転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は台風17号が沖縄を直撃し、これが記録的な風の強さで、
ニュースでは、乗用車が引っ繰り返っているところが出ていた
(それがまた、物凄い痛車だった・爆)。
台風は更に本州に来るという予報だったので、昨夜は警戒したが、
結局、夕方になっても雨など降らず風もなく、
夜半から今朝にかけてはさすがに降ったが、それも今はおさまりつつある。
被害がなくて本当に有り難いことなのだが、
昨日は私は、某所でテルミンの演奏を聴こうと計画していたのに、
「大雨になる!これからひどい天気になる!」
と転夫ころもんが反対したので断念し、結果的には損してしまった(--#)。


広島のCS完全消滅 マエケン「悔しさしかない」(産経新聞)

今年のカープは良いところまで行きながらも、
最後はやはり、いつもと同じ結果になった。
直接には、打撃が駄目過ぎたのが敗因だろう。
シーズン前半は、それでも誰か彼か調子の良い人がいたから、
なんとか貯金しつつ繋いで来ることができたが、
終盤になって誰ひとり打てなくなり、以後は、いくら投手が善戦しても、
点が全く入らないのだから勝ちようがない、という状態になった。
昨日の試合だって、2失点なんて先発投手としては別に悪くなかったのに、
ヒット自体が出ないから得点もゼロで、最後まで勝負にならなかった。
先制された時点でほぼ駄目、2点取られたら絶望、
毎回そんな条件で投げる投手のプレッシャーが、どれほど大きいか。

しかし、問題はそういう目先のことよりも、
15年連続Bクラス』のほうではないか。
私自身は、熱狂的なカープファンだったことは一度もないが、
初優勝からカープの黄金時代に至る時期を知っている市民ではあるので、
この15年のテイタラクは残念としか言い様がないし、
やはりいい加減、「心が折れる」ものを感じる。
通うことが自己実現になるほど熱心なファンではないからこそ、思うのだが、
一度くらい、マシなシーズンを経験したいワケですよ、地元民として。
悪い年もあるさ、という次元でなく、15年間一度も良い思いをしていない。
リーグ優勝なんて91年が最後だから、既に20年以上前なわけで、
若い世代は誰も、カープが強かった時代を記憶していない。
この際、一足飛びに優勝とは言わなくても、せめてAクラスに入って、
笑顔でシーズンを終わる経験を、いっぺんくらいしてみたいと思うのだが、
それって、そんなに欲張りで分不相応なことかね(--#)。

ハッキリ言って、オーナーとかフロントの問題なのではないのか?
私は球団経営などやったことがないから、想像でモノを言うほかないが、
これだけ負けが続くのは、単に「運が・時代が悪かった」ではないと感じるし、
監督や選手だって、この15年の間には入れ替わっているのだから、
彼らのせいにして済む話でもないと思う。
それより、15年間、同じことをして来たのは誰か、という話ではないの?
仮に、どの監督もどの選手も、皆、実力がない(なかった)のだとしても、
15年間もそれが続くというのは、そういう人ばかりを雇い続けている側に、
そもそも問題があると考えるべきではないだろうか。
勝負ごとなのだから、戦績に反映されない努力ばかりしても話にならないだろう。
少ない予算で明らかな好成績を上げているなら、誇るに足ることだが、
しみったれた成績で、やることは貧乏自慢だけなんて、私は恥だと思う。
それでいて球団経営そのものは、いつでも黒字って、一体……。

これは私の感触では、宝塚歌劇団の現状と大変よく似ている。
劇団の方針、経営のあり方には、ファンとして物凄く言いたいことがある。
不満はもう何年にも渡って蓄積しており、それを劇団に知って貰うためには、
劇場に行かない・グッズも買わない、
という行動が必要なのではないか、と、最近は常に心のどこかで考えている。
これは私だけではなく、ファンが集まると、近年は大抵そういう話になるし、
ネットで検索すれば、いくらでもそのテの話題は見つかる。
しかしこのような意思表示をする者の人数が、本当に増えたなら、
経営者より先に、生徒さん(出演者)を苦しめることになるから、
ファンであればこそ、やはりなかなか出来ないことなのだ。
結局、どれほど演しものに不満であろうとも、劇団人事に納得できなくても、
ファンは劇場に出向き、DVDを買い、表面的には心が離れたように見えず、
経営方針も改まることが無い(ように思われる)。

実際にプレー(出演)している選手(生徒さん)の努力がわかるから、
彼らへの気持ちが、辛うじて観客の足を球場(劇場)に向かわせているのだ。
経営の本当の難しさなど、素人である観客は理解していないし、
また本来、理解する必要もないだろう。
そのようなことは、試合(舞台)の成果が上がってさえいれば、
観客の目には普通、入らないし、入っても最後まで無視できることなのだ。
要は、勝てない(面白くない)ことが、あまりにも続き過ぎるから、
しまいに不満が、選手(出演者)でなく経営陣のほうに向かうようになるのだ。
「(たまには・爆)いいもんが、観たい」
というのはファンとして素朴な願いだし、究極的な希望でもある。
ファンは我が儘で、わかっていないくせに得手勝手なことを言うものだが、
しかし、最終的には、そんなファンのひとりひとりが、
日々のチケットを買って通ってくれるからこそ、経営が成り立つのだ。
ファンが集まると、選手(出演者)への不満よりもまず、
経営陣への怨嗟を口にするようでは、相当、将来が暗いと私は思うよ(逃)。

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昨夜、NHKスペシャルで草間彌生を特集していた。
いつものように私はテレビを観る気など無かったのだが、
放送が終わった途端、私がゴロ寝している和室に主人が来て、
草間彌生を熱く語り、録画もしてあるというので、
それからやおら起きて、主人の部屋に行って、観た。
なるほど、草間彌生の凄まじさを描いた、強烈な番組だった(汗)。

水玉の女王 草間彌生の全力疾走(NHKスペシャル)
『派手な水玉の服にピンクのカツラがトレードマークの前衛芸術家・草間彌生83歳。最近のオークションでは、現役女性アーティストとして世界最高の6億近い値がつくなど、いまや世界的名声を誇る随一の日本人芸術家だ。』『今年は、草間にとっていまだかつてなく多忙な年。ロンドンの美術の殿堂テイト・モダンでは、アジア人としては初の個展が開催され、フランス、ニューヨークへと巡回。また高級ファッションブランド、ルイ・ヴィトンとのコラボで、5大陸450店舗で草間の水玉をあしらった商品が展開。店頭にはハリウッド製の草間等身大人形も登場している。』『世界中でフラッシュを浴び続ける83歳。その脚光の影で、己の抱える病と闘いながら地道で精力的な制作活動を続ける彼女の全力疾走をカメラが追う。<ナレーター>吹石一恵さん』

草間彌生については、以前この日記でも書いたが、
ここ数年、凄い勢いで彼女が世界で注目されるようになってきた、
という印象が、私にはあった。
以前から有名な人ではあったが、最近、特に欧米での彼女の評価が、
これまでにもまして急激に高まり、不動のものになったと思うのだ。

番組では、展覧会やイベント等の華やかな場面だけでなく、
制作の現場や、彼女の日常が描かれていた。
巨万の富を得ている彼女は、四十代から精神科に入院していて、
治療を受けながら、近くのアトリエで絵画制作を続けている。
彼女の関心は、一般的な意味での享楽的生活のほうには向かっていないが、
決して、無欲で神とだけ対話しているような、浮き世離れした芸術家、
というのでもない。
ビジネスにおいての彼女は、貪欲で自己評価が高く、かつ現実的だ。
『ものを売っているだけではだめで、精神を売らなければいけない』。

『歴史に名を残しますねと人は言うけど、
私は、ピカソもウォーホールも超えて世界一になりたい、
まだまだ、これからだ』
……と、バイタリティあふれる草間氏は、言った。
彼女は、自分の気に入った作品は手放そうとせず、
傑作と思うものばかりを展示した美術館を建設しようと計画中だ。

年齢相応に、体が痛んだり目眩がしたり、長くは歩けなかったり、
日常生活には不自由もあるのに、いざ絵を描くとなると、
途端に輝く生気が全身に漲り、草間彌生は別人になる。
今回のロンドンでの個展のため、彼女は100枚描いた。
それも、かなりの号数の作品で、全身で制作する大作ばかりだった。
『1000枚でも、2000枚でも、死ぬまで描き続ける』。

欧米では、現代美術がわかるということが教養の証とされているようだが、
正直に言って、私には草間彌生の作品は良さがわからない。
極端に個性的なものは感じるが、しみじみと感じ入るのは無理だし、
ああした作品を家に飾りたいという心境にも、なったことがない。
私の感覚では、彼女のアートは到底理解できないのだ。
しかし昨今の欧米での評価を見ると、時代がようやく、
草間彌生に追いついてきたのだ、ということは私にも感じられる。
少し前まで、奇異な前衛と見なされていた(だろう)彼女の芸術的試みに、
今や、世界の超一流の芸術家や実業家が注目しているのだ。

彼女は長らく、精神を病んでいるが、自己コントロールにも長けていて、
自殺をしてしまわないために入院生活を選択し、また番組の中でも、
『今、死にたい気持ちになっている』
と助けを求めてスタッフの集まっている部屋に自分から来る場面があった。
強靱なほどの肉体に恵まれ、飽くことのない創作意欲を持ちながらも、
彼女の人生は、執拗な自殺願望との闘いなのだ。
『絵がなかったら、とっくに死んでいた』
とも彼女は語っていた。
癌に関する本を読み、体調が悪いと『脳梗塞では』と怖がったりするが、
同時に、彼女は常に自殺の誘惑を感じ、死にたがってもいる。
彼女にとって自殺は、激しい自己愛と表裏一体なのかもしれない。

それにしても、草間彌生への、
日本の画壇からの評価はどうなっているのだろう。
今や草間彌生は、現代日本最高の芸術家だと言わざるを得ない。
それどころか、ロンドンのテイト・モダンで個展を開くなど、
アジア全体でも、間違いなく史上最強の評価を得たアーティストだろう。
しかしそれでもなお彼女は、例えば日本芸術院などに、
迎え入れられることは無いのではないか。
形骸化した名誉など、現代芸術には相容れないものかもしれないが、
そうかと言って、かわりに何が、
彼女の偉業を公的に讃え、記録してくれるだろうか。
これほど偉大で巨大な存在となったアーティストに対して、
日本の美術界には、それに報いるほどの評価の方法も、
相応しい受け入れ場所も、未だに出来ていないのではないだろうか。
画面をどこまでも埋め尽くした強い色彩のドットを眺めながら、
私は改めて、彼女の破天荒な人生と、作品の行方のことを、思った。


追記:この番組は、10月3日(水)の深夜(4日・木曜午前)1:25から
 再放送の予定があるそうだ。お見逃しになった方は、どうぞ。

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先日、「りぼん」の思い出を書いたら、熱く反応して下さった方が、
何人かいらっしゃった(ありがとうございます<(_ _)>!)。
やはり皆様それぞれに、どのような漫画を読んで育ったかには、
時代感覚や趣味や、家庭環境・交友関係が反映されており、
その途上では、『今日の私をつくってくれた』と言えるくらいの、
重要な作品に、大半の人がどこかで出会ってきたということだと思う。

「りぼん」以外にも、昔から漫画雑誌は様々あったので、
私自身、ほかにも忘れられない作品がまだたくさんあるのだが、
特に自分が小学生だった1970年代には、娯楽が少なく、
漫画そのものもなかなか買って貰えなかったから、
当時出会った作品については、今もひときわ強烈な印象が残っている。
友達から借りたり店頭で立ち読みしたりしたものが多く、
それらは自分のものにならないことが最初からわかっていたため、
記憶に刻みつけておく以外になく、それこそ一期一会の思いで、
必死に読んでいたのだろうと思う。

「週刊マーガレット」の池田理代子『ベルサイユのばら』(1972年)と
山本鈴美香『エースをねらえ!』(1973年)は、前回も書いた通り、
八百屋さん店頭での立ち読みで必死に追いかけていた二大連載で、
そのほか、「花とゆめ」の美内すずえ『ガラスの仮面』(1975年)も、
月に数回、町の医者にアレルギー治療のために通院していた小学生の頃、
そのバス停近くのスーパーに駆け込んで、大急ぎで立ち読みしていた(殴)
のが、今となっては忘れられない思い出となっている。
のちに自分の娘が当時の私の年齢を遥かに超えるようになっても、
まだ「ガラかめ」の連載が続いていようとは、
昭和50年代初頭には、全く想像したこともなかった(^_^;。

そのほかにも、あの頃、自分では買うことができずに、
立ち読みしたり、友人所有のものを見せて貰って、なんとか読み続けていた、
という事情のために、その後長い間忘れられなかった漫画がいくつもある。
例えば、1970年代に限定するならば、以下のような作品だ
(掲載年・掲載誌は雑誌連載初出時)。

里中満智子『あした輝く』(1972年)週刊少女フレンド
上原きみこ『天使のセレナーデ』(1972年)週刊少女コミック
山岸凉子『アラベスク第2部』(1974年)花とゆめ
竹宮恵子・増山のりえ『ヴィレンツ物語』(1974年)花とゆめ
大和和紀『はいからさんが通る』(1975年)週刊少女フレンド
萩尾望都『11人いる!』(1975年)別冊少女コミック
青池保子『イブの息子たち』(1975年)月刊プリンセス
いがらしゆみこ・水木杏子『キャンディ・キャンディ』(1975年)なかよし
青池保子『エロイカより愛をこめて』(1976年)別冊ビバプリンセス
有吉京子『SWAN』(1976年)週刊マーガレット
槇村さとる『愛のアランフェス』(1978年)別冊マーガレット
亜月 裕『伊賀野カバ丸』(1979年)別冊マーガレット

ひとつひとつについて、どの店で立ち読みしたのが馴れ初めだったとか、
どこそこに住んでいた友人○○さんから借りて毎号読んでいた、とか、
いつの連休のときにお父さんに買って貰った、等々、今も克明に覚えているし、
どういう友人たちとどの作品を話題にし、なんと言って笑っていたか、
どのギャグでふざけあっていたか、なども、ちゃんと記憶に残っている。
友人の家に遊びに行くと、どこの家にも大抵、我が家にない漫画があって、
ついつい読みふけってしまい、お母さんたちに、
「せっかく遊びに来とるのに、漫画読みよるんね。遊ばんのんね」
と呆れられたりしたことが幾度かあったが(汗)、
だってねぇ、友人とは学校でも毎日会えるけども、
漫画はその家に来たときでないと、読めなかったのだものね(^_^;。

こうした作品の多くは、18歳以降に一人暮らしを始めてから、
徐々に買い直したり集めたりしたので、今も手元に持っているものが多い。
50歳近くなった現在の私が読み返しても、面白いものもあるし、
「今ならコレは無いよな~(^_^;」
と思う場面を抱えているものもあるが、
それらも含めて、どれも大切な思い出であることには変わりはない。
その後は、私が老化したせいか、
それとも少女漫画の傾向自体が変わってしまったということなのか、
こうして一生手元に置きたいほどの作品に巡り会うことは、
もう、ほとんど無くなってしまったように思う。
皆無であるとは言わないけれども……。
もしかしたら、昔と違って、本屋と小遣いに不自由しなくなり、
私自身がハングリーでなくなったのが最大の理由かしらん。

そういえば、どうなんだろう、
娘の場合でも、少女時代に愛読した作品を、
やはり将来、こんなふうに思い返すようになるのだろうか。
私は自分がもっと漫画雑誌を買って欲しかったという記憶があったので、
娘が小さい頃、「読みたい雑誌があれば買ってあげよう」と言ったのだが、
小学生だった彼女は、なんと、すげなく「要らん」と返答した。
理由は、「読まん漫画まで載っとるから、無駄」。
嗚呼。
僥倖みたいに買って貰えた漫画雑誌を、折り目もつけないように扱い、
すみからすみまで繰り返し繰り返し読んだ私とは、なんという違いなのか!
そして彼女は、主人の買って来る「少年ジャンプ」「少年サンデー」で育ち、
たまに自分で選ぶものはと言えば、「月刊Gファンタジー」なのだった。

今、娘の本棚には、コミックスや文庫本で、
津山ちなみ『HIGH SCORE』(1995年)
杉本ペロ『ダイナマ伊藤』(1999年)
葉鳥ビスコ『桜蘭高校ホスト部』(2002年)
ぺんたぶ『腐女子彼女。』(2006年)
などが、並んでいる(^_^;。

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思えば、7月から譜読みを始めたのだった。
ショパンのマズルカ作品59-2。

素人オバさんの趣味のピアノなので、期限も何も無く、
極端な話、シヌまで練習していてもいっこうに構わないのだが、
とりあえず、師走の会で弾きたい、という目標は設定している。

夏からやっているので、もう、音だけは覚えた。
ゆっくりなら、違う鍵盤を触らずに最後まで弾くことは可能だ。
しかし、イン・テンポと言える速さにまで持って行くと、
今のところミスタッチが必ず出るし、ペダルも間違える。

そうなのだ、この曲は、手はそんなに速くないのだが
さりげないようでいて和声が複雑だし、ペダルも結構、難所続きなのだ。
ペダルの深さやタイミングを、今回はこれまでになく細かく、
自分なりに設定して弾いているので(←飽くまで自分比である)、
手と足の両方を間違えないで、テンポを保って弾くことは、
今の私には大変に難しい、……いや、正直に言おう、ほぼ不可能だ(爆)。

それでも、前半2ページ(パデレフスキ版。44小節目まで)については、
きょうの午後、我ながらペダルの解決をひとつ見出したので、
これまでより一歩前進した気が、今はしている。
解決を見出した、と言っても、理論があるわけではなくて、
弾いているときに偶然試みたことが、
「あら、今の、なんだかちょっとイイ響き♪」
だったので、それを採用することにした、というだけなのだが(殴)。

この曲は、全体どこを見ても、4小節がひとまとまりで、
それが変奏曲のように、少しずつ展開しながら移り変わって行くのだが、
前半(~44小節目)と後半(45小節目~)では、
元になる旋律も曲想も、かなり変わってしまう。
前半はワルツ風の長調で、鼻歌でも楽しめる(!)のだが、
後半に移ると、沈みがちになり、やがて不思議な半音階が交錯して、
一瞬だけ前半のワルツ風が蘇りつつも、これが解決しないまま、
もっと複雑な半音階が交錯するフレーズに繋がって、あとはもう後奏だ。

勿論、そこはショパンなので、こんな小品にも念入りが仕掛けがしてあり、
曲想が沈んだとしても、吸引力が落ちるというものではない。
いや、弾き手が悪いので、たいくつになる可能性は非常に高いのだが(汗)。
例えば、内声で前振りのようにさりげなく登場したフレーズが、
そのあと旋律のほうで、少しかたちを変えて再登場しているとか、
右手左手がそっくりな音型で動いているように見える箇所も、
右だけスタッカート、左はアクセントがついていたりして、
左右で全くニュアンスの違う音を出すように指示されていたり等々、
あなどれないところがテンコ盛りだ。

そうした、取り組み甲斐みたいなものは、勿論、いつも感じているのだ。
ただ、素人のワタクシとしては、歌うように明るく始まったマズルカが、
途中から別人(別曲)みたいに憂鬱になり、そのまま、最初に提示された旋律は、
華やかな決着を見る機会もなく終わってしまう、という印象が、拭い去れない。
「華やかな決着を見る」のは、マズルカでなくて、ワルツだということだろうか。
ショパンなのだから、何か意図があるのだろう、とは思うし、
私がろくにショパンの書いたものを読めていない、のは間違いないだろう。
しかし、それにしても、マズルカ作品59-2は、……59-3もその傾向があるが、
出だしは元気でカッキリしているのに、それは半分までしか続かず、
あとは、どんどん複雑な惑いの中に沈んで行って、二度と立ち上がることはない、
という曲に思えて、つまり、なんか、こう、尻すぼまり風、
……すみません(殴)。

と、なんとも歯切れの悪い話をしていたら、某氏、曰く、
萎え~の音楽なんですね」。

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「どぞ」
と数日前、主人が貸してくれた本が、コレだった。
同期生  「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年
(一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光)

1967(昭和42)年に、集英社「第一回りぼん新人漫画賞」で
一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光が、同時に入賞、デビューした。
この本では、その三人が、きょうまでの45年間、
それぞれ独自の道を歩み、印象的な作品を数多く生み出したことが、
ご本人の証言をもとに語られているのだが、
私自身、リアルタイムでこうした作品に触れた世代なので、
作家自身から明かされるデビューの経緯や、当時の逸話は、
初めて知ることも多く、大変興味深く読むことができた。

昭和40年代には私は小学生で、田舎で地味な暮らしをしていたので、
漫画雑誌もたまにしか買って貰っていなかった。
そもそも、私が中学校に入る頃までずっと、
うちの村には書店というものが存在していなくて、
電気屋さんのおじさんが、月に幾度か、バイクで村じゅうをまわり、
前回注文のあった雑誌や書籍を配達する、
という謎な(笑)仕組みになっていたのだった。
それで連休などに、両親と一緒に自家用車で町まで買い物に出たとき、
本屋に寄ると、巧い具合に漫画を買って貰えることがあって、私は、
「りぼん」か「なかよし」か、店頭で懸命に吟味して選んだものだった。
とは言っても、こうした雑誌は付録つきで、いつもヒモがかかっており、
中身を開いて立ち読みすることは無理だったから、
表紙に出ている作家名とタイトル、イラストを穴の空くほど見て、
どちらの雑誌が面白そうか、考えて選んでいたのだった。

そこで最初に出会ったのが弓月光『出発シンコー!』(1974年)で、
それまでの少女漫画で見たこともない下品な(笑)設定と、
テンポの良いギャグ、それに綺麗な絵とに、私は強烈に惹きつけられた。
主人公の久作くんのイボ痔が悪化して尻尾になった、
という仰天ものの話で、一体この物語はどう決着するのかと目が離せず、
自分が買って貰えなかった号は友達を頼って見せて貰った。
また、ヒロインの乙女ちゃんが本当に可愛くて気に入ってしまい、
自由帳に一生懸命真似をして描いたりもした。

その次に衝撃を受けたのは、一条ゆかり『デザイナー』(1974年)で
これは連載第二回目(りぼん74年3月号)を友人の家で読み、
あまりにハマってしまったので、5月の連休に親と出かけたとき、
頼み込んで「りぼん」を買って貰い、数ヶ月ぶりに続きを知り(笑)、
その次は夏休みに買い物に行ったときに、また数ヶ月ぶりに読み、
最後は、年末に母が町の美容室に行ったとき、ついていったら、
たまたま「りぼん」が置いてあったので、待ち時間に食らいついて読んだ。
この作品の結末は、小学生だった私には強烈過ぎ、
その日は結局、正月用のパーマが仕上がり華やいだ母と、
『デザイナー』に打ちのめされて廃人のようになった小学生の私、
という組み合わせで、家に帰った(爆)。
この『デザイナー』は、その十年後、大学生になってから、
りぼんマスコットコミックスを自分で買って、
初めて通して読むことができた。

この両名に較べると、もりたじゅんには私はやや接点が少なく、
同期なのになぜだろうと思っていたら、
もりた氏はデビューは「りぼん」だったけれども、
上記『出発シンコー!』『デザイナー』連載の時期には、
活躍の場が「週刊マーガレット」に移っていたことが、
今回『同期生』を読んでいてわかった。
「週刊マーガレット」は、『ベルサイユのばら』『エースをねらえ!』
の連載当時には、そろばん塾の帰りに八百屋さんで立ち読みしていたので、
72~73年頃ならば私はある程度馴染みだったのだが、その当時にはまだ、
もりた氏は「りぼん」の作家で、74年以降、私が「りぼん」に移行した時には、
今度はもりた氏は「週刊マーガレット」で活躍なさっており、
ちょうど、入れ違いになっていたのだった。
その後、80年代半ばになってから、私が下宿での一人暮らしを始めた頃、
近所のスーパーで、レディコミ黎明期の雑誌「YOU」を立ち読みするようになり、
そこでもりたじゅんと、久々の再会をするのだったが(汗)。

弓月氏は、その後もずっとコメディを主体として話題作を次々と描かれ、
『エリート狂走曲』(77年)には私も特に熱中した
(80年に高校生になってから、友人にコミックスを借りて読んだのだが)。
その後は青年誌で描かれることが増えて、
私は直接読む機会が減ってしまったのだが、
『甘い生活』(90年~)はそんな私でもちゃんと知っているので、
弓月氏の人気と影響力を、この本を読みながら、改めて感じた。

一条氏にも、『有閑倶楽部』(81年~)で再びハマり、
そのまま、テンションと人気が何年も何年も続くので、
息の長い作家さんだなという印象が、この時点で既にあったのだが、
21世紀になっても、新たに『プライド』の大ヒットがあり、
更にその『有閑倶楽部』がテレビドラマになり、うちの娘が観ていたりして、
このように長期間、少女漫画の第一線で活躍されているというのは、
大変なセンスとバイタリティの持ち主なのだなと、圧倒されたものだった。
「この作者は、おかーちゃんが小学校低学年の頃から大人気だったんだよ~」
と言ったら、娘が本気で驚いていた。
娘世代にとっても、一条ゆかりは流行作家の筆頭だったのだから。
かの『デザイナー』は、一条氏にとっても大きな転換点となった作品だと、
今回の本で知り、私はそのような作品と連載当時に出会えていたことを
改めてとても嬉しく思った。

もりた氏が引退なさっていたことは、この本で私は初めて知った。
夫君の本宮ひろ志氏のプロダクションでは、お仕事を継続されているが
「もりたじゅん」名義では、完全引退を表明なさっており、
この6年ほどはもう、作品は描かれていないとのことだった。
お話の内容に関しては、私自身は、もりた氏に共感するところが最も多く、
「りぼん」の「おとめちっく」路線が理解できなかったことや、
昨今の少女漫画に衰退を感じることなど、本当に同感だった。
また、もりた氏は、漫画家としてお忙しかった頃すでに、主婦であり母であり、
生活や育児に関する述懐も、私が日々持っている実感に通じるものがあった。

どの作家さんについても、この本で改めて話題に出されていたことで、
この機会に読み直してみたいと思った作品が、いろいろあったし、
一方では私がこれまで知らなかった作品もまだまだたくさんあり、
その中には新鮮な興味を感じたものもいくつもあった。
かつては、まったく同時にスタートした三人だったが、
その後45年の漫画家人生では、それぞれの道をみつけ、
ひとりひとり、目指したものを各自のかたちで実現して来られたわけで、
皆、ご自身のお仕事を果たし続けて、今日があるのだと思った。
その軌跡を、今になってこうして振り、
その時代の真っ直中に、自分もまた一緒にいて、
様々な漫画を通して、読者として同じ時間を共有していたのだと考えると、
実に実に、感慨深いことだった。

……それにしても、私の思い出はこうして見ると、
「立ち読みした」「借りて読んだ」が多過ぎる(^_^;。
それだけつましい暮らしだったし、小学生には何も自由にならなかったのだ。
その罪滅ぼしというわけではないが、大人になってからの私は、
大切だと思う漫画は、ちゃんと新品で買って、手元に置いている。
数々の、懐かしい昭和の作品も、愛蔵本や文庫本で探して買った。
そうした蔵書を、今や娘が読んで、更にお友達に貸し出したりしており、
漫画は読み継がれ、いつかまた「子供の頃、家にあった」とか、
「友達から借りて読んだ」等々と、思い出され、愛されるようになるものも、
この中にたくさんあるのではないかな、と思ったりした。

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10月から、ラジオ講座の第二外国語系はいずれも新規開講となるので、
性懲りもなく心機一転、再スタートしようとしている私である(笑)。
外国語をいかした仕事をしたい、などとは全く考えていなくて、
現在の私の語学学習は、完全に趣味と化している。

フランス語との付き合いは、これで結構、長くなって来た。
2008年に、天中殺に入ったことだし大人しく勉強でもしようと考えて、
スペイン語を聴き始めたのが、NHKラジオ講座再開の第一歩だったが、
そのとき、多少心得はあったので「ついで」に聴き始めたフランス語が、
紆余曲折あって、今ではラジオ学習のメインにまでなってしまった。
今季の初級編は2011年春季の再放送で『あなたにきっと起こること』、
応用編は新作で、梅本洋一先生の『映画の話をしよう!』だそうだ。

世の中でよく言われるように、英語学習に関しては、
中学1年で開始してから、これほどの年月を費やして来たにも関わらず、
私は未だに、全く自分の英語力に満足できたことがない。
しかし、例外的に、フランス語をやっているときだけは、
「これ、英語だったら簡単に言えるのになぁ」
と思うことが多く、そのときばかりは自分の英語力の蓄積を
多少なりとも実感でき、シアワセな気分になれる。
……とても志の低い話で、すびばせん。

もう1カ国語は、続くかどうかわからないが中国語にした。
こちらも既にやったことのある、2011年春季講座の再放送で、
楊光俊先生の『おもてなしの中国語入門』だ。
ニュースを見ていると、昨今は、
日中関係が急速に悪化している、という報道が多く、
ネットなどに出ていることが間違っていないのだとすれば、中国では、
『日本』というだけで悪感情を抱く中国人も多いらしく、残念なことだ。
しかし私の側には、『中国』というだけで悪感情を抱く理由など無いし、
せっかく入り口だけでも知った中国語を忘れてしまいたくはないので、
再放送ではあるし、復習として聴いてみたいと思っている。

そういえば、漢詩の会は解散になったのだが、
来月から、また新しい指導者の方をお迎えして、勉強して行こう、
という話が、今、出ている。
会員某氏の御紹介で、新しい先生となって下さる方は既に決まっていて、
その先生のご専門の関係もあって、これからは、漢詩だけでなく
漢文全体を扱う授業になるだろうとのことだった。
御高齢の会員さんの中には、このたびの漢詩の先生の御引退に合わせて、
このあたりで勉強は一段落にする、と仰る方もあったが、
かたちは変わっても、ひきつづき漢文に触れてみたいというお考えの方も
何人もいらっしゃるようだった。
強制などは全くされていないのだが、私も来月のいつか、聴講してみて、
ついて行けそうなら、また勉強しに通うことにしようかなと今は思っている。

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全体として、「戦記もの」としてではなく、
「友情・恋愛もの」として構成されているという印象だった。
宝塚歌劇なのだから、それはそれで良いのだが、
帝国軍と同盟軍の位置づけに、中途半端に触れられる箇所が多く、
原作を知らないと、初見ではかなりわかりにくかっただろうと思う。
例えば冒頭の、「同盟軍は、帝国の二倍の兵力を持ちながら敗北した」
というアスターテ会戦の逸話など、よほど注意深く聞いていないと、
ヤンの(本当は天才的な)働きが、一体何であったのかがわからず、
負けた側の彼がなぜ、自由惑星同盟の英雄と言われるのか、謎だと思う。
「ラインハルトが褒めていたから、ヤンの闘い方は見事だったらしい」
程度のことだけでも観客に伝われば御の字、…だと思った(汗)。

同様に、イゼルローンでの興亡についても、説明がほとんど無いので、
オーベルシュタインはどういう状況で逃亡して来たのか不明だし、
ヤンは、まだ同盟軍のものになっていないイゼルローンに
なぜか悠々と?滞在していたかのように聞こえる箇所もあり、
「どうも何やら、両国間でこじれて戦争が続いているらしい」
という曖昧な状況しか、わからないようになっていた。
そもそもイゼルローン回廊の存在意義についても一貫した解説がなく、
両軍が何を争ってどこで戦っているのか不明瞭なまま、流されていた。
わからなくてもいい・大事なのは登場人物の心象風景のみ、ということなら、
イゼルローンの名だけを意味ありげに繰り返し出すことは止めて、
もっと話を整理したほうがよかったと思う。

総じて、限られた上演時間で、ラインハルトの物語に焦点を当てるのなら、
もっと徹底して欲しかったというのが、私の感想だ。
三日間くらい連続上演できるのならともかく(^_^;、
今回の内容は、宝塚歌劇の一回の公演時間で説明できる量を超えている。
ラインハルトは、帝国軍の上級大将(のちには元帥)として、
ヤンのいる自由惑星同盟軍と対峙しなければならない上、
帝国内での地歩を確立するため、国内の貴族連合軍とも敵対しており、
更に、一度は手を組んだ帝国宰相リヒテンラーデ公とも
実は利用し合っているわけで、かなり込み入った対立構造の中にいる。

更に舞台では、同盟側のヤンも、同盟軍の司令官でありつつも、
最高評議会議長のトリューニヒトの操る憂国騎士団から付け狙われ、
更に、クーデター組織の救国軍事会議とも闘わなければならなくなるという、
これまた前門の虎・後門の狼という状況で苦慮していることが描かれており、
こうしたことがすべて同時進行で、そのうえにフェザーン自治領が、
両国を傍観しつつ漁夫の利を得ようとしている、…という話まであり、
とどのつまり、誰が誰と戦闘状態にあるのか、何のために闘っているのか、
容易にわからないようになってしまっていた。

いっそ同盟側の話は無いほうが良かった。
ラインハルトとヤンは、帝国×同盟の激突する戦場で出会えば十分だったし、
ジェシカの社会運動や選挙活動など、完全に同盟側の国内事情なわけで、
今回のラインハルトにはどうでも良い逸話であり、触れる必要はなかったと思う。
ユリアンも、物語に影響を与えないので、居なくても全く構わなかった。
また、ヤンの副官フレデリカにしても、原作では重要な人物だが、
今回の舞台ではほとんど何の役割も果たして居なかった。
元カノとしてジェシカを出すのなら、宝塚的にもフレデリカは必須ではないし、
ましてや彼女の父親グリーンヒル大将が、同盟のクーデターの首謀者、
という設定などはもう、触れたせいで話がややこしくなっただけだった。
ラインハルトの放ったリンチ少将が居さえすれば、
グリーンヒル不在でも、同盟のクーデターは起こったのよ(爆)。

私がこうした「よけいな場面」について残念に思うのは、
枝葉を広げ過ぎて、物語全体がわかりにくくなっただけでなく、
これらのために、「もっと大事な場面・台詞」が入らなかったと感じたからだ。
せっかく、帝国の双璧であるミッターマイヤーとロイエンタールが居るのに、
彼らは小綺麗な背景と化していて、アンスバッハのほうがよほど良い役だし、
私の愛するファーレンハイトは居ないし(殴)、……は、まあ良いとしても、
何より、最大の「がっかり」は、キルヒアイスが死ぬ場面が簡単過ぎたことだ。
あそこだけは、どれほど物語がわかっていなくても感動できるのに(爆)、
原作と較べて、キルヒアイスはあまりにもあっさりと死に過ぎ、
ラインハルトもまた、とても短時間で容易く立ち直ってしまって、
結局大したことなかった的な決着に見え、実に拍子抜けだった。

キルヒアイスを失うということは、無二の親友を失ったレベルの話ではなく、
ラインハルト自身の死をも意味するに等しい、決定的な打撃だった筈なのだ。
原作でキルヒアイスの遺体を抱いて、ラインハルトが異様に光る目つきで言う、
「嘘をつくな、ミッターマイヤー。卿は嘘をついている。
キルヒアイスが、私を置いて先に死ぬわけはないんだ」
という言葉、およびそのあとに出てくる廃人同様のラインハルトの描写が、
今回の舞台で割愛されていたのは、どう考えても勿体なさ過ぎた。
これらは彼の特異性を観客に印象づけるために、不可欠だったと私は思っている。
この段階を経て、心を閉ざし無機的な覇王となるラインハルトの姿こそ、
自身の半身を永遠に失った彼の着地点だったのではないか。
ラインハルトには、物語の最初と、キルヒアイスを失った後とでは、
明確に別の面を打ち出して貰いたかった。
凄いショックだったけど元通り立ち直れたから良かった、では困るのだ。
ちょっと自暴自棄になって散らかしたあと、ヒルダと甘いデュエットをして、
なんだか元気になっちゃったラインハルトには、私は、
「ちがーーーう!!」と叫びたい心境だった(逃)。

やはり一番問題となるのは、ラインハルトは本当はヒルダを愛していない、
にも関わらず、宝塚としてはトップコンビの物語にしなくてはならない、
という点だったと思う。
ラインハルトはもともと、異性・同性を問わず恋愛や肉欲とは無縁で、
彼が心底打ち込んだ相手は、キルヒアイス(と、姉)だけだったのに、
ヒルダが重要な人物になってくれないと、宝塚としてまとまらない(汗)。
凰稀かなめの演技を見ていても、彼女が主演者として、
この矛盾になんとかして「落としどころ」と見つけようとしていることが
私には感じられるような気が、幾度もした。
そういう点でも、凰稀かなめのラインハルトへの理解には、
私は共感を覚える点が多々あった。

転夫ころもんは(私にも同様の案が無いことは無かったのだが)、
「キルヒアイスは女っちゅうことにして、トップ娘役にさせたら良かったのに」
と実に大胆なことを言っていた(爆)。
確かに、そういう設定にしていれば、
原作の、男×男の萌え要素は無くなってしまうにしても、
コンビの立ち位置と恋愛の方向性だけは、ぴたりと合っていただろう(汗)。
小池修一郎先生は、原作の田中芳樹氏から、
「原作に忠実な舞台は既にあるので、宝塚は独自のものにして下さい」
という意味のことを言われ、ある種の「許可」は得られた由、
プログラムの先生の挨拶文の中に書かれていたので、
転夫案くらいのことは、やっても良かったかもしれない。
しかしそれだと、お披露目なのにトップ娘役が死んでしまう展開になるし、
何より今後の続編が作れなくなってしまうから、やっぱり駄目だよなあ(爆)。

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昨日の、宝塚大劇場宙組3時公演を観てきた。

いろいろ言いたいことは、あるのだが(^_^;、それはおいといて、
まず、出演者には私は大変満足した。
ラインハルト、オーベルシュタイン、キルヒアイス、ヤン、ヒルダ、
等々、主なキャストについては予想以上だった。
特に凰稀かなめのラインハルトは、素晴らしい出来だと思った。
声の端々や、椅子に座ったポーズ、マントの翻し方など、
男役の型に関する部分でも、私はなかなか感銘を受けた。

しかし脚本に関しては、あまりにも詰め込みすぎで、
原作を読んだことのない人が初見で理解できる内容だとは、
到底、思えなかったのだが、どうだろうか。
ラインハルトが主演なのだから、彼の覇権に直接関係のないこと
(特に同盟側のジェシカに関する逸話、ヤンとユリアンの絡みとか!)は
敢えて入れないほうが良かったのではないかと思った。

そうでなくても、宝塚歌劇という都合上、原作には全然無い、
ラインハルトとヒルダの出会いや文通(笑)などトップコンビの見せ場とか、
本編後の20分間のショーなどが必須で、時間的足かせになっているのに、
そのうえ、同盟側の話にあれだけ場面数を割いてしまっては、
ラインハルトの敵が、どの段階で誰と誰であるのかさえ、不明瞭だったと思う。
原作を全く知らない人で、例えばイゼルローン要塞が、
あの物語中、帝国側のものなのか同盟側のものなのか、
芝居を観ただけで説明できるようになった人、いますか!?
(本来ここは破格に重要なポイントだぞ。ラインハルトにもヤンにも)

誰某に、番手やポジションと釣り合った出番を与えなくてはならない、
という、宝塚ならではの人事の都合があるのはわかるのだが、
あれだけ登場人物の多い原作なのだし、
帝国側だけでもいくらでも活躍場面は作ることができた筈なので、
本当に、同盟側の話がよけいだったと私は感じた。
緒月遠麻のヤンや、純矢ちとせのジェシカは本当に魅力があったし、
彼女たちの健闘を否定するつもりは、毛頭、ないのだけども。

……と、それはともかくとして、
昨日、私は(主人もだが)いつものようにB席で観ていたのだが、
あれほど男性客の多い二階席は、自分の宝塚観劇歴の中で初めて経験した。
お兄さんからオジさんまでの年齢層の、ごく普通の(笑)男性客が、
女性の連れもなく、ひとりで、あるいは男性複数名で観劇に来ていた。
原作の知名度と、その愛読者層の傾向とが、察せられるような気がした。

『いろいろ言いたいこと』の詳細については、多分、またのちほど(笑)。

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暑さ寒さも
今週に入って、だんだん涼しくなった。
昼間はそれでもまだ、陽射しが結構暑いが、
朝夕は、明らかに空気が冷たくなってきた。
それで、冷え性の私は早速、部屋着に長袖Tシャツを着込み、
足下も、寝るときはレッグウォーマーをつけることにした。
娘も、はくものだけはハーフパンツが七分丈パンツになった。
しかし主人は、依然として半袖Tシャツ半パンツのまま、変わりなし。
各自の体質によって、ステージ(段階)が異なっているのが、わかる。

観劇
一昨日から東京出張に行っている主人が、きょう帰るのだが、
その途中に、主人は京都で降りて食事をするというので、
これから待ち合わせて、二人で宝塚大劇場に行くことになっている。
もちろん、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』を観るためだ。
主人も私も原作をよく知っているので、あれが一体、
宝塚としてどのようなものになったか、……なり果てたか(爆)、
楽しみに拝見させて貰おうと思っている。
太ったヲタ夫婦がいて、何もわかっていないくせにエラソーだった、
と某宝塚系掲示板に書かれてはいけないので、
観劇感想の口火を切るのは、帰りのJRが尼崎を通過してからだ(汗)。

では、行って来ます。

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昨日の松竹大歌舞伎広島公演には、大向こうさんは来ていなくて、
客席から「○○屋!」とやる一般客も居なかった
(出ている人の大半が誰も彼も澤瀉屋ではあったが……(^_^;)。
かわりに、熊谷次郎直実が花道に姿を現したとき、
「右近!」
と、女性の、きりりとした一声がかかっていた。
今回の構成なら、こういうのも良いものだな、と思った。
ちなみにロビーには、右近の贔屓の方からの豪華なお花が飾られていた。

私がもし、十億円ころころっと入って、マダームになったら、
いっぺんやってみたいと思っていることが以前からあって、
それは、まず、音羽屋(菊五郎)の出演する演目の初日に、
たっぷりとした「千両の実」をスタンド花にして贈ることだ(笑)。
「花の千両役者、待ってました!」とばかりに(^_^;。

芝居が始まったら、そりゃもう、通い倒して音羽屋三昧だ。
わけても、初日・中日・会総見・千秋楽は必見だろう。
勿論、開演前にゆったりと番頭席に寄り、切符を受け取り、会席で観る。
特等だろうが三等だろうが構うことはない。
その日そのとき、最も後援会として支援になる席に、喜んで座らせて頂く。

観劇には、演目に合わせた和服で行くのが、ファンとしての密かな喜びだ。
例えば昨日の『陣屋』の場合なら、桜の付け下げとか、
敦盛・小次郎にちなんで「嫩(ふたば)」の帯とか。
菊五郎格子を細かくあしらった半衿など、色違いで持っていたら、
期間中、装いに合わせてニュアンスを加える楽しみがあって、
これまたよろしいのでは。
まさに、女でないとできない着道楽ではありませんか。

公演中は、楽屋アレンジで、演目やお衣装の色にちなんだ花を、
ときどきに応じて、気の向くままに。
そしてめでたく迎えた千秋楽の朝には、
「万両の実」をふんだんにあしらったスタンド花を贈る。
「ここに、万両役者、結実」ということで(笑)。
師走とかお正月の公演だと最適ですな。

………(^_^;。

何にしても、完璧、ただの自己満ですから。
花も着物も、劇場の一角に添える、ささやかな華やぎなのであって、
舞台に咲くホンモノの千両万両の花に較べたら、ものの数ではない。
役者なんて、貢がしてナンボ。
ファンたるもの、いくら払ったの、相応の見返りが無かったのと、
キュウキュウしている間は、こういう遊びに手を出しては、いかんのだ。

ま、そもそも私に、ころころっと入ることはゼッタイないので。
妄想、妄想(笑)。

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