転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



3月号掲載分の放送が、今週から始まった。
いよいよ最後の一ヶ月だ。

フランス語の初級編以外は、現在かなり挫折気味で、
2月は(2月も)ほとんど、聞き流すだけで終わってしまった。
予習はもとからしていないが(殴)、聴きながらメモを取るとか、
終わってから問題を解き直すなどのことも、最近は全くしていない。
しかしそれでも、とにかく毎日、ラジオをつける・放送時間に聴く、
ということだけは、最低限、実行してきた。
こういう行為が、自分の最後の砦だと思っているので(^_^;。

ときに漢詩の会で、来年度、発表会というほどではないが、
前期のどこかで少し時間を取って、ひとりずつ皆の前に出て、
何か一編、暗唱してみる、という会をやりませんか、
と先生が先日、仰っていた。
ピアノの暗譜同様、「暗記する」ということが
最近とみに心許なくなっているワタクシなのだが、
日頃から、七十代、八十代のベテラン会員さん達が、
『長恨歌』などの長編を朗々と暗唱なさっていることでもあるので、
もし本当に、こういう会が実現するなら、
私も初心者は初心者なりに、ひとつ何か覚えなくてはならないだろう。
絶句か律詩程度の短いもので許されるなら、自分に負荷をかける意味でも、
最初に日本語でやって、次に同じ詩を、(現代)中国語で暗唱してみる、
……というのは、今のワタクシならではで、良いのではないだろうか。
こういうことのために『まいにち中国語』をやって来たのだからして(汗)。

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数日前、ポゴレリチの東京公演チラシがUPされた。
イーヴォ・ポゴレリッチ― The Legendary Romantics(PDFファイル)(KAJIMOTO)

これにより、二つのことが新たに確認できた。
まず、5月7日の協奏曲のほうは、どちらも弦楽合奏版であること。
指揮:山下一史と先日既に発表されていたので、オーケストラかと思っていたが、
室内楽規模の演奏で、なおかつ指揮者が必要ということだ。
考えてみたら、ポゴレリチだから、それはそうよね(爆)。

それからセット券というのは、7日の協奏曲と9日のリサイタルの両方で
同じ席を確保する「マイシート」(S席)の設定になっている、
ということも、このチラシにより判明した。
熱心なファンならここで良席を押さえたいと考えるだろうから
両日S席予定の場合は、セット券がやはり有利なのだろう。

……と、どこから見ても『熱心なファン』以外の何者でもない私が言うのも
なんだかおかしな話なのだが、しかし私もこれはこれで迷っているのだ。
先にLFJ金沢を聴くことになりそうなので、あとの週の名古屋も考えると、
東京二公演とも聴こうというのは、滞在日数的に無理過ぎるよなあ、と。
これで娘が首尾良く関東の大学にでも入ってくれれば、
次の来日からは私は東京に入り浸りますけど、今年は、まだちょっとね(逃)。

しかし何より感心したのは、今回のチラシには、
ほかのアーティストだったらあり得ない但し書きが、ちゃんとついていたことだ。
ポゴレリッチの演奏は通常より時間がかかる場合が多いため、
終演時間が遅くなる可能性がございます。


さすがだ、KAJIMOTO。
特に夜の演奏会の場合、終電のことがあるから、これは考えておかないといけない。
2010年のサントリーホールでの公演なんて、どんだけ長かったことか。
どこを弾いているのかも(聴衆に)わからなくなるほど、
長い長い長い長い長い長いショパンのロ短調ソナタの間、
目を凝らしてなんとか腕時計を読もうと苦心していたお客さんが、
客席でひとりふたりでなく目撃されたものだった
(しかもこれがまた、尋常でなく真っ暗なのだ、ポゴレリチのリサイタルは)。
非常識な演奏会だと、休憩時間にキレている人もいた。

そして、あの東京公演では、前半だけでも拷問に等しいほど長かったのに、
後半には更に、曲目が追加されたのだった。演奏者の希望により。
それはブラームスの間奏曲 作品118-2だったが……(汗)。
その翌日、福岡に移って同じプログラムのリサイタルが行われたのだが、
東京で増えたブラームスは勿論、福岡でも最初から演奏曲目に入っており、
そのうえ、信じられないことに、福岡では休憩時間がなくなっていた
『この公演には休憩は一切ないから今のうちにトイレを済ませておくように』
という内容のアナウンスが(もっと丁寧な言葉でだが)開演前にあったものだ。

ということで、
演奏は基本的に激遅、
にも関わらず、当日になって演奏曲目が突然追加される可能性があり、
場合によっては、休憩なしになるかもしれません。
何卒、ご了承下さいませ<(_ _)>。

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土曜日に田村響を聴きに大阪に行ったときに、
主人が途中で、「ガラスの仮面48巻、買ってきて」とメールして来た。
発売日だというのに、広島の市街地にはまだ出ていなかったのだ。
それで私が、JR新大阪駅で平積みされていたガラかめ48巻を、買った。

相変わらず、女優生命を賭けて亜弓は紅天女の試演に打ち込んでいるのだが、
少なくとも稽古風景に関する限り、『紅天女』がさほど面白い芝居とは
どうも思われず、私はだんだん、
『亜弓くん、目を覚ませ!』
と言いたい心境になってきた。
ほかにも良い舞台はたくさんあるだろうに、これにかかりきりだなんて。
少なくとも『紅天女』は、あんな大勢でやらなくてもいいのではないか。
鼓が打てて全幕暗記している男優がひとりいれば
(つまり源三さんが居れば)、あとはマヤか亜弓かが紅天女をやるだけでよく、
帝とか十市とか村人とか、全然要らないんじゃないかと思えるのだが……。

一方、相手役の赤目慶は、亜弓と母・歌子の秘密の稽古場に案内されて、
いつもとは別人のような亜弓の雰囲気に、引き込まれつつ芝居をするのだが、
一緒に来ていた演出家の小野寺が、それを見ながら、
『驚いた…!あの赤目慶が本気になっている…!』
と汗を流して驚いており、私も本当にビックリしてしまった。
なんと、これまで赤目は本気にならず、テキトーにやっていたらしい。
主演女優の亜弓に「赤目、駄目」と言われたら彼はオシマイなのに、
こりゃまた全然、身の程をわかっていませんでしたね
(ちなみに赤目さんってば、今までいつも和服だったからわかんなかったけど、
洋服だとすごーーく足が長くて、カルく十頭身はあるんですね)。

しかし今回、何より困ったのは、紫織さんの使っている化粧用コンパクトが、
私には、完全に携帯電話にしか見えなかったことだ。
速水から婚約解消を切り出され、紫織嬢はショックで泣きじゃくるのだが、
そのあと化粧室で一人になって、そっとコンパクトを取り出し、
……私はそれを、てっきり携帯電話だと思い込んだ。
『ひどい顔… 真澄さまに嫌われてもしかたないわね…』
嫌われたのは絶対に顔のせいではないブラック紫織だが、それよりも、
私は彼女がここでなぜ、携帯電話を覗き込んで自分の顔を確認するのか、
最初は全然わからなかった。それから漠然と、
もしかして最近の上等な携帯は、待ち受け画面が鏡にもなるのか~、
と感心したりした。

そして、更に彼女は、その携帯の画面を洗面台の水栓に叩きつけて割り、
破片で自分の手首を切って自殺しようとするのだが、
「へえ~、携帯ってこんなことができるんだ……」
と私はここでもまだ、携帯の用途の多様さのほうに目を奪われており、
「いや、じゃけ、コンパクトじゃろ、それ(^_^;」
と主人に言われるまで、全く気がつかなかった。

……とまあ、この程度にわかっていない私の言うことなので、アレなのだが、
亜弓さんとハミルは、それで結局、くっつくことになるのでしょうか。
亜弓さんは、お蝶夫人のごとく、恋などに揺らぐことのない孤高の存在でも、
良いのではないかと私は思うのだが、やはりマヤと速水さんのがまとまるなら、
亜弓さんにも誰かが必要、という作者の思いがあるのだろうか。
亜弓×ハミルは、マヤ×速水ほどには、読者から祝福されていない、
と私には思われるのだが、違いますか(^_^;。
それにしても、ハミルさんは世界的な写真家と言われる割には暇そうです。
『エースをねらえ!』の千葉ちゃん程度にフリーです。

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昨日の、田村響ピアノ・リサイタルの続き。

2月25日(土)14時開演@高槻現代劇場 中ホール
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」
リスト:2つの演奏会用練習曲<森のささやき><小人の踊り>
ショパン:ワルツ第6番変二長調作品64-1「小犬のワルツ」
ショパン:ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-1
ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
***********
J.S.バッハ(ラフマニノフ編):無伴奏ヴァイオリンのための
  パルティータ第3番から プレリュード、ガヴォット、ジーグ
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品36
***********
アンコール メンデルスゾーン:無言歌集から「甘い思い出」
  ショパン:ワルツ第1番変ホ長調作品18「華麗なる大円舞曲」
(更に、演奏終了後、ステージでアフタートーク約30分)


前半は、愛好家にもピアノ学習者にも楽しめるよう配慮された曲目で、
後半は、この人の現在進行形のテーマがラフマニノフなのだろう、
と感じさせる選曲となっていた。
気力体力ともに充実した若い演奏家ならではの、精力的な内容だったと思う。
私は、田村響の、ダイナミックなところと精緻なところのバランスの良さが、
大変気に入っているのだが、それをステージで実現させているのは、
背後に、この人の徹底的な研究や妥協のない追求があるからこそだと、
今回も強く感じた。

巧く、かつ研究熱心な弾き手は、左手に関して用意周到なのと、
フォルテよりむしろピアニシモの中に、迫力と自己主張を持っている、
というのが私がいつも思っていることなのだが、
今の田村響からもそれを随所で感じた。
私の発見を引き出さずにおかないような魅力ある音の多くは、
左手の奏でる低いパートや、異色の存在感を放つ弱音の中にあった。
演奏会後のアフタートークで、会場からも、彼の弱音についての質問が出て、
田村響は「脱力はしなくてはいけないが、全部抜いてしまうのではなく、
指先はそっと弾いても、手のひらのほうに込めているものがあって、
音を掴むように弾こうと思っている。
静かな音であっても、鍵盤の底まで感じるように弾いている」
という意味合いのことを答えていた。

全体では特にラフマニノフのソナタのときに、今、彼の研究しているものが
非常に多く試みられていたのではないかと思ったのだが、
例えば、ある音が鳴ったところから、ふと新たな世界が開けるような瞬間とか、
多数の音が同時に響き合っている中で、重要な音がいくつか際立っていて、
そこだけ音色が異なっているとかいうような部分が、あちこちにあった。
また逆に、ここぞというキメ台詞みたいな音を出すところで、
音の持つ力を全部解放することを敢えてしないで、
音の出始めの瞬間を意図的に抑えているような、興味深い箇所も幾度かあり、
聴き手としては、否応なく、いっそう強く引きつけられる気分になった。
総じて、ラフマニノフ以外でも思ったことだが、音を存分に響かせるだけでなく、
数多く鳴っている音のうちのひとつを、わざと半分殺すというのか、
覆いをかけるようなテクニックがあったことが、大変面白く思われた。

アフタートークのところで、彼が何気なく
「あと5年間、二十代があるので」
と言い、私は彼がまだ25歳だということを再確認して、ため息が出た。
ポゴレリチ登場の1980年はおろか、ブーニン現象の起きた85年でさえも、
彼にとっては生まれる前の出来事なのだ。
なんと若い演奏家なのだろう。
私世代にとって息子と言っていい年齢だ(汗)。
この若さでは、課題も可能性も限りなく前途にあり、
その中で何を取り上げ、どのように弾くかを決定して行くのは、
ご本人にとっても困難が多く、同時にやり甲斐も大きいことだろう。
どうか良い出会いに恵まれますようにと、聴き手として祈らずにいられない。

このあと田村響は一度ヨーロッパに戻り、彼の地で演奏活動を行ったあと、
日本には4月に再び登場することになっている。
次回は、このたびのリサイタルでは弾いていなかったベートーヴェンが、
彼の新たな課題となるようだ。
毎回、あれほどの演奏を確実に実現させるためには、
演奏家としての内面の葛藤は大きいと思うが、
私はそのような全力投球の演奏に触れる実感を、いつも求めているので、
田村響の姿勢には強く心惹かれるものがある。
次の演奏会もまた、本当に楽しみにしていたいと思う。

グランプリ・コンサート(PTNAピティナ)
クラシックな休日を♪ in 音楽堂(神奈川県立音楽堂)


追記: トークで田村響は、自分のことを「心が弱い」と言っていた。
演奏会でも非常に緊張していて、余裕がないと自分で感じているそうだ。
傍目には、少年時代から日本を出たいと願い、十代で単身ヨーロッパに渡り、
ロン・ティボーで優勝したヒトのどこが「弱い」のかと私は思うが(^_^;、
自分で自分を「弱い」と認めるのは、とても大切なことだとも感じた。
他人の評価とは関係なく、自分で自分のことを考えるときに、
どこがどう駄目なのかを認めたうえで、そこから新たな努力をするというのは、
表層的なプラス思考などより、ずっと基本的で重要なことだろう。

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私は先週はこのうえなく勤勉に過ごし、確定申告も終わらせたし、
例の疼痛学会の論文の和訳も仕上げた。
すべては、この田村響のリサイタルを聴きに行くためだった。
仕事をし残したままでは出発しない、というのが
私の道楽人生における、若い頃からのポリシーであるっっ(自画自賛)。

今夜は疲れたので、明日、詳細を書きたいと思っているのだが、
遠征した甲斐のある、見事なリサイタルだった。
モーツァルト、リスト、ショパン、バッハ(ラフマニノフの編曲もの)、
ラフマニノフ、そしてアンコールにはメンデルスゾーンとショパン
……と実に幅広い年代と様式に目配りした選曲で、
自分の世界を積極的に広げて行きたいという田村氏の意欲が伝わってきた。
私としては、特にラフマニノフが、今の彼の力強さと安定感とに
非常によく似合っているように思ったのだが、
ご本人の評価はどうだっただろうか。

きょうの演奏会は、終了後にアフタートークという催しまであり、
司会者の進行で、田村氏が様々な質問に答えるという趣向になっていた。
作曲家への思いや、弱音を演奏するときのテクニックの話など、
聴き手としての私には初めて知ることも多く、興味深いものだった。
……のだが、彼は、喋ったら極めて真面目なヒトだった(^_^;。
もちろん、態度は丁寧だし敬語もきちんとしていて、
悪い印象など全くなかったのだが、
………オモシロかったわけでもなかった(逃)。

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とても天気が良くて温かかったので、外の用事を一度に片付けた。
コンビニまで行ってコピー取り数件、郵便局で支払い四件、
クレドホールにて確定申告書類提出、そして舅姑の墓掃除&墓参り。

帰宅してパソコンをあけてネットに繋いでみたら、
『和央ようかLIVE TOUR 2012~HISTORY~
大阪: NHK大阪ホール 5/18(金)19時・19(土)13時/18時・20(日)13時
名古屋: 中京大学文化市民会館プルニエホール 5/23(水)19時
東京: 渋谷公会堂 5/25(金)19時・26(土)13時/18時
東京: NHKホール 5/30(水)19時』
という情報が出ていて、のけぞった。

よりによって、5月なのか。5月なのかっっ(泣)。
ポゴレリチの金沢・東京・名古屋公演だけでも私はシヌと思うのに、
更におそらく、松竹座で例年の團菊祭が重なっていて、
私はもう充分に『しかばね』必至。
だのに、月後半になってまで、たかこさんのライブがあるなんて、
しかも大阪初日なんて!休む暇ないじゃん(私が)!!
間違いなくゾンビかキョンシーてんてん状態だお(>_<)。

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お雛様
昨日、娘の部屋の出窓のところに、お雛様を飾った。
娘の初節句に実家両親から贈られた親王飾りだ。
今年もこうして飾ることができて、良かった。
ささやかな季節の行事を、毎年同じように繰り返すというのが、
つまるところ、いちばん順調で幸せなことなのだと思う。
ありがたいことだ。


女形の中村雀右衛門さん 死去(NHKニュース)
『歌舞伎界を代表する女形の一人で、文化勲章受章者の四代目、中村雀右衛門さんが23日午後、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。91歳でした。』
京屋のおじさまが、亡くなられた。
いつまでもあまりにも若々しく、お綺麗な舞台姿で、
どうかすると息子さんの芝雀よりも瑞々しく見えてしまうほどの時代が長く、
本当にこの方はどうなっていらっしゃるのだろうかと、拝見するたびに思った。
團十郎襲名披露の頃の、地方公演も含めた舞台に忘れ難いものが多いが、
音羽屋ファンとしては、四十代の頃の菊五郎の相手を数多く務めて下さったことも
実に鮮やかに印象に残っている。
女形としては、立場的にも、非常にご苦労をなさった方だったと聞いていたが、
私の記憶の中に残っているのは、気品があり、それと同時に愛らしい感じさえする、
すらりとした雀右衛門の姿ばかりだ。
数え切れないほどの美しい舞台を見せて下さって、本当にありがとうございました。


ロシアもののホール
昨日はラ・フォル・ジュルネ金沢2012のプログラム発表で
いきなりポゴレリチの名前があったものだから、午後から大祭りだった。
その後、改めてLFJ金沢2012のタイムテーブルを眺めて思ったのだが、
「ロシアの祭典がテーマだから、会場名はロシアの文豪にちなんであるのね?
だけど、東京みたいにホールA、ホールB……じゃ、あかんかったのかしらん」。
何しろ、ポゴレリチの弾くホール(石川県立音楽堂のコンサートホール)が
LFJ金沢の開催中は「プーシキン」という会場名になっていて、
そのほか「アートホール トルストイ」、「邦楽ホール ドストエフスキー」
……って、そこだけ聞いたら、何するとこなのか完全に不明だぞ(^_^;。

ときに、某氏がきょう、プーシキンの作品はオペラになっている筈だ、
と指摘して下さって、そのとき挙げられた例は「スペードの女王」だったが、
それで検索してみたら、プーシキンのオペラはとてもたくさんあった。
そういう意味でなら、ポゴレリチが今回取り上げているラフマニノフは、
作曲家としてプーシキンと無関係ではないが、
しかしホール名にちなんで弾く、とまで言うのはコジツケだろうな、やはり。

私はプーシキンをがっつり読んでいるような人間では、到底、ないが、
強いて思い出すのは「ボリス・ゴドゥノフ」「エフゲーニ・オネーギン」で、
これらは大学のロシア語で習った。
『イェヴギェーニィ・アニエギン、……何ですか?』
とロシア語の授業でタイトルを見て友人が発言し、担当の佐藤恭子先生に、
『プーシキンの有名な作品よ?知らない?教養ないわよ!』
と呆れられた記憶がある。もちろん当時、私も全然知らなかった(汗)。
そして教材だったと言っても、抜粋だったり書き直したりされたヤツだったし、
最初から最後までくまなく読んだわけではなかったから、
どんな話か、今に至るも結局あんまりわかっていないのだった。
それに申し訳ないが、オペラには、もともと私は趣味がないし。
あとはアレだな、私がよぉく知ってるプーシキンと言ったら「大尉の娘」、
……っていうか「黒い瞳」、宝塚の(逃)。

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本日、『ラ・フォル・ジュルネ金沢2012』有料プログラムが公表され、
ポゴレリチが5月4日に金沢でリサイタルを行うことが判明した。

La Folle Journée de Kanazawa 2012(PDFファイル)
5月4日(金・祝)14:00 石川県立音楽堂
(公演No.213、S\3000、A\2500)
イーヴォ・ポゴレリッチ (p)
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番
バラキレフ:イスラメイ(東洋風幻想曲)

チケットは、2月23日~27日がLFJ金沢フレンズ会員向け先行予約期間、
3月9日(金)から一般発売。
LFJ金沢フレンズ会員登録は、LFJ金沢2012公式トップページから。
LFJ金沢2012

先行予約期間に出来ることは抽選エントリーのみ。
締め切り後に抽選があり、当選者にのみ後日メール連絡が来る仕組みで、
購入は先着順ではなく、席番の指定は出来ない。
以上の詳細は、金沢フレンズ会員登録をするとメールで説明が送られて来る。

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寺島しのぶ妊娠、歌舞伎界初のハーフ役者誕生も(スポニチ)
『女優寺島しのぶ(39)が妊娠していることが19日、分かった。初期の3カ月とみられる。人間国宝の歌舞伎俳優尾上菊五郎(69)の長女で、07年2月にフランス人アートディレクターのローラン・グナシア氏(44)と梨園では異例の国際結婚をして話題となった。その際「男の子ができたら歌舞伎役者もいいな」と明かしており、歌舞伎400年の歴史で初めてハーフの役者が誕生する可能性が出てきた。』

しのぶちゃんがママになるそうだ。おめでとうございます(^^)。
きっと今が、彼女にとって最も良い時期だったのだろうと思う。
彼女の舞台をローランさんが見に来られているところなども
ファンには客席でよく目撃(^_^;されており、
仲睦まじいお二人に第一子誕生とあって、本当に喜ばしいことだ。

しのぶちゃんが独身のときに出したエッセイ『体内時計』には、
当時、共演した中嶋朋子さんや大竹しのぶさんらが、
「子供が生まれると全部変わるよ」
「子供を産むと、もっと役の幅が広がる」
と話してくれたことが書かれていて、また母上の富司純子さんが、
しのぶちゃんが誕生してから3歳になるまでは、
完全に家庭に入り、全く舞台の仕事をしなかったことも書かれている。
富司純子さんは、『三つ子の魂、百まで』との言葉を引いて、
「幼い時に子供をしっかり育てておけば、その時にできた性格はずっと変わらない。
生まれてからしばらくの間は、子供に愛情を注ぐことが絶対に必要だ」
と、常々仰っていたそうだ。

『体内時計』を書いたときのしのぶちゃんは、ちょうど30歳になる頃で、
まだローランさんとも出会っていなかったし、
自分が母親になるということも、想像の中の話でしかなかっただろう。
彼女は、子供を大切に育てることを優先した、母上の言葉に感銘を受けつつも、
自分はそのようにはできないかもしれない、と書いていた。
子供に最大の愛情を注いで育てたい気持ちは自分も強いが、同時に、
舞台への欲は際限なくあるし、仕事を捨てることはできないだろう、と。

これから、どのような選択をするかは、しのぶちゃんご夫婦の決めることだが、
私は勝手に楽観的に、きっと良い道がみつかるだろうと思っている。
「顔が大きい人と結婚したら、子供をちょうだい」
と言った(爆)富司純子さんの言葉も、『体内時計』には記録されていることだし、
きっと母上も大いに力を貸して下さるに違いない。
この『顔が大きい人』の件は、歌舞伎役者になるには小顔では駄目だ、
という話を受けての逸話なのだが、さてしのぶちゃんに男の子が生まれたら、
本当にその子は、将来、歌舞伎役者を目指すだろうか。
それを想像するのは、無責任なファンとしてはとても楽しいことだ。

しかし、それにしても、『歌舞伎400年の歴史で初めてのハーフの役者』
ということは、無いだろう。
15代目市村羽左衛門は、確か日米ハーフだったと思うのだが、
14代目の養子だから、その出自は「無かったこと」になっているのか?
私はいくつかの写真で知っているのと、映像では一度見たことがあるだけだが、
それはもう、15代目羽左衛門はため息ものの美形だったぞ?
すらりとした舞台姿、ほりが深くて化粧映えして、存在感が並大抵ではなくて。
あんな雰囲気の歌舞伎役者は、ほかでは見たことがなかった。
しのぶちゃんに、ハーフの息子さんが生まれて、歌舞伎役者になろうものなら、
菊五郎の隔世遺伝もアリだし、こりゃ、えらいことになるんじゃないかと、
私は今から、楽しみで楽しみで(殴&絞)。

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娘の机の上に漫画『あさきゆめみし』(大和和紀)の9・10巻が
重ねて置いてあったので、失敬して読んだ。
古典の授業で『源氏物語』をやったので、お友達から借りたと
確か先日、言っていたはずだ。
私が高校1年生の冬には、これの1巻と2巻しか出ていなくて、
残りの巻は、高校を卒業してから出るたびに買って読んだので、
今も実家の土蔵を探せば出てくると思うのだが、
娘たちは最初から、完本を手に入れることができるわけで、
隔世の感があった(笑)。

1000年も前に、既にこういう長編小説が成立していたとは素晴らしいことで、
現代の感覚で読んでも、先の展開から目が離せない、見事な筋立てだと思う。
『更級日記』には、十代の頃に作者が『源氏物語』を手に入れて喜ぶ場面があり、
「きさきの位も何にかはせむ」
と、寝食を忘れて朝から晩まで読みふけっていたら、
しまいに、夢に凄い美形のお坊さんが出てきて、
「ちゃんと勉強せんか!」
と叱った、……みたいな電波系の話が、確か書いてあったと思うのだが、
21世紀の今、幾多の娯楽小説を経験済みの私が読んでも、
光源氏の女性遍歴物語はそれなりに面白いのだから、
最初からいきなりこのような大河小説に触れた、平安時代のヲタ少女たちが、
どれだけ大変な衝撃を受けたかは、想像に難くない。

しかし私が『面白い』と思うのは、厳密には大和和紀の漫画に対してであって、
源氏を原文で全巻読み通すような素養も根性も、私は持ち合わせていないから
本体そのものを味わって、なお『面白い』と言えるかどうかは自信がない(汗)。
私は、高校の古文の教科書に取り上げられていた箇所を知っている程度で、
残りの知識は、ほぼ全部『あさきゆめみし』から得たものだ
(上で触れた『更級日記』も、高校の教科書で採られていた箇所だ)。

その範囲で言うと、晩年に紫の上を失った光源氏が、
「なぜ、私という人間は、しあわせになれなかったのだろう……」
と述懐する場面に対してだけは、今も昔も、私はやはり、
「おまえのせいや」
としか、言いようが無い。
登場人物のうち、源氏の女君たちの大半はそれぞれ自己を確立し、
話の後半にさしかかるに従って、見事に輝くようになるのだが、
ひとり光源氏だけは、やたら涙もろくなっただけで、
根本のところで、結局なんにもなおってないじゃないか、
……と私は思えてならない(笑)。

ちなみに、源氏の愛を受けた女性たちのうち、誰が魅力的だと思うか、
というのは、現代の我々にとってもなかなか楽しい話題なのではないだろうか。
登場する男たちは、頭中将以外は、内に籠もるメソメソしたキャラが多いが、
女性陣は、さすがに源氏に目を付けられるだけあった、ということなのか、
皆、ほかの人にはないチャームポイントを持っていて、鮮やかだ。
私は昔から、ひときわ自己主張の明確な、朧月夜の君が好きだったが、
今の高校生が読むと、どうなのだろうか。

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