書く機会を逸していたが、父は1月6日に退院した。
1月6日と言ったら、正月三が日が終わったあとの最初の月曜日で、
地域のほぼすべての会社の仕事始めの日であり、
神社は20分刻みくらいで企業の安全祈願祭が一日じゅう入っていた。
朝8時開始で最後の祈願祭が終わったのが17時、
その間、まとまった昼食時間もトイレ休憩もなく、
「ごはんは5分!(←交替で立ったままカップラーメンかっ込み)、トイレは3分!」
で神職も巫女も総代会スタッフもフル回転・てんてこ舞いの1日だった。
20社以上の安全祈願祭を予約で受けていて、
会社現地まで出かけてのお祓いもあり、更に当日の飛び込みまであった。
その最中に、病院からの着信履歴を発見し、親がどうかなったのかと慌てて、
お祓いを受ける会社の方々の入れ替わりの隙をついてかけ直したら、
「あの~、もしもし、お父様のご容態も落ち着かれましたので、
主治医の○○先生からの許可が出まして、退院ということで、
本日午後には準備が出来るのですが」
と言われ、本来なら喜んで良いことだった筈なのだが、
このときばかりは私は全身の血が逆流するかと思った。
「無理です!!!!!本日は全然私は動けません!!!!!」
幸い、病院は老人ホームの系列機関であったので、
ホームからスタッフさんが病院に迎えに行って下さることになり、
私が出向かなくても退院はできるということでお任せをした。
何がどうでもいいからどうにかなっておいて(T_T)!!と心底、思った。
10日(金)の夕方、正月関連行事が初めて一段落して、
ようやくホームに出かけ、両親の顔を見ることができたのだが、ふたりとも既に、
父の入院がいつ頃のことであったかが定かでなくなっていた。
父など本人なのに、「ワシは、入院しとったんかいの」と真顔で訊ねる有様だった。
母は、父が退院できたことを一応、喜んではいたが、
ホームの食事は不味いので(←母の弁)、病院にいたほうが良かったのでは、
などと訳のわからぬことを言っていた。
病院の糖尿病食がそんなに美味だとは考えにくいのだが……。
ときに、今回の入院で血糖コントロールについて主治医から改めて指導され、
ホームでも父の間食の内容について、もう少しきちんと管理することになった。
具体的には、間食に相当するものが部屋にあった場合はスタッフさんが記録し、
父がそれを食べているかどうか注意して観察するようになった。
私も以前のように菓子パンなどを送るときは、父に直接でなくスタッフさん経由にして、
毎日1個などと数を決めて、本人に手渡して戴くようにお願いした。
父本人は説明されてもすぐ忘れるし、何とも感じていない様子だったが、
こうした糖尿病管理に関して母が、先日来、幾度も、
「お父さんは、何にも食べへんねん。ここにこのままおったら、餓死してしまう」
「お父さんの糖尿病を口実に、みんながお父さんの菓子パンを取り上げて食べてしまう」
などと、妄想に取り憑かれた物騒なことを言うので、閉口した。
母は若い頃から、「私は料理が上手い」というプライドがあり、
それは「生半可なものでは私の『舌』は納得しない」という矜持でもあったのだが、
ここに来てそのことは、母本人を少しも幸せにしていないと私は思った。
母はもともと、自分も美味しいものが食べたかったし、
自分の自慢の料理を父に食べさせて、満腹したところを見るのが好きだった。
それが、ホーム暮らしになって、調理をする自由がなくなり、
全く自分の口に合わない食事をせざるを得なくなり、母は不幸になった。
昨年までは、主人と私で、ふたりを外食に連れ出したこともあったし、
デパートの物産展で買ってきたステーキ弁当などを続けて差し入れしたこともあったが、
今や、ふたりとも90歳になり、外出時の不自由が多くなり、
父には医師による食事指導も入り、できることが徐々に、かつ確実に、限られてきている。
現状、「ホームの食事が不味い」ということが母の話の中心で、
そこに、父の血糖管理のための、ある種の食事制限が見え隠れするようになったために、
食事に関する母の不満と不安が以前にもまして耐えがたいものになり、
その他の感謝すべき多くのことは容易に吹っ飛んでしまうようになった。
「食事が不味い」ので、「菓子パンを食べているとほかの入居者さんから嫉まれる」
「娘からの差し入れも、糖尿病だからと1つしか貰えず、残りは職員さんが食べてしまう」
などと、情報の断片だけを繋ぎ合わせて、周囲の人の悪口を言うこともしばしばだ。
「そんなことはあり得ない、誤解をしているだけだ、心配のしすぎだ」
と私が言っても、
「あんたはここで暮らしたことないから、わからへん。ここは、そういうとこなんやて」
と母は受け付けようとしない。90歳になると、ああなるんですねorz
私が、そうした妄想話にゆったりとつきあってもなお、
その後に休んだり自分を修復したりできるだけの時間を持っているときならまだしも、
日々の予定をこなすだけでカツカツで、キレそうになっているときに、
そのテの話をくどくどと聞かされると噴火する。
きょうもまた、母の愚痴電話25分×2回でヒドい目にあった(--#)。
ほかの日と違い、きょうは休みだったので、まだしもマシではあったが、
年が明けて初めて手にした休日にコレかよという憤りは、正直、あった。
電話を叩き切らずにあれを聴いてあげただけでも、私は親孝行したつもりである。
私が存在しなければ、母はあの話をすることができなかったのだから。
そもそも私が、これほどあれこれ犠牲にせねばならないほど忙しくなったのは、
父が先祖代々の村の神社の仕事にも、長年の実家関連の揉め事にも、
何一つ、自分で始末をつけておかなかったせいなのだ。
「親介護」は「親を許す」という一生モノの課題そのものだ、とつくづく思った。
終活においては「決断力(=自分は老いた・もう駄目なのだと受け入れる能力)」、
老後においては「鈍感力」、……このふたつが不可欠であると私は両親から学んだ。
ときに、私自身は味音痴ゆえに食事なんか完全に何でもよく、
それゆえに、カップラーメンとカップ焼きそばで神社11連勤ができた訳で、
今の母のようなことを言って将来娘を困らせることはない筈なのだが、
しかし、それはそれで、あれほど長生きしてしまうようなことがあったら、
また別のことで娘を噴火させるんだろうかねぇorz
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