転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



疲れが出たような一日だった。

朝は普通に起きたのだが、しばらくしたら、久しぶりに本格的な鼻炎になり、
同時に軽い腹痛も起こってきて、不調かな~(汗)という感じは、あった。
しかし、お盆休みを挟んで三週間ぶりに漢詩の会がある日だったので、
まあ、なんとかなるだろうと、頑張って出かけた。

行ってみたら、御年84歳の先生も、夏バテかお元気がなく、
授業内容もいつもほどの完成度でなく、
『芳(かんば)しぅない』(←舅語)という感じだった。
運悪く会員さんの中にも、お怪我で先日から入院中で本日ご欠席、
という方があって、いつもより教室が一人ぶん寂しかった。

漢詩が終わって、このところぶり返した猛暑の中、
八丁堀でお昼のお弁当を買って帰ってきたら、
寝坊の娘もさすがに起きていたが、娘は娘で、
きょうは、しゃっくりがやたら出る、お腹もごろごろだ、
と苦情を言っていた。

ともあれ、買ってきたものを並べて、ふたりで簡単な昼食をとったが、
そのあとから私は腹痛がシンドくなったので、布団を敷いて、寝た。
娘がテレビを消して自分の部屋に戻ってくれたので、静かになり、有り難かった。
『山紫水明』を読んでいるうちに私はすぐ寝入ったようだった。

二時間ばかり昼寝して起きて、夕方には腹痛はかなりマシになり、
晩ご飯は無事にできたが、しかし今のところまだ全快とも言えない感じだ。
今夜は早く布団に入って、本の続きを読もう。

娘も多分、完全に快適とは言い難いコンディションだろうとは思うが、
何しろ明日から二学期で、いきなり初日から「休み明けテスト」があるので
夕食(←娘は、たらふく食った)の後すぐ、また勉強を始めた。
……ああ、娘が体調もうひとつなのは、勉強&テストのせいかもな(^^ゞ。

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・朝起きて、何気なく携帯でネットのあちこちをチェックしようとしたら、
のっけから、呆れるほどしょーもないご意見を拝読させられることになり、
一日のスタートを台無しにされた気分だった。
私の、短い人生の持ち時間をこんなことに使って、しかも一瞬でも腹を立てたなんて、
なんとも愚かしいことだったと、心から反省した。
私はもはや、老眼と乱視が進んで、最近は、目もかなり見えづらいことだし、
やはり、これからは、できるだけインターネットをやる時間を短くしようと思った。
あ、でも勿論、道楽関連情報収集と、仲良しの友人たちの楽しいブログ拝読だけは、
別枠・最優先で継続するけど(^^)。

・友人Oは、小学生の次女を叱咤激励し、27日(土)28日(日)の二日間で、
「平和新聞」「コメ新聞」「交通安全の作文」「歯磨きカレンダー」
「ぞうきん作り」「理科自由研究のまとめ」「エコチャレンジ」
……のすべてを、一気にやり遂げさせたそうだ。
「充実してたわ(--#)」とメールに書いてあった。

・今年は、七代目尾上梅幸17回忌と、二代目尾上松緑23回忌に当たっている。
もうそんなに経つのかと、昨日気がついて驚いてしまった。
じゃあ、初代辰之助が亡くなって、既に四半世紀になるのか……。
ということで、新橋演舞場の11月公演顔見世は、梅幸と松緑の追善興行だ。
吉例顔見世大歌舞伎(歌舞伎美人)
演目と配役を見たら、音羽屋ファンにとってはもうもうもう、あまりに良すぎて、
行ってしまおうかと、今、頭がクラクラだ。
しかし東京で昼夜通しを見ると、日帰りができない(爆)。
朝イチで出て、昼だけ観て帰るか?
しかし髪結新三を観ないって、ないわ!!
それに、そもそも11月は、海老蔵の博多座も観ないといけないし(いけないのか?)
西川貴教の出るミュージカル『Rock of Ages』もあるし、
普通に考えて、東京遠征を決行するような時間的経済的余裕は全然ないだろう。
だうしやう。

追記:やはり音羽屋(菊五郎)は12月の南座顔見世に出演しそうだ……

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アクセス解析を見ると、ようやく『税についての作文パクリ』で
このブログに来られる方の数が、先週あたりから目に見えて減ってきた。
中学校の二学期が、どこもほぼ、始まったということなのだろう。
それで皆さん、自分なりの、良い作文が書けましたか(笑)。

さて、今朝の解析を見ると、入れ替わりのように、
『通訳案内士試験』で来られた方々がいくらかあった。
昨日は、平成23年度通訳案内士試験の第一次試験が行われたからだ。
私もそうであったように、受験された方々の目下の最大の関心事は、
「一次試験の平均点はどのくらいか」
「邦文試験で60点未満の科目は不合格なのか」
「とりあえず今、二次試験準備をすべきかどうか。何をしたら良いか」
等々だろうと思う。

私が去年、経験した範囲では、日本政府観光局は平均点等を公表しないので、
自分が合格圏内かどうかは、予備校等の発表するデータから占うしかなかった。
昨年は8月29日に一次試験があった後、一週間以内のうちに、
ハロー通訳アカデミーCEL英語ソリューションズが、
まず第一段階として、予想平均点を概算で発表した
2010年9月4日:通訳案内士試験 その後)。

残念ながら、ハロー通訳アカデミーのほうは、今年の2月に閉校になったので、
今回も同様の活動があるかどうかわからないのだが、
去年は、ハローは試験の半月後9月12日に改めて模範解答会を行い、
そこまでのところで集まった受講生たちの自己採点結果を集計し、
より細かい数字の「合格点の最新予想」を、13日夜に公表した。
またCELのほうも、結果分析を進め、予想合格点の更新をサイトにUPした
2010年9月14日:通訳案内士試験 その後・2)。

受験生にとって、一次試験の結果が正式に来るまでの間、
手に入れることのできる判断材料は、昨年に関してはこれだけだったと思う。
ほかに通訳試験予備校に所属していれば、校内での合否予想や二次試験指導を
独自に受けることが出来たのではないかと思うが、
私はどこの学校にも行っていなかったので、
一般に公開されたものしか、見ることは出来なかった。

邦文試験(地理・歴史・一般常識)については、各科目およそ60点が合格の目安、
と政府観光局サイトに書いてあるのだが、これは厳密な合否ラインではない。
私の知っている範囲では、平均点に関わらず60点あればまずは合格、
平均点が60点より低いときは調整が入り、50点台からも合格が出るし、
ひどく難度の高い試験だったときには、自己採点40点台でも合格した例がある、
……ということだったので、自己採点で60点未満でも、即座に悲観することはないと思う。
私自身も昨年の一般常識は、自己採点56点か59点のいずれかだったが、合格していた。
また、昔の試験制度と異なり、現在は科目ごとの合否判定なので、
邦文三科目の合計点がいくつ以上でなければならない等の基準は、無い。

一次試験の自己採点結果がどうであれ、また予備校の平均点予想が何点であれ、
二次試験の準備は、今、できるだけ早く始めるのが良いに決まっている。
一次通過の望みは薄いと思っていても、「まさかの合格」が来ることはあるし、
そのときに勉強できていなかったら、自分でチャンスを棒に振るようなものだ。
また、結果的に、今年の一次合格が仮にできなくても、
この資格を取る気持ちに変わりがないなら、
二次試験はいずれ必ず受けなくてはならないものなのだし、
そもそも今後、通訳ガイドとして仕事をするつもりなのであれば、
口述試験に対応できる程度の口頭表現力は、最低限の条件だろう。

……とは言え、理屈はそうでも、実際の私は去年のこの時期には、
一次試験の採点の行方ばかりが気になり、二次試験の準備などする気になれなかった。
一次試験の出来が不本意だった場合、ここしばらくは何も手につかなくても
無理もないことだと思う。
不真面目なことを言うようだが、実際の二次は12月の初めで、まだ時間があるから、
9月くらいまでは多少、自分を甘やかすところがあっても良いのではないだろうか。
来月は、過去問と模範解答などを読み上げる程度のウォームアップから入って、
10月くらいから実戦的な項目について仕上げて行けば良いと私は思う
2011年2月8日:通訳案内士 二次(口述)試験用の勉強内容)。

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昨日書いた通り、目下『山紫水明―頼山陽の詩郷』(池田明子・著)
を少しずつ読みながら楽しんでいるところなのだが、
昨夜読んだ箇所には、頼山陽と酒にまつわる漢詩の逸話が出ていて、
それによると、山陽は初めは全く酒が飲めなかったのが、
後半生になって急激に酒好きになったということだった。

この本にも紹介されている話だが、お酒が飲める・飲めないというのは
訓練や心構えの問題ではなく、生まれつきの体質によるところが大きくて、
アルコールからできるアセトアルデヒドを分解する酵素を、
遺伝的に持っている人はお酒に強いし、持っていない人は弱い。
例外的に、途中から覚醒したように飲めるようになる人がいて、
頼山陽はその典型だったようだ。

アセトアルデヒド脱水素酵素は、コーカソイド(白人種)やネグロイド(黒人種)は
皆持っているのだそうで、日本にもともといた縄文人にもあったということだが、
大陸から来たモンゴロイドの中に、少数だが、この酵素の無い人や弱い人
(正確に言えば、「この酵素の活性が低く、代謝能力の無い人・弱い人」)がいた。
私は若い頃、ワインやビールや日本酒やウイスキーなど様々試したが、
どれも駄目で、気持ち良く酔う前に頭痛がして不快になり、
更に我慢して飲んでいると、じきに冷や汗が出て胸が悪くなって来るので、
家庭に入ってからは完全にやめた。
私は、アセトアルデヒド分解酵素を持たない、大陸系の一部の子孫なのだ。
……だから中国とか漢詩に惹かれるのかな(爆)。
(しかし勿論、中国の人も多くはお酒に強い。唐代から飲酒がテーマの漢詩は多い。)

私が全く飲めない体質であることは、飲酒によらない実験でも既に確認済みだ。
二十代の頃、仕事絡みで行った某高校文化祭で保健委員会が、
『あなたはお酒が飲める体質?』というイベントをやっていて、
消毒用アルコールを腕の内側につけるパッチテストで、
一定時間経過ののち、はがして皮膚が赤くなっていたら『飲めない』、
はがした10分後に赤くなり始めるようなら『飲めなくはないが、お酒に弱い』、
10分経過したあとも反応がなければ『お酒に強い』、
という判定をしてくれたことがあった。
私はほとんど冷やかしで参加したのだが、最初から見事に真っ赤に反応し、
「全然飲めないんですね(*^_^*)」
と、飲酒などしたことのないであろう高校生にニッコリされたものだった。

最近知ったのだが、なんと娘ももう、学校の保健体育の時間に、
このパッチテストは経験済みだということだった。
娘は、……ああ、娘は、10分経とうが、どれだけ待とうが、
皮膚はビクともせず、なんの反応もなかったそうだ。
「あたし、アル中予備軍かもね♪」
と、娘はどこか誇らしげに、私を見下ろしたのだった。

*************

ときに転夫ころもんは、アセトアルデヒド脱水素酵素の活性が十分あるようで、
今も昔もビールが大好きだ。目下、彼は↓のイベントを心待ちにしている。
地ビールフェスタ in ひろしま 2011
毎年、中国地方を中心に数多くのブルワリーの参加があり、
入場料だけで何杯でも試飲できる、人気の『JAPANビール職人祭り』だ。
昨年はイベントが終わってしまってから、こういうものがあったということに
ネットサーフィンしていて偶然に気づき、とても残念がっていたので、
その分、今年は前売りを買って楽しみにしているのだ。
私には全くもって、ネコにコンバンワなイベントだし、私は行かないが、
ころもんが各種ビールに囲まれ、夢のようなひとときを過ごすことは大賛成だ。
その日の晩ご飯は、多分、軽いもので良いということになるだろうしな(殴)。

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山紫水明―頼山陽の詩郷』(池田明子・著)をここ数日、読んでいる。
私が頼山陽に出会ったのは、漢詩の会がきっかけなのだが、
そこから自分なりに関連の書籍を読んだり、縁(ゆかり)の場所を訪ねたりして、
ここ数年、地味に、私の「頼山陽」趣味は深まってきたと思う(笑)。
この秋も、地元の頼山陽史跡資料館で、山陽の息子の聿庵(いつあん)の書が
展示されるということを知り、とても楽しみにしているところだ。

見延典子氏の小説『頼山陽』や、山陽の母・静に関する評伝『すっぽらぽんのぽん』
また、山陽の恋人だった女性を描いた、門玲子氏による『江馬細香』、
などを、昨年から続けて読んだことにより、私の中で、
山陽やその周辺の人々のイメージが、かなり鮮やかなものになってきたと思う。
勿論それは、作家や研究者の目を通して描かれた山陽像に親しんだだけであって、
実際の頼山陽がどういう人物であったかを、私が知っていることにはならないのだが、
それでも、頼山陽やその息子達、父親・春水や叔父達の、詩・書・画に触れると、
私は、自分の記憶に既にある、彼らの逸話をいくつも呼び起こし、
現実に様々な思いの中で生きていた人として、彼らを感じられる気がする。

頼山陽は、19世紀には日本でも有数の文学者として名を得ていたにも関わらず、
21世紀の今となっては、ほとんど完全に忘れ去られている。
彼の著した歴史書『日本外史』が、尊王攘夷論に大いに影響を与えたために、
後の太平洋戦争当時、「皇国史観」に大いに取り入れられ、
戦後はその「反省」ゆえに、彼の名は葬り去られてしまったようだ。

しかし私の知っている頼山陽は、いわゆる「右翼的」な思想の人ではないし、
管理主義や全体主義的な考え方を、むしろ最も嫌った人だった。
彼は、いかなるときも権力から自由であろうとしたし、
そのためにいくら世間から後ろ指を指されようとも、一貫して、
江戸時代としてはまれなほど、人権主義的な発想で通した人だったと思う。
頼山陽は、武士の身分を得ることより、自分の学問的自由を追求したし、
才能があると感じた相手には、性別関係なく打ち込んだ。
平田玉蘊(ぎょくうん)も江馬細香も、山陽の愛した女性たちは、
女である前に皆優れた画家であり詩人であり、
学問や芸術を通して山陽の愛情を受け、人間的な交流を持った。

妻となった梨影は、娘時代は当時で言う「下女」の身分だったけれども、
山陽は彼女についても、家事育児を果たすだけの存在とは見なしていなかった。
彼女は山陽の手ほどきで初めて読み書きを学び、画を覚え、
私塾で生徒たちを指導するときの山陽の講義を、次の間に控えて聴くようになった。
一介の主婦である妻を、学問的に成長させることに自然な喜びを見出していた彼は、
男尊女卑的な固定観念から、やはり相当に自由な人であったと思う。
今も残されている梨影の自筆の手紙や、玉蘊・細香の書画や漢詩等からも、
彼女たちが頼山陽と出会いどれほど磨かれたかを、伺い知ることができる。

私が今、最も残念なのは、現在の私の力では彼の漢詩を読むことは出来ても、
彼の最大の著作である『日本外史』を読みこなすことができない、ということだ。
なにしろ原文は、全二十二巻の漢文体による書物なのだ。
漢詩に関わった以上は、将来、こういうものに手を出せるようになれたらいいな、
とは願っているのだが、なかなか難しいだろう。
まずは現代語による抄訳版に当たってみて、
いつかは書き下し文で全文を読めれば、御の字ではないかと思っている(汗)。
どうにもシオらしい願望で、頼山陽先生には申し訳ないんですが(逃)。

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小澤征爾さん:体調不良で再び休演(毎日新聞)
『長野県松本市で開催中の「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」で25日夜、オペラ公演を予定していた指揮者の小澤征爾さん(75)が開演直前の準備中に体調不良を訴え休演した。軽い肺炎などで休演した23日に続き2回目。』『実行委員会によると、小澤さんは点滴などを受けているが、発熱はなく食事も取っている。25日午後にはいったん医師が「出演可能」と診断。だが同7時からの公演に備え、同市の滞在先で同6時10分ごろベッドから起きて準備を始めた際、本人が休演を申し出たという。指揮は代役が務めた。27日の最終公演の出演は未定。』

小澤氏の体調を心配する声が多く、私も案じているが、想像するに、
この状況はやはり食道がん手術の影響が大きかったためだと思う。
舅が手術したときのことや、当時、主治医から受けた説明を思い出してみると、
食道がんの手術そのものが、消化器外科では最大と言われる規模のもので、
患部だけでなく、周辺のリンパ組織や肺へのダメージも簡単ではなく、
更に、食道のかわりに胃を細くして胃管にしている場合には、
食事の取り方も手術前とは全く変わってしまう。
体重は多くの場合10キロ前後は落ちるし、元に戻すのは容易ではない。

(病気は同じでも、桑田佳祐さんの場合は更に初期だったか部位が良かったで、
腹腔鏡でやれたという話だったから、一般的な食道がん手術より
ダメージは少なめだったのではないかと思う。)

舅や、療養仲間だった患者さん達のことを思い浮かべてみると、
この手術を受けた後は、デスクワークどころか、家でゆっくり療養だけしていても、
なかなか思い通りに動けるようにならないのに、
小澤氏は退院後1年ちょっとで指揮者として現場に復帰されたのだから、
そのことだけでも、氏の努力と回復力は、超人的なものだと私には思われる。
また、患者の家族として舅を観察した経験からは、
術後は体質的にもそれまでとは別人のようになり、
「ちょっと疲れたけど休めばなおる」とか「風邪くらい一晩寝れば」
ということが、全く通用しなくなるというのが、私の実感だ。
手術のとき右開胸して肺をしぼませているので、呼吸器も弱くなりやすい。
小澤氏が、こういうタイミングでの休演となったことだって、
無理もないことだと思うくらいだ。

体調が落ち着いて来ると、気持ちはすぐに以前通りに戻ってしまうので、
慎重にやると言いながら、体には無理なスケジュールを気づかずに組んで、
熱が出てきてから悔しがる(汗)、ということが、舅の場合、多かった。
瞬発力は取り戻せても、それを持続させるだけの体力となると別問題で、
本人の「体感」よりも、実際の回復にはもっとずっと長い時間が必要なのだ。
小澤氏も、何しろまだ「術後」であるということをよく考慮され、
特に今後は年単位で、たとえもどかしくとも、念には念を入れた予定にして、
徐々にペースを戻すかたちで、指揮活動を継続して下さるように願っている。

勿論、芸術活動には「まだやれるが加減して」「セーブしつつ」というのが困難なので、
ご本人にとっては、精神的な葛藤も大変に大きいことだと思う。
しかし外科手術は、完治を獲得する最も確実な方法だし、選択が間違っていたとは思わない。
幸い、人間ドックで発見された、ごく初期の食道がんだったそうだし、
既に復帰も果たされているので、治療そのものは問題なく完了していると思う。
あとは、手術で変わってしまった体を受け入れ、心身ともにコントロールすることが、
今後何年か費やして体得して行かねばならない課題となるのではないか、
と、元・患者の家族として想像している。

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兄のイーヴォ・ポゴレリチの来日が来年5月と発表されたが、
弟のロヴロ・ポゴレリチも今年の12月に来日することになっており、
しかも当初、招聘元のサイトには東京公演だけしか出ていなかったのが、
ふと改めて行ってみたら、名古屋公演と大阪公演が追加されていた。

ロヴロ・ポゴレリッチ コンサート(プロ アルテ ムジケ)
【大阪公演】公演日 : 2011/12/13 (Tue) 19:00
会場 : ザ・フェニックスホール
\5,000~3,000 (税込)

【名古屋公演】公演日 : 2011/12/14 (Wed) 18:45
会場: 電気文化会館 ザ・コンサートホール
\5,000~3,000 (税込)

【東京公演】公演日 : 2011/12/15 (Thu) 19:00
会場 : 東京文化会館小ホール
\5,500~3,500 (税込)

大阪なら私も行けないことはないかもしれない。
そもそもが、私のは、イーヴォの弟だから聴いてみたい、というヨコシマな動機で、
更に、聴いたあとは多分、頭の中でイーヴォと比較してどうだこうだと
最初に考えるに決まっているので、
初めて生を聴く演奏家と、こういう出会い方をするのは良いのかな?
と、多少、自分にブレーキをかけるような思いもあるのだが、
でもせっかく大阪まで来てくれるのだし、
やはり逃したくないというのが正直なところだ。
プログラムにも、兄と完全にカブったムソルグスキー「展覧会の絵」があるし。

ときに、常日頃、私が道楽で出歩くことを、主人だって娘だって、
断じて、大賛成して心から応援してくれているワケではないのだが(当たり前だ)、
それでもここ数年、「ポゴレリチなら仕方が無い、特別だ」というような、
変な了解が、家族の間にできあがっているのを私は感じている。
東京で2公演聴いたあと、帰ってきてすぐまた福岡に行ってひとりで一泊、
みたいな凄まじい連続自分勝手(爆)が去年、主人に受け入れられたのも、
ひとえに、相手が(!)イーヴォ・ポゴレリチだったから、だ。

さて今回、「実はさー、ポゴレリチの、弟さんが、来るんだよねー」と言ったら、
「なるほど弟なら仕方がないな」という了解が、果たして得られるだろうか(笑)。
師走はそうでなくても、南座の顔見世とか、いろいろありそうだし、
何より、そのあと半年も待たずに本命の兄のほうがあるのだが……

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米東海岸でM5.8の地震、国防省や議会議事堂から職員避難(ロイター)

「ニューヨークは岩盤の上にあるから、普通は地震なんか生涯で一度も経験しない」
と、以前、アメリカ人の友人が言っていたことがあって、
もしそれが彼の誇張でなかったならば、今回程度の地震に関しても、
現地の一般人には、ろくに心構えも無かったことだろう。

ツイッターを見ていると、マンハッタン在住の日本人の方からは、
「大して揺れなかったし、家の中で何かが落ちたということも全然なくて、
地震か?という程度だったのに、アメリカのテレビが急に大騒ぎになった」
というような内容の呟きがあったが、東海岸にしてみれば、
それだけ「想定外」だったということなのだろう。

ちょうど、少し雪が積もったらすぐ全国ニュースになる東京みたいなもので、
いつもメートル単位のドカ雪に慣れている地域から見れば、
なんであのくらいのことでと思う状態でも、首都圏の混乱はそれなりに深刻なのだ。
日頃の警戒が無い場所では、小さなことが惨事に繋がる可能性も無いとは言えないから、
慣れた者には大丈夫なことでも、よそでそれに遭遇した場合には、
こちらではもしかしたら大丈夫ではないかもしれないと考え、
一応、現地基準に合わせて行動するのが、こういうとき大切なことだろうと思う。

そういえば、私が最近つきあいのある某カナダ人男性(来日4年目)は、
「ボクの経験した、これまでの人生で最大の地震は、やはり今年の3月11日だ。
あれは怖かった。長く揺れて、動けなかった。
あんな大きな地震はこれまで想像したこともなかった」
と真剣な面持ちで語っていた。
やはり北米大陸で育つと、大地が簡単に揺れるとは考えもしないものであるらしい。
ちなみに地震のとき彼のいた場所は、広島市南区である。

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科学的根拠ないのに…シューカツで企業が血液型質問(朝日新聞)
『シューカツで血液型を聞かれたらどうする? 就職活動で不況と東日本大震災のダブルパンチにあえぐ学生が悩んでいる。専門家は血液型による性格判断に科学的根拠はなく、面接で聞くことは差別につながりかねないと警告している。』『中部地方の女子学生(21)は面接で血液型を聞かれて戸惑った。B型だが、かつて「マイペースで就活に不利な血液型だ」と言われ、気にかかっていたからだ。正直に答えたが、その会社は落ちた。』『筆記も不調だったので、血液型が原因でないとは思う。しかし、被災地での態度が問題となり、7月に辞任した松本龍・前復興担当大臣が「B型だから」と言い訳していたのを見て、「B型の印象が悪くなる」とため息が出た。』

よく書いているように、私はRhマイナスB型なので、
まさかの緊急時に、違う種類の輸血などされてはいけないだろう、
ということで、それなりに、自分の血液型には意識が向いているほうだ。
だが主人などは、30歳を過ぎるまで自分の血液型を知らなかった。
私が妊婦検診でRhマイナスであることを指摘され、
生まれる子供との血液型不適合の可能性があるから
夫の血液型もRh式も含めて事前に把握しておくのが望ましい、
と産婦人科で言われたときに、彼は初めて血液型を調べに内科に出向いたのだった。

結果、主人はRhプラスA型と判明し、
「チクショ~。一番普通やった」
と悔しがっていた。いいじゃないか、多数派は何かと心強いだろ?
そして、生まれた娘もまた、新生児の段階ですぐに検査をされ、
やはりRhプラスA型だとわかった。
血液型不適合の反応が出ていたら、娘には即座に交換輸血が必要だったのだが、
私の体内で胎児のRhプラスの血液が私の血液と混じり合う機会は無かったらしく、
有り難いことに何の問題も起こらなかった。

ちなみに、娘は表現型としては父親と同じく、RhプラスA型なのだが、
RhマイナスB型の私の遺伝子が半分入っているので、
遺伝子型としては、娘はRhプラスマイナスAO型ということになる。
もし娘が、RhプラスマイナスBO型の男性と結婚するようなことがあれば、
娘からは、Rh式とABO式に関する限りは、
いかなる血液型の赤ん坊でも生まれる可能性があるわけだ。
なかなか興味深い。

……と、それはともかく、記事にあるように、今時、血液型で何かを決められる、
と企業側が本気で考えているとしたら、その人事部はかなりお粗末だと私も思う。
血液型による性格分析が、娯楽や迷信の域を出ないものであるということは、
科学的には共通理解となっている筈だ。
また、世の中、よく国際化国際化と言われるが、日本に来る欧米人などは、
自分の血液型を知らないまま成人している人も少なくないし、
日本人が話のとっかかりに好んで血液型を訊ねて来ることを、
面白がる人もいれば、不愉快に思っている人もいる。
「国際的」には、血液型をそんなに意識するほうが多分マイノリティなのではないか。

しかしそれは別として、私は、会社の面接というのは、
あらゆる話題を通して、応募者がどういう人物であるかを見ようとするものだ、
とも思っている。
会社の性格によって、無難な受け答えができるかどうかチェックしようとすることもあれば、
血液型というキーワードから、どれだけ面白い話ができるかを試している場合もあるだろう。
それはその会社が、業界の中でどういう位置づけの、どういう性格の企業であるか、
ということと関係があると思う。
私たちの頃でもあった。
わざとカンに障る言い回しでねちねちと質問し、
こちらが反論するか、受け流すか、かわすか、等々を見るという面接が。
きいきい怒るのが、たぶん一番ポイントの低い反応だっただろう。

まあ、現状では何しろこの不況だから、仮に中身がお粗末な会社だとしても、
この際、雇ってくれてお金をくれると言うなら上出来、という考えもある。
「正しい血液型」(笑)を答えて、内定を取りたい、かもしれない。
ならば、『シューカツで血液型を聞かれたらどうする』か。
履歴書や健康診断書に記入してあるのでなければ、
自分の血液型を知っているのは、面接の場では自分ひとりだけだろう。
そもそも、世の中、自分の血液型を勘違いして記憶している人も結構いるし、
どのみち自己申告の血液型なんて、たいして信頼性のある情報ではない。
何でもいいから好きな血液型をニコヤカに答えておけばいいんじゃないの?(殴)

……って考えるところが、ワタクシは典型的なB型かい?(逃)

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ツイッターを見ているとここ数日は「涼しい」、
あるいは「気温が下がりすぎて寒いくらいだ」、
というつぶやきが多いのだが、まだ私にはそこまでの実感は無い。
いくらか涼しくなったのは事実で、冷房なしの部屋にいても、
数分で倒れそうになるほど暑い、ということはなくなったが、
基本的にまだ蒸し暑く、家の中でも外でも、少し動くと汗が噴き出る。

エアコンのない納戸部屋でのパソコン作業も、忍耐の限度との戦いだ。
昨年は節電をあまり考えなくても良かったから、
納戸の向かいの娘の部屋のエアコンをつけっぱなしにして、
こちらにまで冷気が来るようにしていたのだが、
今年はそういうことはしづらいので、結果としてまともに暑いのだ。

いやはや本当に、まだまだ暑い。
家族で私ひとりがそう言っているのなら、
単に更年期のホットフラッシュだろうということで良いのだが、
娘も家では半袖Tシャツのハーフパンツという格好で冷房しているし、
主人も未だに、枕ひとつで玄関ホールに寝転んで就寝している。

ああ、わが家の夏は、いつ終わるのだ。

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