大劇場はそれでも、席番さえ言えれば、「お忘れ券」扱いで、
その場で入場が可能だと知っていたから、これを試すつもりだった。
が、私が劇場改札で事情を話して席番を言ったら、
座席を確認に行った係員がほどなく戻ってきて、
「恐れ入りますが、そのお席には、実券をお持ちのお客様がいらっしゃいます」
と言うではないか!

うっっっっそ~~~~!!!!

そんな筈はない、昨日パソコンから確かに予約した、
席番だけでなく、ID番号も持ってきているし、引き替え番号も控えてある、
と私が食い下がったので、劇場の係の男性がまた奥に引っ込んで、
しばらくすると、なにやら書類を携えて再度出てきた。

「これが、コンピュータでご予約の方々の一覧なのですが」
と彼はその書類を部分的に私に示した。
チケットぴあ経由の予約はそうやって記録されているのだというが、
そこには果たして、私の名前は無かった。

げーーーーー、と思ったが、揉めている時間は、もう無かった。
何がどういう事情であれ、私の最優先事項は、舞台を見ること!だ。
私は急いでチケットカウンターに戻って、当日券を買った。
立ち見だよ(T.T)、27番。

しかし、しかし。
何が幸いするかわからない。
今回の公演は、私にとって、結果的に、立ち見だのなんだのという、
観る側の諸条件なんか全部吹っ飛ぶものだった。
立たされていたからこそ、それが実感できた(^^ゞ。
私は見始めてどんどんファントムの世界に引き込まれ、
立っていることを忘れた。固唾をのんで、ただ、見続けた。
3時間立ち続けで観てもなんともない、
という舞台って、凄いことではないか?

ファントムは、和央ようかの本質的なところに触れる役だと思った。
多分、「そうだ、こういう演技をする彼女が観たかったのだ!」という、
深いところでの手応えが、ファンの多くには、あったのではないかと思う。
和央ようかの演じるファントムは、ファントムでありながら「怪人」ではなかった。
不幸な生まれの、尋常でない境遇に育った孤独な少年が、
ただ背だけのびて大人になったもの、それが彼女のファントムだった。
「らしくない」という非難はあるかもしれないが、
和央ようかでなければ出来ないファントムだったと思うので私は大いに満足だった。
設定のファントムは、何歳なのだろう?
彼の一人称が「私」や「俺」でなく、「ぼく」なのは、
脚本を書いた中村一徳の用意周到さだと私は感じた。

……でも、ちょっとラストシーンは、
あまりにもヅカ的ご都合主義に思えたが(^^ゞ。

*****************

さて、帰宅したら、「@ぴあ」から電話があった。
それによると、私の遭遇した今回のチケット災難は、
ある種の事故だったことが、わかった。

本来、デジポケは、公演三日前に予約が打ち切られるもので、
私のように前日の夜にパソコンで買えたというのは、おかしいのだという。
私は初めて利用したので気づいていなかったのだが、
昨夜の時点で、既に通常ならあり得ないことが起きていた訳だ。

どうやら、@ぴあのメンテの瞬間か何かに、
事故的に購入できてしまったものらしい、とその電話の女性は言った。
だから、大劇場で確認が取れなかったことも道理だ、と。
それで、@ぴあは、それなりの補償をしてくれることになった。

舞台のお陰で、私の中では既に、
きょうのいろんなことが帳消しになっていたのだが、
なんだか、晩になって思わぬオマケを貰った気分だ。
なんて誠意ある対応なんだろう、@ぴあ。
ありがと~~~。

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私「忘れ物してないね?」
娘「うんっっっ」
私「明日の時間割は、合わせたの?」
娘「出来たよ~。明日はね、5時間」
私「そう」
娘「5時間目はね、代表委員会と、『どっかつ』」

どっかつ!?
おいおい、また出たよ、「こくないかけんしん」の姉妹編が。

私「どっかつ、って何?」
娘「知らん」
私「知らんって……」
娘「だって黒板に、そう書いてあったんだもん」
私「どういう字を書くの」
娘「ひらがなだよ」
私「全部ひらがなで、ど、っ、か、つ、か?」
娘「えとね、どっっっ、が平仮名でぇ、かーつー、が漢字」
私「活動のカツか」
娘「そう」

どっ活
よくもまあ、次から次へと、わけのわからん時間割が出てくるもんだ。
天才の私も、今度ばかりはわからなかった。
「独立活動」ではあるまい。それじゃ『ジャワの踊り子』っぽい。

私は、夕方から約四時間、考え続けた。
ああでもないこうでもないと、南蛮漬けを漬けながら考えた。

そして、とうとう、わかったのだった。我ながらあっぱれな執念だ。
ついに、私は娘の思考回路を解きほぐすことに、今夜も成功したのだ。

私「さっきの。どっ活の話だけど」
娘「え。ああ」
私「それは、きっと、どっ活、ではなくて、とっ活だ」
娘「とっかつ」
私「そう。特別活動の略の特活だ。きみの、見間違いだ」
娘「そうだったのか~~~~~!!!!」

で、持って行くものは、無いんかい(^^ゞ。

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