転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



午前中は某所に地区会役員で集まり、仕事をした。
5月末に行われる地区会総会を兼ねた食事会に先立ち、
案内文書と地区会名簿を印刷する作業だった。
それが終わって、帰り道に携帯を見たら、
なんだか、全然知らない番号の着信履歴があった。
簡易留守録まで入っていて、再生してみると――

『○○○○病院の○○と申します。
ご都合良いときに御相談したいことがありますので、
いつでも構いませんのでお電話下さい。よろしくお願いします』

最初、私は、自分が先日、腎盂尿管造影検査を受けた病院から
何か話があって電話が入っていたのかと早合点しかけた。
結果説明も済んだし、支払もしたのに、この上、何があるというのか?
が、落ち着いて病院名を聞き直してみたら、
それは全然行ったこともない、他県の病院だった。
「他県」であることは、病院名からも市外局番からも確実だった。

この時点で私は、これが間違い電話であろうということは
ほぼ確信したのだが、それでも、今時なので、用心した。
もしや、新手のサギではあるまいか。
病院を装って私に電話をかけなおさせ、私に名乗らせ、
あわよくばこちらの個人情報を手に入れよう、とかなんとか・・・。

で、ネットで、○○○○病院が実在するか、検索してみた。
あった。なぁんだ。電話番号も勿論合っていた。
しかも、○○と名乗った担当者の名前と顔写真まで載っていた。
全然怪しくなかった
不用心なのは、先方のほうだったくらいだ。

私はおもむろに携帯電話を手に取り、
「電話番号をお間違えになってます~」
と教えて差し上げるためだけに、○○○○病院に、電話をした。

*************

全く、病院からの電話というのは、不穏な感じがして困る。
・・・と考えながら、この件のせいで、ふと思い出したのだが、
以前、主人が某病院で脳ドックを受けたとき、
検査が終わって説明を聞いた主人本人から、
「なんもなかった」
と報告電話がかかってきた、・・・と思ったら、その直後、
同じ病院から、今度は、
「奥様でしょうか」
と連絡が入ったことが、あったのだ。
「○○病院脳外科の、○○と申しますが」

こーゆー場合、少なくともテレビドラマでは展開が決まっている!
本人に即座に告げることがためらわれる事情があったために、
主治医が、家族との面会を求めている、のだ。
ヒョエーとなって「わわわわわわたくしですが」と私はドモった。

病「まことに、申し上げにくいことなのですが」
私「は、は、はいっっっ」
病「ご主人様には、本日の脳ドックの内容について、
 Aコース○千円とご説明申し上げまして、
 さきほど、お支払い頂きましたのですが、
 実は、当方の手違いがございまして、
 本当は、お受け頂きましたのはBコースのほうでございましたので、
 つきましては、お支払いのほうが、○万円となりますので、後日・・・」

それは確かに言いにくいわな

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朝、娘が鼻炎で困ると言っていて、
もしや豚インフルエンザでは!?と私が騒いだら、主人が、
「それは、罹っているヒトが豚だというだけですね」
と言った。・・・・・・。

娘も誰も、勿論メキシコに縁がないし
(私にとっては、メキシコと言えばミル・マスカラスだよ・泣)、
周囲にメキシコ帰りの人も今のところ居ないから、
直接の感染などはまずないと思われる状況だが、それでも、
目下、世界を震撼させている豚インフルエンザを、私も恐れている。
腎結石は嬉しくないが、豚インフルはもっとカンベンして欲しい。
何より、「新型」というところが得体が知れず恐ろしい。
「この連休にカンクンに行くつもりだったが豚のせいで断念した」
と、某知人は昨日、とても残念そうに言っていた。
我が家は太平洋どころか瀬戸内海を越える予定すらないので、
別にその点は何ひとつ残念ではなかったが。

が、冷静になって考えてみると、毎年の冬に流行する、
いわゆる普通のインフルエンザだって、結局は、
ヒトのウィルスが鶏や豚など家畜類を経由して、
ちょっと亜型になっては、またヒトに戻ってくるのだから、
今回の豚インフルエンザと何ら変わるところがない。
しかも、従来型のインフルエンザで、世界では恐らく、
毎年、数十万人が死亡している
(WHOの調査を受け入れていない国もあるので推定)。
ただ単に、従来型のほうは、ある程度素性がわかっていて、
ワクチンも抗ウィルス剤も開発されているから、
我々の気分が違うだけだ。

そういう意味では、豚インフルエンザの死者が百数十人、
という現段階では、爆発的な勢いとまでは、まだ言えないようだ。
どこかで見かけた話だがタミフルやリレンザが効くというのが本当なら、
これらの薬剤を常備している日本の病院は、対処のしようもあるだろう。
20世紀初頭、ジャンボジェットでヴァカンスに行く人がいなかった時代に、
感染者6億人・死者4000万人超だったスペイン風邪の勢いに較べたら
豚インフルは、今のところは勢いは緩やかだという印象がある。
尤も、そのスペイン風邪だって一年あまりの期間を費やして流行したので、
今回の豚さんインフルにしても、この先季節が移り変わることだし、
どういう展開になるかまだわからない、というべきかもしれない。

・・・にしても、「スペイン風邪」という名称も頂けないが、
「豚インフルエンザ」という呼び方も、どうにかならないものか(--#)。
「鶏インフルエンザ」より、もうひとつ、ヤな感じがするんですが。

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腎結石には関係ないと思うのだが、きょうはどうも元気がなかった。
連日の検査の疲労とそれに伴う心身のUP&DOWNのために、
一段落付いて、逆に、がっくり力が抜けた気分だった。

NTT、光回線の目標下方修正へ 割高料金などで失速(朝日新聞)
『NTTグループは、「10年度末までに2千万件」としてきた光ファイバー回線の契約目標数を下方修正する方針を固めた。景気の悪化で料金が割高な点も嫌気され、契約件数が伸び悩んでいた。ブロードバンド(高速大容量通信)サービスの牽引(けんいん)役を期待される光ファイバーだが、失速が鮮明だ。』『契約件数の目標を1500万~1700万件程度に減らす▽目標の達成時期を12年度末に先延ばしする――などの方向で調整している。下方修正は、07年に続いて2度目となる。』

必死すぎる宣伝電話が大失敗なのだと私は思うがな?
『お客様の快適なご使用環境より、とにかく手前の都合が最優先』
という印象しか与えない、執拗で無礼な電話攻勢のせいで、
少なくとも私の場合、「光ファイバー」に対する印象は最悪になった。
もし今後、世の中の電話がNTTの「光」だけになるなら
我が家では固定電話を撤去しよう、
と考えるようになったのも、NTTグループの宣伝電話が原因だ。
契約件数の伸び悩みを景気の悪化や割高料金のせいにするより、
最低限、顧客の気分を害さない宣伝方法を考えるのが先だと思う。


筆記体がいつの間にかレアな存在になっていた(exciteコネタ)
『文部科学省に問い合わせてみたところ、「筆記体は、平成10年に改訂された学習指導要領から『教えることができる』という記述に変わり、必須ではなくなりました」とのこと。』『公立中学校で英語を教えている先生に話を聞いてみた。「私は教えていないです。よって現在、私の学校ではほとんどの生徒が筆記体を書けません。(中略)時々黒板にばーっと筆記体を書くとわーっと声があがるくらい、筆記体はレアな存在になっています。授業ではコミュニケーションを重視しているのと、海外では筆記体を実際に使用している人が少ないこともあって、私は教えていないんですよ」』

20年ほど前、大学受験する高校生に英語を教えていた頃は、
まだ彼らのノートも答案も筆記体が結構多かったが、
その後、極零細学習塾を経営して中学生に英語を教えてみたら、
もう、公立学校の生徒のほとんどは筆記体を書くことが出来なかった。
私は彼らに筆記体を書けとは言わなかったが、
私の書く筆記体を読めるようになれ、とは要求した。
自分の考えで「筆記体など書かない」のは完全に自由だとしても、
ヨーロッパには筆記体しか書かないという人たちだっているのだから、
人の書いた筆記体が皆目読めないというのは困るのだ。

ただ、それとは別に、英語学習者としての私の感覚では、
筆記体というのは日本人が英語を学ぶツールとしては
実に有効なものだという気がするので、捨てるのは惜しいと思う。
というのは、筆記体を書くことで、英語の綴りの規則を手が覚えるからだ。
筆記体で綴り慣れると、英語にあり得ないスペリングに対しては、
手がその動きをしたことがないので違和感を覚えるようになる。
「続け字」を書かずに、ただブロック体を並べているだけでは、
なかなか、こういう感覚は育たない。
また、筆記体を書かなくても、英文タイピングを学べば、
手をキーボードの位置に置くだけで、
英語の綴りを指先が思い出してくれるという、同様の効果があるのだが、
学校ではパソコン操作は教えても、タイピングは指導していないだろう。
人に見せるためではなく、自分の英語学習のために、
筆記体で綴ることを手に覚えさせるのは有意義だ、
というのが、現在までの私の考えだ。

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造影剤を点滴して尿路のレントゲンを撮った。
静脈性腎盂尿管撮影検査(DIP)というヤツだ。
以前にも経験があるが、あれって被曝量がとても多そうだ。
今、ガイガーカウンターが目の前にあったら鳴るんじゃないか。

結果、右腎臓の腎盂の部分に、
概算で直径9ミリという立派な石が鎮座している
ということが、わかった。
《血尿の理由がコレでハッキリしたわ~》
と先生がとてもお喜びだった。

悪性疾患の心配は今のところ全く無いとのことで、
その点だけは喜ばしかったが、
この石が動いたり脱落しかかったときどんな思いをするか
既に私は15年前に体験して知っている。
衝撃波で砕く処置を受けるかどうか、悩みどころだ。

直径が大きいだけに、簡単に落ちて詰まるとは考えにくく、
とりあえずは経過観察で良いということになった。
1ヵ月に一度、泌尿器科でエコー検査をするということだ。
普通の血尿はもはや理由がわかったので騒ぐことはないが、
もし途中で、真っ赤な血尿や、あきらかな発熱があったときは
即、来院、との注意もあった。
それらを長時間放置すると、石が詰まって尿管が完全に閉塞したり、
また、石からの感染症で、最悪は敗血症なども有り得るそうだ。

内服は、漢方薬とクエン酸。
石を砕きつつ、体内をアルカリに保って石ができにくくする、
という処方で、石の直径に比して、まあ、かなり消極的だが、
しないよりイイかなという。

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昨夜、管理組合総会に出たあと寒いので走って帰ってきたら、
夜中になって、また濃い尿が出た。
前回で学習していたので、逃さず採尿コップにとり
試験紙のウリエースで調べたら潜血プラス3だった。
昨日は体調不良だった上に、右腰がうっとうしくだるかったので、
そこで血尿となると、腎臓に何かあるか、はたまた結石か、
もはや二度目ではあるし、放っておいてはいけないだろうと思った。

それで、今朝また泌尿器科に行った。
エコーで診て貰うと、腎臓も膀胱も綺麗で何も見当たらず、
医院で採尿したものも完全な正常で、
その時点では「経過観察」として解放されかかったが、
昨夜家で採った持参尿のほうの結果が出たら、
私の申告通り、明らかな血尿だったので、
やはりレントゲンで診ておいたほうが良いという話になった。

「このあとシッコしよって石がコロンと出りゃ、
もうそれで間違いないんじゃがなー。
でもそういうの、女性は、わかりにくいよねえ」
と先生はミもフタもないことを仰って、
「ここ、レントゲンが無いからね。明日、撮って来て」
と、近くの総合病院宛の紹介状を渡された。

大昔、尿管結石をやったときにされたのと同じ、
ヨード系の造影剤を入れて撮影するレントゲンのようだった。
「ヨードにアレルギーない?」
と訊ねられたが、その大昔の検査のときは大丈夫だったのと、
扁桃炎で結構ヨード系の消毒薬を使ってきても平気だったのとで、
これまでのところアレルギーの既往はないと答えた。
それ以上、正確には答えようがなかった(苦笑)。

エコーに映るほどの異常が見当たらなかったのは幸いだったが、
明日のレントゲン検査でまた、何を言われるかと考えると、
予期不安で食欲も失せるワタクシなのだった(泣)。

終わって、受付のところに戻り、計算が出来るのを待っていたら、
「○○さーん。検尿お願いしまーす」
と看護師さんが待合室に向かって呼ばれ、
私の隣にいたおじーさんが、「あい」と返事して立たれた。
「○○さん、このコップに採って来て下さい。すみませんね~」
All right. My pleasure♪
あまりにも普通のおじーさんの意外すぎる返事に、
目がテンになったワタクシだった。

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休日  


昨日は雨で肌寒かった。
用事は幸い、地区会の会計の仕事だけだったのだが、
体が冷えたせいか、なんとなく不調だった。

特に、昼に食べ過ぎた(爆)のが祟ったみたいで、
晩になっても空腹にならず、
しかし時間なので用意しないわけには行かなくて、
シャケの味噌漬けを焼いたのとサラダときんぴらを作って、
いつも通り家族と一緒に食べたら、
完食は出来たのだが(するなよ)、膨満感が増してしまった。
食べなきゃ良かった(T.T)。

それで夜は早めに寝て、一晩、爆睡はできたのだが、
今朝、まだやはり胃腸の感じが良くなかった。
しばらく胃腸を休ませるべきだと思った。

ということで、きょうは休息、
・・・としたいのはヤマヤマなのだが、
晩にはマンションの管理組会総会がある。
こーゆーものは、なぜか我が家では私が出ることになっている。
困ったもんだ。

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全裸で絶叫「慎吾~!!」草なぎ容疑者逮捕(SANSPO)

昨日の朝、出勤直前の主人がテレビをつけていて、
「ぐほっっ」とかなんとか、変な声を出したので、
何にむせたのかと(爆)彼の部屋に行ってみたら、コレだった。
酔っぱらって裸になって騒いだ・警察に抵抗して暴れた、
というのは、どう考えても褒められた話ではないが、
一般人なら、飲み過ぎに関する超恥ずかしかった逸話として、
友人知人の範囲で笑われて終わるのがせいぜいだったと思う。

私自身は全くアルコールが駄目な体質で、
記憶がなくなるまで飲酒すること自体が不可能なので、
酔った状態については想像するしかないのだが、
酒好きな人なら、大なり小なり、
彼の気持ちがわかるのではないだろうか。
日本にはもともと、酒飲みに対して寛大な雰囲気があると思う。
飲んだんだから仕方ない・酔ったらああいうものだ・困ったやっちゃ、
という了解は、日常生活においては、結構、皆の間にあると思う。
例の、G7のときに酩酊会見した中川財務省だって、
長年、随分と大目に見て貰っていた面があったと聞いている。

ただ草くんの場合は、「イメージ」というのが、
彼の持っている商売道具の中でも筆頭に来るほど大事で、
それを元手に稼いでいたプロフェッショナルだったものだから、
その部分に傷がついたというのが、ただの酔っぱらいとは意味が違った。
私は個人的には、「可哀想にな~。こんなこともあるよね~」
と一青年としての彼に同情を禁じ得ないのだが、
彼の「イメージ」に投資をしていたメーカーや団体にしてみれば、
結果的に、『酔っぱらって脱いで警察沙汰』に対して、
お金を払っていたことになるなんて大損害なわけだ。
予想だにしなかった、桁違いの契約違反みたいなものだろう。

その意味で、今、大事な地デジを彼に託していた総務省が、
大いに迷惑したというのは大変よくわかるし、
私たちの税金も、この事件のせいで何十億円か無駄になっただろう。
しかし、だからといって「最低の人間。絶対許さない」は不用意過ぎた。
私は昨日テレビであの鳩山発言を見たときから、
これは抗議殺到だろうなと思っていたが、案の定だった
(きょうになって総務相は発言を撤回したが
鳩山総務相が「最低の人間」発言を撤回(産経新聞))。)

どうしてこう、政治家というのは、
居間や事務所で身内相手に暴言を吐くみたいな感覚そのままで、
なんの工夫も無い言葉を国民に向かって言ってしまうのだろうか。
あれでも多少は割り引いたつもりだったのかもしれないが、
その程度に、自分の発言が受け入れられる、
と安易に考えてしまうことが、そもそも勘違いなのだ。
この言葉遣いで喋ったら聞いた人の多くがどう反応するか、
口に出す前に、もうちょっと予想できるようにならないものか。

タレントの草くんと、彼を起用した総務相との関係を考えれば、
鳩山氏は勿論、苦情を言いたい立場であったわけだが、
自分に必ずしも同調しない人間や、恣意的な判断しかしない人間、
自分と同じ前提を共有していない人間、のことも視野に入れた発言が
場面に応じて出来てこその政治家ではないか、と私なら思う。
自分の考えを「喋る」ことでアピールし仕事をしているプロなのに、
これほど国民の視線を集めた事件の最中に、言葉選びを間違え、謝罪、
などというヘタさ加減はあまりに情けないと、観ていて思った。

それとも、私には全くわからないだけで、
言い過ぎて国民に叱られて謝罪、という過程には、
政治家としては何か積極的に狙うべきメリットでもあって、
わざとツッコミどころ満載な発言をするものなのか???
それくらい、あの一連の発言は、口から出た瞬間にもう、
私程度の者にだって、あとの騒ぎが想像できたぞ??

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やせると肥満より危険、5キロ以上減死亡率1.4倍…厚労省調査(読売新聞)
『成人後に5キロ・グラム以上体重が減った中高年は男女とも、死亡する危険が1.3~1.4倍高いことが、厚生労働省研究班(主任研究者=津金昌一郎・国立がんセンター予防研究部長)の大規模調査でわかった。一方、20歳時から5キロ・グラム以上体重が増加した男性は、死亡率が0.89倍に下がった。女性では変化が見られなかった。体重が10キロ・グラム以上増加した人で見ても、男女とも死亡率に大きな変化はなかった。』『やせると死亡率が上がる原因は今回の調査からはわからなかったが、体重低下で免疫力が落ち、感染症などにかかりやすくなることが考えられる。分析した斉藤功・愛媛大准教授(公衆衛生学)は「成人後に5~10キロ・グラム程度太るのは自然な現象。肥満の危険性が強調されることが多いが、体重減少も重視しないといけない」と指摘している。』

『腹回りの寸法が大きい者は死ぬ』と国民をオドして、
メタボ健診の実施を自治体に義務づけたのは、
私の記憶違いでなければ厚労省だったと思うのだがな?
今度は『太るのは良い。それより痩せたら死ぬ』とな?

そういえば、つい先日には、こういうのもあったな。
メタボより高血圧対策が重要(読売新聞)
『脳卒中や心筋梗塞(こうそく)など循環器疾患の予防には、肥満に重点を置いたメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群、メタボ)対策よりも高血圧対策が重要であることが、厚生労働省研究班(主任研究者=津金昌一郎・国立がんセンター予防研究部長)の大規模調査で分かった。』

これも厚労省だよ(--#)。
効果についてそこまであやふやで自信がないのなら、
メタボ検診に予算をかけるのを直ちにやめたらどうだろう。
今、深刻にお金がないのでしょ(--#)。

************

真面目な話、『痩せると危険』というのは、私の見るところでは、
「成人は、将来的に致死的な病を得るまでの過程で、
発病に先立ち、5キロ以上の明らかな体重減少を経験する場合が多い」
という順序なのではないだろうか?
理由もなく、いつとは無しに体重が減って行くような場合には、
まだ血液検査や画像診断では確認できなくとも、
体力や免疫力が落ちている等、奥深い部分での、
深刻な体調不良が始まっている状態なのではないかと思う。
「また痩せた」「なんとなし体重減った」「結構食べるんだけど太らん」
等と言っていた人が、それが始まった数年後に悪性疾患になり、
闘病ののち亡くなった例が、私の身近に複数ある。

だいたいが、成人以降、特に中年は、代謝が落ちるので太るものだ。
そのうえ、胃腸が健康なら、食べただけ消化吸収されるのだから、
過食すれば簡単に体重増加に繋がるほうが自然だろう。
ちょっと食べ過ぎてもそのぶんシッカリ太る元気な人が、
健康診断で高血圧や肝機能障害を指摘されたのを機に、
カロリーや栄養バランスを考え直したり、
ウォーキングや水泳を試みたりして、体重コントロールをするのは、
別に問題はない、というかかえって健康的だと思う。
少なくともこの記事は、肥満の人間までもが、
積極的にダイエットをやめるべき、という話ではないだろう。


つまり、
講釈せんでええからお前は痩せろ、という

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午前中、いつものピアノの稽古の時間に、先生と待ち合わせ、
某邸宅に出向き、グランドピアノとチェンバロとを弾かせて頂いた。
古典やバロックの曲をやっているときに、
チェンバロにも是非触れてみたら良いという、先生のご判断の御陰で、
私は生まれて初めて、チェンバロの実物に触れることが出来た。

バッハの「12の小プレリュード」の3番をピアノで弾いたあと、
チェンバロでも弾いてみたのだが、響きが違ってとても面白かった。
チェンバロはタッチを変えて音色を作ることができないし、
力の加減で強弱を表現することもできないし、ペダルの類もない。
チェンバロの鍵盤はとても軽く、「打鍵する」楽器ではない。
柔らかく押さえるだけで、弾いた音がしばらく鳴り続けるので、
ピアノのダンパーペダルを軽く踏んだまま弾いている状態に似ているが、
一音一音の持続時間はもう少し短めだ。

基本としては、フォルテが出来ないのだから、
際だたせたい音は、ほかの音と離して弾くしかない。
つまり、前の音が鳴った後、本来の拍と思うところよりも、
わざと、やや遅れたタイミングで、強調したい音を弾く、
そうすると、直前の音の響きが少なくなったところで
その音だけがはっきりと、聴き手に対して効果的に響く、のだ。
・・・と書いているが、実際に自分が弾きながら聞く音と、
人の演奏を楽器からやや離れた場所で聞くときの音では、
響き方の違いが大きいので、最適な響かせ方を習得するのは大変だ。

こういう楽器に触ってみると、モーツァルトのソナタだって恐らく、
今のグランドピアノとは違い、チェンバロかそれに近いものを使って
作曲され演奏されたものだったのだろう、という感じがして来る。
楽譜に書いてあるスラーやレガートの表示は、曲のフレーズや
指を運ぶときの「気持ち」を表現したものに過ぎず、
実際の音は、もっとギシギシと絃が鳴り、一音ずつ刻まれるような、
コンパクトで硬い感じのものが、本来なのではないかと思うのだ。

・・・・・・いや、それは別に、いつまで弾いても、
私の、モーツァルトのソナタKV545がドタバタしていることへの、
言い訳では、ないのですが・・・・・・・

その、モーツァルトのKV545の第一楽章をグランドピアノで弾いて、
先生から、「なんでか、全体がベートーヴェン」だと言われた(爆)。
私はこの一言で、自分のモーツァルトがさっぱり垢抜けない訳がわかった。
私が生理的にキモち良いと思う弾き方を勝手にやると、どうしても、
高低の両端の音にアクセントをつけて音域の広がりを強調したり、
クレッシェンドして行ってフォルテでバン!と断ち切ったり、
フレーズのアタマにスフォルツァンドを無意味につけてしまったり、
という、どヘタな、ベートーヴェンもどきになってしまうのだった。

私の、ど素人なモーツァルトを、少しでも「らしく」するためには、
まず、自分の最強音・最弱音までは出さず、上下点カットの気分で弾く。
フォルテでも軽く、特定の一音を強烈に打鍵するような弾き方をしない。
そして、羽二重餅が重なるような(!)アルペジオを心がける
(=最高音・最低音を尖らせず、全体まろやかに、中音域をよく聴く)。
ペダルを、瞬間的にグイと目一杯踏まないように、もっと柔らかく。
理想はビブラートペダル、でも出来ないから指を鍛えて頑張る(爆)。

弾きながら、モーツァルトは、きっと生きていたときから、
魂だけ亜空間で踊っているような、イっちゃったヒトだったんだと思った。
彼の音楽は、現世のマトモさ加減とは違うものを基準にしている気がする。
KV545の出だしなど、今の私のイメージは、
「三途の川の手前の、お花畑」、よく臨死体験に出て来るヤツだ。
限りなく柔らかく明るいけれど、生気のみなぎる世界ではない。
遙か彼方には、昔うちにいた猫のチーコちゃんがいて、
その周囲で蝶がひらひら舞い、猫の視線もくるくる動いている。
やがてチーコちゃんはこっちを見、前足をあげて、私に挨拶する(爆爆)。

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思った通りの展開で、PTAクラス役員三年目に突入することになった。
実は事前に、昨年度役員代表だった方から、根回しの電話も貰っていた。
とにかく希望者が全くいないので、まさかのときは受けて欲しい、と。
その時点で、既に、イヤな予感は、あった。
果たして、きょうは、だいたい、去年と同じような成り行きだったが、
更にヒドいことに、クラス懇親会の場で、昨年度役員の我々が
役員活動は楽しい!負担にならない!と力説し勧誘しても、
新しく役員をやってみようと申し出て下さる方が、最後までゼロだったのだ。

それぞれのクラスから三名ずつ役員を選出する決まりになっており、
誰かが引き受けなければこの場は解散できない、ということで、
しまいに、自己紹介を兼ねて、ひとりずつ、
「今年、役員ができない理由」を話すことになってしまい、
それはもう、さながら、素人不幸自慢
地区会のバザー担当だから・上の子が大学入試だから・
下の子の学校で既にPTAの理事を引き受けてしまったから・
家族が療養中だから・老親の介護をしているから・自分が病気だから・
仕事がフルタイム以上の拘束時間で県外出張が多いから、等々、
それぞれに、のっぴきならない事情は、おありなのだった。
そりゃそうだ、今時、この年齢の保護者(事実上、母親)で、
『日々限りなく自由で体力的にも自信あり、好き放題に過ごしている』、
などという人がいたら、そのほうが不思議だろう。

私だって地区会の会計の仕事がのっけから躓いているし
(例の、銀行がやかましくて名義変更が未だに出来ていない件だ)、
姑の容態のことでは常に心配が絶えないし、自分の健康不安もある。
が、それぞれ似たような事情で、時間がない・引き受ける自信がない、
という点で平等なのだとしたら、その中では、
「家が学校の近所・子供は一人・自分は無職」
と三拍子揃った私が務めるのが、一番マシということになるだろう。

私は本当に気がすすまなかったのだが、
「一緒にやろうよ~」
と昨年度の皆さんが誘って下さるし、
事実、皆さん本当に良い方で、楽しい役員会ではあったので、
今年もこの顔ぶれならと、最後には折れてお引き受けすることにした。
うちのクラスから今年度役員になった三名は、私も含めて全員、
去年、それぞれのクラスで役員をした面々だったし、
他クラスの状況を聞いてみても、結局、
昨年度または一昨年度の経験者がほとんど今年度の役員になっていた。

一旦この世界にかかわると、本当に足抜けが大変だ。orz

「子供の卒業式のときには、私が泣くかもしれない~」
と役員仲間のお母さんが言われて、本当にそうだと思った。
こんな調子で、毎年毎年、役員会だのクラス懇親会だのバザーだのと
学校のあちこちに思い出を積み重ねていったら、
私にとって、A中高は、そのうち、
自分の母校を遙かに超えた存在になりそうな気がする。

ともあれ、来年の3月、中学部の卒業式で私が泣いて、
それでPTA活動の思い出作りのほうは、終わりにしたいものだ。


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