転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このまま行くと、来年2月の中頃には、
娘の大学入試のため、私も一緒に東京へ行き、
少なくとも何日間かは滞在することになりそうだ。
日頃から、娘も私も家では勝手に暮らしているので、
彼女と何泊もホテルの同じ部屋という状況に
私が耐えられるのかどうか、やや心許ない気がするのだが(殴)
とりあえず、滞在中、「試験場で頑張る」こと以外の雑事を引き受け、
必要なコーディネートをし、支払いをするのが私の仕事だろう。

しかし、彼女が試験を受けている昼前から夕方くらいまでの時間帯は、
私は多分、所在ないことになると思われる。
入試そのものについては、私は何を手伝ってやれるわけでもないし、
天気や体調に問題がない場合、ただホテルにじっとしているのも厳しい。
それでも基本的に体を空けておく必要はあると思うので、
人様とお約束して会ったりすることは、避けたい意向なのだが、
自分の一存で即座にキャンセルできるような予定なら、
入れておいたってそんなに悪くないのではないだろうか。

つまり、私が考えていることは、ただひとつ。
せっかくの東京なんやし、宝塚でも観よやないか(殴)。

来年2月というと、日比谷は何をやっているのだ?
私はもうすっかり浦島タロさんだから、年間上演予定を把握していない。
早速、宝塚歌劇団公式サイトに行ってみた。
え~っと、『公演案内』、来年2月の東京宝塚劇場は、っと。

月組 東京宝塚劇場公演『ベルサイユのばら』-オスカルとアンドレ編-

ウゲ
よりによって、ベルばらなのか!!しかも月組ダブルキャストの。
私みたいに力の抜けている者に、チケット取れるわけないだろうが!!
こんな物凄い演目じゃなくて、もっと普通の(爆)公演は、
ほかにやってないのか。
取りやすいとは言えまいが、例えば日本青年館はどうだ!?

雪組 日本青年館大ホール公演『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』

ほほ~。
昔、安寿ミラ主演でブラックジャックがあったけど、
今回はまた、正塚先生が新たに書かれるのね!?
『「ブラック・ジャック」週刊少年チャンピオン連載40周年を記念し、
新たなストーリーで上演します』、……ほうほう。
主演は、未涼亜希、こりゃまたイイじゃないの。
……って、『公演期間:2月22日(金)~2月27日(水)』!?
うぅむ……(大汗)。残念だ、あとちょっとのことなんだが、
この初日二日前くらいに広島に帰りそう(爆)。

やはり、限られた東京滞在で日比谷で遊ぼうというのは、無理か。
こうなると、平日昼にちょちょっと観るといったら、
歌舞伎のほうが良いかもしれない。
しかし、こういうとき、一幕見席は本当に便利だったのに、
来年2月というと、新しい歌舞伎座はまだ開場されていないしな(汗)。

あ、そういえば、思い出した。
東京の話とは関係ないが、宙組『銀英伝』の博多座公演が、
確かあった筈。
あれは一体、いつなのだろう?
できたらもう一度、観たいわね。

宙組 博多座公演『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』

『公演期間:1月5日(土)~1月28日(月)』、……ううううぅむ。
そうか、1月だったのか。困ったな。
1月は、娘のセンター試験が、……じゃなくて、
シプリアン・カツァリスの西宮公演があるから、
やはり二度も遠征するのは、ちょっとね(殴)。

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娘は高3なので、そろそろ卒業アルバムのための
個人写真・クラス写真などを撮影する時期がやって来た。
衣替え以降も、まだあまり寒くなっていないせいもあって、
日頃、娘はブラウスの上にカーディガンというスタイルなのだが、
撮影のある日は、制服を一番正式なかたちで着用して行かねばならず、
きょうは5月以来、久々にジャケットを出し、校章をつけて行った。
ブラウスの胸元にも校章の刺繍が入っているので、
校則では、上にカーディガンやベストだけを着るときは、
一種の略式として、校章のバッジはつけなくて良いことになっているのだが、
ジャケット着用時は、必ず胸元にも校章をつけなくてはならない決まりなのだ。

今年に限らず、娘はこれまでも、冬服になっても
なかなかジャケットを着なかったのだが、それは、
「上着が固いからシンドい。ニットのほうが伸びるからラク」
という主婦の普段着選びみたいな理由による。
元来が娘は、スカート丈を自分で詰めたりするタイプではなく、
なんでも買ったときのまま、ずっと着ているのだが、
一方で彼女には、冬制服に関していくつかコダワリがあり、
「絶対にストッキングなんか、はかない」
「真冬になっても、コートは着ない」
などという、私には理解不能なポイントもあったりする。
ラクなら何でも良い、というわけでもなさそうである。

それはともかくとして、そういうわけで今朝、娘は、
半年ぶりに制服のジャケットをクローゼットから取り出し、
クリーニングの袋から出して、タグ類を取り除き、
さて校章を左襟につけなくては、と思い出したまでは良かったが、
校章が中学部と高校部では若干の色違いで二種類あり、
どちらがどちらだったか、自分ではわからなくなった。
「どっちだっけ……?」
と娘がふたつの校章を持って来て私に訊くので、
「こっちだがね」
と私が高校部の校章を教えてやった。
ったく誰の母校なんだよ(--#)。

しかし、こうして使っていないときでも校章をちゃんと管理していた、
という点だけは、娘はまだ偉かった。
「友達なんか、もう校章なくしたって言いよったよ(^_^;」
と娘は言った。
まあ、個人写真はひとりずつの撮影なのだから、
校章くらいなら、先に撮り終わった友人に借りて、
自分の撮影のときだけ間に合わせれば、なんとかなるだろう。
ジャケットみたいに、サイズの問題もないしね(^_^;。

かつて私達が高校生のときやったように、娘達も、
ひとの撮影順になると、物陰から変顔をして笑わせるのだろうか。
当時、自然な笑顔が撮れるということで、写真屋さんは、
私達のそういうオフザケも、かえって歓迎して下さった記憶があるが、
しかし意地を張って笑いを堪えて、噴出寸前の半泣き顔になったり
並の笑顔を超えて、文字通り「破顔」になり果てたりと、
いろいろと弊害もあったものだった。
そうやって大騒ぎして撮った写真たちは、確かに、
『悲しいことがあると開く』のには、最適な出来映えだったけどねぇ…。

【合唱版】卒業写真(YouTube)

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朝は、久しぶりに、以前お世話になっていた産婦人科に行った。
1年半ぶりだったが、現状では特に異常な所見はない、
とのことで、やれやれ、有り難いことだった(T_T)。
ただ、年齢的なものや、粘膜の萎縮傾向などから、
卵巣機能は、多分かなり落ちてきているだろう、とは言われた。
もう50歳近いので、それはごく当たり前のことだった。
特にはっきりとした更年期障害の自覚は、今のところ無いのだが、
私は常に不定愁訴の多い人間なので、どれが更年期由来の症状か、
自分でわかっていないだけかもしれなかった。
ともあれ、現状では名前のつくような病気は無いようで、良かった。

それから、バスセンターからバスに乗って佐伯区方面に向かい、
舅宅がお世話になっている町内会の会費を払いに、
今年度の班長さん宅まで行った。
舅宅は、もうずっと、ほとんど留守宅になっているのだが、
やはり長年、舅が良くして頂いた方々のいらっしゃる町内会だし、
家がある限りは、引き続き私達もお仲間に入れて頂きたいと思い、
今のところまだ、町内会からの退会はしていないのだ。
とは言え、こうして会費を払っているだけであって、
清掃やパトロールなどの活動には全く貢献できていないのだった。
「わざわざおいでて頂いて」
と、班長さんが労って下さり、こちらこそ申し訳なかった。

それから、またバスに乗って、舅姑の墓に寄った。
前回来てから9日目だと思ったが、花は結構まだ元気だった。
相変わらず、蜘蛛が見事な巣を作っていて、
花の上にも糸を張っていたので、私が花を取り替えたら、
彼らの邸宅が半壊になった(爆)。すまん。

そんなこんなで、さきほど帰宅した。疲れた(^_^;。
晩ご飯したくない(殴)。

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・金曜から大阪へ行っていた主人は昨夜遅くに戻り、
今朝はゆっくりするのかと思いきや、いつも通りに起床し、
柿と紅茶を朝御飯がわりにして、しばらくテレビを観ていた。
しかし、とにかく休日にじっとしていることができないタチなので、
やがてもそもそと着替えを始め、さきほど出かけて行った。
どこへ行ったのか、私にはよくわからないのだが、
多分、スポーツクラブに行き、市内の書店を冷やかし、
うどんでも食べて来るつもりなのではないか、と思われた。

・娘はきょうも模試があって、朝から出て行った。
よく知らないが、どこかの大学の校舎を借りてするような話だった。
先週は学校の模試があったのだが、今週は予備校の模試だそうだ。
よくもそんなに毎週毎週、模試があるもんだ。
「模試がホンマに科学的なもんなら、先週のワタシと今週のワタシ、
たいして学力が変わった筈はないから、同じような判定が出る筈やな」
と娘は変に挑戦的なことを言って、出かけた。

・主人も娘も、それぞれの用事でどこかへ行ったので(爆)
私は今のうちにと、ピアノの練習をした。
ここにはショパンのマズルカのことばかり書いているが、
ハノン第45番と、ツェルニー30番の第25番も、今週の課題なのだ。
何かどうも最近、長調でアルペジオづいている、わたし(汗)。
ピアノが終わったら、フランス語をせねば。
こういうことを、やろうと思えばやれる境遇のときが、
自分は、いちばん恵まれているのだと思う。しみじみ……。

・実家の母の話によると、父は昨日、日帰りで関西に行ったそうだ。
目的は、若かりし頃に務めていた某高校の同窓会で、
今回集まるのは、その高校の「第8回卒業生」とのことだった。
第8回というのは、戦後に新制高校になって8回目の卒業生という意味で、
昭和23年度に新制高校3年生だった人達が第1回卒業生とするならば、
ええと……、昭和30年度の卒業生が8回生??合ってます??
1955年度卒業とすると、その方々は2012年度の今、おいくつですか(^_^;。
70代半ばの「元・生徒」さんたちと、83歳の「元・先生」。
全員ひとまとめで「後期高齢者」だ(爆)。
ああ、かつては青春まっただなかの高校生たちと、
学校を出たての新採用教員として、同じ日々を過ごした間柄だった。
出会いの日も今も、 ♪誰が生徒か 先生か~(笑)状態。
めだかの学校(YouTube)

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(備忘録的、練習記録。10月26日現在)

弾けば弾くほど課題が出てきて、それは何より、
私自身が呆れるほどヘタだから、なのだが(泣)、
しかしヘタだヘタだと逡巡していたところで、
演奏がマシになるわけでは、全くないので、
とにかく練習と勉強あるのみ、とオノレに言い聞かせる毎日だ。
当面、『こう弾きたい』という方針の決まっている部分は、
まだ良いとして、それより問題なのは、
『駄目だということは明らかだが、どうしたら良いのかわからない』
と思う箇所のほうだ。

例えば、パデレフスキ版70小節目からの、
左手低音部での、テーマの再現のところが私には相当難しい。
左手に力強い旋律が来て、右手は軽やかな伴奏、
…ということは楽譜から読み取れるのだが、譜面の通りだと、
左右が似たような音型で右だけスタッカートがついており、
ここからは、ほぼペダルは使用しないことになっている。

スタッカートは本来、「音価が半分になる」という指示だから、
その通りなら、右手の音はどれも、左手の半分の長さのところで、
響きを止めなくてはならない?そして左手の音だけがその都度残る???
しかし、私の心の中で鳴っている音楽では、
少なくとも右手の音は、左手の音の半分というほど短いとは思えず、
もっとどれも寄り添っている感じだし、
ペダルも「あそこと、あそこでは、踏んでいる筈だ」という箇所がある。

私は、釈然としないまま、自分では少しも良いと思わない弾き方を、
「しかし楽譜の通りにはこうだから」という理由だけで、
不承不承、練習していたのだが、先日レッスンのときに先生から、
「そこだけ、なぜ突然ポロネーズみたいになるのか」
と指摘された(爆)。
稚拙なうえに喧しいスタッカートのせいで、
小節の終わりが毎回、タララッタッになっていたのだ(爆爆)。
やはり、自分が変だと思っている箇所は、
聴く人にとっても変テコなのだった(^_^;。

とりあえず、ここのスタッカートは「数量的に半分」ではない、
と先生から指導された。
そうか。「半分」の考えをまず捨てるべきだった。
あまりに原理主義的だったのだ私は。
むしろ、ここは音色を表現した記号と考えるのが良いようだった。
左手が豊かに歌うために、右手は軽やかに、かつ正確にリズムを刻むのだ。
そのためには、必ずしも右手の音がその都度「短く」なる必要は無いのだった。
そのうえで、左手の要所要所に明確についているアクセントを、
きちんと活かさなくてはならない、ということも指導された。
右手を軽くしようとして釣られて、左手の意味のある音まで、
変に弱まってしまい(それは技術的な問題)、ちゃんと歌えていなかった。

レッスンのあと私は、近所の大型書店に行って、コルトーの楽譜を見た。
パデレフスキ先生のご見解は、夏以来、集中的に伺ったので、
このあたりで、コルトー教授がなんと仰っているか、
一度、覗いてみたくなったのだ。
……のっけから、ビビった。
コルトー先生のは、私の今回の問題の箇所以前に、まず、
冒頭の主題のところに、すべて指番号が振ってあり、
それはパデレフスキとは違い、『親指を使わない運指』になっていたのだ。
な、なるほど、そうすると旋律的にまろやかな響きになるだろう。
親指は、ほかの指とは打鍵の角度が異なるので、
旋律の途中でこれを使うかどうかで、響きは確かに違って来る。
2~5の指だけでなんとかする、というのは全然考えたことがなかった。
畏れ入りました<(_ _)>。

それから、コルトー版では、和音や声部の取り方に関して、
パデレフスキ版とは左右の手の割り振りの違う弾き方が出ていた。
こういうことは、動画で見る限りバレンボイムなんかがお得意で、
右手で全部押さえる和音だと楽譜からは思われる箇所を、
「その音を左手親指で取るか(^_^;」
というような自由な割り当てにして弾くことが多いが、
確かに専門家のレベルになれば、出てくる音だけが大事なのだから、
最も演奏効果の上がる指を使えば良いということなのだ。

逆にコルトー版では、私が今回困っていた、70小節目からの、
左手の旋律部分には、ほとんど指番号の指定が無かった。
パデレフスキ版のほうでも、別に細かい指定はされていない部分だが、
私にとっては、パデレフスキの書いた左2番の指の使い方が難しく、
そのせいで装飾音も綺麗に決まらず、ずっと困っていたので、
ここは柔軟に考えることを支持された気がして、自信がついた(^_^;。
このテーマ再現部分と、このあとの終結部とは、コルトーによれば、
『後悔がまだ入り込んでいない幸福の壊れやすい思い出だけを
コーダの前に残そうとしている』と考えられるそうだ。

その他、パデレフスキ版とは音の違う箇所がひとつあり、
四声で和音が進行する箇所では、パデレフスキ版にないタイが
コルトー版にはついていたりもした。

本屋で目を皿のようにして読みふけった挙げ句、
私はコルトー版とは別れられない気がして、これを買うことにした。
何もかもこの通りに弾こう、というのではないが、
コルトー先生はたくさんのことをお話して下さるので、
もっと読ませて頂きたくなったのだ。
ヘンレの原典版みたいに高価だったら、それでも迷ったと思うが、
有り難いことに、この和訳版はマズルカに関しては三分冊になっており、
私の弾いている作品59は、第三巻の冒頭に出ていた。
2007年版、訳は八田惇氏で、2500円だった(^_^;。

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再来年の今月今夜、十年のちの今月今夜

このブログの「編集画面」のページには、なかほどに、
『あの年の今頃、何してた?』
という、フォトアルバム作成を促す表示があるのだが(笑)、そこに今朝は、
『あなたが、2005年10月23日〜2005年10月29日にアップロードした写真です』
とあり、2005年ポゴレリチ来日公演時の、サントリーホールのステージと、
終演後、楽屋口に並んで待っているお客さんたちの、二枚の写真が出ていた。

今でも忘れないのだが、私の道楽人生の中でも、
あれほど幸せだった日は、他にそうそう無かった。
もはや聴けないかもしれないとさえ思っていた、ポゴレリチの演奏を、
現実に再び聴けたことは、当時の私にとって奇跡にも等しかった。
そして今年の来日公演では更に、2005年当時には予想することもできなかった、
破格に素晴らしい演奏を、ポゴレリチから聴かせて貰うことが出来た。
こうして見ると、私のファン・ライフ、なかなか悪くないではないか(笑)。


コラボレビュー、三場を開演致します

先日、娘の観ていた日本TV『嵐にしやがれ!』に、
凰稀かなめ率いる宝塚宙組男役たちが出ていた。
例によって私は、最初から最後まで観たわけではないのだが、
私服の(しかし完全オフではない!)男役たちの雰囲気は独特で、
彼女たちの「芸」のエッセンスを披露するには、実に良い企画だった。
私にとって宝塚の魅力は、あの様式美が醸し出す独自の世界にある。
現実の格好いい男性(例えば嵐のメンバーのような(^^))と、
宝塚でいう「格好いい」男役は、存在している次元が全然違っていて、
後者は徹底的な虚構であり、芸によって磨き上げられ実現したものなのだ。

「宝塚ファンのヒトって、舞台観てるのに芝居の筋を覚えてない、
ってことがあるんか?」
と主人は、『ZUCCA×ZUCA』で読んだ逸話をもとに私に訊いてきたが、
少なくとも私に関しては、それは大いにYes!だ(笑)。
特に贔屓がいるときには、筋の展開など話のマクラ以上のものではなく、
それより贔屓の良いところをちゃんと逃さず書いてくれているかどうか、
が初見のときの、何より重要な鑑賞ポイントだ
(そういえば昔、通い倒して20回は繰り返して同じ舞台を観たのに、
後になったら話をなんも覚えてなかった、ということがあった・爆)。
一般の演劇の舞台で、男の役者さんが演っても良いようなものは、
私はわざわざ宝塚で観る価値があるとは思っていない。
それより、宝塚の男役×娘役でないと決して出来ない
あの独自の世界をピタリと書いてくれていることが重要で、
それは、ドラマとして秀逸であるかどうかとは、全く別の問題なのだ。
そこさえ押さえられていれば、その脚本・演出は私にとっては完璧OKだ。
どんだけ話がブっ飛んでいても、強引な大団円でも(爆)。

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フランス語を頑張る、という話を昨日書いたのだが、
私は実は今、早速、早くもっっ、壁にぶち当たっている。
それは、……ノートが無い、のだorz。

四十代も半ばになって語学を再開して以来、
私はずっと、A6版の小さいノートに、
自分にとっての新しい単語や、覚えにくい例文などを
書き出して、日常携帯して、暗記するようにしてきた。
ノートは、かつて今治で極零細学習塾を経営していた頃に、
某100円ショップで、確か3冊100円でまとめ買いしたもので、
当初は教室の諸々の記録用だったのだが、
廃業してからも、結構何冊も未使用のまま残っていたので、
近年、検定試験などがあったときに、少しずつ消費してきた。
やり方は、1ページを自分で横に四段に区切り、
更に真ん中にタテ線を引いて左右に分け、
左側が外国語、右側が和訳、と対照させて
覚えたいことを書き込むという方法だった。

それが、このほどついに最後の一冊に差し掛かったので、
さすがに新しいノートを用意するときが来たかと、
多少なりとも感慨深く思いながら、昨日、某100円ショップに出かけた。
似たようなものを新しく仕入れて来れば良いだけだと
最初は本当に軽く考えていた。
それが、店に行ってみてわかったのだが、
案外、難しいことだったのだ(汗)。

まず、私が求めていたのは糸綴じのノートだったのだが、
今時はこういう小型のもので、糸綴じは案外少なくて、
無線綴製本というのか、接着剤で固めたタイプが大半だったのだ。
何も悪いことはないではないか、と普通の方はお思いでしょうが、
気難しい私は、左側のページに書き込むときに、
ノートの背の部分が固められていると、段差になって右手に当たり、
とても字が書きにくいので、昔から無線綴が嫌いなのだ。

そして、もとのノートに関して私はずっと、
深い考えもなく1ページの行数を四等分して使ってきたのだが、
それは、言うまでもなく1ページにある行の数が、
きれいに四で割れた(20行だった)から、できたことだった。
店頭で見てみると、意外とそのようになっていなくて、
21行とか17行とか、なんだか最後に1行余る(爆)ものが多かった。

100円ショップだからいかんのか、と考え直して、
普通の文具店や大型書店、東急ハ○ズにも行ってみたが、
状況は同じだった。
世の中、なんでも金で解決できると思ったら間違いなのだ。
某店にだけ、たったひとつ糸綴製本でA6という、
奇跡のようなシロモノがあったのだが、
な、なんとこいつは、52枚綴りで、えらく分厚かったorz。
こんな太って重いヤツは要らんのだ、30枚くらいで十分なんだっ。

A6版・糸綴じ・32枚・B罫で1ページ20行。
私がこれまでなんの有り難みもなく使い続けてきたノートは、
これだけの理想的な(→私にとっての)条件を備えた、
奇跡のようなノートだったということが、昨日、発覚した。
こういうものは、おいそれとは売っていなかったのだ。
そうか、それならこれまで使っていたノートのメーカーに、
インターネットで問い合わせて、注文すればいいではないか、
と私はいつしか、たかがノート相手に燃え上がっていた。
落ち着いて考えれば、適当に妥協すれば済む程度のことなのに、
ここまで来たら、退かぬ!媚びぬ!省みぬ!の心境だった。

それで改めて、愛用のノートを裏返し、
どこのメーカーのものだったのかと、確かめてみた。
答えは、……「ダ○ソー」。
そうか、……100円ショップ自らが作っていたノートだったのか……。
もとのを買ったのは、10年くらい前のことだったが、
果たして、今でも製造されているのだろうか?
ちょっと検索してみたところ、通称ダイスキンと呼ばれる、
モレスキン(イタリアのブランド手帳)もどきのブツが製造中止になる?
という記事はいくつか見つかったのだが、
私のように、糸綴じ20行32枚に拘泥している人は居なかった。
いずれにしても、100円ショップの3冊100円のノートをネットでお取り寄せ、
って、可能だとしても、やっぱりさすがになんか間違ってるよね(^_^;。

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今月後半から、英語も中国語も脇においといて、
とりあえずしばらく、フランス語に集中してみることにした。
自分のフランス語が、あまりにも長い間、多分この数年間ずっと、
同じところで停滞しているので、ちょっと考え直すことにしたのだ。
別に仕事関係でも何でもないし、渡仏予定なんかも全くないから、
フランス語なんか今、出来るようにならなくても一向に構わないのだが、
いくら趣味でも、進歩の無いウダウダ状態に自己嫌悪を覚えたので、
この不快感をこのあたりで一掃したくなったのだ。
心境としては、例えば、長らくひどく散らかったままだった部屋に、
あるとき突然キレて、ワーっと掃除を始めるような感じだ。

文法としては、接続法現在を普通に使うところまでは来ているのに、
モノによったら不規則動詞の直説法現在の活用でさえ大嘘で、
あれ?この動詞、一人称複数のときってどうだっけ?
みたいなことが、ラジオ講座を聴いていても日常結構ある(汗)。
清岡智比古先生が、「フランス語の動詞の9割はer動詞」と仰っていて、
確かに語彙全体を見渡すならば、数としてそれは正しいのだろうけれど、
反面、よく出会う動詞に限っては、結構多くのものが不規則動詞だ。
別に、学習用テキストが意地悪をしているわけではなくて(^_^;。

実のところ、これはほかの言語でも道理なのであって、
皆がしょっちゅう使うものは、触れられ過ぎ、使い崩されるというか、
類型からは外れた、独自の活用形を持つようになるものなのだ。
英語だって、be、do、have、go、give、getなど、日常使うものほど、
どれも-edを付けて済むような活用では済まされない。
フランス語も事情は同じで、テキストで出会う程度の語彙は、
普段の語であるがゆえに、かえって不規則活用の動詞が多いのだ。

また、私の場合、どうしても英語に頼ったフランス語になっているので、
語彙としては、読み方も意味もわかっているつもりでも、
綴ってみたら、語尾やアクサン記号がデタラメ、というのが多い。
ラジオ講座主体の勉強をしているのも良し悪しで、
ただ眺めているだけでもその日の放送分はこなせてしまうので、
書くことがおろそかになり、定着率が悪いまま、流れているような気がする。
ちゃんとテキストには書くための問題も用意されているのだが、
放送がない箇所は、ついつい、後回しになり、結局やらない、
という悪循環に陥ってしまっている。

Listen more, speak less.
Read more, write less.

というのは語学学習の基礎的な姿勢として、
故・松本亨先生が(英語に関して)かつて仰っていたことで、
私も基本的にはその考えでいつもやっているし、
NHKのラジオ講座も、概ねこの路線に沿ったものが多いと感じるのだが、
今の私は、作文以前に単語を書くことについてデタラメ過ぎる。
ここを直視して、シンドくてもちゃんと埋めていかないと、
何年やっていても、なんちゃってフランス語の域を出ることができない。

……いやまあ、その、強いて言えば、この秋冬からはちょっと、
ポゴレリチのフランス公演が重なるので(^_^;、
その関係の記事や書込が、これまでより楽に読めるようになるといいな、
という消極的な願望も、今だからこそ、ある(^_^;。
このあとポゴレリチは、11月にボルドー、12月と3月にパリ、
それに4月にはベルギーのブリュッセルでの公演もあって、
フランス語圏での演奏活動が割と続いているのだ。
私はどれも、現地までは行くことなど望めないが、
せめて地球の反対側で、フランス語だけでも共有しようかと。
……そうでも思わんと、目標だけ掲げてもすぐ挫折するだろうし(T_T)。

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昨日の夕食後、主人がテレビでスケート・アメリカを観ていた。
このヒトは私などとは全く違ってなかなかマメで、
セ・リーグのファイナルステージを見守る傍ら、
ちゃんとフィギュアスケートのチェックも欠かさないのだ。
私が辛うじて世の中の話題について来ることができているのは、
もしかしたら、主人や娘の観るテレビを、日々、
横から一瞬だけでも覗き観している御蔭かもしれないな(^_^;。

番組は、現地時間では既に終了した男子FSの録画をやっていて、
ネットのニュースでもとっくに、小塚・羽生・町田と日本勢三人が
表彰台独占という結果になったことを読んでいたので、
私はメダルの行方を見守るという心境では、もうなかった。
主人にしても、それぞれの選手がどういう演技をしたかを、
野球放送と、適宜、入れ替わりで観ようとしていただけだった。

画面には、地元アメリカのジェレミー・アボットが映っていた。
「ブタだって空を飛べる」が座右の銘(^_^;のアボット。
ムードのある綺麗な選手で、しかも演技力のあるタイプなので
(という程度のことは私の印象にもある。彼は競技歴が結構長いので)、
私は以前からこの人が嫌いではなかった。
今大会、前日SPの順位では3位につけていた。

この日のFSは、とても劇的な構成のプログラムのように思われたのだが、
残念なことに、アボットはトリプルアクセルで転倒したあと、
ジャンプの失敗が続き、最終的には痛々しい演技内容になってしまった。
シーズン最初で、調子を上げていくのはこれからだとは思うが、
今季はジャンプを特に念入りにトレーニングして来たと、
解説でも言っていたのに、ここではそれが報われず、
ご本人にとっても大変悔しい結果だったことだろう。

演技を終え、自分を支えつつ、客席からの声援になんとか答えたあと、
深い落胆の表情で戻って来たアボットを、コーチの佐藤有香が迎えた。
ふたりは沈痛な面持ちで、静かに抱擁しあった。
選手の落胆は、すなわちコーチの落胆でもあるのだ。
私は選手時代の佐藤有香のこともよく覚えているので、
あの美しいステップワークを披露していた佐藤家のお嬢さんが、
今やコーチとして後進の育成にあたっているとは、
と、……親戚でもないのに(爆)変な感慨にふけっていた。

しかし主人は、全然別のことを言った。

 転夫「ピシっ!て、選手の横っ面、はったらええのに」
 転妻「この状況で叱るの?敢えて?」
 転夫「そうそう」
 転妻「カメラの前でか」
 転夫「ほいで言うんよ、『恥を知りなさい!』」
 転妻「『今まで何をして来たの!?』」
 転夫「『私の指導を受ける資格はないわ!』」
 転妻「……(^_^;」
 転夫「佐藤有香、ものすご人気出ると思うけど(^^)」

どんな人気や

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かつてNTTの電話を解約して以来、我が家はめでたく、
フレッツ光プレミアムの宣伝からは解放されたのだが、
某ケーブルプラス電話に変えただけなので、
家電そのものは今でもあるし、電話番号も生きている。
それで最近は、フレッツ某ほどではないが、銀行と保険会社関係が、
さかんに勧誘電話らしきものをして来るようになった。

数社あるのだが、パターンは完全に同じで、
「転夫さんいらっしゃいますか」
と主人の名を出し、不在だと答えると、
「急ぎのご案内ではありませんので、それではまた連絡致します」
と言って、電話は終わる。
二往復で確実に会話が終了するのと、同じ週に二度はかけてこないのとが、
フレッツ某よりは、まだしも好印象であるので、
今のところ、私はこの人達に対して怒ったことはない。
どうせ彼らだって、仕事だから仕方なく方々に電話をしているだけなのだ。

彼らは、平日週末問わず、昼前後の明るい時間帯にかけて来ることが多い。
主人は、平日の昼は仕事に行っているし、
週末も体調に問題のない限りはほとんど外で過ごす人なので、
そんな時間にかけてきてもほぼ絶対に捕まらないのだが、
先方はあまり気にしていないようで、
「いつならご在宅ですか」
などと、訊いて来たこともない。
確実に宣伝を果たしたかどうかでなく、単に電話を鳴らした本数で
出来高制みたいな給与体系になっているのだろうか。

現在の私は、電話というものが結構嫌いで(テレビほどではないが)
長電話をする趣味も全く持っていない。
若い頃は、電話はだいたい、心躍る知らせをもたらす道具だったので、
友人と深夜の長電話を大いに楽しんだ時代もあったのだが、
近年のある時期から、電話で来る話と言えば、身内や知人の誰彼の
「容態急変」「危篤」「呼吸停止」が相次ぐにようになってしまい
(同じ人の身の上にこういう緊急事態が繰り返し起こったこともあり)、
幾度も心臓凍る思いをさせられた挙げ句、今では電話が鳴るだけで、
「今度は、誰が死んだの!?」
と反射的に思うようになってしまった(爆爆)。どうしてくれるんだ。

そのかわり、今は、良いものの大半はメールで来るようになった。
だいたい、メールは一刻を争う知らせでないことがほとんどだから、
のどかで微笑ましい話や、チケットのお知らせなど道楽系が多いのだ。
私は携帯電話が鳴るのも嫌いだが、メールの着信音だけは嫌っていない。
深夜とか体調不良のときは、着信音を切ることも気軽に出来るし、
時間差で読んだり返信したりが、ある程度の幅で許されるのも、
メールの優しいところとして、今の私には好ましく思われる。

私の実家の近所に、70歳代の未亡人の女性が一人暮らしをしているのだが、
彼女はいつぞや畑仕事をしながら、
「私はこのごろは、電話が鳴っても、一切、出んことにしとる」
と言っていた。
理由は、電話はロクなことを言って来ないからだそうだ。
何かを買えとか、金送れとか、票をくれとか、人が死んだとか。
もう、どの話も聞きたくないし、知る必要もなくなったと思っている、
と彼女は言った。
そのために被る不利益など、大した問題ではないということだった。

私は自分の実感に照らしても、彼女の言うことには一理あると思うし、
仮に私がもっと高齢になって、社会生活が今より消極的なものになったら、
そもそも電話には応答しない、という対処法もアリかな、と思っている。
しかし、電話は基本的に取らない、というほど思い切っていても、
彼女がなおも電話を解約しないのは、どうしてなのだろうと思うのだが、
それはやはり、自分からは、かける必要があるからなのだろうな(^_^;。

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