転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



先日の半日作業だけでは終わらず、再度、同じ業者さんに
舅宅に来ていただくことになっており、今日がその約束の日であった。
前回は土曜日だったので主人も居たが、
今回は平日朝から丸一日の予定だったので、私だけが立ち会った。
姑が30年ほど前に新舞踊をやっていた頃のステージ衣装がまだあったし、
毛皮、貴金属、腕時計、カメラ、家電、切手、掛け軸、等々も、
この際なので思いつく限り出して、査定して貰った。
煩雑なものが多かったので、これだけで昼過ぎまでかかった。

午後からは、庭の倉庫内の食器類のうち、箱のあるティーセットなど
引き取り可能なものを運び出して、ひとつずつ見て戴いた。
一点100円200円のようなアイテムが多かったが、数があったし、
まとめて買い取って貰えるのは、それだけで有り難いことだった。
前も書いたが、何しろ転夫ころもん氏は最初、
「家の中身は、ゴミ処分業者を呼んで、一切合切、持ってって貰う」
と言ってたのですよ?
何もかもタダで手放すどころか自分でお金を払うという!
それくらいなら、先に買取業者さんのものですよアナタ(^_^;。
私だって、なんでも捨ててるように見えるでしょうが、
実家の和服や骨董類には、まだほとんど手を付けてないのですよ?

買取業者さんのお話では、眼鏡は、古いものでも、
途上国でフレームを活用して貰えるケースが多々あるそうで、
無償でも引き取りは可能であった。
また、壊れた家電の部品や、デジカメの内部の精密機械などが、
リサイクルされる等の話もあった。
じーちゃん&ばーちゃんの遺したものたちが、
もしかしたらこれからも、どこかでかたちを変えて活かされるかもしれない、
というのは嬉しいことだった。
どうか役に立つものがありますように。

 

朝10時から夕方5時までかかり、私は立ち会っただけで何もしなかったのだが、
これでも結構、疲れた(^_^。
業者さんが帰られたあとは、タンスや倉庫ががらんどうになり、
舅宅の片付けがいよいよ完了に近づいたという手応えがあった。
良い日であった(^_^;。

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きょうの母(95歳)@サ高住、は、よく喋った。
Me gusta一本槍だった日などと較べたら、
そのスピーチ量においては雲泥の差だった。

(午後の入浴の順番を待ちながら、ロビーにて)
母「あんた、忙しいんやね」
私「まあな」
母「御蔭さんで私も、これでようやくここが片付いて
 一仕事終わることができて、ほっとしとんのやけど。
 もう、あとはここ、しもたら(=仕舞ったら)終わりや」
私「ほうなんか(^_^;」

母「人間いうもんな、ひとつ大仕事が終わって、片付けて、
 さあこれで皆済んだ、綺麗んなった思うて、最後に皆で写真撮ったら、
 まあ、写真いうもんな正直なもんで、意外なもんが残っとったりして
 それが写ってしまうもんなんやね。
 あれもこれも、皆、ちゃーんと片付けた思うとったら、
 乳母車がひとつ、写真に写っとったりして、あとで気付いても、
 写真やから、もう消すわけいかんし」
私「………(乳母車スか)……(^_^;?」

母「みな片付けて、最後の最後いうときんなって、
 まあ、人間いうもんな、疲れてだんだん気がつかへんようになるんかね、
 ちゃーんと、全部しもうて、最後に写真撮ったら、思いもかけん、
 乳母車が写ってしもて、気ぃもつかへんもんや。
 言うたら、『一将、功成りて、万骨枯る』いうこっちゃ」
私「……(なんの話)……(^_^;??」

母「うちら、小さい子ぉがおったことないから、そんなこともないけど、
 よう、会社なんかね、皆で最後まで片付けて、もう何にも残ってへん、
 綺麗になった思うて、最後に写真撮ったら、まあ、乳母車なんかが
 写ってしもて、これ何?乳母車や、しもた、こんなん残っとったんや、
 てなもんで、『一将、功成りて、万骨枯る』いうことで、もう台無しや」

ふぅむ。
この場合、残った乳母車が『一将』、……に、なるんかね………????
よくはわからんが、とても頑張って完璧に仕上げて行ったのに、
最後の最後で抜けていて、がっかり、
的な展開であれば、むしろ、




『百日の説法、屁ひとつ』




って感じ、かねぇ……(逃
いや知らんけど

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何をどこまで書いたっけか(汗)。
すったもんだあったが、準確定申告は修正申告まで含めて終わった。
某税理士事務所にたいそうお世話になった。

それから土地の登記も、某司法書士事務所に丸投げして、完了した。
登記ができた途端に、司法書士さんからの連絡より早く、
見知らぬ不動産屋さんから私宛てに、
「このたび相続された土地の運用について相談に乗ります」
という趣旨の封書が来た。なんと素早いのか。要らんけど。

あとは、前述の某税理士事務所にここまでの支払をすれば終わる、はず。
期間的には長かったが、相続と登記は税理士さん司法書士さんに任せ、
年金関係はJAに頼って、できる限りカネで解決した(←大袈裟)ので、
アシで解決した舅姑のときより、体力的にはラクだった。
また、私自身が相続人本人だったので、舅姑のときと異なり、
いちいち主人からの委任状が要るということがなく、
私の一存で動けて、私の身分証明書があればOKだったので、気楽でもあった。

それと今回は、法定相続情報一覧図の威力が半端なかった。
忙し過ぎてこの日記に詳細を記録していないようなのだが、
昨年11月末に、私は法務局に出向いて申請し、この書類の作成をして貰った。
被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本、除籍謄本、住民票除票
相続人全員の戸籍謄本、申出人の身分証明書、等々を法務局に提出すると、
数日で法定相続情報一覧図というものをつくってくれるのだ。
この一枚の紙キレが、相続手続関係全般に絶大な威力を発揮する。
被相続人と相続人各自の情報が、一目でわかるかたちにまとめられ、
法務局のお墨付きになっているので、
保険も銀行も税金も年金も土地登記も遺産分割協議も、
何もかもこれさえあれば万能なのだ。

主な法定相続情報一覧図の様式及び記載例(法務局)

調べてみるとこの制度は平成29(2017)年から始まったらしい。
ころもん氏が舅姑の相続をしたときは、まだこういうものが無かったので、
何か手続するたびに、いちいち謄本だの住民票だの揃えて提出していたのだが、
今は、法定相続情報一覧図を1枚出すだけで完璧な証明になり、
役所でも金融機関でもどこでも一発で通用するので、百人力だった。
しかも作成も発行も、コピー何枚頼んでも、すべて無料なので、
最初に10枚だったか大量に出して貰い、今でもまだ手許に残っている(^_^;。

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実家に行ったら、母のベッドの置いてある部屋が
なんだか散らかっていて、
「なんで(^_^;?また動物とか?」
と思ったら、パネル状の天井材が一部、剥がれて落下し、
ベッドの上に積んであったクッションや書類を蹴散らしたかたちで、
床に散乱していたのであった(大汗)。
なんでこういうことになるかね?
多分、天井裏が雨漏りしているんだろうよね??

玄関の天井をなおして、まだ2か月経ってないというのに。
あっちもこっちも、次々と。
前からわかっている天窓の雨漏り箇所も年々悪化し、
今では洗面器4つ並べて置いても足りず、周辺まで濡れる有様だ。
平成になってから増築した箇所はともかくとして、
昭和から手つかずの部屋たちは、時間の問題なのではなかろうか。
この家は、本当に、もう駄目だな(^_^;。
さすが築100年超のことはある。
早く売却しよう。そうしよう。

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改めて。六月大歌舞伎@歌舞伎座。

今月は、「小川家・襲名&初舞台披露」であった(笑)。
五代目時蔵が初代萬壽(まんじゅ)、
四代目梅枝が六代目時蔵を名乗ることとなり、
新・時蔵の長男大晴くんが五代目梅枝として初舞台。
また、獅童の長男次男がそれぞれ、初代晴喜(はるき)・初代夏幹(なつき)
としてこちらも初舞台、……ということで昼夜とも御披露目の公演となった。

私が歌舞伎を自分の意思で見るようになった二十代の初めの頃、
五代目時蔵は、とっくに時蔵であった。
先代が早くに亡くなったのもあり、五代目は若々しい青年時代に
時蔵を襲名し、そのまま、私の印象の中でトシを取らなかった。
「父は、亡くなるときまで時蔵だと思っていた」
と四代目梅枝(新・時蔵)が各所のインタビューで言っていたが、
それは観客としての私も全く同感であった。

その美しい時蔵のまま初代萬壽となった今回の御披露目が『山姥』。
孫の大晴(新・梅枝)と共演したいと、たっての希望であったそうだ。
9歳の梅枝は、花道で見得を切る姿が既に立派な役者。
怪童丸(のちの坂田金時)の踊りも大変に頼もしかった。
幼い息子の旅立ちを、涙を浮かべつつも誇らしく見送る山姥の姿は、
そのまま、今の萬壽であろう。
萬壽によると、梅枝というのは幼名なので、これを孫に名乗らせたい、
息子もまた十分に立派になって、時蔵を継がせるときが来た、
と考え、今回の襲名となったとのことだ。

一方、獅童の息子さんたちは『魚屋宗五郎』の丁稚役で初舞台披露。
7歳の晴喜・4歳の夏幹はまだまだ小さいが、どちらも笑顔がいいし、
大きなお声で立派に務めていて、実に天晴れであった。
獅童は獅童で、今月は昼も夜も初役が多くて八面六臂の大活躍。
『魚屋宗五郎』の宗五郎、『上州土産百両首』の正太郎、
いずれも江戸前で、獅童のシャープな容貌と持ち味が生きていたと思う。
特に私は、正太郎の一本気な熱さが気に入った。

その『上州土産百両首』、菊之助の牙次郎が私の大きな目当てだったのだが、
やはりプリンス菊之助の当たり役と、確信を深めた。
おぼつかない足取りで花道から登場し、正太郎を訪ねてきて、
家にあがるところでいきなり蹴躓いて草履を吹っ飛ばす形が最高で、
「あれれ、草履がどっかにいっちゃった」。
がじ@菊之助は、あまりにも愛らしく、いとおしい。
近年、菊之助のふとした面差しに「昔の旦那(菊五郎)さんにそっくり」と
思うことが増えて来ていたのだが、この「がじ」の柔らかさは異色で、
当代菊五郎とは全く違う味わいだ。
しかしそれとは別に、今回のは、前に芝翫の正太郎で見たときより、
明らかにBL味(爆)が感じられたのだが、何が理由だったのだろうか。
天使である牙次郎に色恋が無いのは当然としても、
いい男の正太郎が、おそで(米吉)という可憐な娘がそばに居ながら、
結局「あじゃがじ」のことしか眼中に無いなんて(^_^;。
この正太郎と牙次郎は、つまり魂の恋人同士、相思相愛ですよね!?
ゆえに黄泉路までも、ともに。夫婦は二世(にせ)、……違いました!??

七之助が『宗五郎』の女房おはま役で出ていて、
これがまたぴたりとはまったいい味であった。七之助の充実ぶりは素晴らしい。
私は観ながら、大昔、菊五郎旦那が初役で宗五郎をしたとき、
七之助の祖父の七代目芝翫が務めていた「おはま」を思い出したりした。
七之助の顔立ちはまさに成駒屋だ。
そこに若々しい感覚があって、姿が良いうえに相手役との呼吸も見事、
実にいい女形になったんだなあと感慨深いものがあった。

新・時蔵の御披露目は『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』の「お三輪」。
「通し」で観る機会のあるような芝居でないので、
全体としてどういう話になっているのか、実は私にはよくわからないうえ、
代々の時蔵の襲名披露の演しものと言われても、痛めつけられるお三輪では、
感覚的にどうも「寿(ことほ)ぐ」気分にもうひとつなれなかった。すみません。
しかし大役であることは間違いないし、時蔵のきめ細かな芸があってこそのお役で、
しかも、清らかな田舎娘の設定でありながら、
心身ともに「いたぶられる」姿に堪えられない色気があるというのは、
なかなか深い境地ではあるよな、と感じ入った。

この演目での金輪五郎今国の松緑は芸の大きさが際立っていたが、
『宗五郎』の鳶吉五郎では軽妙に明るく見せていてこれも流石だった。
菊五郎・又五郎・歌六・錦之助・魁春と、
このたびの華やかな襲名披露に相応しい顔ぶれで、実に贅沢であった。
中でも仁左衛門の豆腐買おむら、御馳走過ぎた(笑)!!

八犬伝で勢揃いした若手たちも色とりどりで、
この世代はまたいい役者が揃っているのだなと、将来が楽しみになった。
男寅は兼ネル若手という感じだが、女形に力点を置くのだろうか?
そういえば新・梅枝は、親の名とは逆に立役がやりたいと主張しているそうで、
見得を切るのが大好きという話がイヤホンガイドの幕間インタビューで出ていたが、
さてこちらは今後どうなるのだろうか。
左近も松緑とは持ち味が異なるし、声も太くないようなのだが、さてさて…。
何であれ各々、自分の演りたいものをこそ、演れるようになって欲しいし、
立役・女形には関係なく、「いい役者」になって欲しいばかりだ。

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スペイン語技能検定5級を受けに行った。
去年6級を取ったので、次は5級だな、と思ったのだが、
……すみません、完璧なめてました(殴)。
フランス語検定のときと似たような感覚で、なんだか1年経ったら、
ひとつ上の級に挑戦してもいいんじゃないかという気がしたのだが、
実力がないうえに、試験のレベルを甘く見すぎていたので(殴)、
全然できなかった。

「5級」の名前で易しそうな先入観があったのだが、
スペイン語検定5級の文法内容は、今更だが、英検でいえば3級だった。
現在分詞、過去分詞、現在完了、受動態、点過去、線過去、関係詞、再帰動詞、
等々が含まれ、CEFRのA1相当と公式サイトにも明記されているのだから、
やるべきことは明らかであり、私が自分の実力を勘違いしていただけだった。
確かに、どの項目も、一回もやったことのない内容では無かったのだが、
ちゃんと使えるようになっていたかというと、全然だったのよね(^_^;。

試験は、手も足も出ないという感触とは若干違って、
文法事項として何が問われているかは理解できたのだが、
そのレベルのスペイン語をほとんど練習できていないので、
適切な語彙や活用形を選ぶことが難しかった(汗)。
更に、リスニングには数字が遠慮なく出て来るうえに
語彙力が無いので話の展開が肝心なところで聴き取れず、厳しかった。
1年前よりスペイン語力がうっすら向上したのでは、という手応えはあり、
これで準5級(爆)とかあったら挑戦のしがいがあったのに、と思った。

接続法をやらなくていいのは初級ならではで、その点はラクなのだが、
ほかの文法項目については、NHKラジオ『まいにちスペイン語』の
応用編がきちんとこなせるところまで、力をつけないと5級は無理だと思った。
このあと12月の冬季試験は、神社関係が忙しくて受けられないので、
来年6月まで心を入れ替えて勉強し(←本当か)、また5級を受けたいものだ。
試験会場には20名くらいの受験生がいて、老若男女さまざまであった。
語学は私にとって純粋なる道楽であり、スペイン語を話す機会などは
多分一生ないと思うので(爆)、気長に楽しくやろうと思っている。

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20日(木)に夜の部を、21日(金)に昼の部を観て来た。
この2日間、東京は涼しくて大変快適だった。
21日は朝から雨だったが、歌舞伎座に入ってしまえば濡れる心配もなく、
これも大して気にならなかった。

この時期に東京往復を強行したのは、
これまでの時蔵が萬壽に、梅枝が時蔵にという襲名披露があったのと、
新・時蔵の長男の梅枝、更に獅童の長男次男の陽喜・夏幹の
各々の初舞台があったからだ。
襲名幕もそれぞれに誂えられ、御披露目されていた。

   

そして私のもうひとつのお目当ては、菊之助の牙次郎を観ることであった。
2019年夏の大阪松竹座で強烈に魅せられた『上州土産百両首』の再演があり、
今度は獅童の正太郎と組んでの「がじ」ということで、
私はどうしても見逃したくなかった。
期待に違わぬ名演であった。行って良かった!
プリンス菊之助に、どうして、のろまの「がじ」がこんなにハマるのか。
次代の菊五郎の、(私にとっての)当たり役が果たしてコレでいいのか(^_^;、
と思わなくもなかったが(汗)。

明日以降、詳細を書ければと思っている。

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やっと一日、家にいる日が確保できたので、
きょうは、たまっていた雑事を片付けた。
その中のひとつは、昨年より半月ほど遅れてしまったが、
暑中見舞葉書の発注と各所への御中元の手配であった。ついに完了した!

仲良しのお友達に何を贈ろうかな~、みたいな話なら単純に楽しいが、
「目上」度合いに応じて――59歳の私でも送り先のほぼ全員が目上だ――、
礼儀に外れないよう、かつ、先方さまの家族構成に配慮して、
品物を選び、適切な時期に届くように早めに手配する、
……というのは、毎回、気を遣うし、正直言ってラクな仕事ではない。
私の感覚が合っているかどうか心許なく、私のセレクトは、
先方さまにはご迷惑なモノだったり…、と考えれば考えるほど悩ましい(汗)。
しかし、どこかで決断するしかないのだ。贈ること自体が大切なのだから。
田舎は「儀礼」が最重要であり、これを蔑ろにすると商売できない。
季節の挨拶など不要だとか、暑中見舞なんか面倒くさいとか、
そういう個人主義的な考えは、山奥では通用しませんことよ(^_^;。

***************

さて、それはともかくとして、プロ野球交流戦が終わった。
なんと信じられないことに(殴)カープは交流戦を10勝8敗と勝ち越して、
12球団中5位という好成績、防御率1.85は12球団中最高となり、
更に、セ・リーグ順位としては今もなお首位なのである(O_O)。
スバラしいので、順位表を記念に貼っておく。
いや~、こんなことって、ホントにあるんですね(^_^;。

しかし上から下まであまりゲーム差がないので、
これからまだ、どのようにでも変わりそうな感じだ。
去年、最終的に優勝した阪神だって、この時期そんなに良い調子ではなかった。
まだシーズン折り返しにも到達していないので、全然わからない。
とりあえず、瞬間的に、喜んでおこう(^_^;。

(セ・リーグ順位 2024/6/18 22:22更新)
1 広島 勝32 負25 分4 勝率.561 差-
2 阪神 勝32 負30 分4 勝率.516 差2.5
3 巨人 勝31 負30 分5 勝率.5081 差0.5
4 DeNA 勝32 負31 分1 勝率.5079 差0
5 ヤクルト 勝27 負33 分4 勝率.450 差3.5
5 中日 勝27 負33 分5 勝率 .450 差0

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いつもの、血圧を診て貰っている内科で、
半年に一度の採血が昨日あり、きょうの午後、結果を貰ってきた。
特に変わったところは無かった。有り難いことだった。

過去20年くらい4.0~4.2と低空飛行を続けているアルブミン値が
今回は4.2で、A/G比も1.31と、私にしてはそこそこ良かったのだが、
この検査機関ではA/G比の基準値を1.32~としているので
ここだけチェックが入ってしまった。
4年前までは1.2~が基準値だったのだがな(^_^;。
コレステロールや肝機能腎機能、血球成分などは問題なし。

前回HbA1cが5.6で不本意だったのだが、今回は5.4だった。
私は肥満体だし、二十代の頃から低血圧だったことは一度もないが、
一方で、およそ30歳からあとは全く飲酒したことがないので、
肝機能や血糖に関しては、これまで悪かったことがほぼない。
しかし別に、節制の成果ではないので、なんら立派な話でもない(^_^;。
単純に、飲めないだけなので。
そのほか、市の肺がん検診の券があったので、胸部X線検査も受けた。
これも特記事項はなかった。心陰影拡大も無かった。

ときに、今回から、「生活習慣病 療養計画書 初回用」なる書面が登場した。
なんでも、この6月1日からの診療報酬改定により、
高血圧で通院している私などには、この療養計画書が発行されることになり、
主治医の説明を受けて、署名をする、という形式になったのだそうだ。
内容は、私にしてみれば先生からいつもお話して戴いているものだし、
数値的なことも自分で知っているデータばかりで、
特に必要とも思われない書類だったのだが、これって、誰トク(^_^;!?

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SNSで偶然この本についての感想を見かけて、
懐かしい名前に興味を覚え、買って読んでみた。
作詞家・安井かずみを、私自身、世代的にそれなりには知っている。
彼女の書いた数々のヒット曲が流れる時代を、リアルタイムで体験したし、
その後の、加藤和彦との華麗で豪奢なDINKS生活についても、
バブリーだった当時、雑誌記事などで目にしていた。
あのようになりたいと憧れたことは一度もなかったが、
時代感覚を体現する、究極の偶像であることは強く感じていた。

安井かずみに関して私が当時、抱いていたイメージは、
ほっそりした、強くて格好いい女性で、特徴的な濃いアイメイク、
公私ともにリッチで、センスがあって、そしてヘビースモーカー。
あれだけのヒットメーカーだったから、印税も多分とてつもなくて、
我々が想像もできないような贅沢な暮らしをされているのだろうな、
等々と、別世界の人として感じていた。
御夫君はこれまた稀代の作曲家でありパフォーマーである加藤和彦で、
この人のことも私はザ・フォーク・クルセダーズの頃から観ていたので、
なんとまあお似合いなのだろうかと感心したものだった。
ちなみに彼が8歳年下。翔んでる女の結婚はこうでなくては、みたいな(^_^;。

『安井かずみがいた時代』では、彼ら二人を知る26人の証言者たちが
それぞれの関わりの度合いに応じて、各自の印象や思い出を語っている。
人間とは多面的なものであり、彼らの証言はそれぞれ断片的なものだから、
いずれの話もその断面においては真実であろうし、
仮に、安井かずみ・加藤和彦それぞれが回顧したり証言したりしたとしても
それだけが絶対的な事実や真実であるとも限らないだろう。
理想的なカップルと持て囃された二人の内面は、如何様であったか。
年齢も年収も社会的地位も「上」であった安井かずみが
夫婦関係において女王様であったのも本当だろうし、
反面、昭和の前半に育った彼らが「男が大黒柱」「夫唱婦随」のような
古典的な規範から自由になっていなかったこともまた、嘘ではないだろう。

様々に貴重な証言が収められているのだが、
私としては、吉田拓郎の述懐がとても印象に残った。
1970年代初期、沢田研二の『危険なふたり』が売れていた頃、
かまやつひろしに、パーティーがあると誘われて安井かずみの部屋へ行ったら、
「スリー・ディグリーズの『荒野のならず者』が流れていて、
コシノジュンコさんが踊りながら出てきたんです。
とんでもないものを見たって思いましたね。
当時のスーパーモデルたちがいて、みんなで輪になって座って
音楽を聴いたり、踊ったり、お酒を飲んだり。
あの時代らしく無茶苦茶やっていて、
夜中になると男も女も裸になってプールに飛び込むんです」。
70年代流・進歩人的「パリピ」の極み(汗)。
そりゃ広島から出てきた拓郎が「東京」にショーゲキを受けた筈である(^_^;。

拓郎は、その時代の奔放な安井かずみを知っていたから、
のちの加藤和彦との結婚には驚いたと言っている。
拓郎は加藤和彦とも音楽仲間であり、彼の才能を唯一無二と評価していた。
しかしそれゆえにこそ、加藤和彦の「優し過ぎて弱い」面も
彼なりに昔から感じていた。
拓郎は、加藤が自分より先を歩いてくれる女を求めた気持ちは理解できるが、
「歴戦の兵(つわもの)のZUZU(安井かずみ)が
なんでそんな頼りない男に熱をあげたのか。さっぱりわからない。」
結婚以来、安井かずみは、生活も趣味も交友関係も大きく変わってしまい、
加藤和彦の曲でなければ詞も書かなくなり、二人だけの世界へと耽溺してゆく。
それを拓郎は痛ましい思いで眺めた。
日本一ゴージャスなのに、内実は空虚な二人が、
懸命にその作り事のような関係を維持している、と拓郎の目には映った。

この本の終盤には、実妹のオースタン順子氏、
渡邊プロダクショングループ会長の渡邊美佐氏による、
安井かずみの内面に更に深く迫る証言も収録されており、
それらもまたなかなかに読み応えがある。
結婚生活は17年間だった。
安井かずみが肺がんで没して、今年で30年、
その後、加藤和彦が軽井沢で自死して、この秋で15年。
安井かずみ・加藤和彦夫妻は、実際、抜きん出た才能に恵まれ、
当時の先端を行くほど国際感覚にも優れており、
華やかで充実したライフスタイルを顕示して時代を駆け抜けたが、
光と陰が表裏一体であったこともまた、この本を読んで強く感じた。
月並みな言い様だが、眩しいほどのきらびやかさがあればあるほど、
その陰の部分の闇も深かったのだろう、と読み終わって思った。

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