先日、ネットで出会った記事を斜め読みしていたら、
Artificial General Intelligence(人工汎用知能)と芸術について書いてあった。
たとえば音楽史や各時代の作品、技法、様式等を細かく学習させれば
「バッハの新曲」「モーツァルトの変奏曲の別バージョン」等
今のAIはそれらしく、自分でつくりだせるものだそうだ。
今のところ、私がポゴレリチについてデータ的なことを尋ねると
AIはしょっちゅう間違えるから、「うぬの力はその程度か!」段階であり、
まだ私はAIというものを大して信用していないが、
学習を重ねることで、いずれその知識も修正され蓄積されていくのだろう。
「若きポゴ氏がモスクワで初めてケゼラーゼ女史のレッスンを受けたとき
取り上げたのはベートーヴェンのソナタの何番ですか」
と訊いたら、AIが正解を答えたうえ、どの小節に何時間かけたかまで
解説してくれるレベルになったら有り難いのだがねぇ(^_^;。
一定の高みに到達したのちSingularity(特異点)を迎えたAIが
芸術の分野で人間を超えることも、概念的には考えられるかもしれない。
ポゴレリチの演奏以上に私が心打たれるAI演奏、……ねぇ(^_^;。
AIがテッテー的に学習すれば、いかにもポゴレリチの演奏みたいなものを、
これまで彼が弾いたことのない楽曲についても作り出せるのだろうとは思う。
ポゴ氏本人の演奏かAI演奏かを明らかにされない状態で私がそれを聴いて、
深く感動するとしたら、AIのことも認めなければなるまいね(^_^;。
しかし今年の1月に所沢公演を聴いてつくづく思ったのが、
聴衆の空気やホールの音響、楽器の性質等々が、演奏家には常に影響を与え
黙って座って聴いているだけである筈の我々の状態が、
ポゴレリチの演奏を変え得る、ということだった。
だからこそ彼はこんな極東の街までわざわざ来るのだ、と。
AIとの間に、そのようなcommunion(交わり、交感)は起こらない。
AIが楽曲について複数の解釈を持つことや、ライブ演奏を行うことは可能だが、
AIはいつも極めて正確に、高い再現性をもって
疲弊することもなく、高度な演奏を披露するのみだ。
それは果たして、私たちを根底から動かし得るだろうか。
もしもAIが、客席の人間の鼓動や呼吸数、発汗状態などを捉え、分析し、
それらに反応した演奏を瞬間、瞬間に組み立てるとしたら、
或いは似たようなことが可能かもしれない。
しかし演奏家たちは、そのような数値分析によらず、瞬時に聴衆を把握する。
聴衆の反応は現実には決して一致したものではなく様々だし、
お互いの間に「予定」は無く、出たとこ勝負で、
場合によっては、それがために演奏の完成度が落ちることさえある。
しかしそこを含めて一切がライブの魅力であり、聴く者にとっての感動なのだ。
やはりAI演奏が人間の演奏を超えるとは、現時点では私には思われない、
……とその記事を読みつつ思ったことだった。
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