転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



マンションに入居して三年目が終わろうとしている今、
私はようやく、自分のための快適な寝室を手に入れた。
それは、六畳の和室だ。

モデルルームでは玄関横の十畳ほどの洋間が「主寝室」で
そこに大きなダブルベッドが置いてあったものだが、
我が家は、新婚の頃から、ダブルベッドで寝る趣味は無かった。
二人同時に寝て同時に起きるなどとは考えられないのだから、
片方が動いたり夜中に電気をつけたりしたら、
もう一方だって寝づらいに決まっている、
という点で我々は意見の一致を見たのだった。

そもそも、官舎の頃はそういう高級な話以前の生活だった。
ベッドを置くような部屋はなく、
狭い和室でひしめきあって暮らしていたのだ。
互いの生活パターンが食い違うと寝づらいことも多かった。
主人だけ、倉庫みたいな本棚の間のスペースに
無理矢理に布団を敷いて寝ていたこともあった。
夜中や早朝に起きて仕事をするので、
一緒の部屋ではお互いに不自由過ぎたのだ。

マンションに来て、主人が書斎として、その主寝室を取った。
官舎から見たらスラムからビバリーヒルズに移った、
というほど我々には革新的な出来事だったが、
長年染みついた布団生活からは結局離れられず、
主人は洋間に机とテレビを持ち込み、
あいたところ布団を敷いて寝ることになった。

それで、当初、娘と私が、六畳の和室で寝ていた。
だが、娘は次第に夜更かしになって寝る時間がずれてきて、また、
体の大きな娘が寝相が悪くて夜中に蹴りを入れて来るようにもなり、
私はあまりにも安眠できない夜が続き、とうとうキレた。
もう同居はできない、ワタクシ、出て行きます。
それである日のこと、私はピアノの部屋(もと納戸)へ逃げた。

ピアノ部屋は、もともとが五畳ちょっとだから、狭かった。
そこにピアノとパソコン机、本棚になっているキャビネット3つ、
などなどが押し込まれているので、
布団を敷くスペースはギリギリだった。
だが、私は当初、やっと独りになれたことに満足していた。
娘に蹴られないで寝られるって、なんて快適なのだろう、と。

ところが、ピアノ部屋は前にも書いた通り外の音が筒抜けだ。
ある晩のこと、私は、今にも死にそうな咳き込みの音で目覚めた。
それはまさに「発作」という感じの、とても辛そうな咳で、
私は、主人か娘が夜中にどうかなったのかと、
慌てて廊下に出てみたが、・・・我が家はシンとしていた。
咳の主は、ピアノ部屋の向こうのマンションにいたのだった。
注意していると、この大変そうな咳は昼間でも時々聞こえるので、
壁の向こうの住人は、喘息か何かなのかもしれなかった。

私は、大変に寝付きが良いが、目覚めも一瞬だ。
つまり何かあったらパっと起きてしまうのだ。
一方、娘は、寝付きは良くとも目覚めはとても悪い。
雷が鳴っても地震が来ても起きない。
ということで、私は娘と交渉した。
難点は近所の物音がすることだけだ、
私のかわりにピアノ部屋で寝てくれまいか、と。

娘はフタツ返事でOKしてくれた。
なんのことはない。最初からこうすれば良かったのだ。
私は一昨日から、ひとりで六畳の和室に寝ている。天国だ。
こんな快適な寝室を、中嬢に独占させていたなんて、
私は一体何をどこで間違えていたものやら。
娘は勿論、ピアノ部屋で、なんともないと言って安眠している。
やっと、双方丸く収まったのだ。

デメタシ。

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