転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このところ、アクセス解析を見ていると、
血圧関連の検索語で拙日記に来て下さる方が、日々、一定数はあるようだ。
それと扁桃炎関係もかなり頻繁に見かけている。
やはり何かと体調不良になりやすい季節ということかもしれない。

私と高血圧の付き合いは結構長い。
そもそも、私は自分の人生で低血圧だったことは一度もなく、
20代前半でも、120~140/70~90くらいの値は普通にあった。
ただ当時は、今ほど厳格な高血圧ガイドラインは存在せず、
160/95を超えて初めて高血圧と見なされる時代だったので、
私は自分の血圧を心配したことも全くなかった。
妊婦健診に行っていた頃も、必ず120以上はあったが、
当初はそれが悪いなどと思ったことは一度もなかった。
上が120未満・下が80未満こそが『至適血圧』、
などという概念は、あの頃には無かったのだ。

ちなみに私が白衣性高血圧を発症したのは、この妊婦健診で、
24週のときだったか、忘れもしない135/65という測定値が出て、
「たっかいね~!?どしたん?大丈夫!?」
と助産師さんから真顔で言われたことがきっかけだった。
それまで、妊婦の血圧基準が140/90未満だとは知っていたが、
これを超えていなければ問題ないと思ってのどかに暮らしていたので、
130を上回ったことでこのように言われたのは、結構衝撃的だった。
以来、血圧測定のたびに、果たしてクリアできるかと緊張で脈拍が125を超え、
血圧のほうも、初回測定では必ず上が140を上回るようになってしまった。
助産師さんに白い目で見られながら、結構、繰り返し血圧測定をしたものだ。
今思うと、なんて胎教に悪い妊婦健診だったことだろう(--#)。

白衣性高血圧は、医療機関などの測定で緊張したときに限り、
普段よりかなり高い血圧が出る、という症状だ。
家庭血圧が高くなければ基本的には問題がないが、医師の中には、
「些細な理由ですぐ血圧が上がる、危険な体質であるということです」
という言い方をする人もいる。
そりゃそうかもしれないが、このような言われ方は、
血圧が心配な患者にとっては、一種の呪いみたいなものなのですよ。
こんな自覚を持たされた人は、もう一生、白衣性高血圧とはお友達だ。
それより、
「血圧が変動しているだけ。家で測って問題ないなら、治療も要らない」
と説明する医師のほうが、結果的に患者の血圧を安定させることができそうだ。

今の私は、家庭血圧は130前後/90前後というのが最も多い値で、
低くはないが、主治医には許して貰っている。
一方、最近の診察時血圧のほうは、
上が120~180/下が80~100と、かなり幅がある。
誰にどういう状況で何のために測られるかによって、
私の緊張度が異なるので、出る値も相当に開きがあるのだ。
先日、血圧を診て貰っているいつもの内科に行ったら、146/84だった。
白衣性高血圧とはいえ、慣れた先生の前でなら、
この程度に家庭血圧に近い値だって出るのだ。
入院中などウットリと眠いときなどに測定されると、120/80あたりもあり得る。
逆に、初めての病院で健康診断書作成のために、たった一度しか測って貰えない、
という状況のとき、私の血圧値は恐らく200に迫る最高値を記録するだろう(^_^;。

いずれにせよ私は、自分の血圧が高いことについては自覚があり、
診察時血圧が相当に上がることも経験しているので、
概して、検査で高い血圧値が出ても、すぐには驚かない。
瞬間的に170/100くらい出ることは、体調や心境によって十分に「あり」だ。
それより、むしろ私としては自分にあるまじき低い値が出たときのほうが
本能的な恐怖を感じる(^_^;。
どんなに若いときでも低血圧だったことだけはなかったのだから、
この私が、いくら測っても血圧が低いなどというときは、
よくよく悪いことが私の身の上に起こっているに違いないのだ。

前に、テッテー的にお腹を壊して息も絶え絶えになって内科に行ったら、
血圧が110/58とかで、先生がカルテを書きながら、
「血圧は問題ないですね~」
などと仰ったのだが、私は内心で「死にそうです」と思ったものだった。
また、筋腫からの大出血で倒れて、救急車を呼んだときもそうで、
車内で最初に血圧を測られると、上が90いくつしか無かった。
「いつも低いですか?」
と救急隊の方が尋ねて下さったのだが、私はその値を聞いて絶望しかけた。
下が90なら私は大丈夫であることを自信を持って言えるが、
上が90など異常事態で、死が近いとさえそのときは思った(爆)。
実際、人間は死ぬとき、徐々に血圧が下がって息絶えるのだ。
しっかりと血圧が保持されている人間は、死んだりしない。

まあ、そういうわけで、恒常的にあまりに血圧が高いことは
将来に渡っていろいろとリスクを伴うだろうということはわかるが、
日頃から血圧が高めの人にとっては、
むしろ急激に血圧が下がることのほうが危険だろうと私は思っている。
検査値の維持のために人生があるわけではないので、
至適血圧や正常血圧と言われるところまで下げることのみに固執するのは
血圧ノイローゼのもとだし、肉体的にも危ないことだと思う。
体重管理や食事内容改善、体調の善し悪しなどトータルで考えるべきであって、
140をちょっと超えただけでキリキリとストレスを感じるような、
数字合わせ的な血圧管理は心身に良くない。

そういえば、私が3月にESWL(体外衝撃波結石破砕術)を受けたとき、
患者に配られる記録用紙に血圧記入欄があった。
多分、この治療により血圧が急激に上がる患者さんがいるためだと思うが、
そこには複数の処置の候補のうち『アダラート舌下』の文字があり、
私は「それだけは絶対やめて~(^_^;」と思ったものだった。
アダラートは急速に効果を発揮する降圧剤だが、
私なんかは、そんなものを使用されたらそのせいで死にそうな気がした(^_^;。

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旧市民球場跡地活用 調査費 大幅に減額 広島市議会、修正案を可決(産経新聞)2013.6.29
『広島市の6月定例市議会は28日、旧広島市民球場跡地(中区)の活用に向けた調査費を大幅に減額し267万円とする一般会計予算の修正案を賛成多数で可決した。』『跡地について市は3月、サッカー専用スタジアム建設の余地を残しながら、基本的に「文化芸術」と「緑地広場」の複合型として整備する方針を表明。その推進を具体化するため、調査費870万円を盛り込んだ一般会計予算案を市議会に提出した。』『しかし、26日に開かれた建設委員会では、県や経済界などとサッカー専用スタジアム建設を検討する協議会が6月に始まったばかりであることを指摘する声などが相次ぎ、「跡地の検討も公平なスピードで行わなければ禍根を残す」として、原案を否決していた。』『最大会派の自民党保守クラブが28日、調査費のうち絵図面作成費などを削り267万円とする修正案を提出。議長を除く採決で賛成27、反対24となり修正案を可決した。』

市議会が市長に一矢報いたのは、この際、良かったと思うが、
しかし、なんだかんだと揉まして結局、寂しい公園になりそうな悪寒(爆)。
そしてその公園のコンセプトは、平和なんとか、の類いなのだろう。
私としては正直なところ、広島バスセンターの隣がただの公園だなんて、
激しくガッカリなのだが、市民の支持はあるのだろうか。

私の個人的な趣味だけで言えば、いつだって音楽が聴きたいのだから、
もしも、この『文化芸術』の名のもとに、本格的な音楽ホールとか、
オペラ専用劇場などが出来てくれるということになるのであれば、
それはとても嬉しい。
広島交響楽団もあるのだし、本拠地となるホールだって本当は欲しい。
しかし、それでは市全体として考えたときに、
市民に還元されるものが少なすぎるだろう、とも思っている。
市民が一人残らず賛成するものをつくるのは、もともと不可能なのだから、
税金を投入する以上、そこは多数決で決められるべきではないか。

何であれ、私はあの広大な一等地を、がらんどう
(=公園や、動員の見込めない箱物)にするという感覚はイヤだ。
もともと3万人以上を収容する球場があそこにはあり、
それゆえにこそ人の行き来もあり、一画が活性化していたのだから、
少なくとも、あれと同等の人数を動員する新施設を作らなかったら、
広島の、市街地の末路が見えてしまうじゃないか、と私は思っている。
『文化芸術と緑地広場の複合型』では、何ができるのか実態不明だ。
前市長時代にも、あの場所を緑地化することは市議会で否決された筈だし、
そして今もなお、こうして反対の声が上がっていることを
現市長には厳しく真摯に受け止めて貰いたいと願っている。

私としては、この件に関しては市民投票を望む。
それで平和公園パート2を建設することに市民の多大な支持がある、
と判明したならば、もう、私はぶつぶつ言わないことにする(^_^;。

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23日(日)
クリスチャン・ツィメルマンの兵庫公演の発売日だった。
公演日は11月30日で、ベートーヴェンの後期ソナタ3曲、
普段なら私は何を置いても駆けつけるような内容なのだが、
今年の年末はポゴレリチを聴かねばならないので、躊躇した。
ポゴレリチの川崎公演まであと一週間も無いような時期に、
ツィメルマンを聴きに行ってワタシは大丈夫か、と心配になったからだ。
経済的にも身体的にも心情的にも、いろいろな意味で。
それで、やはりここは一本に絞るのがヲタの正しい姿だ
と思い、ツィメルマンのチケットは取らなかった。
……あっという間に完売した。むしろ清々しい(^_^;と思った。

24日(月)
馴染みの耳鼻咽喉科に行った。
娘の入試について行った2月半ばから、私は軽い口内炎を自覚しており、
特に舌にしびれに似た違和感があり、どうにも改善しなかったので、
耳鼻科で相談したら、血液検査の結果、亜鉛不足が判明した。
一応、基準値内ではあったのだが、下限ぎりぎりの値だった。
実は私は結婚以来、主人に付き合って、タンパク質と言えば魚ばかりで、
亜鉛が豊富な牡蠣や牛肉豚肉は、主人が嫌う食品だったために、
食卓に乗せることがほとんど無かった。
更に、体内の亜鉛はストレスで消費されるということなので、
時期的に娘の入試騒動で精神的に疲弊し、亜鉛不足の症状が出たようだった。
耳鼻科で亜鉛を補給する内服薬を貰うとともに、
ゴマや卵など、主人が嫌がらないもので亜鉛のとれる食品を
今後は意識的に使うようにしようと決めた。

25日(火)
英語スクールに行った。
去年は道楽フランス語にかまけていて、私は英語を放置していた。
そのあと、娘の入試があり私が腎結石で入院して、
なんだかんだで、フランス語も適当にしかやらなくなった。
結果として今の私は、英語もフランス語も、ろくにできない。
私はこのままでいいのだろうか、と立ち止まって反省した。
いいワケないのだった。

26日(水)
今週で唯一、予定のない日だった。
前夜、布団の中で本を読んでいた姿勢が悪かったようで、
起きたときから肩凝りがして後頭部が重苦しく、
あまり元気が出なかったので、外出は買い物等、最小限にした。
あとは家の掃除など。

27日(木)
マンションの管理組合の理事長さんが入院なさっていたので、
同じマンションの奥さんたち有志で集まり、お見舞いに行った。
整形外科の治療でのご入院で、既にかなりお元気そうだったので、
大いに安心した。
夜、娘は大学のお友達と、宝塚『BASARA』を観に行ったと言っていた。
面白かった、とメールには書いてあったが、
どういう意味で面白かったのかは、謎。
BASARAには半端なく詳しく、かつ、宝塚の見方も知らないわけではない娘は、
果たして、今回の公演をどう思っただろうか(^_^;。

28日(金)
午前中はピアノのレッスンがあって、
ハノン第49番・ツェルニー30番の第24番・バッハの小プレリュードBWV933を弾いた。
次回からベートーヴェンのソナタ『テレーゼ』も見て貰うことになった。
午後からはピアノの調律に来て貰った。
いつも5月なのに、今年は私が忙しすぎて、こんな時期まで延びてしまったのだ。
もう結構あちこち狂っていたので、調律が待ち遠しかった(^_^;。
本来、私はろくな音感は持っていないので、
鳴った音が合っているかどうかなど、単音ではほぼわからないのだが、
オクターブのユニゾンにすると、合っているかズレているかがわかる、
という程度の感覚は、さすがにあるのだ。
調律のあとには、ピアノが端正になった感触があって嬉しかった。
うちに来て下さっている調律師さんの主義では、
調律は、その楽器がもともと持っている一番良い音を出す方向でする、
とのことだった。
明るい音とか軽い音とか、弾く人によって注文はあるにしても、
楽器個体の方向性に逆らうような音を作ることは、
自分はしないし、したくない、と仰っていた。
ちなみに、今夜は名古屋で田村響が出演する、
OKAYA CHARITY CONCERT 2013が行われた。
行きたかったのだが、夜の演奏会を聴くには名古屋は遠すぎるかなと断念した。
あとでTwitterで感想を読んだらかなり好評だった。惜しいことをした(^_^;。

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2013.12.06イーヴォ・ポゴレリッチINFORMATION(KAJIMOTO)
ポゴレリチの来日公演チラシがUPされました。
PDF Downloadのところをクリックして御覧下さい。

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やっと、サントリーホールのサイトの公演予定欄にも、
ポゴレリチのリサイタルのことが掲載された。
ポゴレリチ来日公演詳細がKAJIMOTOから正式に発表されたあと、
ミューザ川崎のコンサートカレンダーには間無しに載ったのに、
サントリーホールのスケジュールには全然出てこなくて、
12月8日の欄にはこれまで、上智大学創立100周年記念演奏会の文字しかなかった。
この公演はマチネで、同日夜にポゴレリチのリサイタルが行われる、
ということは一応わかってはいたのだが、
会場サイトがいっこうにその予定をUPしてくれないので、
一体いつになったら出るのかと、少々、落ち着かない気分だったのだ。

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル(サントリーホール)
日時 2013年12月8日(日) 19:00 開演
曲目 【ベートーヴェン・プログラム】
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」
ロンド・ア・カプリッチョ op.129 「失われた小銭への怒り」
ピアノ・ソナタ第22番 ヘ長調 op.54
ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 op.78
料金 S13,000 A10,000 B7,000 C5,000
会場 大ホール
お問い合わせ カジモト・イープラス  0570-06-9960

*****************

ところで、きょうの写真は、81年初来日から昨年までの、
ポゴレリチの来日公演プログラムの冊子を全部並べたものだ。
プログラムは、演奏会に行けば必ず手に入るし、二部以上買うのも自由で、
私にしてみれば、チラシほど躍起にならなくてもいいアイテムだ。
実際に会場に行けなかった年のプログラムだって、
その気になればあとから集めることは不可能ではなかった。
81年と83年の来日公演は私は聴けていないのだが、
これらは87年頃に友人から譲って貰って手に入れ、
育児中で出かけられなかった94年・95年・96年の公演プログラムは、
演奏会直後に梶本音楽事務所(当時)に電話をして直接購入した。
なんのかんの言っても、これまでたった16回しか来日していないので
ポゴレリチの来日公演プログラムを全部集めることは、
私にとっては、さしたる手間ではなかった
(例えば音羽屋の筋書や番附なんて、菊五郎襲名以後に絞っても、
とてもじゃないが並の熱意でコンプリートできる量ではありません(^_^;)。

昨今は有料プログラム冊子が作成されない公演も増えて、
かわりに演奏曲目と楽曲解説を印刷した二ツ折り程度のリーフレットが、
入場の際に配付されることが多くなった。
あれはあれで気の利いたものだとは思うし、便利に使わせて貰ってはいるが、
私は聴き手としては、やはり演奏会の貴重な記念として、
写真や批評やエッセイなどの企画も含めて構成された有料プログラムを、
とても有り難いものだと感じているので、
会場で販売されていれば、大抵買うようにしている。
90年代初頭、ブーニンのプログラムが1冊2500円だったときには、
バブルのさなかでも、さすがに購入を躊躇したことはあったが…。

ちなみにポゴレリチのプログラムの中では、83年のものが、
最もページ数も写真点数も多く、飛び抜けて豪華なつくりになっている。
後半のエッセイ部分など、各々1~2ページずつとはいえ10名もの
著名評論家・演奏家の方々の文章が掲載されており、
そのすべてのページに、モノクロではあるがポゴレリチの写真が添えられている。
私はまだこのプログラムを手元に持っていなかった80年代半ばに
上野の東京文化会館の音楽資料室で初めてこれを閲覧させて貰い、
その中身の贅沢さに驚いたものだった。

彼は1983年の初夏、日本で紛れもなくアイドルになりかかっていた。
リサイタルプログラムだけでも四種類も持って来ており、
一ヶ月のあいだ日本に滞在して、次々と12回もの演奏会を全国各地で行い、
NHKテレビやNHK-FMの、演奏会収録にも応じた。
蜷川幸雄との対談、などというテレビ企画さえあった。
しかも、共演予定だった夫人のアリス・ケゼラーゼが来日を中止したため、
ジョイント・リサイタルはポゴレリチのソロ・リサイタルに変更され、
彼女がソリストを務める筈だった協奏曲もポゴレリチが代演した。
おまけに、演奏には関係ないが、梅雨時の日本をあなどっていたのか、
彼はこのとき普段着に革を着ていた(^_^;。

この来日のあと、ポゴレリチはしばらく日本に来ようとしなくなり、
次に来日が実現したのは、なんと五年後の88年になってからだった。
あの時代、日本側からのオファーが途絶えたとは考えられないし、
稼げるとわかっている日本を、意図的に避けていたということは、
83年来日時の日本の雰囲気が、若かったポゴレリチにとって、
かなり不本意なものだったということではないか、
……と、私は今にして想像している(逃!)。

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もうじき6月が終わる。
今年度は、有り難いことに朝のお弁当作成がなく(^_^;
朝7時台が私の自由になる日が以前より増えたので、
ラジオのほうも今のところは、だいたい休まず聴けている。

スペイン語は入門編『Paso a paso~めざせ96番地』だけ聴いている。
全部で6ヶ月間の放送予定のうち、まだ3ヶ月目が終わったところなので、
以前の講座でやったことのある文法事項がほとんどで
一応、道に迷わずにはついて行っていると思うのだが、
例によって例の如く、復習がろくに出来ていないので、
スペイン語がちゃんと身についているとは言い難い状況だ。
とりあえず数詞を徹底しなくては(殴)。何回目だ(汗)。

フランス語の初級編も6ヶ月1クールなので、
引き続き久松健一先生の『ころばぬ先のフランス語入門』、
余談だがこれの副題が『Pas à pas』で、奇しくもスペイン語講座と同じだ。
できるだけテキストを見ないで、耳だけを頼りにやるのが、
今の私の仏語力にはちょうど合っていて、ほど良いやり甲斐を感じている。
『教えてMadame』のフロランス先生のお話を聞き取ることは
完璧にはできないが(汗)、聴きながら大意を掴むようにはしている。
もうちょっと熱意があれば、ここはディクテの練習に使いたいところだが、
そう思うだけで、今のところは実行できていない。

一方、3ヶ月1クールの応用編は、昨年度10~12月分の新作だった、
梅本洋一先生の『映画の話をしよう!~フランソワ・トリュフォー』
が、このあと7~9月の3ヶ月間、再放送される予定だ。
ちょうど仏語検定2級の勉強をしていた頃に、筆記用・面接用ともに、
種々の言い回しを覚えるのにとても勉強になった講座だったが、
このシリーズの放送終了から間無しに、梅本先生が急逝されたことを
私は4月になるまで知らなかった。
結果的に、先生の最晩年のお仕事のひとつに巡り会えたことを
今、改めて有り難く思っている。

梅本洋一さん死去 「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」(朝日新聞2013年3月12日23時7分)
『梅本洋一さん(うめもと・よういち=映画評論家、横浜国立大教授)が12日、虚血性心不全で死去、60歳。通夜は18日午後6時、葬儀は19日午前11時30分から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻安美さん。』『映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」の編集長を創刊時から務めた。主な著書に「映画は判ってくれない」「映画旅日記 パリ―東京」など。』

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・主人はあれから尿管結石と思われる疝痛発作を起こしていない。
それ自体は喜ぶべきことなのだが、何しろ肝心の石を見ていないので
「なおった」とも断言できないものがあり、まだ不安が残っている。
一方の私は、石は既に幾度も画像で確認されているけれども、
依然として、全く出た気配がないので、
「なおっていない」ということだけは自信を持って言える(--#)。
追記:主人はその後、トイレに行ったとき
「大事なトコに、なんか途中でつかえてる感じ。出にくかった」
と妙な顔をして言った。やはり石がもうそこまで降りて来ていると思われた。
「(私が医者から貰った)ストーン・スクリーンあるよ。捕獲したら」
と言ったが、
「え~(^_^;。めんどくさい~~」
とヤル気がなかった(--#)(--#)。)

女性が増加「宝塚市栄町」ヅカファンの幸せな暮らし(朝日新聞)
『【林亜季】来年で100周年を迎える宝塚歌劇。宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)近くに移り住む女性が増えている。おひざ元の同市栄町1丁目では、女性は男性の1.6倍。多くが歌劇ファンらしい。スターの「入り待ち」「出待ち」に通い、「歌劇仕様」に改装した部屋でゆっくり。「ヅカファン」がたどり着いたあこがれの暮らしとは――。』
確かに、大劇場界隈には独特の雰囲気があり、
宝塚ファンなら、あのあたりの空気に浸るだけで元気が出る。
東京宝塚劇場は日比谷の一画で、劇場だけが『宝塚』な場所だが、
本家の宝塚大劇場は、阪急電車も商店街も含めて周囲全部が『宝塚』だ。
しかし私は、神戸に3年住んだだけで身を持ち崩しそうになった(爆)ので
栄町なんかで暮らしていたら、完全に人生を誤ると思う。
公演中の入り待ち・出待ちだけでなく、お稽古の入り出にも行けてしまうなんて
素晴らし過ぎて、まともな社会生活をやめたくなる(爆)。
あそこで暮らす宝塚ファンでありながら、なおかつきちんとお勤めできたり、
家庭を持ったりされている方々は、本当に偉いと、この記事を読んで思った。

・パリ在住のヴァイオリニスト千々岩英一さんのツイートを見て、
朝から主人と二人でオオウケした。
『千々岩英一‏@EiichiChijiiwa
国営放送のニュースで世界遺産登録の富士山(モン・フュジ)が。「日本人は敬称を付けて富士さんと呼びます。」初めて聞いたわ』
そういえば私も子供の頃、周囲の大人達が、
「ほくらさん(保久良山)」や「まやさん(摩耶山)」のことを
話題にしているのを耳にして、漠然と、
ちょっと遠いところの知り合いの人のことかなと思ったことがあった
(ちなみに「ほくら」は男で「まや」が女という前提だった(^_^;)。
そうか、やっぱり敬称やったんか(爆)。
すると「みせん(弥山)」「だいせん(大山)」なんかは、
敬称のところが訛っている。というかあんまり尊敬されてない感じ。

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facebookのお友達の某氏によると、先日、神奈川芸術協会から、
ポゴレリチの12月来日公演のチラシが送られてきたそうだ。
今月、広島から一歩も出ていない私は、まだそれを見ていないが、
このあと、首都圏の各種音楽会で配布される演奏会チラシの中に
ポゴレリチの12月公演のチラシも封入されるようになるだろう。

公演チラシは、主催側にとっては宣伝ツールに過ぎないかもしれないが、
観客にしてみればそれだけでは済まされない、なかなか大切なものだ。
写真が新しければ勿論のこと、仮に見慣れた顔写真が使用されていたとしても
(歌舞伎座だろうと公文協だろうと音羽屋の写真なんか二十年一日のごとく同じだ(逃))、
公演日・開場開演時間・会場名・演目(曲目)が漏れなく書かれており、
裏面には、出演者プロフィールや公演概要あるいは批評文が掲載されていて、
そのときの公演情報が、最も簡潔なかたちで一枚に集約されているのが
公演チラシというものなのだ。
これはれっきとした公演資料であり、そのとき限りの記念品でもある。
しかも非売品で、その公演が行われる日までに手に入れなければ、
期日を過ぎたチラシは、普通の窓口や店頭ではもはや入手することができない。

私はかねがね不満に思っているのだが、演奏会に行くと、
これから行われる音楽会のチラシは山ほどあるのに、
その当日の演奏会のチラシは、既に置かれていないことが大半だ。
当日になってしまったものを、今更『宣伝』する必要は無い、
という判断で、既に引き上げられてしまっているのだろうけれど、
これは聴衆の、特に熱心な聴き手の心理をわかっていない行動だ。
ファンであればこそ、自分がきょう聴く(聴いた)演奏会のチラシが欲しいのだ。
仮に、会場で立派なプログラムが販売されていたとしても、
あるいは、無料で曲目プリントが配布されていたとしてもだ。
会場で宣伝のために配布されるチラシの束の中には
興味のあるものも無いものも含まれており、主観的には玉石混淆だが、
きょうの演奏会は、自分が聴きたいと思って選んだ公演だから
そのチラシの意義だって特別なのだ。

音楽会に限らず、私がこれまで行った催しものに関しては、
その日の公演チラシがロビーなどに置かれていたら、
ほぼ間違いなく、入場する観客によって次々と手に取られ、
あっという間になくなっていたものだった。
ウィーン・フィル然り、松竹大歌舞伎然り、Studio Life然り(笑)。
清志郎の映画『ナニワ・サリバンショー』に行ったときも、
公開最終日に近かったせいか、チラシは既に皆に取られてしまって、
映画館には一枚も残っていなかった。
2010年5月のポゴレリチのサントリーホールでのリサイタルのときなど、
たまたま主催者テーブルに置かれていた当日のポゴレリチのチラシが、
まさに争奪戦のように、瞬く間に私の目の前で尽きたことを今でも覚えている
(ちなみに私は取り損なった。元来、私は鈍いのだ(爆))。

チラシというものは、公演が行われる会場の地元に住んでいないと
欲しいと思ってもなかなか手に入るものではない。
あらゆる演奏会が必ず1回は行われる首都圏に住んでいたら、
こういう実感は持たないかもしれないが、
地方の聴き手にとっては、東京や大阪で行われる演奏会のチラシを
入手することは決して容易ではない。
広島の演奏会では、広島で行われるコンサートのチラシしか配布されないし、
首都圏のチラシを豊富に扱っているプレイガイドなど、地方には無い。
超人気公演でもない限り、チケット自体は全国どこにいても簡単に買えるが、
チラシを手に入れるには、それとは比較にならないほど手間暇がかかるのだ。
秋のKISSの大阪公演にしたところが、私は一体これから、
どこでどうやってチラシを手に入れればいいんですかね(--#)。

昔はそれでも、チケットを電話予約して郵送を頼めば、
各々の招聘元がチラシも同封してくれることが多かった。
顔写真お構いなしに三つ折りにされていようとも、無いよりずっと良かった。
しかし昨今はチケットぴあやイープラスが主流になってしまったから、
発券されるのは、公演日時や席番の書かれた電算の紙だけだ。
それもコンビニ発券だったりして、早くて良いが、味気ないことこの上ない。
ゆえに、今や、公演の済んでしまった演奏会や舞台のチラシが
ネットオークションで商品として売られていることは稀ではない。
定価などない非売品だが、入手の困難さゆえにチラシには値段がつくのだ。
それも新品の折り目なしで、同じものが3~5枚セット、とかなんとか、
ああいう出品チラシの気が利いていることと言ったら、もう。

この点で、去年5月にポゴレリチがサントリーホールで協奏曲をやったときには、
入り口で渡された袋の中に、今後予定されている多数の音楽会のチラシとともに、
その日のポゴレリチの演奏会チラシも封入されていて、私は有り難く思った。
尤も、あのときはその翌々日に、もう一度同じ会場で
彼のリサイタルが行われることになっていたので、
まだチラシには『宣伝』の使命があった、とも言える状態だったが、
それにしても、遠路はるばるやってきて、初めてきょうのチラシを目にした、
という観客は少なくなかったはずで、あれは値千金だったと思う。

そういうわけで、私は、ポゴレリチに限らず、どの公演に行くときでも、
その当日の公演チラシを会場に置いておいて欲しい、と願っている。
ロビーのテーブルに、ただ積んでおいてくれれば十分だ。
当日までの宣伝で使い果たされてもう残っていない、というなら仕方がないが、
もし余っていて、回収したあとは処分するだけというのであれば、
是非とも会場で、観客や熱心なファンの手に入るようにして貰いたい。
演奏会の間、簡易プログラムとしてに大いに活用する人も少なくないだろうし、
休憩時には、裏面の批評文やCD紹介記事も十分に読まれることだろうと思う。
宣伝用として、事前に大量に撒かれたチラシは、
受け手の目に留まらなければ即座にただのゴミになるが、
演奏会当日に来た客にその公演のチラシを渡せば、
ほぼ間違いなく、表裏両面、余さず目を通されることになる。
私のようなマニアともなれば、折り目もつけずにチラシを丁寧に持ち帰り、
当日が終わっても、その後も折に触れて取り出して眺めるだろう。

しかし、ここに書いておいても、叶えられるものでもないだろうから、
私はとりあえず、12月の演奏会までに、
ポゴレリチのチラシを手に入れる努力をこれからしなくてはならない。
来月後半になれば私自身が東京に行くことになっているが、
それまで手をこまねいて待っているというのも、どうだろうか。
それで、さしあたりきょうの午後、私は娘にメールを打った。
かくかくしかじか、ポゴ氏のチラシを見つけたら取って来るように!と。
『今、上野にいるので、帰りなどに見かけたら取っておきます~』
と娘からは即レスが来た。
まったく、娘を首都圏にやったのは正解だったと、きょうはつくづく思った(爆)。

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午前3時50分、誰かがトイレに行く音がして、私は目覚めた。
誰か、って今となっては二人暮らしなのだから、主人しか居ない。
なんでこんな早い時間に起きているのだ??
と思って、私も部屋(=娘の居室だったところ)から出てみた。ら。

「背中の、右の腰の上あたりが、痛い。吐きそう」
と主人が廊下で青い顔をしていた。
「背中。どのへん?」
主人が手をあてている箇所を見ると、背中の右下の、腰に近い場所だった。
もっと上なら、肝臓や胆嚢・膵臓などの上腹部関連も考えなくてはならないが、
そこまで下となると……。
「痛いのは体の中から来てる?それとも筋肉痛という感じ?」
と訊いたら、
「内臓、かな、きっと……。かなり、痛い。まじ痛い。横にもなれん」

あのですね(汗)。
それって、尿管結石そのものでは、ありませんか(爆)。
吐き気も嘔吐も、尿管結石とは大抵セットだし、
早朝という時間帯だって、結石の疝痛発作の出現時刻として定番だ。
私がそのように自分の診断を告げると、
「アンタのがウツった」
と主人はくやしそうに言った。
仕方ないだろう。誰でもなる可能性はあるんだよ(^_^;。

朝まで待てない様子だったので、とりあえず着替えて、
24時間救急対応の総合病院に行くことにした。
ここはいつぞや私が、子宮筋腫のせいで大出血をしたとき、
救急車で運ばれた病院でもあった。
今朝の主人は、救急車までは呼ばなくていい、
と言ったので、正気を保てている間に診て貰うのが得策と思い、
私は即座にタクシーを呼んだ。
そして、待つ間に今朝の経過と症状をメモにまとめ、
まさかのときのためのエチケット袋と、最近の健康診断の記録を
トートバッグに入れて、支度をした。

タクシーはすぐ来てくれて、早朝で道も空いており、順調に病院に着いた。
救急受付で症状を言うと、窓口の女性がほとんど反射的に、
石、じゃないですかねえ。検尿があると思うので、
おトイレに行かれるようでしたら、先に仰って下さいね」
と言った。
主人は悶絶までは行っていなかったが、苦痛で座っていられないというので、
彼が歩き回っている間に、問診票は私が勝手に書いて提出した。
この記入の時間短縮のために、予め作って来たメモが大いに役立った。
それからあまり待たずに名前を呼ばれた。

まずは、受付横の小さい部屋で、看護師さんの問診と体温血圧測定があった。
熱は35度5分で、低体温の主人にはいつも通りだったが、
血圧は150/100と、普段低血圧の彼にはあり得ない高さだった。
苦痛と緊張で上がっているのだろうと思われた。
普段の血圧はこうではないというのは、私の持って来た健康診断票から明らかだった。
尿管結石じゃないかと思いますね~。朝早くに来られる方、結構ありますよ」
と、ここでも言われた。やっぱりそうでございましょ(^_^;?
そこで検尿のコップを渡された。

それからほどなく診察と検査が始まり、私は待合室のベンチで待った。
途中で出てこられたお医者様のお話よると、
「血尿が出ていたら尿管結石ということで、もういいと思ったんですが、
潜血マイナスなんですよ。ですので、これからCTを撮ります。
それで石が映っていればいいんですが、なかったら動脈乖離などが怖いので
造影剤入れてみます」
とのことだった。

結局、尿検査・エコー検査・血液検査・単純CT・造影CTまでやったが、
肝心の石は画像には出てこなかった。
血液検査では肝機能関連の結果が良くなかったが、
それは以前から指摘されている脂肪肝が理由で(大汗)、
きょうの数値がいつもの値であることは、
またもや、私の持参した健康診断票の御蔭で説明がついた。
「普段から肝機能のはそうなんですね。じゃあ、いいです。
ほかの項目には、何も異常ありません」
と先生は仰った。

その他、腹部CTで観察可能な臓器には病変がなく、石も見当たらず、
胆石も虫垂炎もなく、腫れや腫瘍も見えず、血管の状態にも問題がなく、
つまり、大きな病気は無いらしいことが、判明したのみだった。
いや勿論、それは何より有り難いことだったのだが(^_^;。
ただ、右尿管の拡張と尿の鬱滞がエコーで確認できたことと、
CTで、腎臓に少し、けば立ったような像が見えたこととで、
痛みの原因はやはり、尿の流れが滞ったことだろう、という結論になった。
誰がどう見ても典型的な尿管結石の疝痛発作で、状況証拠は十分だったが、
犯人の石だけが、見つからなかった。逃走したのかもしれなかった。
付き添ってきた私のほうが実は石を飼っている、なんてシャレにならんぞ。

主人本人は、エコー検査のあと座薬を入れて貰ったことで、
後半のCT検査の頃にはすっかり痛みがおさまったのだそうで、
検査と点滴が全部終わって出てきたときには、
「痛くなくなった(^^)」と、完全に平常心を取り戻していた。
なんとなく釈然としなかったが、不明なものに治療のしようもないし、
さしあたり尿管結石への対処をして、様子を見る、ということになった。
薬は、コスパノン錠80ミリと、噸用にボルタレンサポ50ミリが出た。

さて、朝の座薬使用から既に14時間が経過した今、主人はなんともない。
「いや~、朝はシヌか思うたね」
と主人はもう全部終わったことにして安心している様子だ。
痛みの最中でもまともな受け答えをしていたくらいだから、
石はあったとしても、とても小さかったのではないかと私は思っているのだが、
果たして、あの騒動の最中に、その石は出たのか、出なかったのか。
何より、次の疝痛発作は、起こるのか、起こらないのか。

神のみぞ知る(^_^;。

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起きたら、背中に鈍い痛みがあった。
左肩胛骨の下あたりで、特定の動きのときだけ痛かったので、
どう考えても、右尿管結石の関係の放散痛ではなさそうだった。
いや、関係が全くないわけでもないかもしれなかった。
なぜなら、この筋肉痛の原因は、ここ半月ほどの、
日常的な『その場ジャンプ×100回』『その場駆け足×100回』
だろうと思われたからだ(^_^;。
日頃から運動し慣れていないうえに、肥満していて体が重いので、
早晩、脚でも痛めるのではないかと気に掛かっていたが、
下肢の関節より先に、背筋にキたようだった。

それできょうは休息をとることにして(殴)
昼過ぎから、娘の部屋に布団を敷いてごろごろして過ごした。
折良くというか折悪しくというか、外は大雨だった。
台風4号(のち、温帯低気圧)の影響で昨日から雨になり、
広島市はこの三日間、大雨洪水警報が出るほどの降り方で、
気温も急激に下がっていた。
少し前まで30度を超えていたのに、きょうなど最高気温が21度で、
涼しくて楽になったというには、変化が極端過ぎて困った。
こういうことだって、筋肉痛や神経痛には響くのだ。

きょうは夏至だそうだが、大雨のために朝から暗いし寒いし、
一年中で一番昼が長いと実感することは全くできなかった。
温まりたくて、ホットミルクティーを淹れて、飲んだ。
あまりにも非活動的な過ごし方ではあったが、
しかし、だらだらするのは本来、私の得意とするところで、
こういう日も悪くないなと雨の音を聞きながら思った。
今週は毎日用事が入っていて、私にしては忙しかったので、
きょうは久しぶりにゆっくりできたという気分だった。

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