転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



水曜日に舅姑のお墓の掃除&墓参り、
木曜日は一日かけて山奥の実家訪問、
金曜日には朝から舅宅掃除&草抜き&ゴミ出し
そして本日土曜日、舅宅にて(お盆には遅れたが)法要。

「じー&ばー」シリーズ四連ちゃんの今週だった。
無事に終えることができた。ありがとうございました。
どっちの「じー&ばー」にも、大学生になった娘を見せることができた。

つつつ疲れたorz

Trackback ( 0 )




いつもお世話になっているお寺の若院さんに、明日、舅宅まで来て頂くので、
きょうは事前準備と掃除のために、朝から佐伯区方面に行った。
東シナ海にいる台風15号が、徐々に近づいて来ているということで
yahoo!の天気予報でもきょうは昼には崩れると書いてあったので、
なるべく早く行って午前中に外掃除を終えようと、
今朝は7時過ぎに家を出た。

本日のミッションは、
・庭掃除、草抜きをする
・可燃ゴミを収集場所に持って行く
・仏間を中心に掃除機をかける
・仏間の床の間や棚などを拭く
・仏花とお菓子をお供えする
・時計やリモコン類の電池を点検、必要あれば取り替える
の6つだった。

残念なことに、家を出てすぐから雨が降り始め、
先に仏花を買っておこうかと近所のコンビニに寄ったときには、
傘を求める出勤途中の人達がレジで列を作っていた。
誰しもこんな朝早くから大雨になるとは予想していなかったのだろう。
雨はどんどん強くなり、このままでは私もズブ濡れだし花も駄目になる、
と思って、途中から観念してタクシーに乗った。

舅宅に着いて、この雨ではとりあえず仏間の掃除からするしかないか、
と思って、掃除機を出したあたりで、少し雨音が弱まった。
出てみると、さきほどよりはずっと小雨になっていたので、
これ幸いと私は予定を変更して、まずは可燃ゴミを出しに行くことにした。
ゴミの収集時刻より早くにこの家に到着していることは稀なので、
これまで、来て掃除をしてはゴミを袋に入れて置いたものが
結構たまっていたのだ。
傘をさしてゴミ収集場所まで五往復して(爆)
家のゴミや外の落ち葉を入れていた袋を出しに行った。

それが終わる頃から、更に雨が静かになり、やがてやんだ。
なんと、このタイミングで、あれほど激しかった雨がやむとは!
私は心から有り難く思い、庭掃除に着手した。
植木屋さんがお盆前に除草して下さっていたので、
きょうは目についた雑草を抜き、落ち葉を掃き集めただけで、
随分と家全体が明るくなり、蘇った雰囲気になった。
その作業が終わる頃、また雨が落ちてきたので、
そのあとは車庫の掃除に取りかかった。
若院さんはいつも自家用車で来られるので、
ガレージも綺麗にしておく必要があったのだ。
ここは一応の屋根がついているので、雨が降っても掃除ができた。

そうこうするうち、雨足は再び強まって、
すぐにまた元の大雨の状態に戻ってしまったので、
車庫内を片付けたあとは、専ら家の中の掃除に専念した。
家の一階部分に掃除機をかけ、仏間を拭き掃除して、
仏壇も、香炉やおリンや火立など全部おろして、
経机や格段を拭いて埃を取った。
仏さんは、舅が掃除専用に決めていた小筆でそっと払った。
床の間や飾り棚も全部、雑巾で拭いた。
仏壇の中はともかくとして、そのほかはどこもかしこも、
埃その他でヒドい汚れ方だった(涙)。
最後に仏壇に戻って、持って来た仏花とお菓子を供え、
灯籠の電気が切れていないことも確認して、一旦扉を閉めた。
あとは、明日のお勤めの時間までこのまま待つだけだ。

三つある掛け時計のうち二つはとっくに電池切れで止まっていたので、
それらも取り替えた。
仏間のエアコンは稼働させることができたが、
居間のほうはリモコンが電池切れで画面表示が薄くなっていて(汗)
反応したりしなかったりする状態だったので、
こちらも電池を交換した(ら、突然エアコンが元気になって
ONにしたつもりもないのに冷房を始めてくれて、ビックリした)。

気がつくと時刻は午前11時になるところで、
この頃には稲妻が光って雷が鳴り、外は本格的に土砂降りになっていた。
吹き抜けの高い位置にある窓からは、外の木が風になびいているのが見えた。
やはり台風は近づいて来ているようだった。
僅か一時間ちょっとくらい前には庭掃除ができたのに、
雨があがったのは、あのときのほんの30分かそこらの間だけだったのだ。
「ほれっっ、今じゃ、掃除せえ!」という、じーちゃんの執念か……。

ともあれミッション・コンプリート、
……どころか、予想以上の成果であった(笑)。
この悪天候にも関わらず、外掃除も含めてすべて予定したことが完了できた。
じーちゃん、ありがとうございましたっ。

では、また明日来ます。

Trackback ( 0 )




昨日は舅姑のお墓に行ったわけだが、
きょうは朝から娘と一緒に、食料その他を買い物して、
もう一軒の「じー&ばー」宅、――山奥の私の実家へ行った。
娘を伴って行くのは本当に久しぶりだった。
ここの家にも墓所はあるが、山のてっぺんで行きたくない(殴)ので
実家の神棚に参ってお供えのお菓子を置いて来た。

母は、もはや寝たきりどころか、きちんと服を着ていて、
家の中ならばだいたい普通に過ごせるようになっていたが、
右膝にだけ痛みがあるので、外出はしていないと言っていた。
父のほうは特に変わったところはないようだったが、
私が半日ほどいた間に、食事以外にあんパンを3つ食べていたように見えた。
何年か前に糖尿病だとか言っていたのは、どうなったんだ(^_^;???

ともあれ、大学生になった孫娘に会えたことを、
二人ともとても喜んでくれた。
例によって例のごとく、大音量のテレビの部屋で四人で喋るのは
私にとってはなかなか大変だった(苦笑)。

消耗した私は今、半端なく眠い。限界だ。
そして明日は舅宅の掃除に行き、草抜きをし、
お仏壇まわりを綺麗にして、明後日の法要に備える予定だ。
天気さえ良ければ。

Trackback ( 0 )




やっと舅姑のお墓の掃除&お墓参りに行った。
お盆直前に行った後から、娘が帰省して私の生活も変わってしまい、
半月ほどじーちゃん&ばーちゃんのところへはご無沙汰してしまった。
きょうは墓石を拭いて蝋燭も取り替えて、お花を供えてお参りした。
前回来た頃より明らかに陽射しが和らぎ、ツクツクボウシが鳴いていて、
墓所はすっかり晩夏の雰囲気になっていた。

この週末には、いつものお寺の若院さんに
舅宅でお経をあげて頂くことになっているので、
私は明日か明後日のうちに舅宅の掃除にも行かねばならない。
草抜きだけは植木屋さんに先日して頂いたので、
最悪のジャングル状態からは既に脱却できているのだが、
やはり毎日の落ち葉もあるし、事前の掃除は必要だ。
ちょうどいい、この際、娘を動員しよう(笑)。

*********

帰りに本屋に寄って、ふと目についたので、
岩村暢子『普通の家族がいちばん怖い』(新潮文庫)を買った。

クリスマスツリーを飾ることには熱心でも、クリスマス料理は出来合い、
お節料理など家では作ったことがなく、お正月にはお屠蘇もお雑煮もなく、
元旦は家族がばらばらに起きてきて、それぞれしたいことをして過ごす、
……などと、ここで語られる家族像は、我が家によく似ているなあ(爆)、
と思えたので、興味を覚えてこの本を選んだのだ。
私は自分がヒドい人間であり、我が家が非常識な家庭だという自覚が
以前から結構あって、自分の現状はさぞかし話題性があるだろうと、
この日記にもときどきそういうテイタラクについて書いていたのだが、
料理をせず道楽だけしているというのは、実は世間によくある『普通』のことで、
本当は誰も驚いていなかったらしいことを知り、ちょっとガッカリした(爆)。

主婦たちのアンケートの答えや、掲載されている写真には、
「まさに私がコレだな」と思い当たるフシもあれば、
逆に「なんぼなんでも、それはないやろ」と呆れた部分もあって、
現代家族を描写する、なかなか面白い調査だというのは理解できたのだが、
私の最終的な読後感はamazonのもなかさんのレビューに近かった。
著者は『この本は「日本の伝統行事を大事にしましょう」とか
「昔ながらのやり方で手作りしましょう」と言っている本ではない』
と文庫版のための後書きに書いているのだが、
著者がわざわざそう断らなければならないということは、
それほど多くの人が、この本をそうした方向で読んだということだろう。
私自身、「昔ながらの伝統的お節さえ作れない今時主婦はダメ主婦」
と言っている本、という印象を持ったし、
むしろ後書きを読んで「そういうつもりが無かった、とは……?」
とかえって困惑させられた。

確かに、料理の仕方について揚げ足を取ることそのものが趣旨ではなくて、
このようなクリスマスやお正月の過ごし方の根底に現代家族の抱える問題がある、
ということが言いたいのだというのは理解できるのだが、
この本の手法は、一種の吊し上げになっていると思う。
伝統行事を大切にしない・昔ながらのやり方で手作りしていないという
膨大な具体例を挙げて、著者はそうした主婦たちの自己中心を非難し、
著者の生育歴や価値観を基準として、若い世代を断罪している。
クリスマス準備やお節の作り方が昔ながらのものとは違っていても、
「私中心」でない・「一緒にいら」れる、好ましさのある家族の例は、
本文には出て来ない(文庫版後書きで語られる筆者自身の娘さんの例についてのみ、
少し、こういう視点が感じられなくもないけれど)。
このような言葉遣いや表現のニュアンスから、著者の意図しない方向に
読み手が誘導される可能性が高いということについて、
後書きに見る限り、著者は無自覚であったということなのだろうと思うのだが、
確信犯だったのだとしたら、それはそれで、あんまり好きな書き方ではないな(^_^;。

もしこれが、著者の主張は途中まで見せないように文章表現を抑え、
場合によっては、読み手に
「なるほど、今時はここまで価値観も変わったということなのだな」
「時代が変わるというのは、こういうことでもあるのか」
等々と、主婦達の本音に一瞬の理解あるいは共感(の錯覚)さえ
抱かせることに成功したものだったら、
そして最終章で初めて著者の分析なり立場なりが明かされたのであったら、
本当の意味で、『普通の家族がいちばん怖い』と
読者に思わせることができたのではないかと思う。
アンケート結果を紹介する章では解釈は交えず、
ひらたく言えば「責める」口調にならない表現を徹底して使って、
最後の章になってから、一気に種明かしをして結論に持って行く、
……という構成のほうが、私自身は趣味に合う(^_^;。……と思った。

Trackback ( 0 )




「アイーダ」東京ドーム公演中止 チケット販売低迷で(朝日新聞)
『【神庭亮介】東京ドームで9月17~18日に予定されていたオペラ「アイーダ」(読売新聞社、オペラアイーダ実行委員会主催)が中止になった。関係者によると、チケットの売れ行きが低迷する一方、予算が当初の想定以上に膨らみ、採算がとれなくなったという。チケット代金は、プレイガイドを通じて全額払い戻す。』『中止になったオペラは、北イタリアにあるベローナ劇場の引っ越し公演。映画監督としても知られるフランコ・ゼフィレッリが演出、ベローナ劇場常任指揮者のダニエル・オーレンが指揮を務める予定だった。出演者にも、将軍ラダメス役のロベルト・アラーニャや、王女アイーダ役のフィオレンツァ・チェドリンスら人気歌手が名を連ねていた。』

宝塚ファン的には、これ、わたるちゃんのラダメスですんで(殴)。
新公は、れおん(柚希礼音)くんだったよね。
とうこ(安蘭けい)ちゃんがアイーダで、
ダン(檀れい)ちゃんのアムネリスが、それはそれは綺麗だったよねぇ…
(宝塚歌劇団2003年星組公演『王家に捧ぐ歌』)。

……という話は、ともかくとして。
記事だけ読むと、やっぱ不景気なのかね~と思うところだが、
調べてみたらこのオペラ、値段が凄かった。
一番高い席がなんと7万円!!
そのあとが、5万円、3万円、1万8千円、8千円。
歌舞伎座の○月大歌舞伎などでも三等Bを手に入れるのが最も難しいが、
ここでもやはり1万8千円と8千円の席が激戦区だったのだろうか(^_^;。
シんでも聴きたいようなマニアは別として、
「いっぺんオペラ観てみたいな~と思って」
という程度の聴き手は、これでは到底手が出せないだろう。

『世界のどこよりも日本の音楽会のチケットは高い、
あんな値段だからクラシック音楽が普及しないのだ、
もっと気軽に聴ける演奏会でなくてはいけない』、
……とバブルの頃にヨーロッパ帰りの友人が言っていたものだが、
あれから、そのあたりは改善されたと言えるのだろうか。
私はオペラを聴かないし海外に行ったこともほとんどないので、
どうも相場がよくわからないのだが、
こういう企画の場合、7万円、5万円、あたりの設定は、
欧米の感覚で言うと、「アリ」なのか???

しかし、このニュースが私の目を引いたのは、実はそれが理由ではなかった。
『ベローナ劇場常任指揮者のダニエル・オーレンが指揮を務める予定だった』、
だ、ダニエル・オーレンだと!!
私は、この人の名前を四半世紀前から知っている!!
こんなところでお目にかかろうとは。
そうだったのか、ベローナ劇場常任指揮者……。
ダニエル・オーレン(指揮)(2013 Opera AIDA in Tokyo Dome)

オペラを聴かない私が、どうして彼の名前でこんなに盛り上がったか。
それは、……言うまでもない、ポゴレリチが彼を褒めていたからだ。
81年6月、ロンドンにおける、中矢一義氏によるインタビューの中で、
初来日前だった若きポゴレリチは、『理想的な型での共演の経験』として
ダニエル・オーレンと協奏曲を作り上げたときのことを語ったのだ。
以下、当時の記事から、ポゴレリチの言葉を引用すると――

『すばらしい指揮者がいます。ダニエル・オレンといって25歳。16歳のときにカラヤン・コンクールに入賞した男です。1978年彼が22歳、ぼくが18歳の折りに一度共演したことがあります。彼のマネージャーは彼を気違いだと言って嫌っています。やたらリハーサルの時間を要求するからです。そのときも、メンデルスゾーンのコンチェルトをやりましたが、最初のリハーサルは、第二楽章だけで四時間かけました。そのお蔭で、その後はピッタリと寄り添うことができました。第二楽章だけで四時間ですからね。とても要求の厳しい指揮者ですが、ぼくはそういうタイプの音楽家が好きです』(レコード芸術1981年9月号p.242)

年号や数字などが極めて正確で、実にポゴレリチらしい喋り方だ。
念入りの極みのようなポゴレリチが、これほど感銘を受けたとは、
オーレンはよくよくの指揮者だったのだということがよくわかる(汗)。
おそらく今も、妥協を知らない指揮者であり続けているであろうオーレンは、
今回、どのようなアイーダを作り上げるつもりだっただろうか。
純粋に音楽という面からは、公演中止というのは、
やはり大変残念な出来事だったと(私のような者でも・殴)思う。

Trackback ( 0 )




『転夫、逆流性食道炎(疑)』編

ここ半月ばかり、主人が「ごほん!」「ごほん!」と
時折思い出したように勢いの良い咳払いをするのが、
私は少し、気に掛かっていた。
最初は風邪かアレルギーか?と思っていたのだが、
症状はその間遠な咳だけで、咳き込むというのとも違った。
それで昨夜、どういう具合なのか尋ねてみたらば。
「なんか、むせる感じ?嚥下機能に問題あるんかね?」
と主人はさほど気にしているふうでもなく言った。

思い返してみると、そういえば主人は先月の初め頃、
「あんまり胃の具合が良ぅないんよ~」
と言ったことがあった。
しかしこの人の胃の不調は割と一年中よくあることで、
しかもその『不調』の中身というのは大抵、
「昔は5人前食えたが、今は3人前でもキツい」
とかいうレベルの話だったので、私はまともに取り合っていなかった。
今回だって、先月初め以後は特に何も言わず、相変わらず御飯をおかわりし、
ビールもワインも飲み、山ほど食って満足そうにしていたので、
私はいつもと同じく、あまり真剣に考えていなかったのだ。
だが、胃部不快感とともに咳払いがセットとなると、
やはりそれは確かに胃が悪いのに違いなかった。
というか、これこそ今ハヤリの逆流性食道炎ではあるまいか。
呑酸、ってヤツか」
とそばで話を聞いていた娘が言った。
 
転妻「どんさん?」
転娘「酸を呑む、って書くの。この頃よくテレビでやりよるよ」

そうなのか。
逆流性食道炎はテレビコマーシャルでも宣伝されていたのか。

ということで、今朝は主人を地元の内科に案内した。
いつも私が自分の血圧の相談に行っているクリニックだ。
果たして先生は、「胃が重い」「ゲップが多い」「むせたような咳がでる」、
等々という主人の訴えを聞き、
「典型的な逆流性食道炎の症状ですな」
と仰った。
カルテを見ると、何年か前の初診時の記録があり、
そこには既に『逆流性食道炎』と先生ご自身が書き込まれた跡があった。
主人も私もすっかり忘れていたが、前にもこのようなことはあったらしい。

一応、昨年秋の人間ドックの結果票は私が持参していたので、
胃バリウム検査で異常がないことはそこに記録されていたのだが、
先生はそれらのデータをカルテに書き写しながら、
「ま、できたら内視鏡検査をいっぺんやっとかれるといいんですがね」
と仰った。
それに対し、主人は「イヤです」ととてもわかりやすい返答をした(爆)。
それで、とりあえず逆流性食道炎の治療薬を二種類処方して頂くことになった。
「二週間分出しときますから。これで良くなかったら、検査行って下さい」


『転妻、排石後フォローアップ』編

夕方は、私の尿管結石の退院後初診察があった。
退院して二週間ちょっと経っていたが、
お馴染みの例の総合病院で、何も珍しいことはなかった。

ここの泌尿器科は、ESWL(体外衝撃波)で治療した結石患者は、
退院時は飽くまでも「軽快退院」という扱いにしていて、
退院後二週間目と四週間目にフォローアップ診察を行い、
特に四週目のほうの画像診断で問題がなければ、初めて完治と見なす、
という段取りになっている。
きょうは、行くと尿検査があり、結果、何も所見はなかったのだが、
「じゃ、二週間後にレントゲン撮って、それで残ってなかったら、
もういいと思いますんで」
と先生は機械的に仰った。
やっぱりそうなるのか(T_T)。
これって、4月12日の診察のときとまるっきり同じだ。
3月の初回治療と違って、今回の入院は追加治療だったから、
もしかしたらきょうでもう、無罪放免になるかと
私はちょっと期待していたのだが、甘かったようだ。

尿検査および先生との1分間日本語会話のみで、本日の支払い740円。
いいんだいいんだ、ここまでなおして貰ったんだから(涙)。

Trackback ( 0 )




第30回 中国ユース音楽コンクール『ピアノ部門』の
本選2日目(中学・高校の部)を聴きに行った
(@西区民文化センターホール)。
このコンクールは毎年、地元の中国新聞社主催で行われており、
今年はちょうど節目の第30回だった。
毎年、6月に広島・呉・三原・福山・三次・岩国・松江で予選があり、
そこで表彰された生徒さん達のうち、金賞の区分であった人達が、
8月下旬の土曜日・日曜日に開催される本選に進むという順序で、
今年は、本選初日の昨日は小学生64人が、
2日目のきょうは中高生32人が出場・演奏した。

中国ユースは、昭和59年に第一回が行われているので、
歴代入賞者には、現在は演奏家や指導者として活躍されている方々の
御名前を見つけることができるし、
今回中高生部門に出場している生徒さんも、小学校の低学年の頃から
幾度もこのコンクールに参加し、上位入賞を重ねて来ていることがわかる。
全国大会に繋がるような組織の大きなコンクールではないが、
志ある生徒さんにとって、地元での出発の場となるコンクールだと思う。

私は今年は、本選2日目である今日だけを聴いたのだが、
11日の『広島サマーコンサート』に出演していた高校生を何人か見かけた。
先だってのステージは、良いリハーサルだったということかもしれない。
あれから二週間の間に、一段と成長した雰囲気の生徒さんもあったし、
サマーコンサートで弾かなかった曲をきょう弾いた意欲的な生徒さんもあり、
やはり若い人の演奏は、伸びて行く力を感じさせてくれて、
とても良いなあと聴きながら思った。
また、本日の特別審査員・青柳いづみこ氏の、表彰式前の全体講評は、
私のように聴くだけの側にいる者にとっても、大変に興味深いものだった
(ベートーヴェンのソナタ、特に18番などには、
彼が後に書くことになる交響曲の編成を聴き取ることができる、とか、
ドビュッシーのパスピエは、舞曲本来の3拍子でなく4/4拍子指定だが、
構成としては2/2拍子と捕らえることも可能、等々)。

生徒さんたちに関して、ひとつ、観ていて考えさせられたのは、
ステージマナー、とりわけお辞儀の仕方だった。
演奏者は、弾く前と弾いた後と、それぞれ客席に向かって頭を下げるわけだが、
高校生くらいになったら、大人の演奏家としての振る舞い方を、
あとでビデオなどで自分の映像を観て、各自研究してみてはどうだろうと思った。
勿論、本選に来るくらいの生徒さんなので、先生方のご指導が厳しいと見え、
胃の前で指先だけ重ね、肘を張って頷くスタイルの人は今日は居なかったが
(あれはスーパーのレジの人みたいなので演奏会の場では勘弁して欲しい)、
女の子たちは特に、せっかくフォーマルドレスを着ているのだから、
エレガントなお辞儀の仕方を、自分なりに身につけて欲しいものだと思った。
勝負は演奏でするとは言え、ステージに出ている以上、
視覚的な要素も無視できないので、印象が良いに越したことはないのだ。
柔軟な学生時代のうちに、自分なりのマナーを確立しておくのが良いのではと
草葉の陰、…じゃない、椅子の陰からこっそりと私は思いましたね(笑)。

ともあれ、そういうわけで私はきょう、
出場者の誰とも直接には顔見知りでなく、
また出場者の師事する先生方のこともほとんど知らず、
ただの近所のオバちゃん、という聴き手だったのだが(笑)、
午前11時から午後4時半まで、実に楽しく過ごさせて貰った。
コンクール関係者、審査員の先生方は勿論のこと、
出場者の生徒さん全員にも、心から御礼を言いたいと思う。
まったく充実した日曜日だった。ありがとうございました(^^)。

Trackback ( 0 )




・大雨警報が出ていて、広島の市街地もほぼ一日、雨だった。
我が家は誰も行く予定はなかったが本日のマツダスタジアムでは
広島×ヤクルトが18:00PBとなっていて、
しかしまあ、警報が出ているのだから中止だよねと家で言っていたら、
これがいつになっても中止の告知がなく、なんと結局予定通り始まった。
すんません。思いっきりナメてました。
しかも試合開始時間にだけ、雨が上がっていたという……。
恐るべし、松田オーナー(逃)。
結果は、広島9-2ヤクルト、カープは現在リーグ3位につけている。
借金10近い状態で3位だなんて、こんな見苦しい話があっていいのか(--#)。
これで今年、最終的にうっかりAクラスに入ってしまったりしようものなら、
監督の交代劇も無いだろうし、カープの暗黒の十年が始まることになる、
……と転夫ころもんは今、本気で憂えている。

・最近、片岡愛之助をテレビ等で頻繁に見かけるようになった。
歌舞伎での活躍はわかっていたが、バラエティ番組や雑誌記事で
彼の名を見る回数が、このところ急に増えたという印象があった。
私は二十年くらい前に、愛之助の舞台姿は孝夫(仁左衛門)にそっくりだ、
と驚いたことがあって、これはもしかしたら次代の仁左衛門は愛之助?
などと当時考えたものだったが、ここに来てその思いを新たにした。
少なくとも全くあり得ないという話ではないのではないか。
「愛之助、よく出てるね~。松竹もプッシュしているのかね?」
と私が何気なく言ったら、主人が、
「なんしろ『半返し』が大当たりしとるけ」
と言った。
……だいぶ足りてへんけど、勿論わかっとぅで。
『半沢直樹』の『倍返し』な。

Trackback ( 0 )




有り難いことに何も予定のない日だったので、鍼治療を受けに行った。
もともと肩凝りになりやすいという自覚はあったのだが、
最近は特に、痛くなるのは左肩から後頭部にかけてのことが多く、
更に今月上旬からは、左耳の後ろあたりにも鈍痛が出ていた。
また、左側に顎関節症の気配があることも、以前からわかっていたので、
まとめると、「左側・肩から後ろ首、後頭部」をほぐしたい、
というのが本日の私の希望だった。

「頚ですね」
と先生は仰った。
「頚から出ているルートがいくつかあって、肩にも繋がっているし、
顎にも行っているし、脚のほうに伸びているものもあります」
言われてみればそれはとても納得のいくことで、
私が訴えているのは確かに、頚を中心とした左側のあちこちの痛みであり、
また、左足の外くるぶしのところには、
今も不定期に痛みの出る、かつて剥離骨折跡があるのだった。
「体の歪みがあると、そういう繋がったところにいろいろ波及します。
顎はとくに関節としても弱りやすいので、放っておかないほうがいい。
頭痛とか脚の筋肉痛は自分でなおって来ますが、顎は治療が要ります」

「ほかに気になっているところありますか。どこでも」
と先生が訊いて下さったので、私は右膝もやや痛いということを言った。
さほど痛いわけではないのだが、体重をかけると右膝にだけ鈍痛があった。
尤もこのほうは単純で、どうして傷めたかも明白だった。
右尿管結石で悩んでいた3ヶ月間、なんとか自力排石しようとして、
右側に特に体重をかけてジャンプしたり階段を駆け下りたりしたので、
負荷がかかり過ぎて、膝にキたのだ。
「ふ」
と、先生は私の説明を聞いてウケて下さった(笑)。

ということで、1時間ほど鍼を打って頂いた。
最初は左側の肩・首・顎の周辺・こめかみ・後頭部、
次に右側の肩・首・側頭部・後頭部、それについでに(^_^;右膝の表と裏、
というふうに鍼を打ってしばらく置き、それから仰向けになって休んで、
最後に、右脚と、両肩・頭部のマッサージをして頂いた。
私は体質的に鍼が合うので、治療後は格段に痛みが和らぎ、
気怠く眠たくなって、とても気持ちが良くなった。
やはり鍼治療は全身リラックスできて良いなあと思った。
できれば来週も行こう。

ちなみにきょうの晩ご飯は、気怠い私の代わりに娘が、
鮭のホイル焼きを作ってくれたので、これまた極楽であった。

Trackback ( 0 )




・娘の高校時代のテストや模試を処分させた。
捨て損なった答案や問題用紙が娘の部屋には山ほどあり、
このほど、やっと本人が帰ってきたので、選り分けをさせることができた。
大半はゴミ箱行きになったが、センター入試その他、本番のときの問題用紙は
なんとなくまだ記念に取っておきたい気がするらしくて、
娘はそれらをゴミとは別によけて、封筒に入れていた。

・娘が服を買いたいというので、夕方からユニクロへ行った。
夏物がセールになっていて、ジャケット990円という特価品があり、
娘が喜んで選んだ(笑)。
実に良い買い物だった。

**************

歌手の藤圭子さんが亡くなったという報道で、きょうは驚いた。
私は世代的に藤圭子さんの活動をよく覚えているので、
まだ62歳というご年齢だし、俄には信じられない気がした。

それで改めて思い出していたのだが、71年に放映されたアニメの
『さすらいの太陽』は、確か藤圭子さんをモデルにした作品だった。
さすらいの太陽(Wikipedia)
芸能界をテーマにしたアニメはほかに無かったし、
毎週楽しみにして観ていた記憶がある。

その主題歌、というか番組のエンディングに使われていた歌は、
最近でも私の鼻歌(^_^;になることが時々あったのだが、
この機会にと思って検索してみたら、
『心のうた』というタイトルだったことがわかった。
さすらいの太陽 「心のうた」 堀江美都子(YouTube)
ちなみに、この歌は最初、ヒロイン峰のぞみ役の
藤山ジュンコさんご本人が歌われたものが使用されていたらしいのだが、
シーズンの中頃から、堀江美都子版になった。
私が記憶しているのも、歌詞内容からしてこちらのほうだと思う。

今でも覚えているのだが、物語の中で、歌手を目指す主人公・峰のぞみが、
師匠である作曲家の男性に命じられて、海女の修行をする場面があった。
海に潜ることで肺活量が豊かになり、歌の表現力も高まる、
というような説明がなされていたと思う(←曖昧)。
このヒロインは今から40年以上前に、既に「あまちゃん」だったのだ。
「じぇじぇじぇ!」と言ったかどうか知らないが…。

そういえば調べてみたら藤圭子さんも岩手の出身だと書いてあった。
『さすらいの太陽』という作品が、どの程度、
藤圭子さんご本人の実話に基づいていたのかはわからないが、
峰のぞみの歌の力は、幼かった私にとってさえも実に印象的だった。
とても古いアニメ作品ではあるが、機会があればもう一度、
観てみたいなと今日は思った。

Trackback ( 0 )



« 前ページ