転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ネットで知った情報によると、FLASH最新号に、
忌野清志郎の写真が3ページ載っているそうだ。
近況とか療養の様子に関するものではないが、
80年代以降の貴重写真だそうで、
写真集『清志郎』を撮影なさった岡部 好氏の写真だということなので、
かなり、楽しみだ。

清志郎以外のページは、ロト6がどうのこうのとか、
ヘア解禁されちゃった吉野公佳ちゃんがどうしたこうした、
某氏がかつて長崎のタウン誌で水着姿で「だっちゅ~の」、
等々の内容だそうで、一読した後は「ころもん」に進呈しよう。

FLASH最新号(光文社)

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母校の大学同窓会広島支部の同期生(広島生まれ)が、先日、
「私、2年ほど前からは、毎日のように英語書くようになってさ~。
卒業以来、初めてじゃないかと思うのね、英語なんてマトモに書くの。
こんな拙い英語だけども、やっといて良かったと思ってる~」
とつくづく言うので、私もあやかりたいものだと感心しながら、
「凄いねー!何を書いてるの?仕事?」
と尋ねたらば、
「(広島カープの)ブラウン監督に手紙をね~~」。

私も、実は、英語を一番使うのはポゴレリチ関係なのだが、
曲がりなりにも大学四年間を費やして語学をやった挙げ句、
一番それが活かせる分野は結局「道楽」だった、とはまた、
教授が聞いたら泣けてくるであろう、凄いオチだと思った。

*************

きょうも、姑の病院から帰るときに、市民球場前を通った。
昨日の喧噪はどこにもなく、曇りがちの肌寒い空気の中、
古びたゲートに、「広島市民球場」の文字が変わらず静かに点灯していた。
カープの応援メガフォンを持って、記念撮影している家族連れが、
一組だけ、あった。

広島が市民球場最終戦「必ず帰ってくる」(日刊スポーツ)

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4月から聴き始めたNHKラジオ『まいにちスペイン語』だが、
9月までの半年間で一旦、ワンクールが終了して、
この10月から新しい講座が始まった。
前半6ヶ月では、私は動詞の活用を少しも真面目に覚えないまま、
ただ聴くだけ聴いていた状態だったので、
終わりのほうなど、もう、かなりの脱落ぶりだったが、
10月号では再び、アルファベットから始める内容になったので
劣等生の私にも、仕切り直しの機会が、与えられた。
助かった(爆)。

4~9月は、スペインのサラマンカを舞台にしたスキットだったが、
10月~3月は、アルゼンチンを訪ねる日系人青年が主人公の物語で、
南米スペイン語を学ぶ内容になっている。

また半年間、ゆるゆると聴いて行こうと思っている。
何しろ、純然たる道楽だから、楽しさ優先だ。

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のちほど拙サイトのほうにリンクを貼らせていただく予定なのですが、
ポゴレリチに興味を持って下さった「しろ」様が、
ご自身のブログに、『スカルラッティ ソナタ集』のCDに関して、
記事を書いて下さいました。

スカルラッティ/ソナタ集をポゴレリチでLandscape and portrait ver. 2

ポゴレリチの楽曲へのアプローチは、
『作曲当時とは楽器そのものも、世の中の状況も、
人々の感覚も、すべてが異なっている現代において、
現代ピアノを用いて古典を演奏する意味は何か』、
という点から始まっているものだと私は考えています。
そして、彼自身の使った言葉で言えば
『reporoductive art(再生芸術)』というのが
その根幹にある概念だと思います。

しろ様が、かつて同曲がチェンバロで演奏されるのを聴かれて、
そのときに受けられた印象と、
今回ポゴレリチのCDで同じ曲に接して、改めて感じられた事柄とを
比較するかたちでレビューを書いて下さっているので、
私はポゴレリチ流のアプローチについて、今一度、考えながら
自分でもこの曲を楽しんでみたいと思いました。
しろ様、ありがとうございました。

ほかに、しろ様のブログには、旅行の話題、科学のこと、
お読みになった本のご感想、その他様々なテーマの記事があります。
皆様もどうぞご覧下さい。

しろ様のプロフィール

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宝塚で言うなら昨日が前ラク、今日が大ラク。
トップの退団公演千秋楽は、その場に居合わせるために
ファンも一般人も(ダフ屋も)いつもとは全く気合いが違う。
会場前で完徹しようが、席がなくて3時間立ち見になろうが、
「観られる」と「観られない」とでは天地以上の差。
だから皆、きょうの、このたった一回のために体を張るのだ。
泣いても笑っても、これ限り。もう、明日は、無い。

今、広島市民球場は、まさにその、サヨナラ大ラクを迎えている。

今朝、姑の病院に行くために、城南通りを歩いていたら
(とてもローカルな話題です。すみません)、
合同庁舎から空鞘橋を渡るまでの間に、私は、
市民球場から伸びる人々の列を、三本、見た。
市民球場の一塁側・三塁側・外野側のゲートから始まって、
いずれも球場外周を半周以上する長さになっていた。

病院の帰り、試合開始ちょっと前に原爆ドーム前まで戻ってきたら、
並んでいた、自由席の人たちはほとんど入場し終わっていたが、
市街地の、あちらにこちらにも、まだまだ赤い人たちが歩いていて、
中国新聞がさかんに号外を配っていた。

で、私は、ちょっと思ったのだが。
大阪の「くいだおれ」じゃないが、
終わると聞いてそんなに惜しむ人たちが多いのであれば、
常日頃から、もっと支援しようと思えば出来た筈なんだよな、と。
イザとなったらこんなに大勢の市民やカープファンが行動するのだ。
幸い、カープそのものは終わるわけではないので、今度は、
引き続き、みんなで新球場へ出かけるようでなくてはなぁ、
……と、思ったことだった。


追記:きょうの試合は観客数30609人だったそうだ。
狭い市民球場としては、ぎりぎりまで目一杯入った超満員状態だった。
朝から赤い人たちでごった返し、大混雑した市街地は、
午後2時に試合が始まる頃には、今度はどこもかしこも静まり返った。
今の広島市で、カープ以外の、ほかの誰が何をしたとしても、
こんなことは起こりようもない。
繰り返して言うが、首長も地元財界も、
このことは、もっと重大に受け止めないと駄目だ。
思い出多い市民球場の最後を、快勝で飾ったカープは素晴らしかった。
同時に、ヤクルトファンの温かい声援ぶりを偶然にもテレビで観て、
私は、広島の人間として、大変嬉しく思った。
ありがとうございました!

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中2の娘の身長が、ついに160センチになってしまった。
今時だから、少々背が伸びたって悩む必要はないのだが、
A中の制服がピッタリになってしまったのには、まぢ困った。

入学前に買った制服のサイズは、160Bだった
実際に160センチの身長になったのだから、
今、ジャストサイズなのは当然だった。
スカート丈だけの問題なら私が裾直しをしようかとも思ったが、
ジャンパースカートのバストもウエストも今がピッタリなので、
幅だしを含む大規模リフォームをする腕前は私にはないし、
業者さんに出せば相当な値段になるだろうと、私は頭を抱えた。

……ので、抵抗をやめて、新しく買うことに、した(涙)。

だって、実際、買うなら今しかないだろう。
中3になってしまったら、あと1年なのに新調するのは勿体なさ過ぎ、
かと言って、あまりに「つんつるてん」(死語)な制服での1年間、
になってしまっては、娘が可哀相すぎる。
第一、朝からウエストぱんぱんでは、弁当も食べられない(爆)。

制服屋さんに行って、わけを話すと、
「今、そう仰る2年生の方、結構いらっしゃいますよ。
ちょうど中学生活の折り返しですものね~。この衣替えは節目ですね」
と店員さんに言われ、娘は早速、試着することになった。

そして決定したサイズは、170B

なんかもう、女子中学生の着るサイズではないような気が(たらり)。
身長153しかない私からすると、娘の大きさは信じられません。

ちなみに売り場にはA体・B体のほかにE体サイズもあった。
横に成長するぶんには、まだ対応サイズがありそうだった(爆)。

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・暑いには違いなかったが、昨年夏に花火を観に行った神宮球場よりも、
よほど凌ぎやすかった。やはり9月も終わりになると違うものだと思った。

・1回表であっという間に巨人に2点入れられて、
カープファンの気持ちが沈みかけたとき、
スコアボード脇のスクリーンに、「弱気は最大の敵」という文字が出た。
あれは、今は亡き津田恒美投手の、座右の銘として有名な言葉だった。
ひとりの選手の足跡がこんなふうに今も生きているのだった。
1回の裏で、なんとカープは3点入れた。

・「○○を使うのは、もちぃと待ったほうがええんじゃないんか」
「ピッチャーのほうが、そろそろ替え時じゃろ」
等々と、私の斜め後ろのおじーさんがときどき呟き、
うちの主人がそのたびに「そうそう(^_^;」と頷いていた。
ブラウン監督よりナイス采配なおじーさんであるようだった。
こういうのを岡目八目という(爆)。

・カープがエラーなどすると、
「どしたんじゃ!ばりヘッタクソじゃのう!!」
「ばちくそハガエーのぅ!!やっとれんでよ!!」
「何しよんなら、わりゃ!!」
と周囲では典型的「怖い広島弁」が炸裂していた。
が、言葉は荒いが、勿論、罵倒しているのではなく「愛のムチ」だった。
このへんのニュアンスは、広島人でないとわかりづらいかもしれなかった。

・私の隣だけは、巨人ファンの男性だった。
ずっと、ひとりだけ周囲と逆のタイミングで声援を送っていたが、
どう見ても浮きまくりで、ご本人も巨人応援団のほうを見て
「あそこに行きたい(^_^;」と独り言を言い、
7回裏でカープがリードした時点で、早々と帰って行った。
どんなに居づらかったことだろう。

・下のほうの通路には、阪神のユニフォームを着た一般人がいた。
そっちだって、今、大事な試合の最中ではないのですか??
わざわざ阪神ファンであることを明確にしながら
こんな全然関係ないゲームを見に来ているのは、何故。

・球場座席が狭いのは仕方のないことだが、私の背後のオッサンが、
つま先を、後ろから私の席の座面に引っかけていて、
これを始終、ぐいぐいと動かしてくれるものだから、私は困った。
尾てい骨あたりをつつかれながらの野球観戦だった。
特に後半、カープが勝てそうになってからは、もう、
ぐぐっ、ぐぐぐぐぐっ、と小刻みに蹴りを入れられ、
私は試合とは関係ないことで幾度も起立しそうになった。

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長らく見慣れた広島市民球場も、いよいよ見納めだと思い、
本日夜の巨人戦を、家族3人で観に行った。

学校から帰ってきた娘と連れだって家を出て、
仕事帰りの主人とは球場で直接会うという算段にして、
晩だから、お弁当でも買わねばと、球場隣のそごう地下に行ったら、
これがもう、予想を遙かに上回る、混雑の極みだった。
誰も彼もが野球観戦のお弁当を買いに来た人ばかりだった。

球場は勿論、完売の超満員。
前売りの段階で私たちはさほど力が入っていなかったので、
三塁側の適当な席を買っていたのだが、
入場してみたら、どこもかしこもカープファンで、真っ赤だった。



1回表ジャイアンツの攻撃で、ヒットに続くホームランで2点入り、
あーーー初っぱなから、またしても こーゆー展開かーーーー、
と満場のカープファンが落胆しかけたとき、
つづく1回裏ではなんとカープの3ランが出て一挙に逆転、
こ、これは、もしかしたら、今日は、イケるかもっ!?
と俄然、雰囲気が変わった。



その後、6回で追いつかれて同点になったが、
7回裏、ワンナウト満塁の好機がやってきて、
スコアボード横のスクリーンには、「チャンス」と大書された、
広島風お好み焼きが大写しになった(O_O)。
ここでピッチャー暴投の隙に、3塁ランナーが生還して一点追加。
結局これを守り抜いたことが、勝ちに繋がった。

♪カープ カープ カープひろしま ひろしまーカーープ

……を大声で歌ったのは、私は30年ぶりくらいのような気がしたが、
歌詞の細部まで全部覚えている自分に驚いてしまった。
私は野球を観に球場に通うような習慣はないし、
カープに対しても、広い意味での地元民的な愛着以上には、
ことさらな思い入れなど持っていないつもりだったのだが、
それでも歌詞までちゃんと知っているのが我ながら凄いと思った。
いかにカープが市民生活のあちこちに浸透しているかが
自分の実感として、改めてよくわかった。

ともあれ、なかなか気持ちの良い試合だった。
満場の観衆の声援に応えた、貴重な一勝だったと思う。
対巨人四連戦、最終戦での勝利を目の当たりにし、
カープファンの感激はひとしおで、
よぅやった!よぅやった!と万雷の拍手と万歳三唱が止まらなかった。
そんな三塁側の前を、原監督が記者に囲まれながら足早に通っていった
(のを知らずに、「あれ誰?」と主人に訊いたのはワタシです)。

これで、市民球場で行われる公式試合は、残り2試合となった。
市民球場ファイナルシリーズも、いよいよ大詰めだ。

**************

帰りに、主人が、ちょっと職場に寄ると言ったので、
タクシーに乗ることにして、球場横の某ホテルのタクシー乗り場に行った。
と、私たちが乗車した途端、目の前に、ジャイアンツのバスが入ってきた。
選手達が、ユニフォーム姿のまま、バスに乗って、
宿泊先のこのホテルに戻ってきたところだったのだ。
バスの着くところには、既にファンがたくさん待っていた。
「こがいなとこで、どっから巨人ファンが湧いて来るんや」
と主人はヒドいことを言っていたが、私は、
出待ちする宝塚ファンと同じだよなー、とよくわかった。
公演終了直後に、既にホテルまで来て整列しているということは、
試合が終わるや否や、ダッシュでこっちに回ってきたに違いなかった。
運転手さんの話によると、この四連戦のために、
東京から着いてきたファンも少なくないとのことだった。

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巨人戦。
球場見納めに、家族で来ました。
三塁側を取ったのですが
ほぼ全部、カープファンで埋め尽くされています。

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何かの拍子に興味を持つと、少なくとも一定期間、
かなり執拗に追求するのが、私のいつもの傾向なのだが、
今は、それの対象が『カラマーゾフの兄弟』だ。
先日一度読み終えたのだが、なんとも未消化の部分が多くて、
決着がわかったところで最初からもう一度読んでみようと、
週末から、二度目の通読に突入している。

さすがに、どの登場人物についても前提がわかっているので、
今度は、初登場のときから行動や言葉の裏まで想像できて、大変に面白い。
作者が小出しにしている様々な情報や、意味のある小さな描写を、
初読のときに、見逃さずに把握し記憶しておくくらいの読解力があれば、
結末を追う楽しさと併せて、作品の細部までを楽しむことが出来ただろうが、
残念ながら、私は実にあちこち、取りこぼしをしながら読んでいたようで、
今回、ようやく、話の奥深さが少しだけ感じ取れるところまで来た。
三度目を読むともっといろいろわかるのではないだろうか。

なんとも折良く、年末には宝塚歌劇雪組『カラマーゾフの兄弟』もあり、
道楽の神様が「カラマーゾフを追求する好機だ」と仰せになっているようだ。
それで私は、amazonでDVD『カラマーゾフの兄弟』も買った。
三枚組で、高かったが、8月後半以降、私的な心配事が多くて弱ったので、
この際、これくらいのゼータクは許されても良かろうと、思い切った。

DVDになっているのは、1968年ソ連制作の映画なのだが、
なんと、映画でもやはり主人公はドミートリーだった。
少なくとも表層的なストーリー展開においては、
感情面でも行動面でも、最も動きのある人物がドミートリーなので、
彼を中心に描くのが、観客に対して、一番親切な手法だということなのだろう。

ただ、私は全く、特定の登場人物に対する思い入れはしていない。
ドミートリーが印象に残る存在だということは再三、書いたが、
彼に感情移入して愛しくてたまらない、という読み方はしていない。
むしろ、どの登場人物もそれぞれ際だっていることが面白いし、
誰が誰に対して、どの時点で、どういう思いを抱いていたか、
それによってどう行動したか、それはどこへ・誰へ波及したか、
という、幾重にも丹念に織られた多層構造の世界が、私にとっては、
ほかでは出会ったことのないものとして魅力があるのだ。

ひとつだけ、自分をホめたいと思ったのは、
私が原作を一度読んで思い描いていた人物像が、
DVDのキャストのイメージと、ほとんどズレがなかったことだ。
ドストエフスキーの筆力、亀山先生の訳の的確さあってのことだが、
それを読み取ることに失敗していなかったらしいことがわかって、
我ながらとても嬉しかった。

DVDは長いので、まだ一枚目しか観ていない。これからが楽しみだ。
小説と違い、出来事が簡潔に、時間軸に沿って並べられていて、
しかも映像の御陰で、愛称で呼ばれていても誰のことかわかるので
(「アレクセイ」と「リョーシカ」が同じ人だなんて、
字面だけでは到底信じられません・爆)
とてもわかりやすくて、面白い。
と同時に、描かれていないエピソードも、原作を読んで知っているので、
映像を見ながら、いろいろと背後の事柄に思いを馳せることも出来て、
読んだあとで観るという順序は、私にとっては良かったと思っている。

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