転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ポゴレリチ(ポゴレリッチ)の東京でのリサイタル予定が
Kajimotoから発表された。

2023年1/11(水)19時 サントリーホール
★10月下旬~11月上旬頃発売予定
https://www.kajimotomusic.com/news/2022-08-29/

村の神社の正月奉仕が、ぎりぎり終わっているかどうかの時期か……。
ほかに、リサイタルの地方公演は今回は無いだろうか。
チケット発売までまだ時間があるので、少し悩もう(^_^;。

これ以外に、既に読売交響楽団とプロコ3番協奏曲を演る予定が発表されている。
2023年1月7日(土)14:00 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 読売交響楽団 指揮:山田和樹
2023年1月8日(日)14:00 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 読売交響楽団 指揮:山田和樹
いずれも@東京芸術劇場コンサートホール(池袋)

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今朝、父がリハビリ病院を退院した。
5月23日に転倒で左大腿骨頸部骨折をした父は、
6月1日に某総合病院で人口骨頭挿入の手術を受け
6月6日から本日朝まで、リハビリ病院に入院していた。
本当は、8月16日に退院する話が一度は決まっていたのだが、
スクリーニングPCRで病院スタッフさんの中にコロナ陽性の人が出て、
父本人は陰性で元気ではあったが、発症しないかどうか観察する必要が生じ、
更に数日後に、父と同じ病室だった人がPCR陽性となったため、
父は更に健康観察を継続することになり、二度、退院が延期になっていたのだった。

三度目の正直で今回は何事もなく、退院の日を迎えることができたのだが、
今朝9時に、病院に迎えに行くと、父は昨夜服用した眠剤が効きすぎ、
車椅子に座ってうたた寝の真っ最中であった。
看護師さんによれば、一昨日、眠れず不穏になって、昨日は眠剤と安定剤を追加し、
ぐっすり寝たのは良いが、いつまでも眠い状態が続いているとのことだった。
呼べば目をあけて返事はするが、とにかく眠いという体で、
病院スタッフさんに挨拶もせず、父は車の中でも寝続けた。

病院と某老人ホームとは同系列なので、病院の車で送って戴いたのだが、
ホームで待っていた母は、これまたボケ倒しているので話がわからず、
御主人さんが退院されますよ、と予めスタッフさんに言われていたのだが、
「なんでお父さんが帰って来るん?」
とトンチンカンで、実際に車椅子に乗った父が到着すると、
前述の通り寝続けているものだから、母は急に動揺し始め、
「どないしてこんなことになったん!?」
「前より悪ぅなって帰ってきたとは、どういうこと!?」
「こんなんなったお父さんを私に返してもろても、どないもならん!」
と、やたらと興奮し、私は閉口した(殴)。

母は、父が骨折で入院・手術となったことも、
入院中の寝たきり状態だった父を、私と一緒に見舞ったことも、
全く何ひとつ記憶に残っておらず、それどころか多分、
3か月近くも父が目の前に居なかったせいで、母の頭の中が初期設定に戻り、
80歳くらいの元気だった頃の父のイメージに、なっていたらしかった。
それがいきなり、車椅子姿で、傾眠状態でろくに返事もしない、
90歳超の認知症老人が登場したので、全く受け入れ難くなった様子だった。

病院から聞いた通り、一昨日よく眠れず、昨夜眠剤と安定剤を使ったこと、
今朝までよく寝たが、まだ眠気が覚めないことなどを
母に5回くらい説明し、さらに母が話の途中で幾度も
「お父さんは、なんで入院したん!?」
と尋ねるので、左脚を骨折した話を30秒に一度くらい反復して、
母はその都度「骨折!?」と青ざめるほど仰天し、
……そんなこんなで母の相手をしていたら、
昼食時間になり母が呼ばれたので、ようやく解放された(汗)。
あとでスタッフさんにお尋ねしたところ、
今日は大好物のカレーだったので、母は3分くらいで完食したとのことだった(^_^;。
父が目覚めて食事ができたかどうかまでは、私は時間がなく見届けられなかった。

父もまた、今回の退院後からは、これまでのフロアには戻らず、
母と同じ認知症専門フロアで生活する契約に、既になっている。
部屋は母とは同じではないのだが、同じ階にいて、
今日からは、新しいスタッフさん方のお世話になって、
母の身近でまた生活をする訳だ。
母本人は、この認知症フロアに移ってから穏やかになっており、
細やかに声をかけて貰い、何かと介入・介助して貰える今の生活を
とても気に入っている様子ではあった。
きょう突然、父が出現したことのショック(汗)が、今度どうなるか
今は多少不安もあるが、母なりに受け入れてくれればと願っている。

もう90代なので、こうして退院できただけで御の字だと私は思っている。
完全に元通りになれなくても――『元』を入院前の状態としてだが――
年齢的には致し方ないと思うべきだ。
理解力のなくなった母には受け入れ難い面もあるだろうが、
若々しく蘇った父が登場する以外には(爆)
母の不安を解決する方法はないので、徐々に慣れて貰うしかないだろう。
明日は私は用があって動けないが、
明後日、神社の帰りにまた寄ってみようかと思っている。

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ポゴレリチの台湾公演の告知が出ていた。どちらもリサイタル。
2023年1月3日(火)19:30台北、4日(水)19:30高雄 (夜鶯講堂)

すると、1月7日・8日に読売交響楽団に客演する話も、
実現の可能性があるということか。
日本では上記の読響以外には、全く演奏会の予定が出ておらず、
リサイタルやほかの場所での公演の話も聞いたことがないし、
今に至るもチケット発売の案内がないので、
今回は(も)来日できないということかなと思っていたのだが、
はてさて、台湾とセットで日本にも来ることができるのか、
或いは、台湾の公演だけがある、ということもあり得るか。
コロナ禍になって以来、隔離期間の問題もあるので、
なかなかスケジュールが読めない。

ときに、夜鶯講堂とはナイチンゲール・オーディトリアム。
台湾も漢字の国なので、こういう情緒はよく伝わって来るな……。

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本気で驚いたのだが、今すでに午後3時過ぎになっていた。
朝は6時から起きていたというのに、ここまで本当に一瞬だった。
きょうは3日ぶりの完全休息日で、朝から何の予定も無かったのだが、
こうして時間に縛られず、一人きりの部屋で静かに過ごしていると、
快適で快適で、瞬く間に時間が過ぎてしまった。
「時間が経たない」「暇過ぎる」などの感覚は、私には無縁だ。
何もなければないほど、私の心身は安定する。
予定も、人との交流も、周囲の音も、無いほど良い。

思うに、2016~2019年にかけて、私はあまりにも忙し過ぎ、
限界まで疲弊したので、あのとき磨り減った心身、
特に心のほうが、未だに完全には修復されていないという感じがする。
現状の過ごし方は、既にもう、ずっとマシなものにはなっていて、
分刻みの予定で動くほど多忙な日は、月に数回程度あるだけなのだが、
それが毎日毎日続いたときの苦しさが、今も自分の中には残っているので、
PTSDというと大仰だが、埋まった予定表を見ると心の中がクワっと波立つ。

多忙であった頃、私がときどき妄想したのは、
「将来は隠居して、一切の社交を断って、家から出ず、勝手に暮らしたい」
「防音室をつくって、外で何の音がしていても聞こえないようにして、
無音に等しい静かな部屋で、心ゆくまで過ごしたい」
ということだった。同時に私は、
自分が今、忙し過ぎるから、こういうアホなことを考えるのであって、
実際にそれが実現したら、私はその刺激の無さにすぐ息が詰まる筈だ、
とも思っていた。

しかし案外、そうではなかったかもしれない(汗)。
コロナ禍のためもあり、2020年3月頃から、友人と会って喋ることもなく、
会食も外食もせず、演奏会や舞台のために遠征することもほぼなくなり、
会社も辞め、予定表に実際に多くの空白をつくって暮らしているのだが、
あまりに快適で、やっと落ち着いて呼吸ができるという気分になり、
その生活を、これで2年以上継続している訳だが、
私はとりあえず本日時点では、まだ、飽き足りない。
怪我や病気だと、よく、トラブルから治療開始までにかかった年月と
同程度の時間が、治癒するまでには必要だという言い方をするが、
このまま休み続ければ、私はいつか以前の自分に戻ることがあるだろうか。

2016年頃からの2020年初頭までの4~5年間が、私のこれまでの人生で、
間違いなく、最も休息が許されない過酷な日々だった。
向いていなかった「出ずっぱり」の毎日を、長く継続せざるを得なかった。
RCサクセション『お墓』(KKBOX)じゃないが、あれがシンド過ぎて、
自分の中で何かが死んで、既に墓標が立ってしまった感じがする。
社交をするほど余裕のあった自分はもう終了した、というのが今の実感だ。
外に出て、次から次へと人に会ったり、話を聞き続けたりすることが、
今の私にはひどく負担で、予定があると前夜から苛々するほど苦痛になった。
実際に出かけて行けば、そういう社交は問題なく、にこやかに出来るのだが、
能力的に可能でも本音ではイヤだという状態が、改善することはなくなった。
PTAの仲間で集まったり、大学同窓会で食事に行ったり、
ピアノの発表会に出ていたりしたことが、もはや信じられない。
ああいうことは、仕事上必要にでもならない限り、
多分もう二度としないだろうと思う。

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日本は今も、日々の新規感染者数が増えた減ったの話をしているが、
このところ、少なくとも私が出会う範囲の欧米のCOVID関連の記事は、
感染者の数の話ではなく、Long Covidが話題になっているものが増えた。
大規模な感染を繰り返し、人々がある程度「罹り終わった」感のある欧米では、
COVIDの新たな感染そのものは、もはや話題にならなくなったが、
既感染者の、人口に占める割合が日本よりかなり高いがゆえに、
今度は、いわゆる「コロナ後遺症」のほうが社会問題として可視化され、
無視できなくなってきたのではないか、と思う。

コロナ後遺症で最大400万人が働けず 米調査結果(CNN 2022.08.26)
110,000 workers missing from work as a result of long COVID
at a cost of £1.5 billion a year in lost earnings
(IFS 27 Jul 2022)
(英国:11万人が長期にわたる後遺症で仕事をやめており約2400億円/年の損失)

日本はその点、長らく、感染したことのある人のほうが少数派だったので、
後遺症の問題も、ここまでのところ、人数的な規模は大きくなっていない。
BA.5が入って来て、この夏はついに急激に大勢の人々が日本でも感染したが、
日が浅いだけに、皆の関心事はまだ、
急性期の症状が改善したかどうかに集中している。
しかし、欧米に見る限り、コロナの問題は、
「そのときなおるかどうか」より、むしろ長期戦の様相を呈している。
コロナを当たり前の感染症として受け入れると、大規模感染ののちに、
「社会の何割かが常にコロナ後遺症」という世の中が、次にやって来る。
日本もそれは避けられまい。コロナ後遺症専門外来の充実が急務だろう。

何より、第7波では、これまでになく小児での感染が多かったので、
コロナ後遺症の治療法が早く確立されないと、
将来的に、社会の一角に困った問題が残り続ける可能性がある。
味覚嗅覚の鈍化、思考力の低下等のほか、
全身の血管炎であるMIS-C(小児多系統炎症性症候群)や、
Ⅰ型糖尿病の発症など、小児に特異的な影響も指摘されており、
割合として少数であっても、全体の感染者数が増えればそれだけ、
後遺症に悩む小児の人数もふくらむことになる。
罹患時の年齢が幼いと、自分の症状を言葉で説明することが難しいから、
学齢期になるまで周囲の大人が気付きにくいかもしれない。

やはりできるだけ、罹らないに越したことはないし、
既に感染経験のある人も、再度・再再度の感染がないように対策すべきだ。
国内で毎日300人ずつ死んでいる感染症を、
「ただの風邪」と受け入れる神経には、私は到底ついて行けないが、
少なくとも「罹ってもまあ大丈夫だろう」等と、タカをくくるのは早計だ。
私自身は、対策のひとつとしてワクチン接種を積極的に選択しているが、
接種できない・したくない等、各自の事情や考えがあるとなれば、
それは仕方が無いにしても、罹らないための対策だけは継続すべきだと思う。
特に、新しいワクチンなど信用できない、というほど慎重に考えるのであれば、
長期的な追跡データの蓄積がまだなされていない新興感染症など、
尚更、厳重に警戒して然るべきではないか。
麻疹後の亜急性硬化性全脳炎は、感染後5~10年経ってから現れる、
遅発性ウイルス感染だが、COVID-19は最初に感染した人でもようやく3年目で、
そういう長期的な影響が本当にないかどうか、
現時点ではまだ確認のしようがないことだ。

3密すべて回避・石鹸による手洗い励行・不織布マスク着用、
は、そうそう簡単に手放さない方が良い対策であると、私は考えている。
現時点で100%確実な感染防止方法がないからと言って、
諦めてノーガードに近いものへと移行するのは好判断ではないと私は思う。
ワクチンを打っても罹る・マスク着用していても罹る、→だから意味がない、
という0か100かという考え方は、感染症に対しては賢明ではないだろう。
むしろ、ワクチンやマスクにより、どれくらいリスクが下げられるか、
のほうを私は重視したいと思っている。
私は実生活において、ワクチンを打っていない人をどうこう言ったり、
私の前でマスクを外している人に文句を言ったりしたことはないが、
私自身は、今後も当分の間、感染防止対策を緩めるつもりはない。

当分とはいつまでか、という問いに年月日で答えることはできないが(汗)、
短期目標は、現状の医療逼迫が解消するまで、
中期目標は、2価ワクチンが一般化し治療薬が開業医で処方されるようになるまで
(ここ↑に来て初めて、私にとってコロナはインフルエンザに近づく)、
長期目標は、遅発性も含め後遺症の解明がなされ、その治療法が確立されるまで。
私自身は、自分の感染防止対策を段階的に緩める目安を上記のように考えている。
実効再生産数がBA.5と同等かそれ以上の変異体の流行が続くのであれば、
私もいずれ、感染を免れ続けることはおそらく不可能になると思うが、
重症化を防ぐため今後もワクチンを接種するとともに、
一度罹患しても、もし助かったならば(汗)後遺症に可能な限り対処しつつ、
二度目がないように、感染防止対策は続けて、徹底して行くつもりだ。

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私は何年も『まいにちスペイン語』で勉強した甲斐あって、
プロレスラー内藤哲也のスペイン語tweetが
その場ですぐ読めるようになった(爆)。

「Fui al "estadio jingu" hoy también.」
(=僕はきょうもまた「神宮球場」に行ってきました。)

fuiは動詞irの点過去1人称単数、alは前置詞aと定冠詞elの縮約形、
hoyは副詞で「今日」、tambiénも副詞で「~もまた」。

ポゴ氏のインタビューを読むためにスペイン語を始めた筈だったのに、
いつしか内藤哲也になってしまっていたことに、今夜、気付いた。
それにしてもまた観に行ってたのか、制御不能なカリスマよ……。

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4回目接種から46時間、腕を上げると接種部位がまだ微妙に痛いが、
昨日より明らかにマシで、ほかには特に何もなく、平熱だ(汗)。
年寄りだからか、副反応と言えるようなものが乏しい(汗)。
ここまでの体感では、副反応の程度は以下のとおり。

1回目(ファイザー)<4回目(モデルナ)<2回目(ファイザー)=3回目(モデルナ)

結局、私には、ファイザーもモデルナも副反応は同じような感じだった。
量の多い1回目・2回目にモデルナを打っていたら、また違っただろうか。


追記:8月25日(接種から3日)、腕の痛みがほぼなくなった。
結局、接種翌日に、計測して37度2分が瞬間的に一度あっただけで、
すぐ36度9分になり、体感として「熱がある」感じにはならずに経過した。
あとは、上記のように接種部位の筋肉痛が2日半と、
強いて言えば、接種当日の夜が特に眠くて、よく寝たこと、くらいか。
これで終わりだとすると、ほぼ副反応は無かったことになる(汗)。
ときに、あらしちゃん(尾上松緑)も四回目接種を終えたと
昨日の日記に書いてあった。ナカーマ(^_^;!

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ワンオクTaka、“声出し煽り”炎上でコメント発表(ねとらぼ)
『Takaさんは21日に出演したサマソニ東京(千葉)公演のステージ上で、飛沫感染防止のため禁止されている“客の声出し”をあおるパフォーマンスを実施。同フェスは撮影禁止ながら、SNSでは観客が撮影したと思われるMC中の動画が拡散されており、Takaさんは「メーガン(Megan Thee Stallion)でもあんだけ声出してたんだから、いくら出しても関係ねぇだろこれもう」「俺は今回の夏フェスに臨む前に、どのフェスも出禁覚悟でやってるからお前ら覚悟しとけよ!という宣言をして参りました。謝るから俺が最後もし怒られたら」など大勢の観客に思いをぶつけ、会場は大歓声に包まれていました。』『Takaさんは22日にInstagramを更新し、「ありがとうサマーソニック2022東京」と歌唱中の写真や大歓声をあげる客席全体をステージ上から撮影した動画を公開。“声出しあおり”のパフォーマンスが物議を醸している件については、「会場にいた人達には僕の気持ちは伝わってると信じてる。でもいいわけはしません。嫌な気持ちにさせてしまった人達へ。ごめんね」とコメントしています。』

同じサマソニ東京で、TakaのONE OK ROCKより先に出演した人たち、
例えばWANIMAは、ステージから、
「声は出せないけど俺がみんなの分まで歌う」
と語り、同じくHYDEは、
「声が出せないけど、隣に怖がってる人がいるのにルールを無視して騒ぐのはダサい!
その場所は3年かけておまえ達が勝ち取った場所だぞ!……有効に使え」
と呼びかけたと、Twitterに出ていた。

感染症とライブの在り方については、それぞれ考えがあって良いと思うので、
これがもしワンオク単独のライブであったなら、Takaの「気持ち」ひとつで、
「もういいじゃないか、声出し解禁!」
とすることも可能だろう。
会場が大歓声だったそうだから、そうしたい観客だって大勢いる筈なのだ。
しかし今回は夏フェス、それもようやく3年ぶりに再開なったサマソニだった。
一出演者の感性や考え方だけで、好きにしてよい場所ではない。
ほかの大勢の出演者が居り、それぞれのファンが来ていて、
観客は運営側の方針を踏まえてチケットを買って、集まっていたのだ。
そのような中で、個人のノリをルールより優先し、規則を破ろうと皆を煽るのは、
「言い訳しません」どころか、言い訳のしようのない独りよがりであったと私は思う。

上が勝手に決めつけたことには、とりあえず全部さからう、
のがロックの基本だろう(^_^;というのは、私にも感覚的にわかる。
『どのフェスも出禁覚悟でやってるからお前ら覚悟しとけよ!』
というのは、まさに、そういうことでしょ(^_^;。
しかしそれが、「ロックだから」で通る場面とそうでない場面がある。
夏フェスで、しかも今、社会問題となっている「コロナ感染防止」の問題において、
一出演者にあまりに堂々と規則破りをされると、
コトは御本人たちの「出禁」では済まされず、
最悪、フェスそのものの存続に関わって来る、
というところまで、先に考えるべきだった。
『怒られたら俺が謝る』は勘違いによる義侠心であるし、
『嫌な気持ちにさせてしまった人達』だけの問題では、到底、ない。
コトは、「声出しの是非」単独の問題とは全く次元が異なり、
「ルールが出演者によって破られるフェスの是非」の話になる。


追記:HYDEのMCにおける発言全容は、以下の通り。
HYDEの出演順のほうがワンオクより前なので、Takaの一件を踏まえたものではない。
「今日もたくさんカワイイ子が集まっててうれしい。でも、声は出さないで。あぁ~残念だ。こんなにたくさん人がいるのに声が出せないなんて残念だね。しかし感染者も増えてきたんで」「かといって『ルールなんて関係ねぇ!声出して行こうぜ!』っていうのもなんか違う。怖がってる人の横ではしゃぐのはダサい。残念だがルールがあるからこうやってライブができている」「コロナ前と違って、それぞれスペースがあるじゃないか、ちょっと崩れてはいるけど。その場所はお前たちが3年かけてコロナから勝ち取った場所なんだぞ!有効的に使えよ」
hydeの「ルールなんて関係ねぇ!声出して行こうぜ!っていうのもなんか違う」話題に(日刊スポーツ)

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接種から25時間経過したが、体温は36度9分で、
発熱しているというほどではない。
昨夜はうっとりと眠くなり、10時前から就寝して、
途中で2回起きたが、時間的には今朝までたっぷりと寝られた。
朝起きたときは、えらく気怠いような気がして、
これは熱あるだろ、と思って計ってみたが36度6分。
朝食の支度など朝の仕事をしていたらスッキリしてきた。
解熱鎮痛剤等は、今のところ一度も服用していない。
接種部位の痛みはまだはっきりとあって、
できない動作は無いが、腕を上げると特に強く筋肉痛を感じる。
この経過はファイザー1回目のときとよく似ている気がする。

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本日午前中に、市街地の某クリニックで、
新型コロナワクチンの4回目接種を受けてきた。
私の場合、年齢58歳は接種対象に該当していないが、
高血圧患者なので接種を希望した。
これまで、市の集団接種会場、県の大規模接種会場で受けて来たのだが、
今回は、過去に利用した会場はどちらも設置がなく、
近所の集団接種会場はすぐいっぱいになってしまって取りづらかったので、
初めて個人の内科医院に行くことにした。

若い人、特に若年男性は、心筋炎の副反応への懸念もあり、
傾向としてファイザーを希望するようなので、
私のようなおば(あ)さんは、率先してモデルナを選ぶべきだろうと、
家から近くて、モデルナの扱いのある内科医院にした。
しかしこれは別段、犠牲的精神というものでもなくて、
私はもともと、2020年後半だったか、実際の接種が始まる前に、
ファイザーとモデルナとアストラゼネカのデータが公開されたときに、
免疫原性の違いの点でモデルナが一番成績が良いのを見て、
単純に、選べるならこれにしたいなと思ったことがあったのだ。
結局、3回目と4回目がモデルナになった。
次の接種機会があるようなら、オミクロン系統との2価ワクチンが
日本でも一般に普及していて欲しいものだ。

今、接種後9時間半くらいになるが、体調に大きな変化はない。
接種後5時間くらいから、腕を上げると接種部位に重怠い痛みが出てきて、
これは前回の3回目接種のときより症状が強いような気がする。
あとは多少は気怠い、キモちよく眠い感じがするかな?という程度で、
現時点では熱などはない。
しかし2回目、3回目のときは接種後15~20時間くらいしたところで、
37度台になった記憶があるので、発熱はこれからかもしれない。

明日と明後日は、外に出る用事は入れていないので、
家でゆっくり過ごす予定だ。
副反応で寝込んでも、その点は大丈夫だ(^_^;。
先週後半が忙し過ぎたのもあるし、このあたりで一度、
休息を取るのは良いタイミングだと思っている。

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