転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私は、たまにアクセス解析の「検索ワード」欄を見てみるのだが、
はるばるこんな辺境まで来て下さった方には申し訳ない、と思うことが多い。
昨日の検索ワードのトップは『紫苑ゆう 再会』だったのだが、
すみません、今年は欠席してしまいました(涙)。
いろいろと予定がたてこんでいて神戸まで出向くことが難しかったのだ。
挙げ句に腸炎で寝込んだりしたので、行かないことにしていたのは
どのみち正解だったと言うしかなかった。

昨日の検索ワード二位は『和央ようか ドラキュラ』で、
これは最近に限らず、長い間コンスタントにランク入りしている検索語なのだが、
私は現在、この企画がどうなっているのか全然知らない。申し訳ありません。
たかこさんの舞台は観たいが、年末は東京や大阪でのディナーショーで、
私が行けるような催しがないし、公演予定も私は詳しく知らない。
なーちゃん(大浦みずき)のときもそうだったが、
私は、宝塚を卒業した元・生徒さんに関しては、好意や興味はあっても、
外部の舞台に現役当時同様のきりきりした執着を感じることはないので
(退団もないし、男役じゃないし)、目の色を変えて追いかけるようなことは、
たかこさんについても、今は、していないのだ。

その他、ランクインしているものは、『エル・バシャ』(←広島公演見逃しました)、
アンドリュー・フォン・オーエン』(←体調不安でチケットを友人に譲りました)、
ポゴレリチ 2007』(←かろうじて大阪公演を聴いただけでした)、
という状況で、どうもあまりお役に立てていそうにないのだった。
本当にすみません。

一方、『頼颸(「ばいし」。「し」は<風思>)』で来て下さった方も数人いらっしゃり、
頼山陽史跡資料館の次の展示テーマが梅丈セであることだし、タイムリーで、
お友達になりたい、いや、私は初心者なので詳しい方には是非教えを乞いたい、
と思ったりもした。
これまた、私がお役に立てているという話ではなく、申し訳ない限りだが、
梅丈セという、どちらかというとマニアックな話題で、
ひっそりと見知らぬ方々と繋がっている瞬間がある、
と思うと、とても楽しい気がした。

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感謝祭も終わったことだし(←私は祝っていないが時期的な話として)
世の中がクリスマス・ムードになって来たので、
我が家でも、きょうは二年ぶりにクリスマスツリーを出した。
去年は、頭位目眩がひどくて、ツリーどころではなかったのだ。

少々多忙な日常であっても、自分たちなりに季節の行事を楽しむ、
心身の余裕があるというのは、それだけで実に幸福なことだ。
娘には、能天気に(!)ツリーを飾るような家庭環境を与えることができて、
なかなか幸運なことだったと、思わずにいられない。
我が家は誰もキリスト教徒ではないので、クリスマスもただのイベントだが、
娘はミッション系の学校に行っていて、この時期はアドベントも楽しんでいるようだし、
家でも、クリスマスの雰囲気くらいあったって良いだろう。

そういえば、先日公演したエル=バシャはイスラム教徒なので、
彼にはクリスマス・カードを送ってはいけない、というか、
彼は寛大だから文句を言ったりはしないが、送っても意味がない、
と昔からのエル=バシャ・ファンの友人が言っていた。
ユダヤ教徒の場合も、クリスマスには関係がないから同様だろう。
KISSのジーン・シモンズはイスラエルで育ったので、
初めてアメリカに渡ったとき、サンタクロースの絵を見ても、
何なのか理解できなかったそうだ。
ヒゲがあるからラビ(ユダヤの指導者)なんだろうと思った、
と自伝で語っていた。

我が家もそうであるように、日本ではキリスト教徒でない人のほとんどは、
クリスマスというと、ひな祭りや七夕同様の、
単なる季節行事に過ぎないものとして捉えていると思うのだが、
こんなことではいけない、本当はこれは宗教行事なんだよな、
ということを、この時期になると、毎年、一度は(爆)考える。
……が、しょっちゅう忘れる(^_^;)。

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通訳案内士の二次試験まで、残りあと一週間となった。
心理的にジタバタしてはいるのだが、シヌほど勉強しているとは言い難い。
これまで何ひとつ対策をして来なかったわけではないが、
必要な知識をきっちりバッチリ身につけて来たとも、到底言えない。
こういう曖昧な状態で試験当日を迎えると思うと、憂鬱だ。
じゃあ今からでも、寝食忘れて二次試験対策に打ち込めば良いではないか、
と言われそうだが、現実にはそれもシンドくて(殴)なかなか出来ない。
先日来、ウイルス性腸炎で弱っているし、そうでなくても、
私のような人間でも一応、主婦としての家事その他や社会生活があるのだ(汗)。

転妻「あーもー、早く終わりたい。二次試験が終わらんと腹具合も良くならんよ」
転夫「え~っ!!そんなことがプレッシャーになっとったん!!」
転妻「なっとらんとでも思うとったのか(--#)」
転夫「全然なんも考えとらんのかと思うとった!!」
転妻「んなワケないだろうが!落ちたらもう一年やらんといかんし」
転夫「別に絶対取らんといけん資格でもないじゃろ」
転妻「そりゃそーだが、やっぱ受ける以上はスベりたくないのだよ、当然だろ」
転夫「ふぅん?」

こういうとんちんかんな家族がいるせいで、私は更に調子が狂うのだった(--#)。
能天気な主人は、私が二次試験で福岡まで出向くと聞いて喜び、
そんならワシも一緒に行こう♪と新幹線のチケットを二人分取った。
当然のことながら、この男は応援のためについて来るのではない。
福岡市内で何か美味しい昼食を楽しもうという計画なのだ。自分ひとりで。

通訳案内士の二次試験は、試験委員2名対受験生1名の、10分弱ほどの面接なのだが、
単なる英語口述試験ではなく、受験生は通訳ガイドになったという設定で、
外国人観光客に英語で日本を案内するという、ロール・プレイング形式で行われる。
『もし一日しか観光できないとしたら、日本のどこを勧めますか』
『桜を見たいのですが、いつ頃、どこを訪ねるのが良いですか』
など全般的な観光案内を要求される質問もあれば、
『参勤交代とは何ですか』『将軍と天皇はどう違うのですか』
『日本の歴史において、最も重要な働きをした外国人は誰だとあなたは考えますか』
のような、歴史的な知識や事項に関する質問をされることもある。

また、『書道とは何ですか』『日本の武道について教えて下さい』
『陶器と磁器の違いは?』『「義理と人情」とはどういうものですか』
などの、なんとなくわかっちゃいるが知識が曖昧で、英語なんかじゃますます言えない、
みたいな細かい質問も毎年ある。

家にいて面接の練習をしている私には、試験委員役をしてくれる人はいないから、
過去問の本を見ながら、答だけを自分なりに英語で言うことを繰り返しているのだが、
本番の問いは、当然のことながら音声で来るのだ。大丈夫だろうか(汗)。
昨日など、What is hanamachi?(花街とはなんですか)という問いがあって、
随分色っぽいことを訊くんだなあと思いながら、
♪人に訊かれりゃお前のことを~トシの離れた妹と~@金田たつえ、
の知識をもとに回答してから、もう一度問題文を見直してみたら、
問いは、What is hanamichi?(花道とは何ですか)だった(爆)。
老眼にも困ったものだ。

今朝、眺めていた過去問には、『「家元制度」について説明して下さい』
というのがあった。
「家元」。お茶もお花も踊りもやったことのない私には縁のないものだ。
漫画とか火曜サスペンスの登場人物では割と見かける設定だが、つまり何だっけ。
確か、そういう芸事の頂点にいる、その流派トップの指導者が家元で、
家元が技量を認めた弟子は、一定の金額を支払って免状を貰う制度になっている筈。
名取りになるにはそれなりの経済力が必要だ、と日舞やってる友人が言っていたものだ。
家元はそうやって、ほうぼうからお金を吸い上げているので、
跡目相続を巡ってはしばしば殺人事件が起きる、
……うぅむ、そっちへ行っては、いかんのだよな(爆)。

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花組全国ツアーが広島に来ていて、本日昼の部を
友人某氏が誘って下さった御陰で観ることができた。
演目は、お芝居が『メランコリック・ジゴロ』、ショーが『ラブ・シンフォニー』。
私は93年に、このお芝居の初演を観ている。大劇場まで観に行った。
それまで贔屓だったなーちゃん(大浦みずき)が退団した直後の花組だったが、
ヤン(安寿ミラ)×ミキ(真矢みき)が、まるで男役コンビのように人気があり、
とても良い雰囲気で盛り上がっていて、嬉しかったことを覚えている。

そして、私の記憶に間違いがなければ、これの東京公演のとき、
主演のヤンちゃんが途中で肺炎か何かで休演せざるを得なくなり、
数日間だけ新人公演主役のチャーリー(匠ひびき)が主役を務め、
そのあと、本来の代役だったタモ(愛華みれ)が代演を引き継いだ、
というアクシデントがあったはずだ。

しかし、そのような周辺の出来事を除くと、
今回、私は肝心の物語のことは、さっぱり思い出せなかった。
とても愉快な展開で、後味が良かったような、微かな記憶はあったが、
誰が誰をだまして?誰の正体が何で?等々はキレイに忘れてしまっていた。

それを、きょう、改めて観て、終わって、いろいろと思い出して。
そして、つくづく思ったことは。
すみません。正直に言います。
『昔の正塚先生の脚本は、本当に素敵だったんだなあ』ということだった(逃!)。

笑いのセンスが洗練されていて、どうかすると吉本新喜劇並みにテンポが良く、
一方でさりげなく切ない台詞も用意されていて、ラストはお洒落な余韻が残って。
何より素晴らしいのは、小さな役でも隅々にまで血が通っていて、
短い場面や台詞ひとつさえもが、印象的に書かれていることだった。
そういえば80年代終盤からの何年かは、
私が宝塚で一番好きな作家は正塚先生だったよな、と今頃になって思い出した。
89年『ロマノフの宝石』、91年『銀の狼』のあたりなんて最高だった。
なーちゃんファンの面々は勿論、これらの前に83年『アンダーライン』を
書いて下さった先生として、正塚先生のことはほとんど神格化して見ていた筈だ。

これがどうして、いつからおかしくなってしまったのだろう。
1998年『ブエノスアイレスの風』や1999年『Crossroad』の頃には、
作品的にはどっかで聞いた雰囲気の台詞が多いな、という飽きた感じが出始めていて、
でも主演者の魅力は最大限に出ているのだから、これもアリかなと
観客としての私にはまだ、肯定感が残ってはいた。
しかし2004年『BOXMAN』で、どう観れば良いのかわからず私は道に迷い、
2005年の『ホテル・ステラマリス』になると、
もう全然、正塚作品のどこが良いのか理解できなくなっていた。
依然として観客動員は良かったのだから、
変になったのは多分私のほうだったのだろうけれど。

今回の出演者については、のちほど書く気になったらまた改めて書きたいと思うが、
とにかく久しぶりに文句なしに楽しい宝塚歌劇を観ることができて、
きょうは本当に良かった。
初演時に主演したヤンちゃんが幾度か言っていたことだが、
お芝居とショー、という二本立てこそ、やはり宝塚の王道だと私も思うし、
楽しいお芝居と華やかなショーをこうして見せて貰うと、
本当に宝塚はイイなあと、忘れていたものを思い出させて貰った気分になった。

**********************

最後に、会場で見聞きした小ネタ。

・『緊急告知!』と会場に大きな貼り紙があり、
来年5月雪組公演決定!14日広島文化交流会館!と大書してあった。
「文化交流会館ってどこ?」「ここか!」
と私の背後の人々が会話していた。
そうなのだ。
きょうの、この会場はつい最近、「厚生年金会館」から「文化交流会館」へと
名称が変わったばかりなのだが、未だに市民の間で全然定着していないのだった。

・ショーの中のご当地ネタで、
まとぶん(真飛聖)『広島と言えば?』
花組生『もみじまんじゅう~!!』
まとぶん『おいしいよね♪』
というのがあったが、私の背後では、あちこちから、
「違う!」「お好み焼きじゃろ!」とツッコミが入っていた(^_^;)。

・私は例によって二階の後ろのほうにいたのだが、
少し前のほうには、どこかのファンクラブの一団がまとまって座っていた。
彼女たちは、舞台の展開を熟知していて、スターの登場場面になると、
一斉に、揃った拍手をカンカンカンカン!と行い、
次の瞬間、拍手をやめ、今度はサっと全員でオペラグラスを上げていた。
一糸乱れぬ動きだった(笑)。
私もあれをやる側にいたことがあるので、とてもよくわかった。

・ショーになると、私の斜め後ろのあたりの女性客が俄然、元気になった。
私語をやめず、ショーの音楽は賑やかなので、負けじと声を張り上げ、
観ながら活発なお喋りを続けていた。よく聞いてみると、
「見て!足が長~!」等と、身の毛もよだつほどしょーもない(爆)話だった。

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負傷の海老蔵さん、顔見世興行出演取りやめ(読売新聞)
『顔などに負傷した歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(32)が、30日から京都・南座で始まる「吉例顔見世興行」の出演を取りやめることが26日、分かった。』『興行を行う松竹が発表した。』『海老蔵さんは、歌舞伎十八番の「外郎売ういろううり」で主役を演じるほか、坂東玉三郎さんらとの舞踊劇の出演が決まっていた。同社はけがの治療が必要として、海老蔵さんの降板を決めた。「外郎売」は片岡愛之助さん、舞踊劇は片岡仁左衛門さんが代役を務める。』『「顔見世興行」は年に1度の京都の冬の風物詩で、12月26日まで。チケットの払い戻しは行わない。』

昨日、ごろごろ寝ながら携帯でニュースを見ていたら
海老蔵が飲んでいてトラブルになり、酔客に殴られて怪我をした、
というような記事があちこちに出ていて、ちょっと驚いた。
でも『ちょっと』だけだ。
もちろん、私は個人的には彼がどういう人か全く知らないが、
これまで報道された範囲のことや、歌舞伎関連の記事やインタビュー等で見る限りは、
海老蔵は褒めて言えば型破りだが、いろいろと問題も多そうな印象だったからだ。

小さくまとまった、真面目なだけの役者は、多くの場合、芸もつまらないから、
『スキャンダルもアクシデントも派手なほどイイ』
という感覚が、観客としての私にはもともと無いわけではない。
公私いずれであれ存在そのものが、客をギョっとさせる要素を持っているのは悪くない。
しかし大事な公演に支障を来すようでは、やはり、責められて当然だろう。
何が芸の肥やしになるかならないかの話はともかくおくとしても、
それを舞台に反映させられなくなってしまっては、何にもならない。

さて、その一方で、歌舞伎は代役公演がまた魅力的だ。
海老蔵降板の御陰(爆)で、愛之助と仁左衛門による役替わり公演になるとは。
私はそっちのほうが観たいかもしれない。
顔見世のチケットは買っていないので、もう難しいとは思うけれど。
そういえば、前に海老蔵が風呂場で転んで足を怪我したときにも、
代役公演は『観ないと損』みたいな豪華版だった。
宝塚歌劇だと、代役は大抵、学年や番手が下の生徒さんになるが、
歌舞伎は代役公演のほうが顔ぶれも内容も見事、みたいなことが往々にしてある。

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きょうはエル=バシャ広島公演だったのだが
私は一昨日以来のお腹の不調が悪化し、
思案の末、出かけるのを断念した(涙)。

かかりつけの内科の先生は経過を聞き
「ウイルス性の腸炎ですな」
と簡単に仰った。さいですか。
「でもボクは出ないのより出過ぎるほうが好きですがね」
あ~た様のご希望は伺っておりませんです(T.T)。

とにかくお腹がゴロゴロ。私の不調は大抵コレだ。

演奏会の最中にたびたび席を立つわけにはいかないし
こういう人間が出歩くと更に冬の胃腸風邪を世の中に広めるだけだ。
そう思って今日は寝ておくことにした。
あまりにも残念だったが仕方がなかった。

東京からエル=バシャのファンの友人が来ることになっていたので
私は今の体調についてメールに書き
今回は会えなくて案内もままならないお詫びをした。
そうしたら彼女から来たレスが凄かった。

『お腹こわしたときは正露丸が即効性あるわよ。多めに飲んだら?』
『生牡蠣食べさせてくれる店、近くにないかしら。私、大好物で』
『ひとりでも食べる もちろん』

どんだけ命知らずなんだよ

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・これまでポゴレリチアスィルムラートラ
いろいろと別人シリーズはあったが、
やっぱり、アブデル・ラーマン・エル=バシャも然りだった。
今回の広島公演に関して、友人某氏の話によると、
アブデル・ラーマン・エル=バシャ」
という表記が某所にあったそうで、私もまた、某市の公式サイトにおいて、
ブデル・ラーマン・エル=バシャ」
というのを先日、見つけたばかりだった。
アラブ系の名前は馴染みが無くてわかりづらいのだとは思うが、
いやはや、よけいなものがついてたり、あるべきものが無かったり(T.T)。

・それで、つらつら考えていたのだが、私が気に入るアーティストというのは、
どういうわけか、おおざっぱな意味で「普通の西欧人」ではない人が多い。
イーヴォ・ポゴレリチは旧ユーゴ出身でモスクワ育ち、
前出のダンサー、アルティナイ・アスィルムラートワもカザフスタンの人、
エル=バシャはレバノン人だし、フー・ツォンやラン・ランは中国人、
先日リサイタルを聴いたダン・タイ・ソンはベトナム人、
昔ファンだったピアニストのタマーシュ・ヴァシャーリはハンガリー人
(もう彼は長い間ピアノは弾いていなくて、世の中の認識は「指揮者」だろう)、
そして、きょうが命日のフレディ・マーキュリーは、ペルシア系民族の血統だ。
皆、成功してからの本拠地は、欧米中心部へと移ったけれども、
それぞれの生まれを辿れば、誰も、西欧の人ではない。
フー・ツォンの父上フー・レイは「西洋と東洋の融合」に理想を見ていたが、
私も何かそういう、「一人の人物の中にある、異種文明同士の希有な出会い」、
みたいなものに心惹かれる部分があるのかもしれない。と思ったり(笑)。

・今週からはしばらく、「演奏会活動」(笑)で忙しい。
私が演奏する「演奏活動」ではない。
私が演奏会を聴きに出かける「演奏会活動」だ。友人の命名による。
先日20日のダン・タイ・ソンを皮切りに、昨日がマイスキー×西本智実、
明日がエル=バシャ×高関健@広島交響楽団、
27日が宝塚花組広島公演、28日がアンドリュー・フォン・オーエン。
そして12月になると、8日がアレクセイ・ゴルラッチ、19日が松本和将氏。
ダン・タイ・ソンとゴルラッチ、松本氏はいずれもオール・ショパンで、
オーエンもプログラム中にショパンを数曲取り上げている。
ショパンはあんまり聴かなくてもいいんだ私は、などとエラソーに言いながら、
気がつけば、最後の最後でしっかりとショパン・イヤーを満喫している。

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ミッシャ・マイスキーがソリストだったので、
西本智実×ラトビア国立交響楽団を聴きに行った。

西本智実withミッシャ・マイスキー&ラトビア国立交響楽団

回数の点からは、どうかすると私はポゴレリチの次に、
マイスキーの演奏会を数多く聴いているのではないかと思う。
私の、若い頃からのいろいろな想い出が一挙に蘇った、
きょうの、現在進行形のマイスキーのドヴォコンだった。
何より印象的だったのは、チェロ界の演歌師マイスキーは、
年を経て神様になり始めている、ということだった。
マイスキーのチェロは、ときどき天の声で歌うようになっていた。

西本智実さんは相変わらず美しい指揮ぶりで、
彼女の機敏さ、若さ、熱さが、よく感じられる演奏会だった。
彼女の人気で客層も広がっているらしく、
会場の雰囲気は良くも悪くも、いつものクラシックの音楽会よりは
ずっと自由な感じだった。
楽章間でも遠慮無く盛大な拍手が起こっていたことを
マイスキーやオケの面々は、いぶかしく思っただろうか、
それとも、楽章の出来映えへの率直な賛辞として喜んでいただろうか。

私自身は、楽章と楽章の間の「音のない部分」も曲の一部として
ひとつの「聴きどころ」だと感じているほうなので、
あまり拍手(や無遠慮な咳など)で分断されたくはないのだが
客席の生の反応もまた、演奏会ならではの「聴きどころ」、
という考え方もあるかな、などと、きょうは思ったりもした。

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私の愛するピアニスト、アブデル・ラーマン・エル=バシャが
11月25日の夜、広島交響楽団の定期演奏会に客演する。

第304回定期演奏会(広島交響楽団)
2010年11月25日(木) 18:45開演 (17:45開場)
広島市文化交流会館 (旧 広島厚生年金会館)
指揮:関 健  
ピアノ:アブデル・ラーマン・エル=バシャ
・シベリウス:交響曲第5番変ホ長調Op.82
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58
・シベリウス:交響曲第7番ハ長調Op.105

これに先立ち、公開リハーサルも行われるそうだ。
11/22~24、公開練習 10:30~ アステールプラザ・オーケストラ等練習場
11/25の第304回定期演奏会リハーサル


更に、エル=バシャは来年2月、もう一度、広島を訪れる予定になっている。
今度は呉市文化ホールでの演奏会で、リサイタルだ。

アブデル・ラーマン・エル=バシャ ピアノリサイタル
平成23年2月12日(土)15時 呉市文化ホール
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第9番ニ長調 K.311
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調「テンペスト」 Op.31-2
・シューベルト:即興曲集より変ホ長調 Op.90-2
・ショパン:夜想曲第1番変ロ短調 Op.9-1
・ショパン:ワルツ第1番「華麗なる大ワルツ」変ホ長調 Op.18
・ショパン:夜想曲第2番変ホ長調 Op.9-2
・ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」 Op.53
・ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
・ラヴェル:「鏡」より「洋上の小舟」、「道化師の朝の歌」

チケットは11月26日(金)から呉市文化ホール、
呉市内及び広島市内の各プレイガイド等で発売。

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昨夜18時からALSOKホールで、ダン・タイ・ソンを聴いた。
これはコカ・コーラウエスト株式会社の地域社会貢献活動
さわやかクラシックコンサート』の一環として行われたもので、
応募者の中から抽選で1700名を選び、無料で演奏会に招待する、
という企画だった。

私はこういうものがあるというのを全然知らなかったのだが、
拙ブログを以前から読んで下さっている広島在住の某氏が
招待券が当たって余裕があるのでどうですかと、
お声をかけて下さった御陰で、聞くことができたのだった
(本当に、ありがとうございました!)。

ダン・タイ・ソンは1958年ベトナム生まれのピアニストで、
イーヴォ・ポゴレリチと同年齢、モスクワ音楽院の同窓生でもある。
ポゴレリチが予選落ちした1980年第10回ショパンコンクールで、
第一位に輝き、コンクール史上初のアジア人覇者となったのが
このダン・タイ・ソンだった。
だから時期的には、私は両者をほとんど同時に知ることとなり、
デビュー当時は、ほぼ対照的なピアニストという印象で捉えていたものだった。

しかし私は、最初からダン・タイ・ソンの演奏が好きだった。
あの頃(どうかすると最近でもあったが)、ポゴレリチの強烈な演奏に較べ、
ダン・タイ・ソンのは単なる優等生的で没個性的なショパンである、
という言い方をする人がいたが、私はそうは思わなかった。
80年代に私が東京に住んでいた頃は機会があれば聴きに行ったが、
彼の演奏が年々磨かれ、懐が深くなって行くのがわかったし、
彼がただ几帳面に規範を踏襲するようなピアニストでないことは、
ショパン・コンクールから十年も経てば、既に明かだったからだ。

さて、今回聴いていて思ったのは、私はこの人の音だけでなく、
実はリズム感が大変気に入っているのだ、ということだった。
なんとも小気味良く洗練されたリズム感で、
これが彼の演奏の根幹をかたちづくって来たのだと、
今更ながら気づかされたのだ。

プログラムはショパン・イヤーにちなんだ「オール・ショパン」で、
前半が、8つのワルツ(ホ長調・遺作、イ短調作品34-2、
ヘ長調作品34-3、変ニ長調作品70-3、変イ長調作品42、
嬰ハ短調作品64-2、変ト長調作品70-1、変イ長調作品34-1)、
ボレロ作品19、タランテラ作品43。
後半が、「幻想ポロネーズ」、6つのマズルカ(作品50と作品63)、
英雄ポロネーズ」、となっていた。

演奏そのものは実に安定した大きさを感じさせるもので、
また、ワルツの中に、87年に東京で聴いたときの彼の演奏を
なぜかまざまざと思い起こさせる一曲があって、
この人の根底にあるものは、年月を経ても揺らぐことがなかったのだな、
と感傷的なことを考えたりしながら、聴いた。

しかしそのようなことは別にして、私は最初、気持ちよく音楽に浸りながら、
それにしてもどうしてバラードやスケルツォを弾かないのかな、
と、とりとめもなく考えていた。
誰でも知っているショパンの代表曲を揃えたという選曲とはまるで違うし、
それなりにボリュームのあるプログラムを組んでいるのだけれど、
小品にしても夜想曲や前奏曲は全く出て来ず、エチュード系も無い。
ポーランドものを並べた、……のではないな、ボレロやタランテラがあるから。
では民族音楽という括りだろうか?
でもワルツそのものは、別にエスニックではないだろう。
ショパンの場合、幾分かマズルカ的なワルツがあるにしても。
だとすると、三拍子のバリエーションに拘った?
……と考えていて、途中で、不意にわかったのだ、
これは「舞曲」を集めたプログラムなのだと。

私が、ダン・タイ・ソンのリズム感に着目させられたのも、
ある意味では当然だったのだと思った。
舞曲を集めて弾くならば、リズムこそ聴かせどころの「要」であったのだから。
こうして見ると、ショパンは随分たくさんの「踊り」を描いたのだ、
ということが改めてわかった。
それも様々な角度から、様々な想いや情景を表現して。
舞曲だけで、ひとつのショパン像を語ることができる、
などとは私はあまり考えてみたことがなかった。
ダン・タイ・ソンの感性は、やはり素晴らしい。
ショパンが奥深く、どのような切り口からでも、その都度違った、
豊かなショパン像を見せてくれるものだというのがよくわかった。

英雄ポロネーズで大喝采を浴びたあと、アンコールの一曲目は、
ショパンの『夜想曲作品9-2』。
本プロは終了しているので、もう舞曲ではなかったが、
三拍子系(12/8拍子)で、ここまでの雰囲気に添った選曲だった。
ここで日本人もよく知っている、皆に愛される定番曲を取り上げたというのは、
余興的なファンサービスもあっただろうし、
現在のダン・タイ・ソンの余裕を感じさせるところでもあったと思う。

拍手が続き、アンコールの最後は、意表をついてドビュッシーの、
ゴリウォーグのケイク・ウォーク』。
いやはや最後まで、私の「ダン・タイ・ソンのリズム感」を聴きたい気分に
完璧に応えてくれた選曲で、しかも、やっぱり最後は舞曲で締めた。
本プロの「オール・ショパン」に、ラスト一曲になって初めて「違反」した選曲で、
その真意はわからなかったが、私にとっては実に秀逸な幕切れだった。
私はどうしても、ショパン全体に流れる、じっとりと湿り気のある空気が苦手なので、
最後になって、まるでその部分だけ、異色のドビュッシーで一掃して貰えたようで、
思いがけず、本当に爽やかな気分になれた。
ショパンが描き続けた「舞曲」というジャンルの、ひとつの未来像が、これだった。

万事すみずみまで至れり尽くせりの、完璧なダン・タイ・ソンだった(笑)。

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