転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



全然「まいにち」どころでなく、今月は数回しか聴かなかった
とにかく朝から家の中で小走り状態の、忙しい日が多過ぎた。
しかし今はもう、自分の中で、英語以外の外国語学習は完全な趣味で、
フランス語も、検定など目指す予定はなく純然たるお遊びなので、
根を詰めた勉強はしなくて良いと、自分を許している。
日本語や英語でないものを聴く・発音する、
というひとときの気分転換だけで十分だ。

とりあえず2月は有休を2日分、申請してある。
一ヶ月に一度は、家でまとまった時間を過ごす機会を得る、
というのが今年の目標だ。
そういう日には、『まいにちフランス語』も
少し落ち着いて聴けるようでありたいものだ。
理想は専業主婦時代のように、朝の本放送を聴いたあと家事をし、
午前中は外に出て、ウォーキングをしがてら買い物を済ませ、
帰宅して昼食と後片付けを終えたら、
フランス語・スペイン語の再放送を聴く+ラジオ体操をする、
という暮らし方だ。

………老後に、再度、そういう生活ができますように(祈)。

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入居以来「納戸部屋(=マイ書斎もどき)」であったサービスルームを
先日、ついに「我が居室」へと昇格させた。
昨年8月から始めたプロジェクトが、とうとう、ひとつ完結した!

多忙だったがゆえに、去年から私が最も熱中するようになったのが、
我が家のインテリアを一新することだった。
常に用事があって外に出っぱなしの生活になったので、
それなら出た先で、1時間でもインテリアショップに行ってみよう!
と思ったのが、そもそもの始まりだった。
会社、実家と神社方面、それに老人ホーム、と回った帰りに、
前々から気になっていた某・輸入家具専門店に寄ったろうやないか!と。

そのショップで長年、私が思い描いていたあれこれを相談し、
手始めに、キッチンとの境の「間仕切り」や「のれん」をやめて、
ちゃんとしたカーテンを買った
さすがに、プロにコーディネートして貰うと巧く行くものだ、
と私はその手応えにいたく満足した。
それで次にリビングのソファを買い換えた

それらと並行して、「我が居室」計画のほうも始まった。
まず、「納戸部屋」を脱却するために手を付けたのがカーテンと照明だった。
約12年間、掃き出し窓に入居時についていた一般レールをそのまま使い、
舅宅から持ってきた寸法の合うカーテンを吊って間に合わせていたのだが、
夏に思い立って3倍ヒダ・形状記憶加工つきのレースカーテンと、
ウィリアム・モリスのドレーパリー+バランス(前飾り)をオーダーし

併せて照明も、20年前に今治の官舎時代に買った古いものを廃棄し、
長年の希望であったシーリングメダリオンをつけて
5灯シャンデリアを新規に購入し、交換した


それから、これを機に家具類を総入れ替えした。
入居してからずっと、この納戸部屋に置いていたのは、
やはり今治の官舎で使っていたハイタイプこたつとその付属椅子、
それより昔に神戸の官舎の頃に買ったディノスの特価品キャビネットたち、
マンションに移るときネットでゲットした激安ポリプロピレンのカーペット、
等々だったのだが、これらすべてを思い切って処分し、
新たに本棚2つとデスク+椅子、手織りのパキスタン絨毯を購入した
ああ、なんとスッキリしたことだろう(^^)!
納戸部屋だろうが狭かろうが、寄せ集めの家具で妥協するのでなく、
きちんとレイアウトすれば、使用に耐える立派な一室になるのだ!
ナラ材の良い香りと相まって、新築に入居したような気持ちの良さである!!

そして、20年前、神戸の官舎にいた頃に大坂南港のショップで買い集めた、
各種エンジェル・デコールを、ピアノの周囲にまとめて飾った。
最近は、こういう装飾的なものを購入することは減ったのだが、
昔の私は、デコラティブなものに今よりずっと憧れが強く、
いつの日か家を持てたらと、夢をみつつ一つずつ揃えたものだった。
紆余曲折あったが、転勤に連れ歩き開封される機会もほぼ無かった彼らに、
今、ようやっと相応しい居場所を作ってやれたことを、嬉しく思っている。

   

手織り絨毯は、順目の方向から見ると色が明るく、
逆目から見ると色が濃く・暗くなるという特徴がある。
どちらの向きに敷いても良いのだが、今回は、
ドアを開けて入って来るとき順目方向の白い色に見えるようにした。
今後、気分を変えたくなったら、
或いは、カーテンを掛け替えることがあれば、
絨毯も逆目方向に敷き変えるかもしれない。

  

ともあれ、半年を費やした「我が居室」計画、ここに概ねコンプリート!
今回は壁紙とモールディングについては手を出さなかったのだが、
トリムボーダーを貼るくらいは検討してみようかと、少し思っている。
こうなってみると、ピアノが木目調だったのは本当に良かった。
購入時、黒のピアノのほうが安価だったのだが、私は敢えて色にこだわった。
自分には正解であったと、20年後の今にして、実感している(^_^;。

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きょうは、今年に入って初めての「家で過ごす休日」になった。
年が明けて最初の休暇は先週の13日(日)と14日(月)で、
その二日は東京での国立劇場観劇と音羽会新年会出席で消費したので、
本日初めて、朝から晩まで家にいる休日を持つことができた。
本当はきょうも午前中ひとつ仕事が入っていたのだが、
昨日連絡がありキャンセルになったのだ。
……嬉しすぎた(T_T)。

今朝は、目が覚めたら10時過ぎだった。
主人は既に、スポーツクラブに行っていて留守だった。
外を見たら薄曇りだったが、降っていなかったので洗濯機を回し、
それからコーヒーを淹れて、和菓子をつまみに、本を読んだ。
……最高だった(T_T)。

*************

今年は、毎月一度は「連休」を作るのが目標だ。
「週休2日」は既に諦めた。私の休日は「月に3~6日」だ。
それは致し方ないと昨年来の経験で理解しているが、
せめてそのうち一度は、なんとか「2日連続休み」にしたい。
とにかく私が心から、強く、願っていることは、
「誰からも話しかけられずに、家で時間を無駄にして過ごしたい」、
これに尽きる。
試みに2月分は既に、2度の有休を申請してある。
有休義務化も始まることだし、来年度からは更に、
私の積極的な有休消化は、マネジャーから一通りの歓迎をされるであろう。
勿論、皆が出払っているような忙しい日にわざわざ休みを取らない、
という程度の気配りは、私としても怠らないつもりであるが(^_^;。

*************

語学については、今年は3年ぶりに国連英検特A級を受けるつもりだ。
昨今は年々、自分の英語が前より更に下手になってきたのを感じており、
試験でもないとテコ入れの機会が得られない、という危機感を覚えている。
外務省のJPO派遣候補者選考試験を目指すような若さではないので、
私にとっては国連英検は、単なる語学試験以上のものにはならないのだが、
TOEICだと「また勉強しないで受けてしまった。まあまたこの次(^_^;」と
惰性で済ませてしまうところがどうしてもあるので、
ここはひとつ、素手では到底勝負にならないことがわかっている国連英検で、
自分を苛めてみようと考えたのだ。

語学に関しては私は、ヒロ前田先生の
「努力が足りねーんだよ もっと勉強しやがれ」
が究極の至言であると思っている。
私の英語が駄目なのは、私の勉強が全然足りないから。以上!
国連英検は年2回試験が設定されているが、
私の場合、秋からは神社の祭りのほうが多忙になるので、
実質的に、5月下旬の第1回試験しか、受けるチャンスはないだろう。
既に1月も終わりで、間に合うかどうか危ういと思うべきだが、
とりあえず、やれるだけの悪あがきは、やってみるつもりだ(^_^;。

あとは、ラジオ『まいにちフランス語』は継続したい。
これも近年の経験から、10~1月はほぼ聴けない、
ということがわかってきたが、前期講座くらいなんとかしたいものだ。
フランス語は、一時期は仏検2級を取るところまで底上げしたのだが、
現状はストイックに問題演習を続ける気力はなくなり、
自分の中で、「楽しい」が優先の趣味の外国語に格下げされている。
ゆえに負荷をかける気はないのだが、継続する意識だけは持ち続けたい。

漢詩講座も来月後半くらいには復帰したいと考えている。
私を日常生活のしがらみから、最も遠くまで素早く解き放ってくれるのが、
今の生活の中では、漢詩の世界ではないかと思う。
ピアノも、昨年同様2月からは再開して4月の発表会に出たいが、
10月くらいからあと、全然、ピアノの蓋も開けていない状態なので、
かなり厳しいのではないだろうか(汗)。
まあ激遅のツェルニー40番一曲だけでも、自分のためには、
やらないよりは良いかと思うので、一応4月の本番は目指してみたい。

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12月31日から1月12日まで、一日たりとも休みの無かった、
私の年末年始の重労働が、ついに終わった。
31日は半徹で神社に詰めており、元旦は隣村の神社の手伝いにまで出向き、
2日からも続けて11日まで毎日、中区のマンションから村に通って、
一般の初詣や厄祓い、会社安全祈願、団体さんの初詣行事の対応をした。
連日朝7時半から夕方5時まで、日によっては朝6時半始まりで(泣)、
「寝てない」「寒い」「自由が全然ない」毎日だった。
会社なら5時に終われば夜だけはフリーになるところだが、
神社だと5時から撤収を始めて終わるのが6時過ぎ、それから中区まで戻って、
夕食は主人と娘がなんとかしてくれたのだが(有り難や有り難や)、
終わって片付けたらただちに寝ないと、翌日がまた早朝始まりだから響く、
という毎日で、事実上「布団で一瞬」と「神社で忙殺」の反復のみだった。

しかしともあれ、この期間の様々を皆勤で務めたのは私だけだったので、
最年少の最下っ端とはいえ、その頑張りは一応、
神社内で認めて戴くことができ、1月10日に副総代長様に、
「12日の片付けは会社があるので休みます。
 13日午後の『とんど』焼きも、すみませんが私は来ることができません」
と申し出たときには、
「どうぞ、ごゆっくりお休み下さい。本当にお疲れ様でした」
と丁重なる許可が出た。

それで12日の会社が夕方終わったあと、お言葉に甘えて家で休息……、
などということはせず、直行で広島駅に行き、一路、東京に向かった。
これ以上やってられるか!の心境だった。
こういう面で極めて理解のある主人に、心から感謝した。
この日は新幹線の中で眠り惚けたあと、夜10時頃に銀座に着き、
定宿のホテルにチェックインし、何もかも放り出して入浴、
そのまま携帯を切って、一切から解放されて朝まで9時間爆睡した。
主観的には、やっと、ようやく、年末休暇が始まった、という気分だった。

翌日13日は、国立劇場で菊五郎劇団の恒例のお正月公演。
菊之助と松緑が夫婦の設定で、しかも各々二役(以上)を務めての豪華版。
菊五郎の孫である寺嶋和史&寺嶋眞秀の二人も揃って出演とあって、
華やかな音羽屋一門勢揃いの舞台となった。
物語のほうは、……白鷺城にオバケが出るのは『天守物語』、
ひもじい若君+幼いお友達、がともに歌うのは『伽羅先代萩』、
若様の首は斬れないから身替わりの子を、というのは『寺子屋』、
狐が人間に化けてあれこれ活躍し恩返しするのは『義経千本桜』、
……と、途中で「その話ってどっかで(^_^;」と思う箇所がいろいろあったが、
それは即ち、歌舞伎の面白さが贅沢に盛り込まれているということでもあり、
お正月に観る菊五郎劇団としては言うことなしの楽しさだったと思う。
時蔵の兵庫之助が目の覚めるような鮮やかさで眼福、
梅枝や右近もますます美しく、橘太郎の殺陣もなかなか見応えがあり、
しかし何より、悪役の菊五郎が格好いいのなんの、
スケール感が段違いで、響き渡る深い声も圧巻!であった。

  

そしてこの日の夜はANAホテルの地下プロミネンスで音羽会新年会。
菊五郎夫妻、菊之助夫妻と和史くん知世ちゃん、寺島しのぶ夫妻と眞秀くん、
そして尾上右近、彼は六代目菊五郎の曾孫なので一族ではあるわけだ(^_^;。
会場の案内等のサポートには、後援会スタッフや菊五郎一門の方々が。
挨拶、乾杯、食事に歓談、写真撮影、ショータイム、
けん玉リレー、じゃんけん大会、等々と進行する中、
音羽屋の旦那さん(菊五郎)がテーブルをまわって下さったので、
近々とお話を伺うことができ、実に素晴らしかった。

やはり今回のような敵役は演じていて楽しいと仰った。
はい、それは観ていても感じました、旦那。
実に生き生きと演っていらっしゃいましたので。
喜寿の記念に何か企画があるのかと尋ねたお客さんがあったが、菊五郎丈は
「賀の祝いなんて、やってしまうと区切りがついちゃうだけで、
何も良いことがないと思うから、全然考えてないんですよ」
と手を振って否定された。
また、私たちの目の前でボーイさんにウィスキーのおかわりを注文されたので、
「お身体はその後いかがですか、大切になさって下さい」
と話しかけたお客さんがあり、数年前の胃潰瘍の事件以来、
私たちも大いに心配しているところではあったが、旦那さんは笑って、
「いんや、あんなの、全然どうってことない。大したこたぁない」
と力強い(汗)お返事だった。
まあ確かに、禁酒禁煙・早寝早起きのひーさま、
……などというのは、想像しづらい姿ではあるが(汗)。

  

最後は旦那さんの発声による「上り(のぼり)締め」。
いわゆる「一本締め」を、最初は両手の人差し指だけでやり、
順に、中指、薬指、小指、と足しながら繰り返し、
五回目となる最後は両掌全体で、という趣向。末広がりで実に良かった。
会場を出る前に菊五郎丈と両手で握手をして、
「きょうの舞台も本当に!素敵でした!お声がほんっっとに素晴らしい!!
明日も拝見します~~!!」
と申し上げ、
「やぁやぁ、それはそれは。いや、本当にありがとうございます」
と満面の笑顔で返して頂いた。至福であった(^^)。

そして、14日に再度、国立劇場で観劇、夕方の新幹線で広島に帰ってきた。
半月ぶりにまともに睡眠を取ることができ、
○時!○時!と追い立てられることなく食事をしたり着替えたりができ、
良い舞台を二度も観て、夢見るように楽しい思いをした二泊三日だった。
これで、ようやく年が明けた!と実感することができた。
道楽の旅を終えて東京を後にするときでさえ、
いつもなら「休暇は終わりか…」と若干、力が抜けるところだが、
今回は「あの神社のご奉仕は既に完了している!」と思うだけで、
その場で踊り出したいほど(爆)の解放感に満たされており、心が軽かった。
文字通り、大変に、めでたいことになった(笑)。

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