転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



YOKA WAO First World Tour in シンガポール(Ustream)

19:15より開始されてます。

視聴料金: 無料
アーカイブ視聴も可能です(無料)。
アーカイブ視聴期間: 7月2日(月)20時~ 7月31日(火)24時

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『エリザベート』ガラ・コンサート、キャスト発表(チケットぴあ)

宝塚OGをキャストに、『エリザベート』ガラ・コンサートが行われる。
東京公演が11月6日(火)~21日(水)@東急シアターオーブ
大阪公演が11月25日(日)~12月3日(月)@梅田芸術劇場メインホール、
チケットは10月8日(月・祝)に一般発売開始とのことだ。

宝塚歌劇を観る人で、『エリザベート』に接点を持っていない人は、
最近では皆無に近いだろうと思われる。
それほどにこの演目は評価が高い。
普段の宝塚が「恥ずかしい」人も、エリザなら大丈夫だと思う(笑)。
私自身は、今となっては、さほど熱い思い入れは持っていないのだが、
それでも、初めて観たときは夢中になったものだった。
ファンなら、『ひとりエリザベート』を上演できる人も結構いるだろうし、
相方がいれば、延々とエリザの台詞で遊べるのがヅカヲタというものだ。
第406場『憂鬱 2』(はるな檸檬『ZUCCA×ZUCA』))

私の遙かな記憶では、96年に雪組で初演された頃、
少なくとも初日前からこの演目に多大な期待をしていた人は、
そんなに多くなかったように思う。
一路真輝のサヨナラという意味では、重要な公演ではあったが、
タイトルロールは娘役の花總まりのほうだったし、
銀髪ロンゲの黄泉の帝王が、最初から物凄く素敵だと考えていた人は、
当初は、(出演者のファン以外は)少数だったのではないだろうか。
これは覚悟しないと生半可なことではチケットは買えない、
というほどの緊張感は、発売前にはなかった気がする。違うだろうか。
少なくとも私自身は、いくらサヨナラとは言え、暗そうな演目だなと思い、
松江で育児中だったせいもあり、観に行かなかった。
ところがこれが、フタを開けてみたら、日を追うごとに評判が高まり、
宝塚空前の大ヒットになってしまったのだ(O_O)。
つまりこの公演は、海外人気作品の潤色という話題性や、
トップの退団という付加価値以上に、舞台そのものの魅力が強烈だった。
実際に観たことにより虜になった、という観客が多かったと思うのだ。

私は、宝塚の本公演としては、続演の96年星組版が破格に気に入っているのだが、
ミュージカルに詳しい方々からは、あれはあまり支持されていないようで残念だ。
麻路さきトートは私の中では宝塚男役の最高傑作に近いもので、
白城あやかシシィとのバランスも絶妙で、リカちゃん(紫吹淳)ルキーニも妖しくて、
どこを観てもシビれるような魅力に溢れた『エリザベート』だったと思うし、
何より、初演の雪組とは演出も細かいところで違っていて、
イケコ(小池)先生の手腕にも、ひれ伏したい気分になったものなのだが、
この件で意見の合う人には、これまであまり出会ったことがない。
どれほど総合的な出来映えが良くても、やはり音程がヤバめな公演は、
なかなか一般的には許されないものなんですかね~~(逃)。

このエリザが、宝塚歌劇として上演されるときは、
ミュージカルであり、全編、女性キャスト・女声コーラスで彩られるのだが、
衣装や舞台装置のないガラコンサートとして、音楽だけを取り出しても、
宝塚の範疇での上演に耐えられ、かつ非常に魅力的であるのが、
この演目の素晴らしいところだ。
宝塚の人気演目というだけなら、ほかにもいくつもあるが、
ガラコンサートが成立するほどのものは滅多に無いし、
興行的に毎回これほど成功するのは、『エリザベート』だけと言って良いと思う。
特に今回のは過去の出演者から選りすぐりと言って良いOGキャストに、
シメ(紫苑ゆう)さんの特出まであるとなっては、これ以上ない豪華版だろう。

今回もまた、いずれ劣らぬ名歌手揃い、純粋に歌唱を楽しめるキャストだし、
チケット争奪戦は大変なことになりそうなので、私が聴けるかどうかはわからないが、
私のファン歴を考えると、やはり、シメさんのご出演になるときに、
大阪に行ければ良いなあと今は願っている。
シメさんはこの演目が宝塚に来る前に退団してしまったのだが、
退団後のコンサートや、ディナーショーでトートの歌はたびたび取り上げ、
トート×ルドルフをひとりで演ったりなんかもして(笑)、
本当に思い入れが深い様子だったので、
このようなかたちで実現するのは素晴らしいと思う。

エリザベート スペシャル ガラ・コンサート(梅田芸術劇場)

涼紫央のフランツ・ヨーゼフ、というのも地味に楽しみだったのだが、
これは東京公演しか無いキャストのようで、残念だ。
すずみんのルドルフは、大阪でもあるので、そちらが観られれば(^^ゞ。
シメさん・すずみん、で大阪公演、となると私の場合、
狙い目は11/27(火)夜か、11/28(水)昼、ということか。
シシィは、ハナ(花總まり)ちゃんで観たいけれども、
回数的には、私は彼女のシシィは生でも既に結構観ているので、
ここは、一度も観たことのない、大鳥れいバージョンにも興味がある。
ほか、バックのキャストも葛城七穂・美郷真也・嘉月絵理・風莉じん、等々、
私に思い出を語らせたら長くなりそうな面々が名を連ねていて、素晴らしい。 

しかし、それにしても、だ。
この演目を一度でも観ようものなら、それからしばらくは、
 ♪ 顔は洗ったの~
 ♪ なまけては駄目よ
 ♪ シツケが悪いわ (♪悪い~~)
と、なぜか日常生活の鼻歌が、顕著にゾフィー皇太后になってしまうワタクシである。
初演時には赤ん坊だった娘も、既に高3、きっとこの冬は、
 ♪ おかあさまがー いじめるのー
と遊んでくれるのではないかと期待している(笑)。

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・今夜、ポゴレリチはドルトムントでリサイタルを行う予定だ
FR 29.06.2012 · 20.00 UHR Ivo PogorelichKonzerthaus Dortmund))。
曲目は来日公演のときと同じで、
前半がショパンのソナタ葬送、リストのメフィストワルツ、
後半がショパンの夜想曲13番、リストのロ短調ソナタ、となっている。
おそらくこれが彼の、今シーズン最後のリサイタルだろうから、
このプログラムに関しては、今夜が聴き納めとなるのかもしれない。
私にとっては、今まで聴いた中でも抜群に印象的なプログラムだったので、
これが終わってしまうのだとすると、本当に名残惜しい。
ああ、『どこでもドア』さえあれば、……と思わずにいられない(笑)。
彼の公演予定は、次は8月のイタリア・タオルミーナで協奏曲を一度やるだけで、
リサイタルとなると、10月のドイツ・グローニンゲンまで無いようだ。
そして、来春のザグレブではオール・ベートーヴェン、と既に発表されていて、
こっちは「『どこでもドア』さえあれば」第二弾だ(^^ゞ。

追記:ドルトムントでは、来年3月にもポゴレリチは協奏曲を弾く予定になっている。
これの前日のパリ公演から引き続いて、
チョン・ミュンフン指揮のラジオ・フランスとの共演ということだ。
短期間で二度もポゴレリチが来てくれて、ドルトムントのファンはイイな、
と思ったが、しかし来日公演だってリサイタルも協奏曲もありましたよね(^^ゞ。
http://veranstaltungen.meinestadt.de/dortmund/event-detail/29143962
Orchestre Philharmonique de Radio France,
Myung-Whun Chung (Dirigent), Ivo Pogorelich (Klavier)
Frédéric Chopin: Konzert für Klavier und Orchester Nr. 2 f-moll op. 21,
Gustav Mahler: Sinfonie Nr. 1 D-Dur



・試奏会が近づき、ハノンの30番(B/H/C dur)とそれぞれのスケール・アルペジオ、
それにツェルニーの21番しか練習できてなく、
それらも技巧的には相変わらず穴だらけで、かなり聞き苦しい出来映えのままだ。
だが今回は発表会ではなく、コンサートホールでフルコンを体験する、
という催しなので、人様に聴いて頂く内容にならなくても、さほど問題ない
(と自分では勝手に思っている・逃)。
ちゃんとした、というか、いわゆる発表会は、今年は12月の初めにあるので、
何を弾くかを考えなくてはならないのは、むしろそちらのほうだ。
シューベルトの即興曲(作品142-3)が当初、候補だったのだが、
ポゴレリチのリサイタルを聴いてから、この曲は私の中に帰って来なくなった。
別にポゴレリチがこれを弾いたわけではないのだが(汗)。
11月の来日でラドゥ・ルプーが、作品142の即興曲を全部弾く予定にしているので、
それを聴けば、私はもう一度しみじみとこの曲に向き合いたいと思うだろうか。
それともルプーが駄目押しになって、本当にこれっきりになるだろうか(爆)。


・最後に、無関係でビロウな話でアレだが、私の腸の具合は、まだよろしくは無い。
一度変になると、長いときは1週間くらいおかしいので、待つしかない。
「便秘薬のCMは女性で、下痢止めのほうは男性ばかり出てるけど、なんで?」
と娘が訊くのだが、まあ多分、それが世の中のスタンダードなのだよ。
ピンクの小粒を愛するのは女性たちで、なんとかストッパが必要なのは男性だ。
私は、出不精のくせに徒歩は平気とか、デブなのに暑がらないとか、
普段から、意味のわからないことがいろいろとある人間なので、
女だが便秘の経験がなく、朝イチ会議や商談など無くてもお腹がゴロゴロだ。
器質的異常がないのに、腸炎のような症状が断続的にあるのは、
多くの場合、過敏性腸症候群と言われる状態なのだが、これに罹りやすいのは、
人目を気にするとか、落ち込みやすい性格とか、ヘビースモーカーとか、
いくつかチェック項目があって、これまた私はどれも当てはまらないように思う。
とても大らかな人間だとは言えないが、日頃からナリもフリも構ってないし、
クヨクヨするタイプでないことも、自他共に認めるところだ。
どこまで筋の通ってない人間なんだろうか、自分(--#)。

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今朝方4時頃に腹部不快で目が覚め、
カクランというほどではなかったが、お腹がゴロゴロ言って
シンドくて寝付けず、悶々となった。
私は本来、夜眠れなくて悩むタイプの人間ではないのだが、
体調に問題のあるときだけは寝づらく、結果、睡眠不足に陥る。

そういうわけで、きょうは眠くて怠いのと、
鈍く腹痛がするのとで、一日、ヘロヘロだった。
特に出かけるような用事の無い日で、助かった(^_^;。
去年暮れの検査では器質的な異常は無かったので、
それは有り難いのだが、こうなると腸の機能異常としか言い様がなく、
薬は対症療法だし特に予防法もなく、それなりに厄介だ。


……と言いつつ、本は読んだ。
横になっている必要があり、かつ、それが可能な状況のとき、
唯一、普段と違ってとても良いのは、読書ができることだ。

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去年の秋には、こうだった、うちのポインセチアのせっちゃんだが、
あまり見苦しく繁って出窓を塞ぐので(爆)、先頃ついに剪定してやった。
「あ、サマーカット!」
と主人に言われた。犬じゃないって(^_^;。

本当は、もうとっくの昔に刈り込みをするべき時期が来ていたのだが、
いじったりして、せっちゃんに何かあったらどうしよう、
と迷って、なかなか着手できなかった。
……というか、まあ例によって単純に面倒だったわけだが(殴)、
窓辺に置けないサイズになられては、我が家で居られる場所がなく、
いよいよ選択の余地がなくなった。
で、やった。

ついでに、鉢もお着替えしました。
100円ショップのですけど(^_^;。

何度も言うが、私は植物を枯らす「炎の手を持つ暗黒大将軍」である。
私の手にかかれば、サボテンさえ枯れるのだ。
そんな私の支配下にある、食堂の出窓に居ながら、
このポインせつ子が、なぜここまで生き長らえているのか、
私にはずっと不思議で仕方が無いのだが、
一応、機嫌良くしているようなので、よくわからぬままに付き合っている。

そもそも私は、植物より動物のほうが格段に好きなのだが、
今まで飼ったり知り合ったりした、いかなる犬も猫も、
皆、私のことが嫌いで、うまく折り合えたためしがなかった。
ゴル之助に吠えられ続けた話は前に書いた通りだし、
家にいた猫のミーコちゃんは、私が名前を呼ぶだけで耳が倒れていたし、
チー子に至っては、私が休みで実家に帰ったら、具合が悪くなったりした。
また、柴犬のコロさんにしても、背中を撫でてやったら、
じわりじわりと後ずさりし、回れ右して犬小屋に入ったものだった。
何がそんなにイヤなんだ(--#)!

だのに、この、ほとんど思い入れのないポインセチアには、
私は、なぜか妙に気に入られているようなのだ。
せっちゃんが我が家に来てから、既に4年だ。
決して、朝に晩に話しかけるような飼い方をしたわけではないし、
実に適当に、水をやって育つに任せていただけだったのに、
気がつくと、こいつは、私の目の前でいつも繁っている。
このように長い付き合いになるとは、思ってもいなかった。

縁は異なものよ(違います)。

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教員養成 修士義務づけを(NHK)
『中教審=中央教育審議会の部会は、教員が多様化する学校現場の課題に対応できるよう、大学4年間の課程に加えて大学院での「修士課程」の履修を義務づけ、実践的な力をつけさせるべきとする最終報告をまとめました。』『これは、25日開かれた中教審の部会で了承されたものです。』『それによりますと、学校現場の課題が多様化し、国際化や少子高齢化など社会も変化するなか、教員養成の在り方も見直すべきだとしています。』『このため、現在の大学4年間の課程に加えて大学院での2年間の「修士課程」の履修を義務づけ、長期間、学校現場に出向いて子どもとのコミュニケーションの取り方を学ばせるなど実践的な力をつけさせるべきとしています。』『しかし、これまでの議論で委員からは、「大学4年間の教員養成の質を高めるのが先ではないか」とか「学費の負担が増し、教員をあきらめる学生が出るのではないか」など懸念の声も出ています。』『これについて、部会の委員で教員養成に詳しい十文字学園女子大学の横須賀薫学長は「経済的負担の軽減など課題は多いが、教員を目指す人が実践的な教育を受けられるよう期待したい」と話しています。』『最終報告では、現職の教員については、研修などで「修士レベル」の力をつけさせるとしていて、この夏に開かれる中教審に報告されることになっています。』

これだけの記事内容からは、審議の経過さえよくわからないので、
判断しづらいところもあるのだが、私の印象としては、
イジメや不登校への対応、モンスターペアレントのお相手などが、
学士では出来なくて、修士なら出来るようになる、
などとは、申し訳ないが、考えにくい。
修士を持つ教員が学士より勝っているのは、明らかに「学識」の点だろう。
学位は、研究業績に対して与えられるものであって、
現場においての日常の適性、もっとハッキリ言えば判断力や柔軟性、
あるいは心身のタフさ等々とは、基本的に関係がないものではないか。

教員養成系の大学院の修士課程で何を学ぶのかというと、記事によれば、
『長期間、学校現場に出向いて子どもとのコミュニケーションの取り方を学ばせる』
などと書いてあるのだが、本当にそれで何か学べるのだろうか。
転勤含めて、十年、二十年の実務経験を持つ先生方でさえも、
『多様』化する教育現場の問題では、苦労なさっているのが現状ではないのか。
大学院生が『長期間』現場に出向いた程度で、太刀打ちできるものではないと思う。
また仮に、学生にとっては何某か有益なことがあるとしても、
やたらと長期の実習生に来られたら、学校現場はひどい迷惑ではないだろうか。
正規採用でない大学院生など、なんの責任も取れない立場だし、
更に指導教官さえ必要になって、現場の先生方を圧迫するだけではないのか。
……などということは、私のような外野が勝手にイメージしているだけで、
現職の先生方ならば、これを大変良い考えだとして賛成なさるのだろうか?

もし本当に、現在の教育の諸問題に対して、
教育学の専門的研究が解決のために力を発揮するのだとすれば、
むしろ、学部卒で一旦は教員として採用された先生方が、
数年以上の経験を積んだあと、2年間休業して修士課程に行けるようにするとか、
世界各地の大学への留学できるように機会を設けるとかすれば、どうなのだろう。
現職の先生方に、現場を踏まえた上での、研究活動の場を提供するほうが、
学部の延長で修士の履修を義務づけるより、まだしも得るところがあると私は思う。
これまで、教職にある友人たち(せいぜい5人前後だが)が共通して言っていたのは、
「生活指導や校務分掌や部活に追われ、教材研究は最後で、いつも片手間」
ということだった。
彼らに、教員本来の専門教科を磨くための、年単位の機会を提供することは、
単に有益という以上に、「必要」なことではないのか。
『現職の教員については、研修などで「修士レベル」の力をつけさせる』
というのは、現実問題としてどの程度の内容なのだろうか。

だた、今ひとつだけ確実に言えるのは、
修士義務付けが実現したら、とりあえず「大学の救済」にはなる、ということだ。
教員志望の学生が皆、最低6年は在籍してくれるとなれば、
少子化に悩む大学にとっては、学生数が伸び悩んだとしても、
長くお客さんを確保できるのだから、ひとつの恩恵になるだろう。
司法試験が新制度に移行したことにしても、私など一般の目には、
法曹の質の維持よりも、法科大学院の経営への貢献が大きかったように見える。
しかし何にしても、今日の教育現場の『多様』な問題に対処するためには、
教員集団の構成員も、ある程度『多様』であったほうが良いのではないだろうか。
一律に修士で固めることが、有効な解決策であるとは、私には感じられない。

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昨日あるいは本日朝、またしてもfacebookから皆様宛に、
私の意図していないお誘いの英文メールが、届いた
かもしれません。
私と過去にメール交換のあった方はその可能性があるようです。
必要のない方は削除して下さいますよう、お願い申し上げます。

どういうときにこのメールが送信されるのか、
私には完全には把握できておりません。
昨日は、友人のひとりがfacebookのアカウントを持っているとわかったので、
その人を探そうとして、検索欄に名前を入力する作業はしたのですが、
前回のようにお友達検索用のアプリなどは使用しませんでした。

mixiやTwitterは、このような勝手な勧誘などはしないのですが、
facebookはどうも親切が過ぎ、有り難迷惑です。
特定の方を私から指定してご招待メールをお送りしたのではありませんので、
facebookへのご登録をご希望でない方は、無視・削除なさって下さい。
ご不快にお思いになった方には心よりお詫びを申し上げます。

私のSNSの使用目的は、ほぼ、ポゴレリチ関係で、
mixiとTwitterは、彼の公演案内や雑誌掲載情報などを
主として日本のファンの方々に日本語で、私から流すために登録しており、
一方、facebookには、海外からの情報を得るためと、
日本公演の模様などを私から英語で発信するために、参加しています。

今回の案内メールには、
私のphotoがUPされた云々と、英文で書かれていますが、
私に関しましては、主として上記のような使い方ですので、
facebookには、日常の写真などは一切、載せておりません。
プロフィール写真も、当ブログで使用している「猫のおひきずり風」です。

私が依頼もしていないのに、たびたび宣伝してくれるfacebookには困ったものです。
きしめん屋さんや鍼灸院の先生や転夫ころもんを、
しつこくfacebookに誘う私は、一体どういう人間なのでしょうか(泣)。


追記(6月26日):招待メールの一斉発信でお困りの方々が
私だけでなく世の中に多いことを某氏より教えて頂き、
自動送信を停止させる方法を検索し、今朝ほど、手当をしてみました。
これで効果があるかどうか、しばらく様子を見たいと思います。
しかしそれは、私が以前に既に試みた作業でしたので、今のところ半信半疑です。
まだ何か、私の気づいていない、外すべきチェックが残っているかもしれません。

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先日、7月号テキストが来た。
今年度4月開講の中国語は、6月までの三ヵ月1クールの講座だったので、
今の私には渡りに船ということで、7月からは継続しないことにした。

今年度は、5月前半にポゴレリチ来日公演を立て続けに聴いて以来、
私の生活ペースが根底から狂ってしまい、
語学なんかもう完全にどうでもいいという気分になって、
先日の仏検で首を絞められるまで(^_^;、意識があの世を浮遊していた。
傍目には全く、アホじゃなかろうか、というテイタラクだ。
10月からはこの際、講座はフランス語だけに絞ろうかとも思っている。

ホントに、5月このかた私がどれだけサボり倒して来たかを考えると、
ちょっといっぺん考え直さないと駄目じゃね?という気分だ。
これまで、あれほど語学が面白かったのに、
先月からどうも私は志向そのものが変になって、
それまで夢中になっていたことのいろいろが、どこかへ行ってしまった。
最近、ようやく僅かながら復調しつつある自覚があるので、
なんとかして、早く元の状態にまで戻したいと、今は思っている。
ほんまにもう、一回ヤクやったら効き過ぎて後が大変……(爆)。

**************

ときに、ここ数日、私は老眼が進んだことを実感した。
昨日の朝、どうもパソコンの画面が見づらいと感じたので、
これまで文字を書くときだけ使っていた、
「中近」レンズのメガネをかけてみたら、格段にラクになった。
しかも、「中近」メガネのままで遠くを見ても、さほど不自由が無かった。
つまり、いつのまにか、私は近眼なりに老眼が進んできて、
以前よりずっと、遠くで焦点が合うようになっていたらしかった。

実家の母が、やはり子供の頃から0.1も見えない近視だったのだが、
中年から初老にかけて、だんだんと近視のメガネが要らなくなり、
しまいに視力検査板の0.6くらいまで回復したことを、そういえば思い出した。
そして母は、50代の頃は、乱視と老眼だけで度数を合わせたメガネを
外出のときに使っていたが、どうも考えてみるに、最近の母は、
もうそれさえ、必要ないのか面倒になったのか知らないが、やめてしまって、
新聞を読むときなどに老眼鏡だけ使っているように思われる。

私も、ついには、ああなるのかね(^_^;。

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堅実な一ヵ月だった
遠征どころか地元の演奏会にさえ全く出かけないまま、
6月が終わろうとしている。
世の中には素晴らしい演奏会が数多くあっただろうに、と思うのだが、
私は先月半ば以来、頭が半壊になり、新たなものを必要としなくなったのだ。
もっとも、私が道楽で出歩かないことそれ自体は、
経済的・家庭的に悪いことは何ひとつ無いし、
このところの、変動の少ない穏やかな毎日は、家族に歓迎されている。
このまま行くと、私の演奏会活動復帰の第一回は、
来月6日の、ベルリン交響楽団@ALSOKホールになりそうだ。
これは今年の1月終わり頃に、曲目を目当てにチケットを買ったもので、
ピアノではないし、結果論だが適切な巡り合わせになったような気がする。
良い演奏会だったら、もしかしてしばらく弦に夢中になれるかも(笑)。

やや頭打ち
mixiアプリのゲーム類を、私はそれなりに真面目にやって来たのだが、
ここに来て、下火になりつつある。
サンシャイン・ワイナリー』は、無料では楽しみにくくなる一方だ。
例えば、ワイン醸造のためのタルを修理するパーツを、
同じゲームをやっているmixi仲間同士で送り合うことが出来るのだが、
レベルが上がるほどに、タルがしょっちゅう壊れるようになり、
お仲間のご厚意だけでは、修理用の板も釘もベルトも足りなくなって来た。
手持ちの道具がないときにタルが壊れたら、有料で修理するか、
そのまま放置して、お仲間から道具が送られてくるのを待つしかない。
また、季節ものやら何やらレアものワイン製造のイベントが多いのだが、
これらもある程度の投資をしないと、コンプリートは不可能だと体験的に悟った。
いくらか経験を積んだので、どうすればレベルが上がるかは理解できたが、
お金を出さないとそれは実現できない、ということもよくわかったわけだ。
サンシャイン牧場』も続いてはいるのだが、似たような状況だ。
結局、どこまでもタダで遊ばせて貰おうというのが、いかんのか(^_^;。
マジカル・ファーム2』は地味に楽しんでいたが、先月終わり頃、
突然パソコンからログインできなくなり、携帯からしか見られなくなった。
コミュニティサイトを見たら、バグ報告は管理者に届いているようなのだが、
放置なのか方法がないのか、この一ヵ月、改善が全くない。
私は目が非常に悪いので、携帯の画面では操作に限度があり、
最近はあまり見に行かなくなった。
唯一、『まちつく!mixi版』だけは、さしたる変化なく淡々と続いている。
現在、人口24939人、私は依然として「大統領」である(笑)。

転夫ころもん道楽日記
この週末は、主人が東京に所用で行っている。
用事が済んだら、もちろん美術館を巡り、蕎麦屋をハシゴし、
夜は多分、どこかのレストランに行くのだろう。
主人がそういうタイプであることを、私は本当に好ましく思っている。
自分の楽しみのためには、自分で計画して自分だけで行動する。
私もそういう人間なので、主人の遊び方は大変よく理解できるのだ。
そして私は、家を出た主人のことは、一切追求しないことにしている。
綺麗に言えば「信用している」のだと思って貰ってもよいが、
実のところ「関心がない」に近い(殴)。
どこかのマエストロみたいに、どこへ行くにも妻の付き添いを要求する夫は、
私には無理だね(爆)。
その転夫ころもんは、寝坊で怠惰な私とは違って勤勉なので、
時間はひとときも無駄にしたくないとばかり、昨日は始発で広島を発った。
努力の甲斐あって、東京には朝10時には到着したようだ。というのも、
さすが東京!頭にリボンのおっさんハケーン!!
というメールが10時11分に来たから、わかったのだ。
以前はよく、トイレで手を洗わないおっさんハケーン報告を送って来たものだが、
毎回毎回、心躍る発見があるようで、まことに結構なことである(^_^;。

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拙サイトにおいで下さっている皆様に、心よりお礼を申し上げます。

このたび、私設ポゴレリチファンサイトの名称として、
『Ivo at the Ivories』を使用することに変更しました。
2004年以降、ポゴレリチ情報ブログのほうで使用してきたタイトルでしたが、
今後は本家のサイトと情報ブログとの共用としたいと思います。

開設当初は、拙サイトへは、ポゴレリチを調べる方よりも、
「転妻よしこ」のお友達関係で来て下さる方が中心で、
私の集めたものを趣味的に並べた場所という意味で、
サイト名を『The Showcase』にしていたのですが、
最近は、アクセス解析を見ても、完全に、
「ポゴレリチ」「ポゴレリッチ」で検索して
おいで下さる方が大半となりました。
またgoogle等の検索エンジンでも、
ほかにポゴレリチ関連サイトが少ないという事情もあり、
当サイトがかなり上位にヒットするようになりました。
ですので、サイトの名称にも彼の名を入れることに致しました。

『The Showcase』のほうでリンク等作成して下さっている方が
もしいらっしゃいましたら、大変お手数をおかけしますが、
変更をして頂けましたらと思います。

『Ivo at the Ivories』というのは、
1981年にポゴレリチがカーネギーホールでデビュー・リサイタルを行った際、
現地ジャーナリストのビル・ザカリアゼンがつけた見出しから拝借しました。
『Ivory』(アイヴォリー)は「象牙」です。
今でこそ減りましたが、かつてピアノの鍵盤は天然の象牙でした。
『Ivo at the ivories』とは、『Ivo at the piano』の意味です。
自分のすべてを捧げて音楽に打ち込むと常に語っている彼の名が、
「ピアノ」の一部になっているのは、まさに象徴的であると思います。

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