転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



さきほど、暑さを苦痛として感じるようになったので、
エアコンをつけたら、予想以上に大変気持ち良くなった。
今年は6月の最後の数日で、ついにそういう暑さになった、
ということを記録しておく。

************

多忙で、趣味の語学はフランス語のみになってしまっているが、
とにかく朝、ラジオを点けることは継続している。
入門編は基本的にテキストを見ずに音声だけで、
応用編は最初からテキストを見て字で確認しながら、
という方法でやっている。
もし、復習として、入門編でディクテ(書き取り)をやり、
応用編で音読とシャドウイングを取り入れたなら、
私のフランス語は更に向上するとわかっているのだが、
時間がないのと、新鮮な気力が維持できないのとで、
そういうことには今、ちょっと耐えられそうにない。
何でもいいからフランス語から離れないようにする、
というのが最低限の目標だ。

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(写真は、JR広島駅の売店の状況。カープ弁当・総菜各種あり。)

いつもケナしているが、良かった日のことも率直に書いておこう(^_^;。
昨夜の緒方は素晴らしかった。監督采配が冴え渡っていた。

広島 球団史上初3戦連続2桁得点 5発14点!巨人と今季最大6.5差
広島14―5巨人 (2018年6月26日 マツダ)
(スポニチ)

3回表までで5失点とはいえ、アンラッキーもあったし、
ジョンソンはもともと、信頼のおける投手ではある。
また、野手の頑張りの御蔭でカープも6点取って勝ち越していたので、
次のイニングもジョンソンに任せる、という選択肢はまだあったと思う。
そこを敢えて、緒方が早い段階で決断し、バッテリーごと入れ替えたこと、
そして4回から二番手にフランスアを起用したこと、
この二点が、かつてない、実に見事な判断だった。
フランスアがコールされたときの私の興奮と言ったら、
去年のCSファイナル第4戦で、敵方DeNAのラミレスが
今永をセットアッパーで出してきたのを見たとき以来だったね(爆)。

また7回裏、先頭田中がショートゴロでアウトになったとき
緒方が即座にリクエストしたのも、これまでにない迅速さだった。
8点リードでもリプレー検証を要求するのかと批判もあったし、
結果として判定は覆らなかったので無駄にはなったのだが、
点差とは関係なく成果ひとつひとつを貪欲に追求したのは大変良かった。

フランスア、プロ初勝利おめでとう(^^)。
満塁弾を放った松山と並んでの、晴れがましいヒーローインタビュー、
フランスアはスペイン語で真面目に受け答えしていたが、
クレートさんのお馴染みカタコト通訳が会場でオオウケしていた。
ウィニングボールは故郷のお母さんに捧げたいとのことだった。
『ドミニカのじっちゃん!ばっちゃん!俺やったよー!!』
と私は心の中でキャプションをつけてあげた(笑)。

*************

それはそうと、記事の見出しにもある通り、
カープの3戦連続の大量得点は圧巻ではあったのだが、
半年間ひたすら打ちまくっているチームは無いので、
つまり打撃については今、ちょっとしたバブルが来ているのだろう、
と私は思っている(^_^;。

このあと、どうなるか、…………百抹の不安あるよね(逃)。

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転妻よしこ の場合

5月末、春の健康診断の季節がやってきた。
有り難いことに…、と言うべきなのはわかっているが、
結果はいつものように、判で押したような数値になった。
GOT17(前回16)、GPT13(前回同じ)、γ-GTP11(前回同じ)、
血糖91(前回90)、HbA1c5.4(前回同じ)。
総コレステロール214(前回207)、HDL-C69(前回63)、
LDL-C130(前回122)、中性脂肪102(前回115)、
ヘモグロビン13.5(前回同じ)、クレアチニン0.63(前回0.67)。
前回は朝食前で、今回は朝食は普通にとったあとの午前中の採血だったが、
ほとんど何の変化もなかった(^_^;。

それより気になったのは、6月半ばから微妙に頭位めまいが再発したことで、
急に振り返ったり下を向いたりすると、クラクラ~っと目が回るようになった。
疲れが溜まっているんだよ(T_T)、と自分に言い聞かせていたのだが、
更に唇の左上あたりに、ときどきしびれに似た違和感まであるようになり、
シマッタ、これは脳がどうかなったかと焦って、
悶々としているよりはと、先週、某脳神経外科に行った。
すると、午前の最後で患者さんが数人しか居なかったためか、
予約なしでMRIをやって貰えることになった。
結果、これまた有り難いことにと言うべきなのはわかっているのだが、
画像上、何も問題が見つからなかった。
「血管詰まってないし腫瘍もないので、目眩は内耳か自律神経から来てますね。
脳梗塞で唇がしびれるのであれば、大抵、ほかにも症状がありますよ。
アナタのはそれは末梢神経の関係か何かで違和感があるのかもしれませんけど」
と先生は、さして興味もなさそうな御様子で仰り、何も解決しなかったが、
差し迫って危険ということでもなさそうだったので、様子を見ることにした。
……つまり、それ以上何もしないことにした。

そして昨日は、かかりつけ内科での、血圧の月イチ定期検診の日で、
診察時血圧は122/91で下が高いが一応問題なく、
ついでに、前々からお願いしてあった水痘ワクチンの接種を受けてきた。
これまでの人生で水痘に罹ったことのある大人は、中高年になり免疫力が落ちると、
体内に眠っていた水痘ウィルスが再び活性化して帯状疱疹を起こすことがあり、
その予防に、50歳以上対象で水痘ワクチンの接種が認められているのだ。
私費なので8000円したが、帯状疱疹の心配が軽減されるなら
私などには、メンタル面でも恩恵のある注射だと思い、希望した。
注射して下さった主治医の先生も、帯状疱疹に罹られたことがあり、
それはそれは痛かったという体験談を話して下さった。
最近は私のほかにも何名か、水痘ワクチン希望の患者さんがあるそうだ。


転夫ころもん の場合

ところで話は前後するのだが、不定愁訴が多いのは私だけではなく、
このところ主人も、なんとなく夜が熟睡できない感じがして、
そのぶん、昼間がだるいように思う、と言うようになった。
寝つきは良いのだが、夜中1~2時間ごとに目が覚め、
その都度、寝入ることはできるが、朝になってみると熟睡感が足りないそうだ。
主人は私よりずっと体力があるのだが、やはり人間50代も半ばになると、
いろいろと体の不調が出てくるものだ(汗)。

それに加えて、1年半前に健康診断を受けたとき、
初めてピロリ菌の血液検査を希望したら、陽性という結果が出ていて、
除菌治療が必要との紹介状も貰っていたのに、主人はずっと放置していた。
もともとなんとなく「胃が重い」的な感じは、ここ数年よくあったので、
もうこれはまとめてなんとかしたほうが良いだろうと思い、
先々週、早く帰れた日に、主人を某消化器内科クリニックに案内した。
ここは、以前私が胃内視鏡と大腸内視鏡をして頂いたところで、
更に、ここの副院長先生は、5年前、私の右上腹部痛の原因が、
右腎盂の尿路結石であることをつきとめて下さった先生でもあり、
主人の全体的な健康相談にはちょうど良いと考えたのだ。

果たして、副院長先生は主人の訴えを過不足なく捉えて下さり、
かつ、神経質に検査等を指示されることもなく、
まことにほどよく、指示と投薬をして下さった。
中途覚醒については、ベルソムラかロゼレムを試してみますか、
ということで、それぞれ1週間分下さり、
一方ずつ一週間ずつ飲んでみて、気に入ったほうを次回また出します、
と仰った。

ピロリ菌については保険適応で除菌ができるので、
抗生剤2種+タケキャブ錠のセットである「ボノサップ・パック」を
一週間かけて服用するようにと指示された。
服用上の注意などお話があったあと、更に、
副作用として服用期間中は下痢を訴える人が結構多いので、
出張や会議など、トイレに行きづらいと思われる予定が入っているなら、
その時期を避けて服用を開始するように、と先生は仰った。

あれから一週間+αが過ぎた今、まだ主人はあまり変わっていない(^_^;。
眠剤は、週末を狙って、手始めにベルソムラを試したらむちゃくちゃ効いて、
爆睡した上に朝起きてもまだドロドロに眠く、
午前中いっぱい使いモノにならなかったので、
「寝れたが、とてもじゃないが普段の日は飲めん(^_^;」
ということになった。
薬が切れればスッキリして気分は良かったそうだが、
あれほど朝が眠くては仕事に行けないとのことで、週日は相変わらず、
「なんかたびたび目が覚めた。寝づらかった」
とこぼしつつも、眠剤は使わずに暮らしている。
ロゼレムを試すのもまた今度、という様子だ。

眠剤のお試し終了後、ボノサップ・パックを飲み始める予定だったのだが、
「下痢する」とオドされたのでとりあえず決心がつかず、
除菌治療は開始していない。
ここまで来たら、すぐさま手をつけなくてはという状況ではないが、
早いほうが良いのもまた明らかで、
「せにゃいけんな~~(^_^;」
と言いつつ、主人は一日延ばしにしている。
ちゃっちゃと飲んで、然る後に呼気検査と内視鏡検査を受けろよ、
駄目なら二次除菌もせにゃならんのだから、早ぅしぃ(--#)、
と私は短気なので思っているが、主人にそういう気はないようだ。

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来週うちのマンションの某室でリフォームが行われる、
という貼り紙が、目下、エレベーター内に貼ってあり、
それは作業の日時と、それに伴う人の出入りや騒音について予告し、
我々住人に了承と理解を求める、ごく普通の内容だったのだが、
内装を新しくする!という部分に、私はいたく惹きつけられた。

 リフォーム!!
 なんて素敵な響き……!!

私は元来、イライラがたまると散財して解消するほうなのだが、
インテリア関係はその中でも、私の精神面において超弩級の効果がある。
ささやかな行動としては、思う存分に掃除をして切り花を買って来て飾る、
というのがあり、これでも相当、私の気分はなだめられるのだが、
カーテンやクッション、テーブルランナーなど
ファブリック類を新調すると、更に幸福感が長く持続する。
単品でもそうなのだから、これでリフォームなど手がけようものなら、
私はむこう何ヶ月、いや何年、その手応えに浸れることだろうか。

居間と主人の書斎は、入居して数年経ったところで造作家具を入れ、
カーテンもオーダーし、レールも私の趣味で選んで、
かなりの線で希望を実現した。
娘の部屋もその後、本人の選んだローマンシェードやカーペットに、
セミオーダーの「天井までの本棚」を造りつけ、それなりに整えた。
まだいくらでも改善の余地はあるのだが、それでも、
これらの部屋については今もなお、眺めるたびに、
私は深い満足感を得ることができている。

次は、ピアノとパソコンを置いている5畳の納戸を一新したい、
と私はもう十年来、考えている。
納戸ではあるが窓もあり、洋間としての使用に耐えるので、
これまで姑息にレイアウトしてマイ書斎として使って来たのだが、
この際もっとデコレーションで楽しみ、自分の部屋として完成させたい。
壁紙を、平凡なオフホワイトでなく柄のあるものに変え、
カーテンの色合いもそれに合わせてセレクトし、
シアーカーテンはバルーンスタイルのローマンシェード、
ドレープカーテンにはバランス(前飾り)を付け、
カーペットはウィルトン織のメダリオン柄、
壁と天井の境目にはぐるりとモールディングを施し、
天井照明の土台にはシーリングメダリオンを……。
官舎時代に買って今は物置に仕舞い込んだままになっている、
20号くらいの人物画も、いちばん大きな壁面に飾りたい。
納戸ゆえに、入居以来エアコンの無い部屋として使っているので、
三菱霧ヶ峰FLシリーズやダイキンUXシリーズのような
インテリア性の高いエアコンも、これを機会に取り付けたいものだ。
ピアノのためにもエアコンは本来、あったほうが良い。

もうひとつ、トイレもそろそろリフォームしたい。
テレビCMでベン親子が宣伝しているような(笑)、
高機能で掃除のしやすい抗菌製品を据え付けたいのと、
私が癇性にこすったせいで水回りの壁紙に裂け目ができているので、
貼り替えるついでに、いっそこれまでとは全く違う色目で
全体を統一してみたいとも考えている。
トイレは家じゅうで一番小さい部屋なので、
内装を工夫して楽しむには、もともと最適の空間なのだ。

あとは、早急にということではないが、和室も懸案にはなっている。
畳の表替え・襖の貼り替えをするべき時期に来ているのと、
舅宅を近い将来、なんらかのかたちで処分するとなると、
長年、座敷にあった仏壇をマンションに持って来る必要があるので、
それらも込みで、飾り棚とパネルでモダンな床の間をしつらえ、
和室そのものの雰囲気を変えてみたい。


我ながら唸ってしまうほどの、実に素晴らしい構想なのだが、問題は、

全部で なんぼ かかるか

という(爆)。

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17日(日)18日(月)の東京一泊二日は、
前回までのような徹底的な静養とは、少々違う内容になった。
今回は定宿ではあったのだが、たまたま角部屋を割り当てられ、
普段とはレイアウトが異なり、ベッドのすぐ横に窓があったため、
遮光ロールスクリーンの両端から漏れる日の光が目の前に来ていて、
18日の朝は、そこそこ早く7時半頃に目が覚めてしまったのだ。

9時過ぎまで寝ていても大丈夫な日程だったので、
ちょっと損をした気分で起床したが、朝食後スマホをチェックして、
その少し前に、大阪を中心に大きな地震のあったことを知った。
テレビをつけたら、どこのチャンネルも大阪北部震度6弱のニュース一色で、
その時点ではまだ、正確な被害状況はわかっていなかったが、
とりあえず津波の恐れはなく、火災等も発生していない様子だったので、
一気に大規模災害に発展する危険性は低そうだとわかり、
最低限の安心をすることは、できた。

ただ、東海道新幹線が全線運転を見合わせているということを知り、
とすると、果たしてきょう予定通り広島まで帰ることができるだろうか、
と朝から一計を案じることになった。
最初に思ったのは、
「帰れなかったら、もう一回、夜の部、観られるじゃん!!」(殴)
↑この考えは、実に魅力的ではあった(^_^;。
私はいつも、一泊分よけいに下着だけは荷物に入れてあるし、
火曜の朝のうちに発てれば、会社に行くには問題なかった。

宿泊しているホテルに尋ねると、この時点で、
月曜夜はまだ空きがあり、宿泊可能とのことだったので、
「夕方になっても新幹線が動かないとなれば、戻って来ます」
とだけ言って、チェックアウトした。
そんなものは予約でも何でもないから、そういう事態になったとき、
本当にまだ部屋が残っているかどうか保証の限りではなかったが、
それも含めて、運を天に任せるという気持ちだった(^_^;。
とりあえず午後4時前まで歌舞伎座の昼の部があり、
5時半の新幹線の指定席を持っていたので、
状況を見ながら判断することにした。

ホテルを出て、観劇前に、まずは近くの築地本願寺にお参りした(^_^;。
地震のあった地域について心配でもあったし、
交通網を中心とした今後の混乱についても、
理屈でなく、「神様、仏様」の心境だったのだ。
それから歌舞伎座に行って、昼の部を観劇した。
『妹背山婦女庭訓』が終わってスマホでニュースを見たら、
0時50分に共同通信が「東海道新幹線 全線復旧」と報じていて、
…ちっ、帰れるじゃん(殴)、と思いつつ、主人にLINEで知らせた。

直後はかなりの遅延が各所で起きており、
東京発新大阪行は間引き運転されているものもいくつかあったが、
5時頃東京駅に着いてみたら、乗車予定の博多行のぞみは
乗車案内が出ていたのでホームに上がった。
この時点で、待合室は混雑していなかったが、
改札横の窓口の前には長蛇の列が出来ていた。
変更や払い戻し、遅延分の料金精算を希望する人達が
大変多かったということだろう。
一本前ののぞみは10分遅れで東京駅を出たが、
私の乗った17時半の便は定刻に発車した。
さすがに指定席は完売で、自由席も混み合っていたようだった。
結局、広島には7分遅れで着き、大した影響はなく済んだ。

夜になってみると、新幹線の状況よりも、
大阪を中心とする被害地域の在来線や私鉄のほうが大変で、
きょうは「帰宅困難者」の方々が少なくなかったと、
ニュースでも報じられていた。
都市部の生活は日頃、分刻みで動く正確な鉄道に支えられているが、
ひとたび災害が起こると、それは一瞬で瓦解してしまうのだと、
……3.11のときにも知った筈だったのだが、
また、かたちを変えて、実感させられることになった。

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(ネタバレあります)

17日(日)と18日(月)の一泊二日で、六月大歌舞伎を観て来た。
今回はもう、松緑ファンとしての最大の見どころは
夜の部最後の『巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)』!!
観たことのない演目で、期待するような内容なのかどうかも、
最初は全然わからなかったのだが、初日にTwitterで見ていると
紀尾井町(=松緑)マニアたちの反応が尋常でなく(笑)、
「ファンなら絶対に一階席で観るべき!!」
との書き込みがあり、こ・れ・は!と迷わず一等席を奮発した(爆)。

松緑演じる「虎鰒の太十」の、色っぽい目つき、味のある声にナマ脚、
成る程こいつぁファンなら震えの来る色悪ぶり、と冒頭から納得の出来映えで、
しかも龍達(芝翫)との掛け合いに迫力があり、アドリブも満載で、
松緑の面目躍如である破滅型の結末に行き着くまで、
まさに美味しいところだらけの二幕だった。
龍達に「でっかい目しやがって」と言われて、
太十が「オヤジ譲りだ!」と応えるところも、古いファンには二重の楽しさ。
これは日によって、父譲りと祖父譲りの2バージョンあるらしい(笑)。

また17日のときは、奉公先から逃げ帰ってきた従妹おとら(児太郎)に、
太十が、早く勤めに戻るようにと言って聞かせる場面で、
松緑は間違えて、相手を妻おいち(雀右衛門)の名で呼んでしまい、
「(艶のある良い声で)おいち、…………おいちじゃねぇや(^_^;、おとら(^_^;」
と言い直したのだが、これが素ともアドリブともつかぬ可笑しさがあり、
客席にオオウケしていた。
脚本の中で明確に書かれている訳ではないが、設定から言って多分、
太十は妻おいちに内緒で若い従妹おとらにも手出しをしている筈で、
うっかりと2人の女の名前を間違えて呼んでしまうところに、
妙なリアリティがあり、巧まずして秀逸な呼び間違いになっていた。
顔を覆って泣いていたおとらの児太郎、本当は笑っていたかも(笑)。

しかし、芝翫との応酬やアドリブなど含めて可笑しい場面でも
アチャラカにならず、笑いに走りすぎないようよく配慮されていて、
そこはやはり、何事も丁寧にやる松緑なので、
どの場面についても、全体を見渡し芝居が最後にどこに行くかを
過不足なく計算して演っていたのだなと、あとで見終わったとき思った。

おとら(児太郎)は、太十に後ろから抱かれて、
奉公先に戻ることを恍惚とした表情で承諾する場面が印象的だった。
このときから、既におとらの魂はこの世を離れつつあった。
実際に太十と言葉を交わすところは、さほど長い遣り取りではなかったのに、
おとらが、おそらくは初めての男であった太十に執着を持ちつつ、
奉公先の高齢の医者に弄ばれる境遇でもあるということが、
児太郎の、うっとりとした、しかし絶望的な眼差しから、伝わった。

一方、妻おいち(雀右衛門)がまたなんとも男好きのする可愛らしさ、
そんなに純な女ではないのだが、性根のところで素直さがあり、
太十を愛していることも言葉や態度の端々にあって、大変良かった。
そもそもが、太十・おいち夫婦は、龍達の百両を掘り出したときも、
黙って持って逃げることをせず、そっくりそのまま龍達に渡したりして、
小狡いのかと思えば、案外、人の道に外れぬ行動をするところもあり、
汚れた部分と好ましい部分とのバランスが絶妙だった。

隣家の妻おとま(梅花)もまた、年齢はある程度行っているけれども、
太十を男として見ている面があり、色の道のほうは抑えようもなく健在、
おとらへの行き届いた言動からも、彼女が隙の無い女であることが感じられ、
脇にありつつ要所で印象を残す、巧い演じ方だなと思った。
おとまの夫・徳兵衛(松江)は台詞はほとんど無いのだが、
早桶屋(はやおけや=死人が出ると早急に棺桶を作る葬儀屋)という
仕事がそこはかとなく不気味で、黙々と作業する姿から
彼の人生や彼の作った棺桶に入る人のことなど、様々に連想をさせられた。
薬売り勝蔵(橘太郎)の「ヨイヨイ」のかたちはたいそう面白くて、
この人が不自由な足で滑り落ちるように登場する場面では客席がドっと沸いた。

勝蔵のような昔の仲間に、温かい言葉をかけ親切にする一方で、
龍達を毒殺しようと思いつくあたり、太十の不思議さというか、
人間の複雑さというものだろうかと、考えさせられた。
太十は、松緑の演り方であれば、先天的にか後天的にか知らないが元々、
闇を抱え破滅を求める気質があった、ということなのだろう。
それらは彼の魅力や包容力と、矛盾せずに同居していたのだが、
徐々に時間をかけてあぶり出され、殺鼠剤を前にして一気に開花した、
というふうに、観ていて思われた。
あのあたりの、松緑の目つきの変化は、今も思い出せる(^_^;。

龍達の芝翫は大活躍で、喜劇としての呼吸が素晴らしかったのは勿論、
太十・おいち夫婦を手玉に取る百戦錬磨ぶりも見事、
終盤で一転して怪談咄になるところも、息を呑む変貌ぶり、
しかし決して唐突だったり、ちぐはぐだったりする印象はなく、
芝翫の芸域の広さゆえの成功で、さすがはと唸らされた。
私の趣味としては、芝翫はこういう、
汚れ役でも表情豊かな存在感を示してくれる役が、断然良い。
あの橋の上で、きょうも、明日も、いつまでも、
おとらと龍達の霊魂は、変わらずにあの場所に現れ続け、
太十の霊もまた、叫び声をあげて川に落ちていくことを
来る夜も来る夜も、果てしも無く繰り返しているに違いない、
……と思わせる、納涼歌舞伎(違)にピッタリの(^_^;幕切れだった。

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今朝、仕事前に寄ったら(と簡単に書くが遠いのでタクシー往復だ)、
母はまた、頭の針がネガティブ方向に振れていて、
「ここ(ホーム)に入ったのが間違いやった」
と嘆いていた。

「系列病院がある言うから信用したのに、4人も医者がおっても
 どの医者も全然あかん。宣伝文句なんか信用できんもんや」
→自分の気持ちが済むような言葉を言ってくれる先生に出会えていない様子。

「酸化マグネシウムは毎日飲んだらあかんて、薬の本に書いてあるのに、
 ここの先生はそんなことも知らんで、毎日出しよる」
→長期連用ができない薬ではなく、むしろ安全性の高い便秘薬の部類だ。
 確かに、高齢者は腎機能が悪いことがあるので、高マグネシウム血症は
 ひとつのリスクだとは言えるが、果たして薬をやめるほどのことかどうか。
 どうしても心配で止めたいのなら、別に、止めてもいいとは思うが(汗)。

「保険証を取り上げられてしもて、自由に医者に行かれへん」
→完全な誤解。保険証類は詰所に預けることになってはいるが、
 申し出るだけで、いつでも外部受診は自由自在。
 介護タクシーも電話一本で来てくれる。
 実際にそうやって受診したこともあるのに、頭の中で記憶が繋がっておらず、
 職員さんも、いつでも受診可能と幾度も言って下さったが、頭にうまく入らない。

「今朝はお腹が下って、朝御飯ことわったんやけど、そしたら、
 若いお姉ちゃんが、今朝はパンですけどて言いに来るねん。
 パンなら食べるて思うたんやろか。
 ここらで働いとぉ元気な人には体の弱い者の気持ちなんかわからへん」
→母のお腹の不調は、要するに過敏性腸症候群の類いであって、
 胃腸風邪等ではないから、米飯は気が進まなくてもパンなら食べたいかも、
 と担当の方は考えて下さったのだろう。そんなに悪いことなのか??

「爺ちゃん(父)も急に元気がなくなって、ここに来てから駄目になってしもた」
→父は体重も増え、普通に元気にしている。
 超ご機嫌、というほどでもないが、父はもともと地味な人なので、
 私の目から見て最近の父は、別に変わりがない。

「ここはやたらに掃除ばっかりして」
→母は昔から、『人間、ゴミやホコリじゃ死なへん。
 まず、たんと美味しいもん食べにゃ』という考え方だった。
 確かに実家は大変汚かった(爆)。

「当座のもんしか持って来んかったから、着るもんもあらへん」
→夏物も冬物もある。先週は私が着てきたカーディガンを羨ましがったので、
 その場で脱いで母の名前を書いて渡したし、後日、同じような色違いのものも
 買って来て母の目の前で箪笥に入れたが、着る様子なし。

……等々の内容で、母は同じ話を繰り返し語り、
「私の人生何だったのか」「誤った。おしまいだ」と落ち込んでいたが、
どう聞いてみても、何の事件も起こっていなかった。

解決策として、それではここを出て家に帰りたいのか、というと
「ヘルパーさんに住み込んで貰うわけいかへんから、それはでけへん」、
消化器専門病院を探して受診したいのかと問うと、
「遠いとこまで行くのは、しんどうて無理や」、
服を取りに半日程度、家に帰ってみるかと言うと、
「そんな簡単には行かへん」、
提案する話は、全部否定で終わり、建設的な考えができる様子ではなかった。

老年期の精神病、…そこまで行かないかもしれないが、
経年劣化が理由のパーソナリティ障害みたいな感じではないか、
と私は喋っていて感じた。
こういうものは概して、男性より女性の発症率のほうが高いと聞いていたが、
教科書通りではないか(^_^;。

母は『間違いやった』と言っていたが、私にとってみれば、
この春に老人ホームに入って貰ったのは大正解だった(爆)。
こんな調子で実家に2人で居られたら、大変なことになるところだった。
施設に入ったために、環境の変化から精神状態が悪化してこうなった、
とも言えるかもしれないが、家で生活していた頃から母は機嫌が悪かったし、
どのみち90歳なのだから、時間の問題だっただろう。
母は若い頃から、ものごとに対して割と悲観的で悩みやすいほうだったので、
89歳にしてその傾向にハッキリと拍車が掛かったなと、
良くも悪くも感心した。

とはいえ、100パーセント惚けている訳でもないので、
今度から母の話のうち重要そうなものについては、
適宜、職員さんに確認をとったほうが良さそうだ。
……そういえば洗濯ネットは、もう良くなったのかしらん(^_^;??
父のほうは変わりが無かった。
話も普通程度には通じるし、母の繰り言には苦笑いをしたりしていた。
長く連れ添った人は対処も心得ているふうだった。
父の介護認定証が新たに届いて、要支援2から介護度1に上がっていたので、
父のケアプランについては来週改めて、
ホームの担当の方々と私とで面談をすることになった。

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夕方、母が電話してきて言うところによると、
あれから再び、ホーム生活は快適になったそうだ(^_^;。
長らく食事に不満だったが、
夕食は、予め注文しておけば食べられる別メニューがあることを知り、
それを利用して昨夜ハヤシライスを試してみたらなかなか良くて、
父も母も楽しんで食べることができた、
更に偶然だがきょうの昼食の献立に焼き肉が出たので美味しかった、
……の二つで、大変満足できたとのことだった。
良かった良かった(^^)。
さすがに90歳まで生きるだけあって、この両名は、
「魚と煮物、酢の物、味噌汁」などという和風献立は大嫌いで、
「ステーキ、海老フライ、ポテトサラダ」みたいな濃い肉食メニューで
いつでもばりばり食事することを望んでいるのだ。

久しぶりに肉を食べた御蔭か、母は全体としてきょうは機嫌良く、
ホームを出て自宅に帰る話などは全くしていなかったが、今度は、
「ホームに来てくれるお医者さんは糖尿病が専門で、
消化器内科の先生ではないので、良い下剤をくれない」
という主旨の不満を述べていた。
たとえ内分泌系がご専門でも、内科の先生なのだから、
風邪でも腹痛でも何でも診て下さるに決まっていると思うのだが、
母によれば、母の症状には専門医こそが相応しいらしかった。
どんだけ特別製の便秘なんだっっ(呆)。

この件については、既に先日、ホームの薬剤師さんが話を聞いて下さり、
―――スタッフさんは皆さん、母の話を否定せずに耳を傾けて下さるので
私は本当に頭が下がると常々、思っているのだが、
その薬剤師さんが、ホームの近くに消化器内科クリニックがあることを
母に教えて下さったそうで、母はそれに関心を持っていた。
だったら、近日中に介護タクシーを頼んでそこを受診してみたらどうかね、
という話をして、きょうのところはとりあえず電話を終わった。
通話時間59分(^_^;

*************

ときに、昨日、舅姑の墓参りのあと、3か月ぶりに舅宅まで足を伸ばしたのだが、
郵便受けに入っていた電気料金票の予定請求金額が予想外に高く、
私が舅宅に行ってもいない期間の使用量が増えているのは変なので
きょうは中国電力に電話をした。

過去何年もずっと、留守宅のため80kwh前後で変化がなかったのに、
先々月が130kwh台で、先月はますます増えて153kwhになっており、
昨年夏にお盆の用事で舅宅を使ったときでさえ、135kwhだったことを思うと、
これはやはり何か普段と違うことが起こっていると、中電の方も言われた。
できるだけ早く確認したほうが良いとのことで、
明日の朝、舅宅まで担当の方に来て戴くことになった。
……出勤前に私は朝から中区―佐伯区の往復か~~orz

昨日確認した限りでは、留守宅に誰かが侵入した形跡はなかったし、
舅宅は、家の外に電源のあるような設備ももともと無い。
この3か月、私が舅宅に足を踏み入れていなかったのだから、
掃除機やエアコン等の家電使用はゼロ、電灯消し忘れが起こる機会も無し。
ほかに無人の家で考えられることとしては、
ずっと通電している冷蔵庫の老朽化による、電力消費量の異常か、
或いは、漏電があるのに分電盤が動作不良になっている、とか?
そろそろ、舅宅もなんとかしなくてはならない時期ということか……。

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朝っぱらから母が電話してきて、要約すると、
「ここへ来て一ヶ月、じーちゃん(父)がすっかり意欲をなくして元気がない。
食べるものも気に入らない。ここ(老人ホーム)は期待外れだった。
ここを出て、自宅に帰ろうかと思う」
という相談だったorz
それは私の実感と随分異なっている感想だったし、母自身、つい先日まで
「ここは天国」と言っていたのに、ひどい変わりようだった。

どう尋ねてみても、何か事件があったわけではなく、母いわく、
「じーちゃんが、話しかけても芳しい返事もしぃひんし、
横になってテレビばっかり観よるし、死なん程度の食事しか出んし」
「私ら神戸でずっと上等の神戸牛を食べて暮らして来た人間やから、
こんなとこの食事なんか口に合わへん」(←ビックリ!!どこの上流階級か!?)
「じーちゃんは、体のためにしっかり食べなあかんのに、野菜なんか
食べる気がせんて言うねん。それでいて菓子パンは食べるねん」(←昔からだ)
「ここ(ホーム)では、見た目だけ良うするために、どこもかしこもつるっつるに
掃除してあるから、御蔭で私はすべって転んだ」(←家でもよく転んでたが…)
「そりゃ、医者行きたい言うたらいつでも自由に行かしてくれるけど、
普段は『預かる』いう大義名分で、保険証も何もかも取り上げられて」

人間、90歳にもなるとこうなるのだな(^_^;。それで私が、
「不満はあろうが、トシを取るのがそもそも人間には不本意なことなんや。
人に何でもして貰う言うのんは、自分の勝手が通らんことでもある。
それは若返って自分の思う通りに暮らせるのでない限り、もうどうもならへん。
今更、家に帰っても2人では無理やて。やって行かれへんて。受け入れな。
家じゃ風呂に入らず粗相を繰り返しとったし、去年なんか感染症で入院したやんか。
そこのホーム以上に安心できる場所はほかにないよ」
と言ったら、母は別に怒るでもなく、
「ほなら、じーちゃんのことは、見て見ぬふりしとけばええ?」
と言うので、これまた意味不明だなと思ったが、
「年寄りになればなるほど、寝とる時間が増えるのは普通にあることやん。
何をせんなん言うこともないんやし、ラクなように、昼でも寝たらええ。
食べとうないときは、無理して食事せんでもええねん」
「そうやね。ほんなら、そう考えることにするわ」
とそこは案外素直に引き下がって電話が終わった。通話時間41分。
だいたい、90歳近くになってなお、何もかも思い通りになり、
食欲旺盛で意欲満々でいられては、私のほうが吸い取られて先にヘバる。
活力が落ちて来て、徐々に食べなくなり寝ている時間が増えて、
トシ相応に枯れることこそ、むしろ自然で正しい老化なのだよ(^_^;。

父は、アルツハイマー型認知症、という診断がついているので、
徐々に言動の勢いが衰え、物事が思い出せなくなり、
生活に不自由が出てくることは、私には想定内だ。
母のほうがややしっかりしているので、そのように説明したことはあるのだが、
目の前の現象を総合的に判断する能力は、もはや母にも無いのだろう。
ああいう電話で私の時間を取るというのは、もっと構って欲しいという
母なりのサインなのだろうかなとも思ってみたが、
私はほとんど三日に上げずホームに顔を出しているし、
肉が食べたいというのは前にも聞いたから、
既に先月後半には、ローストビーフの差し入れもした。
調理がしたいというから、包丁とまな板も先日届けた。
共同の炊事場があるので、頼めば使わせて貰えると母は言っていた。
先月末にはタクシーで2人を連れ出し、「外出」というかたちで半日ほど
自宅に帰って過ごす時間も設けた。
両親ともに、大半が記憶に残っていないのかもしれないが、
申し訳ないが私も身ひとつなので、現状、これ以上のことはできない。

私は両親をできるだけ良いかたちで看取りたいと願っているし、
そのために、自分の境遇で可能な範囲のことは、するつもりではある。
今、既に、親関連で、私の時間も体力も経済力も相当なものを費やしている。
しかし、「親か、夫か」の二択になったら、私は迷うことなく「夫」を取る。
もはや人生を閉じるだけの90歳夫婦と、共倒れになることを私は望まない。
仮に何か、両親の最後の願いを叶えるため、となっても、
私は自分の生活が壊れるほどの奉仕はしない、と決めている。
幸いに私には一人っ子なので、私がどれだけサボっていても、
アンタは冷たいなどと、私を非難する兄弟姉妹は存在しないし、
兄(弟)の奥さん(達)にうちの両親のことで迷惑をかける心配もない。
ということで、文句はおありでしょうがホームにいて頂くのが最善なのよ(^_^;。

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仕事と実家案件と村関連で、本日は五件同時進行だった。
またしても、朝からタクシーで実家まで行った。
最近はパート代がほぼ実家往復のタクシー代で消えている。
しかし選択の余地はないのだ。
移動時間を短縮する以外に、時間を捻出するところがもはや無い。
時間は買うものであると最近の私は納得している(^_^;。
それと、実家は遠いのでタクシーを使えば移動中に仮眠を取れる。
これも今の私には貴重な休憩時間だ。
喋り続ける運転手さんに当たったら最悪だが(^_^;。

雨の中、実家に着いて、次から次へと人に会って五件なんとか片付け、
残りは金曜日午後にまた、と話をつけたあと、
冷蔵庫にあったリポDを一気飲みし、
それからやおら、先週、母から頼まれていた、
「まな板・包丁・コーヒーカップ・買い物籠2つ」
を実家の台所や土蔵から掘り出した。
築100年の土蔵は昼でも昏く、壁や天井などあちこち朽ちていて、
ラップ音みたいな変な音がいつもしているのだが(爆)
今の私はあまりにも忙しく、私を邪魔立てするものは全て許せないので、
実家のよどんだ空気など、もはやなんとも思わなくなった。
喧しいわ!細かいことに構っとれんのじゃ(--#)!と、
自分の頭から湯気が出ているような気が、しょっちゅうしている(^_^;。
そして夕方、それらのブツを積んで実家からタクシーで某老人ホームに行った。
この移動距離は短いのだが、荷物が途方もなく重いからタクシーを使った。

着いてみたら、母は私の持って来たものについては喜んでいたが、
おもむろに、「洗濯ネットがなくなった」話をし始めた。
このホームでは、週2回、洗濯の日が決まっていて、
洗濯ネットに肌着その他を詰めて出し、
職員さんに洗濯して戴くことになっている。
その洗濯物が仕上がって来たとき、洗濯ネットが帰って来なかった、
と母は言った。
ネットその他、持ち物には名前はすべて書き込んであるので、
落とし物などになっていれば必ず戻って来る筈なのだが、
母は、この年齢の老人にいかにもありがちなことに、
「誰かが盗ったんや」と言った。

出来上がった洗濯物は、職員さんによって各自の部屋に配られるので、
洗濯ネットだけ、その段階でほかの人のところに渡っている、
という可能性が絶対にないとは言えないが、私の想像の範囲ではどうも考えにくい。
しかし母の理解では、そうやって何かの間違いで母のネットを受け取った人が、
そのまま黙って持っている、ということになっていた。
仮にそういうことが起こっているなら、その人も気づいていないのだろう、
洗濯ネットなんてどれも同じようなものだし、皆さん高齢だから(^_^;。
という意味のことを私が言ったら、母は更に、
「そりゃ、名前のついとるようなもん、ここで使うわけには行かんから、
家の人に言うて、持って帰らしたんやろ」。
え~~、私だったら、家族としては、他人様の名前入り洗濯ネットなど、
内緒で持って帰れと言われても出来ないぞ。そもそもキショク悪いし(^_^;。

ただ、事情はともあれ現時点で、家から持参した洗濯ネットのうち、
1つだけでなく2つが、母の部屋から消えているのは事実だった。
私自身が準備をし記名をしたので、どのネットを持って来たか覚えているのだが、
記憶にある2種類が、母の肌着入れの引き出しの中に見当たらず、
私の知らない花模様のネットが1つ残っており、これにも母の名前が書いてあった。
フロア担当職員さんのチーフの方には、洗濯ネットが見当たらないことは
母が既に申し出たのだそうで、さしあたりすぐに出来ることは他になかった。
仕方が無いから、私はもう一度100円ショップで洗濯ネットを買い、
今度はもっとデカデカと記名して持って来よう、と思った。

両親がきちんと三食を取り、入浴して身ぎれいにしている様子なので、
私自身は現在のホーム生活には心から満足している(^_^;。
私にとっては、例えば両親の入浴ほどには洗濯ネットの問題は重要でない。
両親それぞれホーム生活そのものには慣れてきたようで、
父も普通程度に明るくなっており、良かったと思った。
差し入れたお菓子類は、あっという間になくなっており、
2人で食べたいだけ食べている様子だ。
また、セブン・イレブンも御用聞きに来てくれるので、
自由自在とは行かないまでも、居ながらにして買い物もできているそうだ。
母は母なりに、私に対して思いやりがないわけではなく、
きょうは、売店で買ったという板チョコをくれようとした(^_^;。
「きのう2枚買うて1枚はお父さんが食べたから、あんたにもあげよ」
と言うので、
「ええよ、その1枚も後でまた食べんちゃい(^_^;(=食べなさい)」
と辞退したのだが、喜んで貰って来てあげれば良かったかな。
あのような年齢になっても、娘に何か買ってやりたいものなのだろうから。


追記:6月8日朝、母のところへ寄ったら、
ないということになっていた洗濯ネット2つとも、ちゃんと戻って来ていた。
「あったんだ!?」
と私が指摘したら、母の反応は「そうやねん」程度の曖昧なもので、
職員さんが探し出して下さったのか、「ない」こと自体が母の思い違いだったか、
母が経緯を説明できないので、真相は謎だった。
発見されたのだから結果オーライなのだが、「盗られた」的な不用意なことを
母が職員さんに言わなかったかどうか、かなり心配(^_^;。
今度チーフの方にお目にかかれたら、尋ねて謝っておかなくては。

追記2:6月13日には母はまた、「ネットが帰って来ていない」と言い、
「8日に戻って来とったやないか」と私が言っても、聞き入れなかった。
14日に母が電話してきて言うには、洗濯ネットが今朝2枚帰って来たそうで、
「2か月かかってようやく全部出てきた」とのことだった。
……入所してまだ1か月半しか経っていないのだが(汗)。
要は、洗濯物は一日で仕上がる訳ではないので、
ネットもその日数分だけ母の手元を離れており、
前のが戻って来たときには、既に次の洗濯物を別のネットに入れて出しており、
常時、ネットのうちのどれかは外に出ていて手元にない、
というだけのことなのでは、と私は思うのだが(^_^;。

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