転娘みーちゃん、詠(よ)める――
朝起きて テレビを見たら 警報だ
だが連絡網で 学校来いと
今朝は広島呉地区に「大雨洪水」警報が出ていて、
7時の時点は自宅待機だったのだが、
8時過ぎに、警報は解除されないまま、クラスの緊急連絡網で
「10時半までに登校」との職員会議の決定が知らされてきた。
娘は大いに落胆しつつ、学校に行った。ご愁傷様。
結局、広島に関しては、たいした雨は降らなかったので、
先生方の決定は正しかったと思う(^_^;)。
きょうは本当はプール指導のある日だったのに、悪天候のために、
学校はあるのにプールは中止で、娘はそれにも不満だった。
だいたいが運動神経のない、どよんな娘だが、水泳だけは好きで、
クロールでも平泳ぎでも25メートル泳ぐことはなんでもないので、
プールの季節だけは、体育で余裕をコいていられるそうだ。
しかし、娘がそんなことを今、言っていられるのは、
彼女が小さい頃から私が早期教育(爆)を試みた成果なのだ。
あんよも出来ない赤ん坊の頃から、ベビースイミングに連れて行き、
2歳半から子供達だけのクラスにうつって、
娘はイヤがって大泣きしたけれども、私は絶対に許さず休ませず、
プールだけは真面目に通ったものだった。
しかもそのプールは、地区では有名な英才教育のスクールだった。
そりゃ厳しかったとも。指導には一切の妥協がなかった。
子供が泣いてもコーチは全く動じないし、
脱走する男の子も、コーチに拉致されプールに放り込まれていた。
課題となっている項目が全部クリアできるまで、
絶対に進級が認められず、同じ級を半年でもやらされたものだ。
尤も、私がそのスクールを選んだのは、単に、
他と違ってスクールバスが家の前まで来ていたから、というのが理由で、
娘を将来、水泳選手にしたいと思ったことなど一度もなかった。
休まず真面目に通ったというのだって、熱意があったというよりは、
実は幼稚園にさえ行っていない年齢だったから限りなく暇だったのと、
私自身が、プールで出会うお母さん方と喋るのが楽しみだったのが、
まあ、主な動機付けだった。
(ここで知り合ったお母さん方のうちのひとりから、
『水泳と音楽と英語さえできたら、学校はとりあえず楽勝や』
と恐ろしく的を射た発言を聞くこともでき、収穫が大きかった(殴))
娘は、今、
「あのとき頑張っておいて良かった。泣いたときもあったけど、
休んだりしなくて、続けていて、本当に良かったと思う」
と言っている。
「あれだけ叱られたお陰で、転校とかのいろんなことに耐えられた」
とも。(↑ほんとかよ(逃))
小さいとき、親の考えだけで子供に厳しい生活を課し、
ひとつのものを習得させようとした場合、
何かの偶然で良い結果がでると、
「親の熱意があればこそだった。つらかったが頑張って良かった」
と、ちょっとした美談みたいな話になるわけだが、
何かの拍子に失敗して子供が曲がったりすると、
「幼い子に親のエゴで無理強いしたから、子供は犠牲になった」
と責められることになるのだろうな、ときょうは改めて思った。
この、「何かの偶然」「何かの拍子」というのが、
些細なことだが、大事なところなのかもしれない。
親としては子供を常に観察することしか出来ないわけだが、
育児においては、何が正解で何が誤りなのか、
そうそう簡単にわからないし、手探りなのは誰しも同じだと思う。
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