転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨夜は、QUEEN + ADAM LAMBERTの名古屋公演に行った。
フレディの居ないQueenをライブで聴く日が来ようとは
少し前まで思ってもいなかったのだが、
アダム・ランバートが、予想を遙かに上回る素晴らしさで、
本当に行って良かったと思った。
誘ってくれた某氏に篤く篤く、お礼を申し上げたい。

2020/01/30 QUEEN + ADAM LAMBERT@ナゴヤドーム
Innuendo (intro)
1.Now I'm Here
2.Seven Seas Of Rhye
3.Keep Yourself Alive
4.Hammer To Fall
5.Killer Queen
6.Don't Stop Me Now
7.Somebody To Love
8.In The Lap Of The Gods...revisited
9.I'm In Love With My Car
10.Bicycle Race
11.Another One Bites The Dust
12.I Want It All
13.Teo Torriatte
14.Love Of My Life
15.'39
16.Doing All Right
17.Crazy Little Thing Called Love
18.Under Pressure
19.Dragon Attack
20.I Was Born To Love You
21.I Want To Break Free
You Take My Breath Away (intro)
22.Who Wants To Live Forever
23.Guitar Solo:Brian(from "Goin' Home" by Dvorak)
24.Tie Your Mother Down
25.The Show Must Go On
26.Radio Ga Ga
27.Bohemian Rhapsody
Freddie Ay-Oh
EN1.We Will Rock You
EN2.We Are The Champions
God Save The Queen

アダムはフレディのコピーではなく、元々それを目指してもいないのに、
彼の歌声は見事にQueenの音楽になっており、
ファンとして私は、彼を通してフレディをリスペクトできる幸せに酔った。
また彼は、フレディとは異なる「頑丈さ」のあるシンガーでもあった。
フレディは声の保全を優先して、ライブでは低音のパートを歌うことがよくあり、
特にヴォーカルコンディションに不安のあるときは、
録音時のような音域の広さを披露できないことも結構あったのだが、
アダムは、フレディが理想としたであろう高音のメロディラインを
圧倒的な声量をもってライブで実現させられる歌い手だった。

全ナンバーのうち、私が最も魅せられたアダムのパフォーマンスは、
Killer Queenの、グランドピアノの閉じた屋根に腰掛けて歌うスタイルで、
フレディの書いた音楽が、いかに多彩な魅力を秘め、
強烈な個性に貫かれたものであったかを
フレディ以外の歌い手によって見せつけられたことに強く感動した。
長い白髪が神々しいまでの姿になったブライアン・メイ博士、
童顔を残しながらも素敵でパワフルなオジ様のロジャー・テイラー卿、
ああ、1985年5月以来、35年ぶりに本物のQueenに
このようなかたちで再会できた私は、滅多にない幸せ者であったと、
今、私は心から、強く、思っている!

「僕はフレディ・マーキュリーを愛してる。みんなもそうだろう?
僕もファン、きみたちもファン。僕らはみんな同じ。
今夜、一緒にフレディとQueenとを讃えよう。
そして、もうひとつお願いをきいてくれる?
みんな、僕と歌って欲しい。大きな声で。いい?じゃ、行くよ?」
というアダムの語りかけから、6曲目のDon't Stop Me Nowに入っていったとき、
私は自分でも全く思いがけないことに、いきなり涙腺決壊した。
70年代終盤のあれもこれも、フレディの声や表情や、
そのときの自分の気持ちなど、何もかも一気に胸に押し寄せて、
フレディが居たから、この曲があり、今夜があるんだ!と
アダムと一緒に歌いながら、涙があとから、あとから。
多幸感、陶酔、悔恨、そして二度とは返らぬものへの尽きせぬ憧れ。

更に、ブライアンのギターに合わせて、聴衆が皆でTeo Toriatteを歌い、
Love of My Lifeではスクリーンに在りし日のフレディが映ってブライアンと並び、
私たちもまた、当時のライブでやっていた通りにフレディと共に歌って、
またまた、止めどもなく涙が流れたひとときだった。
満席の、40000人に埋め尽くされたナゴヤドームで、
これらの曲では観客が次第にスマホにライトをつけて掲げて歌い、
その灯りはまるでブライアンの愛する天空の星々のように、
アリーナから4階席までちりばめられ、揺らめき、それはそれは壮観だった。

この冬は、KISSとQueen、いずれも私が中学時代に巡り会った、
自分の洋楽黎明期の2大バンドに、期せずして相次いで、ライブで再会することができた。
KISSに関しては私は、彼らの40年以上の歴史を完結させるファイナルツアーを
力一杯に祝福する気持ちで、アンコールの最後まで笑顔で満喫したのだが、
Queenは、未だ現在進行形のバンドでありながら、ふとした一曲からも、
過ぎし日のひとつひとつが蘇り胸を去来し、これほどに泣けてしまうんだと、
ファンとしての自分の気持ちのあり方の違いも、我ながら興味深く思った。
偉大なバンドの音楽に、十代半ばの多感な時期を彩って貰えて幸運だった。
そして、あれから数十年を経て、こうして再び出会えるなんて、
あの頃の曲を全く新鮮な気持ちで今も聴けるなんて、
生きているというのは、凄いことだったのだなと、つくづく、思った。
メンバーの彼らが、あの若い日のままで終わってしまっていたら、
また、自分が55歳の今まで生きていなかったら、この感激は無かった。
トシは、とって初めて、幸せになれるものなのだなと、わかった。
まさに、「感謝」!!(←ブライアンのTシャツの胸に書いてあった日本語)

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新型肺炎「武漢だけで、2月4日までに最大35万人超が感染」英米研究チーム
(飯塚真紀子 | 在米ジャーナリスト 1/27(月) 11:38)
『世界各地への急拡大が止まらない新型コロナウイルス。』『感染者数はこの1週間で急増して2744人に達し、80人が亡くなった(米国時間1月26日17時時点)。世界の研究者たちがこのウイルスの研究に躍起になる中、1月24日(米国時間)、イギリスのランカスター大学とグラスゴー大学、そしてアメリカのフロリダ大学の研究者からなる研究チームが科学論文を発表、恐ろしい予測をした。』『2月4日までには、武漢だけで、感染者数が25万人以上に達するというのだ。論文によると、感染者数の予測区間が164,602人~351,396人とあるから、最大35万人超が感染している状況となる可能性がある。』

昨年12月頃から言われ始めていた新型コロナウイルスによる肺炎が、
いよいよ流行期に入ってしまったようで、感染者数がうなぎ登りだ(汗)。
一般人の我々にできるのは、頻回な手洗いと、手で顔を触らないこと、だろう。
あとはできれば人混みに行かないということくらいか。
接触感染と飛沫感染が主だと言われており、それが正しいなら、
感染者から2メートル以上離れていれば、理論的にはウツらない筈だ。
いや、感染者が盛大に咳やくしゃみをしてウイルスを飛ばしたときは、
この限りではないか(汗)。
ということは、もしも自分自身が風邪気味と感じたなら、
新型コロナウイルスの肺炎の可能性があろうとなかろうと、
周囲にばらまくのは御法度だから、
この時期ならば尚更、すすんでマスクを使うべきだろう。

ポゴファンとしてやはり心配なのは、来月の来日公演、ひいてはアジア公演が
果たして予定通り行われるのだろうか、ということだ。
ポゴレリチは、2月7日の高崎公演を皮切りに16日まで日本公演、
その後は韓国で2公演、更に中国公演が予定されていて、
23日北京、26日上海、29日杭州、となっている。
一ヶ月後に中国がどういう状況になっているかわからないし、
日本だって韓国だって、これだけジェット機が発達している現代においては、
いくらでもウイルスは入って来る状況だと思わなくてはならないだろう。
公衆衛生の概念では、日本はある程度進歩しているとは思うが、
免疫のない感染症がどれだけ広がるかは、2009年の新型インフルのときに経験済みだ。
ポゴ氏に限らず、今後に来日が予定されているアーティストたち誰しも、
アジア公演を中止する可能性が十分あるのではないか。

2009年の新型インフルのときには、この年の春頃から翌年の前半までに
世界中の200以上の国と地域で感染を確認、死亡者数は18000人以上、
というあたりまでの統計は見たが、その後、検査や集計を見かけなくなり、
最終的にどういう扱いになったのか、私は記憶していない。
(後日記:2009年からの新型インフルエンザがとういう扱いになったかは、
Wikiにまとめられていた。→日本における2009年新型インフルエンザ
ただ、当時のあまりにもヒステリックな報道と騒動だけは未だに忘れられない。
最初に日本で感染者が出た頃の、世間の論調と言ったら酷かった。
ウイルスを持ち込んだ人たちのせいで感染列島になり、我々は死に絶える、
的な言い様をネットの各所で目にした。私は当時、
「新型インフルに罹ることより、それを世間に知られるほうがゼッタイに怖い」
と思ったものだ。
更に前の、SARSに関しては、Wikiによると、2002年11月から2003年夏頃までに、
世界30ヶ国8,422人が感染、916人が死亡、などの数字が残っていて、
確かこのSARSの流行と致死率の高さが報道された頃、
フー・ツォンが別府アルゲリッチ音楽祭参加をキャンセルした、
ような記憶があるような無いような……(^_^;。

Twitterのお医者様がたのお話によると、今回の新型コロナウイルスの肺炎には、
抗HIV治療薬のロピナビル / リトナビル(カレトラ(R))という薬が試され、
効果を発揮したという報告が既にあるそうだ。
そういう意味では打つ手がないという疾患ではなく、有り難いと思うが、
患者数が多くなった場合、遺伝子検査をした後にこの投薬を受ける、
というような段取りが、数量的に可能な話なのかどうか、私にはわからない。
ここまでに軽症で既に回復した患者も感染者数に入っている訳だから、
重症化傾向や致死率についても、まだ統計的には調査途上にあるのだろう。
今後、更に悪い数字になって行くか、否か……?
リンク先の記事にあるような数字が、どの程度アテになるかならないか、
2月5日あたりには多少は判断できるだろう。

ときに、改めて調べてみたら、今も流行中のインフルエンザの場合、
予防接種やタミフル他の抗ウイルス剤があってもなお、
日本国内で毎年、1千万人が罹患し、直接の死者が千人前後、
関連死も入れると1万人程度の犠牲者が出ているということだ。
インフルと言われれば、自分も周囲もそれなりに罹ったことがあるせいか、
これだけの数字があってもさほど怖いと感じないなんて、
考えてみると物凄いことではありませんか(O_O)。
しかもかつて騒いだ「新型」インフルかそうでないか、なんて、
既に全くどうでもよくなりましたよね?なんで(^_^;?
確率的には今、アナタも私も、新型コロナウイルスによる肺炎より
従来型か新型か知らないがインフルで死ぬ可能性のほうが
比較にならないほど高い、という状況下で暮らしているのだ!
しかし全然、そんな実感がない!!
新型肺炎は、罹ったら最後、命が危ない感じがして大変怖いのに、
一方、インフルといえば「ま、ちょっと酷い風邪かな?」程度。
熱が高くなければ、とりあえず会社にさえ行くかもという……。
いいのか、これで(^_^;。

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今日明日と、年が明けて初めて2連休を手に入れた。
だからこうして、昼間から日記を書く時間があるのだ。

昨年同様、今年も最大の目標は、
「月に1度は『家で過ごす二連休』を実現させる」だ。
ここ数年、私の休暇は月に4~6日なのだが、
そのうちの一泊二日は、東京遠征に費やしてしまうことが結構多いので、
家で休める日が、本当に少なくなってしまった。
それ自体は自業自得と言われれば一言もないのだが(汗)、
しかし自分に最低限の気力体力が残っている限り、
歌舞伎や音楽会を諦めて家で寝ているべきだ、とまでは、まだ思っていない。
去年は、一年に12ヶ月あるうち、6回は家での二連休のある月が作れた。
自分なりに工夫して頑張ったのだが、まだようやく達成率は50%、
今年は更なる努力と「断る力」とを発揮して、なんとかしたいと思っている。

2・3月と、5~8月はそれでも、ほかの時期よりは融通が利きやすい。
私が自宅で、自分本位の終活に取り組んだり、何か勉強したりできるのも、
結局はこの、節分以降、春祭りの4月を除いた初夏~夏の終わり、
までが最大のチャンスなのだ。
これから始まるこの時期を、極力、無駄にしないようにしたいと思う。

まずは、ラジオの語学を復活させたい。
2008年4月に「まいにちスペイン語」から始めて10年以上続けていた、
朝のラジオの語学学習が、昨年ついに途切れてしまった。
起床直後から小走りで支度し、一日の大半外出する日常になったので、
平日にラジオの前に座っていること自体が不可能になったのだ。
今年はこれを、せめて8月末までだけでも再度、継続できるようにしたい。
幸い、フランス語スペイン語ともに、学習経験がそれなりにあるので、
2月から始めても、全くついて行けないことはないはずだ(汗)。

ピアノも、結局昨年は一度もレッスンに復帰できず、家でも弾かず、
ほとんど完全にやめた状態になっていたのだが、
今年はこれも8月いっぱいくらいまで「週1回は弾く」を目標にしたい。
そんなもんで巧くなる訳がないことは、他ならぬ私自身が知っているのだが、
非常識でない時間帯にピアノの音を出せるのは、つまり月に4~6回ある休日で、
しかも、そのうち東京遠征をしていない日に限られるので、
平均すれば「週1回」が現実的な目標なのだ。
9月以降は「週ゼロ回」になるのがわかっているので、これで行くしかない。
週1回×半年、のペースでも持続していれば、いつの日か隠居して、
毎日、昼間からピアノの前に座ることのできる境遇になれるのではないか。
なんの保証も無いが、その日を夢見て細々と続けるのみだ。

英語学習は、ここ数年すっかり離れてしまった。
英検やTOEICへの挑戦を、よくぞあの介護生活の隙間のようだった数年間に
集中してやっておいたものだと、今になって自分を褒めたい(殴)心境だ。
しかし、私の英語道は、まだ終わった訳ではない。……だろう。多分。
やりかけていて達成していないのは、「国連英検特A級」合格、か。
英語そのものは、会社での仕事では使っているのだが、
自分の英語力が年々、冴えなくなっている気がして、とみに残念に思っているので、
2月後半以降の学習状況と、仕事の予定を見つつ、
もし5月の一次試験が受けられそうなら出願するかもしれない。
秋季検定のほうは時期的に全く無理なので、春季を逃したらまた来年、だ。

私は元来、家で過ごす平坦な日々のほうが、自分の好みに合っている。
朝から家じゅう掃除して、洗濯をして、NHKラジオで語学をやり、
ラジオ体操をやって、散歩をかねて買い物に行くか、
或いは舅姑の墓掃除に出かけ、帰宅して自分の昼食と休息、
午後からピアノを弾いたり、英語をやったりして、
夕方になったらご飯の支度をして、ネットで遊んで、……という。
特にどこへ出かけるでもなく、誰と会うでもなく、
淡々と自分のささやかな計画に沿って暮らす地味な日常こそ、
私にとっての究極の理想なのだ。
しかしそれは、おそらく「老後」になるまで許されまい。
そのような老後がありますように、……と願う一方で、
まさか90歳まで生きたりしませんように、……とも思う、今日このごろです。

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ポゴ氏の来日が来月に迫っている。
既に2021年3月の来日予定も発表されている状態で、
我々日本のファンは今季のプログラムをこれから聴くのだ。
なんと贅沢な話なんだ……!!

来日に先立って、読売新聞にポゴレリチのインタビューが掲載されていた。
共演する読響のサイトに出ていたので、リンクを貼っておく。
2月に登場するポゴレリッチのインタビューが読売新聞に掲載(読響)

今回の来日公演スケジュールは以下の通り。
日頃から数字に正確なポゴ氏が、動画の中で
「2月7日から16日までの間に5回公演する」
と述べているので、これで漏れはない筈だ。
ちなみに今回、東京リサイタルのフライヤー裏の文章は、私が書きました(大汗)。
ポゴ氏の「変態」の具合について、です(逃)。

2020年2月7日(金)7:00p.m リサイタル@高崎芸術劇場 完売
  バッハ:イギリス組曲第3番 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第11番 
  ショパン:舟歌 前奏曲作品45 ラヴェル:夜のガスパール

2020年2月11日(火・祝)2:00pm 協奏曲@横浜みなとみらいホール
https://yomikyo.or.jp/concert/2018/10/117-1.php
  シューマン:ピアノ協奏曲 (読響みなとみらいホリデー名曲シリーズ)

2020年2月13日(木)7:00pm 協奏曲@サントリーホール 完売
  シューマン:ピアノ協奏曲 (読響名曲シリーズ)

2020年2月15日(土)2:00p.m リサイタル@大阪シンフォニーホール
  バッハ:イギリス組曲第3番 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第11番 
  ショパン:舟歌 前奏曲作品45 ラヴェル:夜のガスパール

2020年2月16日(日)7:00pm リサイタル@サントリーホール
  バッハ:イギリス組曲第3番 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第11番 
  ショパン:舟歌 前奏曲作品45 ラヴェル:夜のガスパール

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1月11日(土)夜に音羽会New Year Party@プロミネンス(ANAホテル)出席、
1月12日(日)正午から国立劇場初春歌舞伎公演『菊一座令和仇討』観劇。

記憶が新しいうちに書いておきたいのだが、今はとにかく時間が足りない。
新年会では菊之助とも菊五郎とも話すことができたし、
国立劇場では菊五郎劇団を満喫できて、素晴らしい年明けになった、
………ということを、とりあえず記しておく。
行けて良かった!

    

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書く機会を逸していたが、父は1月6日に退院した。
1月6日と言ったら、正月三が日が終わったあとの最初の月曜日で、
地域のほぼすべての会社の仕事始めの日であり、
神社は20分刻みくらいで企業の安全祈願祭が一日じゅう入っていた。
朝8時開始で最後の祈願祭が終わったのが17時、
その間、まとまった昼食時間もトイレ休憩もなく、
「ごはんは5分!(←交替で立ったままカップラーメンかっ込み)、トイレは3分!」
で神職も巫女も総代会スタッフもフル回転・てんてこ舞いの1日だった。
20社以上の安全祈願祭を予約で受けていて、
会社現地まで出かけてのお祓いもあり、更に当日の飛び込みまであった。

その最中に、病院からの着信履歴を発見し、親がどうかなったのかと慌てて、
お祓いを受ける会社の方々の入れ替わりの隙をついてかけ直したら、
「あの~、もしもし、お父様のご容態も落ち着かれましたので、
主治医の○○先生からの許可が出まして、退院ということで、
本日午後には準備が出来るのですが」
と言われ、本来なら喜んで良いことだった筈なのだが、
このときばかりは私は全身の血が逆流するかと思った。
「無理です!!!!!本日は全然私は動けません!!!!!」
幸い、病院は老人ホームの系列機関であったので、
ホームからスタッフさんが病院に迎えに行って下さることになり、
私が出向かなくても退院はできるということでお任せをした。
何がどうでもいいからどうにかなっておいて(T_T)!!と心底、思った。

10日(金)の夕方、正月関連行事が初めて一段落して、
ようやくホームに出かけ、両親の顔を見ることができたのだが、ふたりとも既に、
父の入院がいつ頃のことであったかが定かでなくなっていた。
父など本人なのに、「ワシは、入院しとったんかいの」と真顔で訊ねる有様だった。
母は、父が退院できたことを一応、喜んではいたが、
ホームの食事は不味いので(←母の弁)、病院にいたほうが良かったのでは、
などと訳のわからぬことを言っていた。
病院の糖尿病食がそんなに美味だとは考えにくいのだが……。

ときに、今回の入院で血糖コントロールについて主治医から改めて指導され、
ホームでも父の間食の内容について、もう少しきちんと管理することになった。
具体的には、間食に相当するものが部屋にあった場合はスタッフさんが記録し、
父がそれを食べているかどうか注意して観察するようになった。
私も以前のように菓子パンなどを送るときは、父に直接でなくスタッフさん経由にして、
毎日1個などと数を決めて、本人に手渡して戴くようにお願いした。
父本人は説明されてもすぐ忘れるし、何とも感じていない様子だったが、
こうした糖尿病管理に関して母が、先日来、幾度も、
「お父さんは、何にも食べへんねん。ここにこのままおったら、餓死してしまう」
「お父さんの糖尿病を口実に、みんながお父さんの菓子パンを取り上げて食べてしまう」
などと、妄想に取り憑かれた物騒なことを言うので、閉口した。

母は若い頃から、「私は料理が上手い」というプライドがあり、
それは「生半可なものでは私の『舌』は納得しない」という矜持でもあったのだが、
ここに来てそのことは、母本人を少しも幸せにしていないと私は思った。
母はもともと、自分も美味しいものが食べたかったし、
自分の自慢の料理を父に食べさせて、満腹したところを見るのが好きだった。
それが、ホーム暮らしになって、調理をする自由がなくなり、
全く自分の口に合わない食事をせざるを得なくなり、母は不幸になった。
昨年までは、主人と私で、ふたりを外食に連れ出したこともあったし、
デパートの物産展で買ってきたステーキ弁当などを続けて差し入れしたこともあったが、
今や、ふたりとも90歳になり、外出時の不自由が多くなり、
父には医師による食事指導も入り、できることが徐々に、かつ確実に、限られてきている。

現状、「ホームの食事が不味い」ということが母の話の中心で、
そこに、父の血糖管理のための、ある種の食事制限が見え隠れするようになったために、
食事に関する母の不満と不安が以前にもまして耐えがたいものになり、
その他の感謝すべき多くのことは容易に吹っ飛んでしまうようになった。
「食事が不味い」ので、「菓子パンを食べているとほかの入居者さんから嫉まれる」
「娘からの差し入れも、糖尿病だからと1つしか貰えず、残りは職員さんが食べてしまう」
などと、情報の断片だけを繋ぎ合わせて、周囲の人の悪口を言うこともしばしばだ。
「そんなことはあり得ない、誤解をしているだけだ、心配のしすぎだ」
と私が言っても、
「あんたはここで暮らしたことないから、わからへん。ここは、そういうとこなんやて」
と母は受け付けようとしない。90歳になると、ああなるんですねorz

私が、そうした妄想話にゆったりとつきあってもなお、
その後に休んだり自分を修復したりできるだけの時間を持っているときならまだしも、
日々の予定をこなすだけでカツカツで、キレそうになっているときに、
そのテの話をくどくどと聞かされると噴火する。
きょうもまた、母の愚痴電話25分×2回でヒドい目にあった(--#)。
ほかの日と違い、きょうは休みだったので、まだしもマシではあったが、
年が明けて初めて手にした休日にコレかよという憤りは、正直、あった。

電話を叩き切らずにあれを聴いてあげただけでも、私は親孝行したつもりである。
私が存在しなければ、母はあの話をすることができなかったのだから。
そもそも私が、これほどあれこれ犠牲にせねばならないほど忙しくなったのは、
父が先祖代々の村の神社の仕事にも、長年の実家関連の揉め事にも、
何一つ、自分で始末をつけておかなかったせいなのだ。
「親介護」は「親を許す」という一生モノの課題そのものだ、とつくづく思った。
終活においては「決断力(=自分は老いた・もう駄目なのだと受け入れる能力)」、
老後においては「鈍感力」、……このふたつが不可欠であると私は両親から学んだ。

ときに、私自身は味音痴ゆえに食事なんか完全に何でもよく、
それゆえに、カップラーメンとカップ焼きそばで神社11連勤ができた訳で、
今の母のようなことを言って将来娘を困らせることはない筈なのだが、
しかし、それはそれで、あれほど長生きしてしまうようなことがあったら、
また別のことで娘を噴火させるんだろうかねぇorz

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明日は、今年になって初めて、家で過ごす休日だ。
「何 も な い」
最高だ。この世の至福だ。

12月31日の夜から1月10日まで、神社での11連勤を果たした私は、
11日に東京に向かい、夜に音羽会新年会に出て、
12日は国立劇場で菊五郎劇団の恒例のお正月公演を観たのだが、
その晩に神社の総代長から電話があり、
参道脇のよその家の私有地と神社の間で問題が起こっていると言われ、
翌日13日は急遽、朝から広島に戻って総代会に出席することになった。
ちなみに、神社との関連だけでなく、
その「よその家の私有地」の隣にはうちの父の私有地があり、
「よその家」の人たちとの、完全に愉快とは言えぬ関係が二代前から続いているので、
私としては、「今日は行けません。皆さんで適当にお願いします」とは
どうにも言いづらい事情が、二重にあった。

これのせいで、13日午後に神奈川県立音楽堂で聴くつもりだった、
エリソ・ヴィルサラーゼのリサイタルが、完全にパアになった。
一方で、総代会そのものは出る価値のあった内容で
東京から戻った意味は大きく、納得するしかなかった。
こうやって、道楽が犠牲になるのだなと、
新年一発目の悟りと諦めにもなった(涙)。

それから今週は、火曜日からまた会社の仕事が始まり、
朝から神社→タクシーで舞い戻って会社、を水・木・金の3日連続やり、
本日金曜日、やっとやっと、多忙の新年三週目が無事に終わった。

明日は何もない
明日は何もない

……超・大事なことなので二度言いましたorz

ちなみに「明日『は』」と副助詞なのは、休日が明日だけだからだ。
日曜は朝からまた神社に出向くことになっている。
年末から節分までは、神社は繁忙期。
それが終わったら今度こそ休めるのかというと、
今年は2月中旬にはポゴ氏が来日するって、どういう種類の拷問か(爆)。

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