転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



伝染性単核球症、という病気を私は知識としては知っていた。
ごく大ざっぱに言えば「酷い扁桃炎」の類いだが、
細菌性でなくEBウィルスの初感染の際に発症し、
特に思春期以降の患者では症状が重くなる。
私自身、慢性扁桃炎では結構苦労して来たので、
三十代の頃に自分の状態をネットで調べていて、
こういう病気が存在していることを学んだのだが、
自分の経験した扁桃炎はこれに全く該当していなかったし、
まさか、実際に罹患する人が身近に出るとも思っていなかった。

EBウィルス自体は、大変ありふれたもので、
成人のほぼ全員が既感染者であり抗体を持っていると言われている。
唾液を介して感染するので、飛沫感染、キス(笑)、飲み物の回し飲み、
などがキッカケとなり得るが、潜伏期間が30~50日と長く、
感染源や感染経路を特定することは難しい。
小さい頃に感染すると、症状の出ない不顕性感染で終わるか、
普通の扁桃炎として短期間のうちになおってしまうことが多いが、
上記のように、十代以降に初感染すると、症状のハッキリした、
「伝染性単核球症」として発症する場合がある。
血液検査をすると単核球の増加が見られるのでこの名があるが、
自覚症状としては、発熱・倦怠感・偽膜性扁桃炎・リンパ節腫脹、
などが数週間から数ヶ月続き、やがて完全に回復するという、
経過は長いが、基本的に予後の良い疾患である。
二十代半ばまでの患者が大半を占める。
――という感染症に、このたび、娘が罹ったのだ(^_^;。

娘の経過は、およそ以下のようなものだった。
6月下旬~ 倦怠感・頭痛を時折感じ、体調不良を自覚
7月半ば 毎日のように頭痛あり、咽喉の痛みと微熱もあり。
7月17日(水) 頭痛外来のある地元の「内科・神経内科」クリニック受診、
 扁桃に化膿した箇所があるとのこと、抗生剤フロモックス他処方される。
 その時点では、続く頭痛は筋緊張性頭痛だろうとの診断。
7月18日(木) 午後には一旦、体調改善・咽喉の痛みのみとなる。
7月19日(金) 午後から急激に扁桃炎悪化、激痛で即座に耳鼻科受診、
 両側の扁桃が真っ白に化膿しており「かなり酷い」と言われ
 抗菌剤ジェニナックほか7日分、処方される。発熱37度台。
7月20日(土)~ ジェニナック服用するも改善なし。頚部リンパ節数カ所の腫れ。
7月22日(月) 発熱38度。再度、耳鼻科受診、ジェニナックが効かないとなると
 ウィルス感染の「伝染性単核球症」だろうとの診断で、採血。
7月25日(木) 扁桃の化膿した箇所が初めて減り、症状軽快を自覚。
7月26日(金) 解熱。耳鼻科受診、血液検査の結果「伝染性単核球症」と確認。
 扁桃の白苔がまだ残っており、抗生剤クラリスと肝保護剤7日分処方される。
7月27日(土) 平熱。咽喉の痛みは「風邪の始まり」程度、ほぼ気にならなくなる。
 解熱鎮痛剤不要、日常の家事再開、買い物等の外出もできるようになる。
 
抗生剤を服用しているのに、扁桃炎が猛烈に広がるというのは
医療オタの私にとっても、さすがに気味の悪いことで、
19日(金)から21日(日)のあたりが、ちょうど週末だったこともあり、
期間中最も心配した時期だった。
夜中に高熱になったらファストドクターというテがあること、
呼吸が苦しいと感じたら躊躇せず救急車を呼ぶこと、を娘にLINEで伝えたが、
同時に、抗菌剤ジェニナックを使っても全く改善がない、と聞いたとき、
私は、これこそあの「伝染性単核球症」ではないか、と思うようになっていた。
それで娘に、細菌性扁桃炎ではなく、EBウィルスの感染の可能性があるから、
処方された薬が終わるのを待たず22日(月)に受診するように、と勧めた。
EBウィルスなら、早く受診したからなおるというものではないが、
サッサと血液検査して診断確定して貰いたかったのだ(^_^;。

急性期には、お茶を飲むのも決心が要るほどの咽喉の痛みで、
最初の内科で出されたアセトアミノフェンは残念ながらあまり効かず、
22日(月)に耳鼻科で採血後に処方されたポンタールの御蔭で、
以後、娘はどうにか飲食が可能になった。
ポンタールはロキソニンのように早く効いてくれる薬ではなかったが、
待っていると効果が発現し、安定的に結構長時間痛みをおさえてくれて、
なかなか優れた薬であることが、娘の体験談から感じられた。
26日(金)に耳鼻科に行ったら、血液検査の結果が来ていて、
伝染性単核球症と診断が確定した。
肝機能もかなり悪くなっていることがわかり、
これまた伝染性単核球症の典型的な経過のひとつなので、よく納得できた。

先週一週間、娘は会社を休んでアパートで寝ていたが、
外に出られるコンディションになったと自分で思えば、行って良い、
と26日(金)の受診時に耳鼻科で言われたので、
娘は週明けから出勤する予定にしている。
人にウツすから出勤・出席停止という感染症ではなく、回復状況次第なのだ。
伝染性単核球症の場合、一週間で職場復帰するのは20%、二週間が50%、
という統計をネットで見たので、娘は比較的順調に回復しているようだ。
しかし、少しぶり返しがあったり、数ヶ月単位で疲労感が残ったりと、
治りかけにもいろいろな症状の出ることがあり、
合併症などの心配も、まだ完全になくなった訳ではないので、
娘には今後しばらくは侮らずに大切に過ごして貰いたいと思っている。
もちろん禁酒だ、肝臓の数値が回復するには数ヶ月かかる場合もあるからなっ。

ちなみに、娘がこのように長い病気をするなどとは初めてのことだったので、
放っておけないと思い、私は23日(火)の夜から二泊三日で東京に行った。
24日(水)が国立劇場の千秋楽だったので、素晴らしく、ちょうど良かった(殴蹴絞)。


追記:娘はその後、8月3日に再度耳鼻科を受診し血液検査を受けたら、
肝機能は正常に戻っていたことがわかった。
予想したより早かった。有り難いことだった。

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13日(土)、いつもの3時の仕事がひとつキャンセルになったので、
私は急遽思い立って、大阪松竹座に行った。
もともと14日(日)15日(祝)の二日間は国立劇場に行く予定で、
東京旅行の算段は早くからしてあったのだが、
それの前に大阪遠征をくっつけることに成功したのだ(^_^;。

出発が遅く、夜の部の最初の『葛の葉』は間に合わなかった。
時蔵は美しかったことだろうと思い、残念だったが、
その次の『弥栄芝居賑』からは、通して観ることができた。
これは、「関西・歌舞伎を愛する会 結成四十周年記念」を祝う口上の一幕で、
幹部俳優が勢揃いし、大阪の歌舞伎をここまで守り立ててきた、
「関西・歌舞伎を愛する会(=発足時は「育てる会」)」への感謝を述べ、
上方歌舞伎が今後も更に発展しますようにと、観客の支援を乞い願う、
という内容だった。
私自身は、幼い頃から普通に中座にも南座にも行っていて、
東京の歌舞伎座ほどではないが、関西には関西の歌舞伎がある、
と当たり前のように思っていたのだが、
考えてみれば、一時期、西の歌舞伎の灯は消えそうにすらなっていたのだった。
今だって、実のところ、大阪松竹座は完売御礼とは行かなかったし、
先月の博多座もその前の御園座も、観客動員に苦戦している様子は明らかにあった。
これは西日本在住の歌舞伎ファンとして、今後も積極的に通わなくては、
と改めて思ったことだった。

その次の『上州土産百両首』、これは素晴らしかった。
主演の芝翫の正太郎が江戸前で格好良く、
幼なじみの牙次郎を思う気持ちがひたすらに熱く、まっすぐで、泣けた。
弥十郎の「できた」親分としての姿にも心打たれるものがあったし、
出番は少ないが猿弥のふくよかな(笑)「宿屋の主」ぶりも気に入った。
また、橋之助の悪役・三次もかたちがキマっていて色っぽさもあり、かなりの好演、
正太郎を慕う娘おそでの壱太郎も、短い場面ながら印象的で良かった、のだ、
が!何より!菊之助の牙次郎のハマり具合に
私は最も驚き、唸らされてしまったのだった。
藤山寛美がかつて務めた役であり、ドジで役立たずだが魂だけは綺麗、
というのが、この第二主役である牙次郎の役どころなのだが、
菊之助はおぼつかない感じの歩き方からして既に独特で、
のろまの「がじ」でも菊之助なのでやはり美形でもあり、
しかも正太郎に向かって「あにぃ」と呼びかける声音の、
なんとも言えぬ愛らしさ、まろやかさ。
彼の非凡さが観客には垣間見えるだけに、正太郎の真情が更に際立ち、
この「がじ」ならばこそ、正太郎が命を賭けるのも頷ける!
という並々ならぬ説得力が生み出されていた。

……というか菊之助、5月は道成寺、6月は土蜘、今月は「がじ」、
なんでアナタそんなに何でも出来るの?なんで何やってもそこまで巧いの??


道頓堀の松竹座の終演が8時半で、そこから地下鉄御堂筋線で新大阪に行くと、
あまり焦らずとも、東京行きの最終の「のぞみ」に間に合った。
日付が変わる頃に東京に着き、そのまま定宿のホテルに入って、寝た。
実は今回、連休ということで主人も私とは全く別のルートで東京に来ており、
ホテルも、彼のほうの事情と趣味とで赤羽に取っていたので、
我々はLINE以外では全く接触のないまま、別々に東京入りすることになった。
翌日も、私は国立劇場を昼夜観劇、夜は早くからホテルで爆睡したので、
またもや主人とはLINEで遣り取りしたのみだった。
夫婦で東京に行った、……と周囲は思っていたかもしれないが、
実情は、ここまで食事すら接点が無かった。
私は観劇後はファミレスやコンビニで十分な人間だが、
主人はそういうものは絶対に許さないのだ(^_^;。
良いのだ、お互いに重視するところが違うのだから、めいめいで遊べば(^_^;。

 

15日(祝)には、私は再度、国立劇場に行った。
「七月歌舞伎鑑賞教室」が松緑の主演であったことと、
玉太郎と左近が交互にダブルキャストで出演する企画であったこととで、
私には、複数回観る楽しみが大きかったのだ。
更に、15日は終演後にそのままアフタートークが行われると、
予め発表されていたので、それを観るという目的もあった。
この日は友人某氏と一緒に観劇した。

公演の最初は、坂東新悟と中村玉太郎による『歌舞伎の見方』、
素晴らしい口跡と、テンポの良い解説に気持ち良く聴き入り、
『車引』では松緑の松王丸を観て、その大きさに心から満足し、
息子・左近の演じる杉王丸の、輪郭の鮮やかさにも感じ入り、
最後は『棒しばり』で、松緑×亀蔵の、息の合った踊りを堪能させて貰った。
『棒しばり』は以前、松緑×菊之助が演じたときには、
菊之助の持ち味のためなのか「可愛いけど妖しい」隠し味があって
不思議な魅力のあった演目だったが、今回は亀蔵なので、
徹底的に楽しいエンターテインメントに仕上がっていた。
松緑×亀蔵は、研ぎ澄まされたような踊りの技術を持っているのだが、
それをオモテには出さずに、ひたすら楽しく見せてくれて、
ふたりの踊りの相性の良さと、それぞれの力量の高さをつくづく感じた。
また、曽根松兵衛の松江は大らか、かつ上品な可笑しさが絶品で、
『いてくるぞよ~』の愉快な声音は、今思い出しても頬が緩む(笑)。
尾上緑のスマートな後見ぶりも逃さずチェックした、ワタクシであった(^_^;。

アフタートークは、進行役が松緑で、松江・亀蔵・新悟の3人と登場、
今月のは短い演目ながら大変ハードな内容の公演であることや、
鑑賞教室なので学生さんや社会人の初心者の方々が多く、
客席の反応が普段とは違う面があるので、
そういう場に相応しい演じ方を意識しているということ、
外国人の方が最前列にいらした日には、最後には座席で踊り出されて、
一緒に楽しんで下さったのが嬉しかったこと、等々のお話があった。
また、この度の演目選定については、
当初は『夏祭り』を考えたが「学生さんたちに親殺しの話はNG」、
では『身替座禅』はというと「今時『不倫』はヨロシくない」、
となり、なかなか難航した、等々松緑より暴露(!)されていた。
そして最後は、各出演者の出題する三択クイズに正解すると押隈が貰える、
というイベントもあって、なかなか盛りだくさんだった。
おっとりとした松江さんが、松緑にイジられていたのが可笑しかった(^_^;。

ということで、満足した友人と私は、そのあとお茶をし、
松緑話ほかで盛り上がり、某ホテルのラウンジでケーキを楽しみ、
私は東京発・広島行きの最終の「のぞみ」で帰って来た。
今回は人並みに、週末三連休を満喫できた!と幸せに思った。
付き合ってくれた友人も感謝感謝<(_ _)>。

******************

ところで、15日の昼に某ホテルにて、主人、娘、友人某氏、私で
揃ってランチを楽しみ、これが期間中唯一の家族イベントとなったのだが、
その時点では大変元気そうだった娘が、
同日夕方から微熱が出て咽喉が痛くなり、
昨日は久しぶりに近医の内科にかかることになった。
梅雨入り以来、東京は長雨で、娘はなんとなく元気が出ず、
頭痛のする日も多かった、という話を今になって聞き、
それは低気圧のせいもあるかもしれないが、
やはり6月から大宮勤務に変わったことで、
ちょうど疲れが出る頃だったのだろう、と私は思った。

娘はもともと、体調不良にはほぼ必ず頭痛がついて来るヒトだったので、
この際だからと、家に近いところで頭痛外来のある「内科、神経内科」を
検索して探し、昨日は休息も兼ねて有休を取り、受診してきた。
扁桃のあたりに炎症が起きており、肩凝りが原因の筋緊張性頭痛もある、
との診断で、抗生剤と解熱鎮痛剤、他、漢方薬など処方されたとのことだった。
さきほどのLINEによると、きょうは娘は通常どおり出勤はしていたが、
まだ怠いのと、昨日より更に咽喉が痛い、と書いていた。
ウィルス感染の扁桃炎や咽頭炎なら、薬を飲んでも1日ではなおらんな(^_^;。
とりあえずこの際、ちゃんと安静にして、酒を断つことさね(爆)。


追記(7月19日):娘の扁桃炎は、一筋縄では行かなかった(汗)。
18日には一旦、気分がすっきりして頭痛もなくなり、
「ただ咽喉だけが痛い」とLINEで言っていたのだが、
19日の午後には咽喉痛が耐え難いほどになり、微熱が出て再び頭痛も感じ、
娘はたまらず耳鼻咽喉科に行ったそうだ。
両側の口蓋扁桃が真っ白に化膿しており、
それまで貰っていたフロモックスが、ジェニナックへと変更されたとのことだ。
細菌性なら抗菌剤が効くだろう。ウィルス性なら自然治癒を待つしか……。


追記2(7月22日):娘はどうやら「伝染性単核球症」に罹っていたようだ。
ジェニナックを3回服用しても改善がなく、きょう耳鼻科にかかったら、
そのように言われ、確定診断のために血液検査をされたそうだ。
娘は発熱38度と、両側口蓋扁桃の化膿、首のリンパ節の腫れ、等々が症状だ。
検査結果は一週間後に出るが、恐らくアタリだろう。
こうなると治療は要らないが、ウィルス感染なのでなおるまで付き合うしかなく、
少々、時間のかかる話になりそうだ。
日本では、大人になるまでにほぼ全員がこのウィルスの抗体を獲得するのだが、
小さい頃なら単なる扁桃炎と区別がつかないかたちで済むものが、
思春期以降に初感染すると、娘のように、結構ハデな症状になってしまう。
世の中の成人全員が持っているウィルスなので、そもそも予防は不可能、
罹ったタイミングがさほど悪くなかったことを感謝するしかなかろう(^_^;

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私の、今年度上半期の小さなプロジェクトは、
主人の部屋のカーテンを一新することだった。
マンション入居時、それまで官舎で使っていたカーテンは
どれも新しい部屋の窓にはサイズが違い過ぎて、
オーダーで作るほかなくなり、限られた予算の大半を居間に費やしたため、
主人や娘の部屋のは「間に合わせ」的な品になったのだが、
部屋の主である本人は、それを全く苦にしていなかった。
さすがにカーテン無しの丸見えだったら困っただろうが、
不都合でない程度に何か吊ってあれば、それが何色だろうと、
材質やデザインがどうだろうと、全然、主人の眼中には無かったのだ。

しかし私は、もともとインテリアには並々ならぬ関心があった。
単に「おかしくないだけ」のカーテンには、最初から決して満足していなかったし、
これをいつかどうにかしたい、という思いは、年を経るごとに大きくなっていた。
人間、若いうちは、自分のほうにエネルギーや生命力があるので、
安価でカジュアルな品に囲まれても特にどうこう思わないし、
否、むしろそのほうが身軽で似合っていたりするものだが、
トシをとっているのにチープな空間で頑張ろうとすると、
やたらと空しさが強調されるようになる、と私は思う。
化粧だって、「素肌に口紅一本」が輝くのはボディ本体が若いからこそで、
老けてなおそれが通用するかというと、かなり厳しいことが多いのではないか。
同様に暮らしのほうも、年齢が上がったらインテリアに補って貰う必要がある、
と、私は常々感じているのだ。
……というようなことを下手に言うと、いや、上手に言ったとしても、
主人を年寄り扱いしたことになり、事実その通りなのだが(爆)、
ともあれ主人が、「おぅ、変えてもええで~」と私を放任してくれたのを幸い、
私は早速、昨年夏以来馴染みの某家具店に、先月から幾度か出かけては、
現状について相談をし、まずカーテンのカタログを見るところから始めた。

私はここに至ってようやく、ウィリアム・モリスがわかるようになっていた。
かなり長い間、私は多色使いのカーテンを好まず、
単色でモアレのような風合いのものがベストだと感じていたのだが、
この数年、モリスのモチーフを味わい深いものと思うようになった。
それで、いくつかの候補のうち、主人の部屋には、
モリスの「ラーモ」と「ピンパーネル」で少し迷って、結局後者を選んだ。
主人が『The Scarlet Pimpernel』(原作および宝塚初演の星組)を
こよなく愛しているので、それにちなむことにしたのだ。
共布でクッションも作って貰った。こういうのはオーダーならではの楽しみだ。
 

レースカーテンは、同じくモリスの「ウィローボウ」にした。

これはモリスのレースのうちではかなりリーズナブルなのだが、
価格に比して、信じられないほど見栄えのする生地だ。
これを、今回ばかりは3倍ヒダにはこだわらず
メーカー推奨のfilo標準縫製2.3倍ヒダで仕立てて貰うことにした。
無地のボイルカーテンならヒダ数で魅せたいところだが、
美しいレースとなれば、少ないヒダ数で模様を見せるほうが良いと思った。

スタイルに関しては、この部屋には窓が2方向にあったので、
丈の短い中連窓のほうは、ローマンシェードにした。
(以下、少し上げたところと、完全に降ろしたところ)

実際に取り付けてみると、図柄を最大限に味わいたければ、
ヒダのあるカーテンより、プレーンシェードのほうが断然良かった。

掃き出し窓は普通のピンチプリーツにして、
レールは、ウッディレールをダブルで使い、
両方とも同じキャップをつけて貰った。
通常、キャップ同士が干渉するのを避けるため、
レース側のキャップは小さなものや平らなものを使用することが多いが、
私は両方同じ丸いキャップにして貰いたいとお願いした。
これらはもともとこの部屋で使っていたレールの使い回しなので、
購入費用はかからずにできた。


惜しむらくは、この部屋には家具らしい家具がない(爆)。
なんと、マッサージチェアとブックケースしかないのだ。
作り付けの本棚は、入居後しばらくして造作家具としてオーダーしたので、
彼の膨大な(漫画中心の)コレクションは壁際にずらりと並んでいるのだが、
そのほかには、ベッドも無ければソファもテーブルも無いのだった。
「だって、ワシ、あっても使わんもん。要らん」
と主人は言うのだった(^_^;。
こういうところの感覚は、未だに官舎暮らしが抜けていないようだった。
この部屋は、間取りとしては本来「主寝室」に位置づけられているので、
将来、足腰が弱ったら、ここにベッドを入れても良いのではないかと思うが、
主人には今のところ、まだそういう気持ちは無いとのことだった。
まあ、このたびはファブリックだけのつもりだったのだし、
家具はまた、更に将来の楽しみにしたいと思っている(^_^;。

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