転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ポゴレリチが、スペインの音楽雑誌RITMOで特集されている。
今号(7・8月合併号らしい)の表紙も彼だから、
カバーストーリーということになる。

スペイン語の強力な教材、ね……(爆)。

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岡山シンフォニーホールで、ヴァレンティーナ・リシッツァを聴いてきた。
リオール・シャンバダール指揮のベルリン交響楽団との共演で、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』。

南斗の女・リシッツァの音は、予想以上にエッジが効いていたが、
反面、私がCDから想像していたのより些か線が細いように感じられた。
私は重量感のある厚い音のほうが好きなので、その点にやや不満が残ったが、
もしかしたら今回はホールや席のほうにも原因があったかもしれない。
リシッツァのリズム感は良くも悪くも極めてシャープで、
『皇帝』にこんなフレーズがあったのか、
と新鮮に聞こえた箇所がいくつもあった。
並外れて反射神経の優れたピアニスト、という印象を受けた。

リシッツァは、深紅のベアトップドレスに金髪が映えてとても華やかで、
ステージ袖から笑顔で小走りに出てきたり、
(宝塚の娘役のように!)サっと膝を曲げてお辞儀したり、
両手を顔の高さ以上に上げてオケのメンバーに幾度も拍手したりして、
実に陽気で愛らしい感じのするステージマナーだった。

拍手に応えてアンコールでショパンの『革命』と『黒鍵』を弾いてくれた。
この二曲に関しては、技巧的には達人級だったと思うのだが、
私の感覚では、音の質に対して彼女の弾き方は速すぎるという気がした。
ある程度以上のものを内包した音を味わうには、
私のようなトロい(笑)聴き手には、もう少し時間が必要だったのに、
一瞬で流されて、見事さには畏れ入ったものの、欲求不満が残った。
例えて言うなら、一粒一粒に異なる色合いを持つ宝石が、
大量に、次々と目にも止まらぬ速さで通り過ぎて行くことが繰り返され、
結果、ただのネオンの洪水にしか見えなかった、
というふうな勿体なさがあった。
演奏者のスピードについて行けていないのだとすると、
リシッツァは依然として若く、一方、私は既に老化しているということか(爆)。
次回はできればソロ・リサイタルで、更に様々な曲を通して、
じっくりと彼女を聴いてみたいと思った。

オケは、シャンバダール指揮のベルリン交響楽団で、
スケール感があり、かつドラマティックな演奏だった。
『エグモント序曲』で始まり、『皇帝』を挟んで後半が『交響曲第7番』と、
本プロはオール・ベートーヴェンだった。
欲を言えば『田園』のほうのプログラムを聴きたかったのだが、
それのあった土曜日の三原公演は仕事のために行くことができず、
きょうの岡山公演のほうになってしまった。
7番も別に嫌いではないが、どの楽章もリズムが独特で
聴き手としての私は根本のところで安らぐことが許されず、
どうしても『田園』ほど浸ることができないのだ(汗)。

こちらのアンコールは、グリーグの『ペール・ギュント「朝」』と
ブラームス『ハンガリー舞曲第5番』の二曲。
緩急のある選曲でコントラストも鮮やかだったし、
誰でも知っているメロディで演奏会の締めくくりとして楽しく、
客席の様子を見ながら自然に手拍子を誘導したりする、
シャンバダール氏の洒脱なステージマナーも、素晴らしかったと思った。

ちなみに岡山シンフォニーホールは、
私にとって25年ぶりくらいではなかっただろうか。
JR岡山駅東口からまっすぐ、というのは記憶にあった通りだったが、
ホール内部のことはもう、全く覚えていなかった。
私が二十代だった頃に、チェロのロストロポーヴィチを
ここで聴いて以来だったような気がする。
いや、ロストロ氏のは大阪のシンフォニーホールだったかな??
とすると、前回の岡山シンフォニーホールは、誰のときだっただろう。
およそ四半世紀ぶりというのは、間違っていないと思うのだが…。

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塩村都議の質問とヤジ、音声分析の結果は(朝日新聞)

人の発言が終わらないのに自分勝手に何かを言い始める人、
というのが私はもともと好きでないのだが、
発言の機会が全員に保証されるわけではない議会という場では、
伝統的に、ヤジは合いの手のようなものとして容認されているようだ。
しかしそれにしても今回のは低次元過ぎて腹立たしい(--#)。
私は都民ではないから彼らを直接選んだ当事者でないが、
都議会がこれならどこの県議会も似たようなものだと思うしかないだろう。
こんなヤジを飛ばす人らのために税金払っているのだね我々は(--#)。

一方、塩村都議にも私はかなり不満だ。
涙ぐむとはどういうことだね
こういう無神経で無理解で無自覚なトンデモおやじらのせいで、
女性がどれほど迷惑し苦労しているかについて、
まさに彼女は発言していたのではないのか。
私なら質問をやめて居直り、
「どなたですか。今の、もう一回仰って下さい」
「起立して名乗り、謝罪して下さい。それまで私は動きません」
くらいは言いますね(→まあ最後には私がつまみ出されるだろうが(^_^;)。
マイクを握っとるというアドバンテージがあったのに、
あの瞬間を捕らえておやじらを締め上げないでどうするのだ。
こんな絶好のチャンスを、ベソかいて無駄にするとは、
政治センスが無さ過ぎだろう、勿体ない!!(爆)

小保方氏の会見のときも思ったのだが、男のいる職場で女が泣いたら駄目だ。
場合によっては良い効果があるかもしれないが、そうだとしても、
泣く男がいないなら、女も同じ仕事を泣かずにしなくてはならない。
これは仕事ができるできない以前の問題だと私は思っている。
今の若い女性たちの感覚は、もしかしたら違うだろうか。
雇用機会均等法の初期世代の方々の多くは、同意して下さると思うのだが……。
ちなみに、泣くのは、このあと女子トイレの個室で暴れてからだ(笑)。

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サッカーワールドカップのグループリーグ最終戦、
日本は今日、コロンビアに1-4で敗れて、1分け2敗でC組4位となり、
決勝トーナメント進出は果たせないことが明らかになった。

大変残念だが、結果は結果なのでもはやどうしようもない。
私はスポーツなど全くわからないが、およそ何事においても、
不本意な結果になったときこそ、最も多くを学べるものだと思う。
力の及ばなかった点については潔く反省をしたのち、
また気を取り直して、次の機会に向かって努力するのみだろう。

しかし何より、結果がどうでも一応は健闘を称えて貰える日本選手が、
負けて帰ったら文字通り殺されかねない国の選手と互角に競うのは、
想像以上に厳しいことなんじゃないか、
……というのが、今の私の率直な感想だ(逃)。

ちなみに、サッカーというと私が毎度、思い出すのがコレ↓だ。
バーレーンの実況が日本語にしか聞こえない件(YouTube)

アラビア語なのだが、どう聞いても日本語で、
しかもキレたテンションで畳みかけて来るので、
初めて聞いたときにはハナが出るほど笑ったものだった。

さぁ皆さん、
♪かなしー気分なんか ぶっとばしちまいなよBABY!

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なぜ?若者が「ぼっち席」を好む理由(JIJICO)
『大学の食堂で一人専用席、通称「ぼっち席」が静かな人気を呼び、各大学に広がっているそうです。「ぼっち席」で食事をしていたある学生は「大きなテーブルに一人で座っていると、友達がいないみたいで恥ずかしい」と答えていました。こうした若者が増えているのは、小さいころから家庭や屋外での一人遊び、一人食事など、一人っ子のような環境で過ごすことが多いからではないかと思われます。』

友達、それもたかが昼食を一緒にするかどうか程度のツレがいない、
というのは全く恥ずかしいことではないと私は思うのだが、
一体全体、今時の若い子はどこに恥の基準を置いて行動しているのか。
どんだけ恥の種類の多い人生を送っとるのか(--#)。
周囲の人としょっちゅう喧嘩したり気まずくなったりする人の場合は、
どこかに問題のある人間なのだろうと私も思うが、
絶えずくっついて行動する類いの『友達』が居ないことなんか、
全然どうでもいいことだし、恥でもなんでもないだろう。

『一人を好む子どもにしないため、ならないためには何に気を付ければいいのでしょう。親の立場では、子どもが小さいころから、多くの子どもたちと遊ぶ環境を与えることです。』

どのような人とでも円満に付き合うことを目指すのは悪くないが、
友達が多ければ多いほど立派、みたいな教育をし過ぎているのではないか。
その結果、「私は友達が少ない」→「友達に囲まれている姿をアピールできない」
→「劣った人間だとまわりから思われるだろう」→「恥ずかしい」
という思考回路に陥るのではないだろうか。
私の考えでは、『一人を好む』こと自体は基本的に結構だと思う。
誰かに常に相手をして貰わなくても情緒が安定している、
というのは、ひとつの長所であると私なら考える。
もともと、一人でマイペースに行動するのが好きな人もいれば、
大勢の人をまとめたり盛り上げたりするのが得意な人もいるのだから、
そのような個人の傾向まで、わざわざ「改善」しなくて良いだろう。

また、記事にもある通り、いくら『一人を好む』タイプであろうとも、
普通は成長の過程で一通りの社会性が身につき、
必要な集団行動は十分にできるようになるから、心配することはない。
保育園・幼稚園・学校に行っている間に、何年もかけて、
数十人規模かそれ以上の、様々な人達との集団生活を毎日経験するのだ。
その中で何がどの程度まで許容され、自分はどう振る舞えば良いかを、
ほとんどの人が、学校教育を受ける間に自然に体得する。
ただ、一人で居たがることと、周囲の人達と衝突することとが
イコールの関係であるなら、将来の社会生活に支障を来すから、
ある程度、意図的な経験や訓練によって、人間関係の築き方・維持の仕方を、
子供に考えさえ、会得させる必要があるとは思う。

『一方、若者が自分で気を付けるには、周りの声を拾えばいいのです。「もっとみんなと一緒に食事したほうがいいよ」などと注意してくる人がいれば、バランスが偏ってきていると判断し、その声に従うようにしましょう。』

私の感覚では、「もっとみんなと一緒に――」などと
言って来るタイプはかなりイタいような気がする(爆)。
私だったら、孤食の人を見かけてもこういう台詞は口に出せないし、
自分が言われても受け入れ難いだろう。
「一緒に食べない?」
という程度に、誘ったり誘われたりするくらいなら良いかなと思うけれど。

喫茶店やカフェなどで、ゆきずりの人々を観察していて思うのは
(ご明察の通り、私は一人っ子なので外食なんか一人でなんともない・笑)、
人は基本的に、自分について話すのが好きだということだ。
世の中、「聞いて欲しい人」が圧倒的に多いと思う。
友人と喋って、ああ楽しかった!と思うときというのは、
だいたい、自分の望む自分の話題を自分のペースで喋り、
同席した人(たち)がそれをよく聞いてくれて、
かつ、一緒に喜んだり面白がったりしてくれたときだろう。

何人かで集まっていると、場を仕切って自分のペースで喋る人と、
それに合わせて笑顔で相づちを打ったり、合いの手を入れたりして、
主として聞き役をしている人、というのがだいたい決まっているように思われる。
その場の皆がそれぞれ生き生きと自己主張しつつ、互いを尊重している、
という関係は皆無ではないが、普通にどこででも出会えるほど多くない。

仕切る人は、集団においても、ある意味で恐れず自分本位に振る舞えるので、
自分の話を聞いてくれる「観客」がいることを楽しいと感じるだろう。
こういうタイプは、良くも悪くもエンターテイナー的要素があり、
発信者になることに向いている。
一方、性格や力関係などの理由で聞き役を務めることになる側は、
他人の珍しい話や貴重な体験談から得るところがある一方で、
基本的に受身であり、場の空気を良くするために気を遣うことになる。
そこで展開される話が『さんま御殿』級に可笑しければ、
聞き役のうま味もあると思うが、長い身の上話やよく知らない人の噂話に、
付き合わされるハメになることもあるだろう。

日頃、聞き役を務めることの多いタイプは、
学食の『ぼっち席』が好きだろうと思う。
食事のときくらい、人様の相手をせず、リラックスして黙っていたいからだ。
変だよ!みんなと一緒のほうが楽しいよ!友達いないなんて寂しいじゃん!
という方向でしか考えられない人は、自分が集団の中で、
友人たちに相手をさせ、得手勝手に振る舞っていないかどうか、
一度は反省してみたほうが良いのではないかと私は思っている。
そんなことない!うちのグループは、みんな楽しく語り合ってるよ!
と思うかもしれないが、本当に皆が同様に感じているかどうかは
簡単にはわからないことだ。

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2014年02月14日の日記に私は、
『最近は自分の目覚ましを5時50分にセットしている』
と書いているのだが、今となってはそのようなことは到底信じられない。
現在、主人は朝5時には既に起きてパソコンをやっていることが多いので、
私の意識も今では、「朝5時には活動開始」だ。

私本来の体内時計は、朝5時に目覚めるようには未だになっていないので、
目覚ましが鳴ってようやく起きるということが多いのだが、
ヘタをして、朝4時半くらいに目を覚ましてしまったりしようものなら、
「これから寝直しても、どうせすぐ起きなくてはならないから、つらいだけだ。
このまま起きておくほかないな……」
と考えながらウツラウツラしていることもよくある。
こういうとき、前夜の就寝が午前0時頃だったりすると、本気で睡眠が足りず、
ああ、せめて朝6時半まで寝られたらどんなにいいだろう、
と私は寝床でゼツボー的な気分になる。
6時30分起床で良いなら、私は4時半からでも再度眠ることができるのに。

主人は、だいたい夜10時前にはもう就寝しているので、
本人に睡眠障害は無いどころか、素晴らしく健康的な早寝早起きをしているだけだ。
朝5時には私はまだフラフラなので、さすがに辛くて、
「もう起きているのか(--#)!」「この頃、早くね(^_^;?」
などと言うのだが、主人は意に介さず、
「だってワシ、早ぅ寝よるもん(^^)」
と言っている(汗)。
しかし最近の私は、昼は仕事で、まとまった自由時間が夜しかないので、
できれば夜23時半就寝、朝6時半起床、くらいにはしたいのだ。

主人の起床時間は、少なく見積もっても、半年で30分以上は早くなったようだ。
季節が夏に向かい、日の出が早くなったからだろうか。
冬になればまた朝の暗い時間が長くなって、主人ももう少し寝るようになるだろうか。
今ですら、私はこうやって夜にネットで遊ぶだけで睡眠不足必至なのだが、
これ以上、起床時間が早くなったら、どうやって体力を維持したら良いのだろう。
私も主人に合わせて、夜には何もせず早寝すれば良いだけのことなのだろうが、
そうするともう、パソコンを開くことなど週に一度か二度に激減してしまう。
勿論、ネットで遊ぶことより心身の健康のほうが大事には違いないのだが……。
今のペースで行って、最悪一年後に4時起床が定着していたら、どぼじよう(爆)。

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ポゴレリチが来日します!!

2014年12月14日 (日) 19:00 開演 (18:30 開場)
会場サントリーホール
http://www.kajimotomusic.com/jp/concert/k=440/


追記(2014年06月19日12:36:57):予定曲目が発表された。
 リスト: 巡礼の年第2年「イタリア」から
   ダンテを読んで(ソナタ風幻想曲)
 シューマン: 幻想曲 ハ長調 op.17
 ストラヴィンスキー: 「ペトルーシュカ」からの3楽章
 ブラームス: パガニーニの主題による変奏曲 op.35

12月初旬の香港公演が先に決まっていたので、
帰りに東京にも寄る、という感じだろうか。
何にしても、今回は東京一回しかない来日公演なので、見逃せない(^_^;。
私にとっては、まさに勝負曲が四曲!!

料金・発売日等は、また後日発表されるとのことだ。
●速報!イーヴォ・ポゴレリッチ 12月に来日公演が決定!(KAJIMOTO音楽日記)

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・うちのギョーカイの某アメリカ人は、サッカーのワールドカップには興味がなく、
誰かが話を振っても肩をすくめる程度で、ほぼ黙殺している。
一方、職場で私が知っているイギリス人の某氏は、
メジャーリーグでマー君が何勝したかの意味が理解できないだけでなく、
そもそも、野球というものを生で観た経験がなく、ルールも把握していない。
アメリカ人の多くはアメフトを偏愛していて、サッカーはどうでもよく、
一方、野球を好むのは主としてアメリカ大陸と東アジアの人間だけだ、
と前から聞いていたが、いずれも本当だったらしいことがわかった。
しかし両名とも、目の前で『カープが勝った』という話題が始まれば、
とりあえず積極的に祝辞を述べなくてはならない、
ということは了解している(爆)。

・仕事の合間に手帳を眺めていて、私はふと、
この秋のある週に、3日連続で休暇が取れるかもしれない、
ということに気がついて、一瞬、感動に打ち震えた。
その週は、たまたま私の出勤日が祝日に当たっているのだった。
ならば、これは私の、個人的連休になるかもしれない。
東京か大阪に遊びに行くか?――否!!!!
誰とも会わない・何の予定も入れない・どのような約束もしない!
一切、気を遣わず、時計も見ないで、家で自分勝手に過ごしてやる!
(まあ家事は普通にするけども。)
もう長い間、そのような過ごし方は全くしたことがなかった。
至福じゃないかこれは!!
しかし、こうして楽しみにしていたら、きっと天が私をあざ笑うかのように、
この週には動かせない用事が入り込んで来て、またぞろ拘束されるのだろう。
別に具体的な心当たりが今あるわけではないのだが、
これまでの経験から言って、私はえてしてそういうメに遭う人間なのだ(^_^;。

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4月下旬に某ホールでCFⅢSを試弾したときに
座席に置いたLINEAR PCM RECORDERで録音した、
ベートーヴェン『テレーゼ』第一楽章の練習を、
さきほどなんとなく思い出して聴いてみたら、
自分の拙い演奏ながら、なかなか良かった(爆)。

いや勿論、本当の意味での「演奏」という次元で語るなら、
全くもってどうしようもないほどヘタな出来であることは明らかなのだが、
素人なりに、自分として弾きたいと思った通りに弾いているというのが、
今、録音を聴いてもよくわかり、
私は本来、こういう『テレーゼ』が聴きたいのだよなあと改めて思った。

私は常日頃、ハノンやツェルニーには固執していても、
「曲」を弾くことに関してはほとんど熱意を持たないのだが、
それは、自分の演奏など聴くに堪えないものであると
聴き手としての私が感じているからだ。
筋トレとして、以前はできなかった動きが気持ち良くできるようになることには
私なりの手応えも喜びもあるので、エチュード系はとても好きなのだが、
一方で、音によって自分を表現したいという意欲は、私にはほとんど無い。
(これは昔、なんちゃってバレエ教室に通っていたときも同様だった。
やってみてわかったのだが、私が好きなのはバーレッスンだけだった)。

しかし『テレーゼ』第一楽章は、自分で弾いてまで聴きたいと私が感じる、
かなり例外的な一曲だった。
しかも、このように聴きたい、というのが自分の中でとてもハッキリしていた。
それでその通りに弾かせて貰ったのが、このときの録音だ。
この曲だけは、いくら巧い人に弾いて貰ったとしても、それだけでは駄目で、
どんなに覚束なくとも、やはり自分で弾く以外になかったのだよなあと、
録音を聞き直して、改めて思った。

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忙しいと思っていたのは全く錯覚ではなく、
私は5月10日以降、勤務時間がこれまでの二倍になった。
おまけに先週は二回ほど、夕方から夜にかけての時間帯も会社に出た。
私はこれまで、道楽以外では夜に家を空けないようにしていたのに
(↑どういうケジメだ・爆)、ついに18時以降も仕事に行ったのだ。

これは本気でマズいのではないか。
そりゃ確かに、パート勤務だから出ればそのぶん稼ぎにはなったが、
夕食の算段をしてから家を留守にするのは非常にキツかったし、
何より、今後こういうことが度重なったりすれば、
しまいに演奏会(含:芝居、ライブ、他)に行けなくなってしまう。
今でも既に、土曜日の演奏会はほぼすべて断念しなくてはならないのに、
このうえ、平日夜まで仕事で埋まったら私はオシマイだ。

ものごとの優先順位を見失わないようにしなければ。

↑何か根本的に間違っていますか

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