転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今度は確定申告の書類作成で忙殺されている。
今年も、我が家の医療費は、どう考えてもマトモではない。
なにしろ、領収証の束の厚さがタウンページ並みだ。
じーちゃんの遺した、
「整形外科25円」「眼科130円」「内科90円」などの領収証を
一枚一枚、電卓で足していく
(またはパソコンに入力する)シンドさと言ったら!

ということで、詳細は、また後日。

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夕方、佐伯区から官舎に戻ってきた。

日曜日の朝、舅宅で目覚めた私は完全に咽頭炎になっていて、
つまり、風邪をひいていた(T.T)。
娘が先日から鼻風邪でグスグス言っていたので、
それを貰ってしまったらしかった。
幸い、熱も無く関節痛も無く、寝込むような風邪ではなかったが、
しかし、この程度の風邪でも姑にうつしたら大変だ、と思い、
姑の部屋に行くときはマスクをして、
できるだけ、接近し過ぎないように気をつけた。

「まー、あんたー、その顔、どしたんね?」
と姑は私のマスクを見てウケてくれた(^^ゞ。

私が姑の部屋になるべく近づかないように気をつけると、
姑への働きかけをする人間が居なくなってしまうので
姑は日曜日、食事時間以外はほぼ一日、ベッドに寝て、
壁のほうをむいて独り言を言っていた。
それはそれで不思議に生き生きした語らい(?)ではあったが、
せっかく家に帰ってきているのに、それじゃいかんだろう、
と私のほうが気になってしまい、
ときどきドア越しに声をかけたが、
姑は部屋の外から声がすると来客だと思うらしく、
「は~い♪ちょっと待ってねえ♪」
と私の話とは全然関係ない返答しかしてくれなかった(^_^;。

三泊四日の外泊中、家族だけでは不安で、
ヘルパーさんをお願いしてあったので、
風邪っ引きの私が四六時中、姑のそばにいなくても、
姑の生活介助がなんとかなったのは本当に助かった。
舅がいた頃から来て下さっているヘルパーさんがたなので、
姑の性格も状態もよくのみこんで、至れり尽くせりにして下さった。

昨夜、あとは寝るだけ、というところまで支度をして下さり、
ヘルパーさんは帰り際、姑のベッドを覗き込んで、
「それでは、帰りますね。どうもありがとうございました」
と仰った。姑はにっこりと笑い、
「どういたしまして」
と答えた。

うーん(^_^;。
日本語のニュアンスを考えると、それは、どうかな。
応答としての姑の言い方は、一応合っているのだが、
ヘルパーさんが仰っていたのは、
『ご利用下さいましてありがとうございました』
という意味合いだろう。立場上、業者さんなわけだから。
それに対して、介助をして貰った側の姑の返事は、
『どういたしまして』じゃないだろう(^^ゞ。
しっかりしていた頃の姑なら、きっと、
『本当にお世話になりました。ありがとうございました』
と答えただろうな。
勿論、今はその台詞を私が言ったのだけど・・・。

ということで、姑は午後、元気よく、施設に戻った。
特養職員の方がご厚意で車で迎えに来て下さったので助かった。
本当に、皆様のお陰です。ありがとうございました<(_ _)>。

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お昼寝から覚めた、ばーちゃんが語ってくれた話。

「うちはね、まー、あんたにどう言おうかと思うてね。
友達が来て、こうこうで、言うてからね、
《あんたは、うちを友達じゃ思うとるか知らんが、
うちは、皆がああ思うかこう思うかいうことなんか
ひとつも気にしとりゃせんのんよ》。
《まあ、ほうねぇ》て言うてからね、ほいで、
《じゃがうちは、友達の友達と仲良うするわいね。
そうせにゃ、うちは友達がおらんけえね》。
《ほいじゃが見てみんさい、あれはヘビじゃないかいね》。
《ほいでもええわいね。あんたが言うんならうちゃ仲良うするけえ》
《ほいでうちは友達の友達の友達の家に行ったらね、
ほしたら、まあ、良うしてくれちゃってからね。
うちは友達の友達といつも仲良うしよってから、
またじゃけ、ええ加減な友達と仲良うしよるんよね》
《あんたの友達じゃけえね。あんたがそのまま結婚するんじゃったら、
うちらふたりでおるわいね》て言うから、
《ほいじゃそうするわいね》言うて、そうようにしてからね…」

残念ながらオチは無かった。
ヘビと友達にならざるを得ないというあたりは、
聞き手としての私もかなり盛り上がったのだが…。

それから、ばーちゃんは私を見て言った。

「秋頃がええね。これから暑うなるけえね。
涼しうなったら、見合いしんさい」

してもいいのか。

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前に、うちのパソ太の飼っている野豚が、
規範的で過干渉なのが鼻につく、という話を書いたが、
彼は相変わらず、しこしこと働いている。

先日も、娘の「ごちそうさま」事件をここで取り上げた日に
食前の挨拶に関する一般的作法や世の中の認識を調べようと、
「いただきます」で検索をかけたら、
いただきます:離乳食・メニュー」というページへのアクセスを、
野豚は、いきなり「カテゴリ: 性教育(初級)」として、遮断した。

赤ちゃんの食事の話じゃなかったのかな???変なの。
彼は何を、私に見せたくないと思ったのだろうか。
本当に細かいヤツだ。
野豚を無効にすれば読むことはできるが、
まあいいかと私はその次をあたることにした。

「エプロンキャバレーいただきます」

なんと野豚は、このサイトをノーマークで、見せてくれた。
ノーさまったら、いやん♪

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トリノ五輪 荒川「金」射程 SP3位(産経新聞)

イタリアのトリノといえば、私にとっては長らく、
ポゴレリチが、87年にレアレ・ディ・ラッコニージ城にて、
LD収録をした場所、という意味で重要な街だったのだが、
さすがに今では、トリノといえばオリンピック、と思うようになった。

私は元来、スポーツについてほとんど理解のない人間で、
特に、「楽しまなくちゃ」を連発するだけの選手に対しては、
さっぱり共感を覚えないのだけれども、それはまあ、それとして、
今回の女子フィギュアの行方には、やはり一応の関心を持っている。

私「ミキティの衣装は、ちょっと大人っぽ過ぎたんじゃないかな」
娘「露出度、激しかったの?
私「どこで覚えた、そんな言い回しを」
娘「・・・・・・・・・・(^^ゞ」
私「露出はしてなかったが、色が意外にシブかったもんでね。
 若い子だからこそ、ああいうのがオシャレ、というのもアリかね」
夫「あれは、チョコレート会社にサービスしたんだろ」

何かの記事で、荒川選手と村主選手が、過去にはずっと、
互いに口もきかないような関係だった、と書いてあって、
それが、最近になって和解したというか、
村主選手が荒川選手にアドバイスを求め、
荒川選手がそれに丁寧に答えていた、みたいな展開があった、
という話が報じられていた。

真偽のほどは勿論、私などの知るところではないが、
考えてみたら確かに、トップ2がべたべたと仲よしだ、
ということは、普通、ないかもしれないな、とは思った。
猪木と馬場だって、あるいは、長嶋と王だって、
常に親密な親友同士だった、などということはなかった筈だ。
尤も彼らの場合は、一方が人格破綻者でも、もう一方が大人だから、
人前で険悪な睨み合いをすることはなかったようだけれど(逃)。

『エースをねらえ!』の藤堂と尾崎が、ビッグ2でありながら、
「これ以上の好敵手はあり得ない!」
と互いに認めるほどの盟友同士であり続けたのは、ひとえに、
シングルスの選手としての戦績が、藤堂のほうが圧倒的であり、
尾崎がナンバー2であることがはっきりしていたからだと思う(^^ゞ。

ということで、今夜はいよいよ、女子フィギュアのフリーだ。
だけど根性なしのうえに腹具合がモヒトツな私は、
多分、途中で寝入ってしまうだろうな。
明日の朝を楽しみにしよう(^_^;。

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娘のお腹風邪を貰ってしまったのか、
それとも別のものかわからないが、
どうも昨日から腹痛がして、お腹がゴロゴロだ(T.T)。
この週末は佐伯区に帰って、家族揃って、骨じぃと姑と一緒に
三泊四日ほど過ごそうと思っていたのだが、
マズいな、ウィルス性の何かでなければいいのだが。

ということで、今夜は早々と布団を敷いて寝ころんでいたら、
主人の部屋からいつものようにテレビ(あるいは録画?)の音が
がんがんと聞こえてきた。
主人の部屋と言ったって、すぐ隣で、廊下もない間取りで、
ふすまを開けっ放しなのだから聞こえるのは当然だ。

たぬき、千里を走る!」
と、突然、主人が画面を見つめながら言った。
まるっとした狸が、血相を変えて野山を疾走する様が想像され、
やや、興味を覚えたが、
映っていたのは世界のケン・タカクーラで、なんのことはない、
単騎、千里を走る。』のコマーシャルだった。
キタキツネ物語の焼き直しみたいなものを期待した私は、
かなり勘違いで、失礼だった。

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娘の話。

先日、娘は学校で日直を務めた。
黒板消しや、朝の会・帰りの会の進行など、
日直の仕事はいろいろだが、そのひとつに、
給食を食べるときの『いただきます』の号令、というのがあった。

昼食前、配膳が完了し、暖かい給食を前にして全員が着席した。
日直の娘が、教卓の前に立った。
この日に限って、先生が仰った。

先「しっかり声出せよ!」
皆「はい!」

クラスは静まり返った。

娘「合掌!」

全員が、ピタリと両手を合わせた。
ここでビシっ!と揃って「いただきます」を言わなくては。

緊張の一瞬!
・・・・・!


娘「ごちそうさまでした!!

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名乗りを上げた“新ブログ女王”(ゲンダイネット)

『「今や芸能界で“ブログの女王”といえば、
真鍋かをりではなく彼女のことをいいます」(アイドル評論家)
新“ブログの女王”中川翔子(20)がブレーク“夜明け前”だ。
中川はネット上で自身のオフィシャルBLOG「しょこたん☆ぶろぐ」を連載中。
これが大人気なのである』

『しょこたん☆ぶろぐ』は、なんとなく知っていたのだが、
きょう、私はひょんなことから、この中川翔子ちゃんのお父上が、
あの、中川勝彦氏だと知って、仰け反ってしまった。
何が『あの』中川氏なんだか、ご存じない方は全然ご存じない、
と思いますので、かなり個人的なオドロキかもしれませんが(^_^;。

中川勝彦氏は、そもそもミュージシャンだった。
過去形で語るしかないのは、既に彼が故人だからなのだが、
それはともかく、私はこの人を、デビュー曲から知っているのだ。
1984年の2月、私は、当時公表されたばかりの、
RCサクセションの『自由』のプロモーションビデオが目当てで、
TVKテレビの、MUSIC TOMATO JAPANを観ていた。
そうしたら、RCの前に、何か不思議なヒトが出てきたのだ。

それはほっそりとした若い男性シンガーで、
なんというか、グラム・ロックの香りがする、
耽美的・退廃的なセンスとビジュアルの持ち主だった。
曲のタイトルは『してみたい』、
サビ部分でタイトル通りの「♪してみたっ・いー」
という不思議なアクセントのついた一行が繰り返されていて、
気色悪いと言えば悪いし、キモちイイと言えばイイ、
みたいな感じがして、私には妙に印象に残った。
彼が中川勝彦だった。

彼はそれから、むしろ俳優業のほうで名を知られるようになり、
ミュージシャンとしての彼に注目していた私は、
やや、アテが外れた思いで、だんだん忘れかけていたのだが、
この人が94年に急逝したときには、本当に驚いた。
その二年前から、彼が急性骨髄性白血病で闘病していたことを、
私は全く知らなかったのだ。

若い才能はあまりにも早く神に愛でられてしまったのか(T.T)、
と私は落胆した。
彼が本物なら、将来、もう一度どこかで、
彼一流のグラマラス・ロックの発展型みたいなものを、
きっと私に聴かせてくれる、と思って待っていたのに(T.T)。
いいミュージシャンに限って、途中でいなくなってしまうんだ、
と私は悲しかった(別に長生きするのが悪いとは言わないんだが)。

しかし、ここに来て中川翔子に出会うことになろうとは。
娘の翔子ちゃんによると、中川勝彦氏は、
その耽美的な外見にも関わらず、大変なオタク親父だったそうだ。
5歳だった彼女に、楳図かずおの『赤んぼう少女』を全巻読ませた、
というエピソードは、あまりにもタダモノではない(^_^;。
そして父親の教育の甲斐あってか、翔子ちゃんもまた、
なかなかのオタクぶりのようだ。彼女の描いた漫画も凄い。
(詳しくは彼女のオフィシャルサイトをどうぞ)。

翔子ちゃんを、改めて勝彦氏のご息女として拝見してみると、
『あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、
朽ちない種からである』とか、
『種はいつも同じ種類のものを後から生み出します』などの、
聖書の言葉が、なんだか凄く実感できてしまった、
ワタクシなのでした(殴)。

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昨日、友人からメールが来て、
美輪様広島公演は、追加公演のあることが判明した。
6月9日10日のあと、11日の昼にも、もう一公演、
追加で行われるのだ、ということだった。なんという朗報!!
そして、急な話なのだがその先行電話予約が、今日だと!!

友人は先日、TSS(テレビ新広島)の予約電話で玉砕したとき、
キャンセル待ちを申し込んだのだそうだが、
その順番は回ってこなかったかわりに、TSSのほうから、
この追加公演の先行予約を案内されたのだ、ということだった。

そして彼女は言った、
「私、土日は旅行で電話できないから、よっちゃん、やって」。

望むところだ。やりましたとも。
9時59分から電話に張り付いて、「大変こみあって・・・」の
アナウンスも無視してリダイヤル連発した結果、
私は見事、10時3分に予約の権利を獲得した。
自動応答の指示通りに、席種、枚数を入力し、予約番号を貰った。
やった、ついに、やったぞ~(T.T)!!

ということで、とにもかくにも、美輪様は観られることになった。
もしかしてこれで、一生分の運を使い果たしたかもしれないけど。
道楽の神様、舞台の神様、ありがとうございました<(_ _)>。

あ、この情報をもたらしてくれた友人に、礼を言わねば(^_^;。

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顛末  


主人がいてくれたので、本日のチケット取りは一応、
定時にパソコンから挑戦、
窓をふたつ開いてほぼ同時進行で頑張ったが、
美輪様は開始後6分で一枚も取れずにあっけなく終了、
宙組は開始後30分くらいのとき平日B席二回分ゲット
(のち、こちらも@チケットぴあは全日程完売(O_O)!)。

引越は見積もりによると14万円也。
食器棚がない、婚礼箪笥もない、本棚もない、ベッドもない、
ソファもない、自家用車もない、の無い無いづくしの我が家は、
大物家具といえば結局、ピアノだけなのだった。
しかもそのピアノさえ、アプライトの一番小さいヤツなので、
「エレベーターに乗ります」
であっけなく決着がついた。

業者さん「お布団は、何組ありますか」
私「四組です」
業者さん「じゃあ、布団袋は6つで足りますね」

確かに、布団はそれだけで、私は嘘は言っていないのだが、
しかし、実は、押入の中身のほとんどは本なのよね(^_^;?
ろくに見ないで見積もりしたら、あとが怖いんでない?
・・・と思ったが、私は何も補足説明はしなかった。
主人も勿論、何も言わなかった。

なお、娘は勝手にテストに行き、勝手に帰ってきて、
鯛焼きふたつを平らげていた。
お腹風邪は、ほぼ、なおったらしかった(^_^;。

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