3月11日に、ミシェル・ダルベルトを聴きに行った(@広島文化学園HBGホール)。
広島交響楽団との共演で、ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第4番』。
広響 第358回定期演奏会としての公演で、指揮はアンドリス・ポーガ。
震災の3月11日からちょうど5年目にあたる日であり、本プログラムに先立ち、
広響によりバッハ管弦楽組曲第3番 BWV1068 第二楽章『アリア』が
祈りを捧げるという趣旨で演奏された。
そのあと、改めてピアノが中央に出され、
プログラム一曲目のベートーヴェンの演奏になった。
ダルベルトを聴いたのは私は初めてだったのだが、
この人は実に繊細な感性を持った演奏家なのだということを、強く感じた。
私はもともと、第4番の魅力が今ひとつ感じられないことが多く、
特に第2楽章は、聴き手として持てあましてしまうことがよくあったのだが、
ダルベルトの演奏で全楽章を聴いて、私はほぼ初めて、
この曲がどうなっているのかが、わかった。
第1楽章では、穏やかな夢の中をたゆたうように主題が提示され、
第2楽章になると、そこに幾度も小さな揺らぎが起こって、
様々に色合いの異なる哀調が描かれ、
それらが皆、最後には慰めを見いだして、終わる。
そして第3楽章で一転して、初めて迸るような力が前面に押し出され、
高まり満開になり、フィナーレを迎えるのだ。
私の愛する、ベートーヴェンならではの「神様は、いるんだ!」節が、
この曲では第3楽章の壮麗さの中で語られているのだと思った。
曲の開始時は、ダルベルトの音が予想外に細く、スケール感に乏しい気がして、
私は少し違和感を覚えたりもしたのだが、
それは第2楽章、第3楽章と展開して行くために、
非常によく考えられ、選ばれた音色だったのだと、
全体を聞き終えて納得が行った。
拍手は鳴り止まず、カーテンコールで三度、舞台に呼び出され、
ダルベルトは最後にアンコールとしてドビュッシーを弾いた。
これを弾く前にダルベルトは客席に向かって礼を述べ、
今夜が特別の日であるということを考えていた、
最初からアンコールを弾くつもりではなかった(?)
(↑違うか。あまり聞き取れず)、
これから弾く一曲を皆様に楽しんで頂けたらと思う、
等々と英語で語りかけてから、ドビュッシー『映像』第2集より、
『金色の魚』を弾いた。
これが非常にダイナミックな演奏で、
内省的なベートーヴェンとは全く違う躍動感があった。
ドビュッシーの色合いや和音の妙、リズムの楽しさが聴き応え十分で、
終わってしまうのが勿体ない気分にさえなった。
ダルベルトは、私が思っていたよりずっと小柄なピアニストだったが、
素晴らしく懐が深く、感性の豊かな演奏家であることがわかった。
次回は、是非ソロリサイタルを聴いてみたいと思う。
一夜で、ベートーヴェンとドビュッシーと、
全く異なるふたつの顔を見せてくれたダルベルトだったが、
リサイタルとして2時間を構成するなら、
一体どのようなものを聴かせてくれるのだろうか。
ベートーヴェンの後期ソナタや、シューベルトのソナタも聴きたいし、
ドビュッシーだけでなくラヴェルを弾いても面白いだろうなと
様々に想像をさせられた演奏会だった。
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