転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(写真は、娘の部屋の出窓に飾った、お正月アレンジメント。
背景に写っているのは、トイ・ピアノ)

午前中、神社へ行って正月行事の準備を済ませ、
今、一旦、中区の家まで戻って来て、昼食&休憩。
次は夜8時に出勤して、深夜までエンドレスの予定だ。

本日の新型コロナ新規感染者は広島市だけで5名。
一気にキタ感。いよいよ新型コロナの第6波の始まりだ。
東京・大阪も急激に増加しているが、
オミクロンの市中感染はまだ全く主流ではなく、
ここまでのところ飽くまでデルタの再燃だ。

娘が正月の帰省をしないのは、仕事関係の偶然もあるが、
こうなってみると巧い判断だったと、有り難く思っている。
2月以降、祝日と絡めてまとまった休暇が取れるところで帰省したい、
と娘は言っているので、ひとえに感染拡大状況次第だな(汗)。

ともあれ、なんとか大晦日がやってきた。
いろいろあった2021年も、いよいよ終わり。
各方面、大変お世話になりました。ありがとうございました。
皆々様も、どうか、お健やかで、良いお年を!

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12月30日にして、年末年始休暇最終日のワタクシである。
きょうは満喫する!と決めているので、
まずは寝坊して起きたあと、Roombaに掃除をさせた。
晩ご飯は主人がデパ地下で調達してきてくれたので昼前にして決まった。
折しも先日、『輸入住宅スタイルブックVol.25』が発売されたので、
私本人は今朝から何もせず、今や安楽椅子に落ちつき、
来年のインテリア計画(=妄想)を寝る至福の昼下がりである。

ときに、ちょうど1年前、私は「配信環境の改善を目指そう」と書いた。
ここに記録する機会を逸していたのだが、その望みを、私は概ね叶えた。

スマホもタブレットもどちらでもセットできるスタンドを購入したので、
居間のサイドテーブルにこれを立て、ソファに楽々と沈み込んで、
私は配信鑑賞ができるようになった。極楽である(^^)。
娯楽の配信はこの状態で、勉強系の配信は以前通り作業机のパソコンから、
それぞれ視聴するよう使い分けている。

さて、このあと、とにかく1月10日までの神社での御奉仕を
無事にやり終えるのが、当面の目標だ。
出来るかどうかは、新型コロナ、特にオミクロンの感染拡大状況次第だが、
広島に関しては、12月30日現在、まだなんとか踏みとどまっているので、
これから10日間の正月行事は、おそらく出来るだろう。
そのあと、1月半ばに「とんど祭」があって、2月頭に「節分祭」。
第6波に飲み込まれる前にここまでやれたら、もう言うことはないのだが、
とにかく、状況を睨みつつ、できるところまでやるしかない。
終わりまで出来たら、或いは感染状況から断念せざるを得ないところまで行ったら、
私は一目散に家に戻って籠もる。もう出かけない。
外の嵐がおさまるまで、私はStayHomeを決め込むつもりだ。
配信視聴環境もパーフェクトだし、会社も辞めたし(爆)、
神社関連行事が閑散期に入ったら、
もう容易に玄関の扉は開けないくらいの決意である!!

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今年の花は、水引のアレンジの、ちょっと華やかなのにした。
季節毎の切り花を楽しむ私の「花」道楽は、
毎年、年末に御正月アレンジメントを買って終わる。
2020年12月2019年12月2018年12月2017年12月2016年12月
年末に大きめなアレンジメントを買うのは、
私が実家と神社を手伝うようになってから始めた決まりごとだ。
今年が6回目ということは、既にあの怒濤の神社奉仕も6年目ということだ。
くくぅ、こんなに長くやるつもりじゃなかったのに……orz
それ以前は、家族3人の自由な年末年始だったので、
東京や大阪のホテルで過ごしたり、家で寝正月したりしていたのだ。
ああ、夢のようだったねぇ、当時のお正月は……(涙)。

父が未だに「ワシは神社に行かれんが、どうしたらええか」と
電話して来る様子を見るにつけ、私ももしボケたら、
自分はとっくに何もできない・しなくて良い境遇になっているのに、
なお、年末のこのどうしようもない気ぜわしさと、
このあとが怒濤の毎日になるという負担感とを
必要もないのに蘇らせて、ひとりで慌てるのだろうか(汗)。
これが刷り込みになる前に、早く手を引きたいものだ……。

ともあれ、これから二日間、私は休暇を戴く。
転夫ころもんは、きょう大阪日帰りで遊んで来ると言っている。
彼の「遊ぶ」は、本屋を巡ることと美術館に行くこと、
そして昼食と夕食の2回、食事を楽しむことだ。
高血糖やら肝障害やらがあるので、アルコールは御法度で、
内容的も加減しながらになるが、この1年よく節制して来て、
体重も維持し、先日の検診でも数値が良いと褒められたことだし、
ちょっとだけ今日は、自分にご褒美を与える休日にしたいそうだ。
ご存分に、……とは言いづらいが(^_^;、どうぞ良い一日を。

私は髪を切りに行き、帰りに先日注文したメガネを受け取り、
バイト巫女さんが髪につける白リボンを調達して来る予定だ。
年内の外の用事はこれが最後で、あとは家の掃除、
余暇は読書、語学、編み物、音楽鑑賞。
束の間ではあるが、花を眺めつつ、ゆっくり過ごしたいと思っている。

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きょうは午前中、少し時間が取れたので、
玄関に正月飾りをつけ、仏壇と神棚に鏡餅を供えて、
「二重苦(29日)」や「一夜飾り(31日)」の支度にならぬよう
早めに終えることができた。
午後からは、神社のほうの準備があったので実家の村に行き、
隙を突いて実家の注連飾りもつけてきた(^_^;。

今年は墓掃除&墓参りを早めに済ませたので、
いつもより更に余裕のある年末を過ごしているのだが、
神社のほうの最後の準備が31日午前に行われることになり、
大晦日の昼が全く自由に使えなくなったのが、やや痛手だ。
よって、休日は明日29日と明後日30日、ということになる。
満喫するぞ、嵐の前の二日間を!これから!

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さきほどまた、某ホームにいる父から電話がかかってきた。
今度は家の固定電話のほうだった。
最初、出てみると、ちょっと遠い感じのところから
「(ほら、かかりましたよ?)」
と女性の声がして、間なしに父が、
「(おう、ほうじゃね)、はいはい、わしじゃがね」
と元気な(爆)声で話し始めた。
スタッフさんに頼んで、うちの番号を伝え、かけて貰ったらしかった。

「こういう天気じゃからね、無理をせんように、できることだけすればええけ。
わしが何もできんからね。二、三日前から両脚が駄目になってね。
動けんけえ、申し訳ないんじゃが。なんじゃったら日延べをして貰うて」

先日来の父の話の内容から言って、神社の仕事を心配していると思われるが、
『日延べをして貰う』ったって、正月行事なんで(汗)。
秋祭かなんかと、混乱しとるのかな(^_^;。

私「わかったよ。心配せんでええよ。総代会みんなで、ようやっとるけ」
父「とにかく、わしゃ、脚がダメんなってね」
私「歩きにくいんじゃね」
父「ほうなんよ」
私「ええんよ。無理しんさんな。こけたらいけんけ。
 トシとったんじゃけ、ゆっくりしとりんさい。
 こっちは無理はしとらんけ。安心しんちゃい」
父「うんうん。ほいじゃあね、すまんね、ありがとね」

何がどう解決したか不明だが、父は納得はしたようで、自分から電話を切った。
父はもともと、長く話すタイプではないので、一回の通話は短いのだが、
心配なのは、このあとも頻回に電話して来ることよ(^_^;。


追記:やはり、今(12:25)、またかかってきた(^_^;。
今度は私のスマホにかけてきたが、内容は同じ。
「天気も悪いし、わしは行けそうにないし、どうしたらええかと思うて」。
どうもせんでええがな(^_^;。
もうここ何年も父は何もかも私に丸投げで、全く何もしていなかったのだが、
いろいろ、わからんようになったんだねぇ(^_^;。
ボケた頭で精一杯、心配してくれているのはわからないではないのだが、
ワタクシこれから、尋常でないほど忙しい時期を迎え、
普通の電話対応だけでも手一杯なんで、できれば電話しないで戴けますか(逃)。

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今季、私は会社の契約を更新せず、12月24日付けで退社した。
2013年秋に非常勤として採用され、研修やOJTなどを経て、
2014年1月から2021年12月まで、およそ8年間の勤務生活!
前半4年間は、任される仕事が次々に増え、実に忙しくも充実した勤務となり、
扶養控除内で働くのが難しくなって頭を悩ませた時期もあった。
娘が大学に行って家を離れたのを機に、会社勤めを始めたのだが、
50代になってよもやこれほど使って戴ける場があるとは、
当初思ってもおらず、勤務先には今も大変に感謝している。

2018年頃から、実家両親の介護問題と、村の神社の仕事が入って来て、
スケジュール帳の綴じが外れそうなほど予定を書き込む生活になり、
いくらなんでもシぬと思って、会社の仕事を減らすようになった。
タクシーで朝から神社へ行って、某ホームへ寄って、タクシーで会社に出勤し、
夕方からまた、タクシーで村までもう一往復、……という生活では、
金銭的に、何のために働いているのかわからないし、
何より自分の心身も疲弊するので、さすがに限界だと思ったのだ。

折しもそこに、コロナ禍がやってきて、私は自宅に閉じこもる生活を経験し、
その静かで快適な過ごし方に、目が覚めた思いになった。
これはもう、そろそろ会社を辞めて「老後」を手に入れるべきときが来ている!
東奔西走する生活は、身の丈に合っていない!と思い至り、
2020年夏に、マネジャーに「辞めます」と申し出た。
還暦近いオバあさんより、会社は若い人を雇うべきだろうし、
私のような者は、そろそろ退散すべきだと我ながら思った(汗)。
それでも籍だけ更に1年は置いて貰えた。有り難いことだった。
去年から今年にかけては、もうミーティング以外行かないことが大半だったのに。

最後の出勤日には、同僚たちに挨拶し、クリスマスのチョコレートを配り、
自分の机を片付け、書類をシュレッダーにかけ、ネームタグや名刺を返し、
フロアのエレベーターまでマネジャーに送って貰って、外に出た。
思い返せば、「退職」はこれで三度目、か。
29歳で、地方公務員として働いた最初の職場を結婚退職で辞めたとき、
38歳で、今治で経営していた極零細学習塾を人に譲ってお別れしたとき、
そして57歳で、パート勤めの会社を退社した、今回。

いや~、毎回思うけど、様々な思い出が胸を去来し、懐かしく、寂しく、
それ以上に、……スッキリするね。(殴)

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クリスマス寒波なるものが来ると予報が言うので、
昨日、温かいうちにと思い、朝から行動開始し、
舅姑の墓と実家の墓に参り、某ホームに寄って両親に面会した。
午前中いっぱい、これに費やした(^_^;。

舅姑の墓は、周辺のお墓も花が新しくなっているところが多く、
皆、本格的に寒くなる前にと思って年末の墓参りを早めたのか?
実家のほうの墓は、私が来ていない間に親戚の誰かが参ったらしく
私の記憶には無い榊が供えられていた。

両親は一応、変わりなくしていたが、
フロアのスタッフさんのお話によると、父は昼夜逆転していて、
昼間が眠くて、食事になっても目が閉じてしまい、
介助しないと進まないとのことだった。
私と話している間も、話しかけると瞬間的に顔を上げるが、
長持せず(^_^;、すぐにだらんとなってうたた寝していた。
母のほうは、私を見るなり、
「あんた、ちょっと、お金くれん?」
と言うので、逆らわず、持っていた財布から1万円札を出したら、
「そんなん、違う!」
どうやら、下の売店などで使うのに、千円札が欲しかったようだった。
それで財布の中の千円札と、500円玉をあるだけ渡した。

今日と明日は、特に予定なく、私は自宅に籠もって過ごしている。
確かに気温は刻々と下がっている気がする。
天気予報の通りなら、今回の冷え込みはとてもこれで済むようなものでなく
明日より更に明後日26日がとんでもなく気温が下がるとのことだ。
私は26日は、神社のほうに行かねばならないのだが……(汗)。
もう、墓参りも終わったことだし、神社の用だけしたら
とんで帰って自宅で温もろう(^_^;。
年末年始は、それよりはマシな気温になるという予報なのだが、
さて、当たるかどうか……。

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10日前に買った薔薇が、今日もまだ綺麗なのである(^^)。
莟みが次々にふくらみ、花開いて、楽しみの尽きることがない。
切り花は本当に良いな。こうして休日に眺めるのは、なおのこと。

 

しかし、いよいよ12月下旬となり、神社の正月準備期間に突入したので、
家にいても、なんとなくカウントダウンをしている気分は拭い去れない。
もうじき、あの怒濤の初詣対応の日々が、やってくる(汗)、という。

この前の日曜日に神社の総代会があり、大まかな正月準備に着手し、
このあと、それぞれの担当の準備を進めて、
31日午前9時に再度、神社に集合して最終的な仕上げをすることになった。
私は明日と26日に出るが、それ以外は当日まで何もないので、
今年の12月最終週は、ちょっとゆっくりできる、かもしれない(^_^;。
一方で、31日は午前中に神社で、上記の準備などをひとあたりやったあと、
一旦、マンションまで帰ってきて、午後に一寝入りし、
夜8時までにもう一度、神社に出勤せねばならない。
そして除夜祭と初詣が一区切りついたところで、
1日午前2時半にまたもやマンションまで帰ってきて、朝6時半まで仮眠。
1日朝は歳旦祭があるので、7時台にタクシーで出勤……。
自宅マンションー実家の村、の二往復半か……orz

総代会における『それぞれの担当』とは、
例えば、社務所内の授与所レイアウトをする係、
破魔矢などの授与品を整理し並べておく係、門松を作成・設置する係、
神饌(お供え物)を準備する係など、様々な割り当てがあり、
次の集合日までに個人で出来るところは、
各自の都合の良い時間に出て、やっておくことになっている。
私は、参拝客の方々が授与所に並んでいる間に見て戴けるように、
「おふだ」や「御守」のカタログを作成しておくことと、
拝殿や社務所にとりつける注連飾りを調達するのが、当面の役目だ。
それと、正月の祈願予約を一覧にしてタイムテーブルを作成するのと。

注連飾りはもう買った。
広島には、注連縄を三重に巻いて、中央に「だいだい」をつけ、
ゆずり葉を両側に垂らした、独特のかたちの注連飾りがある。

大きい方は二つ用意して、社殿と社務所に、
小さいほうは境内社の祠につけるように用意した。
私自身は、自分の趣味で、自宅マンションの玄関用には毎年、
水引や繭玉で飾った東京風の注連飾りを選んでつけているのだが、
神社は氏神さまだし、伝統的な広島飾りが良いだろうと思って、これにした。

さあ、あとは何とか、オミクロンの上陸と感染拡大が、
少しでも遅いペースで始まりますように、と祈る日々だ
(『始まらない』のが最善だが、それはいくらなんでも無理だろう)。
できれば1月9日までの初詣行事は、目立った感染拡大がないまま済ませたい。
この点については、うちの総代会の副総代長も同意見であった。
「12月29日時点での東京の感染者数を見て、その後の計画を最終決定する」
と副総代長は言っている。
行事計画は行き当たりばったりでは駄目だし、同時に、柔軟でなくてはならない。
こっちこそ本当に、ケツに火のついた、カウントダウンの気分だ(汗)。

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今朝起きてスマホをチェックしたら、
某ホームにいる父から、午前2時51分に
「誕生日」という題の変テコなeメールが来ていた。
開くと、HAPPY BIRTHDAYのデコメール(のテンプレートそのまま)。
なんじゃ、これは(^_^;。誰の誕生日でもないが?
だいたい、なんでまた、こんなとんでもない時間に携帯をいじっていたのか。
父はもっと元気な頃でも、メールなどやらなかった筈だが…??

もしや、父の携帯が何者かに乗っ取られた……?
しかし父はホームから外出しないし、
恐ろしく古い機種のガラケーでWiFi接続もない筈だし、
日常ほとんど携帯操作そのものをやらないから、
変なウイルスメールを開いたり、不用意にURLをクリックしたり、
などということを自分でやったとも、考えにくい。
容態がおかしければホームのスタッフさんから私に連絡がある筈なので
それがない以上、夜中に私に連絡を取る必要があったのでもないだろう。

……等々と不審に思っていたら、さきほど私のスマホが鳴り、
見ると母の携帯からの発信で、出てみたら父が、
「もしもし?わしゃね、今、本当に困っとるんじゃがね。」
声は普通で、特に体調が悪そうでもなかったが、
「どしたんね。何を困っとるんね?」
と訊ねてみたらば、
「もう12月じゃが。10月は隣村の、11月にはうちの村の神社のがあるんよね、
それの案内を、全然しとらんかったんじゃが、どうしたらええかと思うて。」
「祭のことじゃろ?」
「ほうよ」

3年ぶりに思い出したんですね。

父はなぜか突然に、「神社の仕事をしていない」ことに気付いたらしくて、
私に連絡を取り、それらをやるように命じておかなければならない、
という考えに取り憑かれたらしかった。
それは、昨夜というか今朝の3時前に始まったのだろうか?
それで電話をしようとあちこちいじり、
私に誕生日おめでとうデコメをくれてしまったのだろう。
父の携帯の電話帳登録がどうなっているかよくわからないが、
ほかの人に何か送ったり電話をかけたりしていないだろうね(^_^;?
全然誕生日じゃないのに、すげーじーさんから丑三つ時に突然祝われたら、
なんの呪いかと、普通のヒトはビックリするよ(^_^;?

神社の社務関係は私が遺漏無くやっているから心配ない、
と一応、言い聞かせて終わったのだが、納得したのかどうか(汗)。
続いて母が電話に出てきて、
「さすがに90過ぎたらもう、お父さんも私もマトモやない。
電話のかけかたがわからんようになった。
あんた、毎週いつと決めて、必ず電話して来るようにしてくれへん?」
と私に要求していたが、

私からかけても、大半、出ないじゃないか。

これまでだって、用のあるときもただの御機嫌伺いのときも、
私からかけてみたことは幾度もあった。
しかし二人とも、最近は、かかってきた電話に応答する能力がなくなった。
鳴らしてもまず出ないし、着歴を見てかけなおして来ることも皆無だ。
父の電話など、電源が入っていない、又は充電切れになっていることも多かった。
自分からかけてきたときに、私が応答できるタイミングであれば、
電話での会話がうまく成立する、という状態を、もう数年は続けて来たのだ。

母はこのところ、電話をかけて来るたびに、
「電話のかけかたが、とうとう、わからんようになった、と絶望している」
という話を繰り返していて、どうも、電話がマイブームらしい。
ちょっと前までは「ものが不味い」話に終始していたものだったが。
昨日も神社に行くまえに昼食の差し入れをしたのだが、
それはもう完全に忘れているらしく、きょうの電話でその話は全く出なかった。
今更、礼を言われたくてやっている訳ではないけどもよ。
父はさきほどは一応、話に納得したようなしないような感じだったが、
頭の具合によっては、また真夜中に電話して来るんですかねぇ(^_^;。
こちとら、神社がいよいよ年末年始で、手一杯なんスけど(^_^;。

「まあ、90過ぎてもこうしてまがりなりも話ができて、
それは幸せやと思うとんねん。もうこれ以上、望むこともないほど恵まれとぅ」
と母はそれでも、良い言葉も、まだらに言っていた。
「今度からはおじいちゃんに『こないだ、よしこと電話ちゃんと出来たやないの』て
言うとくわ、それなら納得しはるやろ」
とも母は言っていたが、いや、だから『電話』は母の心配事キーワードであって、
父のほうは、『祭ができとらん』ことに、今は熱中しとるのだと思うがね(^_^;。
『神社のことは、よしこが全部やっとぅから何も心配いらへん』
と言っといて貰えませんかねぇ(^_^;。この台詞を覚えるのは無理か(^_^;。


追記:さきほど19時30分頃、またしても父から電話がかかってきた。
「明日、こっちへ来られん?」
と言うので、何があるのかと訊ねたら、
「12月の祭の案内状を、まだ出しとらん」。
話が秋祭から年越祭へと進んだが、やはり神社の仕事が気になっている(汗)。
夢の中でありがちな「試験・発表会・仕事etc当日なのに準備できてない」的に、
「祭なのに案内状その他に全然手を着けていない」という設定になって、
父は目下、ひとりで焦っているようだ。
年越祭は先日既にあったので、
「全部やってあるけぇ。もう祭も終わっとるし、何も心配せんでええんよ」
と言ったのだが、父は実感が持てないようで、安心した様子はなく、
「ほうお?ほいじゃあ、もう、放っとくよ?ええんじゃね?」
と妙にエラそうだった(爆)。

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昨夜、広島地方気象台が中区でも初雪を観測したと発表したので、
今朝は覚悟して実家の村に行ったら、それなりに積もっていた。
日が完全に昇ってからは、地面の雪はほとんど溶けたが、
日陰になっている箇所や、屋根の上、自家用車の上などには
午後になっても白い雪が残っていた。

まずは朝、村に到着してすぐ実家に入ってみると、それはそれは寒かった。
自宅マンションにいても、真冬はそれなりに寒いと私は思っていたが、
きょう実家に行って、「寒い」のレベルが違うことを体感した。
寒村の築100年の一戸建て、しかも空き家同然の田舎家の朝は、
「寒い」というより、「痛い」「凍みる」という感じで、
冷蔵庫の中で暮らすのと変わらなかった。
比喩ではない。本当に室温5度以下だった。
とりあえずエアコンを「暖房25度」に設定して、
お正月用品の整理のため神社に上がったら、
隣町に住む某宮司さんが、息子さんお二人とともに、
門松にする竹を裏山から切り出されているところだった。
嗚呼、いよいよお正月(T_T)。

宮司さんに挨拶したのち、午前中で神社の用事をだいたい片付け、
昼前、また実家に降りてきたが、室温は10度台になった程度だった。
私は家の中でコートを着て、持って来たサンドイッチを昼食にし、
じっとしていると寒くて鼻先と指先が限りなく冷たくなるので、
もう早々に帰ることにした。
「やっぱり、ゼッタイに、大晦日に実家に泊まってはダメだ」
と、先日の決意を心の中で再度リピートしたワタクシであった。

自宅マンションに帰り着く前に、気晴らしのため、
馴染みのインテリアショップに久々に寄って、
来年新調するかもしれないダイニングセットの候補をいくつか見せて頂いた。
国産でかなりリーズナブルなセットがあり、雰囲気も良かったので、
シートクッションだけもう少し分厚くできるかどうか、
問い合わせて戴くことになった。
期限のない話だし、決まってしまう前の、この可能性に満ちた時間が、
いつも最もワクワクできる(笑)。
実に良いひとときで、元気が出た。寄ってみて良かった。

それから某メガネ屋さんに行き、「近近」の老眼鏡を注文した。
私はそもそも、小学校低学年の頃までは、裸眼視力1.5だったのだが、
12歳で風疹で寝込んで以来、モノが二重に見えるようになって、
これはさすがに風疹の後遺症ではなく、発覚のタイミングが重なっただけだろう、
とは思っているのだが、ともあれそのときから眼科の馴染み客になった。
最初は近視と診断されたが、その数年後、かなり強い乱視もあると言われ、
中1でメガネを、高2でハードコンタクトレンズを使い始めた。
更に十数年前から老眼にもなり、遠近両用メガネを所有する身となった。

以来、主としてその「遠近」メガネを外出時に使用し、
室内でパソコンをしたりテレビを観たりする「中近」メガネも途中で作り、
この二種類を使い分けて暮らしてきたのだが、
このところ老眼が徐々に進んできた自覚があるので、きょうは、
手元の視野が広く得られる「近近」メガネを新たに買うことにしたのだ。
かつて予言した通り、ついに私は、
『近いところ用、遠く用、もっと遠く用、の3種類の眼鏡を使い分けるヒト』
へと進化(違)を遂げようとしているのであった。

ここだけの話、私はいつの日か白内障になって手術を受けることになったら、
この厄介極まる屈折異常が、なんらかのかたちで軽減されるのでは
と、期待している。
現在の私は、近距離・中距離・遠距離、すべてで視力矯正が必要だが、
白内障の手術で単焦点の眼内レンズを入れるようになったら、
少なくとも遠近どちらかはメガネが要らなくなる、……筈だ。理論的には。
更に、自費診療を辞さないならば、
様々な距離に概ね合わせられる3焦点の眼内レンズを選択することもできる。
それなら、読書用にだけ、僅かに老眼鏡を使用すれば事足りるかもしれない。
ああ、いやいや、そこまで欲張らなくても勿論構わないのだ。
近・中・遠、どれかひとつだけでも、メガネへの依存度が下がるなら、
それは私の現状より「改善」することになる。
……今まだ白内障になってもいないのに、
将来の白内障手術を楽しみに待つ人間なんて、普通おらんな(汗)。

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