転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(写真は、本文とは関係ないのだが、2月15日に参拝した広島東照宮
仕事で近くまで行ったので寄ってみた。
以前から「東照宮は、あのへん」という認識はあったが、このたび初めて行った。)

久しぶりに仕事も何もなく、風邪でもあったのできょうは家にいて、
歌舞伎公式サイト『歌舞伎美人』など見に行ってみたら、素晴らしいものを発見した。
松竹大歌舞伎 中央コース(平成28年6月30日(木)~7月24日(日))

なんと、あらしちゃん(松緑)の『鳴神』で、広島公演がある。
梅枝が雲の絶間姫というのも夢のような組み合わせだ。
亀寿と萬太郎も来るし、座頭は時蔵!
なんとまあ、最高の顔合わせではないか。

一、歌舞伎の見方
解説:坂東 亀寿・中村 萬太郎

二、歌舞伎十八番の内 鳴神(なるかみ)
鳴神上人:尾上 松緑
雲の絶間姫:中村 梅枝
黒雲坊:中村 萬太郎
白雲坊:坂東 亀寿

三、文売り(ふみうり)
  三社祭(さんじゃまつり)
〈文売り〉文売り:中村 時蔵
〈三社祭〉悪玉:坂東 亀寿 善玉:中村 萬太郎

広島公演は廿日市さくらぴあで、7月20日(水)昼12:30 夜17:00。
チケットに関してはまだ何も情報が出ていないようだが、
よもや去年の菊之助のようなことは、あるまい(^_^;。
仮にそうでも、今回のは倉敷公演もあるから、なんとかなるだろう。

昨今、私が以前にもまして歌舞伎を熱心に観るようになった理由は、
松緑の存在によるところが大きい。
勿論、もともと音羽屋贔屓ではあって、ずっと歌舞伎は観て来たのだが、
ここ数年の松緑の面白さは私にとって大変に大きな吸引力となっている。
その松緑が広島に来るとは。しかも鳴神!!
いや~、今から夏が楽しみだ(^^)!

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風邪  


(写真は、全然本文と関係ないのだが、
主人が先日、山陰出張の折りにお土産に頂いてきた、カニ。
鮮度が命と、その晩に家で茹でたら、大変美味かった(^^))

金曜日の昼前あたりから、喉元が詰まったような感じが気になり始め、
漢方では「梅核気(ばいかくき)」ってのがあったよなあ、
などと思いながら過ごしていたら、夜には体が怠くなった。
どうやら、風邪をひいたらしかった。
二週に渡って母の白内障手術とその後の頻繁な通院介助があり、
更に仕事の合間に、道楽目的の東京一泊二日の旅も敢行していたのだから
(その話は多分また、いずれ。松緑の踊りと、吉右衛門×菊之助の籠釣瓶、
それに菊五郎の太閤記を堪能した)、疲れていたのは間違いなかった。
つまりは、自業自得(汗)。

しかし土曜日はうちの会社では一番忙しい日なので、昨日は仕方なく行った。
巷で話題の「発熱しないインフルエンザ」だったらオシマイだな、
と思ったが、この時点では検査するにも早すぎるのがわかっていたし、
たいした症状もないのに欠勤することなど考えられなかった。
帰宅したときには体温37度だったが、日頃から平熱の高い私としては、
別に発熱しているというほどでもなかった。
ただ怠さはハッキリとあり、咽喉の炎症も広がってきた感じがしていたので、
この進み具合は、まあ風邪だろうなと判断して、昨日は夜9時から早寝した。
そのまま、朝7時まで寝て、午前中もまた10時から12時まで寝て、
昼ご飯のあとまた午後2時から4時まで寝て、さきほど初めて本当に起床した。
とてもとても、疲れていたのだなと思った(^_^;。

現在は、絶えず咳払いをしたいような喉元の炎症と、咽頭炎らしい乾燥感と、
くしゃみ・鼻水とがあるので、やはりどう見ても風邪だと思う。
怠さは昨日ほどではないが、起きているとやはりまたすぐ横になりたくなる。
まだ何も薬を飲んでいなくて、ここまでひたすら睡眠を取っただけなのだが、
明日月曜日も幸い仕事がないので、このまま休養したいと思っている。
それではかばかしくなければ、近所の内科に行くことにしよう(^_^;。
火曜日は出張があるし、金曜日はまた母の眼科通院があるので、
風邪ひき状態が酷くなってしまっては困るのだ。

ちなみに母は、白内障手術の出来映えに大変満足しているとのことだった。
金曜日の診察時の検査では、母は両眼とも裸眼では0.9、
矯正視力では右1.2、左1.0、と文句のつけようもなく視力が上がっていた。
視界が鮮明になり、「大成功だった」「治療して本当に良かった」
と母は大層、機嫌が良くなった。
24日に横浜に戻った娘からも、丁重なお見舞いメールが来たのだそうで、
母はそれも大変嬉しく思い、心から感謝しているとのことだった。

とりあえず、良かった良かった(^_^;。

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先日の手術から一週間経った昨日、
母は今度は、左目の白内障の手術を受けた。
例によって火曜日は私はずっと仕事が入っていたので、
帰省中の娘に頼んで、もう一度付き添いをして貰った。
眼科クリニックに到着して、受付で看護師さんから、
「お身内の方はご一緒ですか」
と尋ねられて母は、
「はい、娘が一緒です」
と答えたそうだが、勿論それは間違いで『孫娘』と言うべきであった。
母はその誤りに、今朝になってようやく気づいたと言っていた。

左右の違いはあっても、同じ内容の手術が二度目ということで、
前回ほど緊張することもなく、すべての処置が滞りなく終わった。
娘の話によると、母は、
「先生が前と違う人やないか」
などと言っていたそうだが、これまた、全くもって、
そのようなことはなく、同じ先生だった(汗)。
合理的に考えるなら、一週間前と異なり、母は今回は、
手術によって既に視力の改善した右目でものを見ていたため、
主治医の先生のお顔が以前より鮮明に見え、印象が違った、
……ということかなと思うが、勿論、単なる大ボケかもしれなかった。

ともあれ、そういうことで手術が両眼とも完了し、
母は本日、手術翌日の診察を受けるため、改めて眼科に出かけた。
先週同様、水曜日は私が空いていたので、
今度こそ本当に「娘」が付き添うことになった。
昨日の手術後からつけてられていた眼帯を外し、点眼を受け、
検眼すると、母の左目は裸眼で0.6、矯正視力で0.9まで見えており、
「くっきり見えるようになった」と本人もいたく満足の体であった。
先生の診察でも全く順調と仰って頂き、
更に今回は、前の右側のときほどには結膜下出血が多くなかったので、
外見上も最初からかなりすっきりした様子だった。
「よくなって帰ることの、なんという嬉しさよ」
と母は突然の詠嘆調で言った(^_^;。

母の眼内レンズは、遠くが見えるように合わせた単焦点レンズだが、
近くに関しても、表示を大きめにすれば携帯メールが問題なく読め、
メモ書き程度の文字なら紙に書くこともでき、
日常生活上の不自由はなさそうだった。
まだ明後日も診察に行かねばならないし、
日に四回の目薬も今後二ヶ月程度は続けなくてはならないそうだが、
とうとう懸案の手術が両眼とも終わったことで、
母本人は勿論、父も私も、かなり安堵することができた。
今後は継続して検診しつつ、加齢黄斑変性のほうも引き続き観察し、
いずれ両眼が落ち着いたところで詳しい検査をして、
網膜に変化があるかどうか見ましょう、と主治医の先生は仰っていた。

先生、ありがとうございました&今後ともよろしくお願い致します<(_ _)>。
じー&ばー2人で、とりあえず日々の目薬を頑張るように!

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昨日、母が某眼科クリニックで白内障手術の一回目を受けた。
火曜日は私が仕事で付き添うことができなかったので、
たまたま帰省していた娘に頼んで実家に行って貰った。
娘も既に20歳なので、身内で成人ということで立場的には全く問題なく、
「なんか必要あったら同意でもサインでもしといて」
と私は言ったが、そのような事態にもならず、すべて滞りなく進行した。

「眼科に着いた」
「今、順番待ってるとこ」
「(手術を)モニターで見てるけど、やっぱり怖いですな(^_^;」
「あ、終わったみたい」
「おわたおわた」

等々と娘から適宜、実況メールが入っていたので、
私は会社にいても、あまり心配せずに待つことができた。
手術が終わると、先生が両腕を頭の上にあげてOKのサインをして下さったそうだ。

クリニックでの滞在時間は全部で2時間ほどだったようだが、その間、
受付をしたり説明を聞いたり支払をしたり薬局に行ったりタクシーを呼んだり等、
何もかも娘がやってくれた。
ありがたいことだった(T_T)。
母はときどき、娘が顔も知らない親戚の誰彼のことを話題にして、
娘が「会ったことがない(^_^;」と言っても「そんな筈はない」などと言い、
どうも娘と私を間違えているようなところがあったらしいが、
何しろ90歳近いのだから、多少のことはもう仕方がないと思うべきだった。
娘も特に逆らわず、適当に受け流してくれたようだった(^_^;。

そして、本日はその手術翌日で、検査と診察が予定されていたので、
今度は私が朝から実家に行って、クリニックまで付き添いをした。
母は、昨日は疲れはしたが元気で、痛みも特になかったと言っていた。
小雪の舞う中、実家からタクシーでクリニックに出向くと、
母は、もうこれで何度も同じ眼科に来ているのに、
相変わらず、車を降りたあとどの方向に歩けば良いか、
全く把握していなかった。

母「ふぅん!眼科は二階にあったん!」
私「そうや(←毎回なので投げやり)」
母「こんなとこからも入れるようになっとったんやね」
私「いつもここから入っとぅやん(^_^;」
母「なんべんも来とんのに、ちっとも覚えられへんねん」
私「いつも言われるままに歩いとぅから、覚える機会がないだけや」
母「それもそうやね。せやけど、だいたい私は昔から方向音痴やねん」
私「そうやったな」
母「そのうえ、今はもう目ぇも見えへんし、足も悪いし」
私「三重苦や」
母「せやねん(^^)!!」

さて、手術直後から、右目に母は特殊な眼帯をされていたが、
きょうはまず看護師さんがそれを剥がして、すぐ点眼をし、
眼圧や視力の検査等をして下さった。
それによると、母の右目は術後の今0.9の視力を得ており、
本人の実感としても大変鮮明に見えるようになったとのことだった。

それから、診察室には私も一緒に入ったが、モニター画面を見ていると、
水晶体が人工レンズに置き換えられたお蔭で、
目の中心の濁りが全くなくなっているのが、素人目にもよくわかった。
とても巧く行っています、と先生が笑顔で仰り、
「せんせのお蔭で、大変よぅ見えるようになりました」
と母も両手を合わせて先生を拝んでいた(笑)。
年齢のせいか、かなりはっきりした結膜下出血があって、
白目が真っ赤になっていたが、これは今後一ヶ月前後で、
徐々に吸収されるので心配ない、ということだった。

来週は左目の処置をする予定なので、まだ道半ばではあるが(^_^;、
明らかな改善が実感できたことで、母はとても喜んだ。
幼い頃から近視だった母にとっては、裸眼で0.9まで見える、
ということ自体、生まれて初めて(今年で87歳・汗)体験する、
素晴らしい世界だった。

……ということで、めでたく眼帯もとれたので、
きょうの昼から早速、家で1日4回の点眼をすることになった。
3種類の目薬を、それぞれ5分ずつ感覚をあけて連続的に点眼する、
という作業を、朝昼夕と寝る前、に忘れないようにしなくてはならない。
昨日から飲み薬の抗生剤フロモックスも処方されており、
これも術後3日目までは朝昼夜と食後に服用することになっている。
更に、次の左目の手術に備えて、今度の土曜日からは、
左目に術前の感染予防の点眼も開始しなくてはならない。
つまり土曜日からは、右目に点眼3種類、左目に点眼1種類、
を毎日4回、することになるのだ。

母がとても覚えられないというので、私はきょうカレンダーを作成し、
どの日の何時に何を服用し、何を左右どちらにどの順番で点眼するか、
すべて書き出した。
薬袋の表にも同様に、何日の何時・何番目にどのように使うものであるかを記入し、
済んだら赤ボールペンで、該当の日時に○をつけて行くように決めた。
母がそれらを見ることを忘れなければ(^_^;、なんとかなるなだろう。

目薬の苦手な母は、点眼を父に手伝わせていた。

母「ほんなら、お父さん、これ入れて。お父さんの仕事や」
父「もちぃと、仰向けになりんさい」
母「こう?(椅子の背に首を乗せる)」
父「よっしゃ」
母「………!あ、今、巧いこと入った入った!」
父「『入った』んじゃない、ワシが『入れた』んや」
母「そやった、ありがとう、巧いこと入れてくれた」

……という会話を、二人は私の前で、5分おきに三度繰り返した。
これを今日から一日4回リピートするわけである(^_^;。
ぐゎんばれ。

次の受診日は、明後日。

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宝塚歌劇団では、今年9月に月組トップ龍真咲が退団するのだが、
その後任が誰になるかについて、まだ劇団側から発表されていない。
トップは組内昇格が多いが、準備段階で「組替え」を伴うことがあり、
場合によっては、「落下傘」「スライド」で組外からトップが来ることもあるので、
正式発表がなされるまでは、ファンは毎回、人事を予想して戦々恐々となる。
当該の組の二番手は勿論、各組の「路線」と言われる男役は大なり小なり、
人事異動の影響を受ける可能性があるのだ。

我が家の「宝塚歌劇団 人事評論家」ころもんも、毎夜のように、
居間のソファに陣取って、『宝塚おとめ』や各組公演スケジュール等の資料を見比べ、
雪組の望海風斗と宙組の真風涼帆が、動くか動かないかを占っている(汗)。
渦中の月組・現二番手は、役付きや全国ツアー主演等の抜擢を見る限り、
珠城りょう、……ということになるが、94期(2008年入団)と非常に若いため、
「男役十年」の基準に照らしても、すぐに月トップに就任するのかどうか、
まだ不確定要素があると、ころもんは(多分、ファンの多くも)考えている。

月組にはほかにも、凪七瑠海・美弥るりか、と89期生の路線スターがいて、
両名は、前述の雪組二番手・望海風斗や花組トップ明日海りおと同期に当たる。
龍真咲がそこそこ長期政権だった割には、安定的な二番手を育てて来なかった、
というのは劇団側の采配ミスではないかと私は内心、思っているのだが、
最終的に、この状況の組内から誰かが選ばれて、次のトップになるのか、
それとも、よそからトップを迎えるという事態になるのか?
後者の人事になるなら、雪・宙各々の二番手である望海・真風のみならず、
星の二番手・紅ゆずるも、この話に無関係ではなくなるかもしれない。
それには、星組トップ北翔海莉の動向も重要な鍵となりそうだ。
唯一、花組だけは今回の人事異動には関係がなさそうに思われるが……。

――断っておくが、転夫ころもんはこれほど詳しいからと言って、
別段、どの生徒さんのファンだというわけでもない。
飽くまでも、自称・人事評論家として面白がっているに過ぎないのだ。
今夜など、これも愛用の『宝塚歌劇100年史――人物編』をひもときながら、
「たまきち(珠城)をこんな早い段階で押して来るくらいなら、なぜ劇団は…」
と彼が言い出したので、私はてっきり、
『なぜ劇団は、北翔海莉を星ではなく月のトップにしなかった!?』
とでも言うのかと思ったのだが、続く主節はそうではなくて、
「なぜ劇団は、壮一帆(雪組先代トップ・2014年8月退団) を
もう1年使っとかんかった(--#)!」
という、あさっての方角に意表を突いたものだった(^_^;。
どうも、雪・えりたん(壮)が2015年までいてくれたほうが、
ころもん脳内人事においては都合が良かったようである。

……しかし、仮にもう一公演あとだったとすると、
『ルパン三世』で退団するえりたん、になってしまうが、
これはこれで、どうなん……(笑)?
そこはまた別演目で妄想竹を育ててるということ……??

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実家母が白内障手術を受けることになっている眼科で、術前の説明があった。
実際の手術は来週と再来週とに分けて片方ずつすることになっているのだが、
それに先立って、先日いろいろと検査を受けたので、
きょうは、まずその説明から話が始まった。

以前から自覚のある近視乱視老眼のほかに、
両眼に加齢黄斑変性のあることがわかったが、
もともと積極的な治療のできる病変ではないうえ、
87歳にもなれば、年齢的な変化としてどうしようもないものなので、
これについては経過観察以外に何もすることがない、
と先生は仰った。残念だが尤もなことだった。
白内障が治療できても、変性の程度によっては、
完全な視力が得られない可能性があるとのことだったが、
それでも、白内障による視界の白濁が取れれば明るくはなる筈で、
全体として改善への期待は持てるという説明で、母も一応納得した。

目の微生物検査のほうは、グラム陽性球菌2+、グラム陰性球菌1+で、
手術までに抗生剤の点眼をして、目の感染症を防ぐことになった。
母は目薬をさすのが昔からひどく苦手なので、
目薬を1日に4回も点眼せねばならないと知り、がっくりしていた。
その他、血液検査にはさしたる異常はなかった。
貧血もなく血糖も正常で、肝機能も問題なく、
B型C型肝炎のウィルスもマイナスとのことだった。
ややクレアチニンが高めだったが(1.31)、
これはもう遙か以前からずっとこの値で、内科でも観察されているので、
良くは無いが眼科手術には特に問題はなかろう、ということになった。

それから、看護師さんによるオリエンテーションがあり、
『手術のあとは二日ほど眼帯をすることになるので
脱ぎ着のときに顔をこすらない、前開きの衣服を着て来て下さい』
という指示があった。
これを聞くと母は、俄に妙な自信を見せ、
「『持って逃げる服』が家に用意してあるので大丈夫です」
と、あまりにも唐突なことを言った。
母は、災害時に持って出るものを日頃から箱にまとめているのだが、
その中に、「前開きのシャツ」が入っているのだ。
非常時のためのこういう備えは、母の昔からの習慣なので、
母が何を言っているか、私はすぐに察することができたが、
看護師さんには恐らく、完全に意味不明であったことと思う。
しかし、そこをいちいち追求せず、
「そうなんですね」
と微笑んで済ませたのは、この看護師さんの立派なところだった。
大事なことのみを取り上げ、問題にならないことを即座に受け流す感覚は、
仕事をする上で大変重要なものだと、私は日頃から思っている(^_^;。

さて、諸々を終えてタクシーで家に戻ると、
母は早速、例の、災害時に持って出るために用意した箱から、
「前開きのシャツ」を取り出しておこうと言った。
足の不自由な母にかわって、私が、母の指示する押し入れを探した。
……が、そのような箱は全く見当たらなかった。
押し入れとは微妙に異なる、クローゼットの下段に、
『入院時必要なもの』と母の字で書かれたダンボール箱があり、
それを明けると魔法瓶(昭和っぽいヤツ)やスリッパ、ドライヤーと一緒に、
前開きのガーゼ寝間着のようなものは入っていたが、
母の言う「前開きのシャツ」は無かった。

「おかしいねえ。災害時に持って出る箱て書いて、用意しとったのに…」
と母は首をかしげたが、その箱は災害時に持って出るどころか、
こうして平時に在処を突き止めることさえ、困難であった(汗)。

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一度では記憶できないほど、急にあれこれと予定が入ってきた。
仕事ではない、道楽の、だ。
備忘録も兼ねて、書き出しておく(^_^;。

広島交響楽団第358回定期演奏会(PDF):3月11日(金)18:45 広島文化学園HBGホール
宝塚歌劇団星組『こうもり』:3月18日(金)~ 4月25日(月)宝塚大劇場
明治座 四月花形歌舞伎(菊之助・勘九郎・七之助):4月2日(土)~26日(火)
「旅に出る二人」仲井戸麗市 with 早川岳晴:4月19日(火)19:00 広島Live Juke
ラ・フォル・ジュルネ金沢「熱狂の日」2016:5月3日(火・祝)~5日(木・祝)
團菊祭 五月大歌舞伎:5月~ 歌舞伎座(多分)
宝塚歌劇団星組『こうもり』:5月13日(金)~ 6月19日(日)東京宝塚劇場
三浦文彰&田村響:5月22日(日)13:30 福岡FFGホール
ユンディ・リ ピアノリサイタル:6月9日(木)19:00 広島文化学園HBGホール
T.M.R. LIVE REVOLUTION '16:6月19日(日) 広島・上野学園ホール

こうして、ジャンル問わず公演予定がドっと出揃うことが、時々ある。
そうすると、スケジュールのやりくりも大変だが、
私にとってもっと困るのは、チケットの発売日をそれぞれ把握せねばならないことだ。
全席自由席とか、残席を十分あてにできる公演なら焦ることはないが、
完売しそうなものや、出遅れたら特等席しか残っていないような公演の場合は、
作戦なしには到底、行けない。
よけいな出費をせずに確実に観たい・聴きたいと思うなら、万事、先手必勝なのだ。
更に、公演地や公演日によっては宿泊を先に押さえておかなくてはならない。
遠征した晩に寝る場所がないとなっては、モトもコもないからだ。

3月は、みちこ(北翔海莉)さん主演の星組が大劇場で公演するのだが、
今年は南座の花形歌舞伎は無いのだろうか。
若手を存分に堪能できる花形歌舞伎、特に南座の企画を、
私は近年、大変気に入っているのだが、
2月の今も予定が出ていないところを見ると、今年は違うのか……。
追記:南座の公演予定が出なかったのは、これが理由だったようだ。
2016.02.05 京都四條南座 休館に関するお知らせ(松竹株式会社))

また、この星組公演が東京に移るときには、
例年通りならちょうど、歌舞伎座で團菊祭をやっている筈なので、
両者を同時に観られるようにしたいと考えている。
今年の團菊祭は、誰かの初お目見えがあるのではないだろうか…?
追記2:前々から噂が出ていたので、この時点でこのように書いたのだが、
やはり、大きな初お目見得のある團菊祭になることが、後日わかった。)

5月のLFJ金沢は2012年以来の参戦で、先日早速、
会員先行チケット抽選にいくつかエントリーした。
連休の金沢で、ひとり気ままに、朝から夜まで
いろいろな演奏家による音楽会を楽しみたいと思っている。
メインは5日の、エル=バシャのベートーヴェン・リサイタルと、
エル=バシャ+オーケストラアンサンブル金沢メンバーズによる
シューベルトのピアノ五重奏『ます』、というつもりなのだが、
ほかにもアンヌ・ケフェレックや栗コーダーカルテットなど
私にとって楽しみな参加者が多く、選ぶのに今から苦労している。

6月のユンディ・リ広島公演は、つい先日、テレビCMで知ったばかりだ。
最近、ユンディに関しては否定的な噂ばかりが耳に入って来るので、
私はかえって、聴いてみたいと思うようになった。
評判の良い演奏家については、私は、次の機会でも良いかなと思うのだが、
あまりにも皆が怒ると、これは逃してはならないという気分になる(^_^;。
せっかく広島公演があるのだから、聴けるものなら聴いてみたい。
オール・ショパン、というプログラムは
私が最も鬱陶しいと感じる類いのものだが、
本当に演奏がアレだったら、難行苦行のようになるだろうか。

ほかに、どこかでなんとかしたいと思っているのは、
3月の雀右衛門襲名披露@歌舞伎座と、
4月の鴈治郎襲名披露@こんぴら歌舞伎だ。
それと、5月6日に予定されているギャリック・オールソン福岡公演に
私は以前から注目しており、とても聴きたいと思っていたのだが、
連休はエル=バシャを聴きにLFJ金沢に行くことにしたので、
その直後では、さすがに福岡遠征は無理だ。
しかも金曜日(汗)。翌日が出勤日だし、これは決行したらシぬ。

ちなみに上記予定は上半期に関するものだけだが、
下半期に関しては、10/5(水)にVPO広島公演があることを先日、知った。
ソリストは、ピアノのルドルフ・ブッフビンダー。
これは要チェックではないか!
12月のポゴレリチまで十分に間が空いているのも、理想的だ。


……それにしても、いつも思うことなんだが、
仕事に関してもこれほど細かくアンテナを張り、
手際よく抜け目なく、経済的損失を最小限にした段取りをつけ、
フットワーク良く日帰り遠征さえ厭わぬ行動力を発揮できていたなら、
私は、何かもうちょっと別なモノになれていたことだらうね(^_^;。

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なんとか今月も継続している。
フランス語もスペイン語も、放送時間内に
要求されるタスクをやり過ごすことは簡単にできるのだが、
それだけでは、ゼロではないにしても大きな進歩は望めない。
最低限、自主的にテキストの音読くらいは毎日やるべきだし、
週の終わりまでにスキット全体を暗唱できるくらいに身につければ、
こんな初歩の段階の語学は飛躍的に伸びるものなのだ。
特にフランス語だよ(--#)。
今年何か、たいそうな目標を掲げていたはずだな?>自分

……わかっちゃいるが、実行できない、わたし(^_^;。

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