転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



南区に舅が持っていた小さな土地のほうの登記手続きは、
自他共に認める「けち」な主人が、
司法書士に頼むことをせず自分で書類を揃えたので、
私が昨日それを、広島法務局に提出しに行くだけで終わった。

私は相続人の配偶者であり、相続人の実印を持ち出すことが可能で、
訂正その他が窓口で出来る、ということが判明した時点で、
提出や確認作業に関する「委任状」は一切、不要になった。
お役所である法務局がこういう割り切り方をしている点を、
郵便局と社会保険事務所には是非、見習って貰いたいと思う。

だがこれですべてではない。
舅の家は佐伯区だから、これのほうは法務局廿日市支局まで、
登記の手続きに改めて出向かなければならないし、
更にもうひとつ、舅の確定申告も、
居住地の税務署まで行って、しなくてはならない。
本当に、次から次からせねばならない手続きが出て来るので、
ほとほと感心してしまう(^_^;)。

故人の確定申告は、「準確定申告」と呼ばれ、
法定相続人(または相続人代表)が、死亡日から四ヶ月以内に、
故人の住居地の税務署で行わなければならない、とされている。
準確定申告に必要なものは何かと、税務署に電話してみたらば、

1.平成17年度公的年金の源泉徴収票
2.国民健康保険料の金額がわかるもの
3.扶養家族とその収入がわかるもの
4.不動産収入などがあるならばその収入のわかる通帳等と、
 その物件の固定資産税額がわかるもの
5.生命保険損害保険の保険料がわかるもの

だということだった。
チクショー!
1は社会保険事務所だし、2は区役所だ。また行くのか!
3も区役所だ、姑のあの「平成17年度所得証明書」、
4も区役所だ、「固定資産税評価証明書」!
区役所は区役所でも、あの、例の、バス代800円のほうの区役所で、
しかも、2と3と4は全部、窓口が違ったような気がする!!
(5なんか、あったか無かったか、どこ行ったか、既にわからん)

またひとあたりまわって来いってか~!
また委任状貰うところから出直しか~!


Trackback ( 0 )




一色まこと『ピアノの森』をここ数日で10巻まで読んだ。
主人公カイの天才・異才ぶりが、あまりにスケールが大きいせいか、
私は今のところまだ、さほど彼には感情移入できていないのだが、
それでも彼は勿論、大変に魅力的な主人公だと思うし、
周囲にいる脇役たちも、それぞれ見事にキャラが立っていて、
なるほど読者を惹きつける漫画というのはこういうものだな、
と読みながら思った。

第10巻の後半で、佐賀という音大教授が、
彼の惚れ込んだ「マリア」というピアニストを語るのに、
正直言って今の俺は、
 たった1人のピアノにしか興味がなくてね

他のはどんなに上手なピアノでも聴く気にならん
という場面が出て来るのだが、これはまさに、
熱くシツコく二十年以上もポゴレリチ・ファンをして来た私の、
実感そのものを代弁してくれている言葉だと思った。

現実には私は、ほかにも好きな演奏家がいるし、
ポゴレリチ以外聴かなくていい、というほど頑なではないが、
それでもやはり、彼のピアノは私にとって、
ほかのどんなものとも較べられない、別次元のものだ。
「わかるわ~、先生っ!」
と佐賀の背中をぽんぽんと叩きたい気分が、私には、ある(^_^;。
人種的にも民族的にも、全くなんの接点もないポゴレリチの演奏に、
どうしてここまで自分が捉えられてしまったのか、不思議でならない。

念のため断っておくが、私は今、
自分にとっての主観の話をしているのであって、
「ポゴレリチが世界一のピアニストであることを認めろ」
と他人様に迫っているのではない。ときどき、
「ポゴレリチより○○のほうが芸術性が上だ。聴けばわかる」
みたいなことを私に教えて下さる方があって、
私はそういうご意見は、できる限り、謹んで拝聴するけれども、
私にとって重要なことは、そんな「優劣」の問題ではないのだ。
佐賀も言っているではないか、
他のはどんなに上手なピアノでも聴く気にならん」と。
自分にとっての「最高」とは、そういうものだ。

佐賀が「マリア」の演奏を実際に聴く場面で、
俺は心底、このピアノに・・・
出逢えてよかった
と恍惚とした表情で考えるところがあるのだが、
私もポゴレリチの演奏を聴くと、本当にそう思う。
四半世紀以上にも渡って常に、そのような思いを
させ続けてくれる演奏家に巡り会うなんて、
滅多にない幸運ではないかと、我ながら思っている。

Trackback ( 0 )




実は、書く機会を逸していたのだが、
我が家は、かなり前に、マンションをひとつ、契約した。
建設計画がある、と聞いて調べたら、場所が良かったので、
転勤になって自分たちが住まなくても賃貸として転用がきく、
と考え、建設中のものを早々と契約したのだ。

勿論、最初から投資用と決めていた訳ではなくて、
そもそもの話の発端は、自分たちが住むためのものだった。
当時は、舅が癌を抱えながらも一応、元気で、
姑とふたりの生活を維持していた頃だったので、
我々は転勤になったとき、果たしてふたりをおいて行っていいのか、
ということで、密かに、頭を悩ませていた。

もしも、じーちゃんに相談でもしようものなら、
「そんな心配いらん、いらん!お前ら、遠慮せんと、行け!」
と言うに決まっていたから、コトは我々の側の問題だった。
舅姑もだが、私のほうの両親も歳を取るばかりなのだから、
やはり今後は、あまり遠方の県外で呑気に暮らすことは出来まい、
というのが、我々の結論だった。

それで、とにかく転勤となれば官舎はすぐ空けなくてはならないから、
必要とあらば娘と私だけでも残れるよう、広島に拠点が要る、
万一、住む機会がなくても人に貸せば良い、
ということになり、マンション購入を決めたのだった
(年齢的にも、ローンを組むのに限度があるから、
どちみち、どこかで決断せねばならない段階には来ていたし)。

そこへ、このたびの、耐震強度偽装マンション事件だ。
聞くところによると、私たちの契約したマンションも、
「おたくまで、偽装などしていないでしょうね!?」
という問い合わせが、不動産会社のほうに殺到しているらしい。
先日、私たちの担当だった方から直接、我が家に電話があり、
ご心配なくという主旨の説明が、改めて、あった。

確かに、この会社は、耐震強度の偽装など、一切していない。
私は、自分でその会社のHPを見たので、知っている。
そのようなあやしい記述など、全く載っていない。
我々が契約したマンションは、サイトのどこを読んでも、
そもそも、耐震設計に、なっていない
としか思われないのだから(爆)。

Trackback ( 0 )




昨夜は、紫苑ゆう『Legend of Shion―再会Part6』に
初めて行った。
前々から行きたかったのが機会を逃していて、
昨夜は、友人がチケットを手配してくれた御陰で、
ようやく見ることが出来たのだ。
場所はホテルオークラ神戸の宴会場『平安の間』。

紫苑ゆうは、92年から95年まで星組トップ男役として活躍し、
退団以降は敢えて一切の芸能活動をせず、
宝塚音楽学校講師を務めて今日に至っているという、
今も宝塚とともにあり続けている人なのだが、
退団後も彼女のファンを中心とする熱い支持は衰えず、
既に六回目を数える昨夜のディナーショーも、
十人ずつのテーブルが100以上並び、1000人超の参加者という、
宝塚現役トップにも全くひけを取らない大規模なものだった。

私の印象では、彼女は在団中からある種のカリスマ的な存在で、
「紫苑教」とも言えるほどの圧倒的な求心力でファンを惹きつけ、
「信者」たちはほかの一切を認めなくなるほど彼女に夢中だった。
そうした魅力があったのは、ひとえに、
彼女本人が全身全霊をあげて宝塚歌劇を愛して愛して、
宝塚の舞台の上でなら死んでもいいというくらいの熱い思いを、
旧大劇場三階のいちばん後ろにまで送り続けた人だったからだ。

少なくともトップになって以後、彼女は外部に出なかったから、
宝塚ファン以外で彼女の名を知っている人は少ないだろうと思う。
「紫苑ゆう」というスターは、宝塚大劇場でしか咲かない花だった。
彼女自身、自分のそうした適性をよく承知していただろうし、
そのような存在の仕方に一生を賭ける思いが強かったのだと思う。

私は敢えて言いたい。
テレビで大きく扱われ宝塚ファン以外の人に広く認められることは、
芸能人としては立派なことだろうとは思うけれども、
タカラジェンヌには本来、そのようなことは全く必要ではない。
真のタカラジェンヌは、宝塚を愛し、大劇場とともに生き、
そのことによってのみ、自分の真価を最大限に発揮するものなのだ。

昨夜、私にとって、ほとんど十年ぶりの「生・紫苑」様が、
会場後ろのドアからスポットを浴びて登場したとき、
その、現役時と少しも変わらないすらりとした姿に感動し、
同時に、表情など見えない遠方なのに、確実に伝わって来る、
彼女の華やかな笑顔のオーラに圧倒された。
そうだっ、これだっ、宝塚のトップはこうでなくては!!!

昨夜は初っぱなから、もうひとつ感動的なことがあった。
二曲終わったところで、紫苑ゆうは、
「きょう、どうしても来て欲しかった人がいて、
来てくれないかと思ったんですが、来てくれました」
と、客席にいる川井みな子(万理沙ひとみ)さんを紹介したのだ。
会場は俄に万雷の拍手になった。
列車事故の怪我のためか、舞台には上がらなかったが、
彼女が再び皆の前に姿を見せてくれただけで、
往年の星組ファンにとっては素晴らしいことだった。

「ずっと声出していませんので」
と遠慮する彼女に、紫苑ゆうが強引に、
「ふたりで、『うたかたの恋』を歌います」
と言った。会場はまたまた、万雷の拍手。

イントロが流れ、舞台の上にひとり立っている紫苑ゆうは、
既に完璧な立ち姿、完全無欠のルドルフ殿下!
王子様は客席を優しく見下ろして、切ない声で言った。

紫「まりさ、私と一緒に、旅に出よう」
万「はい!シメさんとご一緒なら、どこへ、でも!」

その『うたかた』の素晴らしかったこと!
紫苑ゆうの発散する男役としての香気が見事だったことと、
この役・この歌への彼女の思い入れが今も痛いほど伝わったこと、
そして、この宝塚を通じて一生の仲間であり続ける、
彼女と万理沙ひとみさんとの篤い友情が我々にも感じられたこと、
・・・そうしたものが、一度にこちらの胸に迫ってきて、
私は不覚にも涙がこぼれた。

このほか、懐かしい曲がたくさん披露されたが、
私にとっては、『ジャンプ・オリエント!』のサビ部分を、
客席も一緒に全員で振りつきで歌ったこと
(なんとか出来た。歌詞も覚えていた。我ながら凄い)、
『我が愛は山の彼方に』を台詞つきで聴かせて貰えたことが、
特に素晴らしかったと思う。

私にとって、昨今、宝塚が徐々にトーンダウンして来たのは
(飽くまで私にとって、だ。今のほうがずっといい、
というご意見は必ずあると思っている)、
こういう演目を演じられる生徒さんが居なくなったからだ、
ということが、昨夜はしみじみと感じられた。
だがそれはもう仕方がない。旧大劇場も旧東宝も既になく、
作家演出家も代替わりしつつあり、紫苑ゆうはもはや、
決して舞台に上がることはないのだから。

という訳で、ともあれ昨夜は本当に素晴らしかった。
1000人もの人が集まるには、なるほど理由があるのだとよくわかった。
紫苑ゆうは、今、音楽学校で次代のタカラジェンヌを育てていることを
自分の天職と思い、心から幸せに感じているのだと語ってくれた。
アンコールはなく、最高にご機嫌な「シメさん」の笑顔をもって、
ショーは約一時間半で終わった。
出席者は皆、紫苑本人が言ったように、
『じゃ、また来年!』
と言って別れた。


ところで、私は昨夜ひとつ発見をした。
宝塚OGファンばかりが集うと、そこで必ず出る話題のひとつが、
いま、だれ?
なのだった(^_^;。
私なら「たかちゃん(和央ようか)」と答えることになる訳で、
ほかには、「オサちゃん(春野寿美礼)」とか、
「彩乃かなみちゃん」とか、周囲にはいろいろな答えがあった。
中には、「ペ・ヨンジュン」と言った人も、いた(爆)。

Trackback ( 0 )




土地の登記は、主人が年休を取って自分で行く、と言っていて、
登記申請書などは主人が先日、職場の昼休みを利用して、
広島法務局まで取りに行ったので、
このあたりは、私が直接関与するものではないのだが、
それに必要な証明書類を取って来るのは、やはり私の仕事なのだった。

最初、あちこちで使うことを見越して、
戸籍謄本やら除籍謄本やら住民票など三部ずつくらいは用意したのだが、
証明として利用したあと、相手によっては返却をしぶるところもあり、
このあとまだ、登記二カ所と車の売買が残っていることを考えると、
どうも心もとない感じがして来たので、
私は実は昨日、またまた、某区役所まで出向いて取って来た。

前の経験から、除籍謄本のたぐいは時間がかかるとは知っていたが、
昨日は二時間も待たされて、私は待合いの椅子でマジで寝てしまった。
おいおい~、いけんのぅ。どうなっとるんや
という、背後からのオッサンの声でハっと目が覚めたら
テレビで、和泉元弥・逮捕のニュースをやっていた(^^ゞ。
区役所の椅子で昼寝をしたから私が叱られたワケではなかった。

そのとき、窓口では
『289番のかた、二番にどうぞ~』
と呼んでいるところだった。
私の受付番号は194番だった。
嗚呼、私がここで待ちくたびれ、挙げ句に寝始めて、
その間に、百人近くの人々が通り過ぎて行ったのか~~(T.T)。

さて、話は戻って、土地の登記に必要な文書は、およそ次の通り。
1.舅の出生から亡くなるまでの戸籍謄本・除籍謄本
2.遺産分割協議書
3.登記申請書
4.相続関係説明図
5.登記簿謄本
6.固定資産課税台帳登録事項証明書
7.相続人の住民票
8.舅の住民票除票
9.舅の戸籍附票

舅名義だった土地は、小さいのが二カ所あって、
それぞれについて上記の書類を揃えることが必要で、
しかも、前者は佐伯区内なので広島法務局廿日市支局、
後者は南区内なので広島法務局で、
それぞれ別に登記の手続きをせねばならない。
廿日市支局・・・、法務局のサイトを見ると、
『JR「廿日市」駅下車、徒歩13分
と書いてあって、細かい数字でキザんでいるのが、やや不気味だ。

本来ならば、登記を完了したのちに、区役所のほうへ、
『固定資産税納税者異動申請書』というのを
例によってまた必要書類を揃えて提出する、という順序なのだが、
この固定資産税のほうの手続きは年内が期限となっているので、
我が家の場合、登記がそれまでには完了しない可能性が高そうだ。
区役所のほうへは、仮の申請でいいんだろうか?

ともあれ主人は昨夜、夜なべして
これらの膨大な書類を揃え、記入欄を自筆で埋めた。
苦労して、相続関係説明図もパソコンで作成した。
そして、相続人欄に自分の名前を書き、実印を押したところで、

「あっちゃ~~~~!」

とゼツボー的な声をあげた。
実印を、上下さかさまに、押していたのだった

Trackback ( 0 )




きょうは、仕切りなおして郵便局に再度の挑戦をした。
鼻息も荒く、昨日同様の書類を揃えて乗り込んだら、
受付に出てきたのは昨日と違う郵便局員嬢だった。

郵「わかりました、書類はこれから拝見します」
私「はい(--#)(昨日『拝見』した人はおらんのか)」
郵「それで、お舅様の御口座は、これで全部ですか?」
私「は?」
郵「これらのほかに、定額預金や、普通預金通帳などは」
私「家にまとめてあったのはこれで全部なんですが」
郵「あとから新たに出てきたりすると、それらについて、
 改めて、名義書換や解約のお手続きをして頂くことになり、
 この書類も同じものを、もう一度書いて頂くことになるので、
 本当にこれで全部なのかどうか、調べておかれてはどうかと、
 思うのですが」

私「じゃあ、それ、調べて下さい」
郵「***事務センターというところで台帳が管理されていまして。
 そこに問い合わせることで、現存調査が出来るということなんです」
私「やって頂けるのではなく、私が、そこへ行く、ということですか」
郵「ああ、いえいえ、こちらでお調べします」
私「じゃあ、やって下さい」
郵「一週間くらいかかるんです

あーのーねー(--#)。
そんなこと今初めて聞きましたね。
私、この件で郵便局に来たのは、きょうで三度目なんですが。
それに、銀行だと、それは頼まなくてもオンラインで、
目の前でパパっと調べてくれたもんでしたが、
郵便局は随分とまた、アナクロとお見受け致しましたな。

郵便局員嬢は、おもむろに、
『郵便貯金照会書 兼 回答書』という書類を私にくれた。

私「これを書けばいいんですか」
郵「はい」

調査対象者・調査対象とする貯金の種類・
死亡年月日・調査年月日、と来て、次の欄には、
『お手持ちの貯金通帳または貯金証書の記号番号』
と書いてあった。

私「この欄はどうするんですか?
 ここがわからないから、調査を依頼している訳ですよね?」
郵「・・・・その通りですね(^^ゞ」
私「今あるものだけ書いておけばいいですか(--#)」
郵「はい」

私「で、請求者の欄は、私でいいんですか」
郵「あ、いえ、ご主人様に委任状を書いて頂いて・・・」

って、きょうは出来ないってことっスね~!

呆れた私は、
とりあえずきょう持って来たぶんは、今すぐ手続きして下さい、
と頼んだ。
もうさ、わたし、待てない、っていうか待ちたくないワケよ。
これ以外にあるかないかの調査はまた改めて依頼するけれども、
もし出てきたら手続きが二度手間でも、そのときはそのときだ。
それに、新たな口座なんて、出てこないんじゃないかと思うしね(--#)。

結局、準備してきた手続き書類に関してはすべて有効だったので、
本日分については、今度こそ、名義変更及び解約が実現した。
一時間以上、待たされたけど

Trackback ( 0 )




昨日、塾の懇談で貰ってきた、娘の成績表を、
今朝、私は改めて取り出して見た。

科目別及び四科合計点に関して、
一学期このかたの、毎回のテスト成績の上がり下がりが、
折れ線グラフでまとめられていて、
平均点(偏差値50)のところが赤い線で示してあった。
これにより、その線を下回っている回は、
平均点が取れなかったということであり、
そこから上に出ていればいるほど、偏差値は高い、
ということが、一目でわかるように図示されているのだった。

私の第一印象。
「なんだこれ。黄体機能不全の基礎体温表か?」

低温期が長すぎる、或いは、
基準値をうわまわる高温層が、なかなか持続しない、
という・・・・(爆)。

Trackback ( 0 )




(下のつづき)

電話を寄越した○○銀行の用事というのは、
書類に訂正箇所があるので、主人の実印を持ってきているか、
ということだった。
それは、手続き書類を貰いに行ったとき銀行から指示されていたので、
私は勿論、持って来ていた。
「でしたら、手続き可能です。続行します。すみませんでした」
と銀行員は答えて、電話を切った。
私は殺気を込めた目で郵便局員女史を眺めたぞ。
ほれ見ろ。銀行は実印があれば訂正できると言ってるじゃないか。

それから、更に半時間ほど、商店街で時間をつぶしたあと、
さきほどの銀行に戻り、訂正欄に実印を押して手続きを完了し、
銀行関連は、きょうだけで、無事に、名義書換が完了した。
銀行は更に、自動引き落としになっている公共料金について、
今後、どういう手続きをすれば良いかも教えてくれた。

そのあと、今度は姑のいるT園に行った。
先日提出した、国民健康保険証の正式な預かり証を発行して貰い、
昼食までの間、姑と喋った。姑はきょうも元気だった。
抱腹絶倒な展開が無かったのがやや、物足りなかったが、
姑は、15日、15日、とさかんに私に確認していた。
15日ってなんだろう?誰の誕生日でも結婚記念日でもないと思うが。

次に、舅宅に行った。
いつもお世話になっていた植木屋さんに電話して、
今後の庭の維持について相談した。
「ほんとに、つい、こないだまで、元気でいらしたのに。
こんなことになるなんて。どう言うてええやら、ほんとに」
と植木屋の女主人が沈痛な声で言ってくれて、
なんだかこちらまでしんみりしてしまった。
そうだ、じーちゃんは庭いじりが大好きだった。
夏、青葉になった桜の木の下で、
ランニング姿で椅子に座り、タバコをふかしていた舅の姿が、
不意に、思い出されて、切なかった。
・・・・・・(T.T)。

それから、約束していた車の査定の業者さんが来た。
舅の車にはもう、我が家では誰も乗らないので、
個人売買のかたちで知人に売ろうかと思っているのだが、
客観的な査定をして貰って、相場を知っておきたい、ということで、
知人のほうからも頼まれていたので、主人が昨日、手配したのだ。
もし相場があまりにも高いものだったら、買い取れないかもしれない、
ともその知人は言っていたから、
値段によっては、査定に来た業者さんにそのまま任せる、
ということになる可能性も、あった。

久々にキイを入れ、エンジンをかけると、懐かしい音がした。
ああ、じーちゃんの、車の、音だった。
この音をさせて、じーちゃんは、毎日のように、
機嫌よく、出かけて行ったものだった。
・・・・パチンコに(爆)。

で、業者さんは、舅の車を子細に見て、
『傷がない。新品みたいだ!』と感嘆し、
『シートにもカバーをかけて丁寧に使われている。
隅々まで手入れされていて、素人の仕事とは思われない』
と誉めてくれた。
当たり前だ、じーちゃんは元モータースのおやっさんだぞ?
舅はかなりの人気車種に乗っていたので、
業者さんは舅の年齢を聞いてびっくりしていた(^_^;。

しかし、査定されて出てきた値段は、
知人の提案した価格の、半分にも満たない額だった。
確かに、仲介業者さんの手数料や、オークション出品料や、
陸送代、クリーニング代などを引かれることになるのだから、
ある程度は仕方がないのだろうとは思うが・・・・。
まあ、別に、じーちゃんの車で儲けるつもりは今更、ないが、
ここはやはり、見ず知らずの業者さんに任せるより、
最後まで仲良くして貰った知人に譲って、
これからも愛着を持って乗って貰えるならば、そのほうが、
じーちゃんも喜んでくれるかもしれないな、と思った。

そんなこんなで、予想通り、娘の塾の面談に辿り着いた頃には、
私は目がイっていたと思う。
字が汚いということを注意されたのは記憶しているのだが、
結局、どういう話をしたんだっけな????
センセイ、すびばせんでした。


・・・・パタっ(←倒れた音)

Trackback ( 0 )




今朝もまた九時過ぎから活動を開始した。
まず、バスで佐伯区まで行って、某銀行某支店で、
舅の口座の名義変更手続きを行った。
書類は予め聞いて全部揃えて行ったし、
記入欄も埋めてあったので、あとは銀行内の手続きだったが、
これが一時間弱はかかる、という話だった。私は
「郵便局にも名義変更手続きで今から行くので、あとでまた寄ります」
と言い置いて、ほとんど隣に等しい郵便局のほうに向かった。

私は、あまり根拠はないが実は郵便局をなめていた。
手続き用紙だって、あれこれ訊かれずスンナリ貰えたし、
亡くなった人の口座を止めるとかなんとかも言われなかったので、
郵便局の手続きはさっさと終わるものだと、タカをくくっていた。

が。
とんでもなかった。
私の提出した書類を十数分かけて検討したあとの、
担当嬢の第一声は。

郵「書類にいろいろありまして、きょうはお手続きできません

『間違えたかな~?』
と、アミバ@北斗の拳になる余裕は、私には、もうなかった。
手続きできない?できない?できない、とな!?

郵「まず、記入日の日付が抜けてます。
 それから、こちら、続柄欄が記入漏れです。
 それに、証書欄ですが、証書番号の末尾-01が書かれてません。
 あと、御通帳の残高欄が空欄になってます。
 もうひとつ、相続確認表ですが、全部埋めて下さっているのですが、
 相続順位第一位の方がいらっしゃる場合は、
 第二位の方のお名前は必要ありません」
私「事実の通りでも、不必要なものが書いてあったら、駄目なんですか」
郵「個人情報の保護の観点から、書いて頂きたくないんです」
私「私が直すのじゃ、駄目ですか」
郵「すべて、お持ち帰りになって、ご主人様御本人に、
 改めてご記入・ご訂正頂いてから、再度、お持ち下さい」

はぁ~~・・・・。
多分、主人と私は、不注意で理解力不足で無能の極みなんだろうが、
それにしても、それらをすべて、主人本人が自分の手でなおすまで、
郵便局では受け取らない、というのだから困ったもんだ。
社会保険事務所では私の代筆を認めたぞ?
我が家の個人情報をさらした委任状と身分証明書は、なんのため?

一瞬、郵便局員女史の頭上に、死兆星が輝きかけたとき、
私は不意に、全然違う方向から名前を呼ばれた。

「転妻さん。転妻よしこさん、いらしてますか?」
「はい!」
「隣の○○銀行からお電話です」
「・・・・・・・・(--#)」

いかにも、私は郵便局に行くと言ったさ。
さすがだな、ここまで追いかけて電話よこすとは、○○銀行。
私は、完全に個人的な、郵便に全然関係ない用件で、
郵便局内のコードレス電話を、郵便局員から回して貰って、
彼らの身内でもなんでもない銀行員と喋るという、
希有な経験を、してしまった。

(つづく)

Trackback ( 0 )




今わたしが最も望んでいるのは、
『きょうは何もしなくていい』
という一日が欲しい、ということだと、今日、思い至った。
『きょうは』などと24時間独占しようというのが厚かましいなら、
せめて半日でもいい、午前中だけとかでもいいから、
『何もしなくていい、思いつきで行動しても誰にも迷惑かけない』
という過ごし方をしてみたいものだとつくづく思った。

ええ。
要するに役所まわりで疲れたんですわ

にも関わらず、明日はまた、銀行と郵便局に、名義書換手続きに行って、
住所不明で戻ってきた茶の子の宛先を調べなおして、
それから、舅宅の自家用車の査定に業者が来るのでそれを迎えて、
植木屋さんに電話をして、舅宅の今後の剪定の計画を立てて、
そのあとは例のT園に姑の様子を見に行って(これは笑えるかも)、
最後は、娘の塾の保護者面談に行かなくてはならない。

塾にたどり着いた頃はもうヘロヘロで、
何を言われてもほとんど理解できないのではないかと心配だ。
前に学校の懇談会に行ったときもそうだった。
礼を失しないように「はい」「はい」と拝聴してはいるのだが、
実は何の話をされているのか、意味がわかっていなかったという。

塾のHPを見ると、何事も子供自身が自主的自律的に行動できるよう、
親は口を出し過ぎないよう・手を貸しすぎないように、
ということが書かれているのだが、
これは勿論、しっかりと見守った上での話に決まっている。
私はこのところ、ほとんど娘に干渉したことがないし、
彼女が忘れ物をしようが何しようがほったらかしだが、
私のは断じて、娘の自主性を育てているわけではなくて、
純粋に、自分が忙しいから娘のことまで手が回らないだけだ。

と言っていたら音羽会から12月の南座の案内が来た。
例年、座席券は取りにくいらしいけれど。
ああ、ここが思案のしどころよ

Trackback ( 0 )



« 前ページ