きょうから父が、某ホームの系列病院に入院することになった。
数日前に一度、夕食後に吐き気がして元気がなくなった、
という一件があり、翌日は好物のパンなど食べていたが、
やはりどうも調子が出ないということで、本日午前中に受診、
CTで僅かに肺炎の所見があるとわかり、入院となった。
血液検査ではCRPが15で、かなり重い状態を示す炎症反応が出ていた。
母からもホームからも病院からも、それぞれ電話を貰い、
父の状態は少なくとも今、差し迫ってどうこうは無さそうだったのと、
私自身、きょうは夕方6時半まで仕事があったのとで、
当初、明日の朝イチで病院に行って見舞いと手続きをする、
ということにしていたのだが、LINEでそれを話したら主人が、
「きょうは行かないのか」「行っておいたほうが」
とやけに積極的に勧め、自分も一緒に行くと言うので、
私は不承不承(殴)、仕事の終わった夜になってから、
主人と待ち合わせて、タクシーで父の病院に行った。
今月はずっと忙しくて、私はここ数日自分も疲労感が強く、
今日も仕事で遅くなっていたので、本当にイヤだったのだが、
主人があまり言うので、
それって、虫のインフォメーション@ルー大柴、……!?
と思い、無理矢理行った。
確かに、高齢者の肺炎は命に関わる病気ではあるし、
ほぼ90歳という年齢+糖尿病、という状況を考えれば、
急変も有り得るのだった(汗)。
……といささか焦って駆けつけたら、案に相違して、
病室での父は機嫌良く、どこも痛くもつらくもないと言い、
起き上がってテレビでバドミントンを観戦していた。
「なんでか、神戸のおばあちゃん(=母の母。私の母方の祖母)が
出てきて、ワシにハッパをかけるんよ」
と父が言うので、
「いつ頃から?どこに出るん。夢なん?それは?」
と訊ねたら、
「さぁてね、いつからかね。ほうよね。夢、なんじゃろうね」
とのことだった。
私が二十代のとき亡くなった祖母が、娘婿の枕辺に立つなら、
確かに父は棺桶に片足突っ込んでいるのかも(爆爆)しれなかった。
しかし90歳になんなんとする婿にハッパをかけて、どーしろと(爆)。
ちなみに、父にとって実の母であるパンスーの祖母は、
全然、これっぽっちも、一度も、出て来たことが無いそうだ。
ともあれ、体のどこも痛くもつらくもない、というのが本当であれば、
90歳の父にとって、実に幸せなことだった。
もう年齢に不足は無いのだ。
あとは、病状がどうだろうと、楽ちんでありさえすれば良い(^_^;。
主治医の先生がたまたま当直だったので、お目にかかることもできた。
詰所で現状について説明をして戴き、
抗生剤の点滴で炎症を抑え、週明けに検査して改善していれば食事再開、
リハビリ等を行って、一ヶ月ほどで退院できるのではないかという、
見通しについて聞かせて戴いた。
また、もしも今後、肺炎が改善しなくても、人工呼吸などは望まないこと、
万が一、急変しても、胸骨圧迫などの処置はして貰わなくても良いこと、
とにかく苦痛だけ可能な限り取り去って、ラクに過ごさせてやって欲しいこと、
等々をこちらからお話し、確認した。
私は一人っ子なので、私が全責任を負うと腹をくくれば、すべては私の一存だ。
誰も文句は言って来ない。実に簡単でよろしい(^_^;。
帰りもまたタクシーを使い、へろへろに疲れて夜9時過ぎに帰宅して、
それでも母を安心させてやろうと電話したら、母が、
「ここ(ホーム)の職員はシロウトばっかりで、こないだから、
お父さんが病気やのに、誰に彼も、ほかのことに熱中してばっかりおって、
せやから病気が酷くなった。二言目には『ここは病院でないから』言うて。
ここに来たばかりの頃は、『ええとこに入った』と思いよったけど、
昨日は、こりゃもう、ここにおったらあかんと思うた」
などと、ひどく恩知らずなことを言うので、叱って電話を切った(--#)。
母は認知症に不安が重なってボケ倒しているのだろうとは思うが、
こちとらは、疲労感に耐えつつ、それでも安心させてやろうと電話したのに、
台無しにされた気分だった。
90歳の人と口喧嘩して、それが最後になってはいけない、
と普段は思って、配慮のない物言いもいろいろ我慢しているのだが、
私が既に限度というほどくたびれているところへ、
カワイゲのないことを言うので、きょうはさすがに、許さんと思った。
後日記(11月29日):入院翌日のきょう、朝からホームに寄って
母を拾い、二人で父のいる病院に行った。
父は、抗生剤の点滴を受けつつ、特に咳などもなく機嫌良くしており、
「どこも痛ぅないし、なんともない。いくらでも寝られる」
と気持ち良さそうだった。母も、
「安心した。治療して、良ぅなって、また長生きせんと(^^)」
と喜んでいた。『長生き』って、……既に十分しましたよ(爆)?
私にとっては、父母いずれに関しても、
とりあえず昨夜のが今生の別れには、ならなかった(^_^;。
まぁ、90歳ともなれば、もういつ何があっても驚きませんが、
一方で、本日亡くなられた中曽根康弘氏のように
もしも101歳までも寿命があるのなら、
まだこれから10年以上この生活が、…………う、うぅむ……。
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