転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



我が家の正月の支度は全部終わった、…筈だ(汗)。
私は今夜から自分だけ実家に行くので、
主人と娘のために、とりあえず鮭の香味付けとカレー(笑)を仕込んでおいた。
あとはお米をといで仕掛けて、サラダを用意すれば、晩の用意も完了だ。
午後からは、できればまず仮眠して、夜には実家方面に出発する予定だ。
今晩から私は、実家と村の神社での労働に従事する。
寝正月を決め込んでいた去年が、懐かしい(涙)。
しかしこれも家族がいて、自分が働けるだけの体を持っているお蔭なのだからと、
感謝しなくてはならない。

今年は、特に夏以降はあまりにも忙しくて気が変になりそうだったが、
仕事では一定の成果を上げることができたと思うし、
娘の就職も決まったし、決して不足を言うような年ではなかった。
また前も書いたように、カープが優勝するという夢のような出来事があったし、
道楽面でも、音羽屋の旦那さん(菊五郎)の勘平や、松緑の光秀など、
素晴らしい舞台に巡り会うことができた。
何より、年末のポゴレリチは素晴らしかった。
彼のラフマニノフの2番の協奏曲は、おそらく同曲の、私の究極版となるだろう。
総じて、実り多い一年だったと、言うことができると思う。
お世話になりました皆様、本当にありがとうございました<(_ _)>。
来年もまた、どうぞよろしくお願い致します。

皆様、良いお年を。

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(写真は、我が家の玄関用に買った小さめの門松つきアレンジ)

昨日、主人に「正月用のだぞ!」と指示して仏花を買って来させ(爆)
本日、私は主人とともに、舅姑の墓掃除と墓参りに行った。
明日からは私は自分の実家にかかりきりなので、
私の冬期休暇はきょうで終わってしまうのだ。
舅宅方面に行く日が、きょうを逃すと来年までないじゃないかと
私は焦っていた。

墓所に行ってみると、さすがに年末とあって、
どこのお宅も御家族のお参りがあり、ずらりと美しい生花が並んでいた。
我が家も、いつものスプレー菊メインでなく、
今回は大振りな菊と松、それにキンギョソウとカーネーション等々で、
普段のより若干豪華に、お正月らしい花束を作って供えた。
ただし、ナンテンは使わないようにした。雀が寄って来て粗相して行くので。
墓の前で、毎回使っているチャッカマンが点かなくなり、難儀していたら、
隣のお墓の御家族の方が、たまたまつけたばかりだったろうそくを
こちらに手渡して、火を貸して下さった。
ありがとうございました~~<(_ _)>。
袖すり合うも他生の縁。

それから舅宅に行ったが、主人がほとんどやる気がなかったので(^_^;
私が玄関周りと通りに面した庭の掃除をして、
玄関に門松の紙を貼って、お正月の準備をやったことにした。
「この家も、そろそろどうでも処分を考えんといけんのぅ」
と主人が言った。
姑がいなくなってからは、家族で泊まりに来る機会もなくなり、
この家は年々、廃屋感が募っているのだ。
私がもし一週間、ここで一人暮らしをする自由が与えられたら、
見違えるようにキレイにして差し上げる自信がありますが(^_^;。
しかしこの家はもう、手入れをするより、
売るなり貸すなり、方針を決めるほうが現実的なのだろう。
幸い兄弟もいないので、主人の一存でどのようにでもできるし、
私はその決定に従うのみ、それまではできる範囲で掃除をする程度だ。

***********

それにしても、今年は記憶に残る、シンドい一年だった。
そうなった原因の大半は実家関係なのだが、
……個人情報に触れるので、ここには詳細は書けないが、
「天中殺かよ(T_T)」
と思った瞬間が、今年は幾度かあった。
私は脆弱なので、本当に、マジで、キツかった。
しかし私なりに、なんとか悪いようにはしなかった、とも思っている。
実家関係は問題がまだまだ山積みで、それらは私が今後も、
自分で片付けなくてはならないことばかりだが、
今年、私が解決の道筋を強引につけた事柄だっていくつもあった。
最善ではなかったかもしれないが、できる限りのことは、やった。

来年は、もう実家関係のゴタゴタは当然あるものと了解しているので、
その中でなんとか、自分の休暇日数をもう少し確保するようにしたい、
というのが当面の目標だ。
今年、特に夏以降は私は出力過多で、チャージ不足のまま走り続け、
自分がカスカスに疲弊した感じがしている。
もはや「完全週休二日」などと身に過ぎたことは望まないが、
「四週六休」くらいで、なんとかお休みを頂けないものか。
出勤日でなく実家にも行かなくて良い日は貴重で、
そういうときには普段できない雑用をせねばならないことが多いのだが、
それ以外に、月に2日くらいでもいいから、
時計に急き立てられず、人の話に返事をすることを要求されず、
家の中で、私は朝から晩まで時間を無駄にして過ごしたい。
それが今年、最も「できなかったこと」だったので。

一方、そのような一年だったからこそ、
カープ優勝は私にとって、意外なほど大きな力になってくれた。
連日球場に通うほどのファンでなかったにも関わらず、
地元球団のある幸せを、私は今年存分に噛みしめることができた。
チクショー!と思うことが日々あっても、
広島地元のカープが勝っていれば、市内の空気が活気づき、
私の気分も明るくなって、
「何だか心が面白くってねぇ」@魚屋宗五郎、の心境だった。
芸能やスポーツというのは、優雅な人間の暇つぶしの娯楽ではなくて、
むしろ、ほかのことがどうにもならない状況にある者に対して、
本当の意味で、その真価を発揮するのではないかと、
私は今年はつくづく思った。

ってことで、まあ、ひらたく言うと、年末の今思うのは、
シンドかったけど、カープが優勝したお蔭で、結局は最高の1年だったわぁ、
という……(笑)。

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本日より会社は年末休暇に入った。
12月も最後になって、結構まとまった取引があったお蔭で、
私も一社員とはいえ、なんだか嬉しい仕事納めになった(笑)。

尤も、私生活のほうでは今年は手放しの休暇とは言えない。
本格的に実家両親の手伝い等をせねばならないので、
私の休みは実質的には本日から30日までの3日だけだ。
そのあと、大晦日の夕方から1月5日までは、実家に通い詰めだ。
現代の秘境というくらいの田舎ゆえ、いろいろとあるのだ、
正月行事や神社の手伝い等々が。
こういう状況なので、1月2日に一族郎党が本家座敷に集合するという
大仰な行事が既に消滅していてくれたことは、本当に有り難かった。
私ひとりで、お膳の用意から客の接待までさせられたらシヌ(--#)。

ということで、今年は私の自由時間は限られていると思い、
きょうは朝から、お正月に備えてマンションの掃除をして、
耳鼻科に行ってアレルギー性鼻炎の点鼻スプレーを処方して貰い、
銀行や郵便局などの用件を済ませ、注連飾りなど正月用品も買ってきた。
お餅は仏さん用に小さいお重ねを買い、
花は、今年は奮発して、お正月アレンジの大きめなのをひとつ購入した。
お正月なのだから改まった花が要る、というのは、
別に田舎の風習を引きずっているのではなくて、単に私の趣味だ(^_^;。

 (飾り方としては、床の間がないので妥協して出窓に置いている)
 

主人のほうは、本日が仕事納めだということなので、
明日からは少しゆっくりして、書斎を片付けたりするだろう。多分。
舅姑の墓掃除と舅宅のお正月準備に関しては、
多少なりとも主人の協力を得たいところだ(汗)。
今夜は娘も帰省することになっているのだが、
彼女は帰ってきて荷物を置いたら、またすぐ出かけて行くらしい。
帰る早々、こちらの友人達と集まって飲むのだと言っていた。
オトナのヒトは、どうぞ、ご自由に(^_^;。
晩ご飯の支度をしなくていい話は、私は何であれ大歓迎だ。

先日、実家の和室で座り込んで和服を何枚も畳む作業をしたときに、
どうやら腰の右側を傷めてしまったようで、ここ数日、痛い。
日頃、椅子とテーブルの生活をしているので、
畳の上にかがみ込んでする作業はコタエる、ということを改めて知った。
痛いと言っても、できない動作などは全くなく、
ロキソニンを飲めばよく効くのだが、
朝、家事を開始すると、右腰から座骨神経痛みたいな痛みが起きて来る。
これから年末年始の労働があるのに、いやぁね(T_T)。

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今年も、カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂のミサに行った。
ここは毎年、18時からの第1ミサと、20時からの第2ミサがあるので、
ご近所ではあるし、このところ何年かはできるだけどちらかの、
時間的に都合の良いほうに行くようにしている。
クリスマスは私にとっては、年に一度、
静かな気持ちで正式なミサに与る日、
という季節イベントと化している(^_^;。

この世界平和記念聖堂は、建築家・村野藤吾の作品のひとつで、
日頃から市民に愛されており、国の重要文化財でもあるのだが
今年は11月21日から聖堂の耐震工事が始まっていて、
現在、平日の入堂は禁止されている。
もともとは、ミサのないときも「祈りの場」として解放されていたが、
昨今は建物周辺にシートが張られ、すっかり工事現場となっているのだ。
工事は、今後2年半を費やしての大がかりなものとなる予定だそうで、
きょうは私にとっても、かなり久しぶりの、大聖堂でのひとときだった。

(クリックすると大きめの画像が開きます)
  

(こちらは、娘の母校の中高のイルミネーション)
 

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今回の私は、ポゴレリチの演奏を聴いてやたらと元気になった。
2005~2010年頃には、ポゴレリチの演奏会に行った人は
生気を吸い取られて弱り、帰宅後に熱を出す、
というのが普通だったのだが(……普通だったのか・汗)、今はもう違う。
特に、私のように長年の危険な接触により免疫を得ていた者には、
今回のは害がないどころか、ブースター効果すらあったという!!
私は18日の夜、足取りも軽く広島に帰ってきた。
豊田日帰りを決行したのに、疲れなど無かった。
それくらい、今回のポゴレリチは素晴らしかったのだ(^^)!!

と、私が張り切っていたら、家の給湯器が壊れた(爆)。
豊田から帰った晩に突然、お風呂のお湯張りができなくなり、
浴室乾燥も途中で止まるようになり、翌朝には床暖房までも効かなくなった。
でもとりあえずお湯だけは出るから、まだシャワーもシャンプーもなんとかなる、
と甘く見ていたら、今朝はとうとう、そのお湯も途切れがちになった。
もしや、私が何かを受けて流したせいで、
うちの着火装置が直撃を食らっていたのか!!

いやまあ、客観的には、このマンションに入居して10年になるのだから、
家電や機器類に不具合が生じるのは、時期的にそろそろ有り得ることだ、
と思うべきだった。
そもそも、先月の後半には防災警報器の断線事件があった。
いきなり甲高い警告音がピーピー鳴って、
インターフォンのモニターに「火災」のマークが出て(写真)、
間無しに警備会社の方が駆けつけて来られる、
という出来事が先月の終わり頃から数回繰り返されたのだ。
表示は「火災」だが、天井の火災報知器が作動したときのサイレンとは異なり、
アラームは毎回「ピーピーピー」で、警備会社からは「信号の断線」だと言われ、
この件は結局、12月初旬にメーカーの方に見て頂いたところ、
玄関のインターフォンに切れかかっている線が発見されて、解決した。

それでやれやれと思っていたら、今度は給湯器がヤられた。
重なるときというのは、きっとこういうものなのだ。
この寒いのに、お湯も出ず洗濯物乾燥も出来ず床暖房も無しとなっては、
いくらなんでも耐え難い。
これはもう一刻の猶予もならないと、私は今朝一番でメーカーに電話をした。
修理依頼は立て込んでいるようだったが、どうにかお願いをして、
夕方の時間を予約することができた。
助かった。

それから、私は気を取り直して会社に行った。
実は先週の火曜日は、ポゴ氏の協奏曲@サントリーホールのために、
私は入社以来、初めての有給休暇を取ったのだ。
御陰様で満喫しました・埋め合わせに年内頑張ります!
と私は内心で上司と同僚に深く感謝していた。
ら、天の神様が「そうですか。わかりました」と仰ってしまった(^_^;。
出社してみたら、同僚のひとりがインフルエンザで休んでおり、
マネジャーは私を見て、早々に、
「ってことで、よしこさん明日も夕方から出てくれます(^_^;?」
と、言った。

給湯器修理の人は、当初6時に来られる予定だったのが、
前の件が長引いていると連絡が入り、結局、7時過ぎからの作業になった。
折悪しく、帰宅したばかりだった主人の夕食の時間とかち合ってしまい、
主人はズボンをはき直し(爆)、立派な身なりで書斎で食事をすることになった。
点検の結果、「小さいほうの釜に不具合」があったとわかり、
「小さいほう」があるということは「大きいほう」もあるわけで、
そのもうひとつの釜も遅かれ早かれ、不具合の出る可能性がある、
ということだったので、それなら併せて取り替えて貰うことにした。
年末年始の休暇中にお湯が出なくなったら、それこそ大変ではないか。
この際、早めに発覚して良かったと思うことにしよう。
作業の完了を待っていたら、主人からLINEが入り、見たら
「(御飯の)おかわり お願いします」
と書いてあったorz。

そんなこんなで、修理は小一時間で完了した。
技術料・部品代・出張料で12,096円。
釜なるものがポゴ氏のリサイタルと同じくらいするなんて、私は初めて知った。
しかしともあれ、これにて釜×2は蘇ったのだ。
お湯が出る・床暖房が使える・洗濯物も乾かせる生活が、取り戻せる!
ありがとうございました。

よし。
明日は、運命に逆らわず夕方から4時間勤務し、
この次の道楽のためにしっかり稼ごう、と私は決意を新たにした。

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追記  


……↓という話は、飽くまでポゴ氏においての「本人比」、
のつもりですので(^_^;。
今回初めて、或いはかなり久しぶりにお聴きになった方ならば、
「あんなものはショパン(シューマン、モーツァルト、ラフマニノフ)ではない!」
「あのように極端で得手勝手にデフォルメした音楽は耐え難い」
「暗くて気味悪くて、陰鬱きわまりない演奏だった」
「テンポ遅すぎ!!」
等々と仰るかもしれないと思います。
客観的には、そのほうが妥当な感想かもしれません。

私は何しろ、80年代半ばからこのかた、
ポゴ氏のことを考えない日は一日たりともなかった、
というくらい「浸かった」毎日を過ごしてきた人間で、
話の前提がもともとかなりおかしい(かもしれない)、
ということを、どうかご理解下さい<(_ _)>。

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昨日の豊田公演を聴いて、私は久々に、…というよりほぼ初めて、
深く肯定的な気持ちになり、心から満たされた。
ポゴレリチは、かつて無かったほどの心の平安を得たのではないか、
ということを、彼の音楽から強く感じたからだ。
どの曲も、大らかに安定した力強いものが根底にあり、
そこから豊かな音色を響かせ、圧巻だった。
ショパンの『バラード2番』は、若い頃の噛みつくような演奏とは異なり、
懐の深い、明確な方向性を持った演奏だった。
緩急の対比も、80年のコンクールライブのようにあざとくはなく、
隅々まで計算されたコントラストがあった。
『スケルツォ3番』にも同様に、どっしりと落ち着いた音楽の道筋があり、
これらはポゴレリチが最も若い頃にプログラムに入れていた曲目であるだけに、
ファンとしての私には、「遙けくも来つるものかな」という感慨があった。

シューマンの『ウィーンの謝肉祭の道化』は、プログラムが発表になったとき、
私にとって最も大きな聴きどころになるだろう
と思った曲で、期待に違わず、ポゴレリチらしさが全開になっていたと思う。
シューマンの和音の、縦の線の揃え方には、
昔からポゴレリチは独特の感覚を発揮しているのだが、
今回はそれらが更に、横に動いて行くときの音の綾が素晴らしかった。
そういえば『バラード2番』はシューマンに献呈されているのだった。
ポゴレリチ自身が、「シューマンは不当に低く評価されている」
とインタビューで語っていたことなどを考え合わせると、
プログラムの前半がショパンからシューマンへとバトンを渡すような
構成になっていることの意味も、とても興味深く思われた。

後半の一曲目はモーツァルト『幻想曲』ハ短調K475。
私にはこれは、何か現代曲の響きを内包しているように聞こえ、
音楽が年代ごとに完全に区分けされるものでないことを
ポゴレリチが演奏をもって示しているかのように感じられた。
私はもともとモーツァルトは百の顔を持つ作曲家だと感じる面があり、
例えば弾き手が若くても老齢でも、モーツァルトは如何様にでも、
その年齢に応じた「モーツァルトらしさ」を発揮し得ると思っているのだが、
それだけでなく、こうしてプログラム中に置かれた位置によっても、
古典的な意味での「モーツァルトらしさ」とはひと味違うものが
きちんと相応しく「モーツァルトらしさ」として描出され得るものなのだと
今回はなかなか面白い発見をした気分だった。

最後のラフマニノフ『ピアノ・ソナタ第2番』は
先のモーツァルトで提示されたものの行き着く先にある音楽で、
かつ、変幻自在の光景を見せる大洋のような演奏だった。
あるときは激しく高い波が容赦なく押し寄せ、
またあるときには、果てしなくたゆたう命の源としての大きさをたたえ、
それらすべてがひとつの巨大な潮流となって、
ポゴレリチの現在の安定感そのもののように、大きく揺るぎなく、
音の海として私の前に存在していた。

そのような中で、アンコールのシベリウス『悲しきワルツ』だけは、
私には、死者とのダンスとして聞こえた。
ほのかな灯りの中で、死人の手を取り、陰のように踊るワルツ。
亡き人の霊はいつでも、このワルツの主人公の隣にいるのだった。
それでも、2010年に同曲を聴いたときとは印象は全く異なっていた。
以前は、もっとテンポ設定が遅かったせいもあるが、
主人公本人も生きているのか死んでいるのかわからないワルツだった。
それを思えば、昨日のシベリウスは、少なくとも現世の踊りだった。
ただひととき、死人の魂を抱いて踊ることができるだけだった。

**************

先日、ラフマニノフの2番の協奏曲を聴いた晩にも感じたことなのだが、
ポゴレリチは、本当に御本人の言の通り「脱皮」して変化し続けて来た人だ。
80年代、90年代、そして21世紀になって以降、更にこの数年。
ポゴレリチはその都度、何かを脱ぎ捨てて新たなものを獲得して来た。
脱ぎ捨てると同時に重要なものを失ったこともあったかもしれないが、
それをせずに留まることもまた、耐え難いことだったのだろうと思う。
彼のメタモルフォーゼは終わることがないのだと、今回の来日公演を聴いて思った。
彼には、多分永遠に、ゴールは無い。
彼が若い頃には、それは安らぎの無さ・救いの無さとして私の目に映ったが、
今年の来日公演を聴いて、私はむしろそれは、
演奏家としての彼の核となる、力の根源なのだと感じた。
ポゴレリチは、決して、不幸な芸術家ではなかったのだ!
このことに私は今回、最も強い感銘を受けた。

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だって帰り道なんだよ東京からの(笑)。
行くだろ普通(笑)

***********

(追記)
龍 真咲のシシィが良すぎでビックリした(殴)。
こんな、退団してすぐにエリザベートのタイトルロールを演るなんて
かなり冒険ではないかと思っていたのだが、歌も演技も、大変良かった。
これまで定番だと私が思っていた、後半の、心を閉ざした皇后の姿は、
龍シシィからはあまり強くは感じられなかったが、
意図的にそのように演じていたのかもしれない。
成人した息子ルドルフへの対し方とか、『夜のボート』の歌唱など、
シシィの気持ちがこちらにも見えるものだったと思った。

作品的には、最近は本家の宝塚歌劇団が
何年かに一度は『エリザベート』を上演するので
私は正直なところ、有り難みがだんだん感じられなくなっていた。
初演の雪組がヒットしたあと、96年星組続演・98年宙組上演の頃には、
あのエリザベートが今度は一体どうなるのか!?という大きな興奮があったが、
以後、再演が重ねられ、こちらも全部の歌が歌えるほど(爆)見慣れてしまい、
最近は、申し訳ないが
「そろそろエリザが出るかと思っていたら、やっぱりか」
くらいの感覚に下がりつつあった。

しかし今回、OG公演のガラコンサート形式で改めて観て、
やはりこれは見事な作品なのだと、強く感じた。
音楽と限られた台詞だけで、これほど魅力のある舞台に仕上がるというのは、
作品そのものの底力が桁違いだということだと私は思った。
同時に、こうして路線男役や実力派スターだった人たちを配して上演すると、
各々が主役・準主役級の存在感や舞台経験を持っているために、
小さな役まで自己主張のひとつひとつが鮮明になって、
大変に見どころの多い舞台になるのだということも、よくわかった。

************

ついでに、これは初演のときから思っていることなのだが、
私にとっては実は、『エリザベート』で一番盛り上がるのは一幕ラストだ。
トートを中央に、シシィ、フランツの三人の歌唱で幕となるところまでの、
音楽の秀逸さ、造形的な見事さと言ったら、もう。
あれこそ宝塚歌舞伎の真骨頂だと私は思っている。
特に、96年星組公演のマリコ(麻路さき)型トート(=銀橋ねそべり)を
観たときの衝撃と言ったらもう、たとえようもないほどで、
あれは私にとって、エリザ上演史上屈指の名場面だったと
今も自信を持って断言できる(笑)。

……が、そのあとの二幕は、誰がどうやっても、もうひとつなのだ。
高揚感が足りず、物語は「お片付け」にかかっていって、収束あるのみ。
『スカーレット・ピンパーネル』にもその傾向があったから
演出の小池先生のせい(爆)なのかとも思ってみたが、
私は映画『風と共に去りぬ』も好きなのは前半だけだった。
小説『銀河英雄伝説』でも私にとって面白いのは5巻までだ。
名作ほど、作劇というのは、えてしてそういうところに落ち着くものなのか、
それとも「昇っていく」話だけが好きという、私の趣味の問題なのか。

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国立劇場に行ってきた。
ポゴレリチを聴きに東京に来たから
せっかくだしと思って観劇の予定を入れたのだが
偶然にも討ち入りの当日に討ち入りの段を観ることになった。
梅玉、幸四郎、魁春、笑也、児太郎、
…いろいろ感じ入ったが、それにもまして、
今月もまた、あらしちゃん(松緑)@小林平八郎にシビれた。
いや~、格好良かったわぁ……。

詳細は、多分、帰宅後に。

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昨夜は、読響定期でソリストがポゴレリチ、ラフマニノフの2番。
1999年の北米ツアーの評を読んで以来待ち続けた、
ポゴレリチのラフマニノフ2番をついに聴くことが叶った。

ひとつひとつ、記憶の中の風景に灯火を点して行くような演奏だった。
特に、第二楽章を聴きながら、私は、
今までのいろいろなことを、全部、思い出した。
ポゴレリチを聴くようになってから、これまでの、様々なことを。

どれひとつ欠けても、今日(こんにち)は無かったと
……これほど陰影深く、しかも強く肯定的な音を聴くことになるとは
私は思ってもいなかった。

アンコールは再度、第二楽章が演奏された。
これがまた、楽章としてより一曲として演奏された趣があり、
私はポゴレリチの新たな独白を聴いた思いがした。

……いつも思うのだが、個人的には友人どころか知人でもない、
東欧のオジさんのピアノの音から
私はどうしてこうも多くのものを与えられてしまうのか、本当に、謎だ……。

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