秋になった。祭りの季節だ。
うちの村の八幡さんは11月初めに例祭があるのだが、
その前に9月と10月は、村のあちこちの小さな神社で秋祭りが順番にある。
「こもしき」さんと呼ばれる、祭りの世話人さんが主になって準備をするのだが、
当日は、我々のように昔からの地域の住人もまた、手伝いに行くことになっている。
近年までは父がしていた役割だったが隠居同然なので、今は当主代理?の私の仕事だ。
ちなみに「こもしき」とは、神主さんをお迎えするのに
「薦(こも、=ゴザ)」を「敷く」係、ということからついた呼び名らしい。
昨日は、うちの実家から車で20分ほど山のほうに入った某神社の祭りだった。
それだけ離れていても、途中に家がほとんどないので、
「隣」というと言い過ぎだが「同じ村」という程度のつながりはある場所だ。
私は長年のペーパードライバーなので、知らない山まで車で行く才覚はなく、
下(「しも」。山側に行くほど「上(かみ)」と言う)の某家のおじーさんに
予め頼んで、その人が車で出るときに拾って貰った。
道幅2メートルだろうかという小さな道路をぐいぐいと車で入って行かれるので、
「ここ、車で通れる道なんですね~」
と私が感心したら、運転中の某おじーさん曰く、
「ようは知らんが、アスファルトになっとるけ、大丈夫」。
判断の基準は、舗装してあるか否か、だったのね(^_^;。
対向車が来たらどうにもならない道だったが、まずは車など来ないので、
あまり心配しなくて良いそうだ。…どういう解決だ。
田んぼと山の間を細い一本道が延々と続いているだけで、
ガードレールのないところも多く、若葉マークでは脱輪しそうだった。
街灯なども無く、暗くなったら地元の人でも迷うとのことだった。
「なんぼ回っても家に帰れんのじゃそうな。谷が違うとると」。
昼だって、谷が違っても景色はほとんど同じだ。夜間では迷宮入りだろう。
携帯電話の無かった昔は、酔っ払い運転も今より多かった筈なのだが、
酩酊状態で違う谷に迷い込み、連絡手段なく付近に民家も無し、
となると、皆、どうやって生還していたのだろうか。
誰かが死んだら村で大評判になるから、
五十過ぎの私が、そういう話に記憶がないところを見ると
さしたる事故なく、なんとかなっていたと思うしかないのだが……。
しばらく行くと山間に忽然と幟が見えて来て、上から太鼓の音が響いていた。
56段の石段の上にある典型的な山奥神社での祭りを手伝い、
滞りなく終了し、直会(なおらい=祭後の酒盛りその他)があり、
地元の人たちは生粋のキツい広島弁で、私は意思の疎通にやや困難を来たしたが、
それでもお下がりの野菜など少々分けて貰って、
命からがらという気分で、また車に同乗させて貰って両親宅に戻った。
今時なので、運転する某家おじーさんは、さすがにお酒は飲んでいなかった。
実家のところでおろして貰って、家にあった一升酒を御礼に渡して別れた。
車で20分の今日の道を、昔は大半の人が徒歩で行き来していた、
という昔話を父から聞いた。
このへんの人間が皆、健脚なのは知っているが、
雪の季節など途中で遭難しなかったのだろうか。
なんかもう何もかも、ワタシには無理(爆)。
そして、やれ疲れた、うちの神棚を拝んでから帰るか、と思って座敷に行ったら、
……??
なにやら、縄みたいなものがゆるゆると座卓の下で動いているではありませんか。
え、何の、ひも……?
………な、ワケはなくて、
しぇ~~~っ!!
マムシ!?いや、わっかの模様がないからアオダイショウ?
私がやって来る足音に驚いたらしく、ヘビはシュルシュルと凄い勢いで逃げ、
座敷から、開いていた障子の向こうの縁側に出て、見えなくなった。
ゴキとは違うので、基本的にヘビの駆除や捕獲はできない。
自然に出て行ってくれるのを待つのみだ。
「座敷にヘビがおったよ。アオダイショウやろと思うけど(^_^;」
と私が報告したら母は、
「暖かいからねえ。土蔵の窓が開いとったから、入って来たんかねぇ」
とのどかに言った。
「縁側のガラス戸は閉まっとったから、まだ家の中におるかもしれんよ」
と重ねて言ってみたが、
「私はそのヘビ見てないから怖ないもん。
もしヘビがおっても、この脚やから(=母は脚が不自由)逃げられへんし」
と母の答えはどこまでもイミフであった。
やはりあそこは現代の秘境だ。
と思った。
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