転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



なかなかまとまった感想を書く時間がなくて残念なのだが。

29日13時公演をB席で観て、私が最も打たれたのは
『マンリーコの恋歌』という曲だった。

私は今まで、男役が最も魅力的に見えるのは黒燕尾姿だと
固く固く信じていたのだが、今回、和央ようかを観ていて、
囚人服(ご本人曰く『コーヒー豆の袋の服』)に銀髪、
という何もない姿でただ立ちつくして歌うあの場面が、
かつて観たこともないほど強烈なものだったことに、
私は目の覚めるような想いを味わった。

何も持たない、飾りなどひとつもない、それどころか、
むしろみじめなまでに、すべてを剥奪されたあの姿が、
最も美しく魅力的だったなどとは、
私の考えていた男役の概念の中にはあり得なかったもので、
私はあの一曲を聴けただけで、この舞台を見に来た価値はあった、
と心から思った。

内容的には、作者の木村信司の言いたいことに対して、
私なりには理解でき共感できる部分がかなりあった。
私はもうこれで二十年以上、飽きもせず求道中というか、
たとえて言えば、教会のいちばん外の門を出たり入ったりして、
キリスト者となりたい思いとそこから逃れたい思いとの間を
行ったり来たりして暮らしてきたような人間なので、
作者が何に対して問題提起をしているのかに関しては、
私の中にあるこれまでの迷いが共鳴し、
理解できる面があったと思う。


もっと書きたいが時間切れ。

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交替  


今、大阪です。
このあと、主人が広島から来るので大阪駅で落ち合い、
娘は主人とふたりで、USJへ。
私は主人と入れ替わりで、じーちゃんのもとへ。

ということで、これから、これから帰ります。


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二階のほとんどてっぺんで観てます。
聞きしにまさる舞台に、ただただびっくり。

詳細はのちほど。



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ちょっと聖地巡礼に行って来ます。
この状況で行くか普通。

本当は二泊三日の家族旅行として計画していたのだが、
舅の体調が心配なので、一泊二日に短縮。
更に、主人と私はどちらかが広島に居るように予定を組み直した。

きょうはまず、娘と私が大阪へ。
・・・と言ってもやることは私の聖地巡礼(爆)。
明日は主人が来て私と入れ替わり、
娘と主人とが大阪で遊ぶという手はずになっている。

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なんだか、じーちゃんが、いっぺんに、だめになってしまった。
苦痛がさほどあるようでないのが救いだが(モルヒネの御陰?)、
じーちゃんは、ベッドの上り下りにも難儀するようになり、
何度言われても畜尿が巧くいかずに忘れてしまうし
何より、自分がどうしてこの病院にいるのか、
ときどき、わからなくなってきたようだった。

舅「わしは、なんでここにおるんや?」
夫「家におったが、食事が取れんで体が弱ったから、
 治療するためにここに来たんやろ」
舅「いつや」
夫「三日ほど前やったか。ワシとタクシーで来たろ」
舅「タクシーに乗ったんは、覚えとる。
 それから、どうしたんや。中山に行って・・・」
夫「中山?誰や?」
舅「地名よ、地名」
夫「中山なんちゅうとこ、ワシは行ったことないぞ」
舅「わしも、無いが」
夫「・・・・(^_^;」

舅はしばらく会話したあと、自分の状況を把握し、
「認知症、いうんかいの。ワシも情けないもんじゃ」
と自嘲的に言った。
そのあともまだ、階下のカーテンをなおすとかなんとか、
意味不明なことを言っていた。

でも、じーちゃんは、うとうとしながらも、笑っていた。
何か、夢を見ているようだった。
目を開けて、私のほうを見て、また笑って、
「ヒロ(うちの娘)が、行かん言うんかと思うた・・・」
と曖昧だが何か娘のことを話題にして、にっこりした。

そしてまた、ほとんど寝たきりなのに、
「下へ行って、コーヒーでも飲もうか」
と言いだして、主人が、
「この病院には下にレストランは無いで」
と言ったら、
「ほうか。ほうじゃのう」
と頷いた。階下に喫茶店があったのは、
五日市記念病院か、四国がんセンターの記憶ではないだろうか。

主人と私は病室で短い時間、話し合って、
緩和ケア病棟へ移ることをナースセンターに申し込んで来た。
今後、どうなるかわからないが、
とりあえず、じーちゃんには、快適な住環境を整えて、
我々も心おきなく一緒に過ごせるようにしたい、と思ったからだ。

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娘の、ピアノ発表会だった。

出だしの左手のリズムが悪いことと、
4頁目に入ってからテンポが乱れることを、
私は再三、指摘し、
家を出る直前まで弾かせていたのだが、
案に相違して、本番は、ちゃんと弾けた。

運が良かったのか、娘が意外に本番に強いのか。
すべては謎。

ワタシのほうが緊張のあまり死にそうだったでした。

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きょうは午後から、友人Uの結婚披露宴がある予定だったので、
一緒に行く友人のOが、朝10時半に私の家に寄ることになっていた。
彼女は我が家まで自家用車で来て、官舎の空き地に車を停め、
それからふたりで広島駅まで電車で出て、
披露宴の行われる徳山に向かって、11時20分の「のぞみ」で発つ、
という手はずだったのだ。

が。
約束の10時半を過ぎても、いっこうにOは現れなかった。
道が混んでいるのかと思い、私は10時40分まで待った。
しかしやっぱり来ないし、なんの連絡もなかった。
Oは常日頃きちんとしたヒトなのに、これは様子がおかしい、
と私は思い、まず、彼女の携帯にメールを打った。

『おはよ~。今、どこですか?』

五分待ったが、返信が、無かった。
交通事故でもあって、Oは連絡が取れない状況にあるのか!?
私はかなり焦って、今度は直接、携帯に電話をかけてみた。

これで応答がなかったら、いよいよ非常事態だ。
事故か急病か、何かのっぴきならないことが起こったに違いない!
・・・と思った矢先、三度ほどの呼び出しのあと、
世にも機嫌の良いOの声がした。
「もしもし~~♪」

私「いっ、今、どこにいるの?」
O「んとね~、娘のスイミングに来て、もうじき終わるとこ~」
私「・・・・・・・・・・!」
O「どったの~?よっちゃん、暇?」
私「Uの、・・・Uの披露宴、きょうだよっっ!!!」
O「ええええええええ~!!!!!

なんと、信じがたいことに、Oは完全に勘違いして、
披露宴を明日だと思い込んでいたのだった(激爆)。
結婚式の日取りを本当に間違えるなんて!
『のび太の結婚前夜』じゃないが、こんな人間が実在したとは!!
もう、ふたりで、笑った笑った。
人間、追いつめられると『笑うしかない』って本当だった。

仕方ないので、私が一足先に自分だけ行くことに決まった。
Oはこれから準備して、とにかく遅れても会場に行くと言った。
私のほうは支度が出来ていたし、家も広島駅に近いので、
辛くも予定通りの「のぞみ」に乗ることができ、
開宴に間に合う時間に到着することが出来た。
それで、会場について、招待客のOが遅れることを会場係に話し、
私は急遽、Oが間に合わなかった場合のスピーチを考えた
(Oと私はふたりで掛け合い漫才みたいなスピーチをする、
という予定になっていたのだ。だかツッコミが来てくれないなら、
ボケがひとりでやるしかなかった)。

結論を言えば、結局、Oは出番にだけ滑り込みで間に合った(爆)。
最初からいるような顔をして、私とのスピーチを堂々とやり終え、
あとは、席で脱力していた(^_^;。
高砂の花嫁にはビールをつぎに行き、Oと私とで謝った。

O「ごめん。遅れて本当に御免」
U「大丈夫だったんですか?お忙しいのにすみませんでした」
O「違うの。こんなおめでたい席じゃ、
 絶対言えないような理由で、私、遅刻したの、きょう」
U「え・・・・(^_^;)?」
私「あとで教えてあげる。むこう十年、笑えるよ(^_^;」

ちなみに(ちなむなよ)、花嫁Uは、実に実に美しかった。
白無垢、色打ち掛け、白ドレス、色ドレス、のフルコース、
しかし見事なほどスムーズなお色直しで、
本当に綺麗な花嫁さんだった。

花婿は、昔Uの理想だった「アゴが細くて指の長いヒト」とは、
正反対の、どちらかと言うとゴツい雰囲気の男性だったが、
大変、男らしく、たくましく、頼りがいのある感じのかたで、
花嫁衣装のUを終始、優しく気遣う姿が微笑ましかった。

朝からテンヤワンヤだったが、結果オーライ(殴)。

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娘は、とりあえず、塾の夏期講習は休まず行った。
御陰で、あっという間の夏休みだった。

神様が舞い降りる瞬間というのは誰にもあるもので(大仰)、
彼女は八月最初のテストでは、なぜか各科平均80点を取り、
325名中94位、という初めての好成績で、
ななななんと、成績優秀者欄のケツに名前が載った
目のハバ涙~~~(T.T)。

ランキング常連の子供たちには、この深い喜びなど到底わかるまい。
私は娘の名前の載ったランク表をプリントアウトして
一生の宝物にしようと、和央ようかファイルに挟んだぞ。
ああ、もう金輪際、次のテストなんか来なければいいのに、
と私は本気で思った。

果たして、私の恐れた通りだった。
♪イイことばかりは ありゃしない~♪by忌野清志郎
娘は、その次のテストでは、算数でドツボの40点を取り、
頼みの綱の国語も50点台に落ち込み、総合でも平均点を割り込み、
今度は、325名中170位へと滑落~~。

ああ。短い我が世の春だった。いい夢見せて貰ったわ。

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じーちゃんの死兆星は、一昨日には二等星くらいに見えたが、
きょうは、六等星未満の輝きになっていた(本人談。←嘘)。
とりあえず、とても良かった。

熱が下がり、三度の食事もそれぞれ六割くらい食べられ、
きょうの舅は、ベッドの脇に立って片づけものをする余裕もあり、
我々の顔を見ると、ニヤっと笑って、
「ここにおると、コレが全然できんのが、困ったもんよ」
と、顔の前でタバコを喫う動作をしてみせた。

その調子で食事が取れれば、またタバコも喫えるってば(^^)。
「おとーさん、随分、顔色が良くなられましたよ。
目のまわりのクマも、かなりなおったし」
と私が言ったら、舅はますますニヤニヤして、
「あんたぁ、医者とグルになっとるんと違うか」
と言った。

ということで、きょうは結局、緩和ケア病棟にうつる話は、
なんだかうやむやになってしまった。
「ほんなもん、カネばっかかかって。同じようなもんじゃろ」
と、じーちゃんは病棟を移る気など全くないと言った。

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昼前に、主人が舅を、市内の某個人病院に連れて行ったのだが、
帰宅した主人の感想は、『イマイチ~』だった(^_^;。

院長先生は実に的確な方で、診察内容にはなんの不満もなく、
一般病棟でも緩和ケア病棟でも選んで良い、と言われ、
ここまでは良かったのだが、さて診察が終わってみると、
舅の車椅子を放置したまま、看護師さんがどこかに行ってしまい、
そのまま、誰も来ず、半時間ばかり、
診察室の外の廊下で、待たされたのだという。

舅は衰弱しているので、文句を言うどころか朦朧としているし、
主人は主人で入院荷物を両手に持ったまま、
待てど暮らせど先ほどの看護師さんは来ないし、
他の人に尋ねてもラチがあかないし、
ヲイヲイ、どうなるんだよ、と相当、困ったそうだ。

それでもついに思い出して貰えたのか、看護師さんが来て、
舅は車椅子のまま、病棟に上がることになったらしい。
そして案内されたのは、とりあえず一般病棟で、
あとで緩和ケア病棟も見て、その上でどちらか選んで良い、
と言われてはいたのだが、ここまでの時間がかかり過ぎたうえ、
舅が既に疲労しきっていたので、もはやそのような気力は無かった。

しかも、ハッキリ言って、病棟はかなりボロかったそうだ(爆)。
主人曰く、『診察室や待合室はフ○ーレンスマンションで、
病棟に行くといきなり官舎だった
』。

病室に入ったら、まもなく担当看護師さんが来て、
病歴や病状についてあれこれ訊ね、採血に30分も手間取り、
その間、舅は横にならせて貰えず、
採血のあとお茶を飲まされて吐いてしまったそうだ。

そして様子を見に来られた院長先生が、『カルテが上がってない』、
と指摘されているのに、うしろにいる若い医師は座っていて動かず、
食事は消化の良いお粥にしましょうと一旦、決まった筈なのに、
時間が来て出された昼食は何故か焼きうどん(爆)で、
『連携悪すぎるんと違うか・・・』、
と主人は暗澹とした気持ちになったと言っていた。

ちなみに部屋は四人部屋だが、先客はひとりだけで、
その方は六十代後半の、元気の良い(^_^;男性だったそうだ。
院内の設備のことなど、この人が親切にいろいろと教えてくれて、
主人はとても助かったと言っていた。
『朝から放っておかれとる。検温にすら誰も来てくれん。
どうなっとるんや。わしゃ暴れるぞ』
と彼はぶつぶつ怒っていたそうだが、
こんなに元気だからあの人はすぐ行かなくても大丈夫、
とスタッフさんの間で後回しにされていたのではなかろうか(^^ゞ。

とりあえず、明日、私も病院に行って、
その緩和ケア病棟を改めて見学させて貰い、
もし居住性が良さそうなら、病棟を移ることにしたいと思う。
この病院では、緩和ケア病棟でも一般病棟同様に、
望めば積極的な治療も行ってくれるという方針なので、
『最後まで闘う人は一般病棟、諦めて静かに過ごす人はホスピス』
というニュアンスは無い(ということがパンフから読み取れる)。
要は病室の患者占有面積とか、患者に対する看護師の人数比とか、
それらゆえにかかる費用、の問題だろうと思われるのだが、
そのあたりも含めて、もう一度よく説明を聞きたいと思っている。

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