転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



海老蔵さん、團十郎襲名へ 11~12月に披露公演―松竹(時事通信)
『松竹は31日、延期していた「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」の公演を、11、12月に東京・歌舞伎座で行うと発表した。歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(44)が歌舞伎界の大名跡を継ぐ注目の舞台で、長男の堀越勸玄君(9)も八代目市川新之助を同時に襲名し、初舞台を踏む。』

キターーーー!!
先の、團菊祭の記者会見で菊五郎旦那が
「今年は團十郎が…」と匂わせてらしたので、
いよいよあるんだなとは思っていたが、ついに!!!!

………超のつく特別な興行ゆえ、破格の切符代に、なるんかね(大汗)。

追記:1等席が2万3000円、2等席が1万8000円、3階A席が8000円、3階B席が6000円。
1階桟敷席が2万5000円。……とのことだ。争奪戦のうえに、ご祝儀切符代か(爆)。

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続けては、いる(汗)。
5月の頭から発熱騒動に始まる病臥期間があり、
更に娘が二年半ぶりに帰省したのもあって、
前半2週間+αは、イレギュラーな毎日で、かなりサボった。
そして、体調もほぼ戻ったところで、さて!と気合いを入れた月半ば、
ラジオ学習再開するも、ペースを取り戻す前に今度は父の骨折騒動(大汗)。
あっという間の5月が、今日で終わってしまう。

フランス語入門編は、『今日のディアローグ』そのものは易しい。
さすがに本物の入門者ではないので、
テキストがなくてもこのくらいのフランス語はわかる。
しかし『語彙を増やそう』『実践しよう』になると、
知らないor不慣れな単語が出てきたり、
表現は知っている筈なのにすぐ出て来ないものがあったりして、結構苦しい。
知識は無いことはないのだが、万事、クイック・レスポンスが出来ない。
応用編のディクテは毎回だいたいできているのだが、
それも2回読み上げて貰えるからこそで……。
応用編はオペラの歌詞が題材だが、毎回、こまかく文法事項の説明があり、
組み立てそのものは私好みだ。
『練習:フランス語で言いましょう』がノーヒントで始まると
私のような反応の遅い人間にはキツいが、予習しろってことですね(^_^;。

スペイン語入門編は、1~3週が『学習課』になっていて
丁寧にゆっくり進んで下さっているのがよくわかるのだが、
4週目の『復習課』になると、あれもこれも出来ていないのが
我ながらナサケないほどで、永遠の初学者を今年もやっている。
実際の『復習課』では、いきなりスペイン語で作文させられる展開はなく、
例文の音読&動詞の活用の復習で、いずれも丁寧に反復してくださるので、
読むことに難儀しなければ、一応ついて行けるのだが、
自分がこれらの文法事項を使いこなせる次元まで来ていないことは明白だ。
トシを取ってから初めて出会った言語というのは、
やはり自分の中で根付きが深くないというか、
勉強しているそのときは覚えていても、
短時間で忘れてしまい、「賽の河原」状態だ(^_^;。
嗚呼、このテの感想も何度目か。

ちなみに、昔々、月~木の毎日20分が入門(初級)編で、
金土の各々20分が応用(中級)編であった頃は、
入門編を半年頑張って仕上げれば、
応用編に進めるだけの文法学習ができる構成になっていたものだが、
現在の「まいにち○○語」は、月~水が入門(初級)編で毎日15分、
木金が応用(中級)編で各々15分、と、かなり学習時間が短く、
内容的にも、入門編を終わっただけでは、
応用編に進めるほどの文法力は養成できていない。
今の応用編は、もともと学習経験のある人か、
或いは、入門編との落差を自力で埋める志のある学習者でないと
存分にこなすことはできないようになっている。
「まいにち~」のシリーズになってからだと、
杉山利恵子先生の文法講座が私は大好きだったのだが、
放送終了時からでも早10年超か。
ああいう感じの中級編が、また企画されないものか。
NHK CDブック ラジオまいにちフランス語
『中級をめざす人のフランス語文法』
[著] 杉山利恵子

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4週に一度の、血圧の定期検診の日だったので
かかりつけ循環器内科に行った。
今月初めの発熱騒動のときにもお世話になった内科なので、
その後の経過を聞かれ、5月8日に解熱したが以後空咳が出た、等と話すと、
「単なるウイルス感染だったと思いますよ。白血球が基準値内でしたからね。
抗菌剤を飲んで貰ったけど、それが効いたというよりは、
ちょうどなおるタイミングになってただけだと思いますね」
完全に私の予想どおりの説明があった(笑)。

体感としては私は、今回クラビットで形勢逆転できたと思っているのだが、
まあ、いい、そうでなくても。病は気から、というからね(^_^;。
なおりさえすれば結果オーライなので。
何より、抗生剤など濫用しないことが本来的には大切だし、
この先生がとても良心的なかただということは、よくわかっている。

血圧は、家庭血圧が110~120/70~80で推移しているので、
全く問題ないということで、ディオバン継続となった。
こうして落ち着いてしまうと、一時期拘泥していたのが嘘のように
私の血圧は上がらなくなる。
メンタルの要素がかなり大きいということがわかる。
夏場に下がるなら減薬しても良い、と以前から言われているのだが、
「薬、減らした!!もしかして上がって来るのでは!!」
とドキドキすると、またとんでもない値が出たりするかもしれず(汗)、
それはそれで、なんだか気が進まないというか。

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某老人ホームへ、母に会いに行った。
ホームでは、ワクチン3回接種済み証明を提示することにより、
中学生以上の年齢の家族2名まで、居住フロアの食堂で15分面会できる、
というやり方が続いている。

父91歳が大腿骨頸部骨折で入院していることを、
母93歳はわかっているのか・どう思っているのか、
と気になっていたのだが、案外、落ち着いていた。
ホームの職員さんから伺った話では、
父の状態については母は幾度か説明を受けたのだが記憶に定着していない、
とのことで、きょうもまた、「さっき初めて聞いた」と言っていた。

「私ら、有り難いことに大病もせず、90過ぎまでこうして生きて来て、
こういう穏やかな毎日が、今日も明日も明後日も変わりなく続くもんやと
信じておったのに、ある日それが突然に途切れるもんやとはねえ。
もうちょっと長いこと会うていたかったと、人間いうのは欲張りなもんやから
こないなトシになっても思うてしもてねえ」

と、母の話では途中から父が故人(爆)っぽくなっていた。
そりゃ91という高齢だから、手術するにも年齢的な不安はあり、
何があっても寿命だとは私も一応、受け入れるつもりではあるが(汗)、
当面、入院した理由自体は、単純に「怪我」なワケで、
治療してリハビリしてまた帰って来るのが前提であり目標だ。

……と説明すると、母は「そうやったねえ」と笑っていたが、
続けて、
「世の中、いろんな人生があって、皆が皆、長生きするとは限らんで、
そんな中、よもや90過ぎまで命があるとは思うてもみんかった訳やが、
こうして今も特に病気もせず、あんたにも自由に会えて、
こないしてモノも言えるし、私の人生は満点やったなと感謝しとぉねん」

等々と、今日の母は悟りの境地であった。
ちなみに、半月前に東京から娘が帰省して面会に来てくれたのに、
そのことはもう、記憶に残っていないとのことだった。
私が説明すると、孫娘との面会があったこと自体は理解はしたが、
全く思い出せないのだそうで、
みーちゃんには御礼を言っておいてねとのことだった(^_^;。

父が目の前から消えたので、母は気分的に未亡人になったらしかった(爆)。
とりあえず取り乱したり悩んだりしている様子はなかったので、ヨシとする。

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昨日は、父の病院から四回も!電話が入った。
しかもそれが、ほぼ同内容だったので、
厳重で良いと思いはしたが、いささか参った。
91歳なので、電話が鳴ると急変かと思う訳ですよ、どうしても(^_^;

一回目は、私が皮膚科→頼山陽史跡資料館のあと買い物をしていたときだった。
何気なくスマホを見たら、着信履歴があり、それが父の入院先の病院だったので
「どうしたっっっ!?」
と焦りまくってかけなおしたら、代表電話につながり、
病棟と名前を言うと担当部署らしきところにつないで下さり、
「お父様の件で、今、ちょっとお時間よろしいでしょうか」。

内容は、術前検査で古い心筋梗塞の跡が見つかったことと、
手術予定が6月1日に決まったこと、
ついては前日5月31日に麻酔科からの説明を受けに来て欲しいこと、だった。
連絡事項に過ぎなかったのでひと安心して、
家に帰って、自分の昼食を終えた頃、またスマホが鳴り、
見るとまたもや病院だった。

「何事!?さっき話したときは何ともなかったのに!??」
と慌てて応答したら、病棟看護師さんからで、
手術予定が6月1日に決まったこと、
ついては前日5月31日に麻酔科からの説明を受けに来て欲しいこと、
それに先立ち、整形外科専門の病棟に病室が変更になっていること、
等々の説明があった。
新情報は最後のひとつだけだった。

御礼を言って電話を切り、それからまた数時間経ったとき、
またしてもスマホが鳴って、父の病院から。
「何が起こった!?死んだのか!??」(←爆)
と思って焦って応答したら、旧病棟の看護師さんからで、
手術予定が6月1日に決まったこと、
ついては前日5月31日に麻酔科からの説明を受けに来て欲しいこと、
それに先立ち、整形外科専門の病棟に病室が変更になっていること、
ヒゲそりと靴を持って来て欲しいこと、
等々のお話があった。
今回も、新情報がひとつ、付け加えられていた。

それから、夕食の準備にかかる頃、またもや、またしても、
スマホが鳴り、今回もまたまた父の病院からで、
こんな、受付窓口終了時間をとっくに過ぎてからの連絡だなんて、
「こっ、今度こそ、死んだ!??」(←爆爆)
と私は血の気が引く思いで応答した。ら。
先方は看護師さんではない、なんとかいう部署の担当者で、
手術予定が6月1日に決まったこと、
ついては前日5月31日に麻酔科からの説明を受けに来て欲しいこと、
それに先立ち、整形外科専門の病棟に病室が変更になっていること、
のお話があった。
今回は、新情報も、無かったorz

厳重に確認するのは本来的に良いことだ。
この病院では「連絡漏れ」は起こるまいと思われる。
しかし、ヨコの連絡は基本的に取れてないのね(^_^;!??
言っちゃ悪いが、無駄が多そう………。
いろいろ混乱しとるのかね。大丈夫なんだろうか(汗)。
いや勿論、このように丁寧にお世話くださり、御配慮くださいまして、
心から感謝を致しておりますとも(泣)。

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頼山陽史跡資料館で、昨日から特集展の
『頼聿庵の書~大字書の魅力~』が始まっていたので、
きょうは皮膚科の帰りに行ってきた。
展示モノは来月も再来月もあるなどと思っていると、
瞬く間に期間が終わってしまうものなのだ!

 

私は書の素養など全くないのだが、
以前から頼聿庵(らい・いつあん)の書は好きだ
これまでに、頼山陽史跡資料館や頼山陽記念文化財団では、
頼聿庵に関する講座や講演など幾度か行われていたようだが、
私は全く聴きに行けてなかったので、このたびほとんど10年ぶりに、
彼の書だけを堪能する機会が得られた。

頼聿庵は頼山陽の長男だが、山陽が脱藩騒動を起こして幽閉の身となり、
妻・淳子と離縁したため、聿庵は山陽の両親(=聿庵には祖父母)の、
頼春水・静子の子として育てられ、春水の死後16歳で家督を相続した。
実父の頼山陽を凌ぐ能書家として知られるが、残された逸話からは、
彼が決して人格円満な人物ではなかったことが偲ばれる。
酒に溺れることも多かったようだ。

私が聿庵を気に入っているのは、彼の書いた文字の中に、
しばしば、ぎょっとするほど強い力を放つものが見受けられるからだ。
今回の展示の中でも、屏風の中の「叡」の一文字が強烈で、
私はしばし、それに魅入られて、その場を動けなかった。
一方で、父の山陽ならば一点一画と空白とのバランスが乱れることなど、
全くないほど美しい筆致と墨跡で書を仕上げていたのに対し、
聿庵の書は、特に晩年のものなど、尋常でない多量の墨を筆に含ませ、
文字の空白が大半つぶれてしまっても構わず書き放っており、
美意識のあり方が全く異なっていたことがわかる。

聿庵先生が、もしも同時代に生きてお会いできるような境遇だったら、
私はさぞかし彼を畏れ、敬遠し、しかし書や講義だけは、
遠くから拝見・拝聴できないものかと、悶々としたことだろう。
ときに頼聿庵は、科学的・進歩的な考え方の人物でもあったようで、
種痘に関心を持ち、自分の長男に種痘を受けさせた。
これは広島では初の事例であり、
長崎・佐賀についで日本で三番目の成功例となった、
とのことだ。
当時は多くの子供が 痘瘡(とうそう=天然痘)で亡くなっていた時代だった。
……サル痘で種痘が再び注目されかけている今、
ちょっとばかりタイムリー?なエピソードであった(^_^;。

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23日夜間に自室で転倒し、左大腿骨頸部骨折した父は、
24日に市内の某総合病院に搬送され、以来、入院しており、
本日の連絡で、6月1日に人工骨頭挿入術を受けることに決まった。
それに先立ち、病室も整形外科専門病棟に変わり、
5月31日昼前には、術前の麻酔科からの説明を、
私と、可能ならベッド上での父本人とが、受けることになった。

また、手術前の種々の検査も進んでいるが、
心臓に古い心筋梗塞の跡が見つかった、とも連絡があった。
既に瘢痕になっているので、これから治療をするものではなく、
今回の手術にも直接の影響はないと見なされるが、
既往と年齢とを考えると、今後も心筋梗塞が起こる可能性はある、
ということだった。

目下、日常生活上で必要なモノは「靴」と「ヒゲそり」。
どちらもホームには愛用の品がある筈なのだが、
ヒゲそりはどのみち自分では出来ず、
看護師さんがやって下さるとのことで、
T字カミソリでも良いということだった。
明日以降、すみやかに届けなくては。

動くと痛いので食欲も出ず、……と看護師さんは仰っていたが、
どのみち、父は食べ物に関して気難しいうえ、
病院の糖尿病食は薄味で口に合わないだろうから、
元気が出ても、きれいに平らげるようなことにはなるまいよ(^_^;。

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いつ始まったのか定かでない私の酒さ様(しゅさよう)皮膚炎だが、
今年になってから皮膚科に行くようになり、4月からは本格的に、
酒さ様皮膚炎として治療をして戴くようになって、
きょう、四週間ぶりに受診したところ、
かなり良くなってきている、とのことであった。
自覚としても、熱感や痒みが全くなくなり、ブツブツも減り、
鏡で見ても「ちょっと上気している?」程度の色合いになっているので、
もはやほとんど気になっていない。

また、有り難いことにこのたび、
長らく米国で酒さの標準治療であったメトロニダゾールが
この5月26日から日本でも保険適用になり、本日さっそく、
「ロゼックスゲル0.75%」外用薬として処方された。
きょうから朝晩、スキンケアの後、これを薄く塗ってみて、
半月後に経過をまた診て戴くことになっている。
私としては既に現状で終わってももういいかなというくらいなのだが、
皮膚科的には勿論、まだぽつぽつと赤味が見えるし、
治療開始して1か月しか経っていないということでもあり、
更に改善することを期待されているのだった。
勿論、治療を続けていっそう美しくなるのはやぶさかではない(^_^;。

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某ホームでお世話になっている実家父が、
昨夜、自室で転倒し左臀部打撲、
ホームの系列病院での検査で左大腿骨頸部骨折とわかり、
そこでは手術のできる整形外科が無いので、
本日昼に、救急車で市内の某総合病院に入院した。
近日中に手術になる予定だ。

総合病院に運ばれてから、病室が決まる前、
救急受付の横の待機室にいる間に、直接に話ができたのだが、
本人は頭はしっかりしていて、転んだことについて、
「しもうたのぅ(=しまったことをしたな)」
と悔やんでいた(^_^;。
仰臥しているだけなら左脚が怠い程度だそうだが、
少しでも動かすと激痛だと言っていた。

大腿骨頸部などという頑丈な場所が折れるのは高齢者特有で、
骨全体、体全部が、経年劣化しているということだ、
という意味内容の説明が、主治医の先生からあった
(もっと配慮された言葉使いではあった)。
今回はたまたま左側をヤったが、右側も同様に弱っていると思うべきだった。
男性91歳という年齢を思えば、それも無理からぬことだろう。
一定年齢以上になると多い骨折で、術式など治療法は確立されたものがあり、
この急性期病院で手術とその後2週間のリハビリをし、
更にリハビリ専門病院に転院、と予定は決まっているのだが、
今の父の年齢や状態を考えると、今回の骨折がもとで、
致命的なことにつながる覚悟も、一通りはしておかなければならない。
認知機能や筋力の低下、誤嚥性肺炎、各種感染等が起こりやすく、
父のような高齢でこの骨折をすると、体が急激に弱ることが考えられ、
3割前後の人が一年以内に亡くなるそうだ。

トシに不足は無いので、
「とにかく痛くないようにしてやってください」
と主治医の先生には特にお願いし、入院の要望欄にもそのように書いた。
コロナ禍で病室へ家族は入れて貰えないので、
ここからあとは普段の面会は原則として禁止で、
病衣や身の回り品については、レンタル&クリーニングを申し込み、
紙オムツも病院で買って貰うようにした。

きょうはこの件で、午後1時から夕方6時頃まで、某病院に詰めていた。
私の発熱騒動が完全に終わっていて、本当に良かった(大汗)。
私が寝込んでいた1週間や、そのあとの空咳が出ていた10日ほどの間だったら、
このように入院に付き添うことは出来なかっただろう。
いくらPCR陰性と言い張っても、病院は、熱と咳のある家族を中には入れまい。
また、先週、帰省した娘と両親とがホームで和やかに面会できたことも、
とても運が良かったと思っている。
こうして入院などしてしまうと、面会ができないからね(汗)。

患者の「家族」は私だが、入院に際しては「保証人」が必要で、
それは私とは生計を一にしていない成人でなければならず、
仕方が無いから娘の名前を書いておいた(汗)。
一人っ子の私は係累が少ないのと、父は実の弟と犬猿の仲なので(爆)
こんなとき簡単に保証人をお願いできるような身近な人が居ないのだ。

ただ、遠方からやってきて「おとーさんが可哀想!!」と騒ぐような
きょうだいが私には居ないので、なんでも私の一存で、気楽でもある。
誰も手伝ってくれないが、誰ひとり私に文句を言う人が居ないので、
私は相談も連絡も必要なく、万事を自分の思い通りに決定できる。
誰が金を出すんだという問題もない。
私が出すか父が出すかだけの話だ。
しかも父は被爆者で原爆手帳を持っているので、医療費が要らない。
患者の配偶者も存命ではあるが、それはつまり私の母で、
患者本人より更に年上なので、こっちはもはや、いろいろ無理(^_^;。

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マスク着用
「互いに2メートル以上の間隔が取れる場合」または「会話が無い場合」に
「屋外では」マスク着用は必須ではない、との政府見解が出たが
【速報】「屋外でマスク不要」 政府見解を発表
散歩・徒歩通勤・未就学児も 通勤電車はマスク着用を
(FNNプライムオンライン))
条件が全部飛んで「外に出るときはマスクしなくて良い」というふうに覚えたり、
「(室内も含め)そろそろマスクはせんでもええらしい」と言い出したりする人が、
今後は出てきそうな気がする(^_^;。
欧米は、マスク着用義務を撤廃したあと、COVIDがまたもや急増し、
一部、着用義務を再開しようとしているので、
ここであまり無防備になるのは怖いのではないかと私は思うが……。
尤も、日本の場合はそもそも着用「義務」は最初から無いので、
マスク着用しているのは国民の側の多数決的な選択、ではあった訳だが。
まあ良い、世間がどうあれ私はマスク着用を自分の基準で続けるだけだ。
広い畑の真ん中で農作業中の近所の人に、道から挨拶するとか、
石段を登ってくる参拝客が見えたとき、社務所の中から声をかける、
程度の接触しかない村の神社で仕事をするときは、
私はコロナ禍の初めから、大抵ノーマスクでやって来た。
人の居ない屋外はマスク無しで良いのではないかと、
コロナ禍の最初の夏になるときに、既に、日記にも書いている
マスクそろそろ無理(2020年6月9日))。
一方で、「外」であろうと市街地の本通商店街を歩くときは
マスク着用は私にとってはマストである。
この夏も、私の生活は変わらないだろう。

4回目ワクチン
ファイザーあるいはモデルナで3回目接種をすると、
それまで落ちていた中和抗体価が過去最高に上がり、
かつ、2回目接種の後よりも半減期が長く(=つまり免疫が長持ちし)、
かなり恩恵が大きいことが各種統計からわかっている。
具体的に何日とか何週間とかは個人差もあることだろうが、
私の見た例では、2回目接種の半減期が30日くらいだったのが、
3回目接種は出だしの抗体価上昇が大きい上に、半減期が80日以上あった。
それに対して4回目接種は、イスラエル等の先行データを見る限り、
打つと数週間で抗体価が3回目接種後と同様に上がるものの、
落ちるのも早く、だいたい1ヶ月で下がり始め、2か月程度でもう、
3回目接種までの人とさほど差が無いくらいまで減ってしまう。
鎮痛剤の天井効果みたいなもので、単純に追加すればするほど
効果やその持続期間が伸びる訳ではないことが、数字からわかる。
ゆえに、高齢者とハイリスク群にのみ4回目接種推奨、は妥当で、
それ以外の人たちには、当面、追加接種は要らないと思われる。
高齢者とハイリスク群が病院を占拠する事態にならなければ、
医療逼迫はある程度以下におさえられるだろうし、
その他の若くて健康な人たちにしても、3回目まで打ってあれば、
まだ当分の間は、罹患したとしても重症化の恐れはかなり低いだろう。
彼らは、これからはインフルエンザの予防接種のごとく、
年に1回打つ、くらいの感じに落ち着くだろうか。……まだわからないが。
私は今の状況なら、秋まではこのまま感染防止対策で頑張って、
年末年始行事のときに、短期でも最高の感染防止効果が発揮されるよう、
タイミングを見計らって4回目を受けるだろう。
オミクロンその他の変異種対応の改良型ワクチンが
いずれ出て来るのではないかと期待しているが、すぐには難しいかもしれない。

Covid-19 Vaccine Effectiveness against the Omicron (B.1.1.529) Variant

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