転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ラジオは欠かさず聴いている。……というか、点けている(^_^;。
とにかく毎日15分でもフランス語を聴くことは続けている。

入門編は今に至るも余裕があるが、応用編は日による。
ポイントとなる箇所を聴き取ることはできるが、
全体くまなく理解できるなどというレベルにはほど遠く、
わからない単語や活用形が結構ある。
しかしフランス語が出来ようが出来まいが、
私の生活には全く何の影響もないことなので、気楽で良い。

その点、英語は仕事で多少なりとも使っているので、
常にプレッシャーがあり、学習は楽しくない(爆)。
会社内の自分の担当業務に関しては、ビジネス・ミーティングの際に
日→英の通訳もやらされるので、自分の英語の拙さに毎週泣いている(爆)。
勿論私は、会議通訳として雇われているわけではないので、
通訳のクォリティの低さに対するペナルティはないし、
そもそもミーティング出席分の時給しか発生していないのだが、
通じれば良いだけといったって、やはり自分で自分が情けないのだ。
カナダ人某氏なんか、私を励ますように毎回、うなずきながら聞いてくれる。
本当に感謝しているが、応援されるくらい私の英語はヨレヨレなのだと思う。
英語はかように私の義務なので、いつの日か会社を辞めるまでは
私の英語学習には、圧迫感がつきまとい続けることだろう。

フランス語はそういうメに遭わせることなく、
ひたすら趣味の外国語として、楽しく続けたいと願っている。

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既に先週の話なのだが、娘が2日間ほど広島に帰ってきていた。
娘の勤務先は、地質調査と建設コンサルタントが主な業務で、
このたびの中国地方の大規模な豪雨災害があった翌週、
被害の実態調査の担当者が、東京から派遣されることが決まり、
その際に、広島出身ということで娘も、
その出張メンバーに入れられたのだった。
17日の会社での仕事の後、夕方の新幹線に乗って広島入りし、
上司の方々はホテル泊、娘は自宅があるので帰って来て、
翌朝8時に再度JR広島駅に集合し、車で災害地域を回るという日程だった。

当日朝、娘はセミロングの髪をうしろでくくり、
作業衣・作業ズボン・防災用長靴を身につけ、
ヘルメット・ゴーグル・マスク・手袋を持参、というスタイルだった。
娘のヘルメットには、社名とともに名字が平仮名で書かれており、主人が
「ひらがな…(^_^;?」
と指摘したら、娘は当然というふうで、
「作業や災害の緊急時に、漢字なんか読んでられないよ」
と答えた。なるほど。
娘は常日頃は営業職で、現場には研修以外では出たことがないのでは、
と私には思われたが、すっかりドボジョ然としていて、興味深いものがあった。

今回の娘の仕事は、主に写真撮影であったらしい。
車に荷物が置けるのを幸い、麦茶、イオン飲料、塩タブレット、冷えピタ等々、
思いつく限りの熱中症対策グッズを持参したが、この酷暑の中、
外での仕事はやはり、ひたすらにひたすらに暑かった、とのことだった。
安佐北区口田、可部、などを回り、市街地に戻ってファミレスで昼食、
午後は安芸区方面の災害地区を巡り、会社の広島支店に寄って、終了。

夕方、広島駅で解散したあと、娘は一旦自宅に戻り、
作業衣その他のありとあらゆるものは、
「すみませんが、あとで洗濯して宅配便で送って下さい(^_^;」
とのことで、本人はテレビを観ながらソファで休息しアイスを食し、
一風呂浴びて、リポDを飲み干し、髪を乾かし、
「あ~、家があって良かった(^^)!」
の一言を残し、18日の夜の新幹線でまた、東京に帰って行った。

怒濤の一泊二日、翌日の娘は勿論、東京での通常業務であった(^_^;。
お疲れさん。

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(写真は、フタバ図書で文庫本を買うとつけてくれる、
カープ柄のブックカバー(笑)。毎年、デザインが変わる。)


序盤で大差をつけられても、中盤からの猛攻で追いつくとか、
ビハインドのまま9回のツーアウトまで来ても、
執念のように打線が繋がり、勝ち越しに持って行くとか、
このところのカープの野球には「あきらめない」強さがある。
そして、それこそが、地元に元気をくれる野球だと思う。
広島は、集中豪雨災害以来、困難な状況に直面しているわけだが、
市民球団であるカープが頑張っている姿を観るにつけ、
地元球団があって良かったと、本当に思う(涙)。


セ・リーグ順位(2018年7月24日)
1位 広島 勝49 負33 分1 勝率.598 差--
2位 巨人 勝43 負45 分1 勝率.489 差9
3位 ヤクルト 勝40 負43 分1 勝率.482 差0.5
4位 阪神 勝37 負43 分1 勝率.463 差1.5
5位 DeNA 勝38 負45 分2 勝率.458 差0.5
6位 中日 勝39 負48 分1 勝率.448 差1

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昨夜の母からの電話。
母は更にいろいろなことを忘れつつあるが、
まだ、自分が誰で私が誰であるかについては、揺るぎない(^_^;。

 母「今、おじいちゃんと話しとったんやけど、
  私らは一体、どうやってここに住むようになったん?」
 私「2人とも90歳近くなって、家やとヘルパーさん1時間とか2時間しか頼めへんから、
  24時間、必要なときに手助けして貰える高齢者向け住宅を私が探して、
  そこがええと思うたから、決めたんや。入ったのは5月や」
 母「ふーーーん。ここはいつ建ったん?綺麗やけど」
 私「いつ出来たかは調べてみんとわからへんね。10年くらい前かね?
  家もそのままあるんやから、帰ってみるのはいつでもできるんよ」

 母「家賃は、ちゃんと払うとるん」
 私「おじいちゃんの預金から引落で払うとるよ。
  今まで貯めたお金があったから、心配要らへん」
 母「ふーーーん。ほんなら安心した。ええ世の中になったね」
 私「そうや。そこは高齢者向けの、言うたらワンルームマンションや。
  入居しとる人は、おじいさんやおばあさんばっかりやろ?」
 母「そういや、そうやね。皆、お年寄りや」
 私「一緒におる若い人らは、介助やお手伝いをしてくれはる人らや。
  具合の悪いことや、頼みたいことがあったら、何でも言うてええねん」
 母「そうやったん!」
 私「そうや。皆、それが仕事でそこに勤めてはんねんから、遠慮は要らへん」
 母「そういや、御飯も作ってくれるし、掃除もしてくれるねぇ」
 私「そうやろ。なんでもお任せしとけばええねん」

 母「こないだは、若いお兄ちゃんが、お風呂に入れてくれてん(^^)」
 私「そうか、そら、えかったな」
 母「なんも恥ずかしいこともあらへんねん。じょうずに手伝うてくれたよ。
  髪まで綺麗に洗うてくれてん」
 私「良かった良かった」
 母「昔は、こんなええ場所は、なかったねえ」
 私「そうやねえ。高齢者向けマンションなんか、以前は、無かったやろね」
 母「よう出来とるわ~」

母は、その入浴介助をしてくれた若い男性に、
カール・ブッセ『山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ』
の詩を教えてあげたそうだ(爆)。
70年以上前の女学校時代に暗唱した、大好きな詩だったそうで、
「ええ具合に思い出してん。人の噂話したりするより、ええやろ?」
と母なりの話題選びでもあったようだ。
男性職員さんは感心して聞いて下さったそうで(←ありがとうございます(^_^;)、
母は、次の入浴のときには何の詩にしよう・そんなにいろいろ覚えてへん、
と楽しく迷っていた。
じゃあ、あれ、どうですか、コクトーの、
『私の耳は貝の殻  海の響きを懐かしむ』とかは(笑)?
ばーちゃん、暗唱シリーズ(笑)。

母は、とりあえず心の針がポジティブ方向に振れた様子であった(^_^;。
わかっていようがいまいが、機嫌良くしていてくれれば私は幸せだ。
母の話が本当なら、父も結局、今、自分がどういう場所にいるのか、
どうしてここに来たかについては、曖昧であるようだ。
昨日は一瞬、父のことを見直したのだったが、
この人もまた、日内変動が結構大きいのかもしれない。

どうやって老人ホームを探し、どういう経緯で今いるところに入ったかについては、
私が主導でしたことだから、両親にはあまり実感が残っていないのだろう。
既に何度か教えて差し上げましたが、必要とあらばまたお話しいたしますよ(^_^;。

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』(公式サイト)

ついに、11月9日の公開が決まったそうだ。
QUEENの映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
フレディ役を誰が務めるか、かなり揉めたという記憶があるが、
最終的に主演者となったのは、ラミ・マレック。
トレイラーを観る限り、文句なしの見事な完成度だ。
ラミ・マレックというと私にとっては、
娘の好きな映画『ナイト ミュージアム』シリーズで
エジプト国王アクメンラーを演じていた人だが、
エキゾティックな容貌がフレディにはぴたりとはまっている。
ほか、ブライアン、ロジャー、ジョン、みな違和感なく素晴らしい。

ひととき、70年代のあの日々へとタイムスリップできそうだ。
予告編だけでも、フレディの伸びやかな声に乗せて懐かしい逸話が展開され、
私はこの物語が最後にどこへ行き着くか知っているだけに、もう、泣きそうだ。
劇場にはタオル必携(^_^;。
広島では上映があるのだろうか?
県外でも勿論行く。可能なら複数回、通いたいものだ。

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・私の体調はほぼ普通に戻り、仕事にも行けているのだが、
大腸炎だけ、完璧に回復したとはまだ言い難いものが残っている(汗)。
ヒドかった最初の2日間みたいなことはもう全くなく、快適なのだが、
なおりかけたと思ったところへ、昨夜またギュゥゥウとお腹が動いて、
ピー子ちゃん攻撃が2度あり、きょうも午後から1度あった。
食欲は問題ないのだが、勢いで食べると腸が動きすぎてマズいようだ。
20日(金)に、前からお世話になっている消化器内科クリニックに行ったら、
「ウィルス性腸炎ですね。何もしなくてもなおることが多いですが、一応…」
とのことで、ビオスリーとセレキノンを4日分、処方された。
明日で飲み終わるので、まだおかしかったら受診しなければ(汗)。

・母(89歳)は、日々、壊れている(爆)。
先週は早朝、「自分が今、どこにいるのかわからない」と職員さんに訴え、
昨日は、「エアコンの使い方がわからない」とうちの家電に電話してきて、
今朝は、「生活が不自由なのでヘルパーさんを雇いたい」と言ってきた。
更に、きょうの昼には職員さんから私の携帯に電話がかかってきて、
「お母様が、お部屋に固定電話を引きたいと仰っているのですが…」
という報告があったorz
私は常日頃、自分が母との電話で返答や説明のできることについては話をし、
あとは、基本的には逆らわず話だけ聞いているのだが、
私に言っていないことも、母はいろいろ職員さんに要求しているようだ(^_^;。
午後になって母本人から再度、私の携帯にかかってきた話によると、父が、
「介護付き老人ホームにいるのだから、ヘルパーさんにして貰う仕事は無い」
「携帯電話があるのだから、この上、固定電話を持つ必要はない」
等々と母に意見を言ってくれて、今回の話は一応、おさまったようだった。
どのみち、母の話はそう根深いことではなく、ただそのときの気分で、
日常の中のある事柄が唐突に重大な問題だと感じるようになり、
ひとりで悩みを深めている、というふうに見える。
問題の解決そのものより、母の気分を安定させることのほうが先だ、
と私は思っている。
まだ、これまで私は父を平和なボケ老人(殴)と見なし、
結構、あなどっていたのだが(殴)、今回の言動を見る限り、
部分的にとはいえ案外ちゃんとしているので、認識を改めようと思った。

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16日の早朝、重苦しい腹部不快で目が覚め、
そこから発熱と胃腸炎が始まり、2日ほどヒドいメにあった。
熱は37.7度まで行き、お腹ピー子ちゃん攻撃10数回+吐き気で耐え難く、
医者に診て貰いたかったが外は摂氏35度の灼熱地獄、
起き上がって身支度して、電話でタクシーを呼んで出かけ、
場所も定かでない休日当番医を探して行って順番待って診察受けて、
帰りに処方箋持って薬局に行き、またタクシー呼んで、
……と考えると、「無理(T_T)」となって、ひたすら寝ていた。
3日目の昨日、完全に平熱に戻り、お腹も一応止まり、
4日目のきょうは、普通に起きて家事ができるようにはなったが、
いやはや、1月のインフル以来の、正真正銘の病人生活をしてしまった。
何もかもキャンセルで仕事も休み、3日間寝ていられたのは良かったが。

急に来た症状だったので、直接の原因は、
食あたりかウィルス感染だったのだろうが、
間接的な原因は、先週の金曜日と今週の日曜に、エアコンのない場所で
数時間ずつ仕事をしたことだったと思っている。
室内ではないが屋根のある場所で、自然な風は時々通っていたが、
体も顔まわりも呼吸する空気も熱を持っていて、暑くてたまらず、
仕事中から軽く吐き気がし、終わったあとも頭痛と倦怠感が残った。
家に帰ってエアコンのある部屋で休んだが、簡単には回復せず、
体がガタガタになった、という自覚があった。
今年の暑さはまた格別だ。
先が思いやられる。

**************

自慢ではないが私は、エアコンなどない家で育った。
山奥の村は朝夕は涼しかったから、特別に恵まれていたと認めても良いが、
昭和50年代の終わりから昭和60年代にかけて、
東京で下宿生活をしていたときでさえ、私は冷房は持っていなかった。
当時、さすがに百貨店や銀行、コンサートホールなどは冷房されていたが、
そういう場所と違って家は暑い、というのが自分の中の初期設定で、
まるきり平気だった訳でもないが、暑いなりにさほど気にしていなかった。
初めて就職した職場にも、冷房はついていなかった。

しかし、あの頃の暑さは、今ほどではなかった。
「暑いね」は30度か、せいぜい32度くらいのことだったのだ。
前も書いたが、1986年夏のある日、下宿の室温が40度になったときには、
私はひどくしんどくなり、何もできずベッドに寝て過ごしたものだった。
生まれてこのかた、家にエアコンのあったことがなかった私でも、
そして22歳の、極めて健康で体力があった時代でさえも、
あの、度を超した暑さには到底、耐えられなかったのだ。

つまり、私が言いたいのは、現在の連日35度超が当然という日本の夏は、
鍛えようが何しようが、もはやエアコンなしには生きられない暑さだ、
ということだ。
『小中学校にエアコンを安易につけたら、児童生徒らが暑さに弱い体質になり、
エアコンをつけずには暮らせなくなるから、良くない』
という理由で、学校のエアコン導入に反対する人がいるが、私は与しない。
私のような育ち方をしても、22歳当時、暑くなった途端に具合が悪くなったのだ。
エアコン無しで育った人間は、30度超あたりなら、まだしも活動可能だが、
35度超になると苦痛が募るし、40度ともなると耐えられない。

それで、私が今、何を心配しているかというと、
この夏で第100回大会を迎える高校野球と、
2020年に予定されている東京オリンピックのふたつを、果たして、
犠牲者を出さずに終えることができるのか(爆)、ということだ。
文字通り、死ぬ人が出るのではないかと私は本気で憂えている。
この夏、既にあちこちで、熱中症が原因の死者が出ている。
高齢者に限った話ではなく、体育や部活で倒れる生徒が続出しているし、
先日は、小学校の野外活動のあと、児童が亡くなった一件もあった。

高校野球岐阜大会で女子高生6人熱中症の疑いで搬送(日刊スポーツ)
埼玉大会で熱中症相次ぐ 熊谷38・3度(日刊スポーツ)

あとのほうの記事では、
『筒井一成監督(41)は「試合で倒れるなんて初めてです。何をやっているのか」とあきれ顔だった。』
『埼玉県高野連・高間薫専務理事(58)は「ちょうど期末試験が終わり、体が慣れていないんじゃないかな。対策を考えないと。毎日これでは困る」と話した。』
等の記述があり、何かの意図を持って記事が構成されているのでないとすれば、
本当にこの方々は、炎天下の試合をなんとも感じていないとしか思われず、
私のほうこそ呆れ、困った。
38度超は、既にヒトが屋外で運動できる気温ではない、と私は思うのだが、
高校野球関連の上のほうの方々の見解は違うのか。
部活で日頃から鍛えている生徒が、『試合で倒れるなんて』『毎日これでは』
という事態になるときは、鍛え方や自己管理に問題があるのではなく、
気温の上がり方のほうが異常なのではと、疑ってみませんか普通?

多くの人が既に何年か前から指摘していることだが、
夏の甲子園は、近くの京セラドームでできないのだろうか。
…と思うが、京セラドームだとプロ野球のスケジュールにも影響するから、
シーズン前に何もしていない以上、今年の話としては、もう無理か。
ではせめて、甲子園で早朝試合とナイターを取り入れて貰えないものか。
伝統がどうのこうのと二の足を踏んでいるレベルの気温ではないだろう。
費用が様々にかかることはわかるが、人命が掛かった問題ではないか。
寄付が集まればなんとかなる話なら、私は進んで協力しますよ。
控えめに言っても、教育活動で生徒の健康を害しておいて、
「あきれ顔」をしたり『困る』と言っておけば通るなんて、どういう業界か。

東京オリンピックについても、屋外競技については私は本気で不安に思っている。
Olympic athletes could die from Tokyo summer heat, warn experts(THE TIMES)

選手も観戦者も、高温のせいで死ぬリスクがある、
と英タイムズでさえ警告している。
打ち水をするとか首に濡れタオルをまくと良いとか、
マラソンだけは開始時間を早めたら良い等々が、
有識者会議の見解として出ていたようだが、
それで本当に効果があるものかどうか、
医療関係者を待機させた上で、有志の方々で屋外に2時間立って、
心拍数や血圧、体温等、実験データを出して頂きたいくらいだ。
……という「お前やってみろ」式の反論が良くないのは承知しているが、
その程度の対策で選手に炎天下を走らせようというのが、
あまりにも想像力に欠けた言い方だと思う、と私は言いたいのだ。

『they fear their warnings are being ignored
because of the demands of the international broadcasters
whose money is vital to the Olympics.』
と上の記事にもある通り、オリンピックは放送利権他「カネ」の問題でがんじがらめだし、
各種競技の通年の大会スケジュールの面でも、
現状では夏開催以外に選択肢がない状況らしい。
それなら、せめてマラソンなど屋外競技だけは、
札幌会場などの緯度の高い場所を、特例として用意して貰いたいと思う。
「東京理科大長万部キャンパス」みたいなもんで、
「東京オリンピック網走会場」なんかがあったって、この際いいじゃないか(--#)。

オリンピック候補地として東京が立候補した頃より、
今年など更に高温になっている。
2020年だけ涼しい夏になる可能性もゼロではないが、
『可能性はゼロではない』というのは『現実には、ない』と同義だと思うべきだ。
運良く死者が出なかったとしても、
2020年の夏、東京じゅうの病院がパニックになることは避けられまい。
選手やボランティアは勿論、日本の夏の気温に不慣れな外国からの観戦者が、
次々と熱中症で倒れて搬送される可能性が高いと私は恐れている。

感情としては、こんな時期の高校野球もオリンピックももうやめて、
と言いたいのだが、そんな無茶が通らないことは私もわかっている。
一生に幾度もないチャンスを目標に、たゆまぬ努力を重ねてきた選手たちのためにも、
大会は本来、予定通り敢行されるべきだし、成功裏に終わって欲しいとも願っている。
だからこそ、大会開催前の今、相当な無理をしてでも、
選手たちの身の安全だけは、確保する努力をしたいと言っているのだ。

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昨日、実家に行ったら、カニが来ていた(爆)。
大雨が降ったので川からあがってきたのか……?
田舎なのでこういうことは別に珍しくはないが、
割と玄関周りにいることのほうが今までは多かったので、
奥まった父の部屋にいきなり出現していたのは意外だった。
一匹だけで、きょうだいで来た様子ではなかったorz


追記:……という話を、ホームに寄って父に報告したら、
「ほう、小さい黒っぽいヤツじゃろ?今年も出たか。
家ん中にカニが出たら梅雨明け、いうて、昔から言いよるんよ」
と感慨深げに納得していた。母も、
「毎年同じカニかどうか知らんけど、どういうわけか、
家ん中に出るんよねぇ。どっから出て来よるんかねえ」
と言った。

そうなのか。家の中にカニが出たら梅雨明けなのか。
その言い習わしは、私はこの歳まで知らなかったな……(^_^;。

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私が松緑にうつつを抜かしている間に(汗)
ポゴレリチの新情報が出ていたようだ。
大阪公演が追加されていた。今、知った。

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
大阪シンフォニーホール
2018年12月2日(日) 15:00 開演
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
シューマン:交響的練習曲 op.13(遺作変奏付き)

A 12,000円 B 10,000円 C 8,000円 D 6,000円

先行予約 2018年07月20日(金) 10:00
一般予約 2018年07月22日(日) 10:00
ABCチケットインフォメーション TEL.06-6453-6000

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紀尾井町夜話の翌日は、帰り道に大阪で途中下車して
大阪松竹座にて、高麗屋御披露目の夜の部観劇。
7月の松竹座は毎年のように行っていて、私にとって夏の風物詩。
(詳細は後ほど。多分)



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